2007年7月1日。日曜日。雨時々曇り。旧暦5・17 ひのえ さる 四緑 先負
朝は梅雨明けかと思わせるほどのさわやかさだったのですが,やはりまだ早いようです。雨が降りました。断続的に。春日池公園という池のある公園を歩いていたら,カワセミが飛んで来ました。実に優美です。実物は,はじめて見ました。ホトトギスは家の近くで朝から晩まで鳴いておりました。
もう七月です。色を変えてみました。さて何のイメージでしょうか。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ 母殺し 「ローマン・オリンピック」 p.77-92
ブリタニクス殺しについては書かれていないのだが,ここはそれより後の実母アグリッピーナの殺害である。このこと自体が既に異常であるが,その後平静でいられたとは思われない。平静でいられたら,それはそれでまた異常であるから,どちらにせよ,おかしくなるのは必定である。しかし,ギリシア好きのネロは,ローマ版のオリンピック競技会を開いたり,音楽や詩文の振興にも勤めた。こういうのは,ネロのいいところだけを集めるといくらかは確かに集まるようである,その一例でしょう。
2007年7月2日。月曜日。雨時々曇り。旧暦5・18 ひのと とり 三碧 仏滅 平夏生
朝四時半に歩いていたら,曇っていたので明るくはなかったが,急に風が出て,稲光がした。遠くのほうでザーという音がしだした。その音がだんだん大きくなって,雨の音だと気づき,慌てて帰った。しかしすぐに追いつかれ大粒の雨。強い風。傘をさしていてもずぶぬれになり,帰った。
夜は小雨だったが,今度も傘をもって,いつまでも暮れない街を一時間ほど歩いた。ホトトギスが遠くで鳴く。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ ブリタニア問題 p.92-101
ブリタニアで叛乱が起こる。征服途中なのに。兵員の数を減らしての遠征だからなかなかうまくいかない。しかし,ネロの人事は完全に成功した訳ではなかったが,一応平定され,反抗勢力はアイルランドまで撤退させられる。
2007年7月4日。水曜日。雨時々曇り。旧暦5・20 つちのと い 一白 赤口
朝が早いので夜はすぐに眠くなる。昨日はそういうことで・・・・。今朝,雨の中を歩いていると,ホトトギスが鳴きながら飛んでいった。ツバメくらいの大きさだった。昨日今日と梅雨らしい雨の降り方。梅雨が明ければ夏の海。一年でもっともわくわくした季節だ。(過去形です)。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ アルメニア・パルティア問題 p.101-107
複雑な東方問題については,最良の策ではないにしても,果敢な判断で,まずまずの対応はとられた。評判も悪くはない。しかし,神聖な水源地で泳ぐなどという愚行も見られる。
セネカ退場 p.107-113
ブルスが死に,セネカが引退する。その前に母アグリッピーナを殺害している。そして妻オクタヴィアを離婚し,追放し,殺害する。極悪非道と言われても仕方がない。
ローマ軍の降伏 p.113-122
シリア総督コロブロ,対アルメニア対策にペトゥスという二人体制で,まずペトゥスが降伏する。その後やっとのことで,コロブロに全指揮権が与えられる。
その間,ローマでは p.123-129
ポンペイでの地震。ネロが建設した体育館の落雷による炎上。ネロとポッペアとの間の子女の誕生と死。ポッペアの奢侈とユダヤ人問題。
2007年7月5日。木曜日。晴れ。旧暦5・21 かのえ ね 九紫 先勝
やっと雨が上がった。朝は仕事があったので歩けなかった。その分,日が落ちてから暮れない街を一時間一〇分ほど歩いた。梅雨にしてはさわやかな夕暮れであった。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ 外交戦 p.129-137
最高司令官コロブロの攻撃にアルメニアはすぐに和解を申し出る。コロブロの見事な外交。
2007年7月6日。金曜日。晴れ後雨。旧暦5・22 かのと うし 八白 友引
やはり梅雨で,晴れた日は長くは続かない。気温も上がらなかった。晴れ間を縫って歩く。ホトトギスが相変わらずよくなく。ウグイスも長い。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ 問題解決 p.137-145
