2008年9月1日。月曜日。晴れ。旧暦8.2. きのえ たつ 八白 先負
9月になりました。やっと。年をとると時間の経過が速いと感じるものですが,不思議なことに,今年の8月は長いと思いました。長かった。やっと,待ちに待った9月になった,という雰囲気です。でも,残暑は厳しいようです。今日も最高気温が31℃でした。この一週間くらいは,最高気温は30℃前後で推移するでしょう。強い残暑ということでしょうが,35℃の日々に慣れた身体には,31℃というのは,そんなに高い温度ではありませんね。
「奇策Une rouse」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)では,お医者さんが,ご婦人方があいびきを楽しんでいて露見しそうになったのを助けた奇策を披露する。
2008年9月2日。火曜日。晴れ。旧暦8.3. きのと み 七赤 仏滅
今朝の新聞に,福田総理辞任の見出しをみて驚きました。そんなに早く辞めないといけないの? という感想です。政治の世界のことはわからないですね。我が国だけのことではありませんが,未来のない道を走っている自動車のようなものですね。この道は一本道です。途中で別ルートはありません。そして,その先は河に出ます。しかし橋はありません。崖から真っ逆様に落ちるしかありません。そんな道路を走っているのですから,誰がトップになっても同じですね。止まることもできず,他のルートもなく。それでは,どうするのか,と問われれば,道路を壊してしまうしかないですね。
F・サガン,朝吹登水子訳「ブラームスはお好きAimez-vous Brahms...」(新潮文庫)は,サガンの第四作目の作品です。作品ごとに主人公の年齢が上がり,作品もうまくなっていくのですから,やはりサガン女史の才能は素晴らしいと思います。今回は39歳のポールというキャリアウーマンが主人公です。離婚歴があり,年上の愛人があるのですが,シモンという,金持ちの息子で25歳の美青年に惚れられてしまうという話です。とくに,ポールがよく描けています。これは,20世紀を代表する傑作です。
2008年9月3日。水曜日。晴れ。旧暦8.4. ひのえ うま 六白 大安
日中は残暑が続いているのに,夜になるとさすがに冷たい風が吹いております。昨日までは,ここ数日の高湿度を避けて,夜はエアコンを入れていたのですが,今夕は,南北の窓を開けて,自然の風を入れております。夕凪亭は,標高100メートル以上のところにあり,今日のような日には,よく空気は流れて快適です。しかし,夏の間に大量に飲んだ麦茶を急に少なくすると,膨れた胃を満たす必用か,空腹感に襲われます。
「秦楚之際月表第四」(新釈漢文大系)
十二表のうちの第四表は,タイトルも厳めしい。開けてびっくり,というわけではないが,月ごとの表だから驚く。驚かなくても,タイトルに際月表とあるではないか,と言われれば,まさにその通りなのである。前209年の秦二世皇帝の元年から前202年漢高祖5年までである。秦の末期,楚の陳勝・呉広の乱から始まって,漢帝国の出現までの八年間のことであるが,人物史と違い,面白いものではない。しかし,その詳細な記録には頭が下がる。
2008年9月4日。木曜日。晴れ。旧暦8.5. ひのと ひつじ 五黄 赤口
今日は久しぶりに月を見た。まだ三日月といっていいほどの月だ。月を見ながら,人類の歴史と月の歴史を比べてみた。どう考えても,人類の誕生以前から月はあったと結論せざるを得ない。月のない地球は,現在のように公転,自転をしていないだろうから,気候も安定していなかったであろう。そのようなところに生命が誕生したとは思えない。地球上での生命の誕生は,現在の太陽系がこのような形で安定してから以降のことだと思われる。だから,月の歴史のほうが,人類の歴史よりはるかに古いのだ。
