2015年3月18日水曜日

因島重井町 権現山(竜王山)

しげいみち
地図の上では竜王山と書かれていることが多いが、小さい頃から「ごんげんさん」と呼んできた。「権現さん」と「権現やま」の両方の意味をかけているのだろう。「かんのんさん」も同様。重井で「かんのんさん」と言えば「白滝山」のこと。
2015.3.18.8:52。勉強堂(公民館から少し東へ行き、下り坂になったところ)前に、この看板がある。村四国もあるが、時刻をカメラに記録するので、今日は写さない。出発。
2015.3.18.8:56。上坂(上迫)道を登ると、登山口が見えてきた。左が登山道。右へ行けば、山の神、天秀庵城跡へ続く。写っていないが、左少し下から農道が始まる。目指すは正面の山。
2015.3.18.8:56。杖が置いてある。さあ、宝探しに出発!
2015.3.18.8:58。早くもお地蔵さんのお迎え。
2015.3.18.8:59。自然がいっぱい。でも、道はきれいにしてある。
2015.3.18.9:00。向うに海。でもあいにく今日は霧。
2015.3.18.9:00。落ち葉の中のジグザグ路。すばらしい。
2015.3.18.9:02。霧がなかったら、うしろはどう写っていたのだろうか。
2015.3.18.9:07。細かい細工、残りが見たかった。
2015.3.18.9:07。霧の彼方に重井川川口。
2015.3.18.9:08。盃状穴はなかった。
2015.3.18.9:08。重井西港。
2015.3.18.9:09。遠見山とか「とうみんさん」と呼ばれているところ。「遠見尾根」と呼ぶほうが適切かも。「遠見山」というのは、のろしを見張るところに多い名前。
2015.3.18.9:10。とうみんさんで写真を写したり、水を飲んだりして、再び出発。馬の背になっているから眺めがよい。南へ向かい次第に右に回るのは頂上が右手方向にあるからわかる。

2015.3.18.9:15。五分ほど歩くと如意輪観音風の石仏。いろんなときにいろんな人たちが置いたのだろう。
2015.3.18.9:17。竹薮と出合う。おそらく南や西から進出してきたのだろう。真っ正面の尾根は左からの登山道があった証拠だろう。ここで右へ大きくターンする。もちろん上り坂だから間違えることはない。
2015.3.18.9:22。石段が見えてきた。頂上が近いということ。
2015.3.18.9:23。もう着いたのも同じ。
2015.3.18.9:23。まずは2つめの手水鉢。
2015.3.18.9:24。そして「石鎚神社遥拝所建築碑」。
2015.3.18.9:25。参道を隔てて大岩の隣りに「拝殿新築記念碑」。右にも参道があるが、左へ行くことにする。
2015.3.18.9:25。記念碑と拝殿の間にある大岩。
2015.3.18.9:26。山火事で焼失し、講の人たちによって再建されたのだろう。
2015.3.18.9:26。拝殿の内部。
2015.3.18.9:27。拝殿の前を通って右へまわると頂上。
2015.3.18.9:28。またまた手水鉢。すでに山頂広場です。到着!!ということで登山口から約30分。途中、写真を写したりしなければ、もっと早く着いたかもしれない。
2015.3.18.頂上の「石鎚神社」の石碑。
この日は重井には珍しいほどの濃い霧で視界が悪く眺望写真はありません。また、後日。


石鎚講は瀬戸内海の漁村では、災厄を防ぐ信仰としていまも盛んである。毎年お山開き(お山市)の七月一日から十日までの十日間、各村で講を組織して伊予の霊峰、いな西日本の霊峰石鎚山(一、九八二メートル)へ遥拝する。
西海賢二「瀬戸内沿岸における石鎚講の展開」(地方史研究協議会編「瀬戸内社会の形成と展開−海と生活」、雄山閣、昭和58年、p.322)


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