2008年7月1日。火曜日。晴れ。旧暦5.28 みずのえ とら 七赤 友引 半夏生 さんりんぼう.
今日から七月。全国的に海開き,夏開きの行われる日である。半夏生とは,よく言ったもので,中途半端に夏が来ている。明日から,また崩れるようだが,あまり降らない模様。
「月光Clair de lune」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
恐怖ものではない。短編集Ⅱに入れるべきところをページ数の関係から短編集Ⅲに入れた都会ものということらしい。まさにlunaticな話であるが,これまでたびたび出てきた狂気の話ではなく,月光の下で,恋に恋するlunaticな話である。江戸川乱歩にも,満月の夜の奇妙な話があったが,こちらはそんなに奇妙ではない。ロマンチシズムを掘り下げたもの。
2008年7月2日。水曜日。晴れ。旧暦5.29 みずのと う 六白 先負
朝しばらく雨。午後も一時降るものの,ほとんど降らず。でも梅雨空特有の蒸し暑い日になりました。夜になってエアコンに頑張ってもらっております。
メダカは卵を親から分離してやると,驚くほどたくさん孵化しました。用心しないといけないのは,ヤゴが湧くのを防ぐことです。夕方庭に出ると,蚊が勢いよく襲ってくるので,メダカの世話が怠りがちです。用心しなければ・・・。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 旅支度」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
最後は,連作短編といったところで,これも短編集Ⅱに入るべき,都会ものである由。うだつの上がらない官吏パチソー君の話である。健康のために散歩することにして,靴や衣服を揃えて,旅支度をするところまでである。
2008年7月3日。木曜日。晴れ。旧暦6.1 きのえ たつ 五黄 赤口
朝から,強い日射し。日中の気温もどんどん上がり,七月らしい夏日となりました。夕方,例によって散歩にでかけると,南東のほうはよく晴れて,梅雨が明けたと言ってもおかしくはないような青空が広がっておりました。吹く風もさわやかで・・・。
フランソワーズ・サガン,朝吹登水子訳「ある微笑Un certain sourire」(新潮文庫)は優れた作品です。「悲しみよこんにちわ」に続く,サガンの第二作である。第一作と異なり,それよりも少し年齢が上の女を見事に描ききっている。それにしても,サガンの才能が並々ならぬものであることがよくわかる。
男は常に好色であり,馬鹿な女は,ちょっとちやほやされただけで靡いていき,そして最後は捨てられて苦しむ。そんなありふれた話だと思って読むと身も蓋もない。一人の女の,男をめぐる行為と心模様が周到に描かれる。周到といってもしつこくというのではなく,丁寧に,リアリティをもった存在として描かれる。その感じ方の全てが理解できる訳ではないが,共感をもって読むことが出来る。こういう生き方というのではなく,こういうような感じ方もあり得ると,読者に十分に納得させるだけの力をもった小説である。主人公のような生き方が,小説が発表されたときには新しさと写ったのであろうが,時代を経てみれば,主人公の感じ方こそが鮮やかで,読み応えがある。
この小説を読んで,これくらいなら書けると思った女子大生が我が国にどれくらいいたか知らないが,果たしてそのうちの何人が閨秀作家となって今も活躍されているのだろうか,と50年の歳月を思ったりする。(翻訳者のあとがきには「1956年11月」と記されている。)
2008年7月4日。金曜日。晴れ。旧暦6.2. きのと み 四緑 先勝
すっかり暑くなりました。朝は五時半,夜は七時半に散歩に出掛け,夏モード全開というところです。これがこの季節にしては当たり前のことなのでしょうが,これまでが過ごしやすかっただけに,ちょっと答えます。そしてありがたいのがエアコンですね。夏の間ボーとしていたこどもの頃に比べると,夏にもかかわらず,よく頭を使っております。これは閑話子だけでなく,他の方々も同じだと思います。しかし,それで何が変わったのかと考えると,おぼつかない。閑話子などよりも,遙かに知的活動をたくましくし,人類の進歩に貢献された方は,たくさんおられると思います。それはそれで素晴らしいことだとは思いますが,ずっとずっと先から振り返れば,人類の絶滅への時間を短縮しただけかも知れませんね。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 初の遠出」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