ならば,この先は? もし,地球がこのままで存在し,月が無くなったら,地球への影響は甚大なものとなろう。多分,人類の生存の危機を招くほどの影響がでるのではないか。そうとすると,人類のほうが月よりさらに存在するとは考えられない。むしろ,月が無くなる前に人類が滅亡するほうが早いかもしれない。
「目ざめReveil」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)は,貞淑な妻が,胸に障るといけないからと,霧深い谷の婚家からパリの実家に帰ったときの話である。したがって,乙女の春の目ざめの話ではない。とはいえ,多くの男達に,とくに二人の男に,ちやほやされ,浮気心に目ざめる話であるから,似たようなものか。
2008年9月5日。金曜日。晴れ。旧暦8.6. つちのえ さる 四緑 先勝
今日はまた特別残暑が厳しかった。夜になっても暑く,エアコンを入れている。
人類は滅びる前に進化するかも知れない。かつては,ホモサピエンスとネアンデルタール人が同時期存在したそうであるが,そのように,ホモサピエンスと,後世になって別の学名のつく新種が共存してもおかしくはない。そして,ホモサピエンスが滅び,新種はさらに生き延びる,というシナリオがあってもおかしくはない。あるいは,既にホモサピエンスから別種の人間が生まれていて,それにわれわれが気が付いていないだけかもしれない。不妊と一言で言うけれど,種が違うのかも知れない。あるいは,進化は常に起こっており,われわれがそう認識しないだけかも知れない。
田中菊雄「英語研究者のために」(講談社学術文庫) 閑話子は,英語の教員でもなければ,まして英語研究者でもない。ただ,田中菊雄という人物に興味をもって,アマゾンの古書で三冊著作を買った。その一冊である。読んだものとしては二冊目である。タイトルの通りで,英語の教授や研究を仕事にするひとにとっては,心温まる名著であろうと思われるが,「英語被教育者のために」と書いても,半分くらいは通用するのではなかろうか。そしてなによりも,随所で引用・利用される夥しい古典的著作の紹介が楽しい。それにしても,講談社学術文庫の選択には,いまさらながら感心する。学術文庫の名に恥じぬ内容でありながら,なおかつ読みやすい。解説によると,今回収録されなかった書物リストもあったそうであるが,WEB上に,陸続と古典がテキストとして流通しつつある昨今の状況からみて,絶版書籍でも大いに紹介する価値はあるのではなかろうか。
2008年9月6日。土曜日。晴れ後雨。旧暦8.7. つちのと とり 三碧 友引
今,21:15ですが,ゲリラ豪雨が降っております。ほんとうにおかしな天気です。二時頃までは大変暑かった。残暑です。しかし,その後,陽は弱まり,やはり秋だな,と少しだけですが思いました。夜になって,何と,ぱらぱら雨が降るではありませんか。お月様が出ているのに・・・と思いながら,戸を閉めて廻りました。そして,降ったりやんだりしていました。さらに,時々何事かと思うほどの音を立てて雨が降ります。怖いようです。雷注意報だけが出ています。しかし,雷の気配はありません。こんなに降っても,少し離れたところは降ってないと思います。もう少し広い範囲で降って,水の憂いを払拭してほしいものです。
「漢興以来諸侯王年表第五」(新釈漢文大系)
表題の通り,高祖が天下を平定して以来の王に封じられた者の年表です。前206年から,前101年までの26侯王の歴史ということです。内容は実に単調です。延々と,来たり朝す,というような文字が続きます。しかし,何度も読んでいると,するめを口の中で噛んでいるときのように,少しずつ味が出てくるから,不思議です。二千年以上も前のことでありながら,確かに人間が生きて活動していたのだと,改めて思いました。そして,本当は,それぞれの国柄が違い,距離が違い,豊かさが違い,そして思惑が違うはずです。それなのに,同じように,来たり朝す,なのです。これでは何も書かないのと同じようなものだとも思たこともあります。でも,違うのですね。書かないのと書くのでは。司馬遷はどんな思いで,書きつづったのでしょうか? 単純な繰り返しのようなところにこそ,色々と思ったり考えたりしながら書いたのではないでしょうか。前にも書いたように,書くという行為自体が,現在のわれわれから想像できないほどの作業だったのですから。そしてまた,これらを伝えてきた人々,歴史。はるか,悠久の世界ですね。私など一個人は,あっという間に無機物に還ってしまうのですが,これから,また長い長い時間の海を航海していくわけですからね。そうは言っても,永久に存在するとは,誰も保証できないのですからね。
