2019年7月18日木曜日

夕凪亭閑話 2011年5月

  
2011年5月1日。日曜日。曇り。
「1日は雨」という天気予報が早くから出ていたとおり雨の日曜日、GWの3日目になった。昨夜から激しく降っていたようだ。

今は止んで居るが、空は暗く、今日は降ったり止んだりのお天気だろう。

5月になった。震災・原発の復興に明るさが見えない。原発報道はますますおかしくなる。政府もいいかげんだ。人材がいないということだろう。

雨が降りそうなほど暗くなったり、晴れ間が見えたりした賀、結局、午前中は雨は降らなかった。

晴れている間に散歩するのもいいと思って近くの山の上に小さな神社まで行ってきた。上り道が400M,登り口に行くまでのアスファルト道が200Mぐらいだろうか。ということで往復3キロにもならない近場の散歩コース。今日は雨上がりで大気中の浮遊物が落ちていたのか,珍しく四国の連山が見えていた。

そしてお決まりの午後の時間。ハンニバルを読みながらうとうと。夕食後散歩。

夜、ビールが飲みたくなった。つまみがない。チーズ1つでは腹の足しにもならない。・・・しばらく食べてないスルメがあった。マヨネーズに醤油を少しかけて、七味を少し。けっこういける。

・・・かくして、五月がスタートした。
 
2011年5月2日。月曜日。晴れ。
長いGWの中休みで、今日は世間並みに出勤。
朝からよいお天気。
気温が急に上昇したのとほどよい雨で、木々が急激に大きくなった。黄緑色の新芽があちこちにはびこり、道路がみえなくなるほどになった。これならカーテンを開けておいてもよいだろう。朝早くから直射日光が入ってきている。

窓辺に置いた机の上の本が日焼けするのがよくないが短時間だからまあよいか、という気持ち。でも時々移動させて、同じところへ長く置かないほうがよいかもしれない。

燃えるゴミを持って8時に出発すると、なんと外は砂の海。黄砂。それに製鉄所の煙も混ざっているのではないだろうか?

毎年のことながら黄砂がすごい。中国大陸からはるばるとやってきたお客さん。硫酸ミストなどの公害廃棄物もご一緒だろう。それにダニをはじめとする微生物も。顕微鏡で見たら怖いだろうな。だから、見ないことにしよう。


明日からまた世間並みに3連休。気温はまずまず。よい春でありますように。
 
2011年5月3日。火曜日。憲法記念日。晴れ。
またのこりの3連休が始まりました。曇っていて、黄砂の中のお休みです。
気温はまずまずです。
高速道路は混み合っておりますから出かけない方が無難でしょう。
 
 
2011年5月4日。水曜日。晴れ。
4日が終わりました。ということはGWの残りが1日になったということです。今日は暖かく絶好調でお仕事も趣味も進んだのですが、昨日とおなじように黄砂です。

これが年々ひどくなり、呼吸困難でばたばたと人も動物も死んでいくのではないかと思っていました。

あれはアメリカの西部の話か、あるいは、スターウォーズだったかな、砂が部屋の中へどんどん入ってくるというのがあったが・・・。

中国から舞い上がった砂などで死にたくはないですね。いくら尊敬する「史記」の国とはいえ。

 
2011年5月5日。木曜日。こどもの日。晴れ。
子供の日です。

朝から曇り、寒かった。

その後よく晴れて暖かくなりました。五月晴れですね。

メダカを飼育している池を日陰で覆っている枝をすこし剪定。

今日も黄砂。よいお天気なのに本を置いている2階の窓を開けるわけにはいかない。

 
 
 
 
