「さらにまた,原子は,形状,重さ,大きさ,および形状に必然的にともなう性質,をもっているが,それ以外には,われわれに現われる諸事実に属するいかなる性質をももたない,と考えなければならない。なぜなら,こうした性質はいずれもみな転化するが,原子は決して転化しないからである」
エピクロス「ヘロドトス宛の手紙」より
出隆訳「エピクロス-教説と手紙-」(岩波文庫)p.21
4-1 原子
ここに64gの銅の針金がある。これを半分にすると32gになるが,やはり銅としての性質はかわらない。さらにこれを半分にすると16gになるが,同様に銅であ ることには変わりはない。……果たして,このような操作を続けていくとき,それは無限に続けることができるであろうか。
64g
銅 → 32g → 16 →
このような操作をn回行うと64×(1/2)ngになる。
ここで注意しなければいけないことは,銅としての性質を保ったままで,こういう操作を行うということである。逆にいえば,nがいくらになったら,銅でなくなるか,というようなことについて考えているのである。(こういうのを思考実験Gedankenexperimentという。)
このようなことを,実際に行うことは不可能だが,現在までに蓄積された自然科学の知識の教えるところでは,n=79のとき1.0548×10-22gになるが,これが銅としての属性を示す最後で,次の,n=80になると,それはもう銅ではない。銅ということはできない。同じようなことを鉄や亜鉛でやっても同様に鉄や亜鉛としての性質を示す最後の一つがある。(このときの回数をn=αとする。もちろんαの数値は,初めにとった物質の量や,物質の種類によって異なる。)
n=αでは銅は銅,鉄は鉄,亜鉛は亜鉛であるが,n=α+1 以上になると,銅も,鉄も亜鉛も区別できなくなる。このn=αのときの,それぞれの物質の性質を示す最後の一つを原子という。すなわち,物質を構成する最小の粒子を原子というのである。
ここでひとつ注意してもらいたいのは,実際に金属としての性質は原子1個ではなく,原子の集合体としての性質であるので,上の説明には厳密さの欠ける点があるということである。
原子というものの存在が考えられたのは,はやく古代ギリシャ時代であるが,それはあくまでも,哲学的なもので,現実的な粒子として考えたのは19世紀のイギリスの科学者J.ドルトンである。
ここでドルトンが原子というもの存在を思い付いた経過を学習しよう。そのためには,まず,化学という学問がドルトン以前にどこまで進んでいたか学ぶ必要があるだろう。
質量保存の法則 Law of Conservation of Mass
1774年 ラボアジェ 仏
化学反応の前後において,物質の全質量は変化しない。物質は質量によってその量を表すものであるから,物質がまったく消滅したり,あるいは新しく造りだされたりすることがないことを意味する。それでこの法則は物質不滅の法則とも呼ばれる。
定比例の法則 Law of Definite Proportion
1799年 プルースト 仏
どんな化合物でも,その化合物を構成する成分元素の質量の比は常に一定である。 ドルトンの原子説 1803年 ドルトン J.Dalton 1766 ~1844 英 質量保存の法則と定比例の法則を説明するために 考えられた。 物質は分割の極限である微粒子の集合体であるという考え方はギリシャの哲 学者デモクリトゥスDemocritus(B.C.460-361) に始まるが,それが19世紀に至 ってDaltonによって科学的根拠をもって唱えられた。
すべての物質は原子と呼ばれるそれ以上に分割することのできない小 さな粒子からできている。 同じ種類の元素の原子は質量・性質が等しいが,異なる種類の元素の 原子では質量も性質も互いに違ってくる。 化合物は2種またはそれ以上の原子が整数個ずつ結合して生じ,成分 元素の原子数は化合物によって一定である。 化学変化では,原子の集まりかたが変わるだけであり,各原子は消滅 することも生成することもない。 質量保存の法則…… と より説明できる。
