2007年8月1日。水曜日。晴れ。旧暦6・19 ひのと う 九紫 赤口 八朔
八月になりました。日中は以前ほど暑くはないのですが,夜になっても涼しくなりません。台風が接近しているので,いつもの夏というわけにはいかないのでしょうが,少し夏らしくない天気です。
網野善彦さんの「『忘れられた日本人』を読む」という本を読んでいたら,木炭や火箸,火鉢を知らない学生が増えてきた頃の話が出てきます。知らないものは知らないのだから,現実を肯定するしかありません。もちろん人間には想像力というものがありますが,想像するにも限界があります。家庭から竈(かまど)が消えていくのが,昭和三〇年前後からではないかと思うのですが,並行して火鉢や炬燵が消えていき,石油ストーブや電気炬燵というものに置き換わっていきます。ガスと電気の侵略ですね。この変化の意味を考えてみる必用があると思います。そして,最近ではオール電化などと言って,火そのものが,消えてしまったところが有るようです。快適で安全だと思います。しかし,何か大切なものを切り捨てて行っているように思われます。
2007年8月2日。木曜日。曇り。旧暦6・20 つちのえ たつ 八白 先勝
台風5号が接近中である。急に速くなった。また,九州に上陸して中心気圧が上がった。
ドストエフスキーの「鰐」を鴎外訳で読んだ。(鴎外選集15)。奇想天外な話であるが,最後までそのカラクリは明らかにされない。青空文庫にもあるので,是非読んで見てください。
2007年8月4日。土曜日。晴れ。旧暦6・22 かのえ うま 六白 先負 さんりんぼう
今年になって二度目の台風の接近で,ぐずついた天気だったが,今日はまたもとの暑さが戻ってきた。とはいえ,午前中は蒸し暑く,午後になって湿度も下がったようである。蟻とキリギリス(ほんとうは蟻とセミ)ではないが,夏を謳歌しないと,あっというまに夏は去ってしまう。その謳歌の一つ,夜明け前の散歩も,足の調子が悪く,遠慮している。先日X線撮影をしてもらったら,異常は見られないようだったから,そのうち治るのだと思うが,夏がどんどん過ぎ去っていくのは寂しい。
新潮文庫「ローマ人の物語25 賢帝の世紀 中」第二部 皇帝ハドリアヌス ~p.84
24冊目が全巻皇帝トライヤヌスであったのと同様,25冊目は全巻ハドリアヌスである。あの,「ハドリアヌス帝の回想」の。トライアヌス帝も,まことに立派な人物であったが,ハドリアヌス帝もそれに劣らず立派であったようである。しかし,初期の執政官経験者4人の殺害,すなわち政治的粛清が唯一の汚点として残る。ハドリアヌスは「殺害」を命じたのではなく「対処」を命じたのに,近衛軍団長官が勝手に殺害したという謎である。それに関して,ユルスナール女史の「ハドリアヌス帝の回想」にも触れられる。ユルスナールにしろ,あるいは辻邦生さんの「背教者ユリアヌス」にしろ,ローマ皇帝の物語には読者を畏怖させ,ある種の高揚感に誘うだけの力が存在する。さて,そのハドリアヌスの広大な帝国への巡視旅行がはじまる。
2007年8月5日。日曜日。晴れ。旧暦6・23 かのと ひつじ 五黄 仏滅
今日も暑い日だった。とは言え,せっかくの休みだから足も休ませてやろうと思って,今日は歩かないことにした。サポーターのような大きなサロンパスで締め付けてあるので,どこが痛いのかわからない。それでも,早く直したいので,ポーリング教の信者である私は,ヴィタミンCが,風邪や癌のみならず何にでも効くと信じているので,ヴィタミンC製剤を買ってきて飲むことにした。さて効き目は・・・・。
新潮文庫「ローマ人の物語25 賢帝の世紀 中」第二部 皇帝ハドリアヌス p.85~
ここからはハドリアヌスの巡視行である。21年の治世のうちたった7年しかローマにいなかったというのだから,いかに現場主義で辺境の視察に明け暮れたかがわかる。まず,リヨンでガリアを見た後,ライン河防衛線を丁寧に視察し改革を進めていく。
そしてブリタニア。ブリタニアにはハドリアヌスの防壁が残る。結局ここがローマ化されたところと,そうでないところの境界になり,その相違は現在まで尾を引き,スコットランドとイングランドの違いになる。
その後がスペイン。そこでパルティア問題が起こり,東方へ海上を向かう。パルティア問題が解決すると北上して小アジアへ向かう。トラキアを経てドナウ防衛線を視察して今度は南下してアテネ。ハドリアヌスのギリシア好きは有名である。だからアテネは憧れの地であっただろう。ビティニア生まれの美少年アンティノーと出会ったのがこの頃である。塩野さんはトラキアに向かう前かもしれないと書く。アテネで自ら楽しむとともに,皇帝として,ギリシアの活性化策を行う。公共物を修復したり建造したり,競技会を振興したりと。その後,シチリアへ行く。そこでエトナ山に登り日の出を見る。そして夏の終わりに4年半ぶりにローマに帰る。4年半もローを留守にして安全なのだから,現代の目から見れば奇跡のに近い。
