2019年2月10日日曜日

夕凪亭閑話 2006年11月

    2006年11月1日水曜日。晴。
 11月になりました。霜月ですから,霜のような雰囲気を出すために,薄い色にしてみました。月末は定期購読している雑誌が集中砲火のように送られてくるので,机の回りがどうしょうもないような状態になります。本のPR誌も何冊かあって,多数の新刊書のタイトルを見ていると,胸が躍るというよりも,うんざり,という気持ちに襲われることが多い昨今であります。そんな中で,岩波のフロイト全集と,筑摩の立原道造全集と,新潮社の「ローマ人の物語」完結の告知は,老残の身に夢と希望を与えるものでございました。いずれも,すぐには手を出しませんが,いつの日か・・・・・。
 ところで,夕凪亭はもう満杯になっています。床板をはがし,「大脱走」のように地下を掘って,本棚を作りたいところですが,床は書庫ということで補強してあり縦横に横柱が走っていますから,どこも開けることができないのです。鈴虫を飼うとか,兎を買うとかという口実を設けて,地下に伸びる一角を作っておけばよかったと思いますが,後の祭りです。嗚呼。 平積みの本は押し寄せ蟹のごと
 
2006年11月2日木曜日。晴。
 最近の読書から。岡松和夫「異郷の歌」(文藝春秋)。ブラジルに移民した日系一世と二世の日本や日本語に関わる考え方の相違をコロニア万葉集にある短歌を通して述べた上質の文学作品です。北杜夫さんの「輝ける碧き空の下で」にも描かれておりましたが,一世は出稼ぎのつもりですからブラジル語(ポルトガル語)を覚えようとしない。しかし,子供はどんどんとブラジル語を覚える。親は,日本人と結婚してほしいと思うし,ブラジル人との結婚を反対する場合もありましたが,子供はブラジルで生きていくわけだから,価値観も行動も言語も変わってくるわけです。そこのところが短歌と日本語を通して追求された小説です。
 日本からの駐在武官による軍国主義の押しつけは,北さんの小説にはなかったと思いますが,p.79に描かれております。NHKの「ハルとナツ」でも軍人がハルの兄を帰国させるというシーンがありましたが,何故あのときブラジルに軍人がいたのか不思議でしたが,皇民化教育というのでしょうか,その役を担っていたことがわかります。西尾幹二さんの「国民の歴史」にはアメリカにいる日本人というのが国家をバックにした労働者であったことがアメリカの排日移民法が起こるきっかけだったと書かれてありましたが(p.548),マイナス効果であったことは明白です。また,戦後の勝ち組・負け組の抗争が,経済格差も要因であったことがp.157に書かれております。 
 
公園の桜染まりて赤色に夕日を受けて秋風に舞う
午後の日は斜めにさして日影避けメダカ静に泳ぎ餌(え)を喰う
雲続く東の山はどんよりと煤煙覆う霞のごとく
黒檀で彫刻した鬼の面寅彦が言う菱の実成れり
藁塚があったあたりに雀来て
岩手より甥の送りし林檎噛む
風吹いて夜のサフラン海辺街

 追懐
往事追懐斜照中
氷心老痩立秋風
幽庭寂歴花開落
万里鵬程落日紅
 
2006年11月3日金曜日。晴。
 秋晴れの素晴らしい日和にふさわしく,岡山県の弥高山へ行ってきました。秋の山は紅葉が始まり,小さな山里は晩秋の日に輝いておりました。彼方の山も青空に映え,静かな秋の気に満ちておりました。
渦巻きの登る山道彼方には雲光りたる蒼き峰々
弥高山遠き山々椀久の中にすっぽり囲まれて
蒼き空澄みわたれども木の葉道午後の日かすか夕暮れのごと
木の葉散る千峯谷に続く道
葛の根を猪食らい土起こす
棕櫚の木に蔦は絡まり枯れ尾花
萩は枯れ櫨赤ばみて日は翳り
 弥高山
奇峰深浅問蒼穹
雲影仰看西復東
晩艶清閑山色秀
重過秋径古村中
 