定比例の法則 …… と より説明できる。
倍数比例の法則
1804年ドルトン
ドルトンは自分の考えた仮説(ドルトンの原子説)が事実なら次に示すような法則も存在しなければならないと考えた。
2種類の元素が化合して,2種類またはそれ以上の化合物をつくるとき,一方の元素の一定量と化合する他方の元素の質量の比は簡単な整数比になる。
ドルトンの生涯
島尾永康「物質理論の探究」(岩波新書)より
18世紀後半のイングランドでの科学の担い手は,プリーストリ(酸素の発見者)のように地方在住の非国教徒が多かった。織工の子として生まれたドルトンの属するクウェーカー教には教育を重んじ,自然哲学に興味をもつものが多かったので,科学者となるには好ましい環境だったといえる。
最初ドルトンはマンチェスター・アカデミーで数学と自然哲学を担当した。8年後,そこを辞任し,私塾「マセマティカル・アカデミー」を開いて,数学・実験物理学・化学を教え,一生その教師にとどまった。科学の専門知識にたいする社会の要望が出はじめた当時にあっては,この種の私塾や巡回通俗講演がはたした役割は大きなものがあり塾は繁盛した。
26才で辞任して以来, そこで生涯を終えるまでかれは52年間をマンチェスターですごした。この間,マンチェスターはイギリス産業革命の焦点として,静かな田舎町から汚れた工業都市へ,ヴィクトリア期イギリスの第二の都市へと変貌し,人口も10倍に膨張した。ところがドルトンは,マンチェスターのこの変貌ぶりには全く言及していない。友人の中には化学知識を工業に応用した人も多かったが,ドルトンは工業には全く関心がなく,技術上の発明もない。ラボアジェなどフランスの化学者の多くが,国家枢要の地位を占めて,活発に公的活動をしたのとは対照的に,市井の一私塾教師だったドルトンは全く公務につかず,教育に多くの時間をさき,余暇に研究に従事するという学究的な独身生活をおくった。教え子の中にエネルギー保存則で知られるジュールがいる。そしてドルトンの原子論発表の100年後に赴任したラザフォードが,構造のある原子を論じて,歴史を 画する二つの原子論がマンチェスターから現れることになる。
ドルトンは偉大な師についたこともなければ,同時代の科学者との交際もとくに求めなかった。当時のマンチェスターにはまだ大学はなく,ロンドンからも遠く,オクスフォードやケンブリッジからも離れていた。そのような環境にいたドルトンに科学研究を可能にしたのは,ひとえに「文学哲学協会」という地方学会の存在による。1781年の創立だから,ドルトンがマンチェスターに来る9年前にできたばかりであった。マンチェスターの文学哲学協会には知名の士こそいなか
ったが,役員もおき紀要も発行し,近代的な研究体制をととのえていたので,現在まで存続している。現存の科学の学会としてはロンドンの王立協会についで古い。王立協会は歴史こそ古いが,この当時は学会というよりクラブ的色彩がつよく,会員には学者よりもディレッタントが多かった。ドルトンが奨められても王立協会会員に立候補することを渋った理由の一つはそこにあった。ドルトンは社会的階層によってではなく,専門家としての実力によって地歩を進めてゆく新しい型の科学者だったのである。ドルトンが英国科学振興協会にはその創立以来,積極的に参与したのも,職業的科学者の立場の強化のためであった。そのようなドルトンがフランス科学アカデミーの通信会員にはよろこんで選出されたのは,イングランドとはちがってフランスでは科学者の専門的功績を評価したからである。ドルトンはパリとアルクイユの訪問さえもした(1822)。そこでベルトレ,ラプラス,キュヴィエその他のきら星のような科学者群に歓待されたのは,地味なドルトンの生涯における華やかな一瞬であった。
