2019年2月25日月曜日

夕凪亭閑話  2007年12月

  
2007年12月1日。土曜日。晴れ。旧暦10・22 つちのと み 六白 先勝
 12月,師走に入りました。小雨が時々降って昨日よりは寒い日となりました。風が木の葉を落として,冬ですね。
 「燕召公世家 第四 史記巻三十四」(新釈漢文大系)
 はじめのところは次のようになります。
 召公奭與周同姓,姓姫氏。 召公(せき)は周と同姓なり,姓は姫氏。
 周武王之滅紂,封召公於北燕。 周の武王紂を滅すや,召公を北燕に封ず。
 武王が亡くなって成王が幼かったので周公が補佐したのは前巻と同じです。召公は反対しますが,周公に説得され,認めて自分の領地で善政を行います。(成王既幼,周公攝政,當國踐祚,召公疑)
 その善政ぶりは次のように書かれています。
 召公之治西方,甚得兆民和。 召公の西方を治むや,はなはだ兆民の和を得たり。
 そしてひとつのエピソード。
 召公巡行郷邑,有棠樹,決獄政事其下,自侯伯至庶人各得其所,無失職者。召公卒,而民人思召公之政,懷棠樹不敢伐,哥詠之,作甘棠之詩。
 注に棠樹の下で暑を避けただけで,このエピソードは司馬遷の妄説に過ぎないという説もあるということです。
 以下,召公にはじまる燕の歴史,といっても君主の名の列記があります。
 巻末を上げておきましょう。
 太史公曰:召公奭可謂仁矣!笆棠且思之,況其人乎。 召公は仁なりと謂ふべし,笆棠をさえ且つ之を思ふ,況んや其の人をや。
 燕北迫蠻貉,内措齊、晉,崎嶇彊國之閒,最為弱小,幾滅者數矣。然社稷血食者八九百歳,於姫姓獨后亡,豈非召公之烈邪!
 燕は小国でありながら周の姫姓のうち最後に滅んだ,これは召公の烈によるものではなかろうか,ということです。
 
2007年12月2日。日曜日。晴れ。旧暦10・23 かのえ うま 七赤 友引
 おだやかな冬の日が静かに過ぎて行きました。DVDで「続・荒野の七人」と「逃亡者」を見ました。液晶画面では,ブラウン管ほど目が疲れませんので楽です。
 「燕召公世家 第四 史記巻三十四」(新釈漢文大系)
 もう少しこの巻に出てくるエピソードを記しましょう。一つは有名な「隗より始めよ」です。これはこのように書かれております。
 燕の昭王は「然誠得賢士以共國,以雪先王之恥,孤之願也。先生視可者,得身事之。」と言いますと郭隗曰:“王必欲致士,先從隗始。況賢於隗者,豈遠千里哉!”
という訳です。以下,於是昭王為隗改筑宮而師事之。樂毅自魏往,鄒衍自齊往,劇辛自趙往,士爭趨燕。
 郭隗のために宮を作ってやると,まず有名な樂毅が魏より来たという訳です。
 また,この巻には刺客列伝で有名な荊軻も出てきます。
 燕見秦且滅六國,秦兵臨易水,禍且至燕。太子丹陰養壯士二十人,使荊軻獻督亢地圖於秦,因襲刺秦王。秦王覺,殺軻,使將軍王翦擊燕。二十九年,秦攻拔我薊,燕王亡,徙居遼東,斬丹以獻秦。三十年,秦滅魏。
 秦兵が易水にまで迫ったので燕はあわてて刺客を送ったというわけです。これが結果的には燕を滅亡を招いたということです。
 
2007年12月3日。月曜日。雨後晴れ。旧暦10・24 かのと ひつじ 八白 先負
 朝から雨です。最近では少しまとまって降ったほうです。それにしても天気予報のよく当たることに愕きます。一週間も前から月曜日は雨後曇りと出ておりましたから。 
 「管蔡世家 第五 史記巻三十五」(新釈漢文大系)
 管叔鮮、蔡叔度者,周文王子而武王弟也。とありますように,またまた同じところに戻って,周公旦の弟たちで,周公旦が成王の後見になったことに疑いをもち反旗を翻します。そして周公旦に負けて管叔鮮は死にます。蔡叔度は追放されます。蔡叔度の子である胡は反省して周公旦に認められ蔡を継がせてもらうという訳です。残りは蔡の歴史です。
 
