2019年2月28日木曜日

夕凪亭閑話 2008年8月août

 2008年8月1日。金曜日。晴れ。旧暦7.1. みずのと とり 三碧 先勝 八朔
 八月になりました。八月というと,「皇帝のいない八月」というクーデター小説がありました。今年は,旧暦と新暦が同じ日になります。 したがってお盆の13,14,15日の頃は大潮で,昼だたえと言って,昼頃が満潮です。海水浴にはもっとも潮のよい頃です。暑さは,多くの人から厭われるものですが,過去を回想すれば,やはり夏が一番思い出深い。緑の海。白く輝く入道雲と,どこまでも続く青空。夏は素晴らしい。子供達は大いに海に行って遊ぶべきです。
 「平準書第八」(新釈漢文大系)
 度量衡のことかと,期待していたのだが,残念ながら違った。物価の安定,経済の安定ということである。前半は貨幣のことが多い。思うに,現在の日本のように偽金作りが厳しく取り締まられて,そういう被害の少ないというのは,現在の我々の感覚からすれば,きわめて当然のことのように思われるが,人類の長い歴史の中では,まれなことではないかと思う。偽金作りが横行すれば,経済の統制などできるわけがない。そのできない時代の経済について延々と述べているのが前半である。後半はやや要約しにくい。一言で言えば,国家が危殆に瀕していても,暴利を貪る人は必ずいるし,反対に国家のために自己の利益を顧みずに尽くす人もいるということであろうか。やや要領を得ないが,八書はこの平準書でもって終わる。いわば,文化史ということであろうか。新釈漢文大系では,吉田賢抗著,史記四(八書)ということである。
 
2008年8月2日。土曜日。晴れ。旧暦7.2. きのえ いぬ 二黒 友引 
 本日も,強い太陽,夏真っ盛りでございました。昨日は二週間後の海のことを書きましたが,昨日が新月ですから,同様に大潮です。 
 「クリスマスの夜Nuit de Noel」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 クリスマスといっても,クリスマスイヴのことだと思うが,その祝宴で,相手がいないので街娼を誘ってきて行った。太い女が好みである,というのがミソなのだが,食事後苦しみだした。・・・さて,その結末は? こんなことってあるの?という意外な展開。まあ,風俗百景の一つだと思えば,面白い。
 
 
2008年8月3日。日曜日。晴れ。旧暦7.3. きのと い 一白 先負
 今日も最高気温は34~35℃くらいあったのではないかと思われますが,風もあって,そんなに暑いとは思いませんでしたが,庭に出て直射日光に当たると,いつもの,真夏の紫外線がちりちりと皮膚に食い込んできました。
 「宝石Les bijoux」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 これもなかなか味のある小説です。理想の妻です。やりくり上手です。欠点は,芝居と模造宝石で飾る趣味の二点です。芝居見物は時代によっては娯楽。ある面では立派な文化活動ですが。しかし,この良妻は(子供はありませんから賢母ではありません),風邪のためにあっけなく亡くなります。・・・ここからの展開がまったく素晴らしい。
 
2008年8月4日。月曜日。晴れ。旧暦7.4. ひのえ ね 九紫 仏滅
 雲っていたのですが,でも二時頃は暑くなりました。もう二週間はこういう天気が続くのでしょうね。
 「かるはずみImprudence」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 倦怠期を迎えた夫婦が,軽はずみな行為をとるということが主題のようですが,キャバレーへ行って,夫の過去の経験を聞き出すという話です。ここまでなら別に軽はずみな行為とは言えないのですが,妻は「男だったて,やっぱりおもしろいにちがいないわ!」と作者は言わせて,崩壊への予兆でもって終わる。その崩壊への導火線であったので,今夜のキャバレーでの夫婦の会話は軽はずみだと言われても,仕方がない。
 
