2008年4月6日。日曜日。晴れ。旧暦3.1 ひのえ ね 七赤 先負
しばらく休憩している間に,季節はめぐって春爛漫。桜はまさに満開となっている。
思うところあって,しばらく休んだが,再開します。しかし,四月は飛び飛びになる予定です。
「夏本紀 第二」(新釈漢文大系)
禹王から桀王まで夏王朝17代の歴史である。最後の桀王は殷の始祖となる湯王に伐たれる。
2008年4月12日。土曜日。晴れ。旧暦3.7 みずのえ うま 四緑 先負 さんりんぼう
桜が盛りを過ぎてもまだ散らずに残り,緑の葉が少しずつ出て葉桜になろうとしている。それにしても葉桜の頃になると,気温も上がり,思わず初夏かと思ったりする。野山に,山躑躅が紫からピンクの色を鮮やかにつけていて楽しい。
「殷本紀第三」(新釈漢文大系)
だんだんと歴史が下ってくると記述が具体的になって,やや興味深くなるのは,古事記などと同じである。帝紂というのは,淫乱残虐で,結局,殷は滅んでしまうのだが,多数の家臣の諫言にも耳を貸さないところなどは,それなりの権力があったからであろうか。有名な,以酒為池,縣肉為林,使男女裸,相遂其間というのが出てくる。すなわち酒池肉林のことである。
2008年4月13日。日曜日。曇り時々雨。旧暦3.8 みずのと ひつじ 五黄 仏滅
雲っていたら,午後になって小雨。寒くはない。木々の緑が雨に洗われますます輝いて見えるのは,この頃の楽しみで,この雨もまた一段と春の新緑を加速することだろう。
DVDの返却日が近づいたので,「グレイストーク 類人猿の王者 ターザンの伝説」(1983イギリス)を見た。エドガー・ライス・バロウズと言う人の原作小説を忠実に映画化したものだということである。
アフリカ沖で難破しジャングルで死んだイギリスの伯爵夫妻の遺児が猿に育てられて,猿として成人し,イギリスの探検隊に同行したベルギー人によって発見され,祖父のもとに帰るが,文明社会に適応できない。ここまでは,例の狼に育てられた少女のようなエピソードだが,この映画は主人公と猿の愛情が素晴らしい。主人公と動物の生き方に対して人間社会がいかに生命を軽視し,スノビズムに満ちたものか思い知らされる映画である。
2008年4月20日。日曜日。晴れ。旧暦3.15. かのえ とら 三碧 大安 穀雨
暖かくなった。初夏だ。そろそろ夕凪亭も夏モードに配置換えをしようと思うのだが,夜中に目が覚めて炬燵に入るということもあるので,もう少しこのままでいこう。しかし,さすがに灯油の消費量が減っているので,気温がかなり上がったことは確かである。
昨夜は,昔の仲間と歓談するために岡山に行ってきた。人にも建物にも活気があった。帰りの山陽線下りのホームではさすがに端に寄るのは控え,油断しないようにした。
液晶ディスプレイを19インチに変えてみた。横が長すぎる。すぐに慣れるのだろうが横だけの倍率を変えるわけにいかないのだろうか。
2008年4月21日。月曜日。晴れ。旧暦3.16. かのと う 四緑 赤口
大変よい時候になりました。特に夕暮れから日没後はすがすがしい。おりしも,満月でおぼろ月が東から南の空へ登ってくる。暖房がいらない。
由良三郎「ミステリーを科学したら」(文春文庫)は,なかなか得難い書物である。ユニークな発想の源泉や如何? と思っていたら,最後に至って作者の性格の一端が披露されていて思わず苦笑。そのへんに読者を飽きさせない,作者の冴えの源泉がありそうである。
2008年4月22日。火曜日。晴れ。旧暦3.17. みずのえ たつ 五黄 先勝
少しずつ気温が上がっていっているのでしょうか。夕食後,近くの公園を散歩してきました。たそがれ時の公園は人もまばらで,春の長日が静かに暮れていきました。昨夏痛めた脛は冬の間,電気炬燵で暖めたせいか,最近かなりよくなったようなので,日曜日に続いて,歩き始めたわけです。でも,無理は禁物,少しだけ歩きました。二周です。