ドルトンはマンチェスターの文学哲学協会に50年間所属し,普通会員から始まって,書記,副会長,会長(1817)となり,会長として27年間,死ぬまでつとめた。ドルトンはこの協会で117編の論文を発表した。孤独な研究者だったかれが,生前すでに全国的かつ国際的名声を確立したのは,ここで発表した論文による。
会員に選出されて(1794)一ケ月以内に発表した最初の論文は,色盲に関するものだった。ドルトンは色盲を科学的に研究した最初の人だった。このため色盲のことをドルトニズムという。かれ自身と兄のジョナサンとが赤色盲だったことが研究の動機である。彼の眼のガラス体が青色であるために赤色を吸収するというのが彼の説明であった。のちにトマス・ヤングが異なる理論を発表したが,ドルトンは自説をまげず,死後,自分の眼を解剖して自分の仮説を確認してもらいたいと遺言した。解剖の結果彼の説明が間違っていることがわかった。綿密な観察,大胆な理論,自説を信ずる信念の強さなど,ドルトン特有の研究態度はすでに現れていた。
4-2 分子
ドルトンの原子説は質量保存の法則や定比例の法則に完璧な説明を与え,さらに倍数比例の法則の発見を導いたものの,まもなく1つの大きな障害に突き当たった。
気体反応の法則
1808年 ゲイ・リュサック J.L.Gay-Lussac 1778~1850 仏
気体が反応する場合,それらの反応する気体の体積は簡単な整数比になる。
これは「原子は分割されない」というドルトンの原子説と矛盾する。この矛盾を解決するために提唱されたのが,アボガドロの分子説である。
アボガドロの分子説 1811年 アボガドロ A.Avogadro 1776~1856 原子自身ととその結合体である「分子」とは明確に 区別されねばならない。 単体の気体は二原子分子として存在しているいる可 能性が高い。 同一体積の気体は,温度,圧力が等しければその種 類に関係なく,一定数の分子を含む。 今では分子の存在は証明されており,当初は「アボガドロの分子仮説」と呼ばれたが,現在では「アボガドロの法則」と呼ばれている。
●●● 実験9 分子模型 ●●●
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目的 分子模型を組み立て,分子を立体的にとらえ,分子式,構造式などの理解 を深める。
準備 分子模型セット
A.原子間の結びつきの簡単な分子
方法
1. 表に示す物質の分子模型を組み立て,表を完成する。
2. 各原子の球で,ボンドを差し込むのに使う孔の数は次のようにする。
水素原子 ,塩素原子 ,酸素原子 ,窒素原子 ,炭素原子
水色 青色 赤色 青色 黒色
水素 塩化水素 水 アンモニア メタン 分子式 立体図 構造式 考察 1. 分子模型でみると,( )と( )の分子は直線状 で,( )の分子は二等辺三角形である。
2. ( )の分子は背の低い三角錐の形をしており,( ) の分子は正四面体になっている。
3. 2.の2種の分子のように( )的な構造をもつ分子でも,分子内 の原子の結びつきを表す構造式では,平面的に示されるようになる。
B.原子間の結びつきの複雑な分子(炭素原子,酸素原子を含む分子)
方法
1. 表に指示されているボンドの数,原子の種類と数にしたがって分子模型を組 み立て,表に記入する。
ボンド ノ種類・数 立体図 構造式 分子式 物質名 2 酸素原子2 炭素原子1 4 酸素原子2 炭素原子2 6 水素原子4 考察
1. 酸素原子が2個結びついたものが( )であるが,酸素原子2 個を結びつけるのに,ボンドを1本だけ用いると,2種類の酸素原子はそれぞ れさらに( )個の水素原子を結びつけることができる。しかし,実際に は水素原子は結びついていないのであるから,水素原子などが結びつかないよ うな分子模型を考えなければならない。それは2個の酸素原子間に( ) 本のボンドを用いると解決する。
