2019年2月25日月曜日

夕凪亭閑話 2007年5月

  
2007年5月1日。火曜日。晴れ。旧暦3・15 きのと ひつじ 八白 大安
 5月です。相も変わらぬ若草の色。
「宇治拾遺物語 巻第十」 「三 堀川院明暹(みゃうせん)に笛吹かさせ給う事」
 大般若の御読経の時堀川院が調子を変えて笛を吹くと明暹が声の調子を合わせたので,感心して笛を吹かせたらこれまた見事に吹いた。
 「四 浄蔵が八坂の坊に強盗の入る事」
 強盗が入ったが浄蔵の法力で一歩も動くことができなくなったという話。
 
2007年5月2日。水曜日。晴れ。旧暦3・16 ひのえ さる 九紫 赤口  八十八夜
 暖かくなった。夜間そばえたのか朝道路が濡れていた。やっとあたたかくなってストーブに頼らなくなった。そろそろ片づけるのがいいか。夜は,満月である。16日だが明日が月齢では満月か。
 「宇治拾遺物語 巻第十」 五 播磨守佐大夫が事」
 力の強い牛がいなくなって,しばらくして苦しそうに帰ってきた。死んだ男の霊が牛に乗っていたらしい。
 「六 吾妻人生贄をとどむる事」 
 美作の国の中山という神の生け贄になる少女を旅人が助け,人間を生け贄にする風習を廃止させたという話。
 
2007年5月3日。木曜日。晴れ。旧暦3・17 ひのと とり 一白 先勝 憲法記念日
 四連休のまず一日目。法事で帰省。そして筍取り。これで今年は終わり。朝高速道の自然渋滞に遭遇。お天気は快晴。暑くはないが,寒くもない。
 「宇治拾遺物語 巻第十」 「七 豊前王の事」
 桓武天皇の第五皇子は除目の予想をしてよく当たった。
 「八 蔵人頓死の事」
 蔵人貞高が食卓に顔をあてて死んでしまった。どちらから死者を出すかと問われて,後に小野宮右大臣になる実資頭中将が東から答えて,みんなが東に集まるようにしむけ西から出した。夢に故人が現れ死の恥をお隠し下さったと感謝した。
 「九 小槻当平の事」
 陰陽師に頼んで呪い殺すのだが,物忌み中で門を閉ざしている。声だけ聞けばよいというので,門のところで呼び出し,声を聞き顔を見てから呪うと三日後に死んだ。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 パクス・ロマーナ 下」   第三部 統治後期 ティベリウス復帰 ~p.59
 一私人としてロードス島に去っていたティベリウスが復帰する。アウグストゥスの後継者が続々と死んでしまったからである。それにゲルマニア戦線の指揮をとれる者がいなかったからである。要するに長きローマの平和は,平成の日本と同じように活力を失い戦役の指揮官すら払底するありさまだったのであろうか。
 
2007年5月4日。金曜日。晴れ。旧暦3・18 つちのえ いぬ 二黒 友引 みどりの日
 なぜか今日はみどりの日。暑くなりませんね。
 「宇治拾遺物語 巻第十」 「十 海賊発心して出家の事」
 海賊の大将が僧を殺そうとして海に投げ込んだが,死なないので事情を尋ねてみると法華教の功徳らしい。結局この入道に従って入道となった。
 「宇治拾遺物語 巻第十一」 「一 青常の事」
 物腰に間のぬけたとこのある左京大夫を「青常」と呼んでばかにしたので,帝の指示でやめるようにした。青常と呼んだら償いの振舞酒をすることになったという話。
 「二 保輔盗人たる事」
 貴族で官吏の保輔は盗人の首領で,物売りからは物を買うふりをして殺し,また京中でも盗みをしていたという話。
 最近の読書から。鏑木蓮「東京ダモイ」(講談社)。シベリア抑留に材を得た推理小説で,やや構成に瑕瑾があるものの,読み応えのある話でございました。
 
2007年5月5日。土曜日。晴れ。旧暦3・19 つちのと い 三碧 先負け こどもの日
 いくつになってもこどもの日というのはいいものです。小さい頃,張り子の虎や金太郎人形を出して飾るのが楽しみでした。あまり暑くはなかったが,まずまずのお天気で早朝,朝,昼,晩とトータル二時間ほど散歩しました。
 「宇治拾遺物語 巻第十一」 「三 晴明を試みる僧の事」
 有名な晴明の話。晴明の能力を試そうと播磨の僧が二人の童子を連れてきたので,晴明はそれが式神によるものだと悟り,隠してしまう。僧が返してくれというので晴明は出してやった。僧は晴明の実力が自分より上だと知って入門した。
 「三続 晴明蛙を殺す事」
 密教の権威広沢僧正の御坊で晴明が蛙に草を投げると蛙が死んだ。式神を使ったものと思われる。家の戸の上げ下ろしも,人がいなくてもしているから式神だろうという話。
 「四 河内守頼信平忠恒を攻むる事」
 河内守頼信が関東で無法なふるまいをしていた平忠恒を攻めたとき,知らない土地なのに,海の中に馬の通れる浅瀬があるに違いないといって意表をついて攻めた。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 パクス・ロマーナ 下」   第三部 統治後期  反乱 p59-71
 アドリア海を鋏んでの対岸ダルマティアとパンノニアで大規模な反乱が起こった。これに向かうのはティベリウスしかいない。ここでも人格高潔な指揮官は遺憾なくその能力を発揮する。あまりに増えた補助部隊を帰らせるところなど,いかにも知将のなせる技である。こういうことは見栄ばっかり気にして実力のない者にはなかなかできないことである。
 家族の不祥事 p.72-76
 アウグストゥスの直系の男孫アグリッパ・ポストゥスはティベリウスについてで,皇帝の後継者としては第二位にいるのであったが,狂暴故かプラネシア島に流される。さらに女孫のユリアもまた処罰される。この直系の孫の一人アグリッピーナはティベリウスの後継となるべきゲルマニクスに嫁ぎ,この血がカリグラやネロに引き継がれる。ならば凶暴性はアグリッパ・ポストゥスに既に発現していたのかと思って系図を見ると母はユリアで父は高潔なアグリッパである。ユリアの父はこれまた高潔なアウグストゥスなのだから,もしこの系統から狂暴な遺伝子が組込まれたとすると,それはユリアの母,アウグストゥスの最初の妻スクリボニア当たりからではなかろうかと想像する。
 
