2015年11月21日土曜日

夕凪亭閑話2004年9月


2004.9.6
  9月になってはじめてである。身近多忙である。本の大移動が続いた。ある事情で,朝に夕に,こちらからあちらへ,あちらからこちらへと,慣れていることとはいえ,重労働であった。積もった埃が少しは取り払われ,本のためには少しはいいかもしれぬ。
 台風,地震,噴火と,まことに慌ただしい。やはり,9月は天災の季節なのであろう。9月1日は,防災の日で,関東大震災の起こった日である。首都の大地震ということで,肝に銘じておかなければならないだろう。辻邦生さんの「樹の声 海の声」や,北杜夫さんの「楡家の人々」に震災の様子が生々しくでてくる。北さんの「輝ける碧き空の下で」では,ブラジルへ移民した(と,いってもまだこの頃は出稼ぎに行っているので,やがて帰国するつもりの人たちであるが)日本人が,自分たちの生活も満足に送れないような状態でありながらも,義捐金を募り,毛布を日本へ送るという話が出てくる。こういう話は,ブラジルだけではない。ボリビアからも義捐金が送付されている。
 9月1日には,浅間山が噴火した。「暮れゆけば浅間も見えず」(島崎藤村),「ささやかな地異は,灰を降らせた」(立原道造)の,浅間山である。井上靖さんの短編にも,浅間山の噴火直前のことを書いたものがあった。噴火時の映像をテレビで見て,地球は生きていると思った。ラブロック博士の地球という生命体に寄生しているのが人類という考えを,思い出した。藤村詩碑の拓本をもっているので,久しぶりに取り出して眺めてみようと思って探したが出てこなかった。
 昨夜の地震は,車に乗っていたので,感じなかったが,着いた店では,相当ひどかったと言っていた。それに相次ぐ台風の接近。18号は,16号を上回るようだ。・・・荒ぶる地球である。それでも,まだ,他の惑星に比べれば穏和なほうか。
 
2004.9.7
 他の惑星に比べれば穏和なほうか,などど呑気ことを書いていたバチか,大型の台風18号は,我が家にも甚大な損害をもたらした。私の住む陋屋の屋根が二カ所も飛ばされたのである。あれはすごかった。もう二秒ほど早く止んでいれば,耐えたと思うが,どうしょうもない。
 他の惑星の例を持ち出すまでもなく,自然というものは過酷なものである。それと折り合いをつけながら,人類は生存してきた。決して征服したのではない。海外であろうと,国内であろうと,変わりはない。誰しもはじめは人跡未踏の荒れ地に植民するのである。野生動物,異常気象,天変地異,風土病・・・などなど,自然の脅威と折り合いをつけながら,現在に至った。科学技術によって自然を征服したなどとは,ゆめゆめ思ってはならない。そういうい意味で,地球は,まだ,他の惑星に比べれば穏和なほうだ,と私は言っているのである。
 
2004.9.8
  この夕凪亭閑話を書き始めたときに,犯罪のことと毒のことは書かないことに決めていた。不幸な結果をもたらせたらいけないからである。だから,内容にはあまり触れずに紹介しておこう。
 最近読んだ2つの犯罪小説はなかなかよかった。朱川湊人「夏空の椅子」(「野生時代9月号)と桐野夏生「アンボス・ムンドス」(オール讀物9月号)である。朱川氏は「フクロウ男」以来愛読しているのだが,すぐれた感性の持ち主だし,物語作りもうまい。「夏空の椅子」は小松川女子高校生殺人事件という実際にあった話である。この事件については秋山駿さんなどが,書いていたのを読んだことがあるが,それが東京タワーを作っている頃だとは気づかなかった。東京タワー建設のプロジェクトXは小生の好きなものの一つであるが,あのころの勢いというのは,今から考えてもすごい。復興期の精神ともいうべきものであろうか。
 「アンボス・ムンドス」のほうは,モデルとなった事件を小生は知らない。あるいは,完全な作者の創作であるかもしれないが,小学生の複雑な関係をうまく捉えている。桐野氏は乱歩賞作家であるから,推理小説仕立てであるが,みだりに筋をひねらなくて抑制の効いた筆致は素晴らしい。
 
2004.9.11
  昨日は,沼隈移住史の続きを書く予定にしていたのだったが,資料が錯綜して,あるべきところに,目的の内容がなかったので,頓挫した。どうも私の記憶違いのようであるので,後日,頭の中が整理して書き直すことにする。
 さて,今朝は払暁から「明治人物夜話」(岩波文庫)を読んでいたら,感動的な文に出会ったので,写しておきたい。「明治の三十年台(ママ)のことかと思うが,或人が依田学海に,文部省では,今後は漢学教育などには力を入れない方針を執るようです。漢文などを読む人は,今になくなってしまいましょう,といったら,学海は笑って,少しも構いません。世間で漢籍を読もうと読むまいと,私だけは読みますから,といったそうである。」(p.114)
 現在刊行中の二度目の出版になる三島由紀夫全集が,新漢字旧仮名づかいになると聞いたときは,私などは随分がっかりしたものであるが,世間がどうなろうとも,私は私の流儀でやっていけばいいのであって,学海翁のように笑っていればいいのかもしれない。ちなみに,最初の三島全集は瑤子夫人の父親で日本画家の杉山寧画伯の装幀で,よい意匠である。函は黒地に銀文字でこちらも三島全集にはふさわしい。「『灰色の家に近寄つては不可(いけ)ません!』 母親は,其の息子,秋彦にいひきかせた。」という具合に第1巻ははじまっている。漢字は少し字体が異なるのだが・・。    
 
2004.9.16
 午後6時10分である。灯ともし頃である。8時近くになっても,西空がうすく明るかったのが,ついこの前のように思い出されるのに,近頃では6時はもう夕暮れである。秋の陽の釣瓶落としというが,日が暮れるのが驚くほど早い。夕凪亭の方丈の間の南西の窓から,ニチニチソウとベゴニアが赤い花びらをつけているのが見える。先日の台風では,横風にあって斜めになっていたが,なんとか枯れずに花を咲かせている。それに彼岸花が満開である。種が飛ぶのであろうか。去年咲いてなかったところに芽を出して咲いている。裏のほうには白もあるが,やはり彼岸花は赤いのがいい。子供の頃は,田圃や畑の縁でみつけよくちぎったものである。小さい頃は幽霊花と,私の育ったところでは呼んでいた。この前草を刈ったばかりのところに,茎を伸ばしてあっという間に咲いた。開花の時期以外はどのようになっているのか,見たことがない。地下茎だけで過ごすのだろうか。それでは蝉とおなじではないか,などと思ってしまう。