2021年2月7日日曜日
2021年2月4日木曜日
生活単元理科
生活単元理科とは? *1
生活単元理科の時代 *1
生活単元理科の起源 *1
生活単元理科への批判 *1
昭和二十二年度 学習指導要領一般編(試案)について -その1 序文-
昭和二十二年度 学習指導要領一般編(試案)について -その2 第一章-
昭和二十二年度 学習指導要領理科編(試案)について -その1 はじめのことば-
昭和二十二年度 学習指導要領理科編(試案)について -その2 第一章 理科の指導目標-
*1は修士論文の一部。*2は研究紀要発表。いずれも一部改稿。
なぜ、生活単元理科か?
身の回りの物質を高校化学教材で扱うときの基本理念を考えることができる。
身の回りの物質を高校化学教材として扱うときの問題点は、生活単元理科の中に内包されている。
探究活動の理念。
(本来の探究活動というのは課題学習的な意味のものだった。もっとわかりやすく言えば自由研究的なものであったが、最近の教科書では、生徒実験に相当するところが探究活動として扱われている。探究活動の一形態だから、まったくの誤用というわけではないが。)
生活単元理科は同時に、問題解決学習とも呼ばれたように、探究活動的方法に向いていた。
探究活動的授業の問題点の一部も生活単元理科に内包されている。
2021年2月2日火曜日
せとうち抄
夢
夢には眠っているとき見る夢の他に、それに向かって努力する夢と、努力しない夢がある。元来が怠け者の私には圧倒的に後者が多い。
その錆びついた夢の数々の中の一つに、因島で教師をしながら、「瀬戸内海文化」という月刊雑誌を発行し、かつ執筆するというものがあった。瀬戸内海地方を題材にした文芸やら歴史研究やら、生徒たちの研究も載せるつもりだった。例えば気候と海水の塩分濃度の研究とか、雲の研究とか・・・。
・・何しろ、それは努力しない方の夢だから、まず地元に帰るということの努力からしてしていないのだから、それ以上のことはできなかった。
退職後、父が亡くなり、母が一人になったので因島に帰って、多くの人たちと知りあい、また考えていることの発表の機会を与えられた。そして何よりもインターネットという、子供の頃には思いもしなかった発明品によって、まさに文化的革命的発明品によって、似たような機会が与えられたと云ってもよいだろう。
しかし、既に、これまでに生きてきた時間に比べれば、これから生きる可能性のある時間の方が圧倒的に少ないことは厳然たる事実であるから、昔日の夢を追うつもりは毛頭ない。が、せめてその千分の一、万分の一ぐらいなら、錆びついた夢の錆び落としぐらいはできそうである。だから、瀬戸内海文化ではなく、せとうち抄。
半農半漁という言葉は貧しさの代名詞のように使われ、それに猫の額ほどの耕地という言葉が付け加えられれば、山と海に挟まれた狭い土地に生まれた先祖たちの、生きるための戦いの場を見事に表した言葉だった。
その先祖たちは前を見、上を見て、まず山を上へ上へと耕していった。次に前を見、下を見て、海の中へと陸地を広げていった。それが私の生まれて育った島、因島と瀬戸内海の関わり。・・・それ以下でもそれ以上でもない。毎日海はあったし、海があるのが日常であった。
買い物衝動
スーパーのあの鮮やかな展示は万人の買い物衝動を煽っている。誰がその衝動に打ち克つことができようか。人は乞食になるまで買い物衝動から免れることはできない。・・・そして私は買い物衝動も過食や拒食と同じ根から生じているし、それはまた煙草の喫煙とも重なる。
私も若い頃はヘビースモーカーだった。そしてそれは日々エスカレートしていった。ついにロングピースを1日に1箱でやめることができなくなった。その時その先を想像することは怖かった。そこで私は、どうやってタバコをやめようかと言う思考を巡らす代わりに、なぜ日々吸うタバコが増えるのか考えてみた。
小説やレポートを書いていて、行き詰まるとタバコを吸う。それが癖になると、タバコを吸う頻度が増す。なぜか、タバコを吸うという理由をつけて休憩しているのだ。これは食べることにも通じる。すなわちそれが嫌な作業から自分を一時的にも解放する時なのだ。こう考えると、過食も拒食もそれが目的なのではなく、自分の気に入らない時間や気分からの逃避になっていることがわかる。
おそらく買い物衝動も同じようなものだろう。そのことが目的ではない。直視し難い見たくない自分から逃げる手段なのだ。
