2007年4月1日日曜日。晴れ時々小雨。 旧暦2.14 きのと うし 五黄 先負
願わくば花の下にて今日死なむ この如月の望月の頃 と桜を愛した西行が詠んだ望月の頃である。桜は満開ではないが,よく開いている。
嵐のような三月が過ぎ,4月になった。至る所に雑草があおあおと目も彩に成長し,生命感に溢れている。新しい年度が始まる。当方は益々年老いてゆく。
「宇治拾遺物語巻第二」 「六 厚行死人を家より出す事]
隣家で死者があった方角が悪いというので,自分の家との境界を壊して自分の家から死者を出してやったという話。「恩を思い我が身を忘れて人のために尽くす」という,史記列伝の侠客列伝に出てくるような話。
「七 鼻長僧の事」
これも芥川龍之介が「鼻」という名短編にしたてあげた有名な話。ある日いつもの弟子でない童子が善珍内供の鼻をもちあげていたがくしゃみをして落としてしまった。内供が自分よりも偉い人の鼻を持ち上げたときもこうするのか,と怒ったとき,童子はこんな珍しい鼻をもった人などいない。ばかなことを言うお師匠さまだ,と言ったという話。
おっと,月が変わったのでテキストを紹介しておきます。小学館,日本古典文学全集「宇治拾遺物語」です。(新編ではない方です)
「八 清明蔵人少将封ずる事」
陰陽師の阿倍清明が蔵人少将が色神に殺されるのを,守り,逆に少将を殺そうとした陰陽師が死んだという話。説話界のスーパーヒーローの宇治拾遺初登場の記念すべき説話である。
新潮文庫「ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」第六章 壮年後期 Virilitas ~p..145
さてスペインで勝ったカエサルではあるが,北アフリカ侵攻のクリオは敗退した。またアドリア海の制海権を賭けた戦いでもカエサルの指示を受けたガイオウス・アントニウスとドラベッラも負けた。このような中で首都ローマに帰ったカエサルは合法的に独裁官になり次いで執政官になる。独裁官の権限を利用して必要な措置を講じると独裁官を辞し,執政官になる。そしてポンペイウスと対決するために,ポンペイウスとは圧倒的に不利な立場にありながらギリシアに向かう。
2007年4月2日月曜日。晴れ。 旧暦2.15 ひのえ とら 六白 仏滅 さんりんぼう
桜の花が満開である。一部は散っている。黄砂が舞い,春たけなわである。しかし,夕方には寒くなった。
「宇治拾遺物語巻第二」 「九 季通わざはひにあはんとする事」
季通が若いとき女のもとに通っているとき,その屋敷の侍に鍵をかけられて帰られないようにされた。使いの童子が気をきかせて脱出できた。
「十 袴垂保昌にあふ事」
盗賊の袴垂が衣類を取ろうとして追った男には隙がなく手がだせなかった。屋敷まで連れられて行くと衣類までくれた。それが保昌であった。
「十一 明衡わざはひにあはんとする事」
明衡が女の下に通うのに隣りの貧しい家を借りた。隣の男は間男だと思って殺そうとしたが,違うことに気づいてやめた。
新潮文庫「ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」第六章 壮年後期 Virilitas ~p.195
圧倒的な不利な状態でギリシアに渡ったカエサルは休むことなく戦い続ける。それは執政官としての任期のあるうちにポンペイウスに勝利しておく必要があったからである。しかし,その数通り負けて退却する。
2007年4月3日火曜日。晴れ。 旧暦2.16 ひのと う 七赤 大安
満開の桜には付き物の,冷気である。夕空は晴れてひえびえと冷気が伝わる。東の空には満月。
「宇治拾遺物語巻第二」 「十二 唐に卒塔婆血つく事」
八十になる老婆が毎日山に登り,卒塔婆をまわって降りていた。山に涼みに来た若者達がその理由を聞くと,卒塔婆に血がつくと山が崩れ海になると先祖代々教えられているので,それを見に毎日登っているのだと言う。若者達が血をつけて老婆をからかってやろうとした。老婆は血を見て,里のみんなに警告すると伴に家財道具をもって避難した。老婆とその家族は助かったが,他の多くの人は助からなかった。ようくできた話。
「十三 成村強力の学士にあふ事」
成村という力持ちの相撲取りがいたが,都の大学寮の学士のほうが強かったが,その強い学士の名前はわからなかったという話。
「十四 柿の木に仏現ずる事」
柿の木に仏が現れて大変評判となった。右大臣が怪しみて二時間も見ていると鳶が正体を現し,人々は右大臣を賞賛した。 以上で巻弟二は終わる。
新潮文庫「ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」第六章 壮年後期 Virilitas ~p.266
一度敗退したカエサルだが,次のファルサルスの会戦では常勝ムードのポンペイウスの隙をついて,またしても天才的な作戦で勝利する。しかし,数の上で圧倒するポンペイウスまでは手が届かない。なぜならば,形勢不利と察するやポンペイウスが一番に逃げたからである。しかし,何はともあれカエサルは決定的に勝った。
2007年4月4日水曜日。晴れ時々小雨。 旧暦2.17 つちのえ たつ 八白 赤口
今日も寒い一日でした。雨が降るのですが寒さのせいで満開の桜もよく耐えておりました。
「宇治拾遺物語巻第三」 「一 大太郎盗人の事」
大太郎という「いみじき盗人」が後に語ったことによると,大屋のすけという,武士の家に入ったときの恐さは尋常ではなかった。
「二 藤大納言忠家物言う女放屁の事」
定家の曾祖父である忠家が「美々しき色好みなりける女房と物言ひて」いたとき「くるめきける程に,高く鳴して」,興ざめし,忠家は出家しようと思ったがとりやめた。女はその後どうなったかわからない。
「三 小式部内侍定頼卿の経にめでたる事」
