夕凪亭閑話 2006年8月
2006年8月1日火曜日
暑中お見舞い申し上げます。
8月になった。真夏の色の赤にしようと思ったが読みにくいので,少し薄くした。
最近の読書から。ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「赤い右手」(夏来健次訳・国書刊行会)。嫌な感じの作品である。初めから終わりまで,ずっと嫌な感じがなくならない。そして途中で,普通の読者と同じになって,犯人は誰か考える。やはり・・・・と,思う証拠がいたるとろこに散りばめられる。それらが作者の罠だとも気づかず・・。訳者によると数々の欠点もあるという。アンフェアな点もあるという。しかし,それもよしとしよう。犯人当てクイズなのだ。そして騙される。そのことは作品の成功を示す。それが嫌なのではない。作品で語られる内容が実に嫌な小説である。
2006年8月2日水曜日
吉村昭さんと,鶴見和子さんが,亡くなられた。ご冥福をお祈り致します。
吉村さんの作品で長いものは,「天狗争乱」「ポーツマスの旗」「戦艦武蔵」くらいしか読んでいないが,これだけでも,大きな歴史の流れに立ち会ったような印象が残っている。短編やエッセーも面白い。学習院を中退と書いていたが,除籍だと教えてもらって授業料を遡って払い,中退にしてもらったという話しとか。(同じような話しが五木寛之さんにもあった。)また,ラジオで,学習院の文芸部として三島さんを訪ねたときの話しも聞いたことがある。
朝日新聞の日曜版で,南アフリカの心臓移植の話しを読んだのが,確か最初である。最近では,万年筆の話しや,資料は作品が出来上がったら処理する,というようなことをどこかで読んだ。新しい作品が出て来ないということは寂しいが,膨大な作品群が残された。
鶴見さんの本は「南方熊楠」(講談社学術文庫)と「デューイ・こらいど・すこーぷ」しかないが,スケールの大きな人だった。
2006年8月3日木曜日
最近の読書から。辻邦生「生きて愛するために」(中公文庫)。晩年のエッセー。病気をされ,少し体力が落ちておられるが,それ故か,本音をぽろりともらされていて,かえってかつて書かれた物に比べると,わかりやすいところもある。今を生きることのすばらしさ。日々の生活の中に美と喜びがあるという認識。「パリの手記」(河出書房5冊)以来,連綿と書き綴られてきた思索の軌跡である。
2006年8月4日金曜日
朝散歩していると,ミンミンゼミが鳴いていた。去年も書いたと思うが,昔はいなかったのものだ。
最近の読書から。朱川湊人「澱みに光るもの」(野生時代2006.3-5)。他人の頭の中が覗ける二人の少女がいる。昭和30年代の光景。紙芝居のおじさんこそ出てこないが,公園にリヤカーでパンを売りにくるおじさんがでてきたりする。未来が開けているようで,見えない,そんな時代。しかし,オートバイとかオート三輪とか,確かに何か変化が起こっていたことは確かだ。徐々に変わっていっていた。そんな時代だ。物やゴミというものの視点に立てば,途方もない前と後の分節点だったのだ。そういうノスタルチックなお話しではなく,そういう時代に設定された昔ばなし。
2006年8月5日土曜日
朱川湊人「死と乙女」(オール読物2005.11)を読んだ。山形のムカサリ絵馬の話しが出てくる。絵馬であるから神社仏閣に奉納する絵だ。それが,このムサカリ絵馬というのは,未婚で亡くなった人を悼んで,あの世で一人では寂しかろうと,結婚式の絵を描いてお寺に奉納するのだ。当然亡くなった方は実在した本人の絵で(ぼかして描いているものもある),相手は実在しない人か,あるいは何らかの期待される関係のあった人に似せて描かれた場合もあったかもしれない。
目次のキャッチコピーには「新直木賞作家のホラー新境地」とあるのだが,ぜんぜん怖くない話しである。しかし,ムカサリ絵馬の写真をいくつかwebで見たら,怖くなった。確かに作中ではムカサリ絵馬を見たときコワかったと書いてあるが・・・。作者はこの恐怖感を書きたかったのか知れませんね。それで主人公の出身地を山形県にしたのでしょうね。
似たようで似てない話ですが,昔流行った「絶唱」という映画があった。原作は集英社から出ていたが終わりまでは読んでいない。3回ほど映画化されて,そのうちの2つを見た。純愛とか悲恋と見る人もいるだろうが,考えてみればグロテスクである。
さらに話しが飛ぶが,死人に恋をした話しは洋の東西を問わずたくさんある。中でも有名なのが,ゴーチェの「死霊の恋」だろう。岩波文庫の「死霊の恋・ポンペイ夜話」(田辺貞之助訳)とか,河出文庫の「フランス怪談集」にある。・・・こんな話しばかりでは気分を害するでしょうから,オカルチックでも,ロマンに溢れた水の精の話しとして,フーケー作,柴田治三郎訳「水妖気(ウンディーネ)」(岩波文庫)を紹介して終わりにしよう。暑気払いにはいいかもしれない。