法然も親鸞も偉大な宗教家だったと思う。なぜなら理不尽な死とその後の過剰に想像れる悲惨な世界の中にいる庶民を、簡単に極楽浄土へいける方法を説いたからだ。まことに庶民のための宗教家だったと思う。
しかし、その極楽浄土などというものは無く、現在の我々には信じることはできない。そのことをはっきり述べた上で、法然と親鸞の偉さをかんがえなければならないと思う。
そのためには法然や親鸞の態度が自己と真摯に向き合うことを教えたと解釈するのが一つのステップだろう。そしてそこに人間の誠実さ、すなわち偉大さがあるに違いない。
フランスという国は面白い国だ。一番面白いのはフランス語でエッセーを書けば、それが哲学になるからだ。それがフランスの国民性によるのか、フランス語によるのか、フランスという国土によるのかわからない。
パスカルでもアランでも、あれはエッセーである。なのに形式的な分類では哲学に入るようだ。モーテーニュもモンテスキューも似たようなものだろう。
そのせいか、森有正さんも辻邦生さんもだんだんと日記かエッセーか哲学か分からなく。
それは小林秀雄さんにも言えることだが、小林さんの場合は、哲学に流れることを自戒しているようなところがある。そうしても彼の文章は哲学的にならざるを得ない。そしてわざと文芸評論のふりをして哲学論を書く。
アランで思い出したが、あの『幸福論』は幸福についても不幸についても何ら深い思索は認められない。むしろ日常生活に潜む、いわば服の裏地のちょっとしたほつれを、執拗に追求したものである。幸福とも不幸とも無縁である。強いて有縁にしようと思えば、幸福も不幸も本当は同じ現象であって、心しだいだと言っているに過ぎない。そういうエッセーを毎週毎週書き続けた、いや、書くのは毎日であったかもしれない、だから毎週発表し続けたプロポというものを、哲学のジャンルに入れるというのはフランスの習慣なのか日本の出版社の気まぐれなのか私には分からない。
正直言って、『幸福論』は退屈である。まして幸福感などどこにも感じることは出来ない。・・それにもかかわらず、私はアランという人に対して幾らかの尊敬を持っている。生涯あのスタイルで書き続けたということに対してである。その愚直さに感心している。一見不器用に見えるが、本当は器用な人で、いわゆる哲学入門のようなものだけでなく、本格的な哲学書もいくらでも書けた人ではないかと思う。しかし彼はそれをしなかった。そこがすごい。
おそらく彼は思考が止まるのを嫌ったのではないかと思う。本を書くということは日々の思考を中断してまとめるという作業がつきまとう。そういう中断を嫌い、毎週毎週ということは毎日毎日思索し続けたのだと思う。
蛇足ながら、一週間に一度発表の機会が与えられても、誰もができることではないことは確かだろう。
蟻地獄
埼玉県で起こった下水管の陥没にトラックが落ちた事件は、現社会の負の面を改めて考える機会となった。あの衛生的で文化的な下水道という施設が、本当にいいものなのか考え直してみよう。
鉄は必ず錆びる。特に水分や塩分が多いとますます錆びやすくなる。今年は昭和100年ということである。昭和30年頃から高度経済成長が始まり、首都圏を中心に大改造といっても良いほどの都市基盤の整備が進んだ。単純に考えて早いものでは70年が経過しようとしている。70年の風雪に耐えて来た鉄の運命はどうなるか、ということはたいていの大人なら知っている。また一部の人は状況によってはもう鉄ではなくなっているというであろう。また、どんどん取り替えているのでそんなに恐ることはなかろうという人もいるに違いない。その通りである。取り替えられたところは問題ない。しかし取り替えにくいところもたくさんあるのではないかということの方が問題だ。
下水管は極端な例だろう。現在使用中の下水管をドン取り替えることができるのか。またその工事をする人が日本にはいるのか、ということを考えて見れば、我々はとんでもない世界に生きているということに気がつくであろう。
下水道という制度は良い制度である。汚染水を河川に流さない最善の方法である。現在、トイレ、台所、風呂の汚水は下水道に直接排出される。雨水だけは通常の水路・溝を流れるようになっている。そして下水道代は上水道に比例して徴収されている。そのおかげで市民は健康で衛生的な生活を送ることができる。
しかし、それで良かったのだろうか?
