2015年12月11日金曜日

夕凪亭閑話2006年1月



2006年1月1日日曜日
 また正月がやってきた。旧臘の大寒波が嘘のような絶好の日和である。5時から起きているので,何をしてもいいのだが,人混みの中に出ていくのは億劫なので,ガラス窓を通しての日光浴とする。
 放送大学の特別講義で,中村桂子さんの生命誌のお話を少し聞いた。扇の根元が生命の誕生で,上の広がった部分が現在の多様な生命で,蛙やら象やらヒトやらが描かれている絵がおもしろかった。進化というのは,膨張宇宙論ではないが,広がっていくものだという,視点。
 狂言の末広がりというのは,都に末広がりを買いにやられた太郎冠者が,騙されて傘を買って帰るという,話し。確かに傘も末広がりには違いない。
 例年より少し早く年賀状が届く。憂鬱。書くことがないなあ。高齢につき年末年始のご挨拶を以後ご遠慮申し上げます,という文面をいつになったら書こうかと,思案しているのだが・・・,嗚呼。 
 日の入り前に散歩。美しく穏やかな日の入り。読者の皆様にとりましても,よい一年でありますように。夕凪亭 拝。
2006年1月2日月曜日
 今日も好いお天気だった。とはいえ,朝から曇っていて,昨日ほどではないが,よく照ったほうである。でも,昨今の異常な寒波に比べれば,正月らしいよいお天気でよかった。郵便受けを覗いてみると,今日も年賀状があるではないか。いままで,二日には配達してなかったと思ったが,今年は変わったのでしょうか。意を決して返事を書くことにした。
 投函のついでに,少し散歩。正月だというのに,寂しい町でした。たいていの家にも車が止まっていて,人はいるのに,道にはほとんど人がいないから不気味だ。これでは,小学生が一人で歩くと怖いと思う。
 500円DVDで,「武器よさらば」を昨夜見た。嵐の中をボートで国境を越えていく有名なシーンはキャサリンと一緒だと思っていたのに,一人だった。それに,ごくわずか。以前見たのは何だったのだろうか。ラストは原作では,After a while I went out and left the hospital and walked back to the hotel in the rain.となっている。やはり,キャサリンは雨が嫌いで予言通り雨の中で死ぬのだから,最後は雨のシーンで終わるべきだと私は思う。
2006年1月7日土曜日
 いつでも,どこでも,同じように時間は流れているのだろうが,その威力は年が改まっても衰えることはない。あたりまえだが。4日から仕事を始めている。その間に寒波再来。日本が温帯に属するということは,単なる教科書的知識で,大雑把な区分けに過ぎないと納得しなくてはならない。
2006年1月9日月曜日 成人の日
 休みである。朝から窓の外を眺めていると南天の先のほうの葉が真っ赤である。しかし,玄冬の寒風正に嗟くに堪えたりである。テレビで雪掻きに追われる高齢者の方を何度も見る。屋根ほどの高さまで押し寄せる雪を見ていると,やはり異常気象だとしか思われない。また,夏が暑くなるのだろうか。
2006年1月15日日曜日
 昔でいえば,というよりも,夕凪亭閑人の人生の大部分における定番の成人の日である。しかし,変な法律によって15日は成人の日ではない。さて,期限切れ間近の青春18切符があったので,高松へ行ってきた。高松といっても,菊池寛とか平賀源内について調べるとかいう目的はまったくなく,瀬戸大橋線という列車で瀬戸大橋を渡ったことがないので,それに乗ることと,うどんを食べることが敢えて言えば目的くらいか。
 珍しくよいお天気に恵まれて快適な電車の旅だった。岡山から出る瀬戸大橋線の快速マリンライナーである。はじめは,かつて連絡線で四国に行っていたあの宇野線である。電車は南西に走る。まずは,妹尾である。あの平家物語に出てくる妹尾太郎兼康ゆかりの地である。このあたりは児島湾干拓地の面影が残る岡山平野がいつまでも続く。次が茶屋町で,線路はここで宇野線と別れる。すなわち,ここからが瀬戸大橋に合わせて建設された新線である。茶屋町は倉敷市で藤戸とは目と鼻の先である。しかし私は平家のことよりも,民家と民家の距離に,干拓地の初期入植者のことを考えた。今でこそ,車でわずかの時間で最寄りの駅はもとより倉敷でも岡山でも行けるが,入植当時は,自家用車などほとんどない時代だから,相当の覚悟で移住したのではなかろうか。宅地化された田圃の間にほのかに伺える家並みには,海外の邦人入植地の写真に似た面があった。
 これまた,干拓地の,多分塩田の跡地ではないかと勝手に想像する児島駅を出ると,すぐに海の上である。今は山中,今は浜,今は鉄橋渡るぞと思うまもなくトンネルの闇を通って広野原・・という歌詞から考えられる地形図を書かせる入試問題をかつて見て,思わず笑ったことがあるが,(中学校入試,社会科,いい問題だと感心もしたが),鉄橋だと思えば何ということもないのか知れない。しかし,吊り橋の下にぶら下がった鉄橋なのである。この上を自動車で何度も通り,現にそのときも,どこの誰とも知れぬ人が車で通っているのだから,すごい。窓に顔を近づけて見ると,海が近い。自動車で通るよりも,遙かに海が近いというのが,第一の発見。次に窓を見ると,開けるところがないのだ。完全密閉式の窓である。窓を開けて飛び降りられたら,困るから,当然といえば当然だが,これが第二の発見。
