2019年7月18日木曜日

夕凪亭閑話 2011年8月

  
2011年8月1日。月曜日。雨時々曇り。
昨日、日曜日は、桔梗さんの実家へ。姪たちが来るというので昼過ぎまでいる。
帰って、押入の床のコンパネの張り替え。湿気て悪臭が着いていたので、壊して新しいのを張り替え、更に上にもう一枚追加して二重にした。

本日休暇。今日は9時から水道工事。3時過ぎまで。
「深い河」を終わった。感動的な結末ではなかった。前半の面白さに比べたら後半はやや退屈。人物がよく描かれている割には、到達点が期待はずれという印象。
 
2011年8月2日。火曜日。晴れ。
もう8月2日。ばたばたとしていたら、火曜日の朝になっていた。
5時。少し明るくなった。まだ、薄暗いという感じ。いや、曇っていたのだ。
体操をして起きる。5時半。家の周辺の荷物を移動したりかたづけたりしていたら6時半。朝食。その間にバリアーを越えてかわいい猫が一匹進入。朝食後にバリアーの変更。そうこうしているうちに台所の壁紙の汚れが気になる。10年も経つと仕方がないのかねぇというと、桔梗さんが、まだ10年経っていない。4,5年だなどと言うので、夕凪亭の入り口に掲げている「夕凪亭」の扁額の裏にはE氏の署名があり、何年か書いてあるだろうと言うと、見てきて、2004年だったと言った。夕凪亭が完成したのがその年の11月。台所の壁紙を張り替えたのがその年の7月頃。であるから7年になるのだ。だしか、表面は拭けるタイプのものであったはずだと、濡らしたタオルの端でこす炉と、多くの汚れが落ちた。上から拭くだけで落ちるのなら、簡単だ。ウェットティッシュで磨くことにした。

次の読書は三島さんの「愛の渇き」。新潮文庫で読んでみよう。高校生の頃、新潮日本文学という文学全集が図書館で購入されていた。その第1回配本が、三島由起夫集。村松剛さんの解説。当時、どこまで読んだか、もはや記憶を呼び戻すことはできない。結末もあらすじも知っているのだが、久しぶりに読んでみるのもよいだろう。

塩野さんの「十字軍物語 2」のほうは1に比べて面白くない。なぜか、こちらの体調かとも思っていたが、話の構成のせいだと思う。守勢の話が創業の話よりもおもしろいということは、個人の話にしろ、会社の話にしろ、歴史的事象にしろ、おもしろいということは、一般には、少ないだろう。

久々に島田荘司さん。「Classical Fantasy Within第一話 ロケット戦闘機『秋水』」(講談社)。
 
 
2011年8月3日。水曜日。猛暑。
朝暗いうちから目が覚めたが、まだ3時・・分のようなので、もう一度寝る。今度は5時。少し明るい。起きようかな・・・と思いつつ、腰痛体操。そして起きると5時16分。外に出て、不燃ゴミを出す。焼き物の植木鉢はこれま収集してくれなかったので、軒のしたで埃をかぶって蜘蛛の巣に覆われていた。このたび、処分することにした。まず、割れた破片を集めてまとめて持っていく。次に何個かずつ形の似通ったのを重ねて出す。でも、もって帰ってもらえなかったら、またもって帰らないといけないので、半分にとどめておく。残りは再来週の予定。

少し高いところの植木を切って、6時半から朝食。その後作業を継続しようと思ったが、強い太陽光線がぎらぎらと照りつけているので、朝の作業はやめることにした。シャワーを浴びてエアコンを入れる。

神谷忠弘「これで安心! シロアリ対策」(エクスナレッジ)を読んだ。現在のシロアリ駆除法に対して疑問を投げかけながらも、なおかつ真摯にシロアリ対策を進めようという態度には敬服する。が、しかし、むずかしい。床の下が昆虫の巣になるのは、やはり気持ちがよくない。そうかと言って、清潔すぎる床の下が、自然から離れた環境であるということは、よくわかる。
 
2011年8月4日。木曜日。猛暑。
ついに予想最高気温35℃。1日に1℃ずつ上がってきた。どこまで上がるのだろうか?

5時に起きて、家の周辺のかたづけとゴミ出し。1時間ほどでやめる。暑いので野外作業はほどほどにしないといけない。

午前中の激しい太陽に比べたら、午後の太陽は予想外に穏やかだと思ったのは雲のせいである。しかし、予報通りの熱気は猛暑と言ってもよいだろう。

島田荘司著「Classical Fantasy Within 第二集 怪力光線砲」(講談社)。すべてが夢での出来事にしてしまって,いいの? Fantasyとはいうものの・・。

夕方、夜になっても、暑い日だったので、散歩、庭仕事すべて本日はしないことにして風呂に入って、エアコンの効いた部屋で静かに読書。
 
2011年8月5日。金曜日。猛暑。
朝5時に起きる。
プラゴミを出してくる。
涼しくて気持ちがよい。散歩してもよし、読書してもよし・・・。でも庭の片づけがあるので、長靴はいて蚊取り線香つけて、小枝を切る。途中から電動丸鋸を使う。しかし、早すぎる。近所迷惑かもしれない。高齢化団地だが、みんなが早起きとは限らない。止める。
少し扇風機だけで読書。
朝食。
再び、太い枝を電動鋸で切る。20分ほどして注意力散漫に気づきやめる。それでも、かなり捗った。電気製品の威力は違う。

