救助
海岸には嵐が運んだ漂流物が乱雑に堆積していた。
「ひどい嵐だったんだ。こんなにたくさん流れてくることはめずらしい」
男が言った。これから漁に出るところである。
「ずっと遠くで嵐があったのだわ。それにしても……。ねえ、あれ」
男は妻の指差すほうをみた。
「おい、子供だ」
男は走りだすと同時にそれが人間の子であるのがわかった。
「女の子だ」
男は顔を覆っているの髪の毛を、日に焼けた手で払ってから、右の耳を心臓に近づけた。そのとき、麦藁帽子がじゃまになるのでとって砂浜に置いた。男の顔は茶色に日焼けしていた。
「生きてる。生きてる」
茶色い顔に笑みが浮かび、男は手をあわせて天お仰ぎ、砂浜にぬかづいた。
「ああ、生きている。生きている」
男は膝をついたまま、まるで小躍りするように叫んだ。
その時には、妻も隣にきていた。
男は、子供の足をもってうつぶせにした。子供の口から海水が出た。男が上向きに寝かすと、子供は大きく息をした。
「よし、もうだいじょうぶだ。服を着替えて寝かせてやろう」
男は子供を抱いて、もときたほうへ引き返した。妻は男の麦藁帽子をもって、男のあとからしたがった。
すぐに家に着いた。男は家に入ると、木でできた高さが膝ほどの台の上に子供を寝かせた。そして濡れた服を脱がせた。
妻は隣に布団をしいて、乾いたタオルをもってきた。乾いたタオルで躰を拭いてから、隣へ寝かせた。タオルを躰にかけた。
屋根のすき間から、日が入ってタオルの一部にあたった。
子供はときどき咳をした。しかし、起きなかった。
男と妻はじっとそばで見ていた。
太陽が動いて、日のあたっている部分が移動して、顔のほうまでくると、子供は首を回転させて、横を向いた。
男は妻の顔を見た。妻は男と同じように茶色い顔を男のほうに向けて微笑んだ。
「もう少しだ。おなかがすいているだろう。何か食べるものを作っておけ」
男は言った。妻は黙ってうなずくと外へ出た。
別の穴から差し込んだ日がまた子供の顔のところまできた。子供は今度は寝返りをうった。少し目が開いたように見えた。
「おい、おい、だいじょうぶか」
男が言った。肩をゆさぶった。
妻は食物の入った容器をもって立っていた。
「さあ、これをお飲み」
妻は少女にスープの入った容器を示した。 少女は何も言わずその容器を両手でつかみ口の近くまでもってくると、手を止めて、妻のほうを見た。目と目が合った。少女は、見たこともない人だと思った。ママじゃない。ここはどこだろう、と思った。
少女は妻の目をじっと見つめた。
「さあ、お飲み」
妻は笑顔で言った。目は愛らしく輝いていた。その表情から妻の気持ちが通じたのか、少女は容器を少し持ちあげ、中のスープを一口というよりも、ごくわずか口に含んだ。そしてごくんと飲みこんだ。妻は口に合うだろうかと心配そうに見つめた。次を飲んでくれなかったら、どうしよう・・・。
「だいじょうぶよ。さあ、お飲み」
妻は言った。じっと目を見つめるだけで何も言わない少女の表情から、妻は言葉が通じないのだろうか、と思った。しかし、言葉ではなく仕草で理解してもらえるかもしれないと思って、手で促すようにした。すなわち手のひらを上にして上へ移動する仕草を二、三回してみた。
少女は軽く微笑んで続けて飲んだ。
「ああよかった。どう、おいしい?」
妻の顔には安堵の色があふれた。
「おお飲んだか。飲めば元気が出る」
傍で妻と少女とのやりとりを見ていた夫も茶色い顔をほころばせて、うれしそうに言った。
「お腹すいているんでしょ、何か食べる?」 妻が少女に言った。
しかし、少女は答えない。言葉が通じないのかもしれない、と妻はまた思った。そして、奥に入って別の容器に入った食物をもってきた。ご飯が木製の器に入っていた。木製のスプーンのようなものももってきた。
少女は今度は手にとらなかった。そして、再び横になった。
「まだ、眠いのだろうか」
男が言った。
「そうね、静かにしておきましょう」
と、妻は言ってまたうすいタオルのような布を少女にかけた。
男と妻は、しずかに外へ出た。家をでてしばらく歩くと、砂浜から少し離れたところに土でかこった池があった。そこで、男と妻とは、養殖している海老に餌をまいた。
水面に小さな輪ができた。それが済むと、男は隣の池に移り、同じように餌をやった。男はつぎつぎと餌をやって移動した。
妻は餌を置いているところで、容器をかたずけていた。
日が暮れかかった頃、二人はまたもとの道を帰った。家に着くと、少女はまで寝ていた。二人はそのままにして、夕食をとった。
翌朝、二人が少女のところへいってみると、既に起きていた。
少女は口をきかなかった臥、それでも、二人がするのと同じことをした。しかし、家の外に出ても、強い日差しに驚いてすぐに家の中に入った。
その日は家の中にいたが、翌日は妻から麦藁帽子を貸してもらうと、二人について、海老を養殖しているのを見にきた。妻がすることを少しずつ手伝った。
こうして、少女はこの夫婦のもとで徐々に元気を回復し、生活していた。 この海老は三日に一度、回収にきたトラックで空港まで運ばれる。そしてときどき、海老の稚魚や餌もやはりトラックで運ばれてくる。この少女がこの夫婦とともに生活するようになって二ヵ月がたったころ、この夫婦のところへ一人のフランス人がやってきた。
「自分はこの少女を自分の養女にするから譲り受けたい」
フランス人は二人に言った。
二人は驚いたが、すぐに気をとりなおして考えた。
「ここにいるのと、この紳士が連れていくのと、この子はどちらが幸せかしら」
妻が男に言った。男は茶色い顔の中の目を細めて、妻に言った。
「わたしたちが、この子にしてやれることは、いままでしてきたことくらいだ。浜辺に打ち上げれていたのを助けてやり、本当の親が現われるまで面倒を見るぐらいだろう。しかし、その親も生きているやら……。いまこんな紳士が引き取ろうというだから、お任せするのがいいのかもしれん」
「ええ、私もそう思います、でも、せっかくなついて、かわいい子なのに……」
妻は目に涙を浮かべて言った。
二人はフランス人のところへ戻った。フランス人は懐から紙幣をだして、男へ渡した。
妻は少女を表へ連れて出た。フランス人が少女を見て、両手を差し出した。少女は何のことかわからなくてきょとんとしていた。
男は少女を抱いた。男は寂しくなったがじっと少女の顔を見つめた。
「このおじさんと、フランスへ行くんだよ。元気でな」
と言いながら少女の髪を撫でてやった。妻も近づいて、抱きとり、言った。
「短いあいだだったけど、楽しかったわ。でもフランスのほうがいいにきまってるわ」
少女は妻の首を強く抱き締めた。妻の目から涙がでて少女のブロンドの髪の上に落ちた。
少女はトラックの助手席に乗ったフランス人の膝にだかれて、いつまでも夫婦のほう見ながら手を振った。少女は目に涙をいっぱいためていた。
トラックが小さくなるまで、男と妻はじっと立ったままで見送った。