2016年2月17日水曜日

夕凪亭閑話 2015年1月


2015年1月1日。木曜日。晴れ時々曇り。一時雪。
謹賀新年。

朝から雪が積もっている。潮騒荘へ行く予定。少し逡巡。晴れ間が見えるので、決行。やはり、坂を下るのは怖かった。ローでゆっくりと下りる。
潮騒荘にて。寒いので白滝山へ登るのは中止。凍結したらいけないので4時頃に出て福山へ。
夜、いつものように年賀状の開始。 


2015年1月2日。金曜日。晴れ時々曇り一時雪。
今朝も、昨夜の雪が少し残っている。東京へ帰る息子を大門駅へ送るのは怖いので、東福山駅へ送ることにする。それでも、やはり坂は怖い。少し滑った。ブレーキを離し、エンジンブレーキに変えると滑るのが止まった。
年賀状と写真の整理。


2015年1月3日。土曜日。晴れ時々曇り。
今朝もまた昨日の雪がうっすらとつもっている。休みで車も通らないし、気温も低くなかなか融けない。じかんぎりぎりまで延ばして、11時過ぎに出て、潮騒荘へ。日陰の信号前では発車のとき少しスリップ。
午後、お天気がよいので、山へ。白滝山へ。Macを持って。そして番号を付けた写真と実物との対応を確認。2カ所修正。それに西国三十三番札所の内側の石仏の番号付け。これは夜完成させた。


2015年1月4日。日曜日。晴れ後曇り。一時小雨。
潮騒荘にて。午後になって曇り、小雨まで降り出した。晴れていたら、みかんの無人販売所を開いて、山に登る予定であったが、小雨が時々降るので様子見。その間に、周辺の掃除。結局今日もフリマのリハーサルにならなかった。
夜、福山へ。松陰のドラマが始まったので、見ることにした。去年の官兵衛は途中からだから、日曜のNHK大河ドラマを初めから見ようというのは、何十年かぶり。司馬さんの「世に棲む日々」ぐらいしか読んでないのだが、松陰は魅力的な人である。もう少し常識的に生きて長生きしておれば、もっと影響力があったのに残念だと思うが、常識的な松陰となれば、それはもはや松陰ではなくなりそうである。


2015年1月5日。月曜日。晴れ。
珍しく暖かい一日。午前中外出。午後、ずっと写真の整理。番号付けの修正。とはいえ、昼寝もかなり。修正して夕凪亭別館の写真を入れ替えるのは大変。はじめからするほうが楽ではないかと思える。でも作業量が少ないので修正箇所に留める。
石仏を中心に主たる石像物を数えてみたが、仏像とその他の石像物をどう区別するかという問題が浮かんできた。これまで、多宝塔や灯籠や大小神祇の石碑まで数えてきたがこれらをどうするか。手水鉢や花台はまだ数えていない。とりあえずこれからの作業は、仏像以外のものも写真で示すことであろう。
Macの内蔵HDが一杯になったので、古い写真を外付けHDへ移す。その前にフォーマット。はじめてMacでフォーマットをした。


2015年1月6日。火曜日。雨後晴れ。
午前中雨。散歩はしない。すぐに写真の整理。ここで白滝山関係は第二ステージに入った。すなわち石仏の番号付けはほぼ終わったので、伝六さんの墓とか、他のところの寄附石などへ写真の展示を広げることにする。それに伴い伝六さん(墓所)のページを少し改変した。
夕方、潮騒荘へ。少し日が長くなったのか、五時半でもまだ明るい。
墓の台の写真を見ていたら、峯松初五郎と読めた。これからは、それぞれの石仏をいろんな角度から写真にとることにしよう。そしてPCで眺める。眺めているうちにいろいろなことがわかるだろう。


2015年1月7日。水曜日。晴れ一時小雨。
潮騒荘にて。午前中、カメラをもって町内を移動。道路改修碑2つ、島四国2つ、村四国4つ、お寺など。
午後は、白愛会のメンバーと山へ。白滝山旧登山道の峰松山鐘楼線の復旧を終える予定が、大浜往還(古道)のほうへ。峠を登りきって下りにさしかかるところまで、下草刈りを済ます。峠だから両側が高くなっている。そして、山裾側の高くなっているほうへ上りさらに尾根を下る。峠というものが実感できた。
夕刻、福山へ。


