2019年2月25日月曜日

夕凪亭閑話 2007年6月

    
2007年6月1日。金曜日。晴れ。旧暦4・16 ひのえ とら 七赤 先勝
 今日もさわやかなよいお天気でした。6月です。紫陽花の下に蝸牛がいます。鶯もまだ鳴いています。
 「和泉式部日記」 〔一〇〕七月-むなしい頼み
 七月になったので,織姫彦星にかけた歌が届くが宮様以外のものは無視する。返歌すると夕暮れに一度宮が訪れる。
 〔一一〕八月,石山詣で-よみがえる愛
 式部は石山詣でをする。参籠中,宮から歌が届くので返歌。帰ってからも贈答があり,合わぬが心は通いあう。
 〔一二〕九月二十余日,手習いの文-寄りあう心
 有明の月に宮は式部を訪ねる。式部は待女を起こすが起きない。その間に帰ってしまう。宮から歌が届くので手習いに書いていた歌を返すと,再び宮から返歌があり互いに思い合う。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第二部 皇帝カリグラ 若き新皇帝 p.86-106
 いよいよカリグラの登場である。私などは,ネロに次いで残虐無慈悲な皇帝という印象を,どこで仕入れたのか,もっているのだが,どうしてどうして,実に人気者なのである。元老院も市民も大歓迎で若き皇帝の就任に熱狂した。
 
2007年6月2日。土曜日。晴れ。旧暦4・17 ひのと う 六白 友引
 四時に起きて暗いうちから散歩してきました。といっても四時二〇分には少し明るくなり,四時半には完全に朝になっております。梅雨前のさわやかな一日でございました。
 「和泉式部日記」 〔一三〕九月末,代詠-あつかましい依頼
 宮が別の女を送る歌の代作を頼む。式部は嫌だが断るのも生意気なようなので作る。宮から心の籠もったお礼の歌が来る。
 〔一四〕十月,手枕の袖-愛のたかまり
 秋の時雨降る夜,宮は式部を訪ねる。月の夜のこと,使いの童のことなど,何度も贈答があり,宮は式部を自分の邸に引きとろうと言う。式部もその気になるが,品よくもっていく。
 〔一五〕昼間の訪れ-愛の自覚
 二三日後,式部が寝ずに物思いに耽っていると,宮から月を見ているのだろうかという歌が贈られてきたので,かえって物思いが増すので月はみないと返歌した。宮は感動して三日ほど後に来た。
自邸に来るように説得した。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第二部 皇帝カリグラ 生立ち  p.107-114
 カリグラは父親のゲルマニクスについてライン河防衛線に行ったり,ローマに戻ったり,オリエントに行ったりする。シリアのアンティキオアでゲルマニクスは死ぬが,その時本人もカリグラにとっては母のアグリッピーナもティベリウスの命で毒殺されたと信じていた。その後アグリッピーナはティベリウスによって島流しになり,死ぬ。
治世のスタート 大病 p.114-121
 二五歳で第三代皇帝についたカリグラは七ヶ月の間お祭り的な行事を続行し国民の絶大な人気を得るが,突如病気に見舞われる。そして全快すると養子にしていた一八歳の皇位継承者ゲメルスを殺させる。ここから,暴虐皇帝の愚行が始まる。
 
2007年6月3日。日曜日。晴れ一時小雨。旧暦4・18 つちのえ たつ 五黄色 先負
 メダカの餌が袋ごとなくなりました。徳用袋で,開封して日も浅く,惜しい気持ちで一杯です。鴉か猫か。ちょっとしたミステリーでございます。家の周りも探したのですが,でてきません。そのうちひょんなところから出てくるかもしれません。
 「和泉式部日記」 〔一六〕濃まやかな贈答-離れられぬ仲
 またもや,別の男から歌があったり,訪ねて来たりして,宮の邸に入ることを逡巡している。それにもかかわらず宮とは繁く贈答がありまた連れ出され,送られたりして二人の間柄は深まる。
〔一七〕宮邸入りの決意-ゆるがぬ信頼
 宮の邸に行くことを決心して他の男の歌に不在と答えたりしていると,宮は噂が嫌だというが,信頼を確かめる。
〔一八〕宮邸入り前の期間-愛の情景
 秋の雨が降った夜など寂しく思って式部のほうから歌を贈ると,返歌があったり宮が訪ねたりする。邸に上がるつもりではあるのに,まだ決心がついていない。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第二部 皇帝カリグラ 神に p.122-124
カリグラの愚行の二番目は,自らを神になぞらえることです。ポセイドンを真似て元老院に現れたりします。しかし,庶民には,これが受けたということですから,頂点に達したローマ帝国の退廃の萌芽は既にあったということでしょうか。
 