 
2008年8月5日。火曜日。晴れ。旧暦7.5. ひのと うし 八白 大安
 昨日よりも暑かったのではないか。明日が原爆の日ということで,テレビも新聞も原爆関係のニュースが日増しに増えているが,今日あたりがピークであろうか。
 「三代世表第一」(新釈漢文大系) 
 列伝,世家,本紀,書と読んできたが,いよいよ最後の表に入る。新釈漢文大系では二冊になっている。まだ,先は長い。
 三代世表というのは,五帝時代から,夏,殷,周の三代のことである。「五帝・三代の記,尚(とお)し。」とあるから,正確には「五帝・三代世表」となるべきであろう。
それにしても,表を作るということは凄い。エクセルはもちろん,紙すらもないのである。竹を削って,平らにし,それを紐で筏のように連ねたものに書くのである。下書きなど許されるものではない。どうしていたのだろうか。僕だったら,下書き用に次のようなものを考案する。猫のトイレのように,箱に砂を入れる。出来れば粒子の大きさをそろえる。即ち,砂に書くのである。終われば板のようなもので消せばよい。兎に角,司馬遷の苦労には頭が下がる。さて,この表であるが,右側に項目がある。例えば,先頭は帝王世国号で,左側にその第一項目について書いてある。少しは慣れたが,この表が面白いとは,思わない。さて,最後までに面白くなるのだろうか。
 
 
2008年8月6日。水曜日。晴れ。旧暦7.6.  つちのえ とら 七赤 赤口
 また,巡ってきた原爆の日である。アメリカ人の,すなわち白人の残虐性を再確認する日である。果たして,原爆が白人に対して使用されていただろうか。白色人種が黄色人種を人間と見ていないから,使用されたのど,私は思う。
 「父親Le pere」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 前半と後半の落差に驚く。いや,主題は後半にあるのだから,同等に読む必用はないのだ。前半はあくまで後半を導くための導入に過ぎないのだ。前半では男女の恋で,男が熱心である。そして三ヶ月後に,女は妊娠する。男は飽きが来て彼女と一方的に別れるために住所を変えて,くらます。そして,およそ10年後,彼は独身であり,二人の子供を連れた彼女を公園で目にし,10ばかりになる男の子が,自分の子だと確信する。そして,その子との面会を希望する。そんなことなら,何故10年前に彼女と結婚しなかったのか,と読者は誰でも思うだろう。この行動の一貫性のなさ,矛盾。それでも,男というものにとって自分の子供に執着があるということが書きたかったのであう。だから,タイトルが父親なのであろう。
 
2008年8月7日。木曜日。晴れ。旧暦7.7. つちのと う 六白 先勝 立秋 旧七夕
 朝夕の暑さが心持ち緩んだようだが,果たしてこのまま秋に向かって季節はめぐっていくのか。立秋とはいえ,日中はまだまだ暑い。日の出も日の入りも目に見えてそれぞれ遅くなり,早くなった。秋よ来い! と,祈りたい。
 夕凪亭の模様替えで,机を求めてニトリへ行った。机といっても学習机ではない。パソコン机でもない。しいて言えば,百科事典のようなものを広げる多目的机である。モダンで安いものがたくさんある。帰りにふと思ったのだが,廃材を拾ってきてパソコンデスクにして,後生大事に捨てがたく思っている自分は,子供達からみれば,古代人というところであろうか。
 育った時代が時代だから,古代人をやめるわけにいかないですね。いにしえの記憶を辿って少し記せば,銅の針金を拾っていた最後の世代かな。中電工のおじさんが電気工事を電柱の上でして帰ったあと,そこに行くと,電柱の下に銅の針金の切れ端が落ちているのですね。それを拾って集めておくと,時々廻ってこられる廃品回収業の人がいい値で買ってくれていたという,懐かしい時代があったのです。最近,ちょっとそれに近づいた気配がありますね。銅の針金や廃材,ゴミの日に出さずに,貯蓄しておくといいかも知れませんね。(あのころは,電柱もコンクリートではなく,木ですよ)。
 「シモンのとうちゃんLe papa de Simon」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 私生児シモンは私生児故にクラスメートから執拗ないじめに会う。前半は級友たちの残虐ぶりがリアルに描写される。後半は,シモンが絶望の中で出会った鍛冶屋のフィリップに父親になってもらうまでの経緯をこれまた,丁寧に描いている。
 