2015年1月8日。木曜日。晴れ。
朝、散歩。買い物。それから外出。午後は、例によって写真の整理。ブログへのupと言ったほうがより正確か。写した写真を系統的に並べているのだから、やはり整理には違いない。
昨日最後に到達したところが大浜往還(古道)とは違うのではないかというメールが、国土地理院の地図とともに届く。写真もあるというので、重ねて見ていたら、昔一度だけ通ったことのある大浜往還(旧道)を思い出した。地図と写真でなぞっていくと、今思っている以上に南を通っていた。即ち今の大浜往還が、一番肝心なところで同じ位置にあった。したがって、大浜往還(旧道)と思っているのは、案外に早く分かれて、しまなみ海道の下に埋没していた。それで、旧道だと思っていたのは、ひとつ北の谷であった。だから、旧道と古道が出会うのは確かだが、それは旧道が本来の旧道からそれてから出会うということで、本来の出会いではない。また、そこに出会うように古道をもっていくのも間違っている。ということで、古道は昨日の峠を越えてもまだ下らず、さらに高いところを通るか、少し迂回しながら東側に回り込むということになるのだろう。おかげで、国土地理院の地図と各種の機能が便利だということがわかった。


2015年1月9日。金曜日。晴れ。
暖かい一日であった。このまま春になったらいいと思うが、そうはいかないだろう。梅の莟がピンク色になって膨らんできたし、夕方五時過ぎになっても明るいし、既に春の雰囲気ではある。かつて掲載した写真をあたらしくリンク集を作って使いやすくするために、地域別のリンク集を作ることにした。とりあえず、白滝山以外の写真の多い重井町のものとして「しげいみち」を作った。あわせて、他の町のも。そこで思うのは、初期のデジタル写真がPCの不具合でかなりなくなっているということだ。残念な気がするが仕方がない。


2015年1月10日。土曜日。晴れ。
おだやかな日が続く。朝散歩。
10時過ぎに出て、潮騒荘へ。途中、大浜パーキングに寄り、遊歩道を歩く。上り車線、下り車線は陸橋で結ばれている。両方とも、路線バスの駐車場があり、一般道へ歩いて出られる。また因島大橋の下部歩道からは遊歩道から下り車線へと通じている。ということは、そこから大浜公園のほうへ下りることもできる。遊歩道の先に展望台がある。


2015年1月11日。日曜日。晴れ。一時小雨。
潮騒荘にて。朝、写真を写しに歩く。お寺の駐車場に車を停め、山ノ神、片山、厳島神社、久保、大疫神社を経て小学校を横切って駐車場へ。
午後は、大浜往還(古道)へ。一本松へ車を停め、農道一本松重井こ道橋を途中まで歩き、前回下りた、池の迫を登り、最初の峠へ。そこからさらに登って大浜側へ。蜜柑畑があり、驚く。ただ、上のほうは放棄されている。そのまま上に行けば白滝山へ行けそう。下り道を行くと、大浜こ道橋へ出た。もう少し山の中を東へ行くルートがあるのかも知れない。側道、すなわち大浜往還(新道)を少し歩き、重井こ道橋から農道に入る。大浜往還(旧道)から来た道と交差する。そこへは行かず、一本松へ。一万歩を越えた。
6時過ぎに、福山へ。夜、大河ドラマを見る。


2015年1月12日。月曜日。晴れ。
成人の日である。祝日祭日といっても、ほとんどが、休みの日というぐらいの意味しかないのだから、毎日が休みになってみれば、それこそ意味が完全に消失する。そのような精神性の欠如は生活の至る所に現れている。神社仏閣への接し方もそうであろう。それは同時に歴史への関心への希薄さと通ずる。どうしてこうなったのだろうか。社会は変わるものであるからその一員である個人も変わる。そうしたものの総体として意識の変容が起る。いいとか悪いとかいうものではない。でも、何か空虚な感じである。


2015年1月13日。火曜日。晴れ。
朝、散歩。今日は忙しい日だった。午後外出して、帰ってほどなく、潮騒荘へ移動。夜、先日の写真の整理。ホルダーに配分するということ。


2015年1月14日。水曜日。晴れ後曇り。
潮騒荘にて。午前中、北の浜、新波止を歩く。美しい景色。素晴らしい。午後、山へ。今日は灰の奥口より入って峯松山へ。鳥居の上で右折し、御本尊の南側を上にまわり古い道に達すようにする。後は、以前整備したところを進んで山頂を目指す。鐘楼まで達して休憩し、南東の尾根を下りる。これは、大浜からの登山道でよく整備されている。奇岩が多く景色もおもしろい。磨崖仏を発見。そして大浜往還(旧道)に達す。6時過ぎに福山へ。



