2025年1月22日水曜日

92 出立

 出立


 空を見上げれば、一面星空である。月は出ていないが、小さく瞬く星がこんなにも多いと、星明かりで夜の風景が白く浮き上がって見える。幻想的な風景というほどではない。しかし、そのなかには喩とえようもないほどの平安と、澄みきった空気のもたらす健康が溢れていた。

 むこうに小さな島影が見える。そして右手の彼方にさらに小さな島影である。その間を潮が流れて、暗やみの中で鈍く光って見える。夜明けにはまだ間があるのに、東のかなたが、うすく白んで見えるのは気のせいであろうか。島影と、潮の流れの織り成す幻影であろうか。

 夏だというのに冷気が肌に接してくる。昼間の暑さが嘘のようだ。しかし、それも束の間のことだ。日中の暑さを想像するだけで、首のまわりに油汗が浮いてくるような気持ちに襲われる。何度も使い、すでに黄ばんだ手ぬぐいを鉢巻きにした坊主頭を軽く二三度ふって、その想像を追い払った。今、この時だけでも、この冷気に浸っていたいと思った。 暗いうちに家を出て、ゆっくりと坂道を上がる。細い道が星明かりで微かに見えるものの、陰になったところはほとんど暗くなって見えない。しかし、毎日通い慣れた道である。少々見えなくても足を踏み誤ることはまったくといっていいほどない。まもなく段々畑に出る。

 そこからさらに丘の頂に出るまでにはもう少し歩かなければならない。

 振り返っては海のほうを眺めた。黒い闇の中でも島影と海原の違いは明瞭にわかる。一足一足と、草の生い茂った山道を登っては、振り向いて、黒々と広がる海の影を眺めた。いつものことだから、格別の感慨があるわけではない。しかし、振り返らないではいられない。この見慣れた景色であるのに、何度も何度も見ておきたいと思う。最近、なぜだかその思いがしきりである。

 ちょうど、目的のところに着いた頃からあたりは静かに明るくなっていき、草の一つひとつが見えるようになった。

 ……それからどれくらい働いたことであろう。ふと目をあげると、辺りはすっかり明るくなり、海にかかる横雲の隙間から今しも出て来ようとする日の出が上がってきた。東の空を朱に染めた日は次第にその染色を四囲に広めるとともに、その色は希薄になっていった。

  その希薄になっていく朱色の空を眺めながら,幸太郎は決意を固めた。

 同じ年ごろの友人たちは、頭はいらない、ただ体力だ,と言う。そして,来る日も来る日も草とりである。これが百姓だと言う。

 ただ働くことだけを考える。その他のことを考えてはいけない。たとえば、どうすれば、楽になるかとか、どうすれば他人より少ない労働で済むか、というようなことは考えてはいけない。ひたすら働くことだけを考えておればよい。もし、そういうことが頭の中を巡りだしたら、それは、そもそも百姓という仕事にむいているのではなくて、他の別の、もっと頭を使う仕事のほうに傾いているという証拠だ。したがって別のそれにあった仕事を探さねばならぬ。このように幸太郎は、考えた。だから,出奔しかなかった。しかし、先祖代々の土地をすてて、この村をでていくことに、こだわりがないわけではなかった。かといって、このまま,この村で朝から晩まで働くわけにはいかぬ。そのように頭がもはや働きだしたのだから。

 百姓というのは、自給自足しているのならいい。しかし、商品経済に組み込まれてしまうと、結局割りがあわなくなる、と思った。

 子供が成人したら、上の学校にやらず、ともに働く。早く適当な嫁をもらい、一緒に働く。可能であれば、三代ともに働く。この繰り返しなら、百姓も悪くはない。しかし、子供がたくさんおり、学歴をつけなければと考えだすと、とたんに百姓という職業の不利が出てくる。

 今、日本は大きく変わろうとしている。明治の文明開花の浪は、ごく一部の都の賑わいで、東京から遠く隔たったこの村には無縁のような存在であったが、それでも社会が急激きな速さで動いているのがわかった。

 それは金銭の移り変りにも如実に表れている。自分が子供の頃、お金というものが生活の中で頻繁に表れることをあまり経験しなかった。お金というものがなくても、日常の暮らしに困ることはそんなになかった。まして子供の自分にはお金というものは無縁の存在といってよかった。しかし、長ずるに及んで、幸太郎のまわりにけっこう金銭が動き回っているのがわかるようになった。それは年齢が上がって、経験する世界が広くなったということもあるが、それ以上に、社会が変化してきたということのほうが大きいように思われた。金銭の回転が日々早くなっているのだ。        

 毎年毎年が,ぎりぎりである。これ以上収穫増が望めないのならこのへんで諦めるしかあるまい。そうこうしているうちに、人の噂で、隣村から大阪へ行って、商いに成功した人の話を聞いた。

 町ならなんとかなるのではないかと思った。大阪ならなんとかなるような気がした。


 その夜、幸太郎は,妻に相談した。

「ひとつ、話があるんだが」

 夕餉の膳を半分以上食べた頃、幸太郎は閑かに話題を転じた。

「何でしょう」

 妻は,おだやかに言った。

「こんな生活がいやになったわけではないが、街に出てみたい。日本の国が、これからどんどん発展していくように、何か、仕事をしてみたい。百姓を続けても、これ以上のことはできないように、思う」

 幸太郎は、重々しく言った。

 妻は驚いた。今の生活に不満があるわけではない。しかし、あんたの行くところならどこまでもついて行くという。

 妻は目を輝かせた。来るものが来た、という気持ちが表情に表れていた。


 幸太郎は島を出るとき先生に会って行こうか行くまいかとしきりに迷った。先生というのは尋常小学校の訓導だった藤島先生のことである。先生とは僅かばかりしか歳が違わないが、先生がはじめて教員になったときの児童が自分たちだということで随分とかわいがってもらっらものである。先生は十七才のとき三原の青年研修所に入り、そこを終了して、幸太郎たちの尋常小学校へ赴任して来られたのが十九才のときだったという。先生は国語の指導が好きと見えられて、私たちにに郷土の昔話をよくしてくださった。

 夜逃げ同様の形で村を出ていく自分は、どうみても負け犬だ。このような、無様なところをできることなら誰にも見せたくなかった。

 でも、自分が大阪にに出るのは、この村で生活できなかったからではない。負けたからではない。今の生活を捨てて、より新しい生活を作り出す事だ。だから自分は島を後にする。

 先生だけには自分の気持ちが理解してもらえるのではないか、と思った。しかし、心の底には、失敗してどうしようもなくなった時、激励してもらえる人を残しておきたいような、ある種の甘えが自分にあったことも否定はしない。

「先生だけには、御挨拶をと思いまして・・・」と幸太郎が顔をさげると、先生は笑っていわれた。

「驚きませんよ。というよりも、やっとそのつもりになったかと、思いました。」

「ええ?」幸太郎は怪訝な顔をして、顔を上げるた。

「以前、綴り方に書いてましたね。百姓は、家族のものを食わせるのが精一杯だ。これでは、自分のためだけに生まれてきたようなもので、人の役にたっていない。もっと人の役に立てる大きな仕事はないだろうか。こんな事を綴り方に書いていたではありませんか。」

  このことは、今の幸太郎の心の中にあることと同じであるが、そんなことを綴り方に書いたということをすっかり忘れていた。しかし、藤島先生にそうおっしゃていただいてやっと思い出した。幸太郎はうれしかった。そう書いた当の本人が、とっくに忘れていることを先生が覚えていてくれたことがうれしかった。