2007年5月6日。日曜日。雨時々曇り。旧暦3・20 かのえ ね 四緑 仏滅 立夏
 今日は普通の日かと思っていたら立夏だった。少し気温は低いが暦の上ではもう夏だ,ということになる。
 「宇治拾遺物語 巻第十一」「五 白河法皇北面受領の下りのまねの事」
 白河法皇の時,北面の武士たちが国守が任国へ下るとこのまねをした。その時,源行遠はこっそり支度をして従者に,いつ行列がくるか「行って見てこい」と言って待っていたが,いつまでたっても来ない。後で従者に問い質すと,「行って見てこい」と言ったので,行ってじっくりとみてきましたということであった,という笑話。
 「六 蔵人得業猿沢の池の龍の事」
 鼻蔵人とあだ名された僧が某月某日この池より龍が出ると立て札に書くと,多くの人が信じて集まりだして,自分まで何だろうかと思い出す始末。芥川の「龍」の素材。
 「七 よるべもない貧しい女が,清水寺に何度も参詣しても御利益がなく住むところを出ていくはめになり,観音を恨んでいると夢に御帳の帷を下さった。ゆとりもないのにこんなものをもらっても仕方がないと思い辞退すること三度,それでもくださるというので頂き,着物にして着ると,その後はすべてが運良くすすみ幸福になったという話。
新潮文庫「ローマ人の物語17 パクス・ロマーナ 下」   第三部 統治後期  詩人オヴィディウスp.77-82
 孫娘ユリアの流刑のとばっちりを受けて詩人オヴィディウスがコンスタンツァへ流罪となる。「アルス・アマトリア」の作者としてであろう。しかし,この作品が発禁となるのではない,というから昔の人の考えることはわからない。カエサルにおいては決して行われなかったであろうことが,アウグストゥスによって行われる。カエサルの夢を実現した人ではあるが,やはりカエサルに比べると人物的には劣るということか。
 
2007年5月7日。月曜日。晴れ。旧暦3・21 かのと うし 五黄 大安
 長い休みも終わり,今日からまた仕事である。エキスポランドでのジェットコースター事故は痛ましいかぎりだが,報道を見ていてふと思った。高度経済成長期に途方もない数の施設やインフラが作られたが,今それらを完全に維持管理できているのであろうか,という疑問である。北海道のガス漏れ事故のときにも思ったが,人口減社会が訪れているのだから,どう考えても維持管理をする人たちが少なくなる。日本はどこへいくのだろうか。
 「宇治拾遺物語 巻第十一」 「八 則光盗人を斬る事」
 陸奥の前司則光が若い頃盗賊三人を斬ったが,翌日下手人は自分だと吹聴する男がいたので,そのままにしておき,年老いて子供に語った。
 「九 空入水したる僧の事」
 桂川で入水する僧だと言っておきながら結局死ななかった僧の話。
 「十 日蔵上人吉野山にて鬼にあふ事」
 日蔵上人が吉野山であった鬼が恨みに思った仇は絶えてしまったが自分だけが永劫の苦しみを受けていることを嘆く。
新潮文庫「ローマ人の物語17 パクス・ロマーナ 下」   第三部 統治後期 「森はゲルマンの母である」p82-112
 ゲルマンの森でヴァルス率いる三万五千のローマ軍が壊滅した。一部族の族長アルミニウスの反乱といってもいい。逆襲である。これによってローマの防衛戦はエルベ川から,カエサルの定めたライン,ドナウ川まで下がる。ここでもカエサルの先見の明と比較される。しかし,負けたローマは疲弊せず,勝ったアルミニウスのほうが疲弊していく。それでだけアウグストゥス体制というものは完成されていたのである。
 
2007年5月8日。火曜日。晴れ。旧暦3・22 みずのえ とら 六白 赤口
 今日は初夏らしく気温も上がった。上着を脱いだり窓を開けたりの一日であった。28℃くらいになったのであろうか。
 「宇治拾遺物語 巻第十一」 「丹後守保昌下向の時至経の父にあふ事」
 丹後守保昌が国へ下っていたとき馬から降りない老人がいて郎党どもは非難したが保昌は,「一人当千の馬の立てようなり」とただ者ではないことをすぐに見抜いた。
 「十二 出家功徳の事」
 道祖神の祠に修行僧が泊まると近くのお寺で新しい仏がお出でになるので梵天,帝釈,諸天,竜神がお集まりになるという会話を聞いた。翌日行ってみると老婆が出家した。出家するということは,このようにありがたいことだと知った。以上で巻十一は終わる。
「 宇治拾遺物語 巻第十二」 「一 達磨天竺の僧の行見る事」
 達磨和尚が天竺のある寺で僧たちの修行の様子を見るに,碁ばっかり打っている老僧が二人いて他の寺僧は憎しみ卑しんでいたが,実は悟りに達していたという話。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 パクス・ロマーナ 下」   第三部 統治後期 死 p.112-123
 カエサルの夢を実現したアウグストゥスの波瀾万丈の生涯もいよいよ終盤を迎える。ナポリで妻リヴィアの腕の中でおだやかに死んでいった。76才の生涯であった。後継者も決め,遺言も完璧に残してた準備された死であった。
 以上で新潮文庫で17冊目,単行本で6冊目が終わった。
 