2007年6月4日。月曜日。晴れ。旧暦4・19 つちのと み 四緑 仏滅
 少し暑くなりました。庭の隅で猫が子供を生みました。両親は黒です。仔猫は一匹が黒で,もう一匹は縞です。夏目家のように黒猫で運を呼ぼうなどと思いませんので,すみやかにお引き取りを願いました。ホームレスのクロちゃんを哲学する猫に育ててみるのも,一考かと思いましたが,昼間に猫の相手をする時間がありませんので,やめておきます。
 「和泉式部日記」 〔一九〕十一月,宮邸入り舞え-小さな起伏
 十一月になってしまったので,宮邸に入るのは来年の春にしようと思う。その間にも歌の贈答や訪問がある。
〔二〇〕十二月十八日-宮邸入り
 十二月十八日に宮が訪ね外出しようということになり,そのまま邸に入った。北の方の不機嫌ぶりを宮から聞く。
 〔二一〕正月-宮邸での生活
 式部は邸での生活にも慣れ昼間も宮の世話をやく。宮は次第に北の方から離れていく。
〔二二〕終局-北の方の退去
 北の方は実家へ帰った。帰るとき色々と宮の周辺では言われていたようだが,式部はどうすることもできないので黙っていた。
 かくして,和泉式部日記は終わりました。よくできた私小説という感想です。和泉式部が書いたものではないという説があるそうですが,そういう研究は学者さんに任せておけばいいので,詮索するつもりはありません。式部自身の執筆になるものと思って十分に楽しめる作品です。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第二部 皇帝カリグラ 快楽 p.125-142
 カリグラの愚行が次から次ぎへと述べられていきます。どうしょうもない人だったようです。こういう人間ができるのは,いつの時代にも遺伝と環境だと思いますが,いかがでしょうか。
 
 
2007年6月5日。火曜日。晴れ。旧暦4・20 かのえ うま 三碧  大安
 年金問題を見ていると,国家が国民から預かったお金が支払い不能になった,ということだと思います。ついに・・・・と,いうよりも,果たしてこれが世界に冠たる経済大国の姿なのでしょうか。いやいや,そういうのは過去の栄光で(あったかもしれないし,そういうものはなかったのかもしれない),日本という国は,既に実体として崩壊しているのではないでしょうか。その証拠の一つが少子化です。そしてもう一つは製造業の空洞化です。勉強をしっかりされた偉い人たちがどんなにすばらしい発明発見をされても,最後の製品になるところでは,誰が作っているのでしょうか。多くの過程が産業ロボットによってなされているのでしょうが,完全に無人ということはあり得ないでしょう。最後は人がするのです。果たしてそこに必要な人が満たされているのでしょうか。外国人労働者を研修とかいう形で雇用しているようですが,ということはシステムとしてもう機能していないということではないでしょうか。日本沈没はとっくに起こっているのですね。タイタニックのように多くの人が直前まで沈んでしまうなどと思わないのでしょうが・・・。
 和泉式部日記は昨日で終わりましたので,次は紫式部日記です。テキストは小学館の日本古典文学全集(中野幸一校注・訳)です。やはり古い赤いほうです。
 「紫式部日記」 「一」土御門邸の秋-寛弘五年七月十九日
 左大臣藤原道長の邸宅である。中宮彰子は道長の長女で二十一歳。妊娠九ヶ月で里下がりしている。秋の風情を華麗な筆致で述べる。夫に死なれてふさいでいるが,彰子の人格に惹かれて,憂鬱が忘れられる。
 「二」五壇の御修法-七月二十日の明け方
 夜明けのしじまを破って聞こえる読経の声に圧倒される。彰子の安産を願っての祈祷である。
 「三」朝霧のおみなえし-同日の朝
 随身を従えた道長がおみなえしを折って式部の几帳ごしに差し出す。四十三歳の道長の立派なこと。歌を作ると道長は感心してくれる。
 「四」殿の子息三位の君-同日の夕べ
 十七歳の道長の長男頼道が来る。大変立派な振る舞いに感心し,「物語にほめたる男のここちしはべりしか」と思う。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第二部 皇帝カリグラ 金策 p.142-150 ガリアへ p.150-158
 落日の皇帝である。愚行を重ね,政治家らしいことをしないのだから,国家財政は破綻する。私有財産も相当減っている。姑息な,政治家らしからぬ金策に走る。これまた評価を下げる。また,皇帝就任後二年半にしてガリアへ行く。財産を売り払うのも目的だったからも知れないが,著者は「人は何かをする場合,自分に欠けているものをおぎなう目的でするのが普通なのだから」(p.150)と言って「皇帝」(インペラトール)と呼ばれたいために防衛線の軍隊へ行ったのであろうと想像される。ますますお金はかかり,評判は下がる。
 
