四十島
夏の暑い日のことでした。太陽はまだ真上にきていないのに、正午のように暑い日でした。
秀ちゃんは、庭においたビニールプールに水をいっぱい入れ、その上にゴムボートを浮かべて遊んでいます。
黒猫ピョンは、さっきまでプールの中にいたのですが、今はとなりの芝の上に腹ばいになって、ぬれた身体を乾かしています。
「ピョン、入っておいでよ」
「いやだ。しばらく休むよ」
ピョンは声を出すのもおっくうなくらい疲れていたのです。プールの中にいる時間が長すぎたのです。
でも、秀ちゃんは元気な子で、何時間プールに入っていてもへっちゃらです。
ぬれた身体に、強い日差しはとても気持ちがよく、ピョンはもう少し、ここで休もうと思いました。
「こんこんこんの今晩は!」
コン太きつねの登場です。コン太きつねはいつものように、カイヅカイブキの三角形の葉の下のすきまを、するりとくぐりぬけてやってきました。
「おい、コン太、まだ昼間だよ」
「おっと、こりゃまた間違えた。もう、習慣になっちゃってね」
と、コン太は秀ちゃんの入っているプールに近よってきました。
「こんこんのコンニチワじゃいけないの?」「そうかなぁ。でも、お休みコン太さまとしては、今晩わのほうが、ぴったりこんだものねー」
「でも、明るいときに今晩わー、はないよ」「秀ちゃんの言うとおりだな」
目をとじていたピョンが口を開きました。眠っているように見えても、話し声はよく聞こえていたのです。
「ピョンにまで、そう言われるとしかたがないや。……ところで、秀ちゃん大変なんだ」「どうかしたの?」
「さっき、トンビのピーヒョロが来て言うんだ。四十島のうささんが、食べ物がなくなって困っているんだって!」
「今年の夏は雨が降らないからね。きっと草が新しく生えないのだよ。……あそこは無人島だから、このままほっておくと、ウサウサは死んでしまうよ。すぐ、救けに行こうよ」 秀ちゃんは、珍しくすぐに決断しました。「そうと決まれば、ありがたい。さっそく出発だ」
コン太も晴れ晴れした気持ちで、秀ちゃんのほうを見ています。
「秀ちゃん、僕も行くよ」
いつのまにか黒猫ピョンが目をあけていま
す。
「もちろんだ。こういうときは力をあわせてみんなでやらなくっちゃぁ」
コン太が言いました。
秀ちゃんは、さっきまで遊んでいたゴムボートをもって歩き出しました。
コン太とピョンがあとを追ってきました。「秀ちゃん、半分もつよ」
コン太がゴムボートのうしろを口でくわえてもちあげました。
「助かるよ」
秀ちゃんはゴムボートの前で、手をうしろにしてもって、前を行きます。
坂を下り、山道を登り、やっと海岸に着きました。秀ちゃんの家から、もっと近い海岸はありますが、四十島に最も近い海岸を選んだのです。
向こうの海岸には夏になるといつも泳ぎに来ていますから、秀ちゃんはよく知っているのです。このあたりには、泳ぐ人はだれもいません。
「ピョンが先頭だ」
こう言いながら、秀ちゃんはピョンをまず乗せます。そしてコン太を乗せて、波打ちぎわで、ゴムボートを沖のほうに向けて押しました。最後の一けりで、力いっぱい砂浜をけると、秀ちゃんはゴムボートに飛び乗りました。そのはずみでボートは大きくゆれましたが、すぐにそのゆれはおさまりました。
「さあ、コン太こいでおくれ」
秀ちゃんが言いました。 オールをもっているコン太は思いきってこぎはじめました。緑の海水が、小さな泡をたてながらうしろに押しやられていきます。
「今日は波がなくてよかったね」
ピョンはそう言いながら空を眺めました。「こぎやすいね」
コン太は精一杯こいでいます。ゴムボートはどんどん岸辺から遠ざかっていきます。
「おいコン太、方角が違うよ」
秀ちゃんが言うと、コン太はうしろをふりかえりました。
「あ、いけねぇ。こっちじゃなかった」
コン太は、ゴムボートが左へ回転するように、右のオールに力を入れてこぎました。
しかし、ゴムボートは左へ曲がってくれません。まっすぐに進んでいるだけです。
「あれっー、秀ちゃん流されているよ」
コン太がふりかえって言いました。
「こりゃあ大変だ、反対方向へ流されているぞ。だめだ。コン太、引き返そう」
「え? それじゃあ、ウサウサはどうなるんだ? このままほっておくと、ウサウサが死んじゃうよ」