2006年8月6日日曜日
また,原爆の日がやってきた。なぜアメリカは原爆を使用したのか。使用せずとも太平洋戦争は,ほぼアメリカのの勝利に決まっていた。日本の降伏は時間の問題であった。それなのに原爆を使用するというのは,普通の神経では理解できないことであろう。これはアメリカ人が日本人を人間と思っていなかったということである。日本人はこの残虐行為を永遠に忘れてはならない。そういう思いを新たにしたい。
2006年8月7日月曜日
ほんとうに暑い。巷ではもう何日も前から百日紅(サルスベリ)の鮮やかな花が咲いているが,やっと今日夕凪亭前に一枝咲いた。日当たりが悪いせいか。名の通り三ヶ月ほど咲き続けることを期待しよう。
2006年8月8日火曜日
最近の読書から。スティーヴン・バクスター「マンモス 反逆のシルヴァーヘア」(中村融訳 早川書房)。人間ではなくマンモスが主人公のSFである。マンモスであるから,あまりに複雑な思考をしたりするとリアリティが無くなる。しかしある程度の会話や,思考がないと小説として成り立たない。そのへんのバランスが絶妙。マンモスが滅びていくさまが哀しく描かれる。人と出会い,殺され,そして最後は保護され,シルヴァーヘアは子供を産む。「マンモスⅡ」というのもあるらしい。機会があれば,読んでもいいな,と思わせるだけの中味でございました。「猿の惑星」でもそうでしたが,やはり,地球上で一番コワイものは人間・・・。
2006年8月9日水曜日
10時頃家を出て,下関へ行く。途中,宇部に寄って,中国観音霊場第18番松江山宗隣寺へ。宇部はもう何十年も前に,受験で来たことがある。そのとき,宇部線の車窓に見える小さな川や,崖を覆う緑の美しさに目を見張ったものだが,その面影は街の至る所にあった。緑の多い閑静な町だ。川は静に流れ,のどかであった。
下関では,水族館で遊び,川棚温泉に瓦そばを食べに行った。
2006年8月10日木曜日
源平の古戦場,彦島へ行った。彦島大橋から渡り,南へ出て,下関駅のほうで出る。本土と彦島の間の狭い水路が小瀬戸で,平家側の船はここを通って壇ノ浦へ出たに違いない。
山口では,再建されたザビエル記念聖堂と瑠璃光寺の五重塔を見て,一路萩へ。萩駅西の踏切を越えると毛利氏の菩提寺である,第20番霊椿山大照院がある。藩主が東光寺と交互に祀られている。どういう政治的意味があるのだろうか。城下の東西に菩提寺を配すことによってより,城下全体に目配りをしようという意図か。東光寺ほど参拝客がいないのが寂しい。小径を少し西に行くと,第21番潮音山観音院がある。観音堂もさることながら,境内からは橋本川の向こうに,萩城趾が目の前に見え,海水を湛えた堀と松の緑が夏の日を反射して美しい。
山陰海岸を東に進み,途中,柿本人麿ゆかりの益田を過ぎ,浜田に行くと,第22番亀甲山多陀寺がある。ここでもミンミンゼミが鳴いている。
2006年8月11日金曜日
朝,散歩していて,ミンミンゼミを見た。身体はツクツクホウシより大きく,クマゼミよりも小さい。身体の長さがクマゼミの半分ほどで,やや奇妙に見える。ちょうど身体の長さの倍のところまで羽が伸びている。
最近の読書から。保坂正康「瀬島龍三 参謀の昭和史」(文春文庫)。太平洋戦争についての復習です。作戦を練り指示を出すのが参謀で,その職にあった人物についてのルポです。戦争遂行の構造が少し分かりました。戦争指導者はすべて占領軍や極東軍事裁判で排除されていると思ったら大間違いで,戦後の社会の至る所に,元軍人がいるといういうのは当たり前の話しです。このことは,フォーサイスの「オデッサファイル」を読めば,ドイツでも似たようなものだということがわかります。
2006年8月12日土曜日
朝いつものように散歩していると,キリギリスの鳴き声がした。鶯はケキョケキョケキョケキョと夏声である。暑い暑いと言っていても,確かに季節はうつろうている。
最近の読書から。西尾幹二「国民の歴史」(産経新聞社)終わる。フーッ。やっと終わった。773ページである。いろいろと考えさせられるところの多い本だ。
アメリカの排日移民法についても,それが日米戦争の原因の一つであり,移民国家アメリカで日本人だけが移民禁止になったのかというと,主権国家をバックにした労働者がアメリカ大陸に上陸して働きだしたからだということだ。(p.548)