2006年11月4日土曜日。晴。
  尾道市立美術館へ「バルビゾンから印象派 ミレー コロー ルノワール ゴッホ」展を見に行ってきた。ファンテーヌブローの森のある農村地帯の牧歌的な絵は,せせこましい現代の生活を一瞬ではあるが忘れさせて長閑なユートピアを想像させる。斜めから指す光が画家の視点を際だたせる。こういう形式が印象派へと続いていくのだそうである。


千光寺菊人形は遠く去りいにしえのごと猿は遊べり
カタコトと子供電車の静けさよ菊人形で賑わいし山
三重の岩の下から見おろせば小さき海は秋の日映す
奇岩這う菊盆栽の午後の日や
フランスの秋景色観る千光寺
寺楼より眺むる古寺は秋日和
 
 千光寺
禅扉古塔寺楼東
映水魚家秋気中
暫対菊花天色淡
仙郷十里晩鐘通
 
2006年11月5日日曜日。晴。
 満月に照らされた公園で,太陽の威力を改めて感じました。この明かりが月の光ではなくて反対側にある太陽の光が月に当たって,反射して公園を明るくしているのですから,その光の強さには感嘆します。月から地球を観ると,同じように太陽が当たっているところは明るく,そして少し青く見えるのでしょうか。そしてそこでは水というものが蒸発したり,凝縮したり,凝結したりしているのですから,まったく不思議です。そしてさらに私らが生きていて,こうして思考しているのですから更に不思議です。
 
秋の虫去りし公園満月照らし静に歩む
秋の日は落ちて黄昏迫り来る夕凪亭の日曜の午後
ひたひたと暮れゆく秋の山ぎわに白き満月静に登る
 
オナモミのガードレールを越えて生え
水源地鴉と雀鳩も来て
葉は落ちて柿の実だけに夕日照る
 
  秋景
万壑千峰立晩風
連天一碧白雲通
清遊快意夕陽寺
遠近秋山樹樹紅 
 
2006年11月6日月曜日。曇り一時小雨。 
 朝から雲って,いかにも晩秋といった感じの一日でございました。嗚呼,もう秋も終わりですね。9月10月と長い秋を堪能しました。でも,もうしばらく,寒さに震えなくてもよい日が続くことを期待しております。朝夕の冷気は仕方がないとしても,日中は晴れ間が続けばよいですが・・・・。
朝夕の次第次第に寒さ増しいつのまにやら冬のおもいぞ
立冬の日を前にして曇り空低きに流れ日は弱まれり
晩秋の朝の冷気や薄曇り
野良猫は落ち葉のしとねかきまぜて
山茶花の蕾緑にふくらみて
見上げれば夜の公園カシオペア
 
  偶成
山寺枯林微雨中
斜陽淡照又多風
送秋草屋蕭条日
落葉庭陰銀杏沖
 
2006年11月7日火曜日。晴一時小雨。
 今日は立冬です。朝から寒い一日でした。
 最近の読書から。渡辺照宏 宮坂宥勝「沙門空海」(ちくま学芸文庫)。空海の全貌を伝える入門書である。それぞれの時代の空海の著作から,空海の考え方を浮かび上がらせており,人間空海の姿を彷彿させている。特に第十章の社会的活動以下は,先に読んだ司馬さんの「空海の風景」では,ほとんど触れられていなかったところだけに,はなはだ興味深かった。また付録も充実していて,例えば引用文の原文・出典,現存物一覧,略年譜など便利で貴重である。
 
朝焼けに柿の実一つ朱に映えてさやさやと揺れ木枯らしの吹く
立冬に震える今日の寒さかな
 
   立冬朝
行人前日仰蒼穹
一樹枯枝庭半弓
巳看暁来残月白
四山秋去半窓風 
 
2006年11月9日木曜日。晴。 
 Newton 12月号によると,アメリカは2018年以降に月へ人類を送る計画をしているということだ。日本では大型月周回探査機が2007年度,月面着陸が2013年,サンプルリターンが2020年などというような計画が検討中だそうである。
 あのアポロ計画で人類が月にはじめ立ったのが1969年であった。それは今では当たり前になった同時中継とかで,テレビで見ることができた。果たして,もう一度あのような光景を見ることができるだろうか。
 アメリカのことはともかく,2013年に月面着陸をさせるだけの技術力が,日本にあるだろうか。仮に今はあったとしても,これから先,その技術レベルが維持できると関係者は信じているのであろうか。お金だけでは解決できない,人間のレベルというものも必要だと思う。 
 
