2008年11月1日。土曜日。晴れ。旧暦10.4. きのと み 一白 先勝
霜月になったが,小春日和のよいお天気であった。戸外で労働をすると汗ばむようであった。柿をとりにいくと蚊に刺された。まだ,ヤブ蚊が活動しているんですから,温暖化も相当進んでいるのでしょうね。地球は,いつまでもつのでしょうか。いや,地球は人類よりもはるか先まで存在するのは確実でしょう。人類のほうが早く姿を消す。地球が破滅して同時に人類が滅びる。あるいは,地球が破滅したときには,人類は他の惑星か,どこか太陽系以外の星の惑星に行って,進化を続けているかもしれませんが,そいうのは信じません。科学の未来は予想もつかないというのは,わかるのですが,物理的に不可能だと思います。へんてこりんなワームホールのようなのがあるとか,ワープするとかいうのは,実際にはあり得ないことだと思います。当然タイムマシンも。1億光年先にある天体の姿は,確かに1億年前の姿でしょう。しかし,1億光年先のその星が(もし,今もあれば),その星の上では,やはり今なのです。情報を伝えるのに途方もない時間がかかるというだけで,それぞれのところで,時間を逆転させることはできません。「猿の惑星」も「ターミネーター」も,面白い作品で,大好きですが,これはSF作品なのです。Fはfictionのfなのです。考えるのは自由です。想像するのも自由です。でも,未来に行くこともできないし,未来から来ることもできません。過去からも。すなわち死者が戻ってくることもありません。あれば,妄想です。幻影です。夢です。
「ターミネーター」を久しぶりに見ました。楽しかった。名作ですね。コンピュータは,この映画が製作された頃に比べれば,今は格段に進歩しました。しかし,材料のほうは少しは進歩しましたが,あんなにタフなサイボーグまがいのものは,今もってつくれません。自立走行もおぼつかないし,蹴られれば起きあがれないでしょう。機械が叛乱を起こすほどに,進化するのは,まだまだ先の話でしょう。信号だけの世界でなら,叛乱するウィルスがインターネット上に棲むようになるかもしれませんが,何しろそれから外には出てこれないでしょう。
2008年11月4日。火曜日。晴れ。旧暦10.7. つちのえ さる 七赤 仏滅
11月にしては珍しいような晴天に恵まれ,日中の気温はかなり上がった。木々の紅葉がどんどん進んでいる。
福田恆存訳「夏の夜の夢」(新潮文庫)を読んだ。これほど楽しいものはあるまい,と思えるし,またその奇妙きてれつにあきれるのもまた一面である。ただ,言えることは古い演劇の発展のさまが伺えるということだろう。ギリシア劇から,一直線に,シェイクスピア劇に至ったと思うのは,誤解である。さまざまな,今は忘れられた形の宮廷劇が,遅い歩みで進歩していたのではないか。それらの名残をとどめながら,大きな一歩を記したのがシェイクスピアではなかろうか。そして,この作品の中の劇中劇は,古いほうの名残を色濃く残したものだと思う。
2008年11月7日。金曜日。雨後曇り。旧暦10.10. かのと い 四緑 先勝 さんりんぼう 立冬
もう立冬ですから,朝夕が寒くなるはずですね。外気の温度に比例するかのように活動が下がっております。もっと速く本を読めばいいのでしょうが,雑誌を見たり,気になるものを拾い読みしたりしておりますと,なかなか一冊を読み切るところまでいきません。アメリカではオバマ氏が大統領になるし,マイケル・クライトン氏がお亡くなりになるし,どんどんと時代が進んでいるという感想をもちます。21世紀になったんだな,という感じでしょうか。クライトンさんのものは,やはり最初の「アンドロメダ病原体」が素晴らしく印象に残っておりますね。映画は見ておりませんが,小説のラストは,コンピュータに管理されているセキュリティを突破するという,きわめて現代的な問題でした。もちろん,「ジュラシックパーク」の科学的な意匠が面白かったのは言うまでもありませんが。ご冥福をお祈りいたします。