春になると再び,皇帝は旅に出る。今度は北アフリカ。ここでは南の防衛線の効率化と植民都市のインフラ整備をしてローマに帰る。その次の仕事が「ローマ法大全」。またこの巻の最後に,公共建築物の傑作が詳解される。そのひとつがパンテオンで,現在のものがハドリアヌスが建てたものだそうである。パンテオンは実際に見たことがあるが,こういうものを作る人間というのは正直言って私には理解できなかった。以上で25冊目が終わる。
堀辰雄の「大和路・信濃路」が青空文庫にあったので読む。今から何十年も前の,高校の時の教科書(三省堂)に「辛夷の花」と「浄瑠璃寺の春」というのがあって,残りもいつか読もうと思っていたのだ。ああ,奈良はいいなあ・・・。
2007年8月6日。月曜日。晴れ。旧暦6・24 みずのえ さる 四緑 大安
小さい頃,台所にかかっていた日めくりには「みづのゑ」と書かれておりました。木火土金水のそれぞれに兄(え)と弟(と)があって,水の兄,水の弟ということです。さて,今日は広島の原爆記念日。朝,テレビで追悼式の中継を見ながら,人類最大の愚行であることを改めて思いました。一番恐ろしいのはやはり人間,とヒトも含めた全ての動物は思っているでしょう。
新潮文庫「ローマ人の物語26 賢帝の世紀 下」第二部 皇帝ハドリアヌス(承前)~p.134
いきなり「ヴィラ・アドリアーナ」が出てくるから,驚く。私はこの有名な遺跡を写真でしか知らないが,数あるローマの遺跡の中で最も感動的なものだと思う。パンテオンやコロッセウムや凱旋門ではなくて,ヴィラ・アドリアーナすなわちハドリアヌスの別邸の美しさは格別である。青い空に白い大理石はよく合う。廃墟ににしてこれだけのものは,往時にはいかばかりであったであろうか。ギリシア風のカノブスの池とそれをめぐる大理石像のコントラストは地中海式気候の特色によく合ったことだろう。ここからは美少年アンティノウスの像がたくさん出てくると言うが,禁欲的なイメージの強いハドリアヌスの逆の面が溢れた場所であったのだろう。アンティノウスはエジプトのナイル川航行中に若くして死ぬが,変なスキャンダル(例えば,別の美少年が現れて三角関係になるとか)を残さなかっただけ(二人の関係だけで十分にスキャンダラスではあるが),ハドリアヌスにとってはよかったのではないか。さらにこの巻ではローマとユダヤの徹底的な離反がある。今に尾を引くユダヤ人のイェルサレムからの追放である。すなわちユダヤ人の「離散」diasporaである。最後は,哲人皇帝マルクス・アウレリウスを発見して二代後の後継者になるべく指名して,ハドリアヌスは死ぬ。2007年8月7日。火曜日。晴れ。旧暦6・25 みずのと とり 三碧 赤口
右足は完治したわけではないが,少し痛みが退いたので,朝の散歩を再開することにした。日が昇らない内に,朝靄の中をホトトギスの声を聞きながら歩くのは,すがすがしくてよい。公園を15分歩く。夜もまた15分。
新潮文庫「ローマ人の物語26 賢帝の世紀 下」第三部 皇帝アントニヌス・ピウス
これも,写真でしか見たことはないが,Le Pont du Gard ル・ポン・デュ・ガールと呼ばれる大変美しい水道橋が,ローマ時代の遺跡としてフランスのニームに現存している。(例えば,新潮古代美術館5,p.59)。そのニームは植民都市ではなく,ローマが征服後に原住民の自治を認めたところで「地方自治体」である。祖先がこの地の出身ではあるから,(それも三代か四代になるということである),フランス系イタリア人ということであろうか。そういうアントニヌスウという人は次の哲人皇帝マルクス・アウレリウスにつなぐためのワンポイントリリーフの予定であったのだが,どうしてどうして目立つことはしないが,立派な皇帝で人気も高かった。五賢帝の名に恥じない。
2007年8月8日。水曜日。晴れ。旧暦6・26 きのえ いぬ 二黒 先勝 立秋
残暑お見舞い申し上げます。ということになるようで,今日が立秋。子どもたちの夏休みも折り返し点でしょうか。
今日は久々に夜明け前に歩いてきました。なかなかすがすがしい。しかし,その後で眠くなったのには弱りました。
新潮文庫「ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず 上」第一部 ハードなインフラ 1街道 ~pp.127
カラー写真がたくさんあるので,楽しみにしていた巻です。ところが開巻早々,読者へのお願いなるものがあって,人物史並の期待をしないでほしいとあるが,こういう企画もよいと思う。もっと脱線して,資料集とか図録とかあってもいいくらいである。さて,はじめは街道。アッピア街道をはじめとした石畳の舗装道路の歴史とその思想である。セメントを使わなかったということであるが,メンテナンスのことを考えれば利用しないほうがよかったのであろう。ローマ人というのは,そういう意味でも実に合理的である。
2007年8月9日。木曜日。晴れ。旧暦6・27 きのと い 一白 友引 さんりんぼう