開店の日を違えたり郊外の集合店舗夜の賑わい
太陽の前を横切る水星は惑星なれど住む望み無き
ひっそりと八つ手の花は白く咲き
立冬の嵐は去りて日は照りぬ
 
  寒林
午日寒林枯木枝
逍遙一路日光移
村園小至初冬侯
柿影鐘声日暮時
 
2006年11月10日金曜日。曇り。夜雷雨。
 初冬の暖かい日は静かに暮れたが,しばらく遠雷が届いていたが,雨になって,大きな音でゴロゴロと鳴り出した。久しぶりの雨で,うれしいが,この頃の雷というのは珍しい。
 光原百合さんの「帰去来の井戸」(オール読物2006.11)は尾道を舞台とした味のある短編小説である。しかし,尾道は潮ノ道になっているし,向島は歌島になっていて,がっかりしていたが,その理由が最後になって分かった。ほのぼのとした,短編小説がラストに至り,にわかにオカルト小説に変貌したのには,心底驚いた。だから,実在の町ではいけないということであろう。ファンタジーは,近くにある見知らぬ町で起こるのがいい。続編がありそうな終わり方で,楽しみである。
 
小雨降る初冬の夜は暖かで晩秋といえどおかしくはなし
竜巻の起こりし冬は常に無く遠雷の音近づきて庭の葉響く
この頃の雷などは珍しく天かける音いぶかりて見る
 
寒凪の日のあとこそ用心が
枯れ蔓を引く猫の子に日が当たる
枯れ蔓は根元幾重に絡まれり
 
  歳月
一棹扁舟碧水潯
江村曲裏夜森々
閑亭静座清風下
志業無効歳月深
 
2006年11月13日月曜日。晴。
 昨日,こんな夢をみた。右手に松明(たいまつ)を持った大男に追いかけられている。駆けっても駆けっても,距離は広がらない。時々ふり返って見ると,大男と思ったら,赤鬼だった。松明はめらめらと燃えて,炎はうしろに伸びている。ゆらめく炎の中に仕事という字が見えた。そのとき目が覚めた。
 故郷のみかん山へ上がってみた。かつて畑であったところに灌木が生えて,冷たい風に揺れていた。耕して山頂へ至る,と言われるように,先人は耕地を求めて原野を拓き,痩せた土地を改良して畑にした。後継者がいなくなって耕作を放棄された田畑は,四囲の雑草の侵略になすすべもなく,野生へと帰化していく。  コンビニ栄えて耕地荒れる 嗚呼。
 
公園を肥満の烏散歩する
蛇の皮崖にかかった通学路
櫨の木は故郷の山に紅く燃え
 
田畑(でんばた)はいつの間にやら草覆いやがて原野に変貌す
育ち見し山畑は蔓草覆い桐の木生えてもとの山に戻りけり
夏過ぎて秋に生まれし野良子猫冬の雷はじめてぞ聞く
 
      晩秋
南窓負暖倚柴門
門巷羊童風日温
百草成堆秋已老
暮寒随処夕陽村
 
2006年11月14日火曜日。晴。一時小雨。
 本が貯まると積み木くずしの感覚で取り除きたい。「図書」10月号を読んだ。40年ほど前の,高校生の頃は,そんなに買う本がなかったから,図書を隅から隅まで読むのが常だったが,少し生意気になったせいか,拾い読みか,ほとんど読まないことのほうが多い。
 他社のPR誌に比べて連載小説が少ないのも,いい。「犬の歌猫の歌」「漢詩とのであい」「『金槐和歌集』」とタイトルだけ並べてみても,閑話子が世間からあまり隔たっていないことがわかる。決して流行を追っているつもりはないが。そして,あろうことか平出隆さんの「日記的瞬間」には「私が詩歌と日記との関係に心を奪われはじめた理由のひとつは,俳句や短歌がしばしば日記的瞬間とともに生れる,その姿を読んできたからである」(p.59)と書かれている。
 また,極めつけは,斉藤美奈子さんの身近雑記系のエッセイは「おもしろい事件を文字にするのではなく,文字にするためにおもしろ事件を探す。あるいはおもしろい事件をおこす」のだし,書評系のエッセイは「読んだから書いたというケースも稀になくはないけれど,たいていは書くために読む」という文章過剰時代の実態を述べた話しである。
 こうして見ると,「図書」は今も昔もレベルは低くない。しかし,買いたいなぁー,欲しいなぁー,と思う本が意外と少ない。これはこちらのせいかも知れないが。 木枯らしに積み木くずしで雑誌読む
暖冬と人は言えども冬空は日々に寒さが増していくよう
開店の人溢れたり冬木立
 