それからもう一つ,南米大陸はブラジル以外はスペイン語で,ブラジルだけがポルトガル語であり,それは独立以前にそれぞれの国の植民地だったからだということはわかる。そしてブラジルだけがポルトガルに征服されたのであろうと思っていたのだが,それにはさらに前史があるらしい。1494年にスペイン,ポルトガル両国で結ばれたトルデシリャス条約というものによって地図上に線を引きその線より東がポルトガル,西がスペイン領となることが決められた。その線上になっめいの西端に位置するブラジルがかかり,他の国はかからないからすべてスペイン領となったという訳である。 (p.362)
suma君の「お手軽ハニーポッドNepenthesで昆虫採集」がハッカージャパンの9月号,p.128に載っているので,興味のある方は見てください。
2006年8月13日日曜日
最近の読書から。朱川湊人「まどろみのガーベラ」(オール読物2006.8)。お盆にふさわしく,亡くなった人の霊が帰って来るという話し。とは言っても目の前の,植物人間になっている妻ミチルの身体に。ミチルには身体はあっても意識はない。そこに亡くなった人の霊が,すなわちあの世に行けず彷徨っている霊が入れ替わり立ち替わり入ってくるという,怖いような,怖くない話し。
一昨日の中国新聞に空からコンクリート片が落ちてきたという,話しがあった。気象台によると,雷のとき強い風が伴うとのことで,そのせいだろうと書いてあった。菅茶山の「筆のすさび」にも,空から小豆が降ってきたという話しが書いてあった。気象のいたづらか。
2006年8月14日月曜日
朱川湊人「送りん婆」(オール読物2005.1)は「まどろみのガーベラ」とは反対に,霊を身体から放逐するお婆さんの話です。
ということは,死にかけた人を死なせてあげるということで,凄い話しです。そしてその仕事の本旨は,死なせてあげるということ以上に,意識がない人を呪文であの世に送ると,霊が徐々にぬけていくので,その間に「数分後の確実な死と引き換えに,一切の苦痛から解放された,明晰な時間を持つことができ」,別れの挨拶をするということである。そして,その送りん婆の手伝いをして臨終に立ち会ったことが2つ出てくる。そして最後に,家伝の伝授と・・・・という話しだが,こういう話しは,どのように終わっても,いくらかの不満は残る。怖いような,怖くないような・・・やっぱり,怖くなかった。送り言葉をもっと長く書き,例えば,坂東真砂子さんの「犬神」のような使い方をしていたら,かなり怖い話しになっていただろうと思う。
2006年8月15日火曜日
お盆を過ぎるとクラゲが発生するので,海水浴シーズンは終わりに近づきます。でも,子供の頃は,暑いし,これといって遊ぶものもありませんので,8月一杯は海で遊んでいたように思います。
朱川湊人「妖精生物」(オール読物2004.7)というのは,クラゲに似た変な動物で,これを飼育していると幸せが来ると言われて,買ってきて少女が飼育する,というお話しです。その妖精生物にまつわる話しよりも,ある時代の庶民の生活のさまが鮮やかに描かれているのに感心します。さて,話しの展開はというと,一時的な幸せをもたらすものの,後は不幸の連続ということになって,何が主題だったのかわからなくなる,全然怖くないお話しです。どうせなら,もっと凶暴な,例えば,響堂新さんの「白魔の湖」に出てくるバッカスのような,怪物にしたてあげたほうがよかったかと思います。
2006年8月16日火曜日
最近の読書から。スーザン・小山著「大草原の小さな旅 ロウラ・インガルス・ワイルダーと開拓の西部」(三一書房)を読みました。
「大草原の小さな家」というのは,かつて人気のあったアメリカのテレビドラマであるが,見たこともないし,原作本も読んだことはない。原作本は,全部で9冊もある児童文学の名作であるらしい。そして,この本は,そのテレビドラマと原作本にまつわる紹介本の一つである。この手の本には,例えば「風と共に去りぬのアメリカ」(岩波新書)のように,原作にまつわる単なるエピソードや解説を越えて,一種の文化論として読めるものがある。スーザン・小山という人は,インディアンについて本を三冊も出している人だけに,この本には,アメリカという国の成り立ちと西部開拓の歴史的な背景や風土が詳しく解説されている。
例えば,大陸横断鉄道はどのようにして作られたか。インディアンの土地を政府が取り上げる,それを鉄道会社に払い下げる,鉄道会社はその土地の一部を入植者に売る(p.138-)という具合に。そして,また,このようにして成立した国が掲げる平和とか自由とかいうものは一体何なのだろうか,と思う。
開拓地の教育については,女の役割で,ロウラも16才になる前から教師になっている(p.135)。この教育の熱心さは,日本人移民と比較すれば,極端である。しかし,内容は実用偏重でそのレベルの低さは現代まで続いているという。(p.137)
不思議な国,アメリカの一部ではあるが,理解が深まったように思います。
2006年8月17日木曜日