棚子山の煙
因島運動公園は火葬場を作る代償として作られたものであったが、周辺に人家は少なかったから、別に反対者もいなかったと思うがどうだろうか。
さて、その火葬場はよく見える。と言っても彼方の山の中に白い建物が小さく見えるだけで、棚子山の煙立ち去らで・・などという感慨を持とうとしても煙は見えない。これは場所の問題ではなく焼却装置の問題なのではないかと思う。
そんなことよりも、私がこの世からあの世へ行く最後の通路となるところなのだ。もちろんそれまでに意識はなくなっているのであるが、肉体そのものはドライアイスで冷やされながらも、まだこの世に残っているのである。そして最後がそこなのだ。そして本当に私の終わりなのだ。私という個人が終わって単なるカルシウム化合物の塊になる。それも手で押さえれば砕けて粉になるような儚い塊である。もちろんその辺のゴミとなんら変わるものではない。しかしそれをある種の人たちは何か魂のようなものがくっついているこの世に二つとないものだと思っているようだ。しかし私はそんなものは信じない。単なる燃えかすである。
ニーチェ
ニーチェは水が見える魚だった。魚は水が見えない。しかし、ニーチェという魚は水を見ていた。
親は牧師であった。修道士であった。宗派によって名前は異なるのであるが、そんなことはどっちでも良い。日本で言えば、寺の子であった。僧侶と言うか坊主と言うか、方丈と言うか宗派によって異なるのであろうが、そんなことはどうでも良い。要するに日本流に言えば寺の子であった。キリスト教国であれ、仏教国であれ、教育制度が万民のものでなかった時代には、国民の中で宗教関係者は文字を多く扱う階級であった。
そして色々と本人も文字を書いていると、この世の肋骨の隙間が気になり始めた。ちょうど魚が水を感じたように。
昭和100年
広島まで新幹線が来たのは昭和50年頃だった。それまで、光は岡山までだった。西へ西へと延びて博多まで行ったのである。その頃セメント不足が話題になった。各所でセメントが使われるのだから無茶な話だった。
田舎の役割
田舎には食料と人材を都会へ供給するという重要な役割があった。人材については戦後の経済発展は都会の人口だけでは追いつけないので、田舎の農家の次男三男が田舎で分家するのでなく都会へ出て来ることで随分貢献した。しかし今その二つは完全に失われ田舎の役割を果たすことができなくなった。そのことは経済的な田舎の切り捨てが起こっても仕方がない。富は都会に集中する。かつてはそれを田舎に振り分けても十分に効果があった。いや、それをしなければ成り立たなかった。だから、今はそれをする必要がないとも言える。さて、もう一つ役割があった。それはエネルギーである。水力発電所はもとより、火力発電所も都会よりも田舎の方が向いている。原子力発電所については今更いう必要はない。こそこそ田舎の役割なのだ。もちろん田舎に作らずに東京のど真ん中、すなわち皇居に作れば移送ロスがゼロに抑えられてもっとも良いのであるが、誰が考えてもそれは恐ろしいことに違いない。皇室がどうのとかいうのではなくとも、多くの都民が近すぎると思うだろう。それほど、原子力発電所は危険なのだ。だから、田舎の役割としてこれほど最適のものはない。そしてすぐ近くにまで新幹線を作ることだ。せっかく危険を覚悟で設置したのだからその恩恵を地元から受けるの当然である。
岡山市には11年住んだ。いいところだった。長男でなかったら、永住しても悪くはなかったと思う。ただ、海が遠いのがよくなかった。海の近い方へ住めば良かったのではないか、と思うかもしれないそういう良い所はなかった。波穏やかで水の綺麗なという条件を満たすには今のところしかない。米子は以外に海に近いのだが、しかし日本海である。私の遊びの対象としての海としては不満である。見るだけならば良いが。岡山は11年だが米子は1年だ。いや厳密には11ヶ月だ。5月から3月31日までだ。でも全ての季節を体験できたので満足している。