 
2008年8月8日。金曜日。晴れ。旧暦7.8. かのえ たつ 五黄 友引
 捨てがたいものの一つに,ACアダプターがある。電池で動くものを,百ボルトの交流からとり,電圧を下げて直流に直す装置である。ノートパソコン,携帯電話の充電器・・・,多くのものに附属してついてくる。中には別売りのものもある。そして,本体が故障しても,このアダプターは元気である。初歩のラジオで,最初に理解したのは,電源回路である。電源トランスで降圧,そして真空管(整流管で整流し,コンデンサーで脈流を直流にする。そして電圧を出すために抵抗器をかませる。整流管がダイオードに変わり,ブリッジに組まれて全波整流できるパッケージが出て・・・,いつしか製品のほうが,学習を追い越して進歩する。三ボルトの直流を得るのにどれだけ苦労したか。だから・・・・
 「夫の復讐Le vengeur」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 復讐というよりも,嫉妬である。幼なじみの未亡人と結婚した夫は,亡くなった前夫とも知りあいであり,その前夫に対して嫉妬するという話である。思うに,嫉妬というのは,能力のない人間が,能力以上に自分を見せたいという感情をもって生じる対抗意識のことであろう。だから,嫉妬するという時点で既に,負けているのである。能力的には低い。低いことを認めて満ち足りておれば,嫉妬はおこらない。能力は低いのに,それ以上の能力が自分にはあると妄想するから,対抗意識が生じる。すなわち,嫉妬である。
 
2008年8月9日。土曜日。晴れ。旧暦7.9. かのと み 四緑 先負
 うちわが,たくさん出てきた。いずれもプラスチックの本体に紙が貼ってあり,それぞれの模様や文字が印刷されている。古ぼけたものもあるが,多くは十分に今も使える。だが,大部分を捨てることにした。捨てないと居住空間が広くならないから。勝手に集め,勝手に捨てる。これも人間のエゴイズムであろうか。 
 「肖像画Un portrait」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 魅力的な人物とその母の肖像画について,その魅力を言葉で描こうとしてチャレンジしたもの。言葉の力で,その人物の魅力は,その人物以上に魅力を湛え,肖像画はほんとうの絵画以上の言葉による肖像画として定着せしめているところが,この作品の魅力である。
 
 
2008年8月11日。月曜日。晴れ。旧暦7.11. みずのと ひつじ 二黒 大安
 昨日は,モーパッサンの短編を2ページ読んだところでダウン。そのまま寝てしまいました。リクライニングシートのせいです。年のせいかも。連日,夕凪亭の模様替え。本棚の中の配置換えです。今日で,棚板の移動はほぼ完了したといってよいでしょう。でも,全体はまだまだ・・・。
 「墓場の女Les tombales」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 深刻な内容のでありながら,最後の最後にどんでん返しがあり,読後感は実に爽やかである。私は微笑ましさを感じだ。作者の短編小説作りの旨さ舌を巻いた。話の筋はこういうことだ。墓場で悲嘆にくれている寡婦がいる。悲しみのあまり動けなくなっているので,懐抱してして自宅まで送り届ける。そして,話者と深い関係になる。ここまではいい。フランス小説としてはよくある話である。モラル云々と言ったところで意味はない。ここからの話の展開が面白いし,見事ではあるが,これから読まれる方もあるかもしれないので結論は省略。
 
2008年8月12日。火曜日。晴れ。旧暦7.12. きのえ さる 一白 赤口
 今日も最高気温は36℃という猛暑。ただ,最近朝夕に風が吹いたりして一時ほどの暑さは遠のいたものの,日中は暑い。今日も片づけ。一カ所を片づけると,他のところが山になる。この繰り返しである。人生もかくの如し。
 「メヌエットMenuet」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 年をとるということの悲しみを美しく描いた作品。公園で出会った老ダンサー夫妻の踊るメヌエットに感じた哀愁。老化を美しくもかつ哀しく書くという至芸。
 