昨日は,しまなみ海道を通って松山まで行ってきた。いや厳密にいうと松山の一歩手前の東温市,かつて重信町と呼ばれていたところである。瀬戸田町のある生口島の道路が供用開始される一時間前にここに来て以来のことであるから,はじめて全通なった しまなみ海道を通った。生口島の山の南斜面を通る道路からの景色は素晴らしい。左側の造船所のある島が岩城島で,高い山がある。そこは愛媛県となる。しまなみ海道はいたるところに合歓木のピンクと白い百合が夥しく咲いて夏風に揺れていた。蜜柑畑はきれいに手入れされ真夏の日に深緑の葉が焼かれていた。・・・今治と小松道が早く専用自動車道で繋がればいいのにと思うが,工事の様子が見られない。計画はあるのだろうか。
日本沈没の兆しがまた溢れている。本日の日経新聞には,ソニーのリチウム電池のリコール,大学の理工系の志望者減,火葬場の不足などの記事があった。
それに先日の首都圏での大停電。これを日本沈没の兆しと思うか思わないかは,想像力の問題です。すなわち,あの事故は,原因(クレーン船の切断)と結果(3時間も復旧しなかった)は,たまたま起こったことで,滅多に起こるものではない,と考えるか,日本のレベル(いろんな面で)は,ガタがきていると思うかの違いである。
閑話休題。昔のことを書くからといって,昔はよかったなどと言うつもりはない。日本沈没の兆しとは,関係ない。
はねつるべ といっても,分かる人がいまどれくらいいるのだろうか。朝顔に釣瓶取られてもらい水 という有名な俳句は今でも学校で習うのかどうか知らないが,井戸から水を汲む場合,浅ければ勺で汲む。もう少し深ければ柄の長い勺で汲む。このへんまでなら,わが家の菩提寺にもあるくらいだから,誰でも知っているだろう。さらに深くなると,バケツに綱をつけて汲む。竹の先にバケツをつけておくと,水に沈めるのに便利だが扱いは不自由だろう。バケツではなくかつては木の桶が主流ではあったが。
更に深くなると,この綱を,現在ではロープとなるのだろうが,たぐり寄せるのが大変になる。それが地面につくと汚れるので,はなはだ都合が悪い。そこで登場するのが車井戸である。井戸の上に屋根を作り,その天井から車輪をつるす。そして綱の両側に釣瓶を結わえておく。昔子供の頃,よその家で体験したことがあるが,引き上げる力の代わりに,反対側を引き下げるのであるから,大変便利なものである。木桶から直に飲んだときのその水の冷たくておいしかったこと。
さらに,昔の人の知恵に感心したのは,極めて希な体験であるが,どこかで見た,井戸の反対側に竹を伸ばして釣り合い用に石をくくりつけていたものである。それが「はねつるべ」と呼ばれるものだと,露伴の随筆で知った。
露伴全集の第30巻にある。「はねつるべは水を汲上げるに用ゐる原始的力學機械である-といふのもをかしいほど単純な装置である。井のほとりに高い木を立て,其の上辺に長い木を横たへて,一方には重さの相富ある石を縛着して,他の一方には吊瓶を長い竹竿若しくは縄によって着け,空の吊瓶を井に下ろす時は一方の端の石を上ぐるだけの力を費す代り,水を上ぐる段には,其石の重さが人の加勢をして,容易に水を汲上げるやうにしたものである。」(p.513)この場合も引き下ろす力をたくさん加えて,引き上げる力は,ほとんど要らないようにしたところに,意義がある。
重り石の重さは,支点からの距離と,桶に入れた水の重さから,モーメントの計算で求まる。さて,支点の高さは井戸の深さに応じてどのようにすればいいのであろうか。併せて,横たへる木の長さ,井戸から支点までの距離はいかようにすれば,最も効率的でありましょうか。興味のある方は是非試みられるがよろしい。
またまた,最近の読書から。朱川湊人「摩訶不思議」(オール読物2004.4)は愉快な話しである。タイトルが文学的でないと言っても始まらない。この際,文学もヘチマもない。要するに面白いのだ。その面白い話しがまことに不思議なことなのだ。だから,摩訶不思議でいいのだ。霊柩車が火葬場を前にして動かなくなる。みんなで押しても動かない。棺桶だけを出して運ぼうとしても,今度は霊柩車の扉が開かない。
そこでみんなは,ツトムさんという棺桶の主がワガママを言っているのだと思いはじめる。そしてお別れを十分にしていない二番目の恋人が呼ばれる。すると少し動いてまた停まる。次に三番目の女が呼ばれる。そしてその女が後ろのバンパーを蹴り飛ばして「コラッ,あんた,何しとんねん! みんながこまってるやないか! 地獄でも極楽でも,とっとと行くとこ行かんかい!」と叫ぶとキーを回してもいないのに,霊柩車が動きだした,というお話しであるが,一向に怖くない。
