2004.8.21
またまた新しいページに入る。実はこの夕凪亭は,もともと娘の部屋だったところである。帰省するごとに,いろいろな部屋をさまよっていて,どういうことはないのだが,今回の帰省では,この部屋にいついてしまったので,しばらく何もできない状態が続いた。やっと,戻ったので,もとの夕凪亭に復したところである。以前にも書いたように,この夕凪亭は方丈の間である。すなわち四畳半である。とはいえ,いわゆる本間の四畳半であるので,かなり広い。東南と南西の方向に窓がある。南側は,その中間の柱の方向,すなわち対角線の向きである。
南西の窓の向こうには小さな池があって,メダカが泳いでいる。太陽電池で動くポンプが水を押し上げ,落下する音が太陽の光に応じて大きくなったり小さくなったりしている。いわば,小さな噴水なのである。メダカは,昔から田圃などでよく見てきた,黒いもの,すなわちふつうのメダカと,黄色いメダカ,すなわち緋メダカである。これを小さい頃からヒメダカと呼んでいるので以後ヒメダカと書くことにする。今年は,卵を親とは別の水の中で飼育するという操作をしていないので,あまり増えてはいない。
ものの本によると,一緒に飼育すると,黒のほうが優性で,黒の子が産まれる。このタイプどうしからは黒と黄色が3:1の割合になるそうであるが,そこまでは,実験していない。このヒメダガというのは,ペットショップで売っているが,昔は田圃にも時々いた。小生は遺伝学や進化論について,詳しく勉強したことはないので,以下憶説だと思って読んでいただきたい。思うに,黒メダカだけ飼っていても,ある割合でヒメダカが生まれるのではないか。ただ,自然界では,黄色いほうが目立ち,鳥などの外敵の標的になりやすい。それで,黒メダカが多くなる。一方,ペットショップではヒメダカを保護し売ろうとするから増える。自然ではないが,メダカといえばヒメダカだと思っている子供が大部分であるように,人間の間では,ヒメダカが席巻している。黒メダカよ,がんばれ。
2004.8.24
見果てぬ夢と言えば,もう一つある。庭にお稲荷様を祀った小さな祠を作り,朱色の鳥居をめぐらすことである。月のうち何回か油揚げをお供えし,お祀りするのだ。祠には,磁器の一対のお狐さまが鎮座している。岡山の高松稲荷のお札も当然入る。狐は霊力のある動物だから,きっと家を護ってくれることであろう。そもそも稲荷信仰というのは,田沼意次が祀り,どんどん出世したので,庶民の間に広まり,その勢いは今日まで続いているそうであるが,あの朱塗りの鳥居をみているだけで,ふくよかな気持ちになるのは私だけではあるまい。
しかし,残念ながら,庭に祠など作ると,後の代になって壊そうと思っても気持ち悪くて,苦労するので作ってはいけないというのが,桔梗さんの説である。考えてみれば,確かにそのとおりで,どういって壊せばいいのだ。油揚げをたっぷりとお供えし,「おきつねさま,おきつねさま,長い間,我が家を護ってくださって,どうもありがとうございました。これからは,我が家だけでなく,どうぞ広い日本のすべての家庭をお護りください」などと言って追い出すのであろうか。・・ということで,我が家の庭には,未だにおきつねさまは,お祀りしていないし,あの元気の出る朱塗りの鳥居もない。だから,いつまでたっても,お金は貯まらない。見果てぬ夢は,枯野を,かけめぐる。
2004.8.25
見果てぬ夢の続きを書こうと思っていたのだが,別のことを書く。というのは,大抵のことには驚かなくなっている自分であるが,今日は,久方ぶりに驚いた。本日の日経新聞の第一面である。先日から,家族の変容について特集が組まれているが,今日はその三回目である。驚いたのは,孫を世話する祖父母が対象の「孫育て教室」があるということ。それから「家庭教育」を通信制大学で習う主婦がいるとのこと。
以前,自己教育力という言葉が流行ったとき,奇異な印象をもった。本来教育というのは,自己教育力をつけるものである。すなわち,基本的なことを学べば,あとは自分で学習していく,そのための教育が学校教育であったはずである。それが「自己教育力をつける教育」などというから,話がわからなくなるのである。何でもかんでも塾や大学で学ばないとやっていけないという社会は,何かおかしいのではないか。これでは,そのうち,「余暇の過ごし方」とか「テレビドラマの見方」とかいうものまで,他人様から教えてもらわねばやっていけない人間の集団になってしまうではないか。
2004.8.31
さて,お稲荷さんを祀るのがだめならと,沖縄へ行ったとき,一対のシーサーを買ってきた。これを庭のメダカ池の周囲におけばいいだろうと思ったからである。しかし,帰って箱から出して眺めると,実にいい表情なので,庭の雑草の中に埋もれて,苔むしてしまうのがおしいように思われた。それで,次は玄関の下駄箱の上に置くことにしたが,置物としては,あまりパッとしない。沖縄ではシーサーは門柱や屋根を飾っていたので,やはり正しい使用法を守るのが無難ではないかと思い,門柱の上に載せることにした。かくして,雨の日も風の日も,このシーサーは家人の外出を見送り,また迎えてくれるのである。沖縄では,学校や公園の門柱にはたいていシーサーがあった。子供たちは毎日のようにそれを見て育つ。うらやましい限りである。