2025年1月23日木曜日

87 重井町

 重井町


 私の生まれたところは,因島市重井町である。生まれた時は,広島県御調郡重井村であったが,いわゆる昭和の大合併で,因島市重井町になっていたから,幼児から因島市重井町生まれだと思っていた。このことを知ったのは,平成の大合併の頃,市制50周年とかいう記載を見てからのことである。

 だから戸籍上は,広島県御調郡重井村生まれということになるのであるが,そういう意識は50才ぐらいまでなかったのである。このことは,作家の年譜などを見るときに注意すべきことではないかと思う。歴史家は正確を期すために,生まれた時の正式名称を記すが,その後地名変更が起こった場合,本人は正式名称のことを知らない場合も起こり得るのである。

 さて因島市重井町は,生まれたときの正式名称が重井村であるからという訳ではないが,風土的には農村である。それも離れ小島の農村である。ただ,家と家はかなり近づいており,我々が思い描く山里の家が数件,少し離れてまた数件・・という風景とはやや異なる。それから,家の前はすぐ海というような,離れ小島とも異なる。かなり広くて,海は見えない。勿論,海の見えるところに家もあったが,我が家からは見えなかった。要するに重井町というところは小島の中ではあるがかなり,広かった。とはいえ,島は島である。少し行けばすぐに海は見えた。このような事情であるから,離れ小島の農村には違いなかったが,かなり広いところだったと書くのが妥当だろう。

  農村というのには,また次のような事実がある。たいていの家の職業が農家であり,農家でない家も先代までは農家であるから,大部分の家に畑があった。

 勿論,島には造船所があり,その下請け会社が幾社かあったから,そこに勤めている人もいくらかはいたであろう。しかし,それが顕著になるのは,ずっと後である。

 それまでに農業以外にどんな仕事があっただろうか。