今日は休暇。9時から買い物。帰ってエアコンの中で朝寝など。11時半から食事。そして、畳8枚を車に積んでアーチェリーの的用に寄贈しに行く。廃棄処理費が浮く。

1時半から大工さんが来られ、床板を改良。そしてまもなく畳屋さんが新しい畳を納入。
5時前に食事をしてまたまたエアコンの中で暑さを避け、日が落ちてから、剪定ゴミを整理。暑い。

・・ということでぐったりです。こういう日はビールを飲んで寝るに限ります。

2011年8月6日。土曜日。猛暑。
因島へ着くと、小雨がぱらぱら。ふつう、福山が降っても因島は降らないということが多いのに、珍しく逆転現象。沖縄にいる台風9号の影響か? 昼過ぎに少し日が弱まったので、植木の剪定などする。去年は10月に入ってから始めたが、もう既に激しく伸びているので、気温を見ながら、少しずつはじめるのもよいかもしれない。
 

2011年8月7日。日曜日。猛暑。
久し振りに何も予定のない日曜日。
6時前に目が覚めて、朝食と少しだけ作業。

・・ここまで書いて、電話が。嗚呼。

officeへ。1時間ほどで済ませて、コア蔵王店に寄って帰る。ジクソーパズルの安売りをしていた。おもしろそうであるが、これというのがなかったので、買わず。

島田荘司著「Classical Fantasy Within 第三話 火を噴く龍」(講談社)。
fantasyにしては良質である。
 
2011年8月8日。月曜日。猛暑。
暑さも今週がピークになってほしい。
子どもの頃から、お盆をすぎると朝夕が涼しくなる。そして海には海月が出だす。台風の上陸も頻繁になる。それに何より、日の出日の入りの時間が進み、太陽の出ている時間が違う。だから、あと1週間もすれば、お盆だから、今週が暑さのピークだと思っている。

6時半のラジオ体操の時間には、子どもたちが隣の公園に集まる。なかなかいい光景であったが、今日はないようだ。もう終わったのだろうか。


塩野七生さんの「十字軍物語 2」(新潮社)を終わった。後半、紳士的なサレディンによって聖地はイスラムのものに帰す。ヨーロッパが兵士を送り続けないのだから仕方がない。十字軍というのは後続のいない移民のようなものだ。しかし、移民よりもさらにいい加減な宗教的行為であった。

しかし、これだけ人が動けば文化が伝わる。そちらの効果だけを見て、十字軍の歴史的価値を称揚するのはいかがなものか。疑問に思う。海外移民も似たような言い方がされる場合が多いが。
 
2011年8月9日。火曜日。猛暑。
今朝は5時に起きて、涼しいうちに庭の草取り。取っても取っても、ぐんぐん
伸びます。
そして、不思議な光景が・・・。
今日は火曜日なのでゴミの収集はない。それなのにビンと缶を運んで・・・。
明日の資源ゴミを出しているのだ。何をぼけているのだ、と憤慨。そして、しばらくすると、別の、もっと若いおばさんが同じような物を持って運んでいる。おかしいなぁ。ひょっとしたらお盆が近づいたので収集日が変わって、知らないのは自分だけか、と思った。「おばさん違いますよ。資源ゴミは明日ですよ」と言おうとして、言ってなくてよかった、と胸をなでおろす。

しかし、しばらくして後のおばさんが回収に向かう。そら見ろ! やはり、違っていたのだろう・・・。

二人も間違えるとは・・・。暑さのせいで、ぼけているのは自分だけではないと安心。

子どもがまもなく帰省するので、書庫になっている子どもの部屋を掃除して、バルサンをしておこうと2缶買って帰る。帰ったら、以前買ったのがあると言って桔梗さんが出してきた。若いときの私なら、こんなことはないのだが、如何せん、今年の暑さが去年の暑さよりも厳しいと思うぐらいの記憶力なのだから、バルサンの在庫が家にいくらあるかなどということを覚えておけるわけはないのだ。これは普段の努力ではどうしょうもないのだ。単なる老化なのだ。

モーリヤックの「テレーズ・デスケールー」は遠藤さんや三島さんでなくても感心するほどよくできた悪女小説である。妻が夫に毒を盛る。結末はみんな知っている。いかにその行為を読者に納得させるかである。・・・・これは「愛の渇き」のみならず、「金閣寺」でも同じではないか。金閣寺に放火するのは読者はわかっている。それを当然だと思わせるように書き込まれている。「午後の曳航」もそうだ。少年は母の愛人になった元船乗りを殺す。その必然性を読者が納得すれば作品のねらいは達成されたということになる。三島さんの作品にはこの種のものが多い。三島さんの戯曲も、最後の一言のために、言葉が連綿と綴られ、役者によって語られる。

フランソワ・モーリヤック著、前田総助訳、青山社
 
 
2011年8月10日。水曜日。猛暑。
今日も5時頃目が覚めた。少し明るさに欠けるのは曇っているせいだけではなく、日の出時刻がだんだんと遅くなっているからだろう。

今日は資源ゴミ。金属とガラス瓶。

エアコンの室内機と室外機を結ぶ銅のパイプがある。外を断熱材で被覆してある。古くなって使い道のないのがある。ゴミとして出すのなら、資源ゴミだろうな。そして、外の被覆を剥がしておけば確実にもって帰ってくれるだろうな、と思う。しかし、もったいない。貴重な銅だ。高く買ってくれないのか。

