ニュートン
ニュートンの錬金術師の一面はよく論じられているところであるが、自己顕示欲強い人間だったということについては、小山慶太氏の『肖像画の中の科学者』(文春新書、1999)で述べられている。この本に書かれているように、学問的に業績を上げた人間として、それ相応の地位を身分社会の中で与えられることを望んだとしても当然であろう。
ドルトン
ドルトンが原子説を発表したのは1803年である。この年を科学史を考える上で基準に取りたい。というのは、これから100年後の1903年がわが長岡半太郎の土星型原子構造論が確立された年であるからだ。すなわち、これ以上原子は分割できないと言われて、たかだか100年でそれに構造があるということが議論されはじめた訳である。トムソンによる原子の発見が1897であるから、ここで原子論が崩れたということになる。
しかし、それ以前の例えば、1867年のメンデレーエフの周期律は、すでに構造のないとドルトンによって言われている原子に、内部構造があることを十分に予感させるものであるといえるだろう。
とは言え、ドルトン以降の100年間を原子の世紀ということができる。その後は、言うまでもなく電子の世紀である。
ファラデー
数理物理学万能の時代に、いかにファラデーが数式を使わない科学に貢献したかという考え方は貴重である。
メンデレーエフ
メンデレーエフの肖像がノストラダムスのそれと似ていると小山慶太氏は書いているが、それを読む前に僕自身が、そう思ったから、よほどよく似ているのだ。小山慶太氏の『肖像画の中の科学者』(文春新書、1999)
蘭学が明治以降の西洋科学受容に果たした知識は計り知れなく、その功績は高く評価されているのは、周知の事実であるが、さらにそれを支えたキリシタン科学、すなわち「南蛮学」については、文献も少ないせいか語られることは、少ない。しかし、蘭学が近代科学受容の土台を築いたように、南蛮学が蘭学受容の下地を築いたことも、もっと評価してもいいのではなからろうか。