 
2008年8月13日。水曜日。晴れ。旧暦7.13. きのと とり 九紫 先勝
 日中はまたまた凄い暑さでした。そして夜は秋の気配が澄んだ空にうかがわれます。十三夜の月がとてもきれいです。射手座のところにあって,その下の明るいのは木星でしょうか。夏の大三角形もくっきりと見えます。
 「マドモアゼル・ペルルMadomoiselle Perle」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 これまた見事な短編小説という他ない。話の展開がうまいのだ。無理がない。自然に作者の言いたいストーリーに流れていく。あるところでは,奇譚風に,あるところでは,ホラー小説風に。そして一面ではミステリー風に。そして何よりも,気高い女性の魅力を美しく描く筆致。一見,主題とは関係ないような出来事から入っていき予期せぬ展開が繰り広げられるところも,読んでいて楽しい。
 
 
2008年8月14日。木曜日。雨後晴れ。旧暦7.14. ひのえ いぬ 八白 友引
 久しぶりに雨である。それも起きたときから降っていた。これで,秋に向かって・・・・などと思ったものの,いつも同じ酷暑の日中になり,夜になっても風は吹かないし,秋はまだまだ遠いのであろうか。
 「オルタンス女王La reine Hortense」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 いよいよ,臨終のことである。老女の死に際し,二人の妹の家族がやってきて,その情景がユーモラスに描かれるのだが,主人公の老女は生涯独身であったのだが,死の間際では,子供達のいるような夢を見ているようなうわごとを言う。また,子供がいないものだから,当然その財産は二人の妹のところへいく。これまた,現在も変わらぬ人生の断面である。
 
 
2008年8月15日。金曜日。晴れ。旧暦7.15. ひのと い 七赤 先負 さんりんぼう 旧盆
 八月も半ば,折り返し点である。と同時に一五日は,例によって終戦・敗戦記念日である。私の生まれる前の昭和二〇年八月一五日から,日本の歴史は変わった。多くのものが変わった。その,いわゆる戦後体制の下に生まれ,育って,今日まで来ている。天変地異は数々あったが,戦争というものだけは,直接経験しなかったし,おそらく,これから死ぬまで,それは続くことだと思う。他国のことを除けば,日本は一応平和であった。このことは,いくら感謝しても感謝しきれるものではないが,ありがたいことである。
 八月の後半は,あっという間に過ぎ去る。小学生以来,少なくなっていく夏休みとともに,過ぎ去る夏への哀惜が重なるせいか,日々が寂寥の中に過ぎていく。これだけはどうしょうもない。
 「待ちこがれL'attente」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 去った子供と会うのを拒絶した恋人の二人に会うことを待ち続けて,二人に会わずに死んでいく老女の悲惨を描いたもの。前半はよくある,好きな男がいるが,金持ちの男と結婚させられるという,よくある話。しかし,後半の展開が,いつもながら,見事である。
 
 
2008年8月16日。土曜日。晴れ。旧暦7.16. つちのえ ね 六白 仏滅
 今日は,珍しく気温が上がらず,夕方からエアコンが必要ないようです。29℃に設定していたのですが,夜になって外のほうが涼しいので10時半に窓を開けました。南のほうに満月が出ています。旧暦では明日が17日ですが,明日が満月のようです。空は薄い雲が出て,満月と,木星だけしか見えません。  
 「泥棒Le voleur」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 あの有名なバルビゾンでの画家達のユーモア溢れる乱痴気騒ぎの顛末。酔っぱらって,兵隊の服を着たところへ,アトリエに泥棒が入ったので,軍隊よろしく武器を取り,突撃して逮捕・裁判・・・すべてが余興であるが,事実だと作者は何度も念を押す。
 
 
2008年8月17日。日曜日。晴れ。旧暦7.17. つちのと うし 五黄 大安
 朝も夜も,一時の暑さが遠のいたようです。日中は暑い時間もありましたが,雲が出て,かつてほどの暑さではありません。子供の頃から盆が過ぎれば涼しくなると言われておりましたが,確かにその通りで,今日も,夜の10時前にエアコンを切って,窓を開けました。秋の風,というにはやや早いのでしょうが,涼しい風が入ってきます。
 一応,今日でお盆休みというか夏休みが,全国的にも終わるようです。例の民族大移動も,道路は混むし,迷惑千万な話だと,以前は思っておりましたが,子供達と離れて暮らしていると,呼び寄せもしないのに,世間の常識に従って生きているのか,帰ってきてくれます。親にとっては,なかなか嬉しいもので,良き風習だと,改めて思った次第。
 「馬に乗ってA cheval」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 気位だけは高い貧乏貴族の悲劇ということであるが,貧乏貴族というのは,あまり大きな要素ではない。気位が高いというところが,十分に操れもしないのに馬車を雇い,おまけに混雑を極めたシャンゼリーゼ通りを行き,事故を起こすという原因になる。それを冷酷に,モーパッサンは描く。滑稽ではあるが冷徹でもある。
 
