2015年3月6日金曜日

福山市沼隈町 敷名の千年藤

福山市のみち
2015.3.6.福山市沼隈町常石内海大橋の前にある千年藤の由来を書いた説明板と歌碑。





厳島詣でからご帰還中の高倉上皇にまつわる話しで,この故事以来,この岬に生えていた藤を「千年藤」と呼ぶようになり,地元の人々は代を重ねながら,大切に育ててきた,と「沼隈町誌 民俗編」の646頁にある。
この地に行くには,沼隈町千年から内海町方面へ向かえばよい。内海町は沼隈半島から内海大橋を渡って行くが,その橋の手前の喫茶店(右手)の隣りの駐車場に石碑がある。このあたりが,備後國敷名。
夜半許に浪も靜に風も靜まりければ、御船漕ぎ出し、其日は備後國敷名の泊に著せ給ふ。此所は去ぬる應保の比ほひ、一院御幸の時、國司藤原爲成が造たる御所の有けるを、入道相國御設にしつらはれたりしかども、上皇其へは上らせ給はず。今日は卯月一日衣更と云ふ事のあるぞかしとて、各都の方をおもひやり遊び給ふに、岸に色深き藤の松に咲懸りたりけるを、上皇叡覽有て、隆季の大納言を召て、「あの花折に遣せ。」と仰せければ、左史生中原康定が橋船に乘て、御前を漕通りけるを召て折に遣す。藤の花を手折り、松の枝に附ながら、持て參りたり。心ばせありなど仰られて、御感有けり。「此花にて歌あるべし。」と仰ければ、隆季の大納言、千年へん君がよはひに藤なみの、松の枝にもかゝりぬる哉。(平家物語巻四 還御)



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