いよいよ,プチソー君の日曜物語がはじまる。準備万端整えたのだから,次は実際に外出しなければならない。大人になって初めて何かをしようとしたら,適応力に富んだ子供と違って,喜劇的なことが起こるのは必定だ。作者のねらいがユーモア小説にあったのかと思わせるほどに,滑稽な行為が繰り返される。果たして,プチソー君は成長していくのであろうか。
2008年7月5日。土曜日。雨後晴れ。旧暦6.3. ひのえ うま 三碧 友引
激しい雨の音で四時前に目覚め,開いている窓を閉める。雷と稲光が激しい。まさか梅雨明け時の雷雨ではなかろう,などと心配しながら,また眠ってしまう。次は五時半に起きた。幸い雨は止んでいたので,早朝散歩に出る。公園は水浸しだろうから,アスファルトの続く,県境の小学校のほうへ歩く。溝に山水が集まり音を立ててながれている。
折り返し点に来た頃に稲光がして,危ういなと思っていると小雨だが降りだした。徐々に雨粒は大きくなる。帰路半ばに達した頃から本格的に降り始めた。公園の木の下や,空家の軒先で雨宿りをしてもよいのだが,空を覆う暗雲の量から判断して30分は動けなくなりそうだと思い,そのまま帰ることにした。少し走り,濡れ鼠というほどではないが,かなり濡れて帰り着いた。散々な目にあった早朝であった。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 友の家にて」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
パチイソー君は,初の遠出のことを役所で語っても誰も相手にしてくれない。ただ,ボワローという無口の老人が相手をしてくれ,意気投合し,次の日曜日は,ボワロー氏を訪ねることになった。
さてここからが凄い。悲惨,惨め,地獄のような生活ぶりがリアルに書き尽くされる。このリアリズムはどこかで見たことがあるなと思いながら読んでいて,思い出した。西鶴の町人もの,あのボウフラ売りの話などに通じるシニックなリアリズムである。パチソー君はこれに懲りて,ボワロー老人とのつきあいをやめるかと思いきや,次の日曜日は,一緒に釣りをするということになった。果たしていかなる展開になるものやら。
2008年7月6日。日曜日。晴れ。旧暦6.4. ひのと ひつじ 二黒 先負
朝から暑い。湿気が多いの,よけいに暑い。原則として仕事は持ち帰らない主義だが,月曜日までにしなければいけないことがあったので,ずっと費やす。
夕方,散歩しようとして太陽を伺っていた。7時近くになってやっと西に傾いたので,歩いた。やや気温が下がり,風が弱く流れていたので,快適であった。相変わらず雲が多いが,まずまずの天候だ。三日月が久しぶりに見られるかと思っていたが,雲の彼方で見られない。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 釣り」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
前日から大げさな準備をするものの,何をしてもうまくいかないのが,パチソー君である。最後は,婦人の帽子を釣り上げ,おまけに竿を離してしまい,弁償するはめに陥る。しかし,今回は,ボワローじいさんでは話の展開が行き詰まると作者が感じたのか,次の知り合いを作ってします。釣り場で知り合った男と意気投合し,夕食を一緒にした。これといって取り柄はありそうにないが,変わった男であるので,またまた次回の展開が楽しみである。
2008年7月7日。月曜日。晴れ。旧暦6.5. つちのえ さる 一白 仏滅 七夕 小署
小暑どころか,大署である。まさに,Il fait chaud.である。七時半頃散歩していると,雲が消えて三日月が出てきた。久しぶりの月である。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 二名士」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
釣り場で意気投合した知人の誘いで,ボートに乗る予定であったが,ある晩,新聞記者をしている従兄と出会った。著名な画家と作家に会いにいくので会わせてやろうというのである。メーソニエとゾラである。両名士とも,家を褒めると大満悦だったというお話。