「ウサウサを救けに行くのをやめるのじゃないよ。このまま行くと反対方向に流されるだけだから、一度帰ってやりなおすだけだよ」「うん、それならわかった。よし、引き返そう」
コン太はオールの片側を思いきりこいで、ゴムボートを回転させました。しかし、思うようにゴムボートは進みません。
少しずつ流されているのでした。
「コン太、もう少し強くこいでよ。この調子じゃ、帰れないぞ!」
秀ちゃんが大きな声を出しました。
「うん、わかった」
コン太は顔を赤くして、ぐいぐいとこぎました。ピョンはじっと黙ったままで、コン太を見つめていました。
少しずつ、ゴムボートは岸辺にむかって進みはじめたのです。
「いいぞ、その調子。もうちょっとだ!」
秀ちゃんがコン太を応援します。
「ああ、ここまでくればもうだいじょうぶだ。流れの遅いところに戻った。このまま進んでくれ」
「ああ、くたびれた。危ないところだった」 コン太が大きく息をしながら言いました。しかし、コン太の手は休みなくこぎ続けられていますから、ゴムボートはどんどんと岸辺にむかって進みました。
海岸線に近くなると、ピョンがジャンプして飛び降りました。そして秀ちゃんが下りてから、ゴムボートを持って固定しました。
コン太がオールをゴムボートの中に入れてから、砂浜に上がってきました。軽くなったゴムボートを秀ちゃんが引っ張り、反対側をピョンが持ちあげて、波にさらわれないように、砂浜にあげました。
「困ったな」
秀ちゃんが顔にかかった潮水を左手でふきながら、コン太とピョンを見つめました。
「…………」
「…………」
コン太もピョンも黙ったままです。
「潮の流れが速すぎるんだ」
秀ちゃんは海のほうを見て言いました。三つ小島の岩礁の一部が白く見えるのは、波があたって砕けているのです。潮はあおあおとして、ゴミひとつありません。砂浜に押し寄せる波も静かです。
「でも、このままじゃ、ウサウサが困るんだろ?」
ピョンがさみしそうな表情で秀ちゃんを見つめています。秀ちゃんはピョンの言っていることはよくわかっているのですが、何も言わずにいます。なにかを考えているのでしょうか。
「そうだよ。とにかく急ぐ必要がある」
コン太にも、最初の元気はありません。四十島に渡りたいのはやまやまです。でも、コン太にもいいアイデアがありません。
「とにかく、このゴムボートで渡るという計画はとりやめだ。そのことは仕方がない」
ゆっくりと、秀ちゃんが、のどから声をしぼりだすように言いました。
「四十島に残されたウサウサはどうするんだ?」
ピョンが泣きそうな、弱々しい声をあげました。
秀ちゃんは、黙ってピョンのほうを見ていましたが、口を開いたときは、元気よく、
「まず、トンビのピーヒョロにようすを見てきてもらおう」
と言いました。
「そうだよ。すぐに、たのんで来るよ」
こう言ってコン太は砂浜を駈けて、白たき山のほうに向かって行きました。
コン太は大急ぎで白たき山を登って行きました。タヌキ村に行く途中に、トンビたちのお家があるのです。昼間は大空を飛び回っていますが、ときどき休みに帰る仲間もいますから、そこへ行けば、たいていトンビのピーヒョロに連絡はつくのです。
コン太がハァハァーと息をしながら、トンビのお家に着いたとき、やはりピーヒョロはいませんでした。しかし、他の仲間がいて、さっそくピーヒョロを呼びに飛びたちました。 コン太は身体から汗が吹き出しているのがわかりました。しかし、ふもとから吹き上げてくる風に、汗が乾いていき、気持ちよく感じました。
今登ってきた下のほうに、海が輝いて見えます。潮の流れが筋になって、あちらへ曲がりこちらへ曲がりしています。
「コン太、どうだった?」
コン太が休んでいると、ピーヒョロがバサバサと羽音をたてて戻ってきたのです。
「それが、流れが早くて、ボートが流されてしまうんだ。もう一度作戦の立直しをするよ。ウサウサが大丈夫か見てきておくれ」
「わかった。すぐに戻って来るから、ここで待ってろよ」
そう言うと、ピーヒョロはさっと舞い上がり、四十島めざして飛んで行きました。
四十島は青い海の中に浮かんでいます。松の葉が緑に見えます。島の周囲は岩でおおわれています。
ピーヒョロは四十島に近づくと、空から、ウサウサをさがしました。上からは見えません。きっと木の下にいるのだろうと、思いました。それで、大きな声で、ウサウサを呼びました。その声が聞こえたのか、ウサウサは木の下から出てきて上を向きました。