和泉式部の娘の小式部内侍のもとに関白藤原教通が通ってきていたとき,中納言定頼が訪ねた。局の女が教通が来ているというと定頼は大きな声で経を読みながら帰った。その声を聞いて小式部内侍が「「う」といひて,後ざまにこそ臥しかへりたれ」ということであった。関白は「堪へ難う恥かしかりし事こそなかりしか」と後に語った。
新潮文庫「ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」第六章 壮年後期 Virilitas
エジプトへ逃げたポンペイウスは殺されて,カエサルの独裁となる。しかしまだローマには帰らない。カエサルは史上有名なクレオパトラを援助してエジプトの内乱を平定する。その後,ローマの休日ならぬナイルの休日を過ごし,再びカエサルの躍動は始まる。ここで,新潮文庫の11冊目は終わる。
2007年4月5日木曜日。晴れ。 旧暦2.18 つちのと み 九紫 先勝
昨日ほどの寒さは遠ざかったものの,まだ春の陽気には遠かった。特に朝は四時に起きると11℃で,夕凪亭では先日来開いていた真半分に仕切ってあるカーテンを再び閉じて寒さをしのいだ。明日は春らしくなるだろう。
「宇治拾遺物語巻第三」 「四 山伏舟祈り返す事」
山伏が乗せてくれなかった渡し船を護法で念じて引き替えさせ挙げ句に転覆させたという話。
「五 鳥羽僧正国俊と戯れの事」
陸奥前司国俊が鳥羽僧正の処に行くと,待たせた上に,勝手に国俊の牛車を遣って外出して,さらに待たされたので,国俊は仕返しに,鳥羽僧正がいつもする風呂の中に入れる藁をとって囲碁盤を逆さにしていれその上に筵をかけておいた。鳥羽僧正がいつものようにそこに入って囲碁盤の足で尻骨を打って気絶した。
「六 絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事」
絵仏師良秀が隣家からの出火で家が焼けたとき,悦んで炎のさまを眺め,その後立派なよじり不動を描いたという話。芥川の「地獄変」の原話。
新潮文庫「ローマ人の物語12 ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」第六章 壮年後期 Virilitas(承前) ~47
12冊目に入ってもカエサル物語りはまだ,弟六章のままである。ナイルの休日を楽しんだカエサルは反時計回りに回ってローマに帰る。と言っても,それぞれのところでポンペイウスの支配地からカエサルの支配地へと転換して,ローマ帝国の一員としての相手国と友好条約を結んでいくという,政治的な仕事はやりながら,一度ローマに帰る。ローマを任されていたアントニウスの失政をカバーするためである。そこもカエサルが帰ればすべてがうまく解決する。そして最後の仕事ともいうべきポンペイウスの残党との対決のためにアフリカに向かう。
2007年4月6日金曜日。晴れ。 旧暦2.19 かのえ うま 一白 友引
桜が満開です。寒さも遠ざかり春を満喫しております。ただ,黄砂には弱ります。春の風物詩ですから諦めるしかありませんね。
「宇治拾遺物語巻第三」 「七 虎の鰐取りたる事」
新羅に渡った商人が虎と鰐の壮絶な死闘を目撃した話。
「八 木こり歌の事」
木こりが山番に斧を取られたが気の利いた歌を詠んで返してもらった。
「九 伯の母の事」
常陸の国の多気の大夫の妻となって大変裕福になったが田舎人になって気の毒な事だという話。
新潮文庫「ローマ人の物語12 ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」第六章 壮年後期 Virilitas(承前) ~p.105
ポンペイウスの残党との戦いも,数の上では圧倒的負けている。しかし,それでも作戦によって勝つのだからカエサルという男が,真に天才だったことがここでも証明される。そしてローマに帰る。盛大な凱旋式。はじめての凱旋式だが,もう五十四歳になっている。長い長い戦争の日々はこれで終わったのだろうか。
2007年4月7日。土曜日。晴れ。 旧暦2.20 かのと ひつじ 二黒 先負
桜が満開です。一部散り始めました。あまり気温がたかくありませんから,もうしばらくはもつでしょう。午後散歩を兼ねて近くの公園を行脚してみました。小さい公園ほど早く散りはじめておりました。
「宇治拾遺物語巻第三」 「十 同人仏事の事」
有名な歌枕である長柄の橋の橋の切れ端を歌道に熱心な二人が執心するという面白さ。
作者は感心しているようであるが。
「十一 藤六の事」
歌人藤六が下種の家に入って鍋の物を掬っていると歌人が帰ってきて非難されたが歌を詠んで許してもらった。
「十二 多田新発意郎等の事」
殺生ばかりする男が寺の前を通って地蔵菩薩に少し信心を示した。死んで閻魔庁に呼ばれた時,この地蔵菩薩が弁護しようといったので,生き返って殺生をやめた。日本霊異記にあるような話。
新潮文庫「ローマ人の物語12 ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」第六章 壮年後期 Virilitas(承前) ~p.142
いよいよカエサルの独壇場です。常に戦い続けたように次から次へと政治改革・社会改革に邁進します。ユリウス暦の制定は有名な話です。現在の太陽暦の採用と言ってもいいでしょう。厳密には4年に一度の閏年という,グレゴリウス暦という改訂が間に入るのですが,誤差の修正ということで,カエサルが制定した太陽暦を今も採用していると思っても差し支えないと思います。しかし,太陽暦というのは天文学者が観測と測定によって地球の位置と暦を合わすので素人には確定はできない。それにたいして太陰暦は月の形そのものだから,夜になれば誰でもわかる。さらに都合のいいことに潮位と一致しているので沿岸に住むものにとっては都合がいい。ただ,地球の位置(例えば春分点)と実際の月が一致しないから困るのである。ということでやはり太陽暦がいいのです。それを制定したのだから,やはりカエサルは偉い。