昔、子どもの頃--昭和30年代だろうか--「くず屋さん」と呼ばれた廃品回収業の人が時々まわってきて、一升瓶だの、麦酒瓶だの、鉄くずなどを購入してくれた。なかでも、銅は鉄くずよりもいい値段で売れた。その銅というのは、中電工の人が電線工事をしたあと、電柱のそばに落ちていたものを拾っておくのだ。これはいい小遣い稼ぎだった。

だから、このエアコンの銅パイプをゴミとして出したり、時々回ってくる回収業者に無料でもって帰ってもらうというのには大いなる抵抗がある。でも、邪魔なゴミには違いない。

板の切れ端やら金属のお菓子の箱など、取っておいて、ちょっとしたところに利用していた、あの昭和30年代(40年代の前半も)、もう戻ってこないだろう。

明日は年休。あさってからは特休の夏休み。本日は出勤。

「深い河」に出てきたビルマ戦について読んでみることにしました。
田島重雄「ビルマ戦の生き残りとして」(連合出版)。「ビルマの竪琴」は有名な話で、フィクションでしょうが、主人公のように現地に残った人もいたかも知れないと、私などは思っております。敗戦時、ビルマの日本兵が三つの収容所に収監され、その一つのムドン収容所で、著者もそこに収監された。現地人との交流は、そこに描かれているようだったと記されている。他の一つが会田雄次さん著作にある「アーロン収容所」だそうである。

それはともかく、最も印象的なのは大東亜戦争がアジアの諸国を欧米の植民地から解放するというのが初期の目的だったと強調されているということだろう。
 
2011年8月11日。木曜日。猛暑。
お盆が近づいてきました。猛暑のお盆。どうしようもないですね。

5時過ぎに起きて、燃えるゴミを出して、剪定ゴミを少し出す。それから植木に水やり。朝夕やらないと日当たりのよいところは枯れる恐れあり。

買い物に出てら、「お昼はワッフルにしようか?」と桔梗さんが言うので、ワッフルモーニングセットで昼食に代える。糖分たっぷり。

島田荘司著「Classical Fantasy Within 第四話 アル・ヴァジャイヴ戦記 決死の千騎行」(講談社)。
ここにきて場面は中東にかわり見事なファンタジー小説が展開する。
 
2011年8月12日。金曜日。晴れ。
昨夜は、息子が帰省するし、名古屋の友人が因島へ帰省する途中に寄ってくれる。夕食を食べながら因島三庄の三十三観音像の修理のことを離す。度重なる山火事で山は荒れ、道は灌木で覆われ、中には倒れたり砂に一部が埋もれたものもあり、復元したいということだった。

今朝は六時過ぎにおき、まず朝食。その後庭木の高いところを切ってから、水遣り。

島田荘司著「Cllasical Fantasy Within 第五話 アル・ヴァジャイヴ戦記 ヒュッレム姫の救出」(講談社)。なかなか面白い展開。ドームの天辺からヒュッレム姫を救出するところなどは、ついつい本格推理作家らしいトッキーな方法が披露されて、作者のまじめさがかいま見える。
今日は最高気温は32度か。曇りがちであまり暑くなかった。
  
2011年8月13日。土曜日。猛暑。
またまた予想最高気温35℃になった。

朝起きると、市販のメダカの餌の袋が足が生えたのか、昨夜置いたところとは別の場所へ移動し、あろうことか袋が破かれ四散して回収不能となっていた。この怪奇現象を解明するためには一晩中起きて見張っていないといけないが、もはや時間を逆転させることは不可能だから、推定するしかないので、その冤罪を四囲に徘徊している野良猫に帰するのは人間のエゴかもしれないが、一応の結論である。
1年前に結婚した次女さんの結婚式。

1歳と1ヶ月になる孫が来た。こちらも徘徊がおもしろいらしく、どこへでもよちよち歩きながらも行こうとする。段差もあり、破れそうな網戸もあり、で危険はいっぱい。だから、目を離せない。それにしても子どもの成長はめざました。ということは老人の老化もはなはだしい、ということだろう。
 
 
2011年8月14日。日曜日。猛暑。
息子、長女とその息子を連れて因島へ。大浜の海水浴場へ。おりしも大潮。海はいい。もちろん長居は老体にこたえるが。
帰りは大浜のパーキングエリアでソフトクリームを食べる。260円だが、うまいのでしばしば寄る。ミックスでいいと思う。

島田荘司さんの「リベルタスの寓話」を終わった。力作である。旧ユーゴスラビアの民族紛争を暑かった本格物。
 
 
2011年8月15日。月曜日。晴れ。
終戦記念日です。今年はビルマ戦記などを読んだので、戦争への思いを新たにしたところ。

今日は予報最高気温33℃で昨日ほどではないが、午前中湿度が高い。

ひきつづいて、島田さんの「クロアチア人の手」を読んだ。こちらは密室殺人。そして背景というか素材というか、両方が国際紛争・民族問題を扱った社会性の大作だといっててもよい。両者で1冊。

島田荘司著「リベルタスの寓話」(講談社)。

こんな本を読んだからといって、一斗缶に入った人体の記事を読んで気持ちが悪くならないかというと、そんなことはない。やはり、気持ちが悪い。

午後、孫君を送って、県西部の廿日市市大野町のほうまでドライブ。帰りはさすがにUターン者で溢れていた。福山東インターの出口で渋滞。
 
2011年8月16日。火曜日。晴れ。風。
ラジオ体操である。ラヂオ体操ではなく。
いつも書いていることだが、朝夕ラジオ体操の第1第2を通して行う。だいたい風呂上がり。しかし、今夏は暑さのせいで、風呂上がりにえあこん+扇風機で30分ほど涼をとって、それからラジオ体操。

