尾道市因島重井町。西洋館(現在は因島ペンション白滝山荘)横の自動車道の上の第一駐車場から徒歩1分。あるいは、西洋館傍の塀沿いに上がる表参道に百華園が合流したその上。地元では「伝六さん」と呼ばれている。通称、「墓所」。伝六の墓・座像の他に代々の堂守の墓が山際に並んでいる。左側の道が表参道、仁王門に至る。
2014.11.26.総覧169 柏原伝六像。総覧170 手水鉢。伝六座像。墓である。伝六さんの供養塔は善興寺にある。
2017.4.14.
2014.11.26.これらの石像物を写真のように右からD1,D2・・・とする。D8が峯松初五郎の墓である。
2014.11.26.左側を表参道が続く。
2014.11.26.総覧169 柏原伝六像。総覧170 手水鉢。伝六座像。墓である。伝六さんの供養塔は善興寺にある。
2017.4.14.
2014.11.26.これらの石像物を写真のように右からD1,D2・・・とする。D8が峯松初五郎の墓である。
2014.11.26.左側を表参道が続く。
2014.11.26.D13,D14と小祠は重井村四国67番 小松尾山 大興寺。である。D14:「六十七番 小松尾寺」。D16が山頂迄の石像の第1体目と書いてあるが、ここではそれは一応考えず、この広場にあるすべての石造物を数えよう。
2014.11.26.北側の参道沿いにある。
2015.3.14.D7裏面「當山九代俗名柏原萬作」。
D8が峯松初五郎の墓である。
ここには、
石仏として、伝六座像1体、D2,D3,D8,D9,D10,D12・・D17の12体。D12は半体。
石造物として、花立て2、水鉢1、寄附石碑1、墓石碑5、小祠1
説明板1
2015.3.14.D7正面「道安玄光沙弥」。D8が峯松初五郎の墓である。
ここは、堂守の墓ということであるから、白滝山堂守について記しておこう。
初代 金吾(大求円乗道者天保十四年四月迁化)、大三島宮浦の人。
2代 好善法師
初代 金吾(大求円乗道者天保十四年四月迁化)、大三島宮浦の人。
2代 好善法師
9代 道安玄光沙弥(柏原萬作)
10代 村上福次郎
11代 宮地菊松
12代 氏孝
これらは以下の考証による。
初代、2代については、中島忠由、「宗教界の偉人 柏原傳六の話」、重井中學校、昭和25年、p.8に以下のように記されている。
伝六の死後白滝山には大三島宮浦の人金吾(大求円乗道者天保十四年四月迁化)が住持となつて之を守り、次いで好善法师が住んで居た。
初代、2代については、中島忠由、「宗教界の偉人 柏原傳六の話」、重井中學校、昭和25年、p.8に以下のように記されている。
伝六の死後白滝山には大三島宮浦の人金吾(大求円乗道者天保十四年四月迁化)が住持となつて之を守り、次いで好善法师が住んで居た。
伝六さん(通称「墓所」)のD7裏面に「當山九代俗名柏原萬作」。また表面に「道安玄光沙弥」とある。
番外白滝観音寺前の寄附石碑に「白滝山十代目 村上福次郎」とあるので、
10代 村上福次郎
とする。
西国三十三番札所のところにある桜開墾寄附石碑に「当山十一代 宮地菊松」とあるので、
11代宮地菊松
とする。
また、表参道の磨崖仏、慈母観音の銘に「當山十二代氏孝建之」とあるので、
12代氏孝
とする。