ローマでネロからパルティアの王弟がアルメニアの王冠をネロから授けられるという,変な戴冠式が行われる。このあたりの政治状況がまことに複雑で,コロブロとアルメニアとの外交に,ネロと元老院が賛成したということになる。そしてアルメニア王ティリダスをネロが大歓迎する。そしてネロはアルメニア王国の首都アルタクサタの整備を行い,ティリダスはネロニアと改名して感謝の意を捧げる。このようにティリダスとローマの友好関係は以後50年間も続く。パルティアとアルメニアの平和も。戴冠式の3年後にネロが亡くなってもパルティア王からネロへの感謝祭を毎年することの許可を求める手紙が元老院に贈られほど,このときの外交を承認したネロの政治は評価され感謝されたようだ。要するにコロブロの外交の勝利でもあった。
2007年7月7日。土曜日。雨後雨。旧暦5・23 みずのえ とら 七赤 先負 小暑・七夕
五時には小雨の中を歩く。しかし,間もなく止んだ。もう少し待てばいいと思ったが,後の祭り。新暦では七夕である。七夕であらうが,七夕といってもだいたい幼稚園だ。笹舟と流しに山の方の小川にも行ったし,七夕飾りをした笹の葉を流しにも行った。こちらは海に近い川へ。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ 歌手デビュー p.145-147
シンガーソングライター・ネロの登場である。すなわち「歌う皇帝」である。ギリシア偏愛の続編。
2007年7月8日。日曜日。晴れ時々曇り。旧暦5・24 みずのと う 六白 仏滅
今年は梅雨入りが遅く,小雨が懸念されたが,例年の前半の空梅雨が無く,よく降っている。今日はその中休みである。やや蒸し暑い。夕凪亭は朝も夜もエアコンを入れている。除湿中心で70%を上がらないようにしている。暖房と違って冷房はよく効き,すぐに止める。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ ローマの大火 他 p.148-198
映画「クォ・ヴァディス」で見たと思うのだが,有名なローマの炎上である。どんだんと翳りの見られはじめるネロは,復興と併せて公共事業のつもりでドムス・アウレア(黄金宮)という私的工事を行い悪評を受ける。それに上乗せして,ローマの大火がネロ放火説の噂まで広まる。それに対してのカウンターアクションがキリスト教迫害である。大虐殺といってもいい。ここまでくると,当然のようにネロ暗殺の陰謀が起こる。2007年7月9日。月曜日。曇り時々雨。旧暦5・25 きのえ たつ 五青 大安
梅雨らしい梅雨の雨である。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ
司令官たちの死 p.198-201
ネロは,「ベネヴェントの陰謀」の疑いということでライン河防衛戦の最強の司令官スクリボニウス兄弟とシリア属州総督のコルブロを死に追いやった。自らの身体を喰う蛸のようなものだ。
凱旋式 p.201-203
ネロのシンガーソングライターとしてのギリシアからの帰国を飾った茶番が,凱旋式でアポロ神へ感謝の念を捧げた。ローマ市民は熱狂したものの急速にこの茶番から興味を失い,それもまたネロの不満の元になった。
憂国 p.203-208
リヨン属州総督のガイウス・ユリウスヴィンデックスが反ネロの叛乱を開始した。しかしスペイン総督のガルバへ決起を呼びかける通知が届く前にライン河防衛線の高地ゲルマニア軍の司令官ヴィルニウス・ルクスが鎮圧した。ルクスは兵士たちから叛乱を促されたが,踏みとどまる。
決起 p.209-212
スペイン総督のガルバの決起に呼応して残りの2人のスペンイン総督も同調する。しかし高地ゲルマニア軍のルクスは動かない。こういう状況で元老院は最初はガルバに反対するが,ネロが小麦輸送船で競技場用の砂を運んだことに怒る市民に同調して反ネロに方向転換する。
「国家の敵」 p.212-224
ネロの近衛兵の長官も逃げだし,元老院がネロを「国家の敵」と決議した。この辺がローマ史のわかりにくいところだが,皇帝独裁制ではないのだ。元老院が認めての皇帝であるのだ。ローマ郊外で14年の在位だった30歳のネロは自死した。紀元68年6月9日。
ここで,アウグストゥス以来の「ユリウス・クラウディウス朝」が終わる。すなわち血統主義が終わる。しかし,その後の新しい時代が始まるまでに少しの間内乱が続く。
2007年7月10日。火曜日。曇り時々雨。旧暦5・26 かのと み 四緑 赤口
毎日同じような日が続く。その間にどんどん湿度が高くなって不快になる。
新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 〔付記〕なぜ,自らもローマ人であるタキトゥスやスヴェトニウスは,ローマ皇帝を悪く書いたのか