 
2011年5月6日。金曜日。晴れ。
GWが終わった。今日は久しぶりの出勤。

朝から快晴。やや暑いと、今年はじめて感じた。

8時にプラスティックゴミを持って出発。車のナンバープレートの上に鳥の糞がついているので、洗ってから出る。

まだ休みのところが多いのか道路は意外と空いている。すいすいと通常の通勤路を通ってスムーズに到着。

休みが長かったので少し身体がなまった感じ。1時間ほど動くと体調がよくなる。やはり、身体は動かすことが大切なのだ。

空はよく晴れており、いや少し雲があるが、それは差し支えない、季節が急旋回して初夏・夏になったという感じだ。

昨夜ははじめて電子毛布を切った。だが、夕凪亭のベッドの上の炬燵はいまだ撤去するわけにはいかない。深夜・早朝に必要なのだ。

体調はよいのだがPCが、まずい。いつも使っているのが、外部接続が遮断された。そのうち再インスツールだが、とりあえず別のを使う。キーボードがよくない。重たいのだ。指に合うキーボードはなかなかないものだ。
 
2011年5月7日。土曜日。晴れ後雨。
名実ともにGWは終わらないようです。

幸い、新聞の天気予報と異なり朝からよいお天気で快適です。

ただ、浜岡原発の唐突な停止は理解に苦しむ。早急に停止を!と叫び、新しい原子力政策、すなわちエネルギー政策を示すべきであろう。


この前まで寒かったのにこの暑さはどうだろうか。初夏をとおりこしたようだ。

GWのおかげで、随分としごとがはかどった。少し読書に励みたい。それに語学も。
 
 
 
 
2011年5月8日。日曜日。晴れ。猛暑。
昨日、夕方から雨が降って、黄砂を一掃してもらいました。車もわざわざ外に出し、降り積もった砂塵を洗い流してもらいました。効果のほどはまだ確認しておりませんが。

今朝は雨後の快晴です。空気も透明です。やや、蒸し暑いのは仕方がありません。
 
 
 
 
2011年5月9日。月曜日。晴れ。
ふつうの生活が始まった。

そして、夏モード。

せっせ せっせ 夏も近づく はちじゅう はちや ポンポン ・・の
八十八夜が二日。それから一週間後の昨日のあの暑さ。しまなみ-山陽道はなんと29℃。ガソリン節約のためにエアコンを入れず走ると、全身で夏を感じることができました。

そこで、夕凪亭も夏モードへ。三分二に仕切っていたカーテンをはずし、ベッドの上に鎮座していた電気ごたつを解体して押入に入れ・・・という具合で、すっかり広くなりました。
 
 
2011年5月10日。火曜日。雨。
雨の火曜日です。

少し日記が少ない日々が続いております。

今日も忙しかったなぁ。

梅雨を思わせる暑さ。冷房は暖房に比べて使用時間が極端に少ない。そういう意味では、吉田兼好の家を建てるには夏を旨とすべし、というのは、ひっかかる。暖房を使う日々の方が圧倒的に多い。だから、初夏の蒸し暑いときはどんどんエアコンを回したらいいと思う。

夜は、いろいろなものを読んで充実です。

夕凪亭の本棚を有効活用するために、当面興味を失った本を二階へ上げた。おろしてくる本が圧倒的に多く、どうしても横積みになって効率が落ちる。
 
 
 
 
2011年5月11日。水曜日。雨。
今日も雨。です。

珍しくまとまった雨です。瑞穂の国ですから、もっともっと降らなければいけないと思います。

そして、その水が地下深くしみこんで、徐々に細流れてなって出てきて川になって山野を潤さなければならないと思います。

しかし、アスファルトジャングルは都市だけの話ではなく、いまや過疎の村々にまで及び、道の表面を流れコンクリートの溝から川原、そして川へと伝わり、海の海水と混ざります。海の海水と混ざると、すなわち塩水になるので、利用は大変制限されます。

かつては、降ったあめは土でできた道や畑のみならず、草の生えた小さな溝に入り、流れるというよりも地下にしみこんで、海に達せないうちになくなってしまうほどでした。

ダムができているところは、よいのです。でも、ダムのないところは、もったいないことです。

水は大切な資源です。もっと有効利用を考えたらいかがでしょうか。
 
 
 
2011年5月12日。木曜日。雨。
またまた雨です。
この地方では珍しいことです。
でも、梅雨時分とは気温が低くあまりじめじめしていないのが救いです。

T・ハリス著、高見浩訳「ハンニバル 上」(新潮文庫)をやっと終わりました。ハンニバルといっても、もう若い人たちには通じないかもしれないですね。例の「羊たちの沈黙」の続編です。とはいえ、こちらは映画は見たが読んではなかった、と思う。かつて読んだのは、野球場パニックの「ブラック・サンデー」だったかな、といにしえの記憶をたどる程度。
年をとると、何もかも記憶の彼方に遠ざかるものです。