2015年1月15日。木曜日。雨後曇り。
午前中雨。散歩はしない。午後、外出。これでは、まったく浦島太郎の日記だな。朝は鯛の踊りを見て、午後はヒラメの踊りを見て、夜は乙姫様とお酒を飲んで、と毎日同じことが続く。いや、それよりも、もっと浦島太郎に近づいていると最近つくづく思う。古里の町を歩いていてもほとんどの人が見たことのない人ばかりだし、まるで浦島太郎を生きているような気がする。玉手箱というのは自覚ということの別名である。紙や髭も既に白くなっているのに、自分ではいつまでも若いと思っている。ある日、お雑煮を食べていたら歯がぽろりと折れたり、後ろの新聞を取ろうとして体を曲げたら、頭の先から足の先迄雷に打たれたような電流が流れてぎっくり腰になって、やっと自分も老人だと気づく。そのことの見事な比喩が玉手箱である。それにしても、子供達にいじめられていた亀を助けた浦島太郎になぜこの物語作者はかくも残酷な結末を与えたのであろうか。勧善懲悪、因果応報式の他の物語とは逆の善行の結果が孤独地獄では、人はカタツムリになるしかあるまい。そもそも浦島太郎の話は子供の話としては妙に色っぽい。竜宮城の歓待は亀の放生への礼を越えて淫蕩の気に溢れている。ここまでは神仙思想か。そして最後はこの淫蕩めいた日々を懲戒てきに否定し、仏教的無常の世界へ落とす。アンバランスな接ぎ木を受容していく感性が日本の歴史なのであろう。


2015年1月16日。金曜日。晴れ。
今日も浦島太郎日記的な日々が続く。撮りためて溢れる写真データをストーリ的に並べる。それだけのことである。炬燵の中に入って寝転んでノートパソコンを打つ。マウスも電源コードもLANケーブルもない。簡素になったものだ。
午後、眼科へ。2ヶ月に一度の検診。老化の兆し。いや、兆しではない。老化の現実。


2015年1月17日。土曜日。晴れ。時々小雪。
朝8時に出て潮騒荘へ。それから準備をして、白滝山へ。今日は白滝山の初観音。明治時代迄は7日間市がたったという。それにちなみフリーマーケットをした。旧暦ならばまさに初春の頃でいいのだろうが、三月や四月に初観音もあるまい、ということで新暦で決行。今日はまたセンター試験の日でもあり、また、阪神淡路大震災の日でもある。一月でも寒い頃である。やはり日が悪かったかな、と思いつつ会場へ。既に観光タクシーが一台留まっている。まことに幸先のよいスタートであった。


2015年1月18日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。朝、東港へ行き、水軒翁の碑に参る。次に厳島神社の北側の崖にある玉ノ浦明神と黄幡さんへ。次に、長崎の塵捨て場の隣りの道路改修碑へ。その後、万田発酵の餅つき大会へ。午後は水軍城と奥山ダムへ。
夕刻、福山へ。


2015年1月19日。月曜日。雨後晴れ。
朝から写真の整理。小雨のため散歩は中止。午後、外出。坪生のため池の写真を撮ろうとしたら霙が降り出したのでやめた。


2015年1月20日。火曜日。晴れ。
珍しく暖かい。とはいえ例の三寒四温といういつものパターンかもしれない。
暖かいといっても、炬燵に入ってパソコンを叩く。疲れてくると眠る。これまたいつものパターン。いつものパターンでないのは二三年悩まされた指のひび割れが、どういうわけか今年はできないこと。でも、時々指がかゆくなることがある。しもやけと似ているがふくれてはいない。ひび割れさえおこらなければ、それでいい。
四時半に出て潮騒荘へ。


2015年1月21日。水曜日。晴れ。
潮騒荘にて。朝、散髪。長浜、鬼岩へ行き、小祠を写す。権現山の南側は日当りもよく美しい。西の海もきれい。
午後、丸小山道、有浜、須越、須越奥、上迫と歩く。三時半から白滝山へ。曇り空で文字がよく見えた。五時前下山。
夜、福山へ。


2015年1月22日。木曜日。雨時々晴れ。
朝から小雨。散歩はしない。9時から買い物。午後も買い物。そして昼寝。起きている時間は写真の整理。しかし、本日は昼寝の時間が長かった。昼夜逆転に近い。


2015年1月23日。金曜日。晴れ。
晴れたので、朝いつものように散歩。公園ではラジオ体操のグループも。おそらく朝ドラの後と決めているのだろう。同世代の人たちだろう。
朝から写真の整理。午後も。途中、昼寝。
夜、古文書講座。途中、ウォンツに寄ってインドメタシン1%液を買っていく。プライベートブランド品の安いのを買う。


