古備前哀歌
備前警察署で聞いた三年前の「大ケ池女性殺人事件」は女子大生殺しよりもはるかに興味深いもののように思われた。
それから、はやくも数日がたった。月日のたつのは夙いものだ。その後も、大神さんとは「山の音」で何度も会った。しかし、事件については、はかばかしい話はなかった。
「山の音」では、例によって武岡さんや橋本さんが、連日のように来ており、よく話した。武岡さんは吉備女子短大の助教授で近世文学を教えている。また同人雑誌「文芸吉備」の主宰者でもある。「文芸吉備」は、最初、吉備女子短大の文芸サークルの機関誌として出発したが、次第に学園以外の執筆者のものも掲載するようになった。また、そうすることによって、ある程度以上のレベルを維持しているともいえた。
武岡さんが、以前話していたことだが、女子短大で文芸サークルを維持していくことは、大変なことで、まして機関誌などを定期的に出すというのは至難の技で、ややもすると高校の文芸誌程度のものもできなくなる可能性すらあった。それはつきつめて考えれば、文芸サークルに限らず短大教育の問題点に共通したことであった。本質的な問題はともかく、それを回避すると同時に学生へ刺激を与えるだけでも、意味はあるということらしい。そういうわけで、私も頼まれれば短いものを書くことにしていた。もちろん原稿料などはない。
大神さんは、こういう同人雑誌には一切発表せず、中央の文芸誌に応募していた。
毎年10月の最初の土曜日と日曜日に,備前陶芸祭りはひらかれる。今年は十月三日が土曜日であるので、十月三日、四日の二日間であった。
地元の観光協会主催のふるさとの歌コンクールの発表会が盛大に開かれていた。
この発表会には、地元の「ミス片上」や「ミス焼き物の女王」などはもちろんのこと、毎年多彩なゲストを招待して観客の動員に気を配った。
岡山県出身のタレントとして若手の歌手や映画評論家なども招かれ会を一層盛り上げていた。
「テレビシアター」のユニークな解説でおなじみの映画評論家は知名度も高く、抜群の人気であった。中高校生の受けをねらってゲストのひとりに加えれられた若い歌手のほうは、知名度がいまひとつで盛り上がりに欠けた。しかし、映画評論家のほうは小学生から中年の主婦まで広範囲に好評で、昨日の講演会も満員だったということである。今日発表された歌の審査員のひとりでもあった。
一位は「焼きもののうた」2位は「伊部小唄」、3位が「古備前哀歌」であった。
片上の港に入日のさすころ
舟人(かこ)たちは艫(とも)に集いて
漣(さざなみ)の音も聞こえぬみな底で いにしえ人の心も静かに眠る
ああ、古備前の歌は哀しく響くよ
争いの間(はざま)に骨肉の
その歌詞を聞いたとき大神純平は、なぜかわからぬが自分がこの歌詞の中に引き込まれていくような気がした。
この詩は何を暗示しているのだろうか。あるいは何を語ろうとしているのだろうか。
ここに歌われていることは何なのか。単に情景を綴ったものなのだろうか。いや、決してそうではない。それだけなら、こんなにも自分を引き付けるはずがない。
この歌詞に興味をもって会場から去りがたい思いで出口のほうへと向かう人の流れにまかせて足をすすめている大神純平の目にさきほど発表されて当選作の題と作詞者名を書いた紙が貼ってある。入場したときには気が付かなかったから、作品の発表後に貼ったものに違いない。それにしても主催者側の細やかな配慮には、先程のゲストの人選とともに恐れ入った感じがしたものである。当選作の「笠岡市神島町 水城弘絵」
電気にでも触れたかのようなショックを受けた。その瞬間には何故このようなショックを受けたのか自分でもわからなかったが、しかし、その訳がすぐに理解できた。
すべてが笠岡だ。女子大生殺人事件の被害者である黒沢由紀も、大ヶ池女性殺人事件の被害者である村井明美もともに笠岡に関係しているのだ。
入選作の発表のとき、作者の紹介が簡単に行なわれていたが、この行事そのものにさほど興味をもっていなかったので、そのときは軽く聞き流したものと思う。