同じような暑さが毎日続く。ただうれしいことに,ここ何日か,夕暮れになると気温が確実に下がる。それだけよく晴れているということでもある。そして,夜になるともっと下がる。季節は確実に秋に向かって進んでいる。
新潮文庫「ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず 上」第一部 ハードなインフラ 2橋 ~pp.161
街道の構造だけならば,技術的なことにはあまり驚きもしないが,橋となると別だ。その技術はどこで生まれ,どのように伝承されたのであろうか。エジプト由来だろうか,ギリシア由来であろうか。もちろん或る程度の数学的知識が学ばれていたことは確かであろう。しかし,数学だけでは,橋はできない。また,天才的なエンジニアが一人いただけでもできない。複数の優秀な技術者集団があり,それを受け継いでいくシステムが,きっと確立していたに違いない。どこにも,そのようなことは書かれていないので,不思議なのだが,そう思う。
2007年8月10日。金曜日。晴れ。旧暦6・28 かのえ ね 九紫 先負
それそろ終わってしまう逆さ三日月を見ながら,暗い内から歩いていると,以前ほどではないが,かすかにホトトギスが鳴いた。そういえば,暑い暑いと言っている間にウグイスが鳴かなくなっていた。ホトトギスの季節もおわりだろう。
新潮文庫「ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず 上」第一部 ハードなインフラ 3それを使った人々 ~pp.234
皇帝・軍隊から庶民まで。それがタイトルにある使った人々である。道路も橋も軍事的な目的もあった。しかし,それだけで終わらさなかった。だから,それ故にかくも壮大に実行することができたのである。今では,大抵がビジネスホテルを利用するから当たり前のように思っているが,かつてヨーロッパの古いホテルがそういう形式であり,国が変わっても同じスタイルなので,使い方を改めて習う必用がないことに随分感心したものである。これがユニバーサルということか,と。そういう調子で多くのものが現ヨーロッパじゅうに広まっていったわけだから,やはりそこには征服者の文化というだけではなく,合理的で大きなメリットがあったに違いない。そしてそういう社会が長い間続いたということは,奇跡のようなものなのかも知れない。講談社の世界の歴史シリーズのローマ史は「永遠のローマ」という題であった。橋や道路の写真を見ていて,こういうものは永遠ではなかったが,その考え方は永遠であったように思う。・・・かくして,新潮文庫の27冊目は終わった。2007年8月11日。土曜日。晴れ。旧暦6・29 かのと うし 八白 仏滅
3時半に起きたのだがさすがに早いので散歩は見合わせて,4時30分になって少しだけ明るくなったようなので,歩きに行った。見事な星空だった。細い細い逆さ三日月と全体がうっすらと円に見える月と星々。それにすがすがしい冷気。至福の時であった。
新潮文庫「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず 下」第一部 ハードなインフラ(承前) 4水道 ~p.50
華麗なる水道橋の話かと思ったら,水道の話であった。ということで,水道橋はあくまで,水道のための一つの手段に過ぎなかったことがわかる。目的は水道なのである。水道橋ではなく。
2007年8月12日。日曜日。晴れ。旧暦6・30 つちのえ とら 七赤 大安
大変暑い日が続いているが,少しだけ昨日よりは暑くなかったようだ。今朝も夜明け前に
月の出ていない空を眺めながら,散歩してきた。右足の状態が回復に向かっているようなので,歩く時間を増やして,今日は20分にした。いいようである。
潮文庫「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず 下」第一部 ハードなインフラ(承前) 4水道 ~p.77
水の話が続きます。衛生面でも効果があったこと。そして,水道を為政者が公共事業として認めていたという先見性。やはりはローマは素晴らしい。もっともっとローマ時代に学ぶべきことは,多いのかも知れない。2007年8月13日。月曜日。晴れ。旧暦7・1 つちのと う 六白 先勝
昨日,一昨日と仕事をし,今日も2時間ほど仕事をしてきた。夜明け前に起きて,空を見るも,雲が多く,流れ星なぞ見えはしない。南の空の雲の切れ目に大きな流れ星が一つ。しかし瞬く間の数倍で消えた。
今日は午前中は曇りがちであったが,午後はよく晴れて,暑かった。(て眠っていたが)。
新潮文庫「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず 下」第一部 ハードなインフラ(承前) 4 水道 ~p.94
さて水道の残りの話では,水道管に使われた鉛の毒性によってローマ帝国は亡んだという,どこかで聞いたことのある説が紹介される。そして,ローマ人が鉛の毒性を知っていたことと,鉛管の表面に石灰層が付着して鉛を保護していたという二つの理由で,この俗説が退けられる。