という付記が最後に来る。反体制知識人のペシミズムの裏にこそ歴史資料の価値があるということか。これをもって本巻は終わる。この第4分冊だけに1ヶ月近くも費やしてしまったのは,仕事の都合があったにせよ,個性有るキャラクターの不足が興味を半減させたことも一因だろう。あの山岡さんの大長編「徳川家康」が,信長・秀吉亡き後,急速に魅力を失っていくのに似て。とはいえ,単行本ではまだ7巻。半ばにも達していないではないか。ここらで止める訳にはいかない。ということで,新潮文庫の第20冊目を終わる。
2007年7月11日。水曜日。雨のち晴れ。旧暦5・27 ひのえ うま 三碧 先勝 さんりんぼう
梅雨のきまぐれ驟雨を今日ほど憎らしく思ったことはない。四時一五分にまだ開けぬ小雨の中を傘をさして散歩に出ると,100メーターも行かぬうちに大粒の雨が降り出した。これでは傘ぐらいでは耐えられないと判断して走って帰った。すぐに大粒の雨は止んだが,その後も断続的に降って,結局朝の散歩は諦めた。その分,夕刻に一時間ほど歩いた。
新潮文庫「ローマ人の物語21 危機と克服 上」第一章 皇帝ガルバ ~p.62
ネロ亡き後の皇帝としてまずガルバが半年ほど皇帝の位にあったことになる。しかし,内実は皇帝として認められるという手続きの稚拙さと,半年経っても実力を発揮することができなかったということである。
2007年7月12日。木曜日。雨のち晴れ時々雨。旧暦5・28 ひのと ひつじ 二国 友引
四時一五分に歩こうとすると,かなりの雨が降っていたので止めた。その埋め会わせと言うわけではないか,夜一時間半歩いた。
新潮文庫「ローマ人の物語21 危機と克服 上」第二章 皇帝オトー ~p.112
三ヶ月だけの皇帝である。適任者でない前皇帝ガルバを殺し,自ら皇帝となるが,やはり力量がなかったと言うことであろうか。2007年7月15日。日曜日。晴れ時々曇り。旧暦6・2 かのえ いぬ 八白 先勝 ぼん
台風一過。久しぶりに見る青空。ヨシキリの美しい声。放埒な読書。自堕落な生活。休みをいいことにして,洞窟に入ったような気持ちで,気儘に送る。
新潮文庫「ローマ人の物語21 危機と克服 上」第三章 皇帝ヴィテリウス
この章はヴィテリウスよりも,次期皇帝ヴェスパシアヌスについての記述が中心である。次の時代を担う人物の登場ということである。ヴェスパシアヌスの側近がシリア総督ムキアヌスとアレクサンドリアのエジプト長官アレクサンドロスである。さらに息子のティトゥスが加わる。そしてヴェスパシアヌスに対抗して着々と皇帝となるための準備をする。軍団の指示がなければならないから,一見軍事クーデターのような雰囲気がある。
2007年7月17日。火曜日。曇り。旧暦6・4 みずのえ ね 六白 先負
台風,地震と,脆い日本の姿が浮き彫りにされた。曇った日が長く続いているように思う。もう17日だから,真夏で梅雨明けが待ち遠しい頃だ。しかし,その気配はない。暑さも厳しくなく,夏という雰囲気ではない。どうしたことなのだろうか。そのせいか,ウグイスがいつまでも鳴いている。あの有名な谷渡りと呼ばれる,長い独特な声がたびたび聞かれる。
何回目かの運転免許証の更新が完了した。そろそろ脱車もいいかな,と思うものの,現実には厳しい。すっかり世の中が車なしではやっていけなくなって,そういう社会へたっぷりと漬かってしまって,抜け出すことがでっきなくなっている。
2007年7月18日。水曜日。晴れ時々曇り。旧暦6・5 みずのと うし 五黄色 仏滅
今日は蝉が鳴いていました。朝も夕もです。夕方のは明らかにアブラゼミです。あの茶色の,蝉らしくない蝉です。変わっているゆえに,存在価値があったように思います。やはり,蝉は子どもの頃どこにでもいたから,種類が多いほうがいい,と思ったものです。そのアブラゼミは夕方の蝉です。松の木肌の色とよく似ていますが,松の木にもよく止まりました。飛び方は,雄大でないのが,また風情があったものです。それに鳴き声もうるさくなくて。・・・それはともあれ,夏が来たということです。でもあまり暑くありません。そのせいか,今年はウグイスがまだ,今日も近くで鳴いておりました。ホトトギスも鳴いていました。
2007年7月22日。日曜日。晴れ。旧暦6・9 ひのと み 一白 友引
厚い雲の切れ目から半月が覗いていた。まだ梅雨が明けていないようだ。時間はどんどん経って,もう22日である。この間,何をしていたかというと,わからないことがあって,本を何冊も出して,延々と,というよりも,悶々と苦しんでいたのである。それも終わり,いつもの日常に戻ったので,ふくやま美術館へ,「ペルジーノ展」を見に行ってきた。みごとな宗教画の美しさもさることながら,そこに展開される想像力の世界に,異教のバイタリティーを見た思いがした。
2007年7月23日。月曜日。晴れ。旧暦6・10 つちのえ うま 九紫 先負 さんりんぼう
午後,夕凪亭のある備後地方も梅雨明けが,広島地方気象台によって宣言されました。青空と入道雲。日陰のさわやかさ。美しい夏色の海。(今日は所用で海を見てきました。?)