    初冬
農夫不語午光移
日暮田園草木衰
山圃蕭々人影悄
橙黄枯葉入冬時
 
2006年11月15日水曜日。晴。
 もう霜月も半ば。折り返し点です。日ごとに寒さが繁くなっていきます。わが家では,既にストーブも炬燵も出しております。電気製品の進歩のおかげで,忍耐ということを忘れたせいか,簡便にスイッチを入れ短い間だけでも暖をとるような生活をしているため,いつから,ということもはっきりしないような,季節のけじめをつけない生活を送っています。暦に従うのではなく,体感に正直に生きているのだから,進歩だと思う人が大部分でしょうが,なぜが寂しい気もします。でも,炬燵に火を入れる日とか,そういう習慣が無くなって久しいのだから,いつストーブを使いはじめようと,勝手だということになっているのでしょうね。
 
朝焼けや老婆の庭に柿熟れる
朝焼けや老婆は柿をもぎもせず
南天の実紅く染まる朝焼けや
冬薔薇庭は枯れしも紅ひとつ
 
 寒夜読書
一灯凭几夜沈沈
尚友逍遙万古心
四壁窓前書満架
恣情閉戸惜光陰
 
2006年11月16日木曜日。晴。
 積み木くずしの読書,続き。「波」11月号。「今のままにしていたら,われわれの未来が可能かどうかはわからない。水の問題にしても,農地の問題にしても,今はもう限界にきているような状況である。」(日高敏隆,未来可能性,p.51)
 三田完「冬薔薇(ふゆさうび)」(オール読物2006.10)はよくできた俳句小説である。とはいえ,主題は差出人不明の恋文にまつわる鳥越苦労の話しで,昭和のはじめの女子医学生の青春が鮮やかに,かつ華麗に描かれている。しかし,最後は,なんとも残酷な結末で夢が醒める。
 とはいえ,作中に散りばめられた俳句のなかには,なかなか情趣に富んだものも多く,楽しい。なかでも,「もてなしは道灌山の目刺にて」という句が,あの「山吹の実のひとつだになきぞかなしき」の古歌をふまえているという解釈には恐れ入った。
 他に獺の祭りとか獺祭忌などというのもあった。嗚呼,小生なども年がら年中獺の祭りではないか。
 
何年も家路をいそぐ道の辺にモールの灯り煌々と照る
寂しくて暗い帰宅路大型のモールができて別の世界に
秋ならば雀変じて蛤が雉子も変じておお蛤に
人虫の去りし公園新月を待つ
 