2. 酸素分子の場合と同じようなことが,( )原子と( )原子間の 結びつき,( )原子どうしの結びつきにもいえる。このような結びつ きを二重結合という。
4-3 化学式
化学で扱う物質を表す記号(式)には様々なものがあり,それぞれ目的に合
わせて使用される。
分子式
化学式 構造式
組成式
示性式
普通,酢酸はCH3COOHと記す。これは示性式である。他の化学式は以下のよう になる。 分子式 組成式 示性式 構造式 C2H4O2 CH2O CH3COOH H O ・ ∥ 分子からからで 分子式でないも 分子の特性を明 H・C・C・O・H きているものを のの組成を表す らかにしたもの ・ 表す。 。また,分子式 。基を区別して H を最も簡単な比 記している。 にしたもの。 ノ ノ ヲ ニ シタモノ。
問い1 表を完成せよ。
名称 エタノール 過酸化水素 プロパン ベンゼン 分子式 組成式 示性式 構造式 化学結合
価標
原子価
問い2 分子式を記せ。
水( ) 水素( ) 酸素( ) 窒素 ( )
オゾン( ) 一酸化炭素( ) 二酸化炭素 ( )
過酸化水素( ) 塩素( ) 塩酸( )
硫酸( ) 硝酸( ) アンモニア( )
ベンゼン( ) メタン( ) プロパン( )
問い3 二原子分子,三原子分子の例を,単体と化合物について,それぞれ1つずつあげ,分子式で示せ。
問い4 次の物質の化学式を記せ。
過酸化水素( ) 過マンガン酸カリウム( )
硫酸マンガン(Ⅱ)( ) 塩化水素( )
ヨウ化カリウム( ) 亜硝酸ナトリウム( )
塩化水銀(Ⅱ)( ) クロム酸カリウム( )
4 物質の成り立ち
4-1 次の式は下記のどの事項にあてはまるか。
H H CH3COOH H2O2
| |
H-C-C-0-H
| |
H H
分子式 構造式 組成式 示性式 イオン式
4-2 下線を引いた原子の原子価はいくらか。
H2O HCl NH3 CO2 SiO2
4-3 アボガドロの法則に関する次の文で誤っているものはどれか。
同温・同圧のもとでは,気体の体積は分子数に比例する。
ヘリウムは,同温・同圧のもとで,同体積中に同数の分子を含む。
アボガドロの法則は気体だけでなく,液体でも成り立つ法則である。
酸素(分子)もオゾンも同温・同圧のもとでは,同体積中に同数の分子を含 む。
4-4 次の文中の( )内にあてはまる事項を次の ~ から選べ。
定比例の法則 アボガドロの法則
気体反応の法則 倍数比例の法則
まず,実験によって導かれた( ア )を説明するためには,原子の存在を仮定すると都合がよかった。そして,原子論の立場から( イ )が成立することが予想され,のちに実験的に証明された。一方( ウ )を説明するために分子が考えられ,( エ )が1つの仮説として提出された。
4-5 次の法則を最初に提唱したのは誰か。
質量保存の法則 気体反応の法則 倍数比例の法則
定比例の法則
アボガドロ ラボアジェ プルースト
ドルトン ゲーリュサック
4-6 水素0.80gを燃焼させると水7.20gを生じる。また,酸化銅(Ⅱ)1.98g を水素で還元すると,1.58gの銅と0.45gの水を生じる。このことから水を構成する酸素と水素の質量比は一定であることを示せ。
4 物質の成り立ち
4-1
4-2
1 1 3 4 4
4-3
4-4
ア イ ウ エ
4-5
4-6
水素0.80gと反応する酸素は、7.20g-0.80g=6.40g
このとき、水素:酸素=0.80g:6.40g=1:8
酸化銅(Ⅱ)を還元したときに生じた水0.45g中の酸素は1.98g-1.58g=0.40g このとき反応した水素は0.45g-0.40g=0.05g
この場合の水素:酸素=0.05g:0.40g=1:8
以上のことから、水を構成する酸素と水素の質量比は一定であることがわかる。
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