さて,ここに至って,やっと帝王切開の話が出てくる。それもさらりと,癲癇病についての記述に絡めて,後世の創作ではないかと塩野さんは記す。
そして,カエサルは終身独裁官になる。
2007年4月8日。日曜日。晴れ。夜雨。 旧暦2.21 みずのえ さる 三碧 仏滅
桜の花は満開で,気温も春らしくなりました。昼前に散歩し,海の見える祠まで行き,鶯の声を聞きながら本を読んできました。かろうじて日向におられるぐらいで,来週になれば日差しがきつすぎるでしょう。桜はどんどん散ってます。
「宇治拾遺物語巻第三」 「十三 因幡国別当地蔵造りさす事」
鳥取県の国隆寺で専当法師が地蔵菩薩を作るのに尽くしたので死後甦ったという話。
「十四 伏見修理大夫俊綱の事」
俊綱が尾張の国守になったとき,熱田神宮の神官の横柄さに腹を立て捕らえた。神官は熱田の神に助命したが,法華経を読んで供養しようとした僧を追い出しだ因果応報だから助けられないと,熱田の神は答えた。
「十五 長門前司の娘葬送の時本所に帰る事」
長門前司の娘の妹が死んだ時,官に入れて鳥辺山へ送ったが,いつまにか無くなっていた。帰って見ると元の住処に戻っていた。二度目も同じことがあったので,そこの床の下に埋めた。気持ち悪がって住む人がなくなって,荒れた。
「十六 雀報恩の事」
舌切り雀噺の原話である。こういう話が変化して童話の舌切り雀になったのであろう。雀は恩返しに瓢箪の種をもってくる。一部は食べる。実になったものには米が入っていて善いことをしたおばあさんはだんだん裕福になる。一方隣の雀を自ら痛めた婆さんがもらた種を植えたら毒の瓢箪になり,実になると中から毒虫が出てきて復讐された。完成度の高い説話である。
新潮文庫「ローマ人の物語12 ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」第六章 壮年後期 Virilitas(承前)
カエサルは56歳を待たずに暗殺される。全ての政敵を許していてもなおかつ,反対者はいるものである。終身独裁官として抜きんでた改革をし,その手腕の見事さには驚くほかない。しかし,暗殺者側の言い分もあったのではないかと思われる。共和制がいいか帝政がいいかということだろう。確かに覇権国家ローマを維持するには共和制は限界にきていた。しかし独裁がいいかというとそうでもない。カエサルのような人物ならば可能でも,愚者の独裁もあり得ることは,その後の歴史を見れば明らかだ。だから,共和制を否定して独裁体制をまっしぐらに進むカエサルに危機感を覚えた人たちの気持ちも分からぬではない。ただ,カエサルがもっと長生きしておれば,帝政ではない新しい政治体制を作って次の世代に送ることができたかもしれない。それを思うとやはり,この時点でのカエサル暗殺は残念だし間違っていたと,思う。ここで,新潮文庫の12冊目は終わる。
2007年4月9日。月曜日。晴れ。 旧暦2.22 みずのと とり 四緑 大安
昨夜の雨で桜ももう終わりかと思いましたが,意外や意外,しっかりと満開の花を保持しておりました。そういえば,昨日はツバメも見ました。
「宇治拾遺物語巻第三」 「十七 小野篁広才の事」
小野篁が「無悪善」を「さがなくてよからん」と嵯峨天皇の前で読んだこと。また子の字を十二ならべたものを「猫の子の子猫,獅子の子の子獅子」と読んだ。
「十八 平貞文,本院侍従の事」
「平中物語」のモデルである好色家の平貞文がどんなに言い寄ってもなびかなった女房がいたという話。
「十九 一条摂政歌の事」
「後撰集」にある歌を使って伊勢物語や平中物語にあるような小咄を作ったもの。
「二十 狐家に火つくる事」
狐に出会ったので矢で射ると当たった。狐は仇をとるためにその侍の家を焼いた。
以上で宇治拾遺物語巻弟三は終わる。
新潮文庫「ローマ人の物語14 ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」第七章「三月十五日」Idus Martiae ~p.74
カエサルは死んだ。殺された。主人公のいない伝記である。暗殺者グループの生態が書かれる。カエサル派なのに何故?と誰しも思う。明智光秀の例などあげて人間心理の不可解なところを筆者は説明しようとする。納得はする。一応。しかし,それでもすべてが理解できるところではない。人間というものは不思議なものだ。そしてまたその後のテロリストたちの不甲斐ない行為。こんなにその後の見通しや,プランがないのであればなぜ暗殺などしたのだ,それもカエサルという史上最大の天才を。と,思いたくなる。
気温がさして上がらないせいか,満開の桜が予想外に長持ちしている。しばらく雨が降らなければもっともつだろう。
「宇治拾遺物語巻第四」 「一 狐人に憑きてしとぎ食ふ事」
物の怪をわずらった人を祈祷すると,浮かれて通りががった狐で,しとぎ(餅)が欲しいと言った。作ってやると持って逃げた。
「二 佐渡国に金ある事」
佐渡の金伝説の初期のものだと思われる。説話としての完成度が低い。文章の意図すらつかめない。佐渡に金があったということ,くらいしか伝わらない。作者も解釈できずそのまま写したのだろう。
「三 薬師寺別当の事」
薬師寺別当が死に望み,地獄の車が迎えにきたので何の罪かと問うと寺のものを五斗借りて返していないと言ったので,一石を寄進すると言って弟子達に読経させると,地獄の者たちは引き上げた。
「四 妹背嶋の事」