2008年8月18日。月曜日。晴れ。旧暦7.18. かのえ とら 四緑 赤口
 35℃の生活に慣れていたせいか,30℃くらいでは涼しいと感じるようになった。適応というよりも,麻痺ではないかと思う。この分では,熱帯地方へ行っても案外暮らしていけるのではないかと,思ったりする。行こうとは思わないが。それよりも,向こうからやってくるほうが早いように思う。もう既に当地は,亜熱帯といってもいいだろう。今に熱帯魚もヒーターなしで飼育できるようになるだろう。
 「家庭En famille」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅱ・青柳瑞穂訳)
 不景気な話である。海軍省に勤める下級官吏の生活をリアルにアイロニカルに描いたものである。医学の発達してない当時のことだから,死んだと診断された母親が生き返えるという椿事を軸に,妻と子と老母とそして嫁いでいる妹夫婦まで登場して,遺産の話まで出てくる。家族の悲劇であるが,多分に性格的なものである。本作品をもって新潮文庫の短編集は終わるのだが,都市生活が必ずしも惨めであったわけではなかったのに,作者は好んで描いたようである。
 
 
2008年8月19日。火曜日。晴れ。旧暦7.19. かのと う 三碧  先勝
 朝雲って木々が揺れていた。新聞の天気欄を見ると,台風12号がフィリピン付近にある。日本に接近すれば雨をもたらしてくれるか,と期待したのではあるが,台湾の方を向いている。期待はできそうにない。それにしても,水不足,水不足と言う声が大きくなりませんね。大丈夫なのでしょうか。
 佐々木譲「廃墟に乞う」(オール讀物2008.7)は印象に残る作品である。夕張近郊の廃坑の町で貧しい少年時代を送った元殺人犯が,再度同様の犯罪を犯し,指名手配されており,死んだような故郷の町に帰るという話である。
 
2008年8月20日。水曜日。晴れ。旧暦7.20. みずのえ たつ 二黒 友引
 白い野生の百合が横向きに開いています。毎年毎年,場所を変えながら開くのが面白い。台風の影響でしょうか? 時々強い風が吹いております。気温が少しずつ下がるのは,うれしい。過ぎ去る夏を惜しむよりも,暑さができるだけ早く遠ざかるのを願う気持ちのほうが強い。
 「トワーヌToine」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)
 モーパッサン短編集Ⅰを読んだのは,昭和53年から1991年にかけてだから,随分と昔のことになる。どのへんから,熱中しだしたのかは,もとより,作品の内容すらすっかり忘却の彼方にいっているので,読み直してみることにする。
 開巻風変わりな話でまず驚く。その前に,短編集Ⅰは,田舎の生活ということであるから,そのつもりで楽しみたい。田舎で飲み屋を経営しているトワーヌじいさんは超肥満で,冗談付きで友達つきあいの極めていい,まことに愉快な人物である。その婆さんは不機嫌屋でつねにじいさんの悪口を言っている。大酒ばかり飲んでいると今に腹が裂けると・・・。その予言通り,ついにじいさんは卒中で,動けなくなる。しかし,友達は相変わらず訪れる。そのうちの一人が,婆さんに,じいさんに鶏の卵を暖めさせたらいい,などと変なことを進言した。ということでトワーヌのじいさんの苦行はさらに増した。この世にも奇妙な実験は,果たして成功するのだから,面白い。 
 