2007年6月6日。水曜日。晴れ。旧暦4・21 かのと ひつじ 二黒  赤口  芒種
 少し暑くなった。今日も四時に起きて暗いうちから朝の散歩を三〇分ほどしてきた。誰にも邪魔されずに,気楽でよい。さて,昨日は少子化のことを少し書いたが,もう少し考えてみたい。今の若い人たちとは一世代以上の開きがあるので,若い人たちの気持ちはわからない。だから,少子化の原因などを分析してみようとは思わない。しかし,今の世の中で,そしてこれから約二〇年間にわたって,結婚し子供を持つということの大変さは想像できる。核家族で育った子供たちが,三世代同居を選択するとは思われない。だいいちそういうライフスタイルの経験がないのだから,生活設計のプランとして描くことすら困難であろう。そしてその次の世代も,ということになる。もちろんすべての人たちがそうであるというのではないが,大部分がそうであろう。ということは,生まれてくる子供達は,親の家から出て,自分で家を持つということが(もし持とうとすればの話だが)宿命ずけられている。若い夫婦にとっては,自分たちも,であるが生まれてくる子供たちは,多分そうであろう,と想像することはそんなに難しいことではない。子供を持つということは,そういう苦労の再生産を行うということである。こんな簡単なことに二五年前の私は気が付かなかったが,今の若い人たちは,ある面では利口で,こういうことはちゃんと認識しておれる。
 「紫式部日記」 「五」御盤のさま-七月下旬
 播磨の守が負け碁の饗応をし,後でその日のお膳台を見た。
 「六」宿直の人々-八月二十日過ぎ
 宿直の人たちは管弦の遊びなどもするが,道長は娘のことを考えておおげさな管弦はしない。
 「七」宰相の君の昼寝姿-八月二十六日
 自室へ下がるおり,弁の宰相の部屋を見ると昼寝をされていて,大変美しかったので,思わず起こしてしまった。
 「八」重陽の菊のきせ綿-九月九日
 道長の北の方倫子から菊のきせ綿が式部へ名指しで贈られる。返そうとするが退出されているのでそのままになる。
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第二部 皇帝カリグラ ローマとユダヤ人 p.158-182
 一神教のユダヤ人はローマ世界にあっても特別の存在であった。カエサルがユダヤ側の要望を聞き入れ東方世界で不利な立場であったのを解消したとともに,一切の公職から免除した。このことにより,ユダヤ人はローマ世界での普遍性をもちえず「特殊」の道を選んだのであった。
 
2007年6月7日。木曜日。晴れ。夜雷雨。旧暦4・22 みずのえ さる 一白 先勝
 暑い一日でした。夏です。そして夜九時半頃が雷雨です。くわばらくわばら。
 「紫式部日記」 「九」薫物のこころみ-同日の夜
 中宮のところで,薫物を試みたり,庭の風情を話したりするが,お産も近くなり緊張する。
 「一〇」修験祈祷のありさま-九月十日
 修験僧や陰陽師などが多数集まり祈祷などをする。都合四十幾人とある。二十一世紀のわれわれから見ると,ばからしいことこの上もないが,いつの世も,苦痛を取り除く最大の(最善の)方法が用いられるものであるから,やはり,中宮にとっては有り難いことであったと思われる。
「一一」ご安産を待ち望む人々-九月十一日の朝
 十一日の明け方の加持祈祷のようす。道長の指示によって主だった人を中心に部屋にいる。緊張のひとときである。
「一二」若宮ご誕生-同日の昼
 安産で皇子が誕生し,これまでの緊張から解き放たれ晴れ晴れとした気持ちになった
 新潮文庫「ローマ人の物語18 悪名高き皇帝たち二」 第二部 皇帝カリグラ ギリシア人とユダヤ人~殺害 p.182-220
 ユダヤ人対策においても愚策しか出せないカリグラに対して,身内ともいうべき近衛軍団から反旗が翻された。大隊長カシウス・ケレアとコルネリウスサビヌスによって暗殺された。義による殺人だと思う。カリグラにとっては長生きをして,愚策を繰り返すよりはこの辺で舞台から退場したことは本人にとってもよかったのではなかっただろうか。
 かくして,新潮文庫で18冊目が終わった。 
 
2007年6月8日。金曜日。晴れ。夜雷雨。旧暦4・23 みずのと とり 九紫 友引
 今日も昨日に続いて夜になって雷雨。昨日よりも激しかったし,何度も襲って来る。まるで天から石が降ってきたのかと思うほどの大きな音で降ってきた。
 「紫式部日記」 「一三」人々のよろこび
 無事出産され皇子の誕生で,周囲の人たちの平安が戻り,また喜びに溢れた。そのようす。
 「一四」御佩刀・御臍の緒・御乳付
 宮中から御佩刀が持ってこられる。臍の緒を切ったりそれぞれの役回りを記録する。
 「一五」御湯殿の儀-同日の夜
 夜のお湯殿の儀の配役その他。
 「一六」女房たちの服装-九月十二日
 女房達の趣向を凝らした白装束に,人に劣るまいと思う気持ちを読みとる。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 予期せぬ皇位 p.16-22
 文庫本19冊目は単行本七冊目の後半である。四代皇帝クラウディウスはカリグラの叔父である。また,ティベリウスの甥でゲルマニクスの弟に当たる人である。カリグラを殺した近衛軍団の指図で即位した。