DVDで「ガープの世界」を見ました。母親も,ガープも銃弾に倒れます。何故? 理不尽ですね。この世は不条理だといわんばかりに。ガープが最後に救急ヘリで運ばれるとき言う言葉が,rememberなのですね。一緒に暮らした日々を,自分のことを,覚えていてほしい,そして思い出してほしい,ということですね。記憶の中で生き続ければ,生きていた価値があったということになりますね。紫式部のように千年も後の世の人たちに作品が読まれるという形で,人々の心の中に生きているのも,これはこれで素晴らしいのですが,そうではなくて,同じ時代を生きた人たちの心の中に生きておれば,それだけで素晴らしいことだという意味だと思います。長い間生きておりますと,多くの人たちと出会い,そのうちの何人かは既に亡くなられており,また何人かは交流すらありませんが,時に思い出してみると,心の中に甦ります。
2008年11月9日。日曜日。曇り。旧暦10.12. みずのと うし 二黒,先負
雲って寒い日でした。一日中,炬燵の中におりました。夜は,当然ストーブを入れます。昼間に少し散歩しました。赤くなった桜の葉が散っております。
福田恆存訳「あらし」(新潮文庫)終わる。政治劇でありながら、全然政治色は無く、妖精が出てきたり、不思議な魔法で嵐を起こしたり、人を操ったりする。しかし、その力で復讐をするでもなく・・・わかりにくい作品だ。演出が大変だろう。でも,こういう作品を書く,シェイクスピアという人はやはり魔術師ですね。
2008年11月10日。月曜日。晴れ。旧暦10.13. きのえ とら 一白,仏滅
駆け足で冬が来ているようですね。
開高健のDVD「河は眠らない」(60分)を見た。アラスカへキング・サーモンを釣りに行く話である。それにしても,ウィスキーをがぶがぶと飲む。これでは長生きはできない,と思った。そんなことは聡明な開高さんことだから,百も承知だったに違いない。それにもかかわらず,飲み続けたということに,私は,破滅型の芸術家の面影を見る。芸のためなら命をも惜しまない・・・。
2008年11月11日。火曜日。晴れ。旧暦10.14. きのと う 九紫 大安
かなり大きくなった月が冬空に浮かんでおりました。日が暮れて散歩するのは寒いのですが,今日は雲が多くさほど苦になるほどの寒さではなかった。最近また,本棚から溢れた本が増えた。夏に模様替えをして,本棚を二階に上げたので,仕方がないが,効率が悪い。それで,できるだけ二階に上げるようにしているのだが,二階に上がったついでに読みたいものをまた持ってくるので同じことになる。どうしょうもないのだが,一つ言えることは,本棚に入りきらない物をできるだけ減らすことが肝要だと思う。
雑誌の廃刊のニュースをよく耳にする。読書界の異変はもう数年も続いているのだから,今更激変というのもおかしいのだが,大変動が起こっているような予感がする。良心的な出版社の多くが,経営難に陥っているのではなかろうか。書店に行っても,新刊書にもいい本が並んでいることはよくわかる。お金さえあれば買いたい本はたくさんある。復刊本にもいいものが多い。しかし,若い人たちの間で本の話題がささやかれなくなった。読書については沈黙の秋だ。
DVDで「地球大進化 46億年・人類への旅 第一集 生命の星 大衝突からの始まり」を見た。地球は誕生以来何度も隕石が衝突し「全海洋蒸発」などが起こっていて,そのような試練を経て生命の進化が進んだという話である。NHKスペシャルで放送されたものである。わかりやすくて,かつ刺激的でよい。
2008年11月12日。水曜日。晴れ。旧暦10.15. ひのえ たつ 八白 赤口