広島は浪人(予備校通学)、大学4年間、フリーター1年で都合6年住んだ。これはこれで良かった。
浪人の時が初めての家の外での生活である。何しろ一人で因島から出たことなど一度もなかったような田舎者であったから、見るもの聞くもの全てが珍しかった。
人間は常に己を越えていかねばならぬ。
どうしても対立する場合は引くものである。
自分に甘く、他人に厳しくなっていないか常に反省しなければならぬ。
読書の速さは関係ない。早く読めば早く忘れる。
志の低いものは成長しない。
人間には与えられた時間は限られている。小人に甘えることなく、大器を求めて努めねばならぬ。
2回
創作 「デベラ」
3回 子守娘
子供の頃は私の家の周囲を見回してもたいていの家が3人兄弟で、多い家は4人いた。だから小学校から帰るとすぐにランドセルをほうり投げて外に出ると必ず何人かがいた。そして日暮れまで一緒に遊んだ。
4回 筑摩の古典日本文学 と言う文学全集がある。同じようなものに古典世界文学というのもある。どちらもほるぷ出版で35冊のセットで75000円だった。古典日本文学の方は現代語訳である。邑久高校へ赴任して最初の年に学生協で買ったのだがそのころは、日本の古典は岩波の大系本に限ると思っていたので、古典日本文学は買わず、古典世界文学の方を買った。そして、古典日本文学の方は退職後因島に帰ってから買った。その構成の素晴らしさには驚いた。もっと早く買っておけばよかった、と思った。が、後の祭りである。
5回
仏を見たら仏を殺し、祖師を見たら祖師を殺し、羅漢を見たら羅漢を殺し・・内でも外でも手当たりしだいに切り払え、と言うのが臨済の思想の本質である。これほど宗教の本質を突いているものはない。特に仏教、釈迦を神格化しているうちは釈迦の境地にはたどり着かない。釈迦の境地とはそう言うものを全て否定するところにある。だから仏教徒が悟りを開くと言って、阻止を神のごとく崇めているうちは、それは悟りではないと言うことだ。
丘上懐古 ー続舎密ー
丘の上に上がったカッパである。肌にまとわりつく水が乾くとさっぱりするとともに、水の中がどうしょうもなく恋しくなる。長く水の中にいると、水も皮膚の一部になる。
「舎密」について
Windowsがまだ出る前のパソコンはMS−DOSで動いていた。その上に一太郎が載る。一太郎はどんどん改良して、ソフトだけ入れ替えれば最新のものになる。しかしパソコン本体もどんどん進歩するのだから、買い換えなければならない。この流れにいつ乗るか。少ない小遣いでの投資だから慎重にならざるをえない。しかし欲しい。しばらくはワープロ派で行くことにした。ブラザーなどから液晶画面、といっても10行ぐらいしか表示されないが、液晶ワープロが出ていた。持ち運びにも便利だ。しかし、画面が大きくなるまで待つことにした。NEC文豪ミニ7というのが出た。75%で買って175000円。持ち運びは大変だから学校と家にと、2台買って、フロッピーのみ持ち運んだ。これは玉野光南高校の時代。やっと、パンライターから脱却。3年勤めて移った教育センターも、これを使った。センターでは視聴覚部門がパソコンに切り替わり、空いてる時は使えた。BASICで結晶格子の充填を教える図を描いたりした。自分の部屋に古いのが配当されていたのだったか、記憶は曖昧だ。教育センターは1年だけで、福山へ移ってもまだ文豪ミニ7だ。そのうち文豪ミニ7Eという改良版が出たので、また2台買った。値段は同じ。その時代に書いたもので、データはどれだけのちのPCに移せたか記憶にない。あるのは感熱紙に打ち出したものと、それを配るためにコピーしたもの。感熱紙だけ残っていたのが2枚。消えかけていたが、カラー処理で読める程度に復活。そのような時代のテキストデーターでないデータが出てきたので、未完成ながら載せたのが舎密である。