2006年1月22日日曜日
  高松の話を書きかけて途中でやめていたら,もう一週間も経ってしまった。高松では歩いて栗林公園へ行った。途中,菊池寛の銅像があった。銅像だからもちろん,くちきかんである。昔,恩讐の彼方へとか,父帰るとか,屋上の狂人とか読んだことがあるが,それだけであるので,こちらも黙って傍を通り過ぎた。栗林公園が映画「春の雪」のロケ地であるということは知っていたが,それを確認するのが今回の目的ではなかった。昔いたゴリラはまだいるのだろうか,というようなどうでもいいことを考えながら,ゆっくりと見るつもりだったのである。ところが,何と,ロケ地の案内と解説までしているではないか。「吹上げ」では黒犬の死骸が発見されたシーンが撮影された,という具合である。
2006年1月27日金曜日
 承前。「松枝侯爵邸は,郊外の広大な地所を占めていた。十四万坪の地所に・・・」と新潮文庫の7頁にあるわけだから,約23万坪もあるという栗林公園を選んだ映画関係者の着眼はさすがだと思う。「春の雪」のDVDはプレリリース版で映画とは違うのだが,撮影風景なども収録されていて,興味深かった。そのロケ地を見て回るのも楽しかった。
 高松駅に戻って,近くの玉藻公園というのには行ったことがなかったので行ってみたところ,ここもロケ地だた。披雲閣といってすごい瓦屋根の日本建築があって,綾倉伯爵家のシーンに使われたそうである。庭も樹木も立派でいい雰囲気だった。さて,作品の舞台でもなく,ただ映画のロケ地に感心を抱くというのはどういうことであろうか。単なるメディアではないかと言ってみたいところであるが,それだけでは済まない何かに我々は支配されているのだろうか。しかし,葛飾柴又まで行って団子を食ってきた私がこんなことを書くのはおかしいのだが,でもやはり,向島の大和ロケセットを訪れる人たちの気持ちは私にはわからない。(このように書く私の気持ちも,読者の方には理解しがたいことだろうが)。
 閑話休題。ライブドアのホリエンモン社長が逮捕されたが,どうして逮捕されたかわからない人がいるようだから,少し解説してみよう。他の頁の西行のところで怨霊史観というのを紹介したが,今日は怨念史観を紹介したい。怨念といっても,二階に猫がおんねん,というのとは少し違う。さて,怨霊は死してなるものだが,生者の魂魄が怨念である。すなわち,会社をのっとられたり,いろいろと嫌な思いをした人たちの怨念が逮捕させたのである。少しは歴史というものが見えてきましたでしょうか。
2006年1月28日土曜日
 それにしても,個人投資家とか,学生投資家がけっこうたくさんいるものだなあと,昨今のニュースを見ていて改めて知りました。ずっと前に投機に走るアメリカの生徒・学生たちのことをテレビが伝えておりましたから,やがて日本でもそのようになるだろうとは思っていましたが,既にそうなっているとは・・・。まあ,個人の生き方の問題ですから小生がどうこういうことはありません。ただ,ここでは,将来その方面を目指す若い方に(そういう読者はおられないと思いますが),「モンテクリスト伯」(小学生向きにダイジェストしたものではなく完全版で)と,広瀬隆さんの「赤い楯」くらいは読んでおきなさいと,記すに留めましょう。
 BSEに関しても思うのですが,アメリカは過剰食糧生産国で,日本はアメリカの植民地であることは,戦後60年間一度も変わったことのない事実だと思います。植民地という言葉には文字通り植民させる地,すなわち相手国と対等の交渉をせずに強引に移民させることのできる土地という意味と,政治的に支配下にあるという両方の意味があると思いますが,アメリカ人にとって日本に移民するメリットはありませんから,あくまで後者の意味ですが,米軍基地がなくならない限り,日本はアメリカの植民地です。そのことを忘れて,ひどい国だと言ってもはじまりません。
 トッドさんによれば,アメリカ帝国の覇権はやがて終焉を迎えるわけですから,そのときは,本当に独立して牛肉はいらないと言いましょう。しかし,その時,どこの国で作られた牛肉を食べるかは覚悟しておかなくてはいけないと思います。それと,防衛問題ですね。
 少子化問題は年始めから元気のいいことを言っていましたが,経済大国日本の疲弊ぶりを示すニュースに押されて,早くも忘れ去られた形ですね。結婚とか出産は海外移民と同様個人の価値観に基づくもので,国家がとやかく言うものではないと,基本的には思いますね。しかし,現実に人口は減っているのですから,これは重要な問題です。
2006年1月31日火曜日
 今日で1月が終わる。慌ただしい世の中であった。ホリエモン氏が登場したとき,三島さんの「青の時代」を思い出した。業種は異なるが・・・。
 日経新聞連載の渡辺淳一さんの「愛の流刑地」が終わった。やっと,終わった。北杜夫さんの「私の履歴書」も終わった。そして,1月も終わった。