そして最後が公衆浴場の話である。何事にも始まりがあれば終わりがある。人々の健康に益したと思われる,ローマ式の公衆浴場もキリスト教の普及とともに顧みられなくなる。そして破壊。ローマ人の物語も,その歴史上のピークを過ぎたのだから没落への哀調が漂いだすのは必定でしょう。水道橋の破壊はさらに哀れである。帝国の衰亡,すなわち国家の衰亡ということは,こういうことであると,水道橋や街道の歴史は語る。「インフラは,それを維持するという強固な意志と力をもつ国家が機能していないかぎり,いかに良いものをつくっても滅びるしかない。」(p.94)と。我が国の今はどうなのでしょうかねぇ。
第二部 ソフトなインフラ 1 医療
ローマには病院がなかたった。ということであるが,それがそのまま遅れていたということではないようである。医療制度の違いである。軍事病院なら各軍団基地にあった。その充実ぶりには驚かされる。それはさておき,キリスト教の普及により制度が変わり,価値観が変わる。必ずしも進歩ではないが。
2 教育
教育も,医療と同じようにカエサルが医師と教師にローマ市民権を与えるようになってから,ギリシアからローマに移住してきて,数の上では増えた。しかし,学校はない。私塾で,自由競争である。高等研究機関として,アテネのアカデメィア,アレキサンドリアのムーサイオンがあった。これは皇帝から資金援助されていた。公教育,特に児童・生徒の場合は,キリスト教が普及してきてからである。しかし,ほどなくローマ帝国は分裂する。いつの時代にも教育の問題は難しい。
以上で,新潮文庫で28冊目,単行本では10冊目が終わった。
2007年8月14日。火曜日。晴れ。旧暦7・2 かのえ たつ 五黄 友引
夜が暑いようです。昨夜は流れ星を1つ見て寝たが,暑くて眼が覚めた。今日も午後になると青い空に白い雲がダイナミックに広がり,青い海と絶妙のコントラストをなしていた。
「ローマ人の物語XI 終わりの始まりFINIS PRINCIPIUM 」(新潮社)第一部 皇帝マルクス・アウレリウス ~p.53
ここからは新潮文庫は出ていないので,単行本で読むことにする。
実は,単行本の方が字が小さい。今更こんなことを書くのも変な話だが,活字に圧倒されてしまいそうである。新潮文庫が出版されるのを待ちたい気持ちもあるが,そうしていると,前のほうを忘れるので,ここはなりふり構わず,読書スタイルが変わるが,続けて読んでおくのが賢明だと判断した。それで,努力して,まず50ページほど。
次期皇帝に指名され,執政官も勤めながら,家庭教師について学業も続けるというハードなスケジュールをこなして行く。そして夜には好きな哲学の勉強をするというのだから,時々胸が痛んだりする。それにも負けずに努めるところが立派である。
2007年8月15日。水曜日。晴れ。旧暦7・3 かのと み 四緑 先負
連日の猛暑でございます。昼過ぎに少し出てきましたが,エアコンが止まったら一分たりとも乗っておれないような天気でした。それで早々に帰って,できるだけ動かないようにしておりました。
夜,大変細い形のよい三日月が西の夕暮れの空に出ておりました。
「ローマ人の物語XI 終わりの始まりFINIS PRINCIPIUM」(新潮社)第一部 皇帝マルクス・アウレリウス p.53~96 結婚 ある疑問 皇帝マルクス・アウレリウス 二人の皇帝 皇帝ルキウス 飢饉・洪水 東方の戦雲 パルティア戦役 皇帝出陣
小見出しからもわかるように,マルクスは結婚し,義父が亡くなると皇帝として即位する。それも史上珍しい二人皇帝制だというのだから驚く。相棒は義弟のルキウス。こういう関係なら副帝ともいうべき弟が妬んでクーデターを起こしたりしないだろうか,と思うのは下衆の勘繰りというもので,不思議とこの二人は仲良くやっていく。それもどちらが正で他方が副だとかいうこともなしに。要するにルキウスはお坊ちゃんでジェントルマンなのである。人格が高潔であるかはわからないが,まあ良くできた人であったようだ。しかし二人には次から次から試練が襲う。恒例の東方のパルティア・アルメニア問題の再燃である。ユダヤにしろドナウ防衛線にしろ,ローマ人が手を焼いた地域が,現在でも政情不安定だったり紛争が絶えなかったりと,いろいろと問題が多く,考えさせられる。さて,そのパルティア戦役でローマ軍は負けてしまい,最高司令官を兼務する皇帝の出陣となる。弟帝ルキウスがゆったりのんびりと出かけて行く。要するに平和ボケなのである。軍隊の目標は平和を維持することなのだが,それが長く続けば実戦から遠ざかり軍隊としての機能が減退する。仕方がない。軍隊というのは,本質的に戦争を好むものである。ということで,戦争を知らない子どもたちが,戦争体制に突入する。さて,その結果やいかに。
2007年8月16日。木曜日。晴れ。旧暦7・4 みずのえ うま 三碧 仏滅
「散歩」と「暑さ」と「ローマ人の物語」しか,話題がないのかと言われれば,そうだと答えるしかない。