それで、続舎密として丘に上がった河童が、水の中の生活を懐古するのが、このページである。名付けて 丘上懐古ー続舎密ーというわけだ。
どういう風のふきまわしか、昭和46年度の入試では理学部の化学科では、理科は1科目でよかった。本当は物理学科の方へ興味があったが専門の物理学者になるには、マニアック的な数学好きである必要があると自覚していたので、そうまで数学が好きでない私は一番好きな物理学科ではなく化学科を受けることにした。そしたら合格した。ついでながら書いておくと社会も必要なかったのも好都合であった。
だから、国立大学を出たものの、とんでもないタイプの人間になった。理科系なのに物理が高校前半で止まっている。
物理は高校2年から履修した。1学期の中間試験は平均点は相当低かったが、私が80点弱。住原が80点より少し上。やらなくてもできると自覚をもったのだ。後に物理学者の書いた本を読んで、湯川さんと朝永さんは、旧制の中学や高校で机を並べており朝永さんの方が物理はよくできたとか。それだけでなく抜群のトップだったとか、読んで、そうすべきだったのだと思ったが、済んだことは仕方がない。
ニーチェを読んでいる生徒がクラスに2人もいたということは、今では考えられないことだろう。新川と木村。二人とも土生中の出身だ。木村は世界の名著を持ってきて、夜の詩がすごいと言った。それで、世界の名著を買った。確かに沢井という広大の物理学科を出た先生の授業よりニーチェの方がおもしろかった。
広大の哲学科を受けようかと親父に言ったら、そんなとこに行ってどうするんだと一蹴されたので、やはり理科系に戻ってしまった。理科系の人気が凋落するのは、それよりかなり後のことである。
だから、化学を専攻する羽目になった。やり直すほどの根性はないし・・。だから、いちおうは、専門は化学ですというフリをして、人生を闘ったのである。闘うと言うよりも低空飛行。大空には羽ばたけない。
闘うというほどの目標もポリシーもない人生だったが、一つだけ目標はあった。
それは子供が成長するまでは死なないということであった。最低、一番の下の子が高校が卒業をするまで。それをクリアーした時は、大学を卒業して就職するするまで。それも達成したので、残りの目標は大したことではない。
そんなことは、どうでも良い。ここは化学の世界を懐古するページだった。
硫酸銅の水溶液は甘い
いつだったか硫酸銅の水溶液が跳ねて少しだけだが口の中に入った。なんと甘いのだ。甘味料として使われたというような負の歴史があったとは思わないが、あったら大変だ。
鉛糖、鉛糖紙というのがある。酢酸鉛であろう。どの程度甘味料として使われたのだろうか。どんな甘さなのだろうか? 舐めたことがないのでわからない。是は理性的な判断だったと自己評価している。
自分で舐めてみる科学者もいたようだが、私は賛成しない。科学の個別分野を趣味的に深めるのは意義深いので、その分野を広げ、毒の本も集めようと思った。しかし、毒は知識が深まれば実験してみたくなるのではないかと思い、毒を趣味とするのはやめた。
後年、毒の使用で逮捕された学生があった。その気持ちは少しはわかるが、やはり毒の研究なんか個人でするものではない。
硫酸銅で思い出したが、硫酸銅の結晶を作っていて感じだとのは成長期間が長いものほど硬いということだった。促成のものは弱く、かけやすかった。
だから温度差法よりも蒸発法の方が良い。ただ蒸発法は定温装置がない場合は、春から夏にかけてはどんどん気温が上がるので、せっかくできたものが溶ける。
秋から冬に行うと蒸発法に温度差法が加味されて良い結晶が得られた。
碑の聲
碑の聲 CRYSTAL Home
旧山陽道 神辺・高屋(写真)
写真1 西側 神邊驛へ壹里拾八町四拾五間
写真2 北側 廣島縣距 廣島細工街元標参拾里貮拾八間参尺九寸
岡山縣距 岡山橋本町元標拾参里貮拾七町参拾六間 (中央に)管轄境界標
写真3 東側 七日市驛へ壱里拾壹町拾参間