2008年7月8日。火曜日。晴れ。一時雷雨。旧暦6.6. つちのと とり 九紫 大安
昼ににわか雨。やや涼しくなる。夜も,涼しい。
夕方,といっても七時半頃だが,蝉が鳴いていた。シーンシーンという泣き声。何蝉だろうか。
二三日前から甘草の花が咲いている。梔は終わった。ホトトギスはおとなしいが,朝四時半に散歩してみると鳴いていた。健在なり。
「楽書第二」(新釈漢文大系)
書の二番目に当たる楽書は,長い。退屈である。私にはどうも,こういうのは苦手である。音楽が乱れたので周王朝が滅んだというようになる。礼と同じように。因果関係はない。Aが衰えたとき,あるいは乱れた時,国が滅ぶ。だからAを大切にしなければならない,という論法だ。呼応していたことはあるかも知れない。だが因果関係は無いはずだ。
礼と楽が併せて論じられるが,果たして書いた人たちも本質のところを信じていたのだろうか。多分,どの民族でも形は異なれども固有の音楽をもっており,それが集団の儀式等に用いられたことは多々あったことだと思う。そういうことの理屈づけから発展してできたものであろうが,果たして意味があるのか。
美辞麗句が連ねられているが,内容は空疎である。司馬遷の書いたものは失われ,誰かがここに入れたと言うが,司馬遷にとってはいい迷惑である。欠巻のままにしておいたほうがよかったのではないか。
2008年7月9日。水曜日。晴れ。旧暦6.7. かのえ いぬ 八白 赤口
梅雨が明けたような青空。昨日までの蒸し暑さがない。一週間の天気予報を見ると,雨マークがないし,九州や四国が既に梅雨明けしているので,当地の梅雨明けも時間の問題だろう。日没前の青空には,弦月が静かに浮かんでいた。
「律書第三」(新釈漢文大系)
孝文帝の条はよい。司馬遷の筆にあらずという後半に,尚書から,七正と二十八舎が出てくる。「牽牛の牽は陽気が万物をひき出すという意味である。牛は冒で,地上が凍っていても犯し進み出る意で,また牛が耕して万物を種育する意義を持つ。」(p.107)とある。こういうのが続く。
また,律数とか,いろいろと変わったことも出てくるのだが,よくわからないし,興味も湧かなかった。
青空文庫で,チェーホフの「犬を連れた奥さんДама с собачкой」(神西清訳)を読む。犬の話かと思ったら不倫の話だった。夫に不満をもつ裕福な夫人が,スピッツを連れて散歩している。つまらない好色な男が,彼のいつもの習慣で近づく。全体に暗い不幸な雰囲気の中で二人の関係は親密になる。恋などしたことなかった男が,はじめて恋しているということになり,やや展望が開けていくような予感で終わるのが,救いといえば救いか。
2008年7月10日。木曜日。晴れ。旧暦6.8. かのと い 七赤 先勝
今日も,見事な弦月。今日のほうが弦月により近いか。完全な半月。
「歴書第四」(新釈漢文大系)
歴は暦である。ここでまた歴史書としての面影が出てくるから不思議である。暦を政治的に位置づけた人たちの名前が時代とともに出てくる。前巻の「律書」と一部入れ換えたら統一がよくとれるように思うが,いかがであろうか。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 祭りの前」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
何にでも過剰に反応し,そしてやることといえば,どこか抜けているというのがパチソー君の行動のパターンである。今回は,国の祭日である。カッフェでいろいろと客たちの意見を聞いてみる。共和国が見えないなどと,いう議論になり,議論百出くたびれるという話である。この連作の中では,やや異質な小品である。
2008年7月11日。金曜日。晴れ。旧暦6.9 みずのえ ね 六白 友引
田中菊雄「現代読書法」(講談社学術文庫)。著者は,戦前の小学校しか卒業していなくて,旧制山形高校,戦後は山形大学教授になられ,その間に岩波書店の英和辞典を書かれた方である。すなわち,努力の人であり,独学の人である。その独学の過程で,読書の方法について書かれた本をも貪婪に読まれたようである。そして,その実践の報告書であり,体得した方法・精神を後に来る人たちへ伝えようと情熱をもって書かれた書である。
その情熱がひしひしと伺える驚嘆すべき本である。
2008年7月12日。土曜日。晴れ。旧暦6.10 みずのと うし 五黄 先負
