2026年7月11日土曜日

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第123回

2026年7月21日    12名


p.25

十四 大内義興書状 1508年





 一四 大內義興書狀(一五〇八)

就所用警固船事

申旨候、可然之様可有

調法之条、可為祝着侯、

委細之趣杉次郎左衛門尉

可申侯、恐々謹言


 三月廿一日義興 (花押)

  村上備中守殿


差出人 大内義興

名宛人 村上備中守(3代吉光か?)

時期 永正五年三月廿一日(1508)

内容 警固船提供に対するお礼。

備考 大内義興の上洛のとき。


大内 義興(おおうち よしおき)は、室町時代後期から戦国時代にかけての周防山口)の戦国大名・ 公卿 。周防の在庁官人大内氏の第15代当主。

父は周防守護で大内氏の第14代当主・大内政弘。弟(一説に庶兄とも)に大内高弘(隆弘とも、初めは出家して大護院尊光)がいる[注釈 4]。正室は長門守護代・内藤弘矩の娘。子に義隆(第16代当主)、娘(大友義鑑正室、後に大友義鎮(宗麟)大内義長(第17代当主)がこの間に生まれる)。室町幕府管領代となって将軍の後見人となり、周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前・山城の7ヶ国の守護職を兼ねた。


義興は永正元年(1504年)頃から上洛の具体的な構想を描いて領国内で臨時の段銭徴収などを行っていたが、永正4年(1507年)6月、足利義澄を11代将軍に擁立して幕政を牛耳っていた細川政元暗殺された(永正の錯乱)。その後も細川氏内部では抗争が続いたため、畿内進出の好機と見た義興は、前将軍・足利義尹の上洛を口実として九州・中国の諸大名に動員令を発した。11月25日[29]には右田弘詮らに本国の留守を任せて山口から進発し防府に出て[30]、12月に備後にまで進出した。これに対して細川家では、政元の養子であった細川高国が義興と通じて、同じく政元の養子である細川澄元と対立・抗争し、永正5年(1508年)3月に細川澄元は高国・義興らに圧迫され、足利義澄と共に近江に逃走した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)


杉次郎

杉 弘相(すぎ ひろすけ)は、日本室町時代から戦国時代にかけての武将。通称は次郎左衛門尉。大内氏家臣で、安芸国東西条の代官を務める。子に杉興相周防国の名族杉氏の一門(次郎左衛門家)であるが、その正確な系譜は不明。文献上「杉次郎左衛門」を名乗ったことが確認される最初の人物である[1]出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)


備中守とは誰か。文書12は4代左衛門大夫宛てで、およそ1474年頃。4代以降の備中守は6代吉充ということになる。果たして可能か?

此文書14は1508年に書かれている。6代吉充は関ヶ原後も生きて、さ佐方へ行っている。

ありえないことである。

だから此備中守は5代尚吉(「因島史考」には記載なし)か3代吉光(備中守)ということになる。文書13も同様。


文書15 小早川徳寿(隆景)書状 (切紙)  1545年頃



一五 小早川徳寿(隆景)書状 (切紙)

寔青陽之御嘉祥

千秋万歳、自他以幸

甚ニ候、仍御太刀一腰畏

悦之至候、何様御祝儀

従是可申入侯、猶御使

者申侯、恐々謹言、


 正月十一日 德寿 

 村上加賀守殿

    御返報

差出人   小早川徳寿(隆景) 

名宛人 村上加賀守 (5代直吉)

時期 天文14年(1545年正月十一日と推定

内容 太刀一腰を贈られたことへのお礼状 

備考 竹原小早川家を継いだ時。


小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名。竹原小早川家第14代当主。後に沼田小早川家も継ぐ。毛利元就の三男で、同母兄に毛利隆元吉川元春がいる。元春と共に毛利両川として戦国大名・毛利氏の発展に尽くした。豊臣政権下で五大老の一人に任じられた。実子はなく、異母弟の小早川秀包豊臣秀吉の養子であった小早川秀秋を養子として迎えた。

天文2年(1533年[2]安芸国の戦国大名である毛利元就と正室妙玖夫人の三男として、同国・吉田郡山城で生まれる[3][4]幼名は徳寿丸[5]。長じて又四郎と称した[4]

竹原小早川家の相続

編集

天文10年(1541年)3月、竹原小早川家の当主・小早川興景佐東銀山城攻めの最中に病死した[8][3]。興景には継嗣がなかったため、竹原小早川家の重臣らは元就に対し徳寿丸を後継に求めた。大内義隆の強い勧めもあり、元就はこれを承諾した。興景の妻は元就の兄・興元の長女であり、それゆえに竹原家は隆景を養子に希望したものと思われる[9]。天文13年(1544年)11月、12歳で竹原小早川家の当主となる[10][4]

厳島の戦いは、天文24年[注釈 1]10月1日1555年10月16日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



 

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