2015年2月10日火曜日

因島重井町 青木城跡

しげいみち

2015.3.25.
2014.12.3.東浜。郵便局前にある説明板。左の道は青木道の起点。
登り口は電柱付近にあり、理髪店の隣りから、フェンス沿いに登る。


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理容院の隣りに標識がある。
北側の海の見える辺りに廃屋がある。眺めはよさそうだが、行けない。右へ方向を変えてさらに登る。
総覧3 八紘一宇(はっこういちう)注連石柱。頂上には小祠と石碑。
左:総覧1 地王社の祠。右:2 竜王社社碑。
石碑には竜王神社と書いてある。この山は竜王山、地王山とか青木山と書かれているが竜王山は南西にある権現山のことであるので、ここで竜王山と使わないほうがよい。
石碑の前にある説明板。
2015.6.10.権現山(竜王山)を望む。麓に天秀庵城跡が見える。船奉行片山数馬の居城。




2016.6.14.東へ向かう尾根筋への入り口。

2016.6.14.
2016.5.31. フラワーセンター方面(大出神社付近)へ出る尾根道が開通しました。そのまま進むと、フラワーセンターが見えるところへ出ます。

2016.5.31.出口が見えてきました。



2016.5.31.ゆくゆくは中央の尾根を左方向へ曲がってフラワーセンター駐車場近くへ通じれば良いのですが、とりあえず、右端のカーブミラーを目指して畑道を降ります。

2017.1.4.白滝山より。



2016.8.14. フラワーセンター側から。


2015.2.4.裏木戸門付近。フラワーセンター線から。


2015.2.4.裏木戸門付近。青木道から。

2017.2.21.一本松から。


1975年(昭和50年)12月。中央の小山が青木山。左の山が馬神山。右の尾根が平になるところの左のこんもり茂った緑が峯松神社。尾根は白滝山へと続く。手前の右に延びる直線は大浜往還(旧道)。元・消防署(因北分署)の前の塞の神から入る道。左の蜜柑畑は削りとられて因島北インターとなっている。

1966.7.16.中央下の山が青木山(地王山)。白滝山山頂から。頂上の尾根筋が歩けます。

1979.6.23.
2015.4.15.権現山山頂付近から。

青木城と八幡神社、山の神(左下)の位置関係。


参考:

青木城跡
重井町
県史跡
昭和32年9月30日指定
 因島のほぼ北端、城は現在の重井東港にのぞむ小丘陵上に在り、50m6cmの最高所を中心に東の大手にむかって比較的旧状をよく保った郭が5段連なり武者走りも残っているが、その続きは現在民家が建ち当時の面影はない。
 搦手は、ほぼ同じ高度で南北へ二つの郭が連なり搦手門へつながる。この場所を地元では裏木戸の地名で呼んでいる。
 永禄10年(1957)因島村上新蔵人吉充が向島の余崎城より移り居城したと云い築城もその頃であろう。
 本丸跡には龍王神社の石碑と地王社の祠が祭ってある。
因島市教育委員会編、「因島市の文化財」、因島市教育委員会、1990、p.10


次に青木城主村上吉充の記録
1544天文13年7月3日。村上文書。
大内義隆、備後村上新藏人ニ所領ヲ充行フ、
東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧」、 巻10、内閣印刷局朝陽会、1938、p.196





東京帝国大学文学部史料編纂所編、「大日本古文書. 家わけ八ノ一」、東京帝国大学、1920-1924、p.352には次のような記録がある。



また、東京帝国大学文学部史料編纂所編、「大日本古文書. 家わけ第15 (山内首藤家文書)」、東京帝国大学、1940、p.143には次のような記録がある。



余崎城跡 青木道 備前屋

しげいみち