土佐幡多の郡で他国に田を作っていた男が田植えの準備をして,男女の子供に船の番をさせて岡に上がって人足求めている間に船がでて,二人は遭難してしまい無人島に着いた。しかたがないので稲を植え,船の中にあるものを食べて命をつないだ。夫婦になり,たくさん子供ができ,さらにその子供ができて,この島は妹背嶋と呼ばれたという,島の起源伝説。
新潮文庫「ローマ人の物語14 ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」第七章「三月十五日」Idus Martiae ~p.116
次は,カエサルの遺言で正式な後継者と指名されていたオクタヴィアヌスの登場である。19才の若者ながら,錯綜した政治状況の中でよく勢力を集めて,アントニウスに迫るところまで躍進する。しかし,まだまだアントニウスの方が強すぎた。忍耐の時である。3月15日以降うまく立ち回れなかったのは,いずれもカエサルよりも力量が遙かに劣るからである。カエサル暗殺後に権力を掌握しきれなかったアントニウスやテロリストのグループのやり方は滑稽といっていいほど,立派ではない。そしてそれに荷担したり意見したりする老キケロも,その行為は美しくない。
2007年4月11日。水曜日。晴れ。 旧暦2.24 きのと い 六白 先勝
桜はまだもっている。少しずつ緑の葉か出てくる。
「宇治拾遺物語巻第四」 「五 石橋の下の蛇の事」
石の下にいた蛇が,女がその石の上を通って動かしたので,その重しから逃れ,ついて行くと菩提講に参ったので,その功徳も受けたので,その恩を女に返した。
「六 東北院菩提講の聖の事」
何度も罪を重ねた罪人を高名な人相見が見て,この人は往生する人だと言って釈放してもらった。その通り立派な聖になり菩提講をはじめ,往生した。
「七 三河入道遁世の事」
三河入道・大江定基の後妻の死のこと,雉を生きたまま料理したこと,乞食になったとき先妻に見られたこと。
「八 進命婦清水寺へ参る事」
若い進命婦が清水寺に参ると,師匠である八〇才に不犯の高僧が欲心を起こして病気になった。弟子が理由を尋ねると,その旨言ったので進命婦に告げた。進命婦は長年師と仰いでいる方の言うことに納得し,どうして衰弱しないうちに仰らなかったのでしょうと言った。高僧は感謝して死んだ。進命婦は高僧の預言通り関白,女房,高僧を生んだ。
新潮文庫「ローマ人の物語14 ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」第七章「三月十五日」Idus Martiae ~p.142
オクタヴィアヌスとアントニウスはカエサル暗殺者のみならず,反対派をも徹底的に排除します。カエサルの寛容の精神とはまさに正反対です。キケロもブルータスもカッシウスも最後を生きる意志を失ったような形で死んでいきます。何のためにカエサルを殺したのか,と本人はもとより誰もが思うでしょう,それほど彼らは目的を失ってこの世から去っていきます。そして,カエサルの第七章は終わります。
2007年4月12日。木曜日。晴れ。 旧暦2.25 ひのえ ね 七赤 友引
ああ,とうとう桜が本格的に散り出しました。もう花見という季節ともお別れです。反対にやっと春らしく暖かい日になりました。
「宇治拾遺物語巻第四」 「九 業遠朝臣蘇生の事」
業遠朝臣が死んだとき僧が加持すると一度蘇生して用事を言って死んだ。
「十 篤昌忠恒の事」
義助という所司は,篤昌がふだんどう思っているのかと言ったとき「鼻赤きにこそ知り申したれ」と言って驚かせた。また,忠恒には「わりある随身の姿かな」と言った。人々は義助を荒所司と呼んだ。
「十一 後朱雀院丈六の仏造り奉り給う事」
後朱雀院が一丈六尺の仏像を造った。
「十二 式部大輔実重加茂の御正体拝み奉る事」
加茂大社のご本尊が法華経だったという話。本地垂迹説。
新潮文庫「ローマ人の物語14 ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」 第八章 アントニウスとクレオパトラ対オクタヴィアヌス ~p.169
カエサル暗殺者たちは次々に葬り去られるが,まだオクタヴィアヌスがカエサルの後継者として独裁できるまでにはいかない。アントニウスがいたからである。真っ向から向かってもカエサルではないオクタヴィアヌスが勝てる相手ではない。その間,アントニウスは有名なクレオパトラとの結婚という世紀のスキャンダルがある。
2007年4月13日。金曜日。晴れ後雨。 旧暦2.26 ひのと うし 八白 先負
夕方からの雨に,散りはじめの桜が大量に散って,まるで雪のようでした。気温は高い。
「宇治拾遺物語巻第四」 「十三 智海法印癩人法談の事」
清水寺近くに無名の者で驚くほどの学識を備えた者がいた。その人は癩に罹っており,住所も名前もわからず化人かと思われるほどだった。
「十四 白河院おそはれ給ふ事」
白河院が夢にうなされたとき,源の吉家がみゆみからできた弓を差し上げ枕元に飾ったらそのようなことがなくなった。
「十五 永超僧都魚を食ふ事」
今までの世界観と異なる話しなので理解に苦しむ。魚が好きな永超僧都に魚を差し出した家だけが疫病にかからなかったというのだ。
「十六 了延に実因湖水の中より法文の事」
死んでいる具房僧都が経を唱え間違っていたが,死にかけているのだから仕方がないと言う。
「十七 慈恵僧正戒壇築きたる事」
慈恵僧正が戒壇を作ってもらったとき,炒った大豆をつまむのに,他の人ができないことをして,浅井の郡司に造ってもらったという話。以上で宇治拾遺物語巻第四が終わる。
新潮文庫「ローマ人の物語14 ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」 第八章 アントニウスとクレオパトラ対オクタヴィアヌス