2007年6月9日。土曜日。晴れ。時々雨。旧暦4・24 きのえ いぬ 八白 先負
 昨夜は雷が通過したと思うと次の雷がやってくる,という調子で何度も訪れた。幸い落雷は無かったがかなり雨は降った。今日も少しだけ雷雨。それにしても梅雨前に梅雨明け時のような雷が連日襲来するとは珍しい。思えば今年は2月が異常に暖かく3月が寒く,4月には菜種梅雨らしき雨が降らず,五月は暑くならずで,いつもとは大きく異なる。8月が寒くて9月が暑いなどというようなことがなければいいが・・・。
 「紫式部日記」 「一七」三日の産養-九月十三日の夜
 三日目の産養について。
 「一八」五日の産養-九月十五日の夜
 五日目はの夜は道長の産養が行われた。公卿や女房たちの様子を,まさに観察するというのに相応しい。引き出物の一部もわかったものについては記録する。
 「一九」月夜の舟遊び-九月十六日の夜
 翌日の夜の舟遊び。女房達が白装束で舟に載る。内裏からも女房が来たので,舟に載っていた人たちは慌てて家に入る。
 「二十」七日の産・装束がえ-九月十七日の夜・十八日
 七日の産養は朝廷主催でさらに豪華になり,多くの引き出物が出される。中宮の様子。八日目は装束替えで女御たちは白装束から色とりどりのものへ変えた。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 歴史家皇帝 p.22-30
 クラウディウスは五十歳で皇帝に成る前は歴史家だったというのだから驚く。それも共和主義者のリヴィウスの弟子だったというから,更に驚く。しかし残念ながらその著作は伝わっていない。
 
 
2007年6月10日。日曜日。晴れ。時々雨。旧暦4・25 きのと い 七赤 仏滅
 今日も空には不気味な雲があり,何度か小雨が降りました。しかし,雷はありませんでした。これで,連続雷雨からもおさらばできるようです。
 紫式部日記」 「二一」九日の産養-九月九日の夜
 東宮の権の大夫の産養。女房たちが色とりどりの衣装を着ている。
 「二二」初孫をいつくしむ道長-十月十余日
 初孫を抱いて喜ぶ道長。
 「二三」中務の宮家との縁
 道長は中務家と姻戚になろうとして,式部が縁があると思っていろいろと話しかけてくる。
 「二四」水鳥に思いよそえて-十月十三日
 行幸が近づき,道長邸は豪華に飾られていくが,式部の心は晴れない。精神生活との格差に悩む。水鳥の姿に我が身を思い比べる。
新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 治世のスタート p.31-41
 なろうとしてなった皇帝ではなかったが,クラウディウスは皇帝の位を受け入れ,仕事を開始する。あまり評判はよくなくても兎に角,まじめに仕事はする。
 
2007年6月11日。月曜日。晴れ。旧暦4・26 ひのえ ね 六白 大安
 外は真夏の日差しで暑いが,日陰は意外と涼しい一日でした。
 「紫式部日記」 「二五」時雨の空
 小少将の君という親しい女房と歌の贈答をする。
 「二六」土御門邸行幸-十月十六日
 行幸の折りの女房達の気持ちや美しい衣服についての観察。
 「二七」管弦の御遊び,人々の加階-同日の夜
 その夜の管弦の遊び。主人の道長は光栄に感涙する。さらに藤原氏一門の加階。
 「二八」若宮の御初剃り,職司定め-十月十七日
 翌朝朝廷から使いがあり初剃りである。また若宮の世話をする人などが決まった。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 信頼の回復 北アフリカ p.42-51
歴史家皇帝クラウディウスはカリグラによって行われた悪政をつぎつぎに元に戻していく。外交政策でも秩序の回復に勤める。
 
2007年6月12日。火曜日。晴れ。旧暦4・27 ひのと うし 五黄 赤口
 四時過ぎに散歩に出ますと,新月を前にした逆さ三日月がくっきりと東の空に浮かんでおりました。日中は暑くなりました。しかし,まだ,梅雨にはなりません。
 「紫式部日記」 「二九」中宮の大夫と中宮の権の亮-同日の夜
 中宮の大夫と権の亮がやってくるが式部は出ていかない。
 「三〇」御五十日の祝い-十一月一日
 五十日目のお祝い。豪華できらびやかである。公卿たちも賑やかに酔って,源氏物語のことをだして式部をからかう。
 「三一」八千歳の君が御代-同日の夜半
 酔っている道長に歌を作れと言われ作ると,すぐに返し歌を作ったので,酔っているのにたいしたものだなあと感心する。
 「三二」御冊子づくり-十一月十日前後
 中宮が内裏へ還御なさる日が近づいたが,源氏物語の浄書に明け暮れる。みんなに協力してもらって冊子にする。
 「三三」若宮のご成長
 若宮が少し言葉を発するようになる。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス ユダヤ問題 ブリタニア遠征 p.52-74
 カリグラがこじらせていたユダヤ問題を穏やかにおさめる。また,ブリタニアに攻めると植民都市を建設する。すなわちローマ帝国の版図はますます大きくなった。
 
