2016年2月9日火曜日

因島 白滝山 過去七佛


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2014.12.13.総覧184 過去七仏像。尾道市因島重井町。白滝山山頂広場。過去七佛。


古い写真です。
過去七仏の台座にも仏像が彫られている。東に3体、南に9体、西に3体、北に6体。合計21体。
北の6体は、左右に2体ずつあり、中が彫り込みになっており、左の彫り込みに2体。右の彫り込みには柏原林蔵の碑文が彫り込まれている。
2016.8.1.正面の磨崖仏。

2016.8.1.正面、右の2体。

2016.8.1.

2016.8.1.

2016.8.1.


2016.8.1.東の3体。

2016.8.1.南の9体。

2016.8.1.西の3体。


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信願の石文字(過去七佛の台)
文政十丁亥孟春 
仏 出世 而名
一観 矣 説法 
六年 焉 平常 
在 作仏 念時 
乞 就席 語矣 
予又 有念故 
諾而 作五百 
余 尊 爾 
  柏原林蔵
 仏性知
   六十一歳 

意訳
文政十年の正月、伝六さんが来た
悟りを開いて一観と名のり
六年説法し、いつも仏陀の境地にちかづきたいと修行している
石仏工事の協力を依頼された
仏の道に尽くすことはすばらしいことなので
五百羅漢を作ることを承諾した
柏原林蔵
仏の心を知りたい
六十一歳 


「釈迦はインドを仏国と名づけ、過去七仏が国の本を制立したとし、五時経の如来もって法とした。聖徳太子は、釈迦のこの私法の真似をして、日本を神国と名づけ、国の始めを天神七代が創立したとし、地神五代をもって法としようとしたのである。(安藤昌益「日本の名著」19、p.194)