さて恐怖とは何であろうか,と考える。偶然を死人の霊の仕業と思うか思わないかの違いである。要するに想像力の問題である。しかし,死人の霊の仕業だと思っても,それでも怖いと感じない人もいる。だから,それをさらに怖いと感じる想像力の問題になってしまうではないか。ということで,想像力に乏しいせいか,この小説には,残念ながら怖いという印象がなかった。
2006年8月18日金曜日
台風の影響で雲っている。昨日ほんのわずか雨が降った。
西木正明「オーロラ宮異聞」(オール読物2004.4)は「満州お春」と呼ばれた山本キクの話し。舞台は1920年1月の満州・ロシア国境付近,ブラゴベシチェンスク。お春の内縁の夫・孫花亭は張作霖の元義兄弟。お春の経営するbarオーロラ宮へ陸軍少佐香村大助が僧雲月という出で立ちで接近している。張作霖の参謀長・張宗昌を通して張作霖を説得工作。香村のねらいは,張作霖が反革命軍のセミューノフを助けるようにし向けたいのだ。
キクは1883年天草生まれ。7才でソウル(当時,漢城)の料理屋へ売られ,16才で新義州の平八楼という女郎屋に売られる。さらに23才の1906年,奉天へ。この間,1905年が日露講話条約締結。奉天では常陸楼で売れっ子になる。そこで憲兵中尉の香村大助が来る。1909年,孫花亭に以前もらった金で借金を返し,孫花亭とともに常陸楼を去る。
孫花亭の故郷,間島の石人溝でカオシャンに入る。孫花亭は元がカオシャンという馬賊の頭目なのだ。ここでキクはお春に名前を変えた。馬賊の頭目の内縁の妻である。その後,1910年日韓併合条約締結。1911年辛亥革命。そして1914年から第一次世界大戦。そして,1915年9月10日,そこへ香山少佐が現れて,孫花亭に張作霖が内蒙古の独立を阻止しないように,働きかけてほしいと依頼する。9月20日に孫花亭とお春は石人溝を,張作霖の参謀長・張宗昌を説得するために出発する。その説得工作もむなしく内蒙古の独立は成らなかった。また,その説得工作の後,お春は満州を捨て,ロシア側のブラゴベシチェンスクへ移る。
そして冒頭の,別の目的での対張宗昌工作。お春は,その時得た報酬で東京に行きたいと思いながらもさらに北上して,アムール川河口のニコラエフスクで1923年に亡くなったそうです。40年の波乱に富んだ,かつ自らの才知で運命を切り開いた一生だったのです。
ここまで書いてきて,漱石の「門」に出てくるアドヴェンチュアラー(冒険者)という言葉を思い出した。
「門」の前半は宗助とお米が世間を避けるようにひっそりと仲睦まじく暮らしていて,小六のことで佐伯に行くだ行かないのだと優柔不断な日々の描写に費やされる。そして泥棒の一件で家主の坂井と近づきになる。後半になってお米が以前宗助の親友安井の恋人だったということが明らかになる。すなわち宗助がお米を安井から奪ったということだ。それで安井も宗助も京都の大学を辞める。以来,宗助は安井に会うことを怯えている。
坂井とのある夜の会話に,坂井の弟の話が出てくる。その弟のことを坂井がアドヴェンチュアラー(冒険者)という。満州や蒙古で漂浪(うろつ)いているというのだ。その後,アドヴェンチュアラー(冒険者)の弟が日本に帰っていて,安井という男をつれて来るので,あなたもいらっしゃいと言われて,宗助の怯えが頭をもたげる・・・という話しである。「門」が書かれたのは,1910年。大陸ではアドヴェンチャアーが溢れていたのだろう。
2006年8月19日土曜日
台風が去ってやや涼しくなった。そのせいか,夜公園を歩いているとコオロギが鳴いていた。少しずつ秋の気配がおとずれるかのか。
司馬遼太郎『「昭和」という国家』(NHK出版)を読んだ。
標題に「」付きの本は嫌いです。とはいえ,これは司馬さんの知らぬことだから仕方がないか。
戦前の,昭和前半の満州事変から太平洋戦争に至る時代を「なんとくだらない戦争をしてきたものか」と言い,なぜそうなったのか,考えていくというテレビで話したことを本にしたものです。司馬さんによる,参謀本部が統師権の名の下に無茶をしたということになるのでしょうか。その参謀本部の独走を許した背景を考えていくというのが主題です。
そのなかでも,参謀本部を構成した軍人が偏差値エリートだったというところは,注目すべきところでしょうか。そして,現在は,軍人だけでなく国民全体が偏差値万能主義になっているということに,危惧を抱かれています。
やがて学校教育だけが社会の基本的な骨組みになっていく。そして戦後社会では,偏差値だけが人間の価値判断のもとになっていく。「こんな風で大丈夫ですかね」 私はもうそんなに長くありませんから,もし若い人が聞いていらっしゃるとしたら,申し上げたいのです。 こんな風で大丈夫かなと,みなさん少しでもお思いになったら,それだけわれわれの社会にプラスになるのではないでしょうか。(p.164-165)