今朝は数日続いた庭仕事-シャワーというパターンを崩して、朝食-ラジオ体操。早い時間はからだが堅くて、ラジオ体操に向いていないようだが、早い時間にするとからだが目覚めて、調子がよいようだ。

さて、今日も予想最高気温33℃で朝から蒸し暑い。今日までお盆休み。昨日息子も、娘も孫も、それぞれ帰ったので、老夫婦二人だけの生活に戻った。そして私は夕凪亭で暑さを避ける。

島田荘司著「Classical Fantasy Within 第六話 アル・ヴァジャイヴ戦記 ポルタトーリの壷」(講談社)終わる。飽きませんねぇー。
今日で、お盆休み終わり。
 
2011年8月17日。水曜日。晴れ。一時小雨。
今日は不燃・埋め立てゴミの日だから、植木鉢を先々週に引き続き大量に出すために早起き。でも5時になってもまだ薄暗い。随分、夜明が遅くなったものだ。それに弱い日が家の中まで入ってくる。気が付けば、暑い暑いといいながら、季節は確実に巡って秋に移ろうとしている。

そういえば二三日前から、秋の虫が鳴いている。恐らくスズムシではないかと思う。

とはいえ、蝉も相変わらず元気だし、暑さはまだまだ続きそう。

そして、昼前。にわかに曇った空から雨滴が・・・。強くなったり止んだり、と不規則に降るものの、結局はゲリラ豪雨ほどには達せず、不十分なままで終わり、少し気温を下げただけであった。でも、おそらくこのようにして季節は展開していく。今後の推移に期待したい。

高田珠樹著「ハイデガー 存在の歴史」(講談社 現代思想の冒険者たち08)を終わった。ハイデガーについては読んでもよくわからないので、もう読むまいと、いつも思う。それなのに時々、本棚を見ると手に取ってみたくなる。今回は、ハイデガーの生まれた環境が、暗く陰惨に書かれていたので、(実際はそうでもないと、勝手に思うのだが)、それが「存在と時間」という魅力的なタイトルや反響への期待に反して、無味乾燥で退屈なのと、どこかで通じると思ったから、最後まで読み通してみようという、気持ちになった。そういう伝記的事項は理解できても、「存在と時間」の内容になると、やはり、わからなかった。だから、いつも思うように、ハイデガーについての読書はこれを最後にしたい。明日の燃えるゴミに出すために、庭木の小枝を段ボール箱に詰める。雨が降らなければよいが・・・。

2011年8月18日。木曜日。晴れ。
午後雨が降る予報。そのせいか蒸し暑い。朝。5時過ぎに起き、剪定ゴミを段ボール箱に入れてあるのを出す。さらに2箱、枯れ枝を拾って出す。汗がたらたらと流れるので、外作業は止める。

古い本や雑誌を捨てようと思っていたが、該当する物がなかなか見つからない。昨夜、かろうじて3冊と自動車の免許更新のときもらった冊子があったので捨てた。落ちついて探せばかなりありそう。多少、涼しくなりそうだし、庭の剪定が一段落ついたので、しばらくは屋内に目をむけよう。

今村仁司、三島憲一、鷲田清一、野家啓一著「現代思想の源流」(講談社 現代思想の冒険者たち00)を終わった。それぞれの著者が(順に)マルクス、ニーチェ、フロイト、フッサールについて解説したもの。例によって外国人の著書を引用して見解を紹介したもの。自分の新見解を述べよ、とは言わないが、日本のレベルというのはその程度なのだから仕方がない。だから、つまらない、というのではない。かなりおもしろい。よい企画だと思う。

島田荘司さんの「溺れる人魚」(原書房 同名の短篇集所収)を読んだ。リスボンが舞台でロボトミーを主題とした力作である。時々雲が出て、雨を期待させたが、結局降らなかった。
 
 
2011年8月19日。金曜日。晴れ。
秋の気配へ突入です。昨夜は涼しい風が吹いていた。朝起きると、庭に雨の跡。そのせいか少し涼しい。

涼しいので朝食後、庭の整理。昨夜電動鋸で切った木材をナイロンひもで結ぶ。以前廃材の240×60センチの合板をもらってきて、机にしていたものです。何しろ厚さは5センチ程度で両端をスチールのラックに載せると、その上に上がってもびくともしないほどのすぐれものでした。しかし・・・、場所をとる。何しろ長さが240センチなのですから。さすがの夕凪亭も狭くなりました。といことで、何年か「自慢の机」として使用の後、諦めて放出・廃棄することにしました。重さもあり、移動も大変です。真ん中あたりをかかえて慎重に移動させても建具や柱にコッツンして傷をつけたり・・・。粗大ゴミの日に出しても、もって帰ってもらえるやら・・。ということで、庭の片隅の帰れ葉の山のところに放置し、風雨と微生物によって、腐っていくことを待っていたのです。でもなかなか小さくなりません。合板の何枚かは剥げたものの、消失あるいは燃やせるゴミの大きさになるには、まだまだ悠久の時が必要のように思っていました。・・それで、木の太い枝を電動鋸で切ったついでに、試みてみるとかろうじて切れることがわかり、小さなパーツにしたのが昨夕のことでした。それをまとめたのが今朝の作業。ゴミに出すのは来週の月曜日の早朝の作業の予定です。