2015年1月24日。土曜日。晴れ。
朝、散歩。よく晴れている。氷がはっている。放射冷却か。
昨夜は9時半に帰って、風呂へ入ってしげいみちの追加をしていたら、いつのまにか寝ていた。12時半に目覚めて、洗濯機のスイッチを押して、PCをもって布団のほうへ移動して寝ようかな、開こうかなと思案しているうちに寝てしまい、昼夜逆転から正常に帰した。
昼前に出て潮騒荘へ。午後、土生の因島図書館へ。福山市に住んでいても本を借りれるということでカードを作る。しばらく読んで、数冊借りて帰る。帰りに金倉寺と周辺の地蔵さんを写して、馬神道を歩く。馬神城跡へ登る。よく整備されていて気持ちがよい。重井西港も満潮できれい。


2015年1月25日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。午後、ぽんかんを少し摘む。猪が入ってきた跡がある。猪フェンスをあと五枚ほど追加して、門扉をつけることにして業者に見積もりを依頼した。トイレの排水タンクの水止めが調子がよくないので取り替える。手荒い用に上にあげるところは、古い型でタケノコ式というものだった。蝶ナットがあわないので、蛇腹パイプを切って押し込む。あれやこれやとしていたら午後も終った。6時過ぎに福山へ帰る。大河ドラマを見る。やはり松陰はおもしろい。


2015年1月26日。月曜日。雨。
朝は雲っていたがすぐに雨。一日中雨。夜、かなりの雨。昨年から珍しく雨が多い。雨が多いと蛇が増える。農地が山に戻ったり、畑が薮に変わったところは特に蛇が増えただろう。そこを猪が襲う。すると蛇は猪フェンスの中に逃げ込むことにならないか。フェンスの中は一応農地で蛇には住みにくいだろうが猪からは安全かもしれない。昼前から昼過ぎにかけて外出。家にいたらパソコンに向かうか寝ている。因島四国八十八カ所札所は島四国と呼ばれて、四国の本物は本四国と呼んできた。村内のが村四国である。島四国の重井町内にあるものが残り一つ。形式を揃えておいた。


2015年1月27日。火曜日。晴れ。
やや曇り空で、雨はやんでいるが寒い。寒波到来。それでも日中は日も照り、この季節にしては暖かい。午後、灯油を買いに行く。夜、町内会の役員会。それが終わって潮騒荘へ。


2015年1月28日。水曜日。曇り一時小雨。
潮騒荘にて。朝、島四国郷照寺を写し、重井の島四国を完了。村四国の久保、小林を写す。小林が1つ残った。久保は完了だろう。
午後、1時頃スポーツ公園に車を停めて、鼬の巣から中庄の鹿穴を目指して、歩く。農道として整備されており車でも通るような広い道。土生神社の隣りの竹薮に古い歩き道の跡。昔の峠道の面影。大師堂のところから長福寺へ越える遍路道があるが、そこは通らずに、少し西の馬の背峠を越えて、仁井屋へ出る。成願寺の前を通り、金蓮寺、水軍城のほうへ行かず、長福寺を目指す。長福寺から谷道を鹿穴のほうへ上がる。峠の上で、左が水軍城、右が片刈山城跡になるので、右へ道を取って、片刈山へ上がる。だんだん南へ下っているうちに下り道を見失い長福寺の墓地の上のあたりへ降りる。もう一度同じところを峠まで上って、遍路道を鹿穴に下り、大師堂、島四国9番法輪寺を通って、来た道を帰る。五時頃車まで帰る。
夜、福山へ。


2015年1月29日。木曜日。曇り夜雨。
朝散歩。そのあと買い物。外は寒く、いつもは寒く感じる食品スーパーの中が暖かい。
今日は一日写真の整理。しかし、半分は寝ていてあまり進まず。島四国は重井が済んで他へ移る。村四国はwebが追いついていない。こちらをもっと進めないと他に力が入らない。
寒波のせいで寒い。予報では霙。外に出て確認はしていない。雨は夜になって降り出した。


2015年1月30日。金曜日。霙のち曇り。
朝、霙が降っていた。屋根にも湿った雪が少し積もっていた。ほどなく止んで、雪も融け出した。午後はおおむね曇り。
写真の整理をしたり、昼寝をしたりといういつもと同じような生活。近所に写真を写して行ってもいいのだが、寒いので行かない。もう少し暖かくなってからにしよう。


2015年1月31日。土曜日。晴れ。
寒いが朝、散歩。10時に出て、潮騒荘へ。すぐに昼ご飯を食べ、12時に一本松でS氏と合流。草刈機を積み替えて、大浜こ道橋まで送る。S氏が大浜往還(古道)を大浜側から草刈機をかけながら登る。僕は重井側に車を廻し、歩いて登る。30分ほどで合流。整備。往還沢の西半分のルートの定まらなかったところを確定。











 
 

今年1冊目。
映画等
今年1本目。