2007年12月5日。水曜日。雨後晴れ。旧暦10・26 みずのと とり 一白 大安
 また寒くなりました。
 「曹叔世家 附」
 管蔡世家には付録がある。曹叔世家である。
 曹の叔振鐸は,周の武王の弟也。武王已に殷紂に克ち,叔振鐸を曹に封ず。
ということである。巻末におもしろい夢のエピソードがある。
 衆君子社宮に立ち,謀りて曹を亡ぼさんと欲っす。曹の叔振鐸は之を止めて,公孫彊を待たんと請ふ。之を許す。旦に之を曹に求むるに,此の人無し。夢みる者は其子に戒めて曰く“我亡し,爾公孫彊政を為すと聞かば,必ず曹を去れ,曹の禍に罹ること無かれ。”
というのである。後に公孫彊なる者が現れたとき,曹は滅んだ。
 
 
2007年12月8日。土曜日。晴れ。旧暦10・29 ひのえ ね 四緑 友引
 「陳・杞世家 第六 史記巻三十六」(新釈漢文大系)
 この巻は陳世家と杞世家に分かれている。まず陳世家から。この巻がいかなるものであるか説明するには巻頭の文章を掲げるのがよいだろう。
 陳胡公滿者,虞帝舜之后也。昔舜為庶人時,堯妻之二女,居于(女+為)汭,其后因為氏姓,姓(女+為)氏。舜已崩,傳禹天下,而舜子商均為封國。夏后之時,或失或續。至于周武王克殷紂,乃復求舜后,得(女+為)滿,封之於陳,以奉帝舜祀,是為胡公。
  而舜子商均為封國:舜の子商均は領土を与えられて諸侯となった。
 武王が舜の子孫であるギ(女+為)満を陳に封じ,帝舜の祭祀を行わせた。これが胡公で,冒頭の陳胡公滿者ということになる。そして孔子の亡くなる年,紀元前479年に滅ぶまで続くのである。
 余談になるが,作家の陳舜臣さんが舜臣というのは舜の聖天子の臣という意味だと「オール讀物」(2007.12)に書かれておられるのを,舜之后也というところで思い出した。
 
2007年12月10日。月.曜日。晴れ。旧暦11・1 つちのえ とら 六白 大安 さんりんぼう
 段々と冬らしくなってきましたが,日中の気温は少し上がっているようです。大地は乾ききっていますが,明日あたりは小雨が降りそうです。しかし,しばらくまとまった雨が降ってないので,そろそろ大量の雨がほしいところですね。
 「陳・杞世家 第六 史記巻三十六」(新釈漢文大系)
 後半はわずかですが,杞世家です。これも初めと終わりを記せば,理解しやすいでしょう。
 杞東樓公者,夏后禹之后苗裔也。殷時或封或?。周武王克殷紂,求禹之后,得東樓公,封之於杞,以奉夏后氏祀
 周の武王が前回と同じように紂王に勝って禹之后(禹の子孫)を捜し,東樓公を見つけて杞に封じ,夏后氏の祀を行わせたということです。
 至禹,於周則杞,微甚,不足數也。楚惠王滅杞,其后越王句踐興
 禹の子孫は周で杞に封ぜられたが微甚,不足數也ということであった。杞は楚の惠王に滅ぼされたが,其后越王句踐興 ということで禹の子孫はまた盛大になった。後半は巻末の太史公曰の中です。
 
2007年12月12日。水.曜日。曇り後小雨。旧暦11・3 かのえ たつ 八白 先勝
 小雨です。夜になって少しまとまって降ったようですが,それでもたいしたことはありません。秋から冬にかけて異常な小雨です。ラ・ニャーニャだそうですが,温暖化の影響かもしれませんね。
 「衛康叔世家 第七 史記巻三十七」(新釈漢文大系)
 衛康叔,名は封,周の武王の同母少弟也。ということで,これまでの世家と同じ頃にはじまります。しかし小国です。兄弟,父子で殺戮が繰り返され悲惨です。そういう訳ですから発展しません。孔子の弟子など出てきますが,愉快な巻ではありません。しかし,秦のが統一するまでは続きます。
 
 
2007年12月16日。日.曜日。晴れ。旧暦11・7 きのえ さる 三碧 大安
 今月は多用で,とびとびになっております。史記・世家は遅々として進みませんが,急ぐことはありません。来年中に終わるかどうかもわかりません。蝸牛の如く進むことにしましょう。
 「宋微子世家 第八 史記巻三十八」(新釈漢文大系)
 宋である。最初に紂庶兄・微子開が紂の悪政を諫めるが聞き入れられないので国を去る。微子はあ周公が成王を補佐しているときに河南に封じられて宋を起こす。微子の他にも紂を諫める箕子や比干の話などエピソードは多い。特に箕子の博学ぶりが凄い。その後の宋での王位を兄弟で譲り合う美談も少しはあるが,その逆の話のほうが圧倒的に多いのは,他の巻と同様である。
 