これにて,十表の二分冊の前巻が終わりますので,書誌的事項を記しておきましょう。門田日出男著,史記 三上(十表一),新釈漢文大系40 明治書院 平成17年7月30日初版発行,となっております。
2008年9月7日。日曜日。晴れ一時雷雨。旧暦8.8. かのえ いぬ 二黒 先負 白露
今日も残暑の中,にわかに空がかき曇り,雷鳴に混ざって雨が降りました。そのせいか,夜にはくっきりと星が見えております。多少雲はあるようですが。ちょうど,今日は上弦の月が見えます。それに木星が南西に居座っていますが,随分下になったようです。天頂で明るいのが,白鳥座のデネブでしょうか。
「木靴Les sabots」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)は,お金持ちの男鰥のところの女中になり,やがて婚約するという話です。「木靴をごっちゃにする」という慣用句は,手元の辞書には載ってありませんが,そういう表現が,ある地方にはあったのかも知れません。あるいは単に,モーパッサンが比喩として使っただけでしょうか。
2008年9月8日。月曜日。晴れ。旧暦8.9. かのと 一白 仏滅
秋風の吹く日でございました。
「牧歌Idylle」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)
長閑な風景である。暑い列車の中で,マルセイユに乳母として出稼ぎに行く農婦と,やはりマルセイユに職を探しに行く若者。乳母になるというだけあって,乳が張って苦しくて死にそうだという。男が飲んでやって女はやっと助かったといって感謝する。男も感謝する,二日飲まず食わずだったんですと。母乳を消化する酵素は大人にはないと聞いたことがありますが・・・。
このモーパッサンの列車も,パラグアイやボリビアへ日本人移住者を運んだ列車も,我々の感覚からは遠く隔たっている。いつの間にか,列車というものが時間に正確で,ということは時刻表どおりで,そして限りなく速いものであることが期待され,そしてそうでなければならないものとなっている。日本国内のどこを旅行しても,災害等を除けば,列車だけは,予定どおり走り着くということが,前提となり大きな安心感になっているのは確かだ。こういうのは,世界の鉄道のうちのどれくらいの割合なのだろうか。
2008年9月9日。火曜日。晴れ。旧暦8.10. みずのえ ね 九紫 大安
今日も秋晴れの良いお天気でした。夜になると,水蒸気が少なく,月も星もくっきりと見えております。月の近くにあるのが,木星です。天頂にあるのが,白鳥座のデネブとしたら,その中間あたりにあるのが,わし座のアルタイルでしょう。デネブから西に寄ったところにあるのが,こと座のベガでしょうか。
来年の夏あたり,海水魚の飼育にチャレンジしようかと,夏を見送りながら考えていましたので,広島大学の総合博物館に行ったついでに,海水槽はどうやって管理しているのか尋ねてみました。竹原から海水を汲んでくるということと,水槽の下にプロテインスキマーというのをつけているということでした。以前,海水にエアポンプをつけてヤドカリなどを入れたとき,翌日には濁って,間もなく死んだということがありました。プロテインスキマーについてネットで調べてみてよくわかりました。泡と一緒に有機物などが上がっていくのだそうです。これを別に取り分けるのがプロテインスキマーということで,海水の場合には効果があるようです。