2007年6月13日。水曜日。晴れ。夜雨。旧暦4・28 つちのえ とら 四緑 先勝
 昼間は蒸し暑く,夜になって小雨。いよいよ入梅か。
 「紫式部日記」 「三四」里居の物憂い心-十一月十五日前後
 里下がりをしている間に物思いに耽る式部。宮仕えを後悔するも,結局はそこへ戻っていくしかない。
 「三五」中宮・若宮内裏還啓-十一月十七日の夜
 夜になって若宮・中宮のご帰還の行列が出る。いろんな人が話しかけてくるがわずらわしい。
 「三六」殿から宮への贈物-十一月十八日
 道長から中宮へ贈られていた書籍などを翌日になって開いた。ここで上巻が終わる。
 「三七」御節の舞姫-十一月二十日
 ここから下巻。御節の舞姫を見て平気で見られているのに同情する。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 秘書官システム p.74-87
 身体の弱いクラウディウスが政治を行うのに政策の執行に開放奴隷を使った。これが秘書官システムである。官僚機構のようなものだが,家庭の使用人であるところが違う。有能さにおいては不足はなかったと思われる。しかし,皇帝に会うのにもいちいちこれらの開放奴隷を通さないといけなかったし,また職務上の特権を利用して蓄財する者もいた。クラウディウスはこれらを押さえることができなかった。
 最近の読書より。ソポクレス作 藤沢令夫訳「オイディプス王」(岩波文庫)。あちらこちらと見ていたら終わった,という次第です。最初に読んだのは,ずっとずっと昔です。47.1.27という日付が入れてあります。多分買った日だと思います。すぐに読んだので,その頃でしょう。勿論,昭和47年ということです。今度思ったのは,ギリシア悲劇は運命悲劇でシェイクスピアのは性格悲劇だと単純に理解しておりましたが,本作品でも,オイディプス王の性格が濃くでているのが印象的でした。やはり凄い作品です。死ぬまでにもう一度読むかもしれません。紙は少し変色してますが,まだまだ元気です。
 
2007年6月14日。木曜日。雨。旧暦4・29 つちのと う 三碧 友引
 朝から雨。といっても小雨です。四時に起きたときは霧雨程度で散歩したのですが,止む気配は一向に無く雨滴が少し大きくなったので早々に引き上げて帰ってきました。それからずっと小雨が一日中降っていたようです。そして,正式な入梅宣言。気温は低いようです。
 「紫式部日記」 「三八」殿上の淵酔・御前の試み-十一月二十一日
 御節の御前の試みに,道長に舞姫を見に連れて行かれるが,気がすすまない。
 「三九」童女御覧の儀-十一月二十二日
 御覧の童女に同情する。宮仕えに慣れることへの自省。
 「四十」左京の君-十一月二十三日
 左京の君へいたずらをすること。
 「四一」五節も過ぎて-十一月二十六日
 五節が済んで寂しい気持ちになった。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 后妃メッサリーナ p.88-99
 悪女の見本のように言われるメッサリーナは,四代皇帝クラウディウスの三番目の妻で,年齢はクラウディウスよりも35歳も若い。虚栄心,物欲,性欲と悪の限りを尽くすのだが,やはり問題はクラウディウスにもあった。政治に熱心なあまりか,それともそういう性格か,家庭をも顧みないのだった。
 
 
2007年6月15日。金曜日。晴れ一時雨。旧暦5・1 かのえ たつ 二黒 大安
 今日は5時前に起きて散歩に出るとすっかり明るくなっていて,明け方の月は見ることができなかった。だんだんと小さくなっていくはずである。昨日梅雨入り宣言があったというのに,今日はもう雨もなし。昼に小雨程度で晴れた一日。やや梅雨時特有の蒸し暑さはあったが。雨が少ないと水不足が心配だ。時々水不足に見回れる都市は,雨水を地下に貯え,トイレや植木の散水に使うべきだと思うが,どの程度利用されているのだろうか。
 「紫式部日記」 「四二」臨時の祭-十一月二十八日
 賀茂の臨時の祭りの若人の華やかなこと,老年者の哀れなこと。老年者を見て我が身の行く末を考えてしまう。
 「四三」年末独詠-十二月二十九日の夜
 一ヶ月後。宮仕えを始めたのが一年前のこの日だったと思い,一年で慣れてしまった自分に嫌悪を感じる。
 「四四」晦日の夜の引きはぎ-十二月三十日の夜
 晦日の夜,かっぱらいがあった。わかってみると身分の低い女房であった。
 「四五」新年御戴餅の儀-寛弘六年正月一日~三日
 大納言の君や宰相の君の気品ある姿がすばらしい。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 国勢調査 p.99-103
 国勢調査の結果,成年男子が属州でも増えている。すなわち兵役に使える青年が増えている訳だが,クラウディウスはブリタニア以外の領土拡張を行おうとはしない。しかし,有能な軍人は確実に育っていた。
 