風呂上がりが暑いので,扇風機を出しました。ストーヴも,電気炬燵もまだしまっておりませんが。
土居健郎「聖書と「甘え」」(PHP新書)というのは,聖書について,こういう読み方もあったのかと,いろいろと示唆に富む書物です。と同時に,聖書は,軽々しくわかったなどと言えないということを思い知らされました。
2008年4月23日。水曜日。晴れ後雨。旧暦3.18. みずのと み 六白 友引
午後になって雨が降り出した。天気予報通りである。天気予報がよく当たるということは季節の変わり目を過ぎて,天候が安定したということであろうか。春たけなわというべきや。雨の日暮れも,すがすがしい。
内山龍雄「物理学はどこまで進んだか」(岩波現代選書NS)が終わった。難しいところもあるが,実によく書かれた本で,著者の深い学識に基づく意見が随所に鏤められていて,楽しい。ユニークな「まえがき」に嘘はない。
2008年4月24日。木曜日。雨後晴れ。旧暦3.19. きのえ うま 七赤 先負 さんりんぼう
朝まだ雨は降っていたが,すぐに止んで,昼過ぎにはいつもの春の日になった。やや例年より気温が低いようだ。
「周本紀第四」(新釈漢文大系)をやっと終わった。次第に長くなるのは資料が多いからであろう。とはいえ,圧巻はやはり,殷周革命である。すなわち,文王の子,武王が殷の帝紂の暴虐ぶりに愛想を尽かして滅ぼすところである。この周から,帝と言わず王と呼ばれる。そうして始まった周王朝も,魯周公世家に出てきた周公の宜しき摂政を経て次第に安定してくる。しかし,何代も経つうちに諸侯は乱立し,春秋時代,そして戦国時代となり秦が勢力を増していく。この凋落ぶりはまことに寂しい。
2008年4月25日。金曜日。晴れ。旧暦3.20. きのと ひつじ 八白 仏滅
明け方,目が覚めると南の空に下弦の月が出ておりました。春は曙とはいうものの,寒いのでまた寝てしまいました。今日は,晴れていたのに,どういう訳か,一日中寒いようでした。冷夏とは言いますが,冷春という言葉はないようですね。今年は冷春という感じです。
「更級日記」(小学館・日本古典文学全集)を読みました。以前,井上靖さんの現代語訳(河出・日本文学全集3)で読んだことがありますが,やはり冒頭のパセティックな書き出しに,溢れるばかりの才能を感じます。回想記ふうに書いているので,日記というほどのものではないでしょうが,さて,どこまで作者は潤色しようとしたのでしょうか。
2008年4月26日。土曜日。晴れ。旧暦3.21. ひのえ さる 九紫 大安
世の中は既に大型連休に入っている人も多いことと思うが,こちらはただの週末である。しかし,それでも,うきうきした気分になるのは,春爛漫を毎年謳歌してきたという記憶の堆積がなせる技か。今日も少し気温が低かったようだ。
朝永振一郎著,江沢洋編「量子力学と私」(岩波文庫)を終わった。既に別の本で読んだ部分もあったが実に楽しい内容であった。今回特に面白く感じたのは,「光子の裁判」である。これは,シュレージンガーの猫の話と並んで,量子論たとえ話の傑作として,外国にも紹介されてしかるべきものであろう。結論の「ψ=ψA+ψBなる状態においては,AにいるのでもなくBにいるのでもないが,A,Bの二つの場所に何らか関連のある一種特別の居り方をしているのである」(p.329)は化学でいう共鳴の考え方と同じである。もちろん,共鳴の概念が量子力学のこういう考え方から導かれたのだが。おっと,それから,丁寧なしかも含蓄のある解説も見事だと言うことも記しておかなければ。
2008年4月27日。日曜日。晴れ。旧暦3.22. ひのと とり 一白 赤口
今日は京阪錦鯉センターから鯉の稚魚が届いた。水温が例年より低いようで,なかなか動きが鈍い。かといって水環境をおろそかにできない。洗濯機に風呂の水を汲み上げるのが主目的に作られている12ボルトの小さなポンプを使うことが多いのだが,すぐにゴミがつまるのが難点である。濾過用の綿で覆うのが意外と難しい。できるだけ厚くとって六面から流れ込むようにすると長持ちする。