南側 大正八年壹月 備中國後月郡高屋村
備後國深安郡御野村
壹 イチ イツ ひと・つ 壱の異体字
貮 二 ジ ふた・つ 弐の異体字
熊口池堤樋完成記念碑(写真)
写真1 正面に以下のように記されています。
熊口池堤樋完成記念
昭和五十五年五月建立
写真2 堤のつちへんのところに雨蛙が入って眠っています。
写真3 上のほうから排水する樋です。
風さやか
ロマンの島の白い花
広島県尾道市因島重井町 因島フラワーセンター 入口付近にあります。
因島除蟲菊の父
村上勘兵衛翁之碑
広島県尾道市因島重井町一本松 中島菓子店の前 松のある広場の北側にあります。
さらにその左隣りに詩碑があります。
賽除虫菊神社
塵外作
偉哉霊薬除虫菊
成就天慈地澤深
欲攘坤圓球上穢
發揚清浄自然心
背後の山は左側が村上水軍馬神城跡、中央が青木城跡。
2021年2月1日月曜日
夕凪亭閑話2021年2月
2021年2月1日。月曜日。晴れ。午後小雨。夜雨。
朝、公民館だより原稿送る。10時よりしまおこし課。村四国石版の件。知人宅で談笑。午後、買い物。昼寝。古文書。資料作り。
高橋和巳『邪宗門 上』(新潮文庫)。圧倒的な記述に完敗。紛れもなく戦後文学の最高傑作である。
吉川英治『三国志8 望蜀の巻』、青空文庫、「孟徳新書」「西蜀四十一州図」。
2021年2月2日。火曜日。晴れ。
今日は腰が痛い。朝から古文書。ゴミ捨て。
吉川英治『三国志8 望蜀の巻』、青空文庫、「進軍」「鴻門の会に非ず」「珠」を読んで終わる。
2021年2月3日。水曜日。晴れ。
暖かい。腰もほぼ治った。朝、山へ竹切り。午後、ソラマメを移植。昼寝。古文書。資料作り。資料はだいたいできた。土曜日に青影に行く。メールで案内。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「日輪」「上・中・下」。
2021年2月4日。木曜日。晴れ。
朝、少し山へ、午後も。昼寝。
資料と古文書。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「酒中別人」「魏延と黄忠」。
2021年2月5日。金曜日。晴れ。
朝、山へ。午後昼寝。古文書。夜から資料作り。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「短髪壮士」「落鳳坡」。
2021年2月6日。土曜日。晴れ。
10時に中庄公民館発青影山。竜王山との間を降り、峠道を西浦峠まで。茶臼山、権現。
夜、資料完成。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「破軍星」。
2021年2月7日。日曜日。晴れ。
朝、山へ。午後買い物。1時半来客。夕方弟宅へ。印刷完了。
2021年2月8日。月曜日。晴れ。
午後文化財協会役員会。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「草を刈る」「金雁橋」。
2021年2月9日。火曜日。晴れ。
朝、福山へ。午後、少し竹切り。それから文化財協会集金。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「西涼ふたたび燃ゆ」「馬超と張飛」。
2021年2月10日。水曜日。晴れ。
朝、山へ。高橋和巳『邪宗門 下』(新潮文庫)終わる。夜、瀬戸内タイムズ原稿書く。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「成都陥落」「臨江亭会談」。
2021年2月11日。木曜日。晴れ。
少し寒い。午後、買い物。古文書。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「冬葉啾々」「漢中併呑」。
2021年2月12日。金曜日。晴れ。