2007年6月16日。土曜日。晴れ。旧暦5・2 かのと み 一白 赤口
 今日は府中市の神宮寺へあじさいを見に行ってきました。田圃の上に甍が初夏の日を浴びてまぶしい。庭には各種の紫陽花がとりどりの色で咲き乱れている。池にはウシガエルのオタマジャクシや豊年エビが泳いでいる。睡蓮も見事だった。それにしても暑い一日でした。昨日梅雨入りしたばかりなのに・・・と他の地方のことをテレビは伝えておりましたが,こちらもまったく同じであります。
 「紫式部日記」 「四六」人々の容姿と性格
 女房達はそれぞれ美しいが,性格となるとこれといって立派な人はいない。 
 「四七」斉院と中宮御所
 賀茂の斉院と彰子中宮の御所の比較論であるが,斉院女房の自己満足に腹を立てるが,自分たちの弱点も認める。
 「四八」和泉式部・赤染衛門・清少納言批評
 和泉式部の文章はうまい,歌は「いとおかしきこと」。しかし知識はないし,それほどうまいものではない。赤染衛門はつつしみ深くていい。清少納言は利口ぶっているが足りない点もたくさんあるという,有名な酷評。
 「四九」わが身をかえりみて
 夫に先立たれた自分の行く末のことなど考えると,もの思いに耽ってしまう。他人が自分を,みかけと異なると言うが,それでよいし,おっとりと見えるままでいいと自覚する。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 郵便制度 p.104-112
 クラウディウスの政治に,話は戻る。帝国全土に張り巡らされた公的郵便制度を個人も利用できるようにしたり,裁判の最高限度額を決めたり,ニュースにはならないほどの地道な政策も実施していく。こういうところは評価してよいだろう。
 
2007年6月17日。日曜日。晴れ。旧暦5・3 みずのえ うま 九紫 先勝
 昼間に少し降ったものの,蒸し暑くもない梅雨の一日でございました。散歩に出ると,紫外線が腕にあたってちりちりするので早々に退散した次第。その後曇っていたのですが。
 「紫式部日記」 「五〇」人の心さまざま
 「すべて人はおいらかに,すこし心おきてのどかに,おちゐぬるをもととしてこそ,ゆゑもよしも,をかしく心やすけれ。」
 「五一」日本紀の御局・楽府御進講
 左衛門の内侍が式部を日本紀の御局と言って悪口を言う。式部の漢詩文についての深い知識。有名な父が男であったらなら,と言ったというエピソード。
 「五二」求道の願いとためらい
 出家したいと思いつつも,なおためらっている心境。
 「五三」文をとじるにあたって
  「四六」からここまでが,手紙のような構成になっており,消息文と呼ばれる。ここでは,こんな他人のことを書いたものが世に出回る前に返してください,とある。手紙文風に書いたものか。
新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 「クラウディウス港」p.113-122
 クラウディウスが行った公共工事の一つにローマ外港の建設がある。テヴェレ河河口に大規模な港湾を建設しようとするものである。ここでおもしろいのはカリグラがエジプトからオベリスクを運ぶために建設した,無駄遣いの典型ともいうべき大型船を壊して石を入れて沈め,防波堤としたことである。ただ,この素晴らしい大港湾も,国家が機能しなくなったときに土砂に埋まる。
 
2007年6月18日。月曜日。晴れ。旧暦5・4 みずのと ひつじ 八白 友引
 そして,今日は少し肌寒く感じることもありました。夜になると曇ってきました。
 「紫式部日記」 「五四」御堂詣でと舟遊び-寛弘六年九月十一日
 中宮が二度目の懐妊で土御門邸へ里帰りをされたときの話。
 「五五」人にはまだ折られぬものを-同年の夏
 源氏物語を見て,道長が冗談の歌を作る。返歌をする。
 「五六」戸をたたく人-同年の夏
 渡殿に寝たときの歌の贈答。
 「五七」若宮たちの御戴餅-寛弘七年正月一日
 御戴餅の儀で清涼殿に参上するのに女房たちがつきそう。また御薬の儀で勤めの女房の胸中を察してたまらない思いがする。
新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス メッサリーナの破滅 p.123-128
 后妃メッサリーナが自滅する。元老院議員のシリウスと結婚したのだ。クラウディウスが手をかけることなく法の定めるところにより死んだ。シリウスは秘書官たちが尋問し,自死という死罪。メッサリーナについては,クラウディウスは弁明の機会を設けたが,腹心のナルキッソスの判断で百人隊長が差し向けられ殺された。
 
 
2007年6月19日。火曜日。晴れ。旧暦5・5 きのえ さる 七赤 先負 旧暦で端午の節句
 本格的な梅雨になったようである。湿度が上がったので,夕凪亭も除湿20℃にしてエアコンを入れた。寒くなったのですぐに切った。朝4時前に起きたときには雨が降っていたが5時過ぎに上がったので散歩してきた。午後からまた雨で,湿度が上がった。
 「紫式部日記」 「五八」中宮の臨時客・子の日の遊び-正月二日
 酔った道長は孫達に囲まれてうれしそうである。
 「五九」中務の乳母-正月三日
 中務の乳母と道長のことを話し,共感する。
 「六〇」二の宮の御五十日-正月十五日
 十五日に五十日の祝いがあったので,実家に下がっていたが明け方に参上した。例によって豪華で派出であった。これでで紫式部日記は終わる。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 開国路線 p.128-139
 元老院に,属州特にガリアの人たちを入れるかということである。ここにはクラウディウスの見事な演説がある。能力がある者はカエサルにならってどんどんローマで活用すればいいではないか,というものだ。これこそローマ帝国の精神の神髄ではないだろうか。そしてそれはヨーロッパ文明を作り上げた母胎でもあった。
 