「旅路En voyage」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)
これも鉄道ものです。ロシアの伯爵夫人の恋です。ロシアから国境を越えるとき,助けた男が影のように見守る。しかし,夫人は愛されていることに幸福感を感じながらも,以来,一度も口をきかず死んでいくという悲恋です。この二人の関係については,作者は最後になっても明らかにしませんが,何かあるように,ほのめかして終わります。
2008年9月11日。木曜日。晴れ。旧暦8.12. きのえ とら 七赤 先勝 さんりんぼう
昨日今日と暑い日が続いております。戻り残暑とでも呼んでおきましょうか。夜の8時になってもエアコンを入れております。暑さ寒さも彼岸まで,と昔から言いますから,もう少しの我慢です。
一に健康(体力),二に人物,三,四がなくて,五に学力などと言っていたら,浴槽の底のほうの水を汲もうとして腰を曲げとき腰椎のあたりを電流が流れた。しまったと思ったが後の祭り。腰がまがらない。こういうのをぎっくり腰というんだろうか,と一瞬思ったが,そこまで重症ではない。ゆっくりと動かせば身体が廻る。・・・・・ということで,時間とともに快復に向かっておりますが,やはり,年をとったなあという実感。こういうとき両肘掛け付き椅子というのは,手すり代わりになって重宝ですね。
「アマブルじいさんLe pere Amable」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)は,悲しい話です。まずしいアマブルじいさんには,農夫の息子がいます。この息子は同じ村のセレストという働き者の娘と結婚をしようと思います。しかし,アマブルじいさんが反対するのです。それはその娘が,かつて,自分の家の作男と関係をもち子供とともに追い出されていたからです。とうとう結婚しますが,じいさんは気に入りません。しかし,嫁の作る食事のときだけは顔をあわせます。しばらくして,息子が死んでしまいます。女手ひとつでは畑仕事はできません。そこで嫁は,子供の父親でもある以前の作男を家に入れます。アマブルじいさんは気にいりません。しかし,嫁の作る食事を食べなければ死んでしまいます。結局アマブルじいさんの選んだ道は・・・・・・。息子も,嫁も,作男も,悪いところがあるわけではありません。嫁のほうは,自分の置かれた境遇の中でよく尽くしているわけです。アマブルじいさんも,これといって悪い人でもないし。みんないい人たちばかりでも悲劇が起こるのです。そういうい作品ですから,やはり傑作作品のひとつでしょう。
2008年9月13日。土曜日。晴れ。一時小雨。旧暦8.14. ひのえ たつ 五黄 先負
一時小雨といっても,ほとんど降ったうちに入りません。夕方,近くを雷が通過したようですが,雨は降りませんでした。今日は一日中机に向かっておりました。時々エアコンを入れながら,です。深夜になって何か読んでおこうかと思って少し読んだだけです。
「クロシェートClochette」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)。途中で,最近も読んだものだと,気づいたのですが,とうとう終わりまで(といっても短いものですから)読んでしまいました。いい作品です。愛するお針ばあさんの死と,その若き日の恋です。死後,お医者さんが,不自由な足の秘密を語るという構成です。うまいですね。これも傑作。
2008年9月14日。日曜日。晴れ。旧暦8.15. ひのと み 四緑 仏滅 十五夜
日中は暑い日が続きますが,もう十五夜(仲秋の名月)ですから,今年は早いですね。
「高祖功臣侯者年表第六 史記巻十八」(新釈漢文大系)