2007年5月9日。水曜日。晴れ。旧暦3・23 みずのと う 七赤 先勝
 今日も気温が高く初夏の趣。朝夕がすがすがしい。
 「宇治拾遺物語 巻十二」 「二 提婆菩薩龍樹菩薩の許に参る事」
 提婆菩薩が龍樹菩薩を訪ねたとき龍樹が水を出すとそれに針を入れて返した。互いに相手の優れていることを理解した。
 「三 慈恵僧正受戒の日延引の事」
 天台座主の慈恵僧正が受戒を行う日に急に延期するという通知がもたらされた。多くの人たちが誹り,集まった人も不満をもって帰った。その日の午後二時頃大風が吹いて南門が倒れた。もし受戒が行われていたら多くの人々が死んでいたことだろう。
「四 内記上人法師陰陽師の紙冠を破る事」
 内記上人寂心という僧が塔を建てるのに材木っを播磨の国に行って集めたとき,紙冠をつけて祓いをする僧のかたちをした陰陽師をみつけて,仏の弟子でありながら祓えをするのかと中止させたところ生活のためだと言ったので,寄進されている木材をこの男にすべて与えた。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス カプリ島 p.16-23
 ティベリウスが隠棲したところが「ナポリの南30キロに浮かぶ小さな島カプリ」である。あのナポリである。海は青く崖に南して建つ白い建物がやや西に傾いた陽に金箔をちりばめたように輝いていたのを今更のように思い出す。その頃は「背教者ユリアヌス」や「春の戴冠」のイタリアという視点であったから,二代目皇帝がこんなところに隠棲していたことなど夢にも思わなかったが,それにしてもうらやましいような場所である。しかし,本人には厭世的なものが溜まって首都ローマでの生活に嫌気がさしたのであろうか。寂しい人生に見えるが,反面,地中海の時刻とともに変化する海の色をひねもす望見できたうらやましいような人生のように私には思える。
 最近の読書から。薬丸岳「天使のナイフ」(講談社)は,読み応えのある力作である。せめてこれくらいの水準の本ばかりが出版されていたら,日本の出版事情は今ほど危機的な状況にはなっていなかったと思う。推理小説であるので粗筋の紹介はやめるが,少年法と少年犯罪という大きなテーマの中でそれにかかわる人々の気持ちが丁寧に描かれている。殺された妻の知らない過去を知っていく主人公の姿は,主人公と死んだ妻との恋愛小説のように気高く明らかにされていく。まさに天使のナイフであった。
 
2007年5月10日。木曜日。晴れ。旧暦3・24 きのえ たつ 八白 友引
 今日の天気は不思議です。朝は大雨。昼は風。夜は寒かった。昨日の今日ですから,夕食後の散歩も公園を一周したところで引き上げてきました。風邪をひいたら損ですから。
 「宇治拾遺物語 巻第十二」  「五 持経者叡実効験の事」
  叡実という持経者は蒜(ニンニク)を食べていても法華経の寿量品を読んで,おこりの祈り治した話。
 「六 空也上人の臂観音院僧正祈り直す事」
 空也上人の曲がった左手を余慶僧正が祈祷して治した話。
 「七 増賀上人三条の宮に参り振舞の事」
 増賀上人は奇行が多かったがそれでも名声は高かった。その奇行の一例。
 
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 皇帝即位 p.23-56
 アウグストゥスの死後すぐにティベリウスが即位したのではなかった。アウグストゥスの遺言には後継者としてティベリウスが皇帝になることは明瞭であったが,やはり元老院の承認を得ている。承認というよりも元老院が国家の第一人者としてティベリウスに委託したという形で。そしてその間のやりとりにおいてティベリウスは謙虚にも辞退するのだ。これが政治的なポーズが本心かは,本当のところはわからない。多分両方であっただろう。
 
2007年5月11日。金曜日。晴れ。旧暦3・25 きのと み 九紫 先負
 今日は春らしいよいお天気でした。木々は益々緑を増し生命感を横溢させております。夕暮れ時もすがすがしく本当によい時候でございました。
 「宇治拾遺物語 巻第十二」 「八 聖宝僧正一条大路を渡る事」
 上醍醐寺の開祖聖宝僧正が,吝嗇で裕福な僧に供養をさせるべき賭け事を提案して勝ったという話。上醍醐寺は西国三十三観音霊場の一つでいずれはお参りする予定だが,一時間ほど登山しないと行けないので,今のところ予定が立たず。
 「九 穀断の聖露見の事」
 米糞聖人伝説の一つ。穀断ちをしているという上人が朝廷に召されたが,こっそりと食べていて化けの皮が剥がれた話。
 「十 季直少将歌の事」
 季直少将が病気になり,少しよくなって内裏に参上して明後日にまた参上しましょうと言って帰った。三日ほどたって「悔しくぞ後に逢はんと契りける今日を限りといはましものを」という歌を送ってきて亡くなった。
新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 軍団蜂起 p.57-70
 ドナウ河防衛線のパンノニア軍団で兵士達の反乱が起こった。ティベリウスは息子のドゥルーススを派遣した。ドゥルーススは鎮圧した。組織には組織の論理で対応するのが一番だった。
 
2007年5月12日。土曜日。晴れ。旧暦3・26 ひのえ うま 一白 仏滅
 今日は暖かかったので,瀬戸田の平山郁夫美術館へ行ってきました。それから西国三十三観音霊場第十一番の向上寺へお参りしてきました。向上寺の三重の塔は国宝で,おだやか海と緑の島の中に静かにたたずんでいます。向上寺へ車で行かれる方は,平山郁夫美術館前の交差点を北へ向かってください。そっして神社の鳥居まで行かず左折して高根島の方を目指します。坂の途中,三重の塔へ徒歩五分の小さな看板にしたがって左折して山の中の小道を進めば境内まで行けます。橋までは行かないように。
 「宇治拾遺物語 巻第十二」 「十一 木こり小童隠題歌の事」
 篳篥(ひちりき)を隠題としてたが,人々の歌がまずいかったと聞いて木こりの少年が「めぐりくる春々ごとに桜花いくたびちりき人に問はばや」と詠んだ。
 「十二 高忠の侍歌詠む事」
 侍が掃除しながら震えていたので歌を詠めと言われ「はだかなる我が身にかかる白雪はうちふるへども消えせざりけり」と詠んで褒美に衣類をいただいた。これを布施して法師になっていなくなった。
 「十三 貫之歌の事」
 紀貫之が土佐守の時七歳になる子が亡くなり「都へと思ふにつけて悲しきは帰らぬ人のあればなりけり」と詠んだ,という土佐日記にある話。
新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス ゲルマニクスp.70-90
 ドナウ防衛線だけでなくライン防衛線においてもアウグストゥスからティベリウスへの帝位交代にたいして反乱が起こった。こちらではゲルマニクスを皇帝に擁立しようという動きすら見られたが,派遣されたゲルマニクスは荷担せず,鎮圧した。
 