史上名高いアクティウムの開戦は,戦いというほどのものではないが,アントニウスとクレオパトラに勝ってオクタヴィアヌスはローマに凱旋する。ここまでが死後のカエサルの時代。そしてそこから初代皇帝の時代だと書く。ということで,ここでカエサル物語りは終わる。文庫本で13冊目が終わったのだが,単行本で言えばまだ5冊。先は長い。2007年4月14日。土曜日。晴れ。 旧暦2.27 つちのえ とら 九紫 仏滅
もう桜も終わりかと思ったら,昨日の雨にも耐えて多くの花びらが残っている。さすがに緑色の若葉が背後からじわじわとにじみでてきてはいるが。それから,桜が長くもつから思うのですが,いつもよりは,この時期としては気温が低いのではないでしょうか。
第五巻へ入る。「宇治拾遺物語巻第五」 「一 四の宮河原地蔵の事」
地蔵菩薩を作ったが開眼供養をせずに箱にいれたままにして忘れていた。夢の中で目を開けてくれといった,日本霊異記にあるような話。
「二 伏見修理大夫の許へ殿上人行き向かふ事」
多くの客人をもてなした人の話。
「三 以長物忌みの事」
物忌みを無視する話。
「四 範久阿闍梨西方を後にせぬ事」
極楽往生を願い,常に西に背を向けないように心がけて徹底していたという話。
新潮文庫「ローマ人の物語15 パクス・ロマーナ 上」 第一部 統治前期 ~p.49
いよいよオクタヴィアヌスの一人舞台である。カエサルが準備し,オクタヴィアヌスが受け継いだ独裁体制。それを完成させることがオクタヴィアヌスの使命であった。しかも合法的にやることが。それを成し遂げたのだから,やはりオクタヴィアヌスはたいした男であったと思う。病弱で,軍人としての能力もなく,またカエサルほどの大政治家でもない男である。それがカエサルの後継者としてのカエサルのご指名どおり独裁制にもっていくのだから,やはりカエサルの慧眼は凄いと,ここでも驚いてしまう。
そして,そのカエサルの慧眼を裏切らなかったオクタヴィアヌスの凄さである。多分,表面にはでない彼一流の政治感覚が備わっていたのだろうと想像する。ここでは,ますオクタヴィアヌスは非常時に与えられた権力を元老院とローマ市民に返却して,共和制に戻す,表面的にはであるが。
2007年4月15日。日曜日。晴れ。 旧暦2.28 つちのと う 一白 大安
まだ桜が残っています。気温はあまりあがりません。新緑を愛でに神島(こうのしま)へ行ってきました。野にも山にも満開で散り始めた桜が黄緑の新緑と艶を競っております。大潮の海は風も無くのどかに潮を流しておりました。神島八十八カ所はこの辺では,今も巡礼姿が見られます。 お遍路や桜吹雪に島回る(二重季語)
「宇治拾遺物語巻第五」「五 陪従家綱行綱互ひに謀りたる事」
猿楽者の兄弟がいて,弟が兄を出し抜いたので,兄が弟に意趣返しをしたという話。
「六 同清仲の事」
陪従清仲の,当意即妙な受け答えのおかしみ。
「七 仮名暦あつらへたる事」
若い僧に仮名暦を書いてもらったら,いたずらで出鱈目なものを書いてよこしたが,それを女房が信じて実行した。明らかに嘘だとおわかるのに見破ることができなかった女房の愚鈍さを笑ったものだろう。
「八 実子にあらざる子の事」
これは作者の物語り造りのうまさを遺憾なく発揮した小品である。自分が親の実子ではないということを感じている主人が,父の奉公人に証言させようとしたが,嘘をつくことができず,似ているとところがないと証言されてしまったとう話。
新潮文庫「ローマ人の物語15 パクス・ロマーナ 上」 第一部 統治前期 「アウグストゥス」p.50~p.61
オクタヴィアヌスは,いかにして共和政下で合法的に皇帝になったか,が語られる。ローマ史の一大転換点だから,ローマ史の結節点と呼んでもいいかも知れない。「一つ一つは完全に合法でありながら,それらをつなぎ合わせていくと,共和政下では非合法とするしかない,帝政につながっていく」(p.60))という「卓越した手腕」によって,オクタヴィアヌスはアウグストゥスになる。
2007年4月16日。月曜日。雨時々曇り。 旧暦2.29 かのえ たつ 二黒 赤口
新年度の4月もいよいよ折り返し点である。桜には生憎の雨であるが,それでもまだ耐えている桜の多いことには感心する。やはり,例年に比べて気温が低いのではなかろうか。
「宇治拾遺物語巻第五」 「九 御室戸僧正の事,一乗寺僧正の事」
二人の高僧の清貧と自由闊達な生き方。後半がわかりづらいのは,脱落によるようだ。
「十 ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事」
ある僧が供応を受けているとき主人のいないときに主人の氷魚まで食って知らぬ顔をしていたが,鼻から出て,ばれた。
「十一 仲胤僧都地主権現説法の事」
ある僧の説法を実力のない僧がそのまま真似して話した。
「十二 大二条殿に小式部内侍歌詠みかけ奉る事」
またまた小式部内侍の逸話。即興で機知に富んだ歌を詠み,男の冷めかけた愛情を取り戻すという話。
新潮文庫「ローマ人の物語15 パクス・ロマーナ 上」 第一部 統治前期 「アウグストゥス」 ~p.106
アウグストゥスとなったオクタヴィアヌスは,着々と改革を進めていく。それも合法的に独裁体制を作っていくのだから,恐れ入る。カエサルの設計図がよかったのか,オクタヴィアヌスが偉かったのか,わからなくなら。多分両方だろう。共和制だの民主制が絶対の価値のように思っている人は世の中に結構いる。しかし,何事においても「絶対」ということはあり得ない。ケースバイケースだと思う。どちらがいいとも悪いとも言えないのだ。いい時もあるし悪いときもある。そして,この時期のローマにおいては,元老院の手動の共和制が破綻に瀕していたのだし,それを大きく転換させる必要があったことは確かであろう。