朝30分,夜35分と,少しずつ伸ばしてきた。既に公園にはコオロギが鳴いて,秋のモードに成っている。そういえば朝の蝉は相変わらず鳴いているが,それでも一時に比べれば減ったようだ。
今日も猛暑だった。一昨日よりも昨日,昨日よりも今日,とどんどん暑くなっていく。
「ローマ人の物語XI 終わりの始まりFINIS PRINCIPIUM」(新潮社)第一部 皇帝マルクス・アウレリウス 反攻開始 哲人皇帝の政治 ペスト キリスト教徒 ゲルマニア戦役 ルキウスの死 戦役開始「防衛線(リメス)破られる!」 ローマ人と蛮族 時代の変化 p.96~150
小見出しからおおよその見当はつくと思うが,まことに波瀾万丈の皇帝位である。5年かかってパルティア王国を平定し4,再びもとの状態に戻すのだが,このときの弱体化が遠因となって60年後にササン朝ペルシアにかわる。さらに悪いのはペスト菌をもらってきており,流行る。その隙をついてのゲルマニアの反乱。そして弟帝ルキウスの死。北のゲルマニア防衛線,スペイン,と一時的にではあるが,侵入を許す。防衛体制の見直しをせざるを得ないしかし,これは高くつく。ハドリアヌスの再編成から見れば,いかにも思慮が足りない。帝国の衰亡がここに始まったのではないか。
時代が変わっていたということではある。ゲルマン民族大移動というのは,高校のときに習った世界史でも,理解しがたいことであった。蛮族と書くから,益々分からなくなると思っていた。しかし,塩野さんによると蛮族でいいのだそうだ。狩猟民族で貧しい。することがないので子どもが増える。貧しいので子どもを増やさないように考えることができれば,蛮人ではない。増えた人口は南の富を求めて移動する。「蛮族が勇猛であったから侵略したのではない。蛮族であったから,侵略したのである。」(p.138)
2007年8月17日。金曜日。晴れ。旧暦7・5 みずのと ひつじ 二黒 大安
今日も暑かった。しかし昨日に比べると少し弱まったか。夜になって,やや気温が下がってきた。
散歩は朝40分,夜40分に戻した。朝は夜明け前に歩いたが,雲が出て蒸し暑かった。夜は,昨日に比べると歩きやすかった。
「ローマ人の物語XI 終わりの始まりFINIS PRINCIPIUM」(新潮社)第一部 皇帝マルクス・アウレリウス
「マルクス・アウレリウス円柱」 ドナウ河戦線 前線の基地 蛮族のドミノ現象 謀反 将軍カシウス 後始末 世襲確立 「第二次ゲルマニア戦役」 死 p.150~203 4
第一次ゲルマニア戦役の続きであるが,途中,ナンバーツーのカシウス将軍の反乱が起こる。しかし,このときのマルクスの対処は迅速的確であったようで,事なきを得た。そしてそれに次いで,一人息子の世襲をより確実にしていき,在命中に皇帝にして二人皇帝制をまたもや行うという奇策を打ち出す。国家の私物化でよいことではないが,内乱を避けるということでならば,認めてもよい。それ以外のところでは,私利私欲に走らず,病弱にもかかわらず,よく努力したと思う。ただし,前半の東方・パルティア戦における対処だけを見ると,評価は下がる。
2007年8月18日。土曜日。晴れ。旧暦7・6 きのえ さる 一白 赤口
今日も猛暑だ。昨日と同じくらいか。とはいえ,今日は今日中に済まさないといけない仕事があったので,ほとんど部屋の中にいたので,よくわからない。でも,朝夕の散歩中は,さわやかだった。朝,四〇分,夜は三〇分。夜は,もう一〇分歩く予定であったが,足が痛くなったので,帰ってきた。
「ローマ人の物語XI 終わりの始まりFINIS PRINCIPIUM」(新潮社)第二部 皇帝コモドゥス p.205-263
疑心暗鬼という言葉はこの人のためにあったのではないかと思われる。愚帝コモドゥスは,賢帝マルクス・アウレリウスの実子なのである。多分,父も母も立派過ぎて,自分にはとうていその何分の一も真似することもできないという思いから,人生の手本とする生き方を間近に見ることができなかったのであろうか。悲惨な生涯という他はない。この父子には古代人の素朴さとは違った近代人の苦悩がある。映画が二本も作られ,小説にもよく描かれているというが,よくわかる。
2007年8月19日。日曜日。晴れ。旧暦7・7 きのと とり 九紫 先勝
旧暦で言えば七夕さまである。今日は朝から忙しい。少し,明るくなって,郵便を投函して,町内会の配りものをする。蒸し暑い。今日も暑くなりそうだ。それから第三日曜日なので,リサイクルゴミ回収日だ。二週間分の新聞を出す。
2007年8月20日。月曜日。晴れ。旧暦7・8 ひのえ いぬ 八白 友引
昨日,今日と黒部立山アルペンルートに行って来た。以前黒部ダムまで行ったので,室堂黒部ダム間を通過したいものだと思っていたものだ。交通の便を考え,ツアーを利用するのがいいだろうと思っていた。たまたま,こちらの予定とツアーの日程が合ったので,行ってきた。周辺もいろいろ見たいところは多いのだが,まず通過するだけを実現することにした。昨日,大町温泉郷泊。今朝七時四〇分に宿を出て,乗り換え乗り換えして,二時過ぎに立山駅へ。そこからまたバスに乗って,ひたすら帰ってきた。ということで,初期の目的を100%達成した。