美しい満月です。雲もまばらにありますが,空気が澄んでいて美しい。日々寒くなっていきますが,これは仕方がない。季節の移り変わりがあってこそ春や夏の喜びも大きい。冬は冬で気持ちを内に向けて過ごせばいいだろう。
DVDで「ゴールドフィンガー」を見た。何度見てもおもしろい。007シリーズを初めて見たのは,高校のとき定期考査が終わった日に見た「007は二度死ぬ」だった。その時の感想は,映画のおもしろさをよく知っている人が作った映画だと思ったことだ。イントロのところが毎回楽しい。「ゴールドフィンガー」でも同じである。
2008年11月13日。木曜日。晴れ。旧暦10.16. ひのと み 七赤 先勝
DVDで『マタ・ハリ』(1931年アメリカ)。を見る。グレタ・ガルボ主演。オープニングのインド舞踊を踊るところが素晴らしい。スパイ活動も稚拙で,1時間30分ほどで描くのが無理な感じ。
2008年11月16日。日曜日。晴れ。旧暦10.19. かのえ さる 四緑 仏滅
因島の道ばたで,みかんを買ってきました。因島北インターからおりてすぐの,消防署近くの三叉路です。安くてとてもおいしく頂いております。スーパーに売っているワックスをかけたのより,はるかにおいしいですね。形とか色とか少しおかしいのもありますが,まったく気になりませんね。スーパーもワックスのかかっているみかんでなく,産地直送のものを売ってほしいですね。
DVDで「華麗なる賭け」を見ました。高校のとき定期考査が終わってよく見に行きました。友達が選んで,ついて行くだけですが,けっこういいのを見ています。そのときの一つです。久しぶりです。1999年に、リメイク版としてピアース・ブロスナン主演の「トーマス・クラウン・アフェアー」というのがありましたが,「華麗なる賭け」の原題はThe Thomas Crown Affairというんですね。あの当時は今ほど情報化社会ではありませんでしたから,今以上に邦訳タイトルには気を遣ったのだと思います。「華麗なる賭け」というのは,見事な翻訳ですね。いいタイトルですね。スティーブ・マックイーンもフェイ・ダナウエイも華麗でした。それに主題歌も,映像も。名作ですね。
2008年11月18日。火曜日。晴れ。旧暦10.21. みずのえ いぬ 二黒 赤口
寒くなりました。県中部のへんでも雪が降ったそうです。このあたりも降ってもおかしくはないですね。
福田恆存訳「ヴェニスの商人」(新潮世界文学2)を読みました。傑作ですね。それぞれの場面がほどよくできており,人物の出退場も,適正です。勿論ストーリーも。ただ、ヨーロッパ人がユダヤ人を軽蔑するのはおかしい,と思います。周知のように,キリストはユダヤ人だし、キリスト教はユダヤ教から生まれたわけですね。木の実はいいが大地はいけないというようなものですね。
2008年11月23日。日曜日。晴れ。旧暦10.26.ひのと う 六白 大安 勤労感謝の日
寒くなったので炬燵に入って別の環境のパソコンを使っていたので,書かずにだらだらと日を送っていたら,もう23日である。やはり,炬燵では腰が痛くなるので,本日,夕凪亭を冬モードに衣替えた。といっても,そんなに大げさなものではない。天井にあるカーテンレールにあわせて机を移動したのである。そしてカーテンで仕切ったということ。こうすると暖房効率がずっと違います。
『007 死ぬのは奴らだ』(Live And Let Die)をDVDで見た。これは広島の宝塚劇場で見たことがあります。弟と。弟と映画を一緒に見るということは,小学校の頃はともかくとして,ないようです。久しぶりに見て,無駄のない作品だと思った。傑作である。
2008年11月25日。火曜日。晴れ。旧暦10.28. つちのと み 四緑 先勝