2007年4月17日。火曜日。晴れ。 旧暦3.1 かのと み 三碧 先勝 土用
桜が散りました。暖かくなりません。
「宇治拾遺物語巻第五」 「十三 山の横川の賀能地蔵の事」
比叡山の横川の賀能ち院という破戒僧がいたが,塔の下の古い地蔵の前を通るとき,時々かぶっているものをとってお辞儀をしていた。すると死んだとき,数々の悪行で無限地獄に堕ちるので,この地蔵がすぐに消えて助けに行った。助けて帰って地蔵の足が焦げていたという話。
「宇治拾遺物語巻第六」 「一 広貴閻魔王宮へ召さるる事」
閻魔庁へ呼び出されてみると妻だけが苦しんで供養しないので不公平だということであった。供養するということで許されて帰るとき,裁いたのは誰だろうと訪ねると地蔵菩薩だったという話。
「二 世尊寺に死人掘り出す事」
塚を掘ると美しい人の死体があったがすぐに塵になった。この家では主人が短い間に二人も亡くなっている。酸素不足の状態から空気に触れることによって酸化腐敗が一気に進むことは考えられることである。
「三 留志長者の事」
吝嗇な金持ちがいた。自分一人で誰もいないところで食事をしてこの楽しみは帝釈天にも勝るだろうとうそぶくと,帝釈天が長者になりかわって帰り,家の物を分け与えた。本人が御門に訴えると,母に聞けといわれた。母はみんなに分け与える善い行いをするほうが我が子だと言った。最後に仏の前に出ると,帝釈天が元の姿に戻ったので,長者は仏の力で心をいれかえた。
2007年4月18日。水曜日。雨。 旧暦3.2 みずのえ うま 四緑 仏滅 三りんぼう
また雨,である。おまけに寒い。春らしい春はいずこや。
「宇治拾遺物語巻第六」,日本霊異記に非ず。 「四 清水寺に二千度参り双六に打ち入るる事」
清水寺に千日参りを二度した若侍が同輩の若侍と双六をして負けたので,この二千度参りを譲った。すると譲られた方に幸運が,譲ったほうに不幸が起こったという,大変面白い話。
「五 観音蛇に化す事」
鷹を捕りに行って崖に落ち絶体絶命のところで観音経を読むと蛇が上がってきたのでそれに刀を突き刺し,はい上がる蛇にしたがって助かった。翌日,その観音経を読もうとすると,蛇が出てきたときに読んでいたところに刀があったので,換算菩薩が蛇になって助けてくれたのがわかった。
「六 賀茂より御幣紙米等給ふ事」
貧しい僧が鞍馬寺,清水寺,賀茂神社にそれぞれ百日参籠すると米と紙幣が届き,使っても無くならなかったので,ほどほどに裕福になった。
「七 信濃国筑摩の湯に観音沐浴の事」
ある男の夢に薬湯に観音様が入浴に来られるとあった。時間と人相もわかっていたので人々に言いふらした。みんなが待っているなか,その通りの男が来た。男は観音ではないと言ったが,みんながつきまとうので,法師になった。この姿にみんな感動した。
新潮文庫「ローマ人の物語15 パクス・ロマーナ 上」 第一部 統治前期 「アウグストゥス」 ~p.156
叙述はオクタヴィアヌスからアウグストゥスへと変わる。通貨改革,食糧改革と次から次へと新しいことをしながら,密やかに潜行するという具合に権力をひとつひとつ独占していくようすが語られる。
2007年4月19日。木曜日。晴れ。 旧暦3.3 みずのと ひつじ 五黄 大安 ひなまつり
旧暦のひなまつり・桃の節句である。最近では園芸用の花桃が桜に混ざってあざやかな色で庭をにぎわせているが,食べる桃の花は,このころではなかったかと思う。高梁川を渡って岡山のほうに向かうと,合併して今はどうなったのかは知らないが,山手,清音の村々のいわゆる吉備路を桃の花が赤く染めていたのはこの頃かと思う。
やっと五時に明るくなりだした。今日は六時過ぎに県境の小学校のほうへ行くと,早朝だというのにもう鶯が泣き叫んでいた。少し寒いが三〇分も歩くと汗ばむほどだった。
「宇治拾遺物語巻第六」 「八 帽子の叟孔子と問答の事」
荘子が孔子の生き方を批判するが,互いに相手を尊敬するという変な話。
「九 僧伽多羅刹国に行く事」
漂流してたどり着いたところに美女がいる。実は鬼だった。逃げたところ追いかけてきた。皇帝にとりいったので,諫めたが皇帝は聞かず殺された。息子に事情を話,軍隊を引き連れて退治し,その国をもらった。
2007年4月21日。土曜日。晴れ。 旧暦3.5 きのと とり 七赤 先勝
竹取の翁ならぬ竹の子取の翁をしてきました。野山にまじりて筍を取りつつ新緑の春を満喫です。虎杖(イタドリ)が赤く色づいていましたので,ポキッと折って,皮をむいで一口食べます。シュウ酸の渋みですが口に残るほどのことはありません。その昔,よくたしなんだものです。たいていは食べないで吐き出しますが。そしていよいよ竹藪です。木漏れ日が淡い影を作っているようなところにはありません。侵掠すること火の如く,ではないがどんどんと領地を広げる竹藪の前線付近で日の比較的よくあたる竹のまばらなところに多いようです。帰りに近くで雉の鳴き声がするので見ますと見事なオスでした。あの白秋の「雨」という唄にも,けんけん小雉子(こきじ)が 今啼(な)いた,とあるようにケーンケーンと二度鳴きます。もちろん鶯も,かしましいくらいに鳴いています。
「宇治拾遺物語巻第七」 「一 五色の鹿の事」
インドでの話。五色に鹿が溺れている男を助けた。男は恩返し変わりに鹿と,その鹿の存在を話さないと約束した。しかし王の依頼に対して欲にめがくらんでこの場所を教えた。王は鹿から事情をきき,畜生にも劣るといって男を殺した。構成的にもたいへんよくできた好短編。
「二 播磨守為家の侍佐多の事」
佐多という侍は歌も解せないほど学がなくて小心な男で,従者の言葉に従って愚行を演じ立腹して失脚するという話。
新潮文庫「ローマ人の物語15 パクス・ロマーナ 上」 第一部 統治前期 「アウグストゥス」