2008年8月21日。木曜日。晴れ一時雨。旧暦7.21.  みずのと み 一白 先負
 天気予報に反して,かなりの雨が降った。そのせいか,夜になると,すっかり涼しくなった。夏の間は沈みっぱなしのガリレオ温度計が,やっと一番上の26℃のマーカーを浮かせた。エアコンを切って,窓を閉めていると,また下がってしまう。 
 「十二諸侯年表第二」(新釈漢文大系)
これは西暦紀元前841年から紀元前477年までの,周と他の13諸侯の年表である。13諸侯を12諸侯と呼んだのは,口調が大変いいからではないかと思う。ただ,それは12進法を一部で保持している現代の視点での推定であって,果たして,この時12進法を知っていたのだろう。あるいは,偶数にしたのかもしれない。それはともあれ,わかりやすい。わかりやすいと言っても,普通の年表である。もっと,詳しく書かれていたならば,もっと面白いと思われるが,竹を結んだものに書くという当時の技術では,いかに苦労したか想像もできない。
 
2008年8月22日。金曜日。晴れ。旧暦7.22. きのえ うま 九紫 仏滅 
 朝,寒かった。といっても最低気温が21℃くらいで,ついこの前まで最低気温27℃,昼間は30℃以上の世界に住んでいたものだから,今朝起きると,ブルブルという感じでございました。戸を閉めたり,服を着たり・・・(滑稽)。
 車で街中を走ると,閉店のところが急に増えたように思います。不景気が押し寄せているのか,あるいは客層の変化だけなのかは,わかりませんが,サービス業の隆盛は,市民にとってはありがたことですが,どの分野も供給過剰で大変ですね。本屋さんにも立ち寄ったのですが,やはり供給過剰ですね。いい本をどんどん出版してくださるのは,大変ありがたいのですが,すべてを買うわけにはいきませんからね。
 漱石の「三四郎」を読みました。新潮文庫で始めて,途中で青空文庫に移って終わった。青空文庫の底本は角川文庫クラシックス(1951(昭和26)年10月20日初版発行,1997(平成9)年6月10日127刷)ということであった。面白い作品です。ところどころ古めかしい表現もあるのですが,内容はきわめてモダーンですね。
 
2008年8月23日。土曜日。雨後晴れ。旧暦7.23. きのと ひつじ 八白 大安 処暑
 明け方久しぶりにまとまった雨が降った。しかし,天気予報に大雨の畏れとあったが大雨とはほど遠い。もっともっと雨がほしいところです。でも,さすがに猛暑は去ったようで,来週の予報でも最高気温は31,2℃である。
 「酒樽Le petit fut」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)
 これまた奇譚である。そしてこれまたお酒に関する話。宿屋業者,シコとっさんはマグロワール婆さんの屋敷が買いたくてたまらない。しかし婆さんは頑として拒否する。あの手この手と尽くして,やっと契約にこぎつけた。それは月々5フラン金貨50枚を渡すかわりに婆さんが死んだら屋敷はシコとっさのものになるというものだった。三年たってもまだ,婆さんは死なない。・・・・シコとっさんには,じれったい。完全犯罪を考えれば推理小説だが,そのようには展開しない。結果としては似たようなものだが,さてシコとっさんの計略は? これから読まれる方もおられることだろうから,結末をバラすことは遠慮しよう。
 