その他にも様々な視点で,参謀本部の歪んだ体制に至る背景が述べられます。しかし,残念ながら,日本を取り巻く国際情勢というものについて語られていないのが,残念といえば残念ですね。
DVDで「ミザリー」を見た。スティーブン・キング原作のものです。監督,ロブ・ブライナー。ポ-ル・シェルダンという小説家を演じているのは,ジェームズ・カーンで,FBIか何かの裏切り者役ででていたのが,ありましたね。今回は主役で,いい演技をしていました。それにしても冒頭の雪道を車で臆せず走るのには驚きました。小説の方は,かなり前に読み始めて半分くらいで止めました。おもしくありませんが,映画のほうは大変おもしろかった。キングのものでしたら,「キャリー」とか「ファイアースターター」とか好きですね。それに井戸の中に閉じこめられるドロシー・クレイボーンとかいう話しも怖かったですね。
2006年8月20日日曜日
また,暑さが戻ってきました。でも夜,7時過ぎに公園を歩くと,日中の暑さはどこへやら,少しだけピークを過ぎた気配でした。
朱川湊人「林檎の木の下で」(オール読物2006.2)は,離魂記の系統のものです。雨月物語にある菊花の契のようなものです。すなわち,死んだ母の霊が姉の身体の中に入って,別れの挨拶に行くというものです。しかし,その話しを姉の演技ではないかと想像するところは余分です。ここにオカルト小説の基本があります。とかく超常現象が出てくるわけですが,その解釈は読者に委ねるべきです。それはともかく,この小説のおもしろさは,頭は良いがクールな父と姉,反対にどぢな母と妹の私という取り合わせにあります。特に父に似た姉の毒々しいまでの描写は,西鶴ばりのリアリズムです。こういう家族も,あるいはこういうタイプの人間もけっこういるのかも知れないと思わされてしまいます。
2006年8月21日月曜日
朱川湊人「凍蝶(いてちょう)」(オール読物2005.9)は,死んだ弟の霊が蝶になってその死を報せに来るという話しです。「あの子言ってたもん・・・必ず病気を治して私に会いに来るって・・・もしダメな時は,蝶々になって,心だけでも会いに来るって」というお話です。この事についての変な説明がないだけ,この現象が生きています。そうすると,それを取り囲む他のエピソードは,それなりによく書けているのに,この主題と離れてしまうのが残念です。
2006年8月22日火曜日
今日は午後1時前ごろから,暗くなり雷雨となりました。今年の雷としては最も近くを通過したものです。幸い,停電にはなりませんでしたが,近く(といっても見えないところ)に落雷したときには,窓枠に触っていた手に少し電流を感じました。これは始めて体験です。時々雷が接近して,漏電警報機のブレーカーが落ちることがありますが,似たようなものなのでしょうか。
ついでに雷について述べておきますと,金属は雷を呼びます。特に電気的に絶縁されて浮いている金属が危ないようです。逆に大地に接続している金属,これをアース(接地)といいますが,これは避けるようです。すなわち,避雷針の原理ですね。避雷針は雷が落ちるところだと思っている人も多いと思いますが,読んで字の如く,雷を避けるわけです。その範囲は先端から60°の範囲が保護角となって安全です。しかし,避けきれなくて落雷するときは,避雷針から地球に電流が流れますからある程度以上の銅線でできていないといけません。
最近の読書から。松本健一「幕末の三舟」(講談社)は,幕末の三舟,すなわち勝海舟,山岡鉄舟,高橋泥舟の生き方について書かれた,幕末・明治史である。三人三様の思想と行動が鮮やかに活写される。山岡鉄舟は,勝海舟が西郷隆盛と江戸の薩摩屋敷で江戸城明け渡しについて交渉する前に,静岡まで海舟の手紙をもって根回しに行った人物である。その役目は,はじめは,高橋泥舟に海舟が頼んだが,泥舟は謹慎中の徳川慶喜の警護に専念するために鉄舟を紹介したという間柄である。その静岡への旅の途中,由比町で薩摩藩士に追われた鉄舟は御茶屋に逃れ,そこの土蔵から階下へ逃げて難を逃れたということを,本日のハイビジョン特集街道てくてく旅東海道2でやっていたが,本書には幕府に囚われの身で海舟が居候させていた薩摩藩士・益満休之助を鉄舟の共につけているから,薩摩藩士に追われることはなかったはずであるが(p.88),少しはそのようなこともあったのかもしれない。
2006年8月23日水曜日
本日は二十四節気の処暑。15時23日に太陽黄径150°となります。
夜の温度がややさがっかったのでしょうか。少し凌ぎやすくなりました。夕凪亭に射し込む日の角度が少しずつ変わって,季節は確実に秋へと近づいているようです。とはいえ,日中はまだまだ暑いようです。