ピーヒョロは急降下をしてウサウサのとなりに下りました。
「さっき、ボートで助けに来ていたんだが、流されてしまったそうだよ」
「知ってるよ。僕も見ていたから」
「どうだ。あと何日くらいもちそうか?」
「もうほとんど食べるものはなくなった。明日の朝まではあるが、それから何も食べるものがないよ」
「そうか。それなら、今日中に向こうにわたらなくっちゃあいけないな。頼んで見るよ」 こう言ってピーヒョウロは飛び上がりました。そしてまた大急ぎで、コン太の待っている、トンビのお家のほうへ飛んで帰りました。午後の太陽がぎらぎらと輝いています。
ピーヒョロから、報告を受けたコン太は大急ぎで、秀ちゃんのお家まで走って行きました。
「そう、それなら何がなんでも今日中に四十島にわたろう。コン太、ピョン、いい方法がないか考えろよ。僕も、もちろん考えるけどね」
「ピーヒョウロがウサウサを運ぶというのはどうだろう」
「ウサウサではもう大きすぎて、無理だと言ってるよ」
「ピョン、何かいい知恵はないか?」
「急に言われても無理だよ、秀ちゃん」
「二人の仲じゃないか。考えてくれよ」
「また、秀ちゃんのごり押しが始まった。悪いぞ秀ちゃん!」
「別にいじめるつもりなんかないよ。ただ、何とかしてウサウサを助けてやりたいと思っているだけだよ」
「ロープを四十島にわたしてそれを木にくくりつけてから、それを引っ張るというのはどうだろう」
「帰るときに、またどこへ流されるかわかったもんじゃないよ」
「こちら側にも木に結んでおくんだ。帰るときは反対に引っ張ればいい」
「そうだ、ロープを伝って、四十島まで行き、ウサウサをつれてもどればいい」
「うんなるほど。それなら流されずに行けるし、ウサウサを乗せて帰って来れる」
「よし決まった、ピーヒョロに連絡するから、秀ちゃんはロープの準備だ」
こう言ってコン太は飛び出しました。
秀ちゃんとピョンが、ゴムボートとロープをもって、さきほどと同じ海岸に来たときにはすでに、ピーヒョウロはその上を旋回していました。
秀ちゃんとピョンが着いたの見て、ピーヒョロは下りてきました。
「ロープを張るのなら、四十島にいちばん近いところまで行こう」
「あその岬がいい」
「木が生えているので、ロープをくくるのにいいよ」
ということで、一度砂浜からアスファルトの道路に出てから、海岸伝いに岬のほうへ歩いていきました。砂浜がきれて、テトラポットで護岸された海岸は、コンクリートの堤防にそって、細い道が岬へと続いていました。 ピョンと秀ちゃんが、ゴムボートの上にロープをのせて運びました。それを見つけたコン太が走ってきました。
「遅くなってごめんよ」
と言いながらコン太はゴムボートの上からロープをとりひとりでもちました。
上空にはピーヒョロが口笛を吹きながら舞っています。
山道を少し昇っていくと、まもなく岬の先端に出ました。先端の崖の下は海で、ここがいちばん流れの速いところです。
少し回って、岩場づたいに最適地をさがします。おおきな岩が平たくなっているところがありました。
「おーい、ここだよ」
コン太が手を振ると、ピーヒョロが下りてきました。
「ここならいいね」
「あの松の木に、ロープの端を結んでよ」
「よしきた」
こう言いながらピョンがロープをもって、松の木の近くへ行きました。
「帰りはこれを引っ張って帰るんだから、しっかり結んでおけよ」
コン太が言いました。
「大丈夫、これで解けることもあるまい」
「さあ、ピーヒョロ、これを四十島までもっていって、ウサウサと協力して、岩か木にしっかりと結ぶんだぞ」
「わかった。結んだら、すぐに戻ってくるからそれまで待っててよ」
ピーヒョロはロープの端をつかむと、さっと飛びたちました。
青い海の上を弓状のロープが、向こうの四十島にむかって伸びていきます。
「ロープは十分あるのだろうか」
ピョンが言いました。
やがて、ピーヒョロの姿が木の影になって見えなくなりました。
「うまい具合にくくれるかな」
みんなは、今か今かとピーヒョロが出てくるのを待っています。
やっと出て来ました。
小さな姿が大きくなると、秀ちゃんたちが待っているところにさっと下りて来ました。「しっかり結びつけたよ」
ピーヒョロが言いました。
