草稿
戦後の生活単元学習がアメリカの占領政策ならにびにアメリカの教育思想の影響であることは多くの論者により指摘されている。
例えば、上山春平は、「かれ(デューイ)の教育思想は、第二次世界大戦直後の占領軍の教育政策と結びついた形で、教育担当者たちの広範な関心をよびおこした。それだけにまた、アメリカ帝国主義にたいする批判の対象としてもなじみの深いものになった。」と記している1) 。
そのことは、教育使節団の教育思想の背景には「プラグマチズム教育思想とニュー・ディール的な理想主義」の2つの面があると指摘する大田堯2)や、それが「当時アメリカの教育界に支配的であった生活経験主義的教育」の影響を受けたものであると記す寺川智祐3) らの見解から伺うことができる。
1) 上山春平、『パース ジェームズ デューイ』、中央公論社、1968、p.10
2) 大田堯編著、『戦後日本教育史』、岩波書店、1978、p.79
3) 寺川智祐「各国の理科教育史」、学校理科研究会編、『現代理科教育学講座第3巻歴史編』、 明治図書、1986、p.57
本稿では特にデューイの教育思想の影響を考察。なおデューイの教育思想の全貌を解明するものではない。ジョン・デューイの発言のうち、生活単元理科につながるところを取り出してみるものである。
デューイ著、杉浦宏、石田理訳、『今日の教育』、明治図書、1974から
p.22
学校はすでに家庭において児童に親密であるところの活動をとりあげ、かつ継続すべきである。
その前には、
現存の生活はひじょうに複雑であるから、児童は混乱うや気をちらせることもなくそれと接触させることはできない。
とある。
これが「わたしの教育学的信条」の中に出てくる。ということはデューイの教育哲学の根幹をなすものと言ってよいのかもしれない。
これは重要なことである。現代社会における家庭生活は複雑であるから、それらを年齢・教科においてとりあげ適切に指導することが必要になる。これを学校の目標にすれば、例えば、アイロンの原理がわからないので、これは理科の物理分野で、毎朝歯を磨くが、中に何が入っているかわからないから、これは化学分野で扱う・・・という具合にしてけば、それは生活単元理科そのものである。
p.26
科学はなにもあたらしい教材としてではなく、さきにえた経験にすでにふくまれた諸要素をしめすものとして、また経験をよりたやくまた効果的に調整することのできる道具を供給するものとしてみちびきいれられるべきものである。
これこそまさにデューイのプラグマチズムの思想そのものである。科学本来に価値があるのではなく、その利用において価値があるとするもので、端的に言えば生活の道具ということになる。
このことを考えると、生活単元理科が、デューイの教育思想の影響の下にあったのか、あるいはデューイの教育思想を実践したのかということが問題になる。
実際は、影響下にあったのであって、はじめからデューの教育思想の実践ではなかったはずである。しかし、デューイの考えに寄りかかりすぎた実践であったのではないか。戦後の混乱期であるから情報不足は当然である。アメリカからの情報はあるにしても、すべての教育情報があったわけではないだろう。GHQの差し出す情報に基づき、他の教育思想や実践例と比較して、我が国の戦後教育を作るというような状況ではなく、ただ提供された資料のみで構築されたのであろう。
このように考えると、中身が何であれ、教育実験の一例を、無批判に(これは当時の事情を考えれば仕方がなかったことである)に受け入れたのであるから、失敗するのは目に見えていたとも言える。
では、生活単元理科については、どうであったかというと、やはり全面的に失敗であったと思う。それでもなお、なにがしかの魅力があったように思われる。それは、デューイ思想の正反対の理念に基づく教育を行えば、現実から遊離したものになってしまう危惧が生じるからである。デューイ思想には賛成しかねるが、しかし、どこかに耳を傾けてもよい部部もあるだろう。
p.26
理想の学校教育課程においては学問の系列は存在しない。
進歩は学問の系列にあるのではなくて、経験にたいしてもつあたらしい態度、新しい興味の発展にある。
教育は経験の連続的な改造として考えられなければならない。
デューイの教育が経験主義と呼ばれるのはこういうことである。また時に、経験カリキュラムなどとも呼ばれた。