今日も暑かった。愛媛県の面河渓へ行った。四国巡礼の途次,関心をもっていたのだが,時間の都合で諦めていたところである。素晴らしい渓流と岩で,感嘆した。水は澄み,イモリがいた。おたまじゃくしが流れのゆるいところにいる。どんな蛙になるのだろうか,と興味津々でつかまえ,親戚の子にあげた。・・・ふと,イモリの子かもしれないと,思う。
桑原隲藏「秦始皇帝」(青空文庫)終わる。
好きではない始皇帝の偉大さと,評価され難い面の弁護が縷々述べられる。確かに偉大であろう。でも,好きになれない。
「始皇は年五十、長生とはいへぬ。四海統一後の在位僅に十二年、むしろ短祚といはねばならぬ。しかし大なる事業をなした。驪山の陵が夷げらるることがあつても、長城の礎が動くことがあつても、支那史乘に於ける始皇の位置は確固不拔であらう。」
2008年7月13日。日曜日。晴れ。旧暦6.11. きのえ とら 四緑 仏滅
今日もなかなか暑うございました。広島県西部の方は降ったようですが,こちらはまったくその気配はありません。いつもの夏のようですので,梅雨が明けてあると思ってもさしつかえないでしょう。
久しぶりに,夕凪亭の配置変えを行うとおもいつきました。暑いので手がつけられませんが,今日,少し,本を移動しました。まず,ひとつの本棚を開けて,これを移動し,これに次の本棚のものを移し・・・という予定です。
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam, 小川亮作訳「ルバイヤートRUBA'IYAT」を青空文庫で読んだ。はかない人生だから,酒を飲んで過ごそうと作者は詩っているのですが,その内容とは裏腹に作者の豊かな生活が浮かんできます。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 陰気な話」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
今回は趣が変わって,パチソー君の話というようりも,パチソー君がサン・ジェルマンで聞いた話です。以前の短編と同じ趣向ですが,都会ものです。ある兄弟が叔父の世話になっている。ともに恋をして,別々に住むことにして,女を住みはじめたとたんに,叔父さんがやってきて,人生を棒に振ったという男の話です。意外な展開で,多分作り話でしょう。こんなことで人生を棒に振ることはありません。
2008年7月14日。月曜日。晴れ。旧暦6.12. きのと う 三碧 大安
今日も暑い日でした。暑い夏の記録更新が待っているのでしょうか?
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 恋だめし」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
小官吏・パチソー君の奇妙な冒険の,今回のテーマは題名どおり,恋である。恋は乙なもの。ならば,自分もやってみようと,チャレンジ。しかし,どこか締まらなくて,いつものように,珍談を提供するはめになる。・・・ところで,パチソー君に,恋の話,というのは,イメージにあわない。作者の安易な選択のように思えるが,いかがであろうか。
2008年7月15日。火曜日。晴れ。旧暦6.13. ひのえ たつ 二黒 赤口
相変わらず暑い日が続いている。そして相変わらず梅雨は明けない。明け方は雲っていて,熱気が大気に放射されないので,暑い。夕方,警報や注意報が出たのに,ほとんど雨は降らなかった。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 晩餐会に意見のかずかず」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
パチソー君の上司の課長がレジオン・ドヌール五等受勲者になったお祝いの晩餐会という趣向で,同僚達の議論百出である。それぞれが勝手なことを言うだけで,一向に議論がからみあわない。小説としてもたいした作品ではない。
2008年7月16日。水曜日。晴れ。旧暦6.14. ひのと み 一白 先勝
連日33℃の猛暑が続く。そんな中,今日は中国地方は梅雨明けになった。平年より4日早く,昨年より7日早いということである。それにしても雨が少ない。去年の秋を思い出した。これから,小雨の夏だ。ほどよい時期に雨が降ってくれることを祈ろう。
「パリ人の日曜日Les dimanches d'un bourgeois de Parisより 民衆大会」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅲ・青柳瑞穂訳)