朝、散髪。午後、山へ竹切り。夜、古文書。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「剣と戟と楯」「遼来々」。
2021年2月13日。土曜日。晴れ。
朝、古文書。午後、向島。夜も古文書。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「鵞毛の兵」「休戦」。
2021年2月14日。日曜日。晴れ。夜雨。
今日も一日中古文書。午後、山へ竹を切りに行く。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「柑子と牡丹」「藤花の冠」。
2021年2月15日。月曜日。晴れ。
古文書。読書。ブログ整理。
2021年2月16日。火曜日。晴れ。
朝、8時半に出て、9時から定例会。11時半から林道経由で奥山。15時半から商工会議所。
2021年2月17日。水曜日。晴れ。
朝、因島図書館で、因島文学散歩の会、6人。
午後、一本松で村四国看板(石版)設置に立ち会う。来客。夜、原稿。
2021年2月18日。木曜日。晴れ。
寒い。朝瀬戸内タイムズ原稿送る。会計お金持ってくる。夕方支払い。ずっと報告書を書く。ほぼできる。
2021年2月19日。金曜日。晴れ。
朝、完成。午後買い物。投函。天気は回復したもののまだ寒し。
2021年2月20日。土曜日。晴れ。
朝、藤井医院。午後、竹切り。夜、資料作り。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「神卜」「正月十五夜」「御林の火」。
2021年2月21日。日曜日。晴れ。
午前中、確定申告。午後、山へ竹切り。夜、資料作り。古文書。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「敗将」「老将の功」。
2021年2月22日。月曜日。晴れ。
朝、10時から一本松で中国新聞の取材。午後、竹切り。
夜、古文書。資料作り。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「絶妙好辞」「一股傷折」。
2021年2月23日。火曜日。晴れ。
資料作り。完成。午後、竹切り。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「趙子龍」「次男曹彰」。
2021年2月24日。水曜日。晴れ。
午前中、3月資料プリントアウト。午後、印刷依頼。買い物。夜、古文書。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「鶏肋」「漢中王に昇る」。
2021年2月25日。木曜日。晴れ。夜から雨。
朝、ウグイス鳴く。今年初めなり。
朝、10時からエクスカーション17名。三庄公民館10時集合。美可崎へ。尾根からトンネルを経て、地蔵鼻へ。河津桜花見。石切場。五柱神社。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫、「烽火台」「生きて出る柩」。
2021年2月26日。金曜日。雨。
朝から雨。4月の資料作り。福山古文書再開の連絡。
「関平」「七軍魚鼈となる」を読んで吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫を終わる。
2021年2月27日。土曜日。晴れ。
朝から資料作り。午後昼寝。夜古文書。
2021年2月28日。日曜日。晴れ。
朝、資料作り。昼、接客。午後、古文書。
読書の記録。
2月1日。
高橋和巳『邪宗門 上』(新潮文庫)。
2月2日。
吉川英治『三国志8 望蜀の巻』、青空文庫。
2月10日。
高橋和巳『邪宗門 下』(新潮文庫)。
2月26日。
吉川英治『三国志9 図南の巻』、青空文庫。