 
2008年8月26日。火曜日。雨時々曇り。旧暦7.26. つちのえ いぬ 五黄 友引
 ハードディスクが一杯になったので,外付け用をメインにするために,移しました。そうやこうやしているうちに,二日もたって,おまけに雨模様で,すっかり秋らしくなりました。と,言っても蝉はまだ鳴いていますが,昨夜など,秋の虫の声も夜になると聞こえました。
 最近毎日同じようなことばかりで,まるで浦島太郎の日記じゃないかと,自省。来る日も来る日も,鯛やヒラメの舞い踊りばかりを見ていたら,たまには蛸踊りやイカダンスもやってくれと言いたくなるかも知れませんね。ワンパターンになるということは,年をとったということですね。こう書いたからといって,日常的な生活の繰り返しに価値がないというのではありません。朝出て,夜無事に帰宅するということは,とても大切なことで,同時に幸運なことなのです。そして,その繰り返しが人生なんですね。だから,日々の日記が浦島太郎の日記になっても,決して悪いことではないのですね。
 でも,でもですね,こうしてweb上に載せる以上は,浦島太郎の日記では,場違いなのですね。蜘蛛と蝶をはじめとするあまたの昆虫たちとの生存競争の如く多様である必用はありませんが,ともかく浦島太郎になってはいけませんね。 そう思うと,三島由紀夫さんの一五歳詩集に出てくる「夕な夕な窓辺に立って椿事を待った」というのは象徴的ですね。これこそまさに作家魂というものではありませんか。
 椿事といえば,今年は蝉が大量に発生して,(ここまでは椿事でも何でもありません),何と光通信の故障が頻発したという話を聞きました。何で蝉と光通信が関係あるの? と,思う人も多いと思います。嘘か本当か知りませんが,あの蝉が木の樹液を吸うためにある針で,ケーブルを刺すのだそうです。なるほど,銅線なら皮膜の塩ビから刺し貫かれようが,電流の流れにはほとんど影響はありますまい。しかるに,光ファイバーですから塩ビ皮膜の下には,細い硝子管があるのでしょうか。そして,それに蝉の針が傷つけるのでしょうか? 奇譚ですね。
 「田舎娘のはなしHistorie d'une fille de ferme」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)
 タイトルが内容をぴったりと表しております。農家で雇われている娘に作男が言い寄ります。結婚の約束までしていながら,男は飽きて遠ざかります。娘は妊娠します。そして挙げ句の果ては男は逃げてしまいました。子供は実家の近くで乳母にあずけ,必死で働きます。給料はあがらなかったのですが,寡夫の主人はこの娘を妻にします。しかし,田舎娘故に意志の疎通がうまくいきません。・・・しかし,最後には,子供ひきとるという,ハッピーエンドです。
 
2008年8月27日。水曜日。晴れ一時雨。旧暦7.27. つちのと い 四緑 先負 さんりんぼう
 勤務先と自宅の間は車で10分ほどであるが,その間に,コンビニ,百円ショップ,ホームセンター,食品スーパー,ドラッグストア,レンタルビデオCDショップ,本屋,銀行,郵便局,内科医院,歯科医院・・・とあって,たいていのことは,この範囲内で済んでしまう。その中のT書店に,ある雑誌を求めて三日間通った。その雑誌コーナーには,雑誌名と発売日を書いたプレートが貼ってある。発売日も過ぎている。そこでレジカウンターで尋ねた。折しも店長のプレートをつけた若者が通りかかり,パソコンのキーボードを叩くこと10分。答えは,「昨日が発売日で,昨日か今日配達されるのですが,当店には配本されなかったようですね。売れない場合はそういうこともあるのです」ということでした。実は,先月も発売日の二日後に同じ質問をしたら,これはアルバイトの人だったか社員の店員だったか確認しなかったが,やはりパソコンを操作して,「売り切れているようですね」ということだったので,「入荷して売り切れたということですか」と念を押すと「そうです」ということであった。
 思うに,この店には先月も,先々月も,あるいはもっともっと前から,この雑誌は入荷しておらず,雑誌コーナーにはきちんと発売日を書いたプレート(当然,そこで扱っているものだろう)が掛かったままになっており,そのことを店長さんも,もう一人の店員も知らないのではなかろうか。そして,お二人ともパソコンでその社内の入荷在庫状況などの正確な情報を理解することができないのではなかろうか。
 閑話子は,この店や,この雑誌の忠実なファンではなく,むしろ気まぐれな一消費者に過ぎないのだから,この程度のことでサービスが悪いとか,流通システムが悪いなどと立腹はしないが,これが日本社会のおかれている状況だと憂慮するのである。活動する人間が処理できる以上の物と情報が動いているのであるから,このまま人口が減っていけば,そのシステムを維持することは益々難しくなるにちがいない。
 「ベロムとっさんのけだものLa bete a maitre Belhomme」(新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)も,タイトルがよく内容を表している。更に詳しく書けば,ベロムとっさんの耳の中のけだもの,というべきであろうか。耳が痛くて隣りの村のお医者さんへ馬車で行く,その道中の話題。痛い痛い,けだものが耳に入ったと叫び,乗り合わせた客達がからかったり,けだものを追い出すのに協力したり・・・と,愉快な作品である。
 