   偶成
暗香月裡不眠人
想昔寄書一度春
哀憐玉笛空入夢
迎来妙舞喜心伸
 
2006年11月17日金曜日。晴。
 Newton2006年10月号によると,兵庫県の佐用町にある兵庫県立西はりま天文台で,地球外知的生命を捜すプログラムが開始された,ということだ。思い出すのは,映画「未知との遭遇」だ。それに先立つこと約10年。世の中は,UFOブームだった。UFOと言っても,今の若い人たちは,インスタント焼きそばくらいしか思い出さないだろう。あるいは少し年をとった人たちなら,同じ題名の歌謡曲があったことくらいは知っているかも知れない。
 今から考えれば,なぜあの頃,どこもかしこもUFO騒ぎになったのか不思議だ。科学といっても心理学の問題かもしれない。何でもかんでもUFOに見える。例えば,ゲリラ戦のさなかにあれば,裏の竹藪の揺れも,敵ゲリラのせいだと思うようなものだ。変わった形の雲があればUFOかとも思う。高いところで飛行機が太陽光線を反射しておれば,音が聞こえなかったらUFOかと思う。ポリエチレンの袋が風で舞い上がっても,時間と太陽光線の具合ではUFOに見えるかもしれない。
 それはさておき,われわれは,一方では,宇宙人との遭遇を期待している。だから,西はりま天文台の取り組みに期待する。どんな結果が出るか,楽しみだ。仮に50光年先の天体とコンタクトができたとしよう。信号を送る。相手に届くのに50年。解析して返事を出すのに,何日かかかって,それから50年。ようするに返事が返ってくるまでに100年。長い長いリレーだ。
 
  偶感
寒光凛凛月皚皚
苦楽千年去復来
往事遺編孤客夢
前途無跡雁声哀

2006年11月18日土曜日。晴。午後雨。
 朝散歩し,午後も散歩しようと思ったら雨が降り出し,そのまま夜になっても降り続き,寒い一日でございました。
 宇宙人との遭遇で思い出したのが,星新一さんのショートショートの一つ。宇宙人と出会い,キスしてもらえるので,喜んで何度もしてもらい大満足な地球人。その後,宇宙人が揃って嘔吐している。口と排泄器官が地球と逆になっていた,というオチ。星さんの作品にはSFがかった未来予測型のものも多く,人口過剰で,順番に殺しに行くというような物騒なものもあったが,さて少子化に対するものがあったかどうか・・・・。
 最近の読書から。北村薫さんの「玻璃の天」(オール読物2006.11)は,ステンドグラスに枕草子,伊勢物語の趣向を盛った贅沢なミステリーである。舞台も古色蒼然たる時代で多いに興を惹かれたが,残念ながら登場人物の人間関係が少し分かりづらかったのは瑕瑾でございました。
 山茶花が咲きはじめました。南天は実は真っ赤。葉は橙黄色。
 初時雨家無き猫は濡れにけり
 山茶花の紅き花にも冬の雨
 
  雨夜
寒窓負暖獨看書
尚友巻舒與世疎
一雨冷風三径草
孤灯陋屋愛閑居
 
2006年11月19日日曜日。晴。雨。
 雨の日曜日。つまんないなー,と言っているほど若くはありません。傘をもって朝から散歩です。一区画横へ行ったら一区画下がりと,あみだくじのように路地を直角に曲がって目的地を廻って帰ってきました。空手,剣道,珠算,ギター,民謡・・・いろんな看板が出てあります。家家家・・と続く,この県境の住宅団地は30年ほどに造成されたものだそうです。結局,午後,夕方とそれぞれ30分ずつ3回小雨の中を散歩した雨の日曜日でございました。
 牧村一人さんの「俺と雌猫のレクイエム」(オール読物2006.11)は,猫への変身譚としてはよくできた作品で,猫好きの人には好感をもって迎えられること請け合いです。次作に期待しましょう。
桜葉は冬の公園降る雨に 紅く染まりてはらはらと落つ
山漆山道近く染まりいで手折ってみよと招くが如く
黄黄緑緑の葉叢冬木立ポプラの変化ここに始まる
 
 紅葉 
錦繍雨餘流水音
孤村山寺暮鐘沈
浮生幽賞楓林晩
奪目仙郷満地深
 
2006年11月21日火曜日。晴。
 意外に暖かい初冬日和でございました。例年より遅かった紅葉が一段と進んだようでございます。
 最近の読書から。小手毬るい「美しき異邦人」(オール読物2006.11)は今時珍しい,変な純愛小説です。恒川光太郎「夜市」(野生時代2005.7)は,不気味な小説です。前半は大変怖い。しかし,だんだんと怖くなくなるのは何故か? やはり最後が明るく終わりすぎではないでしょうか。もう少し怖くしたら,おもしろい小説になると思います。
 