新釈漢文大系では,いよいよ最後の一冊になります。十表は二冊に分かれており,第二分冊は今年の六月に出たばかりです。この本の出版に合わせて読んできたというのではなく,ただ気の赴くままに読んできて,最後に十表になって,ちくま文庫の「表は省略」で済まそうかと思っていたら,新釈漢文大系の中にもあり,その後半が出版されて,近くの図書館に配架されていたということです。一年近くなる,史記への旅も,この一冊が終われば,これで終わりです。次はシェイクスピアだ,と決めておりますので,今月中には,史記を終わりたいものです。
さて第六の表はタイトルの通り,高祖すなわち劉邦が漢王国を樹立したときの,論功行賞者です。日本でも戦国時代に必ずあったあれですね。戦功に応じて,○○の国,△万石といういわばゴホウビですが,生活がかかっているのですから,サラリー,すなわち能力給の年俸と考えたほうがいいですね。と同時に,家来となり,周囲に配置して防御の楯となる宿命です。だんだんと中央から離れるにつれて,位は下がり,敵との接触が増えるフロントとなる訳ですね。近ければいいかというと,常に反乱の恐れを警戒されることになります。支配者としては難しいところで,強くしておれば,刃向かわれる,弱くしておけば外敵に対して守りにならない。これは我が国でも同じで,苦心の結果が徳川幕藩体制でしょう。少しやりすぎの感がありますが,二百年間戦が無かったことは評価していいですね。しかし,文化的な面での発展は,十分ではありませんでした。
さて,本題にもどって,第六表ですが,国名の後,まず「侯功」があって,最後に何百個とか何千個とか書かれています。次いで中央の年代に合わせて,代が代わったときに○○の元年と記されます。多少の事跡が記録されることもありますが,大抵はこれだけで,後は,罪ありて国除かれる,とか滅ぶとかがあります。そして最後の蘭が侯第といって武功の順が書かれております。そして,多くの国が三代か四代で滅びます。これはこれで当然でしょう。竹馬の友だ,同期の桜だということで,県知事や市長にしてもらって,三代も禄をはんでおられたというのなら,有り難いと感謝すべきですから。p.431と432に誤植がありました。(と,思うのですが)
2008年9月16日。火曜日。晴れ。旧暦8.17. つちのと ひつじ 二黒 赤口
昨日は大雨で,夜になると気温も下がり,秋まっただ中,という感じだったのですが,いつものように,今日は暑かった。こういう天気を繰り返しながら,次第に秋になっていくのでしょう。
「恵景閒侯者年表第七 史記巻十九」(新釈漢文大系)は孝恵帝から孝景帝までの間に侯となった者の年表で,前巻と同じ体裁である。興業から守業へと,時代が変わっていくのが侯功の説明にも現れている。後半になるとさらにその傾向は顕著で「匈奴の王を以て降りて侯たり」とか「○○の子を以て侯たり」とか,侯功とは呼べないようなものまであって,為政者の苦労が伺える。
2008年9月19日。金曜日。雨後晴れ。旧暦8.20. みずのえ いぬ 八白 先負
今週は,いろいろと忙しくて,飛び飛びになっております。昨夜は,松竹歌舞伎の公演がありましたので,行ってきました。一つは「芦屋道満大内鑑」から葛の葉です。折口さんの論考にもある葛の葉伝説が,ああいう形で劇化されているとは知りませんでしたが,よくまとまっていて,一幕物として楽しめました。二つ目が幸四郎さんの「勧進帳」です。幸四郎さんというよりも,染五郎という名前のほうが馴染みがあるのですが,その幸四郎さんは,昭和17年生まれですから,六十代の後半ですね。それで,あの熱演ですから,すごい体力です。誰がやっても,ある程度は受けるという,名場面ゆえに返ってその人なりのものを出さないといけないので,逆に役者さんにとっては大変ですね。とはいえ,千回近くも上演した人の余裕も感じられる堂々たる舞台でございました。
さて,久しぶりに接近してきた台風12号は,四国沖を上陸せずに東上し,大きな被害を出すことなく,多少の(場所によっては過大な)お湿りをもたらして,去って行きました。天気予報では最高気温30℃,最低気温20℃で,文字通り朝夕には涼しさが感じられるのですが,午後は晴れて30℃近くなったのには,閉口です。