2008年8月28日。木曜日。晴れ一時雨。旧暦7.28. かのえ ね 三碧 仏滅
 昨日と同じように,晴れているのに時々雨が降る。何年か前に,梅雨明けがはっきりせず,八月になっても,曇りがちで日照不足で,米不足になった年があった。あの時のような天気が,八月の後半になってから続いている。とはいえ,今年は七月八月と暑い日が続いたから,日照時間も十分あったことだから,凶作ということはあるまい。昨年並みか,昨年以上に秋の収穫物や柑橘類などは糖度が高いのではなかろうか。
 先日,棗(なつめ)の小枝を折ってきて,実を賞味した。少し早かったが,昔ながらの懐かしい味である。昨今の若者達は,こういうものにほとんど興味を示さないようだが,茶色になってやがてしぼんで,枯れていくのが,寂しい。やはりは,棗は,この頃になると小枝ごと切って,実をもいで食べるべきである。明日くらいまた,取りに行ってみようかな。
 「紐La ficelle 」 (新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)は,91年4月15日に読んだと記録にあるが,ほとんど覚えていない。ほんのわずかのシーンが微かに記憶にある程度だ。毎週火曜日に開かれる市で,紐を拾ったところ,運悪く,同じころ財布を落とした者がいた。そして,喧嘩のライバルに讒言される。結局,出てくるのだが,疑いは晴れない。説明すればするほど,逆効果となる。田舎の木訥な人士故の悲劇である。
 
2008年8月29日。金曜日。雨後曇り。旧暦7.29. かのと うし 二黒 大安
 来ました。猛烈な集中豪雨が。空は真っ暗。雷はピカピカどんどん。これが七月の半ばなら,ああこれで梅雨明けだ,と思うのですが,,時ならぬ雷雨にとまどいました。怖いような感じでした。住まいも,勤務先も,小高い丘の上にあるようなものですから,どんなに降っても,水は溜まらないのですが,低いところには,相当集まったと思われます。なにはともあれ,一時間ほどで,雷雲は東へ行ってくれたので,ほっとしました。
 カレンダーを見れば,まだ八月で,最後の一週間ですからね。それが,秋のような天気だったのですから,観光地や海水浴ではやや営業成績が下がったのではないでしょうか。観光地といえば,鳴門へ行ったほかは,今年の夏は動きませんでした。蒜山当たりに避暑に行く予定だったのですが,子供達が交互に帰ってきたりして,行かずじまいです。
 
「六国年表第三」(新釈漢文大系)
 またまた,タイトルに偽りあり,で六国ではありません。八国です。今回は秦が滅ぶところまでですから,この前,本紀で読んだところです。年表というのは時刻の地図のようなものですから,錯綜していたところが,整然と配列されて,見通しがよくなります。しかし,反面個々人の性格などが反映されませんから,単調になるのは仕方のないことです。
 
2008年8月31日。日曜日。晴れ。旧暦8.1. みずのと う 九紫 友引 二百十日 旧八朔
 いよいよ八月も今日で終わりです。ここ数日九月のような天気が続いたので,やっと八月が終わって気候と合う,というような変な感慨に耽っております。考えてみれば,八月の終わりとしては,きわめて当たり前の天気なのですが・・・・。
 途中,何日か休みましたが,これで八月の夕凪亭閑話が終わりです。夕凪亭の配置換えは,ほぼ完了しましました。スチール棚など,行き場のないものを外に出したままですが。広々として夏はいいのですが,冬になったら,どうしようかと,今から心配しております。炬燵を置くスペースは広くなって快適でしょう。しかし,どのように仕切って暖房効率をあげるか,悩むところです。冬のことを考えていたら,暑さが遠のきます。これをもって残暑お見舞いに代えましょう。
 「アンドレの災難Le mal d'Andre 」 (新潮文庫・モーパッサン短編集Ⅰ・青柳瑞穂訳)はおかしな話です。アンドレというのは乳児のことです。公証人の夫人が,夫の出張中,以前から言い寄っていたソムリブ大尉とあいびきをする話である。アンドレが泣くので,大尉がつねったのであるが,痣になって,夫に発見されたとき,夫人は乳母のせいにしてしまい,乳母は解雇されたという顛末。だから,本当に災難にあったのは乳母というわけです。