2026年7月11日土曜日

 水の話

杓を引っ張る話

     
 この世の最も不思議で、最も大切なもの、それは水である。毎日飲んでいる水。毎日、お風呂で身体を洗っている水。多少の違いがあっても、どちらも水と呼ばれるものであることには変わりはない。この水についてしばらく考えてみよう。
 僕の体験から話そう。僕の育った頃にはまだ、各家庭には水瓶と呼ばれるものがあって、手押しポンプで井戸から汲み上げた水がいつも満たされていた。その水瓶から洗面器に移して顔を洗ったり、あるいは鍋に移して調理に使ったりしていた。いや、僕の内では既にモーターで動くポンプもあり、台所のほうでは、蛇口をひねればすぐに出るようになっていたから、調理のほうにはあまり使っていなかった思うがとにかく便利な水瓶だった。その、水瓶から水を移すのには杓が使われた。先端は真鍮で黄金色に輝いていた。柄の部分はというとこれはきれいに丸く削られた木の棒であった。杓といっても色々な大きさのものがある。お寺に置かれているものは小さいが、僕の家にあったのは、水が八百ミリリットル程入るようなものだったから、こどもにとってはやや大きかったと考えてよい。その杓は、いちも水瓶の上に掛けられているか、あるいは水瓶の中に沈んで柄の部分が突き出ていた。こん、柄を引っ張るとき、僕は不思議なことに気付いた。柄を引っ張る力は普通にかけているのに、どうやっても杓の先端が真っすぐについてきてくれないのだ。僕にはこのことがおもしろくてしかたがなかったので何度も試みた。やはり、杓を、水瓶の真ん中にまっすぐ立てて、柄を真上に思い切って引き上げる。するとどうだろうか。杓は上に上がってくるのだが、いつも後のほうへ押しやられる。杓の底のほうと言ってもいい。水はなめらかにかきまわされて、上のほうのものとしたのほうのものがいれかわる。
 必ずしも水瓶と杓を使う必要はない。何でもよい。バケツとシャモジでもよい。水の中から思い切って引き上げるのだ。引き上げる物の形によって物はある方向に寄せられる。


風呂の洗面器
     
 水には色々な性質がある。人は成長の過程でそれを徐々に知っていく。私もさまざまな水との出会いで多くのことを知った。
 たとえば風呂にはいると必ず洗面器を使う。普通は洗面器を浴槽に浸けたりしないが、私がこどもの頃は、風呂の中で何時間もあそぶということは、日常茶飯事であったから、浴槽の中に洗面器を持ち込んで、色々なことをして楽しんだものである。そのひとつは、逆さにした洗面器を水の中から真っすぐに上にあげることである。プラスティックの洗面器でも金物の洗面器でも、水の中を移動させるときには大して力はいらないが、逆さにした洗面器の底が水面の上に出た頃から次第に重くなり、洗面器の淵のところが水面から離れる寸前が最大になる。この力は予想以上に大きいもので、結局力不足で斜めに力をかけて、どこかの端から空気が入って洗面器を水の中から持ちあげることが可能になるのである。
 

毛管現象
 木綿でできた雑巾の中を水が昇っていく速さは、子供にとっては驚きをさそうもののひとつだろう。このことを調べるには、真新しい雑巾ではなくて、使いふるして灰色にん変色した、しかもあまり破れ目の目立たない雑巾が適している。バケツに水を八分目ほど満たし、バケツの縁に雑巾を半分に折ってかける。すると、まもなく中の水を吸った雑巾はその灰色を黒色に変えてあたかも生きもののようにその先端を進めていく。よく見ると、繊維と繊維の隙間が、次第に濡れていくのである。こにょうな現象を毛管現象という。毛管現象は至ところで見られるが、こん雑巾を伝わる水ほど如実に観察されるものはない。吸い取り紙でもろ紙でも同じことであるが、やはり、細い繊維で、その移動速度が大きいものがおもしろいだろう。この原理を利用して、細い細いビニル管を束ねたものを使って低いところにある水を高いところに上げることはできないのか。サイホンとして働かす以外には応用はないのであろうか。