2007年8月21日。火曜日。晴れ。一時雨。旧暦7・9 ひのと い 七赤 先負 さんりんぼう
五時半に起きて,少しだけ散歩です。コースを変えてみると,いつも見かける人たちとは違った人たちの光景があります。午後,雷が遠くで鳴っていました。雨は小雨です。でも随分涼しくなりました。夜,暗くなって歩いていると鈴虫の,耳を聾するばかりの鳴き音は感動ものです。やっと,秋になりました。
今年は暑いせいか,メダカはいつまでも卵を産んでいます。ただ,冬になるまでに,大きくならないのがいるので気がかりです。大きくなくても冬を越すことは出来るので心配はしてませんが,中途半端な感じがします。百合も今まで以上にたくさん開いています。早いものはしおれていきます。しおれたら,少し残して取り去ります。サルスベリは,他の家のものより相当遅かったようですが,桃色のあざやかな色が,強い日差しの中ですがすがしい。百日紅というだけあって3か月続きますから立派なものです。落ちるものもあれば後から咲くのもあるようです。
2007年8月22日。水曜日。晴れ。夜時々雨。旧暦7・10 つちのえ ね 六白 仏滅
夜になって急に大粒の雨が降った。止んだ後も,何度が雨が襲ってくる。
「ローマ人の物語XI 終わりの始まりFINIS PRINCIPIUM」(新潮社)第三部 内乱の時代 p.266-311
読み進んでくるに連れて,ローマ帝国の皇帝が中国の皇帝や王国の国王とは性質の異なるものであるということが次第にわかるのだが,よくできた制度だと思う。しかし,それでも完璧というものはなくて,結局は最後は人の問題ということになる。マルクル・アウレリウスの実子で後継者であった皇帝コモドゥスが殺されると,後継者の確立が曖昧な故に,五人が争い,結局セヴェルスに落ち着く。それまでの争いだが,いずれも武力を背景にしているので始末が悪い。これでは,まるで日本の戦国時代のようなものだ。2007年8月23日。木曜日。晴れ。朝雨。旧暦7・11 つちのと うし 五黄 大安 処暑
昨夜といい,今朝といい降るときは驚くほどの大粒の雨が降ります。温暖化のせいでしょうね。雨のせいか日中の気温はやや下がり,夜になると鈴虫が鳴き,月も心持ち美しくなって秋へ向かって,季節はどんどん進んでいきます。
今日は二十四節気では「処暑」です。新潮選書の「暦と占いの科学」には「処」というのはとどまるということだそうで,「暑さが一段落して,落ちついてくる時節である」(p.137)とあります。落ちついているかは別にして,暑さが一段落したという感じは確かに致します。
「ローマ人の物語XI 終わりの始まりFINIS PRINCIPIUM」(新潮社)第四部 皇帝セプティミウス・セヴェルス p.314-343
この巻の最後は内乱の時代を制したセヴェルスについてです。偉大なローマ帝国がだんだんと衰退して行きます。マルクス・アウレニウスのときから既にほころびは始まっていたとはいえ,セヴェルスはさらにそれを進める,転回点です。それぞれの施策は,その時に於いては悪くないのに,後からみれば間違っていたというようなことをどんどんやって行くのです。ですから,表面的には悪くないように見えます。その例は,軍団兵の待遇改善,故郷への貢献,パルティア王国の過度の弱体化,です。いずれも衰退の要因でしょう。 これで単行本の11冊目が終わりです。
2007年8月24日。金曜日。晴れ。旧暦7・12 かのえ とら 四緑 赤口
雷が来なくなると,いつもの暑い夏空が戻ってきた。でも,日が沈むとさすがに暑さは遠ざかり,打ち水などをすると,さらに涼しい。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部 ローマ帝国・三世紀前半 第一章 皇帝カラカラ(在位211-217) ~p.33
ここではカラカラ帝の行った属州民のローマ市民化が問題となる。すなわち,カラカラが「アントニヌス勅令」で行った属州民のローマ市民への格上げである。従来の制度は一見不合理のように見えるが,階層間の移動が開かれていた。それに対して,全国民がローマ市民となると,新たに生じる社会階層が固定化されたものとなる。ということで,思慮の足りない皇帝の改革が,衰退への一つの要因となる。
2007年8月25日。土曜日。晴れ。旧暦7・13 かのと う 三碧 先勝
夕方になっても少し暑いせいか,鈴虫もやや元気がありません。庭ではコオロギが百合の花の下で鳴いております。日中,蝉の声はまだ聞かれますが,少し数は減ったようです。街を走っていると合歓の木の赤い花がきれいです。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部 ローマ帝国・三世紀前半 第一章 皇帝カラカラ(在位211-217) p.33~p.57