2007年5月13日。日曜日。晴れ。旧暦3・27 ひのと ひつじ 二黒 大安
 今日もよいお天気であった。夕方公園を散歩していると蝙蝠が飛んできた。今年はじめての見参である。
 「宇治拾遺物語 巻第十二」 「十四 東人歌詠む事」
 「あなてりや虫のしや尻に火のつきて小人玉とも見えわたる」という歌は東人のように詠もうと紀貫之が詠んだ歌だということだ。
 「十五 河原院融公の霊住む事」
 源融の家である河原院は大臣逝去後は宇多院に譲られた。宇多院が夜中に融の幽霊を見た。
 「十六 八歳の童孔子問答の事」
 八歳の子供が孔子に道で出会い,日の沈む所と洛陽はどちらが遠いか聞いた。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 公衆安全p.90-93  緊縮財政 p.93-106
 皇帝ティベリウスの政策について語られる。地味なストーリーであまり面白くない。地味な性格を反映してか剣闘士の試合を減したりする。これには当の剣闘士から収入が減るというクレームが付く。現代流に解釈すれば人道的でさえあるが,すでに職業として成立していたのだ。似たような話を「奇形全書」(原書房)で読んだことがある。一般論のヒューマニズムが必ずしも個人のヒューマニズムに結びつかないという例であろう。
 
2007年5月14日。月曜日。晴れ。旧暦3・28 つちのえ さる 三碧 赤口
 よいお天気。鶯がさくらんぼの木にやってきました。少し色づいていますので食べられないか心配です。負けずに食べましょう。
 「宇治拾遺物語 巻第十二」 「十七 鄭大尉の事」
 後漢の鄭大尉は若い頃親孝行で木を切ったりしていた。梶のない舟に乗り向かいの島に行きまた帰ったりした。このことを朝廷が聞き大臣に任じた。
 「十八 貧しき俗仏性を観じて富める事」
 片田舎の男が,どうしたら財宝を得ることができるかとある僧に聞いた。すると僧は自分の心が仏だと言ったので,そのことを心にかけて信心すると財宝が貯まった。
 「十九 宗行が郎等虎を射る事」
 壱岐守宗行が家来を殺そうとしたので,その家来は新羅国へ逃げた。そこで虎を弓で射殺し有名を馳せた。また,許されて多くの褒美をいただいた。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス ゲルマニア撤退 p.106-117
 ガリアがフランスで,ゲルマニアがドイツである。フランス語はラテン語に似ている。ラテン語が変化したのだから当然と言えば当然である。しかし,ドイツ語や英語はフランス語やスペイン語ほどもラテン語に似ていない。このことはローマ帝国の覇権と関連する。遠征はしたものの長きに渡る支配が行われなかったでのある。皇帝ティベリウスの下でゲルマニアに向かったのはゲルマニクスであったが16年を最後に,遠征は終わる。もう少しあれば完遂するというところで,ティベリウスはゲルマニクスへオリエントへの転戦を命じた。そしてゲルマニアへの後任を派遣しなかった。すなわち状況的には勝っている段階で,ゲルマニア戦役を終焉させたのである。タキトゥスの説に反して,そのように塩野さんは説明される。
 
2007年5月16日。水曜日。晴れ夜雨。旧暦3・30 かのえ いぬ 五黄 友引
 昨日は,三輪明宏さんの「双頭の鷲」を観に広島へ行ってきた。少し時間があったので,「始皇帝と彩色兵馬俑展」を見て,次に中国三十三観音霊場第十三番 龍泉山 三瀧寺へも参拝してきた。三瀧寺は学生時代に一度だけ行ったことがある。あの時は暑い夏だったのに涼しいところだったという印象がある。それに三滝橋の東のほうは,就職したとき一月ほど住んでいたところでもあり,懐かしく町並みなどを眺めてきました。
 「宇治拾遺物語 巻第十二」 「二十 遣唐使の子虎に食はるる事」
 遣唐使に子供を連れて行ったが虎に襲われたので,虎を殺し子の亡骸だけは取り返したという話。遣唐使に「十ばかりなる」子供を連れていくなどという話は聞いたことがない。本当だろうか。
 「二十一 ある上達部中将の時召人にあふ事」
 藤原公任が中将のとき罪人に出会い恨まれて連れ去られるが,罪の軽い罪人を許すようにいったので,その男が感謝し救出したという話。
 「二十二 陽成院のばけ物の事」
 陽成院が退位されてから後の御所で,浦島太郎の弟だという妖怪が現れたという話。
 「二十三 水無瀬殿むささびの事」
 後鳥羽院の時,離宮の水無瀬殿に毎夜光る物がやってきて不思議がられた。「かげかた」という武士が弓で射るとムササビであることがわかった。
 「二十四 一条桟敷屋鬼の事」
 一条桟敷屋敷に泊まっていて百鬼夜行に逢う話。
 
2007年5月17日。木曜日。雨後晴れ 旧暦4・1 かのと い 六白 仏滅
 夜来風雨の声ではない。朝起きたらよく晴れていたので散歩して帰ってから雷雨であった。一日中涼しく,暑くならないのが不思議。
 「宇治拾遺物語 巻第十三」  「一 上緒の主金を得る事」
 金持ちになる話であるが,前半と後半が続かない。別の二つの挿話ではなかろうか。
 「二 元輔落馬の事」
 清少納言の父である清原元輔は落馬してもすぐに冠をかぶりもせず,若い公達に落馬はちっとも笑うほどのことはないと説いて聞かせるなどして,いつも人を笑わせていた。
 「三 俊宣まどはし神にあふ事」
 邦の俊宣という男が長岡の寺戸のへんで,まどわしの神にあって同じところをくるくると回っていたという話。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス ライン河防衛体制 p.118-125
 ゲルマニアから撤退したローマは新たにライン河沿いに防衛体制を築く。しかし,誰がしたのかはわからないが,ティベリウスがやったのに違いないという。それも現地に出向かず首都ローマで。
 
