2015年3月20日金曜日

因島中庄町 中庄町誌

なかのしょうみち
因島荘園
荘園名で「因島」という文字が最初に出てくるのは、建久二年(一一九一)の島田文書である。(大日本史料四編六の補遺)。
青木茂編、「因島市史 全」、因島市史編集委員会、昭和43年、p.39

公文
野々宮定基卿の説に、公文は、国司から主税・主計二寮にさし出す書類の称で、それから移って御領の年貢をさしたてる書類をも公文といい、ついに庄園を掌る役名となったもので、この公文・院掌も院中の雑事を掌る意だとある。が、これは文字によった解説であるから、実際はどうであろうか。
和田英松、(所功校訂)「新訂 官職要解」、講談社(学術文庫)、1983年、p.243 
公文は現地支配者であり、文筆の能にたけているものをもって任ずる
青木茂編、「因島市史 全」、因島市史編集委員会、昭和43年、p.45



太田金右衛門縮図、「日本帝国郵便線路国郡全図. 3」、太田金右衛門、明11.による。

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