現在の高等学校の理科の主な科目は大学の理学部で学ぶようなその学問の大系に準じたものである。もっと云えば、その学問の基礎の部分である。このような専門科目の学問の大系の影響を強く受けた内容を教科の基本にするカリキュラムを経験カリキュラムという。
生活単元理科は内容目的の立場からは、は経験カリキュラム、方法的にいえば探究カリキュラムである。また教材構成の上からは単元カリキュラムとも呼べる。このことをより具体的に示すとともに、それらのカリキュラムのもつ特色、さらには他のカリキュラムとの比較をすることで生活単元理科について客観的見ることができる。
カリキュラムという言葉
カリキュラムは普通、教育課程と訳されるが、教育課程という言葉そのものも多義的であるから、当然、カリキュラムという言葉も時代とともにさまざまな使われ方をしてきた。
現在では教育課程といえば、文部科学省の学習指導要領に記された、学年の年間時間数(単位数)はもとより、教科科目の内容も教育課程と呼ばれる。
また、学校では、学年毎の教科科目の時間数を記したものを教育課程という。だから、それに基づく週毎の時間割表、乃ち日課表も教育課程である。
これらのものがいずれもカリキュラムである。
さらに教科科目における年間指導計画もまたカリキュラムである。
しかし、本稿ではさらにその教科の構成原理たる基本的枠組みの意味でのカリキュラムという用語を用いる。現在のように大きな教育改革が行われないときには、その構成原理も大きく変わることはなく、そのことを議論することもなく、あまり話題になることもない。
またこの教科の構成原理たるカリキュラムは学習指導要領の大きな構成原理とも重なることが多い。
経験カリキュラム
嶋田治は、生活単元学習を「経験教育課程(activities curriculum)」として、他の教育課程と比較しながら、以下のような特徴をあげている。
①学習内容として、児童生徒の生きた機能的経験内容を主とする。
②原理や法則も生活経験の中から抽象され、さらに生活に応用される形で学習に組み入れられる。
③生徒中心的で合理的な物の考え方や科学的態度を重視する。
④学習方法には単元学習、とくに問題解決学習が選ばれる。
嶋田治、『理科教育概論』、東洋館出版社、1974、p.52
また、「経験の領域 (scope)は自然科学の体系と社会の要求とから定め、経験の系列(sequence)は学科の順序と、学習者の生長発達から定めようとするもの」であったとされる)。
上掲書 、『理科教育概論』、p.53
経験カリキュラムとして、根本和成は「自然科学の内容の系統性や、教育内容の学年指定などの観点はあまり問題ではなく、自由に身近な教材を選択するような考え方が強く出されて」おり、「学習体験を通して得た、自然科学の方法や、科学的態度が尊重された」と記している7)。
根本和成、『理科教育法研究』、東洋館出版社、1985、p.63
探究カリキュラム
これらの用語は、使用する文脈に応じて若干の差異が見られる。例えば、田中実は次のように指摘している。 「新しい理科教育における学習方法を内容から名づけたのが『問題解決学習』であり、形式から名づけたのが『単元学習』である。」
田中実、「理科・数学教育と教科書」、『思想』、No.374、1955、p.971
一方、問題解決学習は、戦後盛んだった生活や活動中心の単元学習の欠点を克服するために、「学習者が直面する生活問題をしっかりと選択し、これを掘り下げて解決していこうとする動向」が具体化して現れてきたもので、「デューイの反省的思考説を理論背景としつつも、その直訳物ではなく、わが国の戦後教育の苦闘の中から、主体的に具現してきた学習法」だとみなされる。
広岡亮蔵、「問題解決学習」、細谷俊夫他編、『新教育学大事典第6巻』、第一法規、1990、 p.382
単元カリキュラム
平岡亮蔵によると、「経験的であろうと教材的であろうと、すべて単元による学習展開を、単元学習とよぶことができる」が、わが国では生活単元学習に限定して使用されることが多い。
広岡亮蔵、「単元学習」、細谷俊夫他編、『教育学大事典』、第一法規、1978、p.204
コアカリキュラム
また、「生活単元」「作業単元」などとも呼ばれた「経験単元」が戦後教育時における支配的な単元様式で、教科内における経験単元であるが、コア・カリキュラム運動などは超教科の経験単元をとろうとした。
広岡亮蔵、「単元」、細谷俊夫他編、『教育学大事典』、第一法規、1978、pp.202-203
「新しい理科教育方法として生活単元、経験単元が適用されたとしても、小学校低学年ではあまり根本的変化をする必要はなかったようである。しかし、この理論は授業形式的には、かなりそれまでの方法論と違っていたのと、とくに低学年では、その後コアカリキュラム等の総合単元教育方法論などが広まって、その方向に少しずつ変化していった。」
吉本市、『理科教育序説』、培風館、1967、p.71