残りの部分で特に印象的なのはアグリッパの活躍である。普通なら同僚の名声に嫉妬して粛清する権力者が多い中で,アウグストゥスのやり方は特別ではないか。持ち上げ,感謝して活用しているのである。もう一つはユダヤ王国とエジプトの問題である。ともに独自の宗教をもつローマとは大いに異なる国である。これらの国々とも関係を修復し,首都ローマへ「凱旋」する。戦いがあったわけでもないのに凱旋なのである。パクス・ロマーナ(ローマの平和)に相応しい凱旋であった。これで新潮文庫の14冊目が終わる。桜の頃も,この地方では終わる。
2007年4月22日。日曜日。雨。 旧暦3・6 ひのえ いぬ 八白 友引
桜の季節から若葉の季節へとめぐっていっております。柿の黄緑色の新芽は,毛虫の立場に立てば,さぞかしやわらかくておいしいのではないかと思われるほど,すがすがしい。この前まで枯れて冬を越していたのが,春を忘れずに芽吹いてくるからすばらしい。植物のほうが動物よりも進化しているのではないかとする思えてくる。
「宇治拾遺物語巻第七」 「三 三条中納言水飯の事」
三条中納言が肥満を医者に相談すると水飯がいいと言われたのでそうするが,いっこうに痩せない。その原因は量にあったという笑い話。
「四 検非違使忠明の事」
忠明という検非違使が喧嘩をし,取り囲まれたが,清水の御堂の蔀度をつかんで谷を飛び降り難を逃れたという話。
「五 長谷寺参籠の男利生にあづかる事」
輯中最も長い話で,ご存知「わらしべ長者」の物語りであった。その話が桜井の長谷寺からはじまるとは知らなかった。長谷寺は昨年参拝したところで,見事な観音様でさぞ霊験あらたかなことだろうと思われた。近鉄「はせでら」駅から歩くのもいいだろうが,急ぐ場合はタクシーが便利でしょう。ぜひお参り下さい。
「六 小野宮大饗,西宮殿富小路大臣大饗の事」
大饗宴の見事さを,それぞれの時のトピック三話で構成したもの。
「七 式成 満 則員等三人滝口弓芸の事」
滝口の武士三人が見事な弓裁きをしたこと。 これにて巻第七終わる。
新潮文庫「ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ 中」 第二部 統治中期 少子対策
アウグストゥスは元老院を相手に権力を確保しつつ着実に改革を実行していく。その中期が第二部になる。ここで注目されるのが少子対策で,アウグストゥスは二法を提出する。しかしなかなか実施に至らない。修正されてずっと後に実施される。昔も今も,少子対策は難しいようだ。とはいえ,我が国の対策はどうなったのであろうか。個人の自由にかかわることだからと言って,抜本的な改善がみられなかったら,本当に国家の存亡にかかわるのではなかろうか。そしてまた,こういう難問に対しては民主制よりも独裁制のほうが効率よく対策を打てるのかもしれない。
2007年4月23日。月曜日。晴れ。 旧暦3・7 ひのと い 九紫 先負
雨がやんで晴れ間がみえているのに,あまり暖かくなりませんでした。朝,五時半に頃散歩してみると木々は芽吹いて春一色ですが,なぜか太陽だけは春らしくありませんでした。
「宇治拾遺物語巻第八」 「一 大膳大夫以長前駆の事」
牛車が出会ったときに,有職故実に詳しい以長が自分の取った態度を説明して納得させた話。
「二 下野武正大風雨の日法性寺殿に参る事」
大風大雨の日に下野武正という舎人が目立つ行為をして法性寺殿が感心して馬を与えた。
「三 信濃国の聖の事」
有名な信貴山縁起説話である。飛んでいく鉢,倉を運ぶ鉢,護法童子の話,いずれもユニークでおもしろい。
「四 敏行朝臣の事」
これも長い話。歌人敏行が法華経をいい加減な気持ちで書写したので地獄で裁きにあうという話。
新潮文庫「ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ 中」 第二部 統治中期 宗教心
ローマの多神教はキリスト教というフィルターを通してヨーロッパを見るせいか,なかなか理解しがたい。塩野さんはいろいろな譬えをあげて日本のような多神教だと説明されるが,その精神はなかなか理解しがたい。辻邦生さんの「背教者ユリアヌス」は,アウグストゥスよりも,もっと後の時代だが,宗教的感情をうまく描いたところがあった。とはいえ,邦人の宗教でも理解しがたいところがたくさんあるのだから,まして異国の宗教はおしなべて邪宗と呼ばれても仕方がないほど理解しがたいものであろう。
2007年4月24日。火曜日。晴れ後曇り。夜雨。 旧暦3・8 つちのえ ね 一白 仏滅
また雨,である。昨年と同様やや寒いようなGWになりそうな気配。
「宇治拾遺物語巻第八」 「五 東大寺華厳会の事」
東大寺の華厳会では講師が堂の後ろからかき消すように去ることの起源伝承。鯖にまつわるのがおもしろい。
「六 漁師仏を射る事」
愛宕山の聖のところへ象に乗った普賢菩薩が現れる。聖には見えて不思議はないが自分に見えるのはおかしいと感じた漁師が弓で射るとそれは狸の仕業だった。
「七 千手院僧正仙人にあふ事」
比叡山西塔千手院の静観僧正が尊勝陀羅尼を読んでいると陽勝仙人が来て話を子,香炉の煙にのって帰ったという話。 以上で巻第八が終わる。
新潮文庫「ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ 中」 第二部 統治中期 平和の祭壇
またまたローマ人の理解しがたい部分があった。この祭壇のレリーフにはアウグストゥスにゆかりの人たちが出てくるのだがアントニウスの血の繋がる人たちがいる。そして,その中からカリグラやネロという皇帝が出てくる。日本の戦国時代のあの凄惨な血の断絶に駆ける執念と随分と異なり,おおらかなのである。2007年4月25日。水曜日。雨のち晴れ。 旧暦3・9 つちのと うし 二黒 大安