2007年5月18日。金曜日。晴れ時々雨。 旧暦4・2 みずのえ ね 七赤 大安
 朝も起きて歩こうとすると大粒の雨が降り出し,止んで歩いていたら又降り出した。日中は晴れていたが夕方からまた降り出した。何とも変な天気だ。そして気温もあまり上がらない。時々石油ストーブを使っている。昨年も似たようなことを書いた。
 「宇治拾遺物語 巻第十三」 「四 亀を買ひて放つ事」
 親から宝を買うために五十貫を託された子が途中で亀を買って放生した。どうしようかと思いつつ親のところに行くと既にお金が返っていた。亀を売った者は船が沈んで死んだ。落ちたお金を亀が拾って返しにきたのである。
 「五 夢を買ふ人の事」
 吉備真備が子供の頃夢見のところで他人の夢占いを聞いた。大臣になるという夢だった。真備は,その夢を自分が欲しいといって取らせてもらった。そして出世した。
 「六 大井光遠の妹強力の事」
 相撲取りの大井光遠の妹はほっそりした美人であったが,兄の二倍の力をもつ強力であった。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス p.125~p.142
 ゲルマニクスはアルメニア王国とパルティア王国へ派遣される。アルメニア王国はカスピ海の西だ。パルティア王国はティグリス河とその東になる。随分遠くに来たものだ,と思う。と同時にローマ帝国はなぜかくも広範囲な領土を支配下に置くことができたのか,という疑問がまたまた頭をもたげてくる。ローマ史への関心の根拠は結局,このことと何故衰亡したのかという疑問の二つに帰着できるように思う。後者の問いは今後の展開に待つことにして前者の問いを考えたい。塩野さんは敗者をも同化するローマ人のやり方を何度も強調されるが,確かに魅力的な方法であり,魅力的な説である。しかし,それだけであろうか。いくら書いても書ききれないほどの,システムと人間の能力の奇跡的な合致があったような気がしてならない。
 
2007年5月19日。土曜日。晴れ。 旧暦4・3 みずのと うし 八白 赤口
 4時半に起きると既に明るかったので,朝靄の中をすこしばかり散歩してきました。日中もよく晴れていたのですが,気温はあまり上がりませんでした。夕方には少し寒いくらいでした。
 「宇治拾遺物語 巻第十三」  「七 ある唐人女の羊に生まれたるを知らずして殺す事」
 唐の役人が任国に下るので羊を殺してふるまおうとしたら,妻は夢で死んだ娘が羊になって殺されようとしていることがわかった。しかし男はそれがわからず羊を殺してしまった。後で聞いて病気になって死んだ。
 「八 出雲寺別当父の鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事」
 夢で死んだ父が明日鯰として出てくるが助けて加茂川に流してくれと頼んだが,翌日別当はそのことを忘れ妻に諭されても,鯰を殺して鍋にして食べた。途中で喉に骨が刺さって死んだ。
「九 念仏の僧魔往生の事」
 念仏しか知らない僧が,天狗に騙されて阿弥陀仏が迎えに来たと思わされて攫われ,木の上に縛り付けられていたという話。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 総督ピソp.143-146
 ゲルマニクスとシリア総督ピソとの間はうまくいかなったようである。原因は陰で世話をやくべきピソが表に出過ぎたことにあるようだ。それに双方の妻の確執まで絡んで。嫌気がさしたゲルマニクスは皇帝領エジプトへ皇帝ティベリウスの許可を得ずに入国する。そして小麦倉庫を開放したりしてティベリウスと元老院の非難を受ける。
 
2007年5月20日。日曜日。晴れ。 旧暦4・4 きのえ とら 九紫 先勝
 今日は旧山陽道の矢掛を経て遙照山へ行ってきました。鶯がしきりに鳴いていました。そして驚くことにミンミンゼミがもう鳴いているではありませんか。帰りは金光町を通って帰りました。
 「宇治拾遺物語 巻第十三」 「十 慈覚大師纐纈城に入り行く事」
 慈覚大師が唐へ留学中に武宗が仏教を弾圧したので堂に逃げ込んで不動尊になって助かったが,次に行ったところが纐纈城だった。犬に導かれて無事脱出できた。
「十一 渡天の僧穴に入る事」
 唐の僧が天竺に行き歩いていると牛が山の片側の穴に入ったのついて入った。別世界のようにすばらしいところだった。牛が食べている花を食べると太って穴から出られなくなって死んだ。
「十二 寂昭上人鉢を飛ばす事」
 唐で法会の座で鉢を飛ばして食べ物を受けよと試されたとき,断ったが断り切れず行ったところ他の者より速く回転して食べ物をとってきたので尊敬された。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス ゲルマニクスの死 ピソ裁判 p.150-168
  シリアに戻ったゲルマニクスはマラリアで死ぬ。しかしシリア総督ピサとの確執から毒殺されたのだと本人も周囲も思いこむ。ローマに帰ったピソは裁判で釈明するも不利を悟り自殺する。
 