今日は三島さんの命日である。あの日は,今日よりも暖かかった。現在の状況は,さて置いて,昭和45年の頃でも,昭和30年の始め頃よりもはるかに文学の力というものが相対的に弱体化していたのを三島さんは感じていた。そして,文学というものに命をかければかけるほど,世間から離れ,観客のいない道化を演じなければならない世の中が来ることを(いや来たことを)ひしひしと感じていたに違いない。書くのが嫌になった,書くことの意味を失った,書けなくなった,これらはすべて三島さんにとっては同義語である。自分の芸術観と時代の風潮の火花の出るような接点で小説を書くことが三島さんの流儀だったのだから,そこに接点を見いだせなくなったときには,死ぬしかなかったのかも知れない。妥協を排することが芸術を芸術たらしめる鉄則である。
江戸川乱歩の「湖畔亭事件」(全集2)は,現代から見れば,古色蒼然たる感を禁じ得ないが,推理小説の王道に沿って,このジャンルを日本に定着させようとする人の熱意がひしひしと感じられる作品で,作品としては,完成している。最後のどんでん返しも,残された疑問も,よい。
2008年11月26日。水曜日。晴れ。旧暦10.29. かのえ うま 三碧 友引
少し寒さが弱まったので,夕方,といっても暗くなっていたが散歩した。木星と金星が接近している。銀杏の黄葉は暗くて見えなかったが,そろそろ落葉だ。木枯らしとともに落ちていく。それもまた美しいだろう。
福田恆存訳「空さわぎ」(新潮世界文学2)は,台詞劇である。奇想天外な台詞の連発には驚きを通りこしてあきれてしまうが,それがまた喜劇の喜劇たるところだろう。しかし,劇全体を通してみたとき,特別におもしろいとも思わなかった。「ロミオとジュリエット」ほどではないにしても,似たような,死んだことにするという奇策がこの劇では使用される。まちがいの元だから,やめたほうがよいが,劇故に許されるのかも。
2008年11月27日。木曜日。晴れ後雨。旧暦10.30. かのと ひつじ 二黒 先負
夕方になって雨が降り出した。冬の雨は冷たい。日暮れた空を見ながら雨音を聞いていると,にわかに年末が押し寄せてきているような気持ちになる。毎年同じようにやっているつもりで,やはり慌ただしいのは事実である。
江戸川乱歩「踊る一寸法師」(全集2)は,推理小説ではなく,犯罪小説であるが,まさに乱歩的世界を形作る,ブロックの一つであろう。そのタイトルからして魅力的である。そして,殺人の動機,衆人監視の元での殺人,そしてさらにその残虐性,これらすべてが,乱歩的である。それ故,乱歩の代表作の一つに数えてもいいだろう。
2008年11月28日。金曜日。晴れ。旧暦11.1. みずのえ さる 一白 大安
黄色になったメタセコイアやフウの葉っぱが急に散りだした。いよいよ冬の到来であろう。
福田恆存訳「お気に召すまま」(新潮世界文学2)は,は追放された公爵という設定がいい。同様に,善人の主人公たちに次々と災難が起こり,アーデンの森に逃げる。それぞれ苦労するがやがて,運が開けてくる。ここまでならば,見事な復讐劇ができあがるのだが,あくまでも本作品は喜劇をめざしたものらしく,事態の解決は主人公たちの努力によらず,またストーリーもそのように展開せず,夢幻喜劇になる。そして例によって,巧みな比喩と洒落の応酬となる。ストーリーは単純でわかりやすい。
2008年11月29日。土曜日。晴れ後雨。旧暦11.2. みずのと とり 九紫 赤口
午後になって雨が降り出した。風も吹いて,冬らしい。年をとると寒さが応える。夕方止んでいたので,公園を歩いた。銀杏はほとんどが散ってしまった。ポプラが垂直に黄色旗を立ているよう。雲が多いと思ったら,夜になってまた降り出した。
江戸川乱歩の「毒草」(全集2)も,また乱歩の世界そのものである。毒草というよりも薬草である。「おろし薬」すなわち堕胎薬として使われる薬草のことなのである。ただ,そのその話を乱歩が料理すると,このような独自の世界ができるところがおもしろい。乱歩の前に乱歩なく,また,乱歩の後に乱歩無し,であろう。