メダカには1日1回朝だけ餌をやるようにしております。よく太っております。
百日紅の花が1枝だけ咲いていたのが散って,やっと多数の枝のも咲きました。そしてあちこちに白い百合が咲いています。その下にはカナヘビ(蜥蜴)がジュラシックパークさながらに動き回っています。
2006年8月24日木曜日
最近の読書から。江藤淳「漱石とその時代 第三部」(新潮社)。やっと,第三部が終わった。まだ,第四部,第五部がある。と言っても第五部は,かつて図書館から借りてきて読んだことがある。しかし,引き続いて読んでみようと既に買ってある。途中で飽きればやめるが,ともかく二冊。それに第一部はずっとずっと前に読んだので,もう一度読んでみたいとも思っている。
第三部は,猫の連載と,その間に書かれる短編の話しが中心となる。後半に至って,坊ちゃんが,やはりホトドキスの付録として一挙連載される。このとき猫も終盤が同時に連載されている。坊ちゃんが発表された頃,藤村の「破戒」が発売され,漱石が感心する。金色夜叉などは三十年もすれば読まれなくなるが,「破戒」はさらに残る名作だというのである。与謝野晶子の評も紹介される。「破戒」も「坊ちゃん」も高く評価し,坊ちゃんのほうがいいという。果たして,晶子の孫の代になってみれば,この晶子の感覚がいかに妥当なものだったかということが見事に証明されている。漱石は「破戒」のモチーフが弱いという。江藤氏は秘密-告白というユニバーサルなテーマがあると書く。確かに,「破戒」は社会小説というよりも秘密-告白というテーマを見事に描いた青春小説に違いない。
さらに,漱石と養父との複雑な関係も示される。(p.293)。漱石の実父は,長男次男が亡くなったとき,漱石を復籍して夏目家を継がせている。そのとき示談金を払い,養父塩原昌之助との間に決着が着いている筈であった。しかし,塩原が漱石・金之助個人に「互に不実不人情に相成らざる様致度存候也」と一札入れさしていたことが後に分かり,実父が激怒し,絶縁する。(p.294)。そして,その後の漱石は塩原の影を怯えることになる。このことが,漱石の小説に出てくる,親戚間の厄介な関係の背景である。
さて,漱石は「坊っちゃん」の後,「草枕」,「二百十日」,「野分」を書いたところで,朝日新聞社から勧誘を受ける。その交渉が進んだところで,文科大学のほうでは4月から教授にしようという話しが出てくる。結果は周知の通りである。正式に朝日新聞社入社の決定の通知が届いたのは,明治40年3月29日であった。「このとき文科大学講師夏目金之助は,東京朝日新聞小説記者夏目漱石に変身したのである。」(p.420)
2006年8月25日金曜日
朱川湊人「春の悪魔 わくらば日記Ⅴ」(野生時代2005.4)。春風は人を狂気に誘う。ちょうど満月の夜と同じように。ということは天候や地磁気の影響が,人間の精神にも影響を及ぼすということでしょうか。本筋には関係ないが「冥王星が発見された年だそうですから,昭和5年の出来事でしょう。」(p.81)などという記述もある。また,小塚原の回向院のことなども出てくる。これについては,Newtonの2006年9月,10月号に紀行文があります。
2006年8月26日土曜日
最近の読書より。共同通信社社会部編『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』(新潮文庫)。昭和の戦争,シベリア抑留,インドネシア戦後補償,韓国戦後補償,自衛隊の創設,防衛費の拡大と商社の暗躍,そしてスパイ大作戦・・・と昭和の複雑怪奇な歴史が数々の証言によって明らかにされる。それは驚きの連続には違いない。しかし,その驚きに目を奪われて,その先が見えなくなってしまうのではなかろうか。共同通信社であっても書けないものは書けない。表にできな更に深い闇が,この奥にはあるに違いない,と思います。また,証言はあくまでも証言であって,すべてを確証することは不可能なことだということも知っておかなければならないですね。
2006年8月27日日曜日
相変わらずエアコンを入れて暑さに耐えている。頭は使わない,いや,使えない。・・・それでも,夕方になると斜めに当たる夕日が真夏の角度ではないということが分かります。秋へ向かってどんどんと季節は移っていきます。
エド・マクベイン「最後の希望」(長野きよみ訳,早川ポケットミステリー)をやっと終わった。すぐ終わると思っていたが,278ページの新書版二段組というのは,かなりの分量であった。
舞台はフロリダである。弁護士のところに仕事を探しに出かけたまま帰ってこない夫と離婚したいという女性が訪ねてくる。その夫を捜すのが弁護士の役目になる。