  偶成
一去知君愛眼晴
爾来落月夢魂驚
浮雲俯仰寒灯下
百世行人故旧情
 
2006年11月23日木曜日。曇り後雨。
 今日は勤労感謝の日,ということでお休みです。でも誰の勤労・労働に感謝するのでしょうか。自分の労働だろうか,それとも仕事そのものへの感謝でしょうか。いやいや,今年も五穀豊穣となりましたと,おてんとうさまに感謝すべきなのでしょうね。ということで,今年の稔りの秋と,天変地異の少なかったことに感謝したいと思います。地球よ荒ぶる事勿れ。
 朝少し歩き,午後は,県境の山を見に行ってきました。やはり櫨の木が美しい。しかし,庭に植えるわけにはいきませんね。かつて地域殖産で蝋をとっていたといいますが,作業をする人たちは,かぶれることはなかったのでしょうか。小生は苦手です。また,銀杏の葉が黄金色に色づいてきれいでした。狸か狐になって,小判に化かしたらおもしろいだろう思いました。
 最近の読書から。寺山修司「毛皮のマリー」(ちくま日本文学全集)。 ちくま日本文学全集という文庫本サイズの文学全集があります。作品は抜粋が多いのですが,軽いので寝転んで読めるから好きです。先日,某古書店で100円で買ったものです。よくできた戯曲です。舞台で見たらおもしろいと思います。生存中はなぜが好きになれませんでしたが,今読んでみると,才人ですね。なかなか才能がある方だと思います。でも才能が時代とうまく共鳴しなかったようなところが,少し哀れですね。もう5年早く生まれておれば,もっと活躍できたのではないでしょうか。
 
冬の日は静かに過ぎて陽も弱し
野良猫の入りし庭に冬の雨
さやさやと落ち葉も動く冬の夜
銀杏散る姿優美に冬の日はやや暖かき午後の雨まで
買い物に車集いて祭日は忙(せわ)しく過ぎて冬の日のゆく
白と黒交互に昇る昼火事の煙の色は非情なりけり
 
  静夜
展巻遺編把燭看
詩思撥尽忘悲歓
冷風胸裏千秋意
窓下残紅夜読寒
 
2006年11月24日金曜日。晴。
 萩原朔太郎の「猫町」「ウォーソン婦人の黒猫」(いずれも岩波文庫『猫町』所収)は,妄想の中の猫であるが,荘子を引き合いに出して「夢の胡蝶が自分であるか,今の自分が自分であるか」(p.29)と,改めて問われると,自分が見ている世界というのは,本当にあるのか,あると自分が思っているだけなのかも知れない,と反省させられる。だから,両作品に登場する猫も,本人たちがいると思えば,いたのだから,それはそれでいいのだ,と言ってしまうことも可能である。それを無闇矢鱈と他人の解釈の世界へ引きずり降ろして,それ客観だのやれ一般だのと言ってしまうから,おかしなことになる。自己と現実とが乖離する。乖離させる必要はどこにもないのに。あると思えば,あるのだし,ないと思えばないのだ。それ以上の真実はこの世には存在しない。
 
昼の日を浴びる子猫や家はなし
小春日に目を細めたり家なき猫(こ)
木枯らしに尻尾(しっぽ)丸めてマフラーに
 
古書店の目当ての本は無くなりてライバル増えて喜ぶべしや
持てるもの書いたき本を確かめて行けども既に売れてしまいし
三日月が巡り来たらば一段と冬の寒さがさらに深まり
 
  無題
落葉昏鐘月半規
初冬短日獨敲詩
寒鴉孤影疎林外
小至荒村日暮時
 
2006年11月25日土曜日。
 今日は三島さんの命日であるから,「天人五衰」の終わりのところを開いて少し読んだ。「春の雪」のラストで出家して月修寺門跡になっている綾倉聡子が60年ぶりに訪ねた本多繁邦に言う。「その清顕といふ方には,本多さん,あなたはほんまにこの世でお會ひにならしゃったのですか?」「記憶と言うてもな,映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば,それを近いもののやうに見せもすれば,幻の眼鏡のやうなものやさかいに」(全集,19,p.646)。勿論古い全集である。
 人間は,死ぬときになれば,確かに生きた,しかしそれは,夢幻のようなもので,自分が生きていたと思えば生きていたのだし,長い夢を見ていたのだと思えば,そうも思えるものかも知れない。そして,夢から醒めるのでもなければ,夢を見続けるのでもなく,その夢は終わる。
 私のその夢の源泉であり,霊気の漂う夕凪亭は,二周年を迎えた。書満架で,模様替えもできない。炬燵も置けない。時々茣蓙を敷いて,寝転んで本を読んでいると,そのまま昼寝をしてしまう。まことに,夢かうつつか定まらぬような人生で,別にどちらかに決める必要もないようである。
 