朝起きたときにはまだ雨が降っていたが六時半頃になってやっとやんだ。昼間は晴れていたが例年のような陽気ではない。
「宇治拾遺物語巻第九」 「一 滝口道則術を習う事」
妖術の話で,科学的にはいずれも説明できない。一頃のスプーン曲げやUFOのように,そんなものだと思ってみれば,そう見えるのかも知れない。ほとんどが変形された噂話で本当に見た人は少ないと思う。
「二 宝志和尚影の事」
高徳の聖を描こうと絵師を遣わすと,本当の顔をお見せしようといって顔の皮を剥ぐと金色の菩薩がでてきた。宗教説話だと思えばどうということはないが,普通に読めばなかなかミステリアスで気持ちが悪い話である。
「三 越前敦賀の女観音助け給う事」
観音を篤く敬っていたので,その功徳で仕合わせになったという話。
新潮文庫「ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ 中」 第二部 統治中期 ~p.114
アウグストゥスの軍制改革がつぎつぎと進められていく。それにしても大国であるから様々な問題がある。それをうまくやっていくために数々の工夫がなされ,それは凡例として研究される価値があるのだろう。ローマという歴史上の奇跡がいたるところにちりばめられている。最近の読書から。早瀬乱「三年坂 火の夢」(講談社)を読んでみました。推理小説としては,少し難点がありますが,明治の東京のイメージがよく涌きます。なかなかの力作で,参考文献をすべて読む時間がありませんので,そのエッセンスを感じることができたと満足しております。
2007年4月26日。木曜日。晴れ。 旧暦3・10 かのえ とら 三碧 赤口
少しだけ春めいた天気になりました。朝,九時過ぎに地震がありました。私の体験した地震では大きなほうです。
「宇治拾遺物語巻第九」 「四 くうすけが仏供養の事」
くうすけという詐欺師と欲に目がくらんで騙される仏師と講師のこと。やはり悪者はくうすけである。
「五 恒正が郎等仏供養の事」
仏をつくった方も供養する方も仏の名前を知らぬというおかしな話。
「六 歌詠みて罪を許さるる事」
だらいない郡司を呼び出したが,不憫に思って歌を詠ませたら見事に詠んだので罪を許したという話。
朝(五時頃)も夜(六時頃)もさわやかで,いい時候になったと思う。嗚呼,今日もローマ人の物語が読めなかった。
「七 大安寺別当の女に嫁する男夢見る事」
大安寺別当の娘のところに通っていた男が銅の湯を飲むというおぞましい夢を見て,熱が冷めるという話。
「八 博打聟入の事」
醜男の博打がうまくだまして結婚するという笑談。顔と命とどちらが惜しいか,と鬼役に言わせ,醜男になる演技をするところが巧妙でおかしい。この話にもバリエーションがあるということだ。 以上で巻第九終わる。
「宇治拾遺物語巻第十」「一 伴大納言王天門を焼く事」
伴大納言が王天門に放火して,その罪を左大臣に押しつけて大臣になろうとした放火事件の顛末。
「二 放鷹楽明暹に是季が習う事」
放鷹楽という唐の音楽を明暹だけが伝えていた。ある夜,尋ねて来る人があると言うと,是季が本当に来て,放鷹楽を習ったという話。名人は名人を知るという話。
2007年4月29日。日曜日。晴れ。 旧暦3・13 みずのと み 六白 先負 昭和の日
いつの間にか昭和の日となっている。みどりの日だとばかり思っていたが。その前は天皇誕生日といって子供の頃から慣れ親しんだ晩春のよき日であったのに。
昨日は午後,岡山へ行ってきた。新装なった岡山駅は空中庭園でも造るつもりか,いたるところで工事がまだ続いていたが,広々としてなかなかよくできていた。ただ,広いぶんだけ歩く距離は長くなる。かつて住んでいた奉還町に通じる西口も,NHKまで移ってモダンな風景に様変わりしているのには驚いた。
今日は高速バスで広島に行き,原爆ドームの前を通って,岡山へ移る前に住んでいたあたりを歩いた。フリーターをしていた頃で,午後になるとそごうの紀伊国屋まで毎日のように散歩していた道である。相生橋がかかっているのが本川で元の太田川である。ひとつ西に流れるのが天満川でその間でフリーターをしていたのが,三〇年以上前のことである。そのあたりも,ビルばっかりで木造モルタルの家をみつけるのが難しいほど様変わりしていて,よく行ったお好み焼き屋も八百屋も今はない。
新潮文庫「ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ 中」 第二部 統治中期
アウグストゥスにとっては両腕であったアグリッパとマエケナスが死に,中継ぎとは言っても互いにその関係がうまくいっていた連れ子のドゥルーススもまた死んでしまった。ドゥルーススの兄であるティベリウスは後には二代目皇帝となるのだが,この時点ではアウグストゥスと仲違いしてロードス島に一私人となって引っ込んでしまった。失意のうちに16冊目は終わる。
2007年4月30日。月曜日。晴れ。 旧暦3・14 きのえ うま 七赤 仏滅 三りんぼう 振替休日
少しだけ初夏に近づき,そろそろ石油ストーブが離せるかなと思わせる気候にやっとなった。去年も寒かった。例年ならもっと暖かいはずだが,などどおもいつつ,四月も今日で終わり。すなわり今年も三分の一が,既に済んだことになる。一寸の光陰軽んずべからず。自戒。
新潮文庫「ローマ人の物語17 パクス・ロマーナ 下」 第三部 統治後期
アウグストゥスのやや沈滞した歴史は続く。娘ユリアの不祥事があり,自ら制定した法律によって裁かねばならなかった。しかし失意のアウグストゥスに対して元老院は「国家の父」なる称号を贈る。だから,実際のところどこでどのように皇帝になったのか,というのは難しい。