これは趣向の変わった短編小説である。女権擁護者たちの講演会を聞きにいったという話であるが,シニカルに,かつリアルに覚めた眼で描いているところがよい。ただ,パチソー君の一連の物語としては,唐突の感がなきにしもあらずで,全体としては,まとまりのない小咄集で終わってしまった。
かくして,モーパッサン短編集Ⅲを終える。前半の戦争物は傑作が多く素晴らしい作品集だと思う。
2008年7月17日。木曜日。晴れ。旧暦6.15. つちのえ うま 九紫 友引 さんりんぼう
少し雨が降ったようだが,これでは降ったとは言えない。しかし,そのせいか雲が出て,その切れ目から日没の日が出て,見事な夕焼けとなった。風と共に去りぬ,の映画のように。ちょっと言い過ぎか。
フランソワーズ・サガン,朝吹登水子訳「一年ののちDans un mois, dans un an」(新潮文庫)。作者の第三作である。発表されたとき,毀誉褒貶相半ばしたという。傑作か駄作か? 閑話子は前者に一票を投ず。事件らしい事件は起こらないし,描かれる人物は半端で,どんな人かよくわからないが,それでもそれぞれの関係において,シチュエーションごとに心のありようがシニックに描写されていておもしろい。後半になって登場する脚本家のアンドレ・ジョリエと女優ベアトリスとのセーヌ河沿い散歩のやりとりなどは,特におもしろい。
若い頃は,何かの展開ばかり気にしていたせいか,気づかなかったが,この年になると物語の展開よりも,それぞれの場面における人物の心模様の描写を楽しむことができる。ある程度の収入か資産があって,家計のことが気にならない人々の楽しみといったら,この程度のものかと思うと,少々心許ないが,ある種の普遍に達しているように思われる。
まぎれもなく,傑作である。そして,ここまでは,一作ごとに成長していく作者の能力に驚嘆する。
2008年7月18日。金曜日。晴れ。旧暦6.16. つちのと ひつじ 八白 先負
昨夜もだが,今日もぱらぱらと小雨が降るがやはり,降ったといえるほどは降らない。暑い日であった。こういう天気がまるまる一月続くのでしょうか? うんざりですね。
「天官書第五」(新釈漢文大系)
天文書であり,兵書である。しかし,天文と戦には因果関係はない。天文と関係あるのは,よく知られているように農事である。洪水,干魃など季節によるものは,天体現象と大いに関係がある。その農業への影響から,間接的に政治を,さらに軍事を策することは理にかなっているが,金星の様子から,事細かく,戦の指針が規定されるのは,迷信とほとんど同じであろう。迷信と同じであるから,機を見るに俊敏な指導者は,うまく利用することはできる。
とんでもない記述が延々と続く。どういう環境から,わけのわからない文章が生まれたのか理解に苦しむ。とはいえ,司馬遷ばかりが悪いのではない。司馬遷は古い記録を集めて,後世に繋ごうと思っただけであろう。
あまりにも退屈なので,せめて漢字だけでも楽しめばよい。國皇星,昭明星,五残星,賊星,司危星,獄漢星,四填星 などの名前はどうだろうか。(p.192)
雲の名もおもしろい。陣雲,抒(ちょ)雲,軸雲,杓雲,鉤(こう)雲 など。(p.200)
2008年7月19日。土曜日。晴れ一時雨。旧暦6.17. かのえ さる 七赤 仏滅
暑い。そして時々ぱらぱらと小雨が降るものの,焼け石に水ですね。気温は下がりません。しかし,夜になると,やっとその効果が現れて少し気温は下がるようです。
リルケ著,森鴎外訳「駆落 DIE FLUCHT」というのが,青空文庫にありましたので,(本棚にもありますが),読みました。
前半はなかなかいいですね。でも急に話がおかしくなります。不可解です。
2008年7月20日。日曜日。晴れ。旧暦6.18 かのと とり 六白 大安
凄い暑さですね。日本列島はどうなってるんでしょうね。・・すぐに愚問だと気づきました。どうもなっていない。夏が来ているのだ。それだけですね。
今日は錦鯉の稚魚1~2センチ程度のを300尾放流しました。すべてが大きくなると大変ですが・・・。
ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke,森林太郎訳「老人GREISE」を青空文庫で読む。こういう風に老人の生態をシニカルに書くようなことを,老人はしない。したがって,これは若いときの作品であろう。あるいは,遅くとも中年期の作品ではないかと思われる。この作品はよくできている。最後がまた面白い。