 
2007年6月20日。水曜日。晴れ。旧暦5・6 きのと  とり 六白 仏滅
 梅雨になりました。朝五時前に歩いたときは大変さわやかだったのですが,昼間は蒸し暑い日でございました。夜になっても同様で,本日もエアコンを入れて除湿しております。
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 奴隷解放規制法 p.139
 ローマの開放奴隷という制度は,奴隷制度の中でも特異なもので,ローマ帝国を強固にしていた理由の一つである。その制度が語られる。
 アグリッピーナの野望 哲学者セネカ ネロの登場 p.148-170
 次の5代皇帝ネロの登場である。まずメッサリーナ亡き後の独身皇帝の後妻になるところからである。このときの候補者として三人の女性が,側近によって候補にあげられた。そのうちの一人が悪名高きネロの母親,アグリッピーナである。アグリッピーナはカリグラの妹である。アグリッパからたどれば,アウグストゥスの娘ユリアとアウグストゥスの盟友で高潔なアグリッパとの娘が大アグリッピーナで,大アグリッピーナとゲルマニクスのとの子供であるから,血統としては申し分ない。しかし,アグリッピーナは野心に萌えており,アレキサンダー大王にならって当代一の哲学者セネカを家庭教師につけ,そのお膳立ての元に若くして元老院デビューまでさせる。
 気儘な読書。別に桜桃忌とかというのは関係なく新潮文庫の「ヴィヨンの妻」の中に「親友交歓」というのがある。二人の登場人物のどちらにも共感はしないが,どこにでもいる「嫌なやつら」がうまく描かれていて,やはり太宰はうまい,とここでも思った。
 
2007年6月21日。木曜日。晴れ。旧暦5・7 ひのえ いぬ 五黄色 大安
 四時前に起きて散歩に出ると,暗いうちからホトトギスがキョロキョロと鳴いておりました。少しずつ東の空から明るくなってくるのですが,ウグイス,ヒヨドリ,カラスと順番に鳴き始めました。 
 新潮文庫「ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち三」 第三部 皇帝クラウディウス 晩年のクラウディウス 死 p.170-192
 六二歳のクラウディウスは東方,西方の安定化のために働き続ける。勿論有能な秘書官たちを指図することによって。また,ローマの食糧危機においても。しかし,在位一三年の六三歳のとき,ネロを皇帝にしたいアグリッピーナの野望の下に倒れる。懐刀のナルキッソスが留守のとき,毒きのこを盛られたという。まじめな,しかし家庭のことは操縦できなかった歴史家皇帝のかわいそうな最後であった。以上で,新潮文庫の一九冊目が終わった。
 最近の読書から。椎根和「平凡パンチの三島由紀夫」(新潮社)を終わった。三島由紀夫との交友録だと思って読むことは間違いではないと思う。しかし,著者の筆はだんだんと三島の思想そのものに肉薄していく。しかし最後まで楽しく読めるのは,生前の故人との交友が故人への敬愛と友情に溢れたものであったからに違いない。
 
2007年6月22日。金曜日。雨。旧暦5・8 ひのと い 四緑 赤口 夏至
 梅雨らしい天気でした。ホトトギスは,朝も夕べも鳴いておりました。
 新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ
 ティーンエイジャーの皇帝 p.16-27
 一六歳の皇帝デビューである。アグリッピーナの差し金で,哲人セネカがブレーンである。あるいは逆に,両者の傀儡といってもいいかもしれない。しかし,クラウディウスの控えめな政治が,よっぽど人気がなかったのか,ネロの即位は多くの人々に歓迎されたようだ。そして華々しく政治の世界を泳ぎ始める。
 気儘な読書。森鴎外「二人の友」(鴎外選集・第五巻)。これも終わりまで読むつもりはなく,最初の一ページだけ読んでみようと思っていたら,おもしろくなって,結局最後まで読んでしまった。鴎外にドイツ語の教えを乞う人と,ドイツ語を学ぶ僧侶である。二人とも東京までついてくるのだが,鴎外は忙しくなりすぎて,二人が互いに仲良くなると言う話。
 