2007年5月21日。月曜日。晴れ。 旧暦4・5 きのと う 一白 友引
 またまた月曜日になった。朝四時半に起きると少し明るくなっていたのですぐに歩くことにした。公園にはもう鶯が来て鳴いていた。
 「宇治拾遺物語 巻第十三」 「十三 清滝川の聖の事」
 清滝川の奥で修行する僧が水瓶を飛ばして水を汲んできて飲み,自分ほどの僧はおるまいと思っていると,別の瓶が飛んで来て水を汲んでいったので,ついて行くと遙かに立派な僧がいたという話。
 「十四 優婆崛多弟子の事」
  天竺の優婆崛多が弟子に女人に近づくなと戒めたが,なぜそうなのかわからない弟子がいた。ある弟子が川で溺れている女を助け,後で犯そうとすると,それが優婆崛多だったという話。以上で,巻第十三を終わる。
 「宇治拾遺物語 巻第十四」 「一 海雲比丘の弟子童の事」
 海雲比丘は少年を連れてきて修行させた。また女人に近づくなと説教して試した。少年はそれにもよく耐え,洛陽の禅定寺で受戒を受けるように指示され受けて帰ると,そこは荒れ地であった。すべては文殊菩薩の仕業であった。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス アグリッピーナ p.168-174
 悪名高い皇帝ネロの母親アグリッピーナがそろそろ話題に上がる。アウグストゥスの親友にして協力者であった人格高潔なアグリッパの娘である。しかし品性は疑わしい。ティベリウスがネロを元老院で優遇するとともに婚約者をドゥルーススの娘と決めたためにゲルマニクスの遺児の皇位継承が決まったからである。勿論ネロがはずされたわけではないが,順序が逆転したのでアグリッピーナの心中おだやかならざるものがあったのである。しかし,また反乱の勃発で話はそちらへ移る。しかし,ティベリウスは動かない。
 
2007年5月22日。火曜日。晴れ。 旧暦4・6 ひのえ たつ 二黒 先負
 今日は少し暑くなったようです。やっと。
 「宇治拾遺物語 巻題十四」 「二 寛朝僧正勇力の事」
 寛朝僧正は仁和寺をも治めていたので,足場に上がって修理したところをみていたら刀をもった追い剥ぎにあった。後ろにまわって尻を蹴ったらいなくなった。下の方に掛かって動けなくなっていたという話。
 「三 経頼蛇にあふ事」
 経頼という相撲取りが家の傍の淵で大きな蛇をみつけた。経頼の足に尻尾を巻き付けて引くので踏ん張ると途中で蛇は切れて死んでしまった。頭は木に巻いていた。
 「四 魚養の事」
 遣唐使が唐で子を生ませて帰国するとき,次の遣唐使で便りを出すし子が大きくなったら引き取ると言った。妻はいくら待っても便りがないので怒って,この子の首に遣唐使なにがしの子と書いて,日本の方角の海に捨てた。一方日本では,父親が難波を馬で行っていると白いものが見えたので引き寄せてみるとその子だった。父親は母親の行為を理解してかわいがって育てた。また,遣唐使に便りを言付けた。妻は死んだと思っていたので,珍しいことと喜んだ。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 砂漠の民 p.174-178
 北アフリカのタクファリナスという男の反乱に遭遇した。北アフリカは元老院属州で総督は元老院議員がなるが軍団指揮権は与えられていない。しかし,ティベリウスは軍団指揮権も与えた総督の人選を元老院に求め,ブラエススが任命された。

2007年5月23日。水曜日。晴れ。 旧暦4・7 ひのと み 三碧 仏滅
 季節はめぐり初夏から夏へと変わっていっているのでしょうか。日中はかなり暖かい,いや暑いようです。鶯の鳴き声も変化してきました。
 「宇治拾遺物語 巻第十四」 「五 新羅国の后金の榻の事」
 新羅国の后が間男をもっていたが帝にばれて,髪をくくって吊り下げられた。后は長谷寺の観音に祈った。すると金の踏み台が下から支えたが,それは誰にも見えなかった。
 「六 玉の価ははかりなき事」
 二つの玉にまつわる類似の話であるが,多少意味不明。
「 七 北面の女雑仕六の事」
 北面の武士のところに六という気のきいた女がいたので,雨の夜呼び出そうと使いをやると録という刑部省の下級役人がやってきた。白髪の年寄りで興ざめして,言葉もなかったので下がらせた。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス ドゥルイデス教 p.179-187
 ガリアでも反乱が起こる。借金の利子率の高騰が原因であるが,ドゥルイデス教の追放も起因している。しかし,ティベリウスは動くことなく,責任を任されていた軍団長の適切な指揮で鎮圧した。
 
2007年5月24日。木曜日。晴れ。 旧暦4・8 つちのえ うま 四緑 大安
 暑くなりました。初夏という感じでいいですね。でも夜は少し蒸し暑くなりました。雲も多いし。雨になるのでしょうか。
 「宇治拾遺物語 巻第十四」 「八 仲胤僧都連歌の事」
 庚申待ちで連歌を作ったとき「いかにつきたるぞ」と問われて,仲胤が「連歌だにつかぬとつきたるぞかし」と言ってみんな笑ったという話。
 「九 大将つつしみの事」
 天文博士が「月が大将星を犯す」と奉ったとき,左大臣は自分が慎んだら右大将のために悪いことになるし,自分は年をとっているのでそうしないと言ったという話。
 「十 御堂関白の御犬晴明奇特の事」
 道長の犬が門に入らせまいとするので,阿部晴明を呼んで尋ねると呪いの仕掛けだと見破り,犯人まで捕まえた。
 
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 宗教観p.187-193
 敗者をも同化するローマの宗教政策が述べられる。ここでもまた何とユニークで人間味溢れた政策であったことかと感心する。要するに,どんな宗教でも自由。ただし,他のものへ迷惑さえかけなければ,ということである。この頃,すなわち紀元を越える頃,どちらが先かというと本末転倒なのだが,イエスが生まれ十字架にかけられている。その宗教がいつどのようにして誕生したのかは不明であるが。
 
2007年5月25日。金曜日。雨。 旧暦4・9 つちのと ひつじ 五黄 赤口
 朝から激しい雨。散歩にも出られぬ。遠くのほうで鶯が鳴いている。夕方になって雨が止んだ。少し歩くと汗が出る。梅雨も近い。
 「宇治拾遺物語 巻第十四」 「十一 高階俊平が弟の入道算術の事」
 高階俊平の弟が唐人から算置く術を習ったが,唐人が,学ぶには唐へ行く必要があるというので彼は行くという約束をしながら破った。怒った唐人が呪ったのでその後ぼけてしまって僧になった。以上で巻第十四を終わる。
「宇治拾遺物語 巻第十五」 「一 清見原天皇と大友皇子との合戦の事」
 壬申の乱で,大海人皇子後,の天武天皇の逃避行であるが最後には大友皇子を破って勝つ。
「二 頼時が胡人を見たる事」
 安陪頼時が北海道に渡って川を遡っても人がいなかったが馬に乗った胡人を見た。あっという間に深い淵を渡ったので驚いた。さらに上に上がっても渡るところがないので,恐ろしくなって帰った。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 災害対策 p.193-196
 ティベリウスは,帝政になっても元老院が最終的に決定するという制度を改め委員会制度にした。大変迅速に機能するので,災害時には威力を発揮した。まず小アジア南西部での大地震である。被災者の属州税免除は後のモデルとなる。
 