2006年11月26日日曜日。曇り一時雨。
 幼少中一貫教育のような田舎の学校のクラス会と旅行があり,大阪京都へ行ってきた。嵐山も金閣寺も紅葉が見事であった。テレビが紅葉が見頃と放送していただけあって,夥しい人出。
 太閤の築きし城を眺めつつ遠き日想う冬の日の夜
 錦繍の野山を映す寒水に鴎舞い来て漣(さざなみ)たてり
 紅楓金の鳳凰今飛ばむ
 
2006年11月27日月曜日。曇り時々雨。
 雨がよく降る,少し前までは2ヶ月ほど雨が降らなかったが,降り出したら毎週のように降っている。これでは乾期と雨期ではないか。竜巻もよく起こる。やはり,地球温暖化の影響だろうか?
 最近の読書から。森鴎外「魚玄機」(鴎外選集第5巻)。中国の女流詩人の話である。芸妓であるが,大変な才能のある方であった。美貌でもあったらしい。こちらはよくはわからない。道教を信じて道士となる。女中を縊死させたことが発覚して処刑されたという話しである。
  閒居
臨水青苔別有天
閒窓養拙日如年
髙歌心曲後凋色
閑坐南軒一鏡円 
 
2006年11月28日火曜日。晴。
 久しぶりに暖かい日だった。とはいえ冬の日弱く,季節は冬に突進している。野は荒涼たる景色を深くしているのに,小売店の夥しい明かりが,虚しく夜の街に洩れ来る。
 池井戸潤「手形」(オール読物2006.11)は銀行の職員が取引先から預かった手形を紛失するという,よくあるのか,滅多にないことなのかは知らないが,リアリティのある作品であった。ただ,推理小説として読むには難点があるが,エンターテイメントとしては佳品である。
  偶成
歳月空餘倚夕蒼
江山秋色月如霜
雄図尚有人無識
満目暮雲夢一場
 
2006年11月29日水曜日。晴。
 暖かい日が続いております。山茶花が咲いております。赤が中心です。白もあります。ツワブキの季節なのに,今年はでてきません。少し刈りすぎたかなと反省しております。
 村松友視(ほんとうは示に見)さんの「キリストの涙」(オール読物2006.11)は,神戸の震災をはさんでの人と人との結びつきを描いたほのぼのとした小説です。タイトルはワインの名前だそうです。
 
ツワブキの黄色い花のなつかしき
百合の種冬空に伸び枯れたまま 
 
 冬景
斜日枯林一鳥帰
昏鐘古径落楓飛
初冬邑舎炊烟上
江上寒波灯影微
 
2006年11月30日木曜日。晴。
 今日も穏やかな日でしたが,気温は昨日より2℃近く低く,やや肌寒い感じがしました。しかし,日中はよく晴れて,日なたは大変よい心地でございました。日が落ちて,西の空がしばらく青く染まっておりましたが,雲がないせいか急に寒くなって,霜月も今日で終わりなのだと,改めて思いました。ここまでは穏やかな晩秋初冬であったと記すことができます。
 志川節子さんの「沈める花」(オール読物2006.12)は吉原が舞台の,時代小説です。なかなかよく書けていて,作者の能力には感心しました。こういう小説が書ける人の情報の収集力というのはいかようなものかと,ただ驚くばかりです。ミステリー風なエンディングも効果的で,今後に期待したいと思います。
 それにしても明日から師走。別のページにします。では,今月の閲覧を感謝しつつ,これにて11月の夕凪亭閑話閉店。 山茶花の咲き初めてやページ閉じ 
 
偶成
岸柳一枝雲自帰
西郊村舎錦楓飛
初冬短日渓声裡
百草軽寒淡夕暉