2008年4月28日。月曜日。晴れ。旧暦3.23. つちのえ いぬ 二黒 先勝
今年はブラジル移民百周年の年であるが,その第一回家族移民を乗せた笠戸丸が,神戸港を出港したのは,1908年4月28日のことである。すなわち,百年前の今日である。苦難に満ちたブラジルでの出稼ぎ生活がやがて始まるわけであるが,その船出も惨憺たる有様であったことが,「船にみる日本人移民史」(山田迪生,中公新書)に載っている。なお,なかにし礼さんの「石狩挽歌」に出てくる,沖を通るは笠戸丸,というのは,笠戸丸晩年の漁業工船のよし。なお,「石狩挽歌」作詞の背景については,なかにし礼さんの「兄弟」に詳しい。
2008年4月29日。火曜日。晴れ。旧暦3.24. つちのと い 三碧 友引 昭和の日
平成時代よりも長く生きていた昭和の時代には天皇誕生日としてゴールデンウィークの幕開けを楽しんできたものです。その日が「みどりの日」と呼ばれ,いつのまにか,「昭和の日」と呼ばれるようになったようです。呼び名はともかく,躑躅やモッコウバラをはじめとして野に山に庭に若葉と花が溢れる輝かしい季節の到来です。年をとっても毎年わくわくしながら迎えております。
朝早くから鯉の稚魚の世話をしていました。ヒーターで加温しているのを忘れて,水が濁っていたので別の水を送ったのが間違い。すぐに元気がなくなり,何尾かは,ふらふらと迷走状態。天気がいいのでさぞ空腹であろうと想像して三回に分けて餌をやりました。また,何尾かが不調に陥りました。ということで,今日も何尾も昇天させてしまったあ。合掌。錦鯉の稚魚はデリケートで,難しい。昔,シェルティを飼っていたときのことを思い出しました。雑種が扱いやすくて好きです。鯉の方も,ビオトープ的に飼育したいのですが・・・。
カラマーゾフの兄弟の,有名な亀山訳を読んでいたのは,去年の11月です。久しぶりに開きました。「第1部 第3編 女好きな男ども」の「1 下男小屋で」を読みました。カラマーゾフ家の召使い夫婦の紹介かと思いきや(昔読んだ米川訳の細部は,とっくに忘れておりますから),スメルジャコフの登場です。といっても,誕生です。召使い夫婦の指が6本あった息子が,生後二週間で亡くなり,葬ったその日の夜のことです。
森鴎外「羽鳥千尋」(講談社・少年少女文学館1)は,秀才で努力家の男・羽鳥千尋が結核で夢を実現できなかったという話で,ほとんどが羽鳥千尋から鴎外へ,依願の手紙です。鴎外を彷彿させるような多才で秀才で努力家であることがよく出ています。多少は鴎外の潤色があろうかと思います。あるいは何人かの話をまとめた創作かもしれませんが。
2008年4月30日。水曜日。晴れ。旧暦3.25. かのえ ね 四緑 先負
今日は気温が高くなり,上着がいらないほどであった。明日から上着なしで行こう。
鯉の調子が悪い。どんどんと死んでいく。水温か,水質か,温度差か,わからない。大変デリケートだ。実は今回のは「錦鯉の稚魚」なのだ。昨年,近所のペットショップで買ったのは,「鯉の稚魚」だった。こちらは,温度差も,水質も餌も,まったく注意せず,メダカと金魚と一緒に育てた。元気よく,龍水路を滝登りして,知らぬまに上の池に移ったりしていた。そして一尾も死ななかった。残念なことに大半は鷺に食われたが。それに対して,今回の錦鯉の難しさ・・・。注文を間違えたようだ。雑種の鯉で,ビオトープ風に飼育するのが目的なのだから。それにしても難しい。結論,人間の子どもを育てるのよりも難しい。
田中澄江さんの現代語訳で「枕草子」(河出・日本文学全集3)を終わった。清少納言は嫌いだが,その才能は端倪せざるを得ない。ということで,小人の好悪の感情など,びくともしないで,この作品は未来永劫として,人類の生存が続き限り,残るであろう。