 
2007年6月23日。土曜日。晴れ。旧暦5・9 つちのえ ね 三碧  先勝
 昨日が夏至で,われは夏至の子の夕凪亭閑人としては遅い夕暮れを楽しんでいる昨今である。今日は梅雨の合間とは思えぬほどの天気であった。朝三〇分,夜三〇分の散歩。天満屋の地下駐車場で一時間の昼寝。合計二時間の優雅なる夏の時間を持てたことだけでも佳としたい。
 新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ  強国パルティア p.27-30 コルブロ起用 p.31-34
 やはり,いつの時代にも東方問題とユダヤ問題はローマ帝国にとって難題であったらしく,このときもまた再燃する。しかしセネカは有能な西方の司令官コルブロを派遣する。しかし,そこでの働きは,本国の実戦を知らないセネカの限界が足枷となって充分には発揮はされない。しかし充分ではなくとも,一応安定はする。
 最近の読書から。藤原伊織「テロリストのパラソル」(講談社文庫)。私より少し早く生まれた人たちの話である。そういうこともあったなあと,遠くの潮騒でも聞くような思い。様々な精神の軌跡を見ることができる。ひょっとしたら,こういう人生を持った人もいたのかも知れない。あるいはそういう精神の遍歴があったのかもしれない。なお先頃,著者は亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい。
 
2007年6月24日。日曜日。雨時々曇り。旧暦5・10 つちのと うし 二黒 友引
 昨日の晴天が嘘のように今日は朝から雨である。雨の中を傘をさして散歩する。昼過ぎにやんだので,今度は傘を持って散歩した。夕方も同様である。帰り際に降り出して慌てて傘をさした。やはり,梅雨である。
 新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ 母への反抗 p.34-44
賢明にも(?)17歳の皇帝は母・アグリッピーナから離反し,反抗を始める。そこで生じたのがブリタニクスの件である。もともと,アグリッピーナがネロを皇帝にしたのは自分の子供(ネロ)のためではなく自分の権力を高めるためだったのだから,ネロが離反すれば,ネロの代理を準備する訳である。それがブリタニクスである。それならば,ということでネロのブリタニクス殺しが行われる。
 
 
2007年6月25日。月曜日。晴れ。旧暦5・11 かのえ とら 一白 先負
 暑い一日でクーラーがフル稼働していた。日暮れ時に一時間ほど散歩した。夜遊び鳥のホトトギスが他の鳥が塒へ帰って早い睡眠をっていると思われるころ,キョキョキョと鳴いていた。
 新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ 治世のスタート p.44-53
 ネロの政治活動の良い面をあげれば,順調な滑り出しで,特に元老院関係においては,仮にセネカが後ろで糸を引いていたとしても,よくやっている。元老院の老獪な策略に足を掬われることなく,終身執政官もうまく拒否している。しかし,除隊者の植民政策については属州の枠が取り払われ,集団で植民しなくてもよいようになった。すなわち帰郷してもよいということである。これでネロの人気は一時的には上がっただろうが,世界帝国のローマとしては後退ではあるまいか。いやそれ以上に,ローマ帝国の衰亡が既に始まっいたのかもしれない。
 
 
2007年6月26日。火曜日。晴れ。旧暦5・12 かのと う 九紫 仏滅
 今朝は四時前に目が覚めたのですが,ホトトギスが鳴いているのが家の中まで聞こえました。散歩に出てもずっと鳴いていて,四時二五分になって少し明るくなるとヒヨドリが鳴き始めました。ホトトギスの早起きには驚きますね。
 新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ 経済政策 p.53-60
減税をしたり,現ヴァチカンのところの競技場を改装したりと相変わらず人気取り政策の乱発である。
2007年6月28日。木曜日。晴れ。旧暦5・14 みずのと み 七赤 赤口 
 昨日は多分,今年はじめてだと思うのですが,お休みしました。忙しくしております。それとは関係なく体重をどんどん下げでおり,まもなく60キログラム代にできるのではないかと,楽観しております。
 それとは反対に,今日はパソコンがふらふらと酔っぱらい運転のような状態です。そのうち暴走するかもしれませんので,このへんでやめておこうと思います。今日は猫の忌避剤を買ってきて少し撒きました。それ以上書くこともないのですが,癖になりますので,少しだけ書いた次第です。暑い夏です。
 
2007年6月30日。土曜日。晴れ。旧暦5・16 きのと ひつじ  五黄 友引 
 昨日はブリタニキュスを終えて,松江へ行ったのでお休みである。帰ってみるとこちらは暑かった。夕方1時間ほど歩くと,遠くでホトトギス。いつまでいるだろうか。
 新潮文庫「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち四」 第四部 皇帝ネロ アルメニア戦線 首都攻略  p.61-76
またまた東方問題についての記述である。全権の与えられないコロブロの苦労から,ネロやセネカの無能ぶりが浮きぼりにされる。ネロの初期の5年間の政治もクラウディウスの政策の続きがうまくいっただけで,ネロの政治がよかったという訳ではないようである。
 最近の読書から。ラシーヌ作,渡辺守章訳「ブリタニュキュス」(筑摩古典世界文学)。筑摩古典世界文学というのは引用としてはまずい。世界古典文学全集全50巻のうち,35巻セットのホルプ版のことである。だから,世界古典文学全集と同じものだと思ってもらっていい。そちらでは第48巻である。タキトゥスに依拠した悲劇作品である。ネロの弟殺しといっても義理の弟である。そして暴君ネロのはじまりとなる事件が見事なドラマとして甦る。
 雨の少ない六月も,今日で終わりです。