まあ、過去のことはよいとしても、この本は「羊たちの沈黙」の最後のほうで脱獄した精神科の医師で異常者という特異なキャラクターと能力をもつ男の逮捕劇なのですが、フィレンチェの高名な上級捜査官がレクター博士を発見するものの警察として処理せずに密かに懸賞金を得ようとして逆に殺されるという話です。追う者と追われる者の関係がスリリングに描かれ、両者の知恵比べが見事です。古い古い記憶の彼方の「ジャッカルの日」の興奮を思い出しました。下巻の盛り上がりに期待しましょう。

この一月ほどの読書生活はある本を読み通すという意志を放棄して、興味の赴くままに種々の本を開いては、少しだけ読んでいくという、きわめて傍目には横着に見える方法をとってきた。それはそれで楽しいのではあるが、長い目で将来の一時点に時分を置いて過去を眺めてみると茫洋としてつかみ所がないので、「読み終える」ということもまた私にとっては重要な「生きる」といことの具体的な形であることを再認識せざるを得ない。こんなことは若い日々から考えていて、自分では結論を出していることであっ、今更女々しく書くほどのことではないのだが・・・。

正直なところ、寄せる年波・・・。意欲が、意志が、根性が減退しているのを認めざるを得ない。

ということで、老体にむち打って、1冊終えた。長くかかった。
朝永振一郎「物理学とは何だろうか 下」(岩波新書)が終わった。ふっー。

朝永先生の、古い理論をたどるのは、さすがに力のある人だけにできる技で、私も何度も読んでみたくなるのだが、今回はボルツマンエルゴート定理などが出てきて残念ながらついていけなかった。それにしてもはじめのほうの原子論は大いに参考になった。
 
 
2011年5月13日。金曜日。晴れ。
久しぶりの晴れ間。空気も乾いているようでさわやか。
昨夜は10時過ぎにダウン。そしていつものように6時半に起床して朝食。このところ風邪気味なので、例の生姜おろしに砂糖を加えて飲む。

ラジオ体操をして読書をする予定であったが、子どものところへアマノフーズのインスタントみそ汁を送るので、買っておこうと思い、24時間空いているハローズへ行って買ってから出勤。

島尾永康著「ニュートン」(岩波新書)は終わったと思っていたら、途中でやめていた。ふるいことなので、はじめから読むことにした。

チャーチルだのラッセルだのイギリスの偉人のイメージで想像していたのだが、ニュートンが決して恵まれたエリートコースを辿った人ではないということを知らされた。

貴族でも何でもない。父は生まれる前に亡くなっている。その後、母の再婚で祖母に育てられる。ただ、何でも作る器用な子どもだったようだ。

それにおもしろいのは、学生時代に薬剤師のところに住み、自分でも薬品を調合しており、後に政府高官になるまで医者にかからなかったというから、凄い。死後錬金術に凝っていたことが明らかになり、最後の錬金術師などと呼ばれるが、生半可なものではないことがわかる。

ニュートンは性格的には、あまり人好きのするものではないが、業績が業績なだけに早くから認められ26歳にしてルーカス教授職についた。これは前任者バーローの推薦によるものである。このことについて、早くから科学の専門職が制度化されていたイングランドならではのことであると記されている。(P.55)


さらに凄いのは数学は当時の大学でもやってなく、まったくの独学でわずかの期間に最前線の知識に達していることだ。一冊の本を途中でやめたらまた最初から読み直している。それにノートに写しただけでなく自分なりの考えも書き加えているいるのは、やはり創造力を鍛えるのに役だったのではないかと思われる。

ニュートンの周辺には魅力的な人物が多い。ルーカス教授職の前任者バーローは語学の天才にして数学者。しかし本業は英国国教会司祭という要職にある。ついで,ロバート・フック。かつて我が国でも「ニュートンに消された男」という副題のついた研究書が公刊された。私などはフックに