「コン太はここでこちら側で、よく見ておくんだ」
秀ちゃんが言いました。
「うんそうしよう」
「ウサウサを乗せて帰ってくるときは、こちらからもロープを引っ張るんだ」
「わかった」
コン太はこう言うと、すぐ近くの松の木の下まで行って、ロープを伸ばしてちょうどよいようにしました。
秀ちゃんとピョンは、ゴムボートにつないである短いヒモをロープにまいて輪を作りました。ゴムボートを海水のところまでもって行けば、いよいよ出発です。
「よし、出発だ!」
秀ちゃんと、ピョンが乗りました。
コン太が押して、いよいよボートは四十島めざして海の上にすべりだしました。
「しっかりつかまっておくんだよ」
秀ちゃんが最初にロープを引っ張ります。「ピョン、しっかりつかまっているんだよ」 ピョンは秀ちゃんのズボンを前足で握っています。秀ちゃんがロープを引っ張るとゴムボートがすいすいと進みます。流れがあるのロープが伸びて、ボートはまっすぐには進めません。それでも、ロープを引っ張ることによって、どんどんと四十島のほうに近づいていきます。
沖に出るとさすがに波があります。ゴムボートがゆらりゆらりとゆれます。そのたびにピョンは秀ちゃんにしがみつきました。
「だいじょうぶだよ。ピョン」
「ああ、別に恐くはないがね。でも用心しておかなくっちゃあ」
「もう少しだ」
四十島は目の前です。
「ピョン、ウサウサは見えないか?」
秀ちゃんが言いました。
「うん、まだだよ」
こう言ってピョンは秀ちゃんのズボンを強くにぎりしめて、うしろの足で、ゴムボートにしっかりとつかまっています。
「あ、見えた。ウサウサだ。間違いないよ」 ピョンは海の上であることもわすれて、元気いっぱいです。
「よし、もう少しだ」
と言ったとき、ゴムボートが大きく傾いてもう少しで、ひっくりかえりそうになりました。
「おっと危ない!」
こう言って、秀ちゃんはロープを強く握りしめて、足を軽く浮かせました。
「ああ、こわい」
「ピョン、もうだいじょうぶだよ」
こんな会話が続きながらも、ゴムボートはやっと四十島にたどりつきました。
波が岩肌を洗っています。ぬれた岩と乾いた岩の境目が大きなカーブを描いて、太陽の光に輝いています。
ロープをゆっくりと引っ張って、波にゆれながら岩の上に、ゴムボートを着けました。足がつくくらいのところにきたら、すばやく降りないと、波といっしょに引き戻されてしまうのです。タイミングを見はからって、秀ちゃんはさっと飛び下りて、岩場の上に立つとゴムボートを手でしっかりもって動かないようにしました。
「よいしょっと!」
無事、四十島に着いたものだから、ピョンはうれしくてたまりません。
「ピョン、早くウサウサをさがすんだ」
「うん、わかった」
ピョンは岩を昇って、木の茂みの中へと消えていきました。その間に、秀ちゃんはゴムボートを波打ちぎわにあげておきました。
「秀ちゃん、ウサウサがいたよ」
「よーし、それじゃあ、ロープをほどいていいよ」
ピョンとウサウサが松の木の根元にしっかりと結んであるロープをほどきました。
「さあ、この端をゴムボートにくくるんだ」
秀ちゃんがゴムボートをもったままで言いました。
ピョンはロープの端をもってゴムボートのそばによってきました。
「オッケイ、これでだいじょうぶだ!」
ピョンが言うとすぐに、秀ちゃんはゴムボートをもって波打ちぎわへもどって行きました。ウサウサとピョンがついて行きました。「さあ、出発だ」
秀ちゃんが言うと、まずピョンが乗り、秀ちゃんがウサウサを抱いてゴムボートに乗せてやりました。
それから、秀ちゃんは両手でゴムボートを押しながら、足でおもいきり地面をけってからゴムボートへ飛び乗りました。
「よし、ロープを引っ張るんだ!」
秀ちゃんが言うとすぐにピョンがロープを引っ張りはじめました。
どんどんゴムボートは進みます。たぐりよせたロープをウサウサが輪にしていきます。ピョンはしっかりとうしろ足をゴムボートの中で支えていますから、波でゆれても心配ありません。
岸辺のほうでもコン太が、ロープを引っ張りはじめたせいか、スピードがあがりました。ピョンの後ろに座った秀ちゃんも、一緒に引っ張ることにしました。
どんどんゴムボートは進み、岬の平らな岩にたどりつきました。
こうして、無事ウサウサを四十島からつれ戻すことができました。