2008年7月21日。月曜日。晴れ。旧暦6.19. みずのえ いぬ 五黄 赤口 海の日
今日は,鳴門市にある,大塚国際美術館へ行ってきました。今回もまた,当然ですが,すべて見切れなかったという悔いが残りました。またの楽しみということにしておきましょう。
2008年7月22日。火曜日。晴れ。旧暦6.20. みずのと い 四緑 先勝 大暑
やはり,日中は暑いですね。こういうのが,お盆まで続くのかと思うと憂鬱です。
「あな Le trou」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)。短編集Ⅱが届いたので,今日から読みます。最初の「あな」は穴場という意味でしょう。釣り好きの職人の語る,事故の模様です。モーパッサンの見事な話術という他ありません。それに,読者は一体何が起こったのか,と疑問に思うのですが,最後の最後まで明かされないところも,面白い。
2008年7月23日。水曜日。晴れ。旧暦6.21. きのえ ね 三碧 友引
猛暑の中,夕凪亭の配置換えに励んでおります。本棚を六個,二階へ上げる予定で,現在,四個完了です。六段の本体へ,二段の自作の棚がありますから,かなりな重労働です。
「封禅書第六」(新釈漢文大系)
オカルトの歴史である。こう書くと正確さに欠ける。各時代ごとの祀りの様を記したものである。けっこういかがわしい事例も頻出する。著者である司馬遷が全て信じていた訳ではなかろう。それ故にこそ,この書の価値がある。掉尾の孝武帝の事跡は,封禅書の逸文を武帝本紀で補ったと記されている。(p.254)その逆かと思っていたのだが・・・。
2008年7月24日。木曜日。晴れ。旧暦6.22 きのと うし 二黒 先負
14日が土用の入りで,今日がうしの日であるから例の「土用の丑」の日である。日中はもちろん,夜も暑い。
幸田露伴「馬琴の小説とその当時の実社会」を青空文庫で読む。馬琴の小説はその時代を描かず過去を描く。登場人物を善玉のヒーロー,悪玉のアンチヒーロー,そして脇役の三者に分類する。すると脇役が馬琴と同時代の人物の姿である,と露伴は分析する。また,悪玉は,同時代の人物を拡大したものとも。
2008年7月25日。金曜日。晴れ。旧暦6.23. ひのえ とら 一白 仏滅
「河渠書第七」(新釈漢文大系)
治水についての歴史である。河の浚渫をしたり,流れを変えたりして,洪水を防ぐことは大切なことであるが,土木工事というのは,今も昔も人手を要することにおいては,変わりはない。だから,いい加減な計画で行っては困る。歴史上には,時々優れた人が現れる。ここをこうすればいい,とすぐに分かるのである。あるいは少し調べてみれば分かるという人である。かの江木鰐水翁なども,水戸烈士の墓に詣でたついでであったのかどうかは別にして,敦賀の町をちょっと歩けば,日本海から琵琶湖へ抜ける運河が,不可能なことが分かるのである。
現在では陸上輸送が主流であるが,河川や運河を利用した海上・水上輸送のほうが,はるかに省エネである。現在の温暖化というのは,そういうものを拒否してきたことの当然の結果である。
司馬遷曰く,「甚哉,水之為利害也」(はなはだしいかな,水の利害を為すや)と。
2008年7月26日。土曜日。晴れ。旧暦6.24. ひのと う 九紫 大安
暑い。昨日が35℃で,今日が34℃とか・・・。ますますエアコンの使用は増え,二酸化炭素も増える。地球温暖化の悪循環は断ち切る訳にはいかないのだろうか。必用は発明の母だとは云うが,変なものを発明したものである。人間は賢い存在であるとともに愚かな存在でもある。楽園喪失の神話は,知恵の二面性を暗示しているように見え,そのように解く人もいるが,果たして古代の人たちがそこまで自覚していたのだろうか。
「蠅 Mouche」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)は,変な小説である。5人のボート乗りが,蠅というニックネームの一人の舵取り女と関係し,和気藹々とボート生活を楽しんでいる。当然と言えば当然だが,彼女が妊娠した。意外なことに,五人の男達が引き取るということで,和気藹々とボート生活が続くのだが,事故で死産して,みんながっかりした,という話。みんなで育てるというところからは,現在の感覚では,ちょっと考えられない話ではあるが・・・。