涼しいので読書は順調に進んでいます。
島田荘司著「Classical Gantasy Within 第七話 アル・ヴァジャイヴ戦記 再生の女神、アイラ」(講談社)を終わった。長い話なので、少し飽きてきました。活劇はおもしろいのですが・・・。そして、出エジプト記のように紅海が割れて、そこをオートバイのような二輪車で走破して、目的のイスラエルに到着です。

そして、島田荘司さんの「人魚兵器」(短編集「溺れる人魚」所収)。これは、推理小説ではないのですが、その想像力には、いつものことながら感嘆です。科学的な知識も豊富なのですが、メインのストーリーの大部分はフィクションだと思います。
 
2011年8月20日。土曜日。曇り時々雨。
天気予報はまたまた変わって、本日は終日わずかだが雨マーク。さっきほんのちょっぴりと落ちてきたがお湿りにはほど遠い。太陽が照らないぶんだけ涼しくてよいが。

島田荘司さんの短篇集「溺れる人魚」の中から「耳の光る児」と「海と毒薬」を読んだ。
「耳の光る児」はロシアの歴史、特にモンゴルとのかかわりから説明して、この突然変異らしき4人の子どもの怪異現象の謎を解くというはなし。ロシアの歴史叙述が素晴らしい。
「海と毒薬」は悲惨な恋に破れた「異邦の騎士」の読者が舞台となった喫茶店を巡るうちに生きる意欲を取り戻したという話。ただし、硫酸Dで自殺というのは無理があるように思う。

以上4編でこの短篇集は構成されている。
島田荘司著「溺れる人魚」(原書房)。

朝、買い物。午後小雨。
BSで前衛芸術家草間弥生さんを追うドキュメント番組の3時間のうち前半2時間を見る。エネルギッシュな活動に感動。
2011年8月21日日曜日。雨。
やっと雨らしい雨が降りました。かなり降ったと思います。そして気温が下がりました。33℃から35℃の日が続きましたから、うれしいですね。

雨の中を因島へ。夏休みの日曜日なのに、車が少ないですね。気候のせいか、それとも高速料金の千円割引がなくなったせいか、少し寂しいですね。ちなみに私の場合は福山東-福山西の山陽道が300円。しまなみが450円です。それぞれ片道です。往復1500円というところです。

島田荘司、小島正樹著「天に還る舟」(南雲堂)は「書き下ろし長編本格ミステリー」と背に小さく書いてありますが、それに恥じない堂々の大作です。日中戦争の悲劇の恨みが殺人の動機だろうというのは巻末の参考文献を見ただけでわかります。それはともかくとして、趣向を凝らした連続殺人の意味が次第に明らかにされるにつれて、その絡繰りの見事さに驚きます。大変よくできた作品です。でも読者に犯人宛を挑戦させる意図はないように思いました。

さて、明日は可燃ゴミと紙の資源ゴミ。不要の雑誌類をまとめて処分したいところです。
 
2011年8月22日。月曜日。晴れ。
めぐりめぐって月曜日。
雨も去り、気温もさがって、少し過ごしやすいかもしれません。

今朝も大量の燃えるゴミを出してきました。どうにかならないのか、現在のライフスタイル。いろいろ考えてみても、変えられない。

いつも思うのですが、燃えるゴミとして出している、紙や木は、市のゴミ焼却場で燃やされて二酸化炭素に変わっています。そのとき熱も出ます。この熱を利用してプールなどを併設している自治体もあるようですが、福山市については、そのようなことは聞きません。もったいないことです。

それにつけて思い出すのは、子ども時代のことです。私の子ども時代はお風呂も、台所も薪などを燃やしていました。台所はの調理については、キャンプではありませんので、復活など夢にも考えませんが、燃えるゴミの活用としてしてすぐに思い出すのはお風呂です。現在の給湯器に加えて、薪や紙の焚き口があれば、有効だと思います。・・・とは思うものの、水の比熱は大きく、少々の薪では風呂は沸きません。日々出るゴミなど、使用エネルギーのごくわずかの割合を補うにすぎなく、お風呂として活用するにはそのような釜を設置することの費用が無駄なような気もします。

本日の読書。
島田荘司著「吉敷竹史の肖像」(光文社)。写真や、イラスト、ブックカバー、年表などいろいろ盛りだくさんな内容で、マニアではないが、昔から島田作品を読んでいる私などには、懐かしい話のほうが多いのですが、楽しめる一冊です。「光る鶴」は「秋好事件」を元に書かれた本格推理で、見事な作品です。「吉敷竹史、十八歳の肖像」というのは題名の通りの作品で「青春小説」ということになっておりますが、スケッチ的に、キャラクターの過去を描写したものです。他に弁護士の山下幸夫さんとの対談やトラベルミステリーを編集者として提案した竹内衣子さんのエッセーも、作品およびキャラクター誕生秘話としておもしろく読みました。特に、寝台特急「はやぶさ」などのトラベルミステリーも、早くから読んでおりますので、懐かしくその誕生秘話を読みました。
 
 
2011年8月23日。火曜日。雨。
朝から梅雨のような蒸し暑さだと思っていたら、昼前になって空は暗くなり、激しい雨が降り続いている。
午後になっても降ったり止んだり。時々、雷。

鷲田清一著「メルロ=ポンティ 可逆性」(講談社 現代思想の冒険者たち18)を終わった。現象学の行き着く先が、ここであるとしたら、私は尻尾を巻いて逃げ出すしかない。その文章に酔おうと思えば酔える。しかし、少し斜めから見れば、悪文の見本市に見えるかも知れない。