カラカラ帝の後半です。国境防衛線を視察してまわるところまではいいのですが,いよいよ舞台は東方。そこでまたまた改革を行います。すなわち「機動部隊」の常設です。常設です。創設ではありません。既にあった機動部隊は,編成と帰属の繰り返しでバランスをとっていたわけですが,常設となると,残った守備隊が高齢化してきます。しかし,この影響が出るのはもっと後のことです。パルティア戦では善戦したのははじめのうちだけです。すぐに雲行きは怪しくなります。そして,パルティアの王女と結婚をしたいと持ちかけ断られ,元老院の支持を失います。また,ふとしたことからエジプトでの虐殺と,政治的な面よりも人間的な短所が露呈します。膠着状態のまま越冬し,戦闘が再開される前に,やはりいざこざが原因の反抗分子に殺されます。首謀者となったのが次期皇帝のマクリヌスです。このときは近衛軍団の長官の一人ですが。2007年8月26日。日曜日。晴れ。旧暦7・14 みずのえ たつ 二黒 友引
今日は蒜山高原へ行ってきました。米子道が完全四車線化はなされいないのですが,初期の長いトンネルの対向車線が解消され,ずっと走りやすくなっています。それに高速出口から蒜山高原に行く新しい道もできており,大変よくなっております。そのせいか,以前よりも賑やかで,結構なことだと思いました。中には営業をやめているお店跡などもあるのですが。これから秋の紅葉,そしてスキーと益々繁盛することだと思います。昨日から行ってのんびりとすればよかったのですが,昨日はこちらで用事がありましたので・・・。大山道路を通って桝水高原,大山時まで行き,引き返して溝口へ出て,国道181,180号線を経て,新見,高梁を通って帰ってきました。いずれの地も人口は少ないところですが,自然が豊でうらやましい限りです。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部 ローマ帝国・三世紀前半 第一章 皇帝マクリヌス p.58~p74
皇帝マクリヌスはパルティア戦の最中である。ローマの元老院とは書簡でやりとりするしかないが,一応皇帝としての承認は得ている。しかし,ローマに戻ることが気にかかっていたのか春になってもマクリヌスは戦おうともしなかった。内実は冬の間の極秘講和であった。そして,不名誉なメソポタミア全土からの撤退が結論であった。ここで収まらないのがこれまで防衛線を死守してきた軍団兵である。その不満軍団兵を利用したのが,複雑にはなるが,カラカラ帝の母の妹のユリア・メサである。カラカラ帝亡き後は,皇帝一族ではないのだから,地位を逆転しなければいけない。そこでユリア・メサは孫のヘラガバルスのほんとうの父はカラカラ帝だと言って不満分子にもちかけた。これで不満分子たちのマクリヌス殺害の理由ができたのだ。ということで,マクリヌスはローマに足を踏み入れることなく1年で終わってしまう。
2007年8月27日。月曜日。晴れ。にわか雨。旧暦7・15 みずのと み 一白 先負 旧盆
澄みわたった空に満月が浮かんでいます。朝は少し涼しくなったのに,昼も夜もまだまだ暑いようです。雷が接近して少し降ったものの,また晴れて暑い日差しに戻りました。
最近は青空文庫が充実してきたので,よく利用します。XTML文書で左から右へ読んでいきます。持っている本も取りにいく手間を省いて利用したりします。與謝野晶子訳の「澪標」を読んでみました。思ったより長かったのですが,印のつけようがないので,最後まで読みました。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部 ローマ帝国・三世紀前半 第二章 皇帝ヘラガバルス(在位218-222年)
東方シリア出身の皇帝ヘラガバルスはまだ一四才で,太陽信仰の神官で,そうなるように育てられた男で,とうていローマ帝国の皇帝が勤まるような男ではなかった。要するに,ユリア・メサの傀儡に過ぎない。その傀儡のオリエント風奇行はローマ市民に受け入れられない。ユリア・メサは別の孫,皇帝には従弟に当たるアレクサンデルを後継者に指名させた。そして,まもなくヘラガバルスは殺される。こういうのを見ていると,ローマ帝国が坂を転げ落ちるように滅亡へ向かって突進しているように思われる。しかし,まだまだローマ帝国は続くのだから,よほどよくできていたのであろう。
2007年8月28日。火曜日。晴れ。にわか雨。旧暦7・16 きのえ うま 九紫 仏滅
夕立で少し涼しくなって,ツクツクホウシがたくさん鳴いておりました。
皆既月食見事でした。はじめ雲が多かったのですが。だんだんと明るくなるころから,雲の外になって・・・。一六日だから,ほぼ満月でちょうどよかったですねえ。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部
ローマ帝国・三世紀前半 第二章 皇帝アレクサンデル・セヴェルス(在位222-235年)
