2019年7月14日日曜日

ふるさとの史跡をたずねて 第126 新設道路開通碑(因島大浜町)

 前回紹介した大浜町の二つの峠道を理解していただくためには、現在大浜中庄間の主要幹線である海岸道路のことを書かねばならない。そこで、中庄町から大浜方面へ左側に注意しながら海岸道を進むと、山側の花壇の間に写真のような石碑がある。多くの人が途中止まることなく進む道であるから、注意しないとわからない。だから、脇見運転をすすめるような説明になって恐縮であるが、ご寛恕願うしかない。八重子島の前までは行かない、と書いておこう。
 この石碑には、「新設道路開通記念碑 寄附者 久保田権四郎 大正十二年四月 大濱村建之」と書かれている。島内に多くの道路改修碑があるように、たいていが「改修」であるのに、ここは、「新設」であることに注意したい。すなわち、大正12年までは、ここには道路はなかったと考えられる。もちろん、海岸のことであるから、潮が引けば通れたところがあっただろうし、人一人がかろうじて歩けるほどの崖道が部分的にあったかも知れない。しかし、急峻な斜面や、長い曲がった海岸線を考えれば、道らしきものはなかったと考える方が自然である。
 この石碑の左側面には「自大濱村至中庄村 海岸線 自大濱村至重井村大池奥崩岩線 総工費貳万五千圓」、右側面には「大正十年九月起工 大正十二年三月竣工 石工 小林茂三郎 濱井房信 彫刻 須山辰次」、また裏面には当時の村長以下役員の氏名が彫られている。
 重井村間の大池奥崩岩線というのは、現在のしまなみ海道の側道の原型となった道路で、因島北インターと因島北インター(北)の信号間にある塞の神のところに出ていた道である。この道をここから入ると、しまなみ海道と交差して消えている。
 この二つの道路が久保田権四郎さんの寄付によって新設されたわけである。それまでは船の利用もあったであろうが、多くの人たちは峠越えをしていたのである。現在と違って多くの山が山頂近くまで耕作されていたので、峠道は今では想像できないほど整備されていたのである。(写真・文 柏原林造)