「建元以来侯者年表第八 史記巻二十」(新釈漢文大系)は孝武帝の時代に侯になったもののうち,一部(諸王の子)が次巻に送られておりますが,それ以外の73国です。ほとんどが対匈奴戦での戦功で,やはり時代を感じますね。それと,大月氏国とか,楼蘭とかでてきて,感動したりするのですが,ここで表意文字の欠点というか,へんなイメージを払拭するのが難しい。国名などカタカナで書いていたほうが,ストレートに入ってきていいと思いますが・・・。
夢野久作「悪魔祈祷書」を青空文庫で読みました。タイトルに偽りはありませんが,やや誇大広告気味。「古本屋話」「雨の古本屋」などの平凡なタイトルでよかったのに,と思います。
2008年9月21日。日曜日。雨後晴れ。旧暦8.22. きのえ ね 六白 大安
午前中激しい雷雨。池が溢れて,鯉やメダカが庭を泳いでおりました。午後は,雨がやんですっかり秋らしくなりました。
13時32分「史記」読了。記念すべき日となりました。
「建元已來王子侯者年表第九 史記巻二十一」(新釈漢文大系)
孝武帝の時代に侯となった者の子供で,それ故に侯になった者たちに記してある。従って,これまであった侯功無く,国名の次に「王子号」というのがあって,「長沙定王の子」というように記されている。後は,これまでと同じように何年に誰の元年か記される。ただ,今回は,何代も続かない。多くが一,二代で,廃せられる。多いのが「酎金に座し,国除かる」である。この酎金(ちゅうきん)については次のように説明されている。 酎酒は三度重ねて醸した酒。八月に酎酒ができると,もっとも純粋なものを宗廟にささげる。この祭祀の際,諸侯が黄金を献ずることを酎金という。酎金については孝文帝が酎金律という法を定め,法に従わない場合,爵位を奪われる等の罰があった。「史記」平準書には「列侯,酎金に坐して侯を失ひし者百余人あり」とある。この律を定めたのは,列侯を取り潰すためであったという。(p.704)。以上。こういことであった。
「漢興以來将名臣年表第十 史記巻二十二」(新釈漢文大系)
司馬遷の筆になるものは失われており,後世の補作で,どこまでが司馬遷のものかわからない,という。しかし,この年表は,主要事項を列記しているので,読んでいて楽しい。特に,匈奴討伐がかなりでてきて,司馬遷の時代も,このような時であったのかと,納得する。
新釈漢文大系の書誌的事項を記せば,次の通りです。寺門日出男著,新釈漢文大系第116巻 史記三下(十表二), 明治書院,平成20年6月10日初版発行。
2008年9月23日。火曜日。晴れ。旧暦8.24 ひのえ とら 四緑 先勝 さんりんぼう 秋分 彼岸の中日.
秋分の日である。庭の隅に赤い彼岸花が,三日ほど前から出てきて蕾をつけていたと思ったら,昨日今日と開いている。実によく,この日を知っているお化けのような花ですね。そっと近づいて・・・,というような感じです。そのせいかどうか知りません後,私の田舎では,彼岸花とか曼珠沙華というような都会的な名で呼ばず,幽霊花などと呼んでいました。黄色いのもあるのですが,まだ出てきませんね。
シェイクスピア著,大山敏子訳「ロミオとジュリエット」(旺文社文庫)
史記を了えたので,次はシェイクスピアです。未読のものだけでなく,再読を含めて全作品を読むことにしたいが,途中で止めるかもしれません。まず,やさしいところで,「ロミオとジュリエット」です。ここにあるのは,昭和41年9月1日発行の旺文社文庫の初版です。昭和42年5月1日と購入日を書いております。定価は150円です。この頃の旺文社文庫は,紙も上質で,函までついておりまして,豪華でございました。今以て変色しておりません。昭和42年頃読んで,その後,福田さんの訳や,映画もいくらか観ているのですが,今回は懐古趣味で旺文社文庫を再び開いてみたわけです。