青空文庫で「一握の砂」を読んだ。底本は,「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」集英社(1967年初版発行,1972年の9版)と,ある。 若い頃読んだのは中央公論社の日本の詩歌5である。当時の私は,若い読者の多くがそうであるように,センチメンタルなものばかりを愛唱したものであるが,歳をとって通読してみると,そうでなくてもよいものがたくさんあった。
現在では,啄木の歌は,歳時記のようなもので,新聞のコラムによく引用されるが,そういう有名なもの以外にも,よくできているものが多い。自分流のアンソロジーを作ると,年齢とともに変化しておもしろいかも知れない。青空文庫はアンソロジーを作るのに便利かも知れない。ワープロ文書にコピーしておき,気に入ったものを残し,他はどんどん削除していけばよいだろう。今回,実はそのようにして読んだのだが,読むとどんどん削除していき,残さなかったが,次回は,そうやってみてもいい。もちろん,ここに掲載はしないが。
2008年7月27日。日曜日。晴れ。旧暦6.25. つちのえ たつ 八白 赤口
柳田邦男さんの講演会があり,行ってきました。「心を育て,人生を支える本の力」という演題で,予定の時間を45分も越える,熱演には頭が下がります。本にまつわる様々な経験とともに,大人にとっても絵本を読むことの意義を教えて頂きました。
北原白秋「水郷柳河」を青空文庫で読む。「私の郷里柳河(やながは)は水郷である。さうして静かな廃市の一つである。」「水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。」・・・・大林宣彦監督作品の「廃市」のイメージそのものです。
2008年7月28日。月曜日。晴れ一時雨。旧暦6.26. つちのと み 七赤 先勝
夕方,雷が鳴り,夕立が降る。久しぶりの雨である。
「ポールの恋人La femme de Paul」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
恋人のマドレーヌがレスビアンと遊ぶので身投げしたポールという男のお話。長いわりにはおもしろくない。
2008年7月29日。火曜日。晴れ一時雨。旧暦6.27. かのえ うま 六白 友引 さんりんぼう
昼過ぎ,雷が鳴り,雨。近くで落雷。轟音。雨はすぐに止んだが,それでも気温が下がって,過ごしやすくなった。
「春に寄すAu printemps」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
春は恋の季節である。だが,春だからといって無闇矢鱈と恋をしてはならないと,忠告する男の,失敗談。
2008年7月30日。水曜日。晴れ一時雨。旧暦6.28. かのと ひつじ 五黄 先負
今日も夕方雷雨。これで三日連続である。ただし,厳密に云うと,夕凪亭のあたりは本日は降らなかった。
「野あそびUne partie de campagne」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
金物商の家族がパリの郊外に遊びに行く。そこで令嬢と夫人はそれぞれボートマンのお相手をして,島の森に行く。令嬢は,そこで,鶯(ロシニョール)の囀りの下,忘我の体験をする。二ヶ月後に,男が令嬢のようすを聞くと,跡継ぎの男と結婚していた。一年後,ボートマンが島の森を尋ねると,令嬢は夫とともに,島の森に,過去の思い出に耽りに来ていたという話。主題がどこにあるのか分からなかったが,最後の最後にオチをつける技巧は見事である。
2008年7月31日。木曜日。晴れ一時雨。旧暦6.29. みずのえ さる 四緑 仏滅
今日も,午後雷雨夕立があった。これで四日連続である。今日の雨は激しかった。短時間では合ったが。
「勲章Décoré!」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
子供の頃から勲章に憧れていた俗人がいます。妻に言って知り合いの代議士に頼みます。俗人には勲章をもらうような業績も肩書きもありません。代議士は,さまざま行動を進めます。ある日,フランスの各地の図書館で調べものをするようにと,風変わりな指示をします。一週間ほどして,俗人は妻に会いたくなり,予定を変更して帰宅します。家に着くのは真夜中になります。俗人は家で勲章のついた外套を発見します。妻は,夫が勲章をもらうことになっているが,正式な発表まで内緒にしていたのだと言います。見事な結末です。しかし,帰宅後のことはもう少しぼかして,ミステリアスに書いてもよかったのではないでしょうか。