2007年5月26日。土曜日。晴れ。 旧暦4・10 かのえ さる 六白 先勝
 雨が上がってよいお天気です。五時前に散歩に行ったのですが,少し歩くと暑くなりました。夏になりました。
 「宇治拾遺物語 巻第十五」 「三 賀茂祭の帰り武正兼行御覧の事」
 賀茂祭りの時の行列で幔幕の上から「冠の巾子」だけを見せて通り過ぎたのが気の利いた心遣いであると褒められたという話だが,よくわからない。
 「四 門部府生海賊射返す事」
  門部府生という舎人は弓が好きで夜も自分の家の板を焼いて明かりとして弓の練習に励んだ。見出されて相撲取りを集める仕事についての帰り,海賊に襲われたが矢一つで,海賊は退散した。
 「五 土佐判官代通清人違して関白殿にあひ奉る事」
  土佐判官代通清は風流人であったので左大臣から花見に誘われ行く途中,後ろの牛車を左大臣と勘違いして扇を振ると,関白だった。関白の随身が弓で簾を射ると,あわてて転げ落ちて烏帽子が落ちた。
 新潮文庫「ローマ人の物語17 悪名高き皇帝たち一」 第一部 皇帝ティベリウス 安全保障 他 p.199-233
 今から見れば実に高潔で意志の強いティベリウスも,当時の評判は必ずしもよくなかったようだ。ということは不幸な人であったということ。際だった話がなくて聊か退屈したせいかこの巻は進まなかった。やっと17冊目を終わる。
 
2007年5月27日。日曜日。晴れ。 旧暦4・11 かのと とり 七赤 友引
 夏になりました。昼にタコ飯を作りました。まず塩でよく洗います。足の付け根の裏もよく洗いましょう。お米に対して水は心持ち少なめがいいでしょう。タコの足は,キッチンバサミで切ります。頭はそのまま入れます。味醂と料理酒,そして醤油を入れてから炊飯器のスイッチを入れます。しばらくすればできあがり。頭を食べるときは熱いので少し冷めてから食べましょう。巻きずしを食べるときの要領で,途中で噛み切ったりせずに,丸ごと口の中に入れてよく噛みましょう。
 「宇治拾遺物語 巻第十五」 「六 極楽寺僧仁王経の験を施す事」
 堀川太政大臣が病気になったとき多くの僧が呼ばれて祈祷した。極楽寺の僧は呼ばれながったが,極楽寺は大臣が建てた寺であるので大臣がお亡くなりになると生きている甲斐がないと,みんなで大臣のところへ行き,中門のところで熱心に仁王経を読んで祈願したところ回復したという話。
 「七 伊良縁野世恒?沙門御下文の事」
  伊良縁野世恒という者が毘沙門天に食べるものが欲しいとお願いすると,米が無くならない袋をもらうことができた。
 「八 相応和尚都卒天にのぼる事,染殿の后祈り奉る事」 
  相応和尚が法華経を暗記して都卒天にのぼった話と,染殿の后の祈祷に呼ばれ身分が賤しいということで不快な扱いを受けたので以後呼ばれても行かなかったという話。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第一部 皇帝ティベリウス(承前) カプリ隠遁 p.16-30
 やっと二冊目に入ります。カプリ島のヴイラ・ヨヴィスに住んでそこで隠居したのではなく,皇帝としての仕事もするという,まことに変な皇帝ぶりを示すティベリウスであった。仕事はする。しかし,評判は悪い。当然である。政治家としての顔が見えない。偽善という言葉について説明される。政治的な顔がすなわち,いい意味での偽善である。それを示さなかったのがティベリウスであったのだ。
 最近の読書から。海堂尊「チーム・バチスタの栄光」(宝島社)というのは,よくできた医学ミステリーで,楽しい。バチスタ法という心臓手術の話である。殺人事件なのだが,残念ながら,謎解きのヒントは示されない。
 
2007年5月28日。月曜日。晴れ。 旧暦4・12 つちのえ いぬ 八白 先負.
 さわやかなお天気でございました。空気がさらりとして,青空が広がっておりました。
 「宇治拾遺物語 巻第十五」 「九 仁戒上人往生の事」
 興福寺の仁戒上人は多くの人から尊敬されていた。郡司夫妻が臨終のときにお会いしたいと言ったので,そこに行って死んだという話。
 「十 秦始皇天竺より来たる僧禁獄の事」
 始皇帝の時代に天竺より僧が仏教を伝えようとして来たが,始皇帝に捕らえられて幽閉されてしまった。一心に祈ると釈迦仏が空から飛んできてその僧を取っていった。
 「十一 後の千金の事」
 荘子が隣家に今日の食べ物を恵んでくれというと,五日後に千金入るので差し上げましょうと言ったので,轍後の鮒の例を出して後の千金より今の命の大切さを説いた。
 「十二 盗跖孔子と問答の事」
 孔子がならず者の盗跖に教えようとして会いに行ったが,圧倒されて帰った。これが「孔子倒れす」ということである。
 以上で「宇治拾遺物語」が終わった。二ヶ月少し。やっと終わったとう感じです。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第一部 皇帝ティベリウス(承前) セイアヌス p.31--40
 近衛軍団の長官がセイアヌスである。すなわち側近中の側近といったところか。人格的には立派でも警察的な仕事,特にアグリッピーナ対策の中心者となるのだから,人格的な部分と仕事的な部分を截然と区別するのは難しい。そのせいか,その活躍のさまは明瞭には描かれていない。単なる資料の不足か,著者の配慮かはもっと先まで読んでみないとわからない。ティベリウスの母親リヴィアが死んだ。ティベリウスは葬儀にローマへ行くことはしない。
 