アレクサンデルは側近に法学者ウルピアヌスをつけて善政を行う。いくら有能な側近でも,皇帝が暗愚だったらうまくいかないだろうから,アレクサンデルはやはりほどほどの人物であったのではないかと思われる。傀儡のようなものであるにしても,評判はよかった。しかし,黒幕の祖母ユリア・メサの死とともに,にわかに情勢は悪化する。ユリア・メサの死の二年後にウルピアヌスが殺される。その後は一人でやっていくしかなかったアレクサンデルであるが,待っていたのは東方のパルティア王国に代わったササン朝ペルシアとの対決であった。こちらは一応勝っている。しかし,中途半端だということだ。その次がゲルマニア戦役。ここでやはりブレインのいないことが影響する。戦う前に講和の交渉についていることに怒った兵士に殺される。
2007年8月29日。水曜日。晴れ。にわか雨。旧暦7・17 きのと ひつじ 八白 大安
今日もまた夕立があり,夜になると涼しくなりました。でも,秋というにはまだ遠いようです。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部
ローマ帝国・三世紀前半 第三章(紀元235年-260年) 皇帝マクシミヌス・トラクス(在位235-238年) p.131~p.154
トラキアというのはアテネの北方,マケドニアと黒海の間にある地域である。そこの出身でトラクスと呼ばれる。古来馬の産地である。これより50年間が軍人皇帝の時代である。自ら皇帝に成ろうと思ったのでもなく,そのような環境にもいなかった。ただ,やたらと強くて,新軍団兵の訓練の教官のような仕事をしていて絶大の人気から軍団兵に押されて皇帝になったのである。そのために実績を作るためにライン河防衛線とゲルマニア戦線で戦果をあげる。もう少しでドナウ河防衛線も再構築できたであろうという段になって,変なことが起こる。元老院がマクシミヌスを国家の敵と議決して,新しくゴルディアヌス父子を皇帝とするのだ。マクシミヌスにしてみれば,元老院に裏切られたということだ。元老院が自ら内乱を招いたということである。
2007年8月30日。木曜日。晴れ時々雨。旧暦7・18 ひのえ さる 七赤 赤口
朝夕が涼しくなった。日中も雨のせいでやや気温が低い。午後は暑かったが。雲っていて,六時過ぎには夕暮れがせまり,急に秋がきた感じがする。今も,窓の外では,コオロギが元気よく鳴いている。
今日届いた「波」九月号に蝉の話があった。「またクマゼミのこと」(日高敏隆)。ファーブル昆虫記にも,蝉の話はあるが,これも楽しい。不思議なことだらけ。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部 ローマ帝国・三世紀前半 第三章(紀元235年-260年)p.155-171
この部分の話はやや複雑である。元老院がマクシミヌスを国家の敵と議決したのは,北アフリカで推挙された,ゴルディアヌス父子を皇帝とするためだった。しかし,元老院の独走に怒ったカルタゴ周辺の軍団兵によって,ゴルディアヌス父子は殺される。一ヶ月にもならない皇帝であった。困ったのは元老院だ,今更マクシミヌスを復帰させるわけにはいかないので,後継者として,パピエヌスとバルビヌスを皇帝とする。この二人の仲がマクシミヌスが殺されるとにわかに陰悪になり,混乱に陥る。これに怒ったのがかつてのマクシミヌスの部下である。彼らによって,新皇帝二人も殺された。この次に元老院が選んだのんがゴルディアヌス子の子,すなわちゴルディアヌス3世である。ゴルディアヌス3世はまだ13才であったが,ティメジテウスという有能な行政マンに支えられて,6年も続く。しかし,対ペルシア戦に出兵中ティメジテウスが死ぬ。その後のローマ軍団を統率できなくなったゴルディアヌス3世を見限った近衛軍団長官のフィリップスらに殺される。これが,次期皇帝フィリップス・アラブスである。
2007年8月31日。金曜日。曇り時々雨。旧暦7・19 ひのと とり 六白 先勝
今日も朝から降ったり止んだりで,雨の降る日が続いている。おかげで気温は下がり,秋が近づく。
「ローマ人の物語XⅡ 迷走する帝国TERTLL . SAECULI CRISIS」(新潮社)第一部 ローマ帝国・三世紀前半 第三章(紀元235年-260年) 皇帝フィリップス・アラブス(在位244年-249年) p.172-p.183
皇帝フィリップスはマクシミヌスの逆をいく。すぐにササン朝ペルシアと講和して首都ローマに向かう。この講和でササン朝ペルシアの第二代王シャプール一世はアルメニア王国をペルシャの傘下に入れている。ローマでのフィリップスは元老院に対抗せずに政治を行う。そしてローマ建国一千年祭も行う。そこまではよかった。しかし,その年ゲルマニア防衛線では蛮族の侵入が激しくなる。しかしフィリップスは出ていかない。首都長官のデキウスを派遣するだけである。
デキウスの指揮で防衛線が安定すると,軍団兵の不満は皇帝フィリップスへ向かう。今度はデキウスが皇帝として推挙される。元老院や自下の兵の信頼を無くしたフィリップスは自死して,デキウスが次期皇帝となる。
以上で八月は終わる。夏も終わる。