2007年7月24日。火曜日。晴れ。旧暦6・11 つちのと ひつじ 八白 仏滅
昨日の中国四国地方の梅雨明けに続いて,今日は近畿地方でも梅雨明け宣言が出されたようです。こちらは梅雨明け2日目で,空の青さが戻って来たという感じです。でも日中は暑い。朝4時過ぎに散歩に出ると,昨日までと違って雲が少なく,空気も乾いてすがすがしい夜明けでした。こんなに梅雨明けになると変わるものかと,改めて驚きました。
新潮文庫「ローマ人の物語22 危機と克服 中」第四章 帝国の周辺では 第五章 皇帝ヴェスパシアヌス」 がやっと終った。
2007年7月25日。水曜日。晴れ。旧暦6・12 かのえ さる 七赤 大安
暑い日が続きます。海に行きたいような天気です。夜小雨がありました。暗くなって歩いたついでに階段を三段跳びしていたら,脛が痛くなった。年を感じた次第。
新潮文庫「ローマ人の物語23 危機と克服 下」第六章 皇帝ティトゥス
第10代皇帝ティトゥスの治世はわずか2年ほどであるが,このとき有名なヴェスヴィオス火山の噴火が起こる。あのポンペイの遺跡のできた年である。有能なティトゥスは即陣頭指揮を執るが,まもなくローマの大火が起こり,首都に引き返す。すると次が疫病の流行である。実に良き皇帝であったようだ。運命は苛酷である。なお,このときの噴火で「博物誌」の大プリニウスも死ぬ。
2007年7月26日。木曜日。晴れ。旧暦6・13 かのと とり 六白 赤口
本格的な夏が続いております。大事をとって朝の散歩はお休みです。夜,一五分だけ歩きました。階段を上り下りしても痛くありませんから,大丈夫のようです。少しずつ戻していきましょう。
新潮文庫「ローマ人の物語23 危機と克服 下」第七章 皇帝ドミティアヌス
ティトゥスの不慮の死の後を継ぐのが,実弟ドミティアヌスで,第11代皇帝となる。まじめな人で15年間にわたり数々の業績を上げる。権力を乱用したとは思われないが,死に際は幸福ではない。身内による殺害である。2007年7月27日。金曜日。晴れ。旧暦6・14 みずのえ いぬ 五黄 先勝
足を馴らすために,五時過ぎに出て15分ほど歩いた。もう少し早ければ冷気がすがすがしいのだろうが,そうでもなかった。しかしまだ暑くはない。
日中は暑かった。夜も暑かった。暑気を避けるために昔は,午後は,海に行っていた。今はエアコンの中にいると,そういうことをしようという気持ちが減退しているのに気づく。
新潮文庫「ローマ人の物語23 危機と克服 下」第八章 皇帝ネルヴァル
五賢帝時代のはじまりである。といっても,70歳の第12代皇帝は,一年四ヶ月で死ぬ。しかし,次期皇帝トライヤヌスを指名し,ともに執政官として共同統治をしていたから,混乱は生じない。しかし,トライヤヌスはケルンからすぐにはローマに戻らない。
最後に付記として同時代を生きた風刺詩人マルティアリスの話が出てくる。マルティアリスの翻訳はないようだが,原文ならウエッブ上にある。
以上で,文庫本では23巻,単行本では第8巻が終わる。
2007年7月30日。月曜日。晴れ時々雨。旧暦6・17 きのと うし 二黒 仏滅
土用の丑の日ということで,職場近くのスーパーの総菜センターからあの独特の香りが暑い風に乗ってやってきていた。一昨日の土曜日が,これまでで最高に暑い日で,怠け者の私は,できるだけ動かずに,じっと耐えて過ごした。今日は,夜中から激しい雨で,日中も時々降ったので,いくらかしのぎやすかった。
新潮文庫「ローマ人の物語24 賢帝の世紀 上」 第一部 皇帝トライアヌス
カリグラとネロという悪名高き皇帝たちの後,混乱期に陥り,ヴェスパシアヌス父子の回復期を経て,いよいよトライアヌスの登場である。これからが五賢帝と呼ばれる時代にはいる。そのトライアヌスの治世がこの24分冊で語られる。北に南に遠征し,平和なときには,公共物の建設に励む。そして私生活では清廉潔白とまことに賢帝の名にふさわしい。記録の乏しいトライアヌスの話が生き生きと書かれてある楽しい巻であった。
2007年7月31日。火曜日。晴れ。旧暦6・17 ひのえ とら 一白 大安
昨夜涼しいと思ったらどんどん気温が下がったようだ。朝五時半に散歩に出ると,寒いではないか。高原にでもいるような冷気であった。太宰治の「ア、秋」という小品に,「秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。」とある。そんな感じの朝であった。「異なげな」気象である。