2007年5月29日。火曜日。晴れ。 旧暦4・13 つちのと い 九紫 仏滅 さんりんぼう
 月がだんだんと大きくかつ明るくなってきました。しかし次第に雲に覆われ,ほんの少しですが大粒の雨が降りました。
 「宇治拾遺物語」を終えたので,次は「和泉式部日記」を読むことにしよう。テキストは同じく小学館の日本古典文学全集。藤岡忠美校注・訳。赤い装幀の旧版である。幸い二十二の段落に分けられて小見出しがつけられているので,適当なところで止めることができるので好都合である。
〔一〕四月十余日-追憶と期待
 亡き為尊親王のことを思いだしていると,亡き親王に仕えていた小舎人童がきて,弟の敦道親王とのことが話題になり,歌のやりとりをする。
〔二〕宮との契り-恋心と自省
 和歌の贈答を繰り返しながら,関係を深めていきます。世の中のことはこんなに小説のように展開するとは限りませんから,かなりの虚構が混ざっていると思われます。しかし,それにしても歌といい展開といい,うまいものだと感心してしまいます。
〔三〕四月から五月へ-忍ぶ恋
 宮は周囲へ遠慮しながら訪ねる。式部はお寺詣りで,仏道修行にかこつけてわざと会わない。似たようなすれ違いが何度かある。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第一部 皇帝ティベリウス(承前) アグリッピーナ派の一掃 p.41-48
アグリッピーナと長男のネロ・カエサルはティベリウスの意志に基づき元老院で裁かれ,追放される。アグリッピーナがパンダクリア島,ネロ・カエサルはポンティーア島である。ティベリウスが隠棲しているカプリ島からは近く,現在の我々の感覚から言えば,目と鼻の先だ。でも追放には違いない。そしてティベリウス復帰の手足となり,クーデターの証拠を集めたのが,近衛軍団の長官であるセイアヌスであった。
 
2007年5月30日。水曜日。晴れ時々雨。 旧暦4・14 きのえ ね 九紫 大安
 断続的に雨が降って,晴時々雨か,雨時々晴か,わからないような一日でございました。雷も鳴るし,・・・・。でも早朝と,夕暮れ時は幸いにも雨もなくそれぞれ30分の散歩が確保できました。鶯がしきりに鳴いておりました。庭の睡蓮の花が開きました。3年ほど前に買ったものです。はじめて開きました。実に可憐で上品でしたが夕方にはまた堅いつぼみに戻りました。明日も開くでしょう。
 「和泉式部日記」 〔四〕五月雨のつれづれ-厭世の思い
 雨の日が続いて気分がめいる頃,タイミング良く宮から歌が届く。それにうまく歌で答える。雨に関することも織り交ぜ。
 〔五〕五月五日のころ-宮のためらい
 五月五日になってもまだ雨はやまない。宮からの便りに大雨をかけた歌をやりとりする。宮は出かけようと支度をすると,身持ちの悪い女にかかわるとろくなことは起こらない,と言われる。しかし,取り柄もあるので呼び寄せて置こうかと思っているうちにまた間遠くなる。
 〔六〕月夜の同車-たかぶる心
 反対されてかえって高ぶった宮は車に式部を載せて行く。次の日も同じことをする。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第一部 皇帝ティベリウス(承前) セイアヌス破滅 p.49-72
 アウグストゥスとアグリッパの関係を連想していたせいか,ティベリウスとセイアヌスとの関係の破綻には理解に苦しむものがある。そんな男であるならば,なぜティベリウスはセイアヌスを側近中の側近にしていたのか。ティベリウスが後世評判が芳しくないのもこのような事情にもよるのではないか。
ゴシップ p.72-76
 カプリ島に隠棲して公式の場には一切姿を現さない。それでいて最高権力者として政治も行っているといいう,まことに不思議な生活を10年間も維持するというのだから,ティベリウスという人がいかに不思議な人物かということが想像できようというものである。この不思議さが様々なゴシップを生む。あることないことの。
 
2007年5月31日。木曜日。晴れ。 旧暦4・15 きのと うし 八白 赤口
 六月が来ようとしているのに,さわやかな,天気でした。夕方には少し寒いような感じもしました。とはいえ,今日で五月は終わり明日から六月,rainy  seasonです。
 「和泉式部日記」 〔七〕宮の疑惑-愛と不信
 月への思いを贈答するも,宮が式部を訪ねると他の女の所にも車が来ているので,宮は多情な式部のことだから別の男が来ているのだろうと思う。
〔八〕宮の訪れ-ふたたび愛と不信
 しばらく音信のなかった宮が月の夜やって来るが,泊まらずに帰る。自分のことを素行の悪い女だと思っているようだが,その考えを改めてもらいたいものだと思う。宮のほうでもとりまきが,式部のところにはいろいろな男が通っているなど吹き込むので,また久しく便りもなかった。
〔九〕あきれた噂-絶えようとする恋
 小舎人がやってきて,門のところに車があったのをご覧になってから,だから便りがないのでしょうと言ったので,自分のことを疑っているのだろうと思うと自分でも嫌になった。しばらくして便りがあって噂を聞いて離れていく歌であったが今度だけはと思って返歌した。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第一部 皇帝ティベリウス(承前) 金融危機 P.76-84
 七四歳のティベリウスは,首都ローマを離れてカプリ島でコントロール政治をしているのだが,その政治手腕は衰えることを知らない。三三年の金融危機,二年後の一七年ぶりの東方問題の再発,またアヴェンティーノの丘の大火と,問題が起これば次々と見事な指示で解決していく。
最後の日々 P.85-93
 死んだ時の評判はよくなかったが,アレクサンドリアのユダヤ人の智者フィロンだけはティベリウスを正しく評価していた。そして最近の史家のいうように,「ローマがもった最良の皇帝の一人」だったと私も思いたい。
 これにて夕凪亭閑話五月を終わりとします。ご高覧に多謝。