かつて,清水義範氏の「世界文学全集」という作品の中の「ロミオとジュリエット」の編では,短大生の卒論ということで,大変印象深く書かれていたのを思い出します。ばっかじゃなかろうか・・という調子で始まるのですが,多くの読者も同感されることと思います。主人公二人は,決して少年少女のアイドルにはなりません。尊敬されないでしょう。そのような,愚かとも思える(実際,愚かですね)主人公を設定して突走らせるのですから,シェイクスピアがいかに魔術師的才能の持ち主かわかりますね。やはり,傑作ですね。
旺文社文庫の解説には,坪内士行氏の本質を突いたエッセーが修められております。
2008年9月24日。水曜日。晴れ。旧暦8.25. ひのと う 三碧 友引
やっと秋らしくなりました。彼岸花が毒々しく咲いております。毒をもっているので,墓地に植えると動物が堀にこなかったのでしょう。そういうことで,地獄花とかいろいろ呼ばれたようで,私の故郷で呼んでいた幽霊花というのも,その延長かも知れませんね。薬草にもなるようですが,内服すなわち,飲んだり食べたりしてはいけないそうです。水仙なども同じですね。野草を食べるのが趣味の人はしっかり研究してから実践しましょう。
F・サガン著,朝吹登水子訳「すばらしい雲」(新潮文庫)
これはたいしてすばらしい作品とは思われない。しかし,異常な愛というものを書こうとしたのであれば,それはそれで一つの作品になっているということである。作者にとっては満足のいくものであったのかも知れない。僕個人としては,好きになれなかったというだけである。主人公ジョゼの人物造形は,好悪は別にして,よくできている。その夫アランについては,変な異常な性格が,ちょっと書きにくいものを書いているので感心するのだが,でもやはり物足りない。
2008年9月26日。金曜日。雨後晴れ。旧暦8.27. つちのと み 一白 仏滅
朝二時間ほど雨が降りました。時折激しく。夜になって気温が下がりました。半袖で歩いていると肌寒いようでした。こうして秋になっていくのですね。
漱石「こころ」(青空文庫)。青空文庫の底本は,集英社文庫、1991(平成3)年2月25日第1刷,1995(平成7)年6月14日第10刷 ということ。随分久しぶりです。多分高校のとき以来。前回は乃木大将の殉死の影響で死んだ先生,というのが一番印象に残っていたのですが,今回は,先生が,軍人の未亡人とお嬢さんのところへ下宿するところが最も迫力をもって迫ってきました。同じような日常なのですが,日々の心の変化を重複させずにこれだけ書くのですから,漱石はすごいですね。「こころ」一つだけでも,漱石は大作家です。
2008年9月30日。火曜日。雨。旧暦9.2. みずのと とり 六白 仏滅
すっかり寒くなった。台風15号の影響による雨のせいもある。昨日などは一時的ではあるが,暖房を入れた。服も冬用に変えた。あっという間の夏から晩秋のような天気への転換。これは温帯の天気ではなく,亜熱帯の天気であろう。
山本紀夫「ジャガイモのきた道」(岩波新書)は,アイルランドのジャガイモ飢饉を知るために買った。予想以上に内容のある本だった。まず,ジャガイモが食糧としてすぐれていること。世界中で主食としているところも多いこと。水分が多いので長期保存が利かないのが欠点であること。(加工法はある) アンデスの高原文明は,トウモロコシが主食でなくジャガイモが主食であったと考えられること。などなど。なかでも,感動的なのは,ネパールの高山地帯でも,アンデスでも,自給農業は常に飢饉との隣りあわせで,そのリスク回避への様々な工夫がなされていることであった。こういうレポートを読むと,食料の大半を海外に頼っている日本の状況も反省させられる。食料はスーパーで求めるのが一般的になった現代人は,生産の仕方も,加工の仕方も,貯蔵の仕方も忘れて,脆い都市生活に安住していると気づくであろう。一見,自給自足農業が理想のように思えるが,残念ながら,都市と農村の問題は,アンデスの高原でも起こっているということは,残念なことである。