メルロ=ポンティが亡くなるや、それまでの賛美者が一転して構造主義の賛美に廻ったという皮肉は、現象学と構造主義の関係を暗示していて面白い。

そもそもフッサールの現象学とは何か? それは哲学の新しい流儀であった。物事を厳密に思考するのは、これはずっとやられていたことである。この流れに立ち止まり、厳密とは何かと考えたのがフッサールだろう。今まで考えてなかったことを指摘したのが心理学であった。しかし、心理学は哲学とは異なる。だから、それとは別の方法で哲学を厳密にすることにしたのではないか。そういう大ざっぱなとらえ方から言えば、「存在と時間」も「知覚の現象学」も、その目的にかなっていたのではないか、と思う。

サイエンティフィック・アメリカン編、水谷淳訳「クローン技術の可能性」(日本経済新聞社 科学の最前線)は2005年の本ですが、古いが基本的なことも載っております。新しいところで「ノアの方舟のクローン」「我はクローン」「機械はクローンを作れるか」の3編を読んでみました。いつもながらSAの記事のすばらしに感動しました。これだけの水準でこれだけのやさしさを保てるというのは驚異的なことです。

次に中沢弘基著「生命の起源 地球が書いたシナリオ」(新日本出版社)は化学進化について、その可能なものを無機有機問わず詳しく書いたものです。大変夢のある話です。
本日、整体の日。
 
 
2011年8月24日。水曜日。晴れ。
よいお天気です。でも、秋晴れとは違うな。明日はまた雨かもしれない。
だから、今日の天気は残暑の典型。少し蒸し暑いかな。

年金の請求の書類が3種類もあって手こずる。2番目に入った。まるで高等パズルだ。

再び、現象学について。フッサールは数学基礎論をやっていたので、(ある)学問そのものの厳密さについて意識したことだと思う。数学については、自然科学と異なりゲーデルの不確定定理があるように、自らの土台を確実にすることが必要なのだ。ヒルベルトの公理主義にしても、その前の段階で戦略的というよりも方法を整え、幅広く言えば、学問の基礎を固めたといえる。こういうように数学は常に自分の足場を確認補強する必要があったのだ。

それに対して、自然科学のほうは、ずいぶん無意識的に進んできた。何しろ、観察実験という錦の御旗があるのだから。楽観主義である。
もちろん、デカルトやベーコンなどの影響などもあっただろうが、その占める位置は数学などに比べればものの数ではない。とはいえ、その後も科学哲学などと呼ばれるものの隆盛が、科学論を賑わしたのは周知のことであるが、それらがなくても、自然科学は邁進を続けたことであろう。数学とは違うのだ。

こういう事情のある数学の厳密化とにたことを哲学に求めたのがフッサールである。それをどういうわけか現象学という。


桜井哲夫著「フーコー 知と権力」(講談社 現代思想の冒険者たち26)を読んだ。今更フーコーでもあるまい、と自分でも思う。私が読むものは原則として実存主義あたりまでで、構造主義やポストモダンについては熱中しないのが原則だが、それでも、ちょっとしたマイブームで購入した本がけっこうある。そういうものを見ているだけで楽しい時期は既に過去のことであるが、ぱらぱらと眺めていると、部分的にではあるが、読んでみたくなるところが、かなりある。ということで、このシリーズを読んでいる。花々しい書評とは裏腹に、自分がフーコーを読む根拠は見いだせないので、その著作を買ったことはないが、今でも、その気持ちに変わりはない。

さて、途中でマルクスと、ニーチェとフロイトを取り上げていると批判されているところがあるが、この三人がそんなにかけ離れているとは思われない。三人ともそれぞれ表現がことなったが、キリスト教的西洋精神から離脱していったのではなかったか。これにダーウィンを付け加えたら、敬虔なキリスト教徒は目を顰めるに違いない。ということで、フーコーはある意味では不思議な魅力をたたえている。
 
2011年8月25日。木曜日。晴れ。
まだ8月なのに、今日は始業式。昨日から二学期が始まっている。ということで8時に家を出て、いつものルートで出勤。世間ではまだ夏休みなのに、高校生、中学生は制服を着て登校している。小学校では5年生が2台の貸し切りバスでどこかへ行くらしい。その出発式のようなものをやっている。

島田荘司著「涙流れるままに」(光文社)はこれまた凄い小説であると同時に私好みの小説である。島田作品中、最愛の「羽衣伝説の記憶」を読んだのはもう20年も前の頃だと思うが、そこには「北の夕鶴2/3の殺人」のことが何度も出てくる。こちらは釧路が舞台でマンションにまつわるトリックにはついていけなかったので、あまり好きになれなかったが、ヒロイン加納通子(かのうみちこ)は魅力的な女性である。その暗い奥深い過去がここでは明らかにされる。その加納通子は、「龍臥亭事件」では、あの有名な津山30人殺し(津山事件)の地、貝繁村(仮名)の龍臥亭を、語り部の石岡が訪れたとき、最初に出てくる美人の親子がいる。この親のほうは翌日、前夜殺人事件が起こっているのに、それを楽しむかのように生き生きとしている。これが加納通子で、子どもが吉敷刑事との子であるユキコである。
「涙流れるままに」では、この津山事件の犯人を父親とする娘が麻衣子で、通子の生母であることが明かされる。そして麻衣子は通子の父の妾である。麻衣子の生家は天橋立にあり、後に通子が住むところとなる、というように不思議な話が次から次へと展開していく。
 