次から次へと謎めいた話しが展開する。おまけに結果が先に出てきたりと,いろいろややこしい。終わってみれば,面白い話しだったと,思う。作者の余分な饒舌は面白いが,ストーリーとはあまり関係ない。これが楽しいと思う読者も多いと思う。
2006年8月28日月曜日
60年も生きていると(とはいえ,四捨五入志手の話しだが,),いろいろなことが起こるものだ。ハリケーンが日本にやってくるかも知れないという。台風12号だ。生まれたときは,ハリケーン。成長の過程で台風になった。虎が牛と呼ばれても,やはり虎である。だから台風12号はハリケーンである。
江藤淳「南洲残影」(文藝春秋)を読んだ。西郷南洲の死とは何であったのか? 西南戦役とは何であったのか? 西郷は語らない。しかし,西郷を慕う多くの人がいる。
田原坂のところで,江藤さんの筆は,蓮田善明のことに及ぶ。(p.87-)「文藝文化」という雑誌の創刊者である。そして三島由紀夫を発見したと書く。しかしこれは誤りである。学習院の舎監で文芸部の顧問をしていて「文藝文化」の同人だった清水文雄先生が間にはいる。そこのところが書かれていない。清水文雄先生は戦後広島大学の教授をされ退官後は比治山大学(当時は比治山女子短期大学)の教授・学長などをされた。三島から清水文雄先生へ送られた本と書簡は,比治山大学に寄贈されている。
清水文雄氏には,「河の音」「続河の音」という随筆集がある。「河の音」は方々捜しても見あたらない。「続河の音」には,学習院時代の三島由紀夫,『花ざかりの森』出版のことなど,など三島関係の文章もある。
それはさておき,西郷が歩く。その影が人々の記憶に残る。そのような形で,西郷隆盛という人の偉大さが伝わる。やはり,偉い人だと思う。なのになぜ負けると分かっていた戦をしないといけなかったのか,やはり私にはわからない。
こちらでは,西南戦役は遠い過去のことであるが,先年,熊本の古書店を訪ねたとき,当地では,決して遠い過去のことではないのだという思いを新たにした。
2006年8月29日火曜日
最近の読書から。岡倉古志郎「死の商人 改訂版」(岩波新書)。例えば,西南戦役のような小さな戦争でも,人が動けば食糧も必要だし,そして何よりも武器がいる。人と物が動けば,費用がかかる。すべてを自前でやるわけに行かないから,第三者に依頼する。すなわち,ここに商行為が起こり,利益を得る者がでてくる。だから,戦争をビジネスだと思う人間も出てくる。そういう人間のことを「死の商人」という。そして,その最も巨大化したものが独占資本家ということになる。戦争があったから稼いだのではなく,稼ぐために戦争を起こすということになる。・・・これが現在でも続く世界の歴史である。
軍需産業のひしめくアメリカ帝国主義は,世界のどこかで紛争が起きることを欲している,ということは常識である。しかし,ただアメリカだけが悪いのではない。アメリカの軍需産業が無くなって,民生機器ばかり作り出したら,日本の産業は成り立たなくなる。
さて,40年ほど前に読んだ本を今読み返してみると,あの頃はじめて聞いた,デュポン,IGファルベン,クルップなどという固有名詞の意味が,よくわかる。なお,IGファルベンは第二次世界大戦後分割され,ヘキスト,バイエル,BASF(バーディッシュ・アニリン・ウント・ソーダ・ファーブリーケン)という,時々耳にする化学会社になっている。
2006年8月30日水曜日
少し暑さが弱まってきました。これまでのような,寝転んで本を読むだけ,というような生活をそろそろ切り上げたいと思います。8月の終わりに一日早いですが,そういうことで,この夏は何もせず,ただ暑さに耐えていただけであったように思います。太陽に刃向かっても勝ち目はありませんから,それはそれでよいのですが。今年の夏を異常気象と思うか思わないかは,想像力の問題です。そして,50年後,いや30年後の日本の気象がどうなっているかというのも,これまた想像力の問題です。私は,そのころはいませんから想像しても仕方がありませんが,でも楽観できないところがつらいところですね。行く夏や昨日の蝉は明日何処。
カウンターが300になりましたので,CRYSTAL top の背景を変えてみました。Sunrise Yellow さんの旧作を借りております。(あまり マッチしてないけど,しばらくようす見るね。to 黄色い日の出さんへ。)
2006年8月31日木曜日
いろいろなことのあった8月も今日で終わりです。明け方も涼しく,今までのような開放的な格好ではやや肌寒い感じが致しました。早く秋が来るといいなあ。
8月を終わるにあたって,
冥王星の詠める
太陽を遠く隔って転りしを 惑星と呼ばれて喜寿に至らず
台風12号の詠める
180度越えてしまえば台風と 名は変われども我はハリケーン
注ニ曰ワク コレラハ 天変地異ニアラズ 人間ノ エゴナリ。