過去七仏の台座にも仏像が彫られている。東に3体、南に9体、西に3体、北に6体。合計21体。
北の6体は、左右に2体ずつあり、中が彫り込みになっており、左の彫り込みに2体。右の彫り込みには柏原林蔵の碑文が彫り込まれている。
2016.8.1.正面の磨崖仏。
2016.8.1.正面、右の2体。
2016.8.1.
2016.8.1.
2016.8.1.
2016.8.1.東の3体。
2016.8.1.南の9体。
2016.8.1.西の3体。
2016.8.1.正面の磨崖仏。
2016.8.1.正面、右の2体。
2016.8.1.
2016.8.1.
2016.8.1.
2016.8.1.東の3体。
2016.8.1.南の9体。
2016.8.1.西の3体。
信願の石文字(過去七佛の台)
文政十丁亥孟春
仏 出世 而名
一観 矣 説法
六年 焉 平常
在 作仏 念時
乞 就席 語矣
予又 有念故
諾而 作五百
余 尊 爾
柏原林蔵
仏性知
六十一歳
意訳
文政十年の正月、伝六さんが来た
悟りを開いて一観と名のり
六年説法し、いつも仏陀の境地にちかづきたいと修行している
石仏工事の協力を依頼された
仏の道に尽くすことはすばらしいことなので
五百羅漢を作ることを承諾した
柏原林蔵
六年説法し、いつも仏陀の境地にちかづきたいと修行している
石仏工事の協力を依頼された
仏の道に尽くすことはすばらしいことなので
五百羅漢を作ることを承諾した
柏原林蔵
仏の心を知りたい
六十一歳
「釈迦はインドを仏国と名づけ、過去七仏が国の本を制立したとし、五時経の如来もって法とした。聖徳太子は、釈迦のこの私法の真似をして、日本を神国と名づけ、国の始めを天神七代が創立したとし、地神五代をもって法としようとしたのである。(安藤昌益「日本の名著」19、p.194)