2011年8月26日。金曜日。猛暑。
猛烈に強い日射し。残暑と言いたくなるが、間違いなくこの季節のお天気だろう。

島田荘司著「涙流れるままに」の上巻は、次のように、終わる。
恩田幸吉の冤罪事件の検察側の証人についての件で。

 名前は兄が藤倉の一郎、弟が次郎」
 「何!?」
 吉敷は、思わず声に出していた。身をのりだした。
 「藤倉一郎、次郎の兄弟? 本当ですか!」
  (光文社 カッパノベルス p.434) 
 
それまで、別々に展開してきた二つのストーリーが、繋がる。名人芸ですね。
 
 

2011年8月29日。月曜日。猛暑。
2日間休んだので、久しぶりの日記です。
土曜日も、日曜日も猛暑です。
土曜日には、今度は大阪で記録的な大雨です。つい先日江戸でもマンホールから水が溢れたばかりですが、大都市がもろいというのと、異常な天気のどちらに比重を置くかは人によって異なると思いますが、やはり両方に原因があるのでしょうね。

さて、土曜日には、島田荘司さんの「涙流れるままに 下」(光文社)を終わりました。金曜日に終わる予定でしたが、なかなか時間がとれませんでした。前半で提示された謎が後半で見事に解決されるという、本格ミステリーの手際のよさについては、何も文句はありませんが、あっという間に解決されて、すこし残念な感じがしました。

岩倉兄弟の執念深さがよくわかりました。「北の夕鶴2/3殺人」のときには、そのあたりがしっくりとこなくて、かなり抵抗感があって、ストリー展開になじめなかったように、今からずっと前のことですが、覚えております。この本は、今でも二階の廊下の本棚を探せば出てくるでしょうから、読み返してみるとよいかと思います。それから「飛鳥ガラスの靴の秘密」も読みましたが、これが加納通子の話だという印象がありませんので、こちらも同様に持っているので、読み返してみたいと思います。

さて、本編では釧路から天橋立に移ってから、通子は、自分のルーツ、すなわち母の麻衣子のルーツを探しにかかります。母の旧姓の世羅という姓の電話番号にかけるというところからはじめて、ついに母の兄にたどりつきます。そして母が、津山三十人殺しの犯人の子どもだということまで知ります。それから何日かして、占い師が来て、岡山県の貝繁村へ行って先祖の供養をせよと言ったので、そこへ行ってきたと簡単に記されます。

しかし、「龍臥亭事件」(光文社)では、そんなに間単に書かれているのとは裏腹に、かなりの期間滞在していたことがわかります。そして、こちらの主人公である石岡が霊感をもつ女性・二宮佳世と夜になって龍臥亭に着いたとき、最初に会うのが加納通子母子ということになります。

「龍臥亭事件」は近くの図書館分館には、一冊本の愛蔵版があり借りていましたが、重たくて肩が凝りましたので、巻末の解説と、笠井潔さんとの対談を読んで返すことにして、字は少し小さいが軽い、二分冊の上下本で読むことにします。しか、前半はいろいろと謎の提示で、混み合っているのでなかなか進まない。

今日、企業年金連合会老齢基礎年金証というのが届いた。若い頃、大学を卒業して1年間だけ勤めた会社名が書いてある。2月の末から研修が始まっていたせいか、14ヶ月分とある。ありがたいことだ。これは、厚生年金を引き継いだものだ。ドストエフスキーの再開である。筑摩書房の小沼文彦氏の個人訳全集を、近くの図書館分館で借りてきて、少しずつ読んでいたのであるが、予想外に長い「死の家の記録」をこつこつと読んでは、返却期限になるという繰り返しに、嫌気がさしたので、改めることにした。

先日、広島の紀伊国屋で新潮文庫の「死の家の記録」を求めたので、途中からであるが、こちらで読むことにした。こちらの訳は工藤精一郎氏であり、工藤氏の訳も、これまで何冊か読んできている。どこまで読んでいたのか、忘れたので、「三 最初の印象」という監獄へ酒を外から持ち込む方法である。これは、既に読んだ記憶もあるが、楽しみながら読めた。運び屋は牛の腸に酒をつめて運ぶ。看守にみつかったら、準備していた袖の下を出す、と・・・。

そして、併せて、埴谷雄高著「ドストエフスキイ」(NHKブックス)の再開である。こちらは再読の再開である。
p78では新しい恋人ポーリナとのヨーロッパ旅行が出てくる。「賭博者」に書かれている、あの奇妙な人間関係が、完全な事実ではないにしても、多くが現実に起こったことだとわかる。そして、変な四角関係。奔放なドストエフスキーの性格によるものだろう。苦しみを快楽とする転換をすべては信じるわけではないが、あり得ないことではないかも知れない。

何とも言えない暑さに、週明け早々から疲労が蓄積している気分だが、複雑な年金処理の1つが済んだということで、内心、ほっとしている。もう少し、いろいろな本にあたってみたいところではあるが、夏バテには充分な睡眠で対抗するのが良いだろう。11時になった。床に着くことにしよう。今夜もエアコンを27℃に設定して朝まで回したほうが無難か? 途中で涼しくなれば切るが・・・。



2011年8月30日。火曜日。猛暑。
まだ暑い夏が続いている。

今朝は少し涼しかったがあいかわらず強い日射し。予想最高気温34℃。以前予報されたとおりの厳しい残暑だ。台風は接近しているようだが、まだその影響は現れないのか?