2007年12月17日。火.曜日。晴れ。旧暦11・9 ひのえ いぬ 五黄 先勝
 朝七時になっても外は薄暗く陰鬱な感じです。間もなく冬至ですから,当然といえばそれまでですが,季節季節の行事が減ってきたせいか,あるいはこちらが年を取ったせいか,歳末・正月といってもほぼ変わらぬ日常生活を続けているように思っております。
 「晉世家 第九 史記巻三十九」(新釈漢文大系)
 晉世家はいささかなごうございます。これが終わるのを待っていたら,年が変わるでありましょうし,前のほうが忘却の彼方に押しやられてしまいそうですので,途中ですが,ほんのわずかですが記しておきたく存じます。
 晉の唐叔虞は,周の武王の子にして成王の弟なり,と始まりますから,またもや,時代は同じところに戻ります。例の周公が補佐していたあの成王です。その兄弟間のエピソードがあります。周公が唐を滅ぼしたとき,戯れに成王が叔虞に,桐の葉を示して,しきたりを真似て「これを以て汝を封ぜん」と遊んでおりました。それを見て史佚(役人の太史)が実施しようとしたら,成王は戯れに過ぎなかったと言います。史佚は,「天子無戲言」(天子に戲言無し)とそれを諫め,かくして,そのように唐に封じたのが始まりです。
 
2007年12月20日。木.曜日。晴れ。旧暦11・11 つちのえ ね 七赤 先負
 朝夕は寒いのですが,日中は穏やかで,暖冬かな? と思ったりしております。今年も余すところ10日ばかりになりました。
 既に書いてきましたように,今年は「ローマ人の物語」を半年かけて読みました。その後が,今も続いている史記です。これが,来年の前半で終わるとは思いませんが,その後は,シェークスピア,ドストエフスキー,ギリシア悲劇,というように考えております。その前に,兎に角,史記です。
 「晉世家 第九 史記巻三十九」(新釈漢文大系)
 獻公の欲望の赴くままの生活が,同族内での不幸を引き起こします。驪?というとんでもない女が出現しますが,その原因はやはり,獻公にあると思います。残忍ではありますが,驪?は彼女なりに「女の戦い」に果敢に挑戦したのではないでしょうか。少し知恵が足りないように傍からは思えるのは仕方がないにしても。
 獻公の五年,驪戎を伐ち,驪?、驪?の弟を得たり,倶に之を愛幸す。
 倶に之を愛幸す,ということで,弟を「いもうと」と訓んでおります。その驪?が子を生み,果敢に攻めてきます。それに対して,太子申生があっさりと負けてしまうのが,読者としては面白くないところです。詳しく書かれてはおりませんが,やはり,ヒーローの資格を備えていなかったのでしょう。
 
2007年12月24日。月.曜日。晴れ。旧暦11・15 みずのえ たつ 二黒 先勝
 ご無沙汰でございました。その間に,冬至も過ぎ,また久しぶりにまとまった雨も降り,今日は,十五やで,寒風の中,月は冴えて輝いております。
 「晉世家 第九 史記巻三十九」(新釈漢文大系)
 後半,重耳の話が続くのですが,その前に有名な唇亡びて歯寒しの言葉が出てきますので,上げて起きましょう。
是歳也,晉復假道於虞以伐虢。虞之大夫宮之奇諫虞君曰:“晉不可假道也,是且滅虞。”虞君曰:“晉我同姓,不宜伐我。”宮之奇曰:“太伯、虞仲,太王之子也,太伯亡去,是以不嗣。虢仲、虢叔,王季之子也,為文王卿士,其記勳在王室,藏於盟府。將虢是滅,何愛于虞?且虞之親能親於桓、莊之族乎?桓、莊之族何罪,盡滅之。虞之與虢,脣之與齒,脣亡則齒寒。”
 是歳也というのは,獻公の二十二年で重耳が亡命した年のことです。晉復假道於虞以伐虢,晉が虢(かく)を討つために虞の道を借りようとしたとき,虞之大夫,宮之奇が虞君を諫めて言った言葉の中に出てきます。虞之與虢,脣之與齒,脣亡則齒寒。虞と虢との関係は唇と歯の関係のようなものです。 脣亡則齒寒 (脣亡びて則わち齒寒し),虢を討った後,次は虞が滅ぼされますよ,と言った訳です。凄いですね。 
 
2007年12月27日。木.曜日。晴れ。旧暦11・18 きのと ひつじ 五黄 仏滅
 穏やかな日が続いているが,月末は寒波到来の予報である。
 「晉世家 第九 史記巻三十九」(新釈漢文大系)
 なかなか,終わらない。亡命暮らしの重耳のエピソードが続く。しかし,晉世家では重耳その人よりも周囲の人たちの言動が目につく。それはともかく亡命・流浪生活19年で帰国したときは62歳になっていた。文公という。亡命生活19年の苦労のせいか,庶民の心をよく理解し,名君として君臨する。数々のエピソードがあるが,かつて亡命中に,苦労してついてきた介子推の恩賞を忘れていた。推は隠者となって身を隠す。後に文公重耳が探しても推はみつからず,その山を介山(かいざん)と称して反省した。
 文公の後,幾代も続くが,最後は静公2年に,魏,韓,趙に三分され,静公は庶民となって断絶し,祭祀を行うものがなくなった。
 「晉世家 第九」で新釈漢文大系の「史記五 (世家上)」は終わる。
 
2007年12月28日。金.曜日。雨。旧暦11・19 ひのえ さる 六白 大安
 朝から雨である。今日で仕事も終わり,明日から冬休みに入る。
 「楚世家 第十 史記巻四十」(新釈漢文大系)
 さて,今日から楚世家であるが,またまた例によってエピソードらしいものも無く,単調な記述が続く。眠くなる。重耳が楚を通過することがわずかに記されるのは,成王三十五年のときのことである。
 
 
2007年12月29日。土.曜日。曇り後晴れ。旧暦11・20 ひのと とり 七赤 赤口
 いよいよ,今年も押し迫ってまいりました。少し暖かくなりましたが,明日からまた寒くなりそうです。今年もいろいろありましたが,中でも印象的なのは食品業界の偽装でした。品質・銘柄の偽装は,ブランドに頼りすぎる世相を反映したものでしょう。賞味期限の問題は,一方では賞味期限通りに大量に破棄されている食品があるという事実にも反省すべきときがきたのではないかと,思います。
 賞味期限と言えば,当方などはとっくに賞味期限を過ぎている訳ですが,何とか取り繕って過ごしております。 行く年や 賞味期限を 貼り替えて
 「楚世家 第十 史記巻四十」(新釈漢文大系)
 さて,荘王に至って有名なエピソードが二つ立て続けに出てきます。何れも禅問答のような話です。一つは三年間淫楽に耽り,諫める者が有れば死刑にすると宣言をした荘王に伍挙という臣下が言います。三年鳴かず,飛ばない鳥がいます。何という鳥でしょう,と。荘王曰く,鳴けば人を驚かす,飛べば天に達す,知っている下がれ,という訳です。言う方も言うほうなら,答えるほうも答えるほうで,本当に鳴いて,飛ぶのですから偉い。もう一つは有名な,「鼎の軽重を問う」のエピソードです。こういう話を作った,あるいは実際に言った人たちも凄いのですが,そのことを長く言い伝える国民性にも感心します。
 
2007年12月30日。日.曜日。晴れ時々雪。旧暦11・21 つちのえ いぬ 八白 先勝
 これを書いているのが夜ですから,今年も余すところ一日となりました。今日は朝から小雪が舞って,天気予報通り寒い一日でした。夜には続けて雪が降っておりますが,気温が積もるほどのことはありません。今日は,夕凪亭の中に持ち込んだ電気炬燵の中に入って,ぼーっとしておりました。なかなか乙なもので,年末年始の過ごし方としては最高だと思います。ところで,電気炬燵というのは,素晴らしい日本の文化ですね。外国にはないのでしょうか。ドイツとか北欧,北米,ロシアなど寒い国で活用すると節電になると思いますが,畳生活でないから無理ですかね。靴を脱いでベッド以外のところに座るという生活はないのでしょうねえ。
 「楚世家 第十 史記巻四十」(新釈漢文大系)
伍奢と二人の息子,伍尚と伍胥の話が出てきます。讒言により平王が伍奢の二人の息子を出頭させれば許すと言います。二人の兄弟は一人は従い一人は反抗し,逃亡します。結局,従った伍尚と父の伍奢は殺されるという話ですが,平王のねらいがよくわかりません。
 
2007年12月31日。月.曜日。晴れ時々雪。旧暦11・22 つちのと い 九紫 友引
 小雪が舞い,北風の吹く寒い日でした。今日は瀬戸田の平山郁夫美術館へ「大シルクロードⅡ 楼蘭遺跡を行く」展を見に行ってきました。ゆっくりと鑑賞してきました。
 「楚世家 第十 史記巻四十」(新釈漢文大系)
 「蛇足」のエピソードが懐王六年に出てきます。楚の柱國昭陽が魏を破りさらに斉を攻めようとしたとき,遊説家の陳軫が柱國昭陽にそれを止めさせるために用いたたとえ話が有名な「蛇足」の話です。柱國昭陽は既に最高官位にあるのだから,勝ってもこれ以上昇進するわけではないし,負ければ何の意味もないから止めなさいと言うのです。「蛇足」の出典は戦国策がよく用いられますが,注釈者の吉田賢抗氏は「戦国策が史記に依ったのか,太史公が戦国策以前の斉策に依ったのか,決めかねる」と記されております。(p.459)
 これにて,2007年の夕凪亭閑話は終わりです。ご愛読感謝致します。
 では,来年が,皆様にとりましても,よいお年でありますように。