暑さの中で、できることといったら、読書ぐらいしかない。それで、今日も引き続き読むことに。そして、やっと半分終わった。

島田荘司著「龍臥亭事件 上」(光文社)。光文社ノベルスで上下二段組みで446ページ。ちなみに1996年1月刊。15年前だ。未解決殺人事件が次から次へと起こる。これまた、見事なミステリー小説の前半というしかない。これも、間違いなく島田さんの代表作になるだろう。

夜の11時前だ。

エアコンの効いた夕凪亭から廊下に出ると、網戸を通して、庭の熱気が伝わる。昼間や夕方の暑さに比べれば、少しは下がったようだが、まだまだ暑い。今夜も27℃に設定して、エアコンを入れたままで寝ないと、寝苦しいかなと思う。

津村節子さんの「ふたり旅」(岩波書店)のうち、はじめの2編を読んだ。吉村さんのものはたくさん読んでいるが、津村さんのものは、これまで読んだことがない。吉村さんは私の父と同じ年のお生まれである。津村さんは、私の母とやはり同じ年のお生まれである。だから、お二人の書かれた物を読んでいると、父や母の青春時代がどんな時代だったのか、伝わってくる。

岩波書店の図書9月号に岩波講座・現代物理学の基礎の新装版の量子力学Ⅰの広告が出ている。これは、大学の3,4年の頃発売されたものの、新装版である。実に35年以上が経過している。この講座は湯川秀樹博士が編集・監修されたもので、それぞれの巻に物理学の流れとその巻のもつ意義を書かれてあったり、またいくつのかの部分については執筆もされており、それらの一部は、湯川秀樹著作集にも収録されている。ややもすると数式だらけになりがちな物理学で、言葉での記述が多い、希有な叢書だった。ただ、十分な準備がなされずに出版されたせいか、誤植が多かったのも事実である。(後に配本されたものの月報に訂正が記されていたが、異常に多かった)。そして、不幸な無断引用の問題があったので、第二版が出ることがこんなに遅れたのであろう。そのような部分の訂正などもあって、第二版とはせずに、新装版ということになったのではないかと思う。そして、最新の成果も入れた改訂がなされたものだと思うが、よい企画だと思う。
2011年8月31日。水曜日。猛暑。
いよいよ、今日で8月も終わりです。去年に引き続き、暑かったですね。

もう、何もしないで、読書だけの避暑になりましたが。

島田荘司著「龍臥亭事件 下」(光文社)を終わった。

前半で展開された、猟奇的事件に見事な決着をつけています。十分に満足な解答だと思います。それに、津山事件の本質もよくわかったように思います。
これで8月の夕凪亭閑話を閉じます。
御愛読を多謝です。
 
 
 
今年41冊目。
遠藤周作著「深い河」(講談社文庫)。
今年42冊目。
島田荘司著「Classical Fantasy Within第一話 ロケット戦闘機『秋水』」(講談社)。
今年43冊目。
神谷忠弘「これで安心! シロアリ対策」(エクスナレッジ)。
今年44冊目。
島田荘司著「Classical Fantasy Within 第二集 怪力光線砲」(講談社)。
今年45冊目。
島田荘司著「Classical Fantasy Within 第三話 火を噴く龍」(講談社)。
今年46冊目。
塩野七生著「十字軍物語 2」(新潮社)。
今年47冊目。
フランソワ・モーリヤック著、前田総助訳「テレーズ・デスケールー」(青山社)
今年48冊目。
田島重雄著「ビルマ戦の生き残りとして」(連合出版)。
今年49冊目。
島田荘司著「Classical Fantasy Within 第四話 アル・ヴァジャイヴ戦記 決死の千騎行」(講談社)。 
今年50冊目。
島田荘司著「Cllasical Fantasy Within 第五話 アル・ヴァジャイヴ戦記 ヒュッレム姫の救出」(講談社)。
今年51冊目。
島田荘司著「リベルタスの寓話」(講談社)。
今年52冊目。
島田荘司著「Classical Fantasy Within 第六話 アル・ヴァジャイヴ戦記 ポルタトーリの壷」(講談社)。
今年53冊目。
高田珠樹著「ハイデガー 存在の歴史」(講談社 現代思想の冒険者たち08)。
今年54冊目。
今村仁司、三島憲一、鷲田清一、野家啓一著「現代思想の源流」(講談社 現代思想の冒険者たち00)。
今年55冊目。
島田荘司著「Classical Gantasy Within 第七話 アル・ヴァジャイヴ戦記 再生の女神、アイラ」(講談社)。
今年56冊目。
島田荘司著「溺れる人魚」(原書房)。
今年57冊目。
島田荘司、小島正樹著「天に還る舟」(南雲堂)。
今年58冊目。
島田荘司著「吉敷竹史の肖像」(光文社)。
今年59冊目。
鷲田清一著「メルロ=ポンティ 可逆性」(講談社 現代思想の冒険者たち18)
今年60冊目。
桜井哲夫著「フーコー 知と権力」(講談社 現代思想の冒険者たち26)。
今年61冊目。
島田荘司著「涙流れるままに 上」(光文社)。
今年62冊目。
島田荘司著「涙流れるままに 下」(光文社)。
今年63冊目。
島田荘司著「龍臥亭事件 上」(光文社)。
今年64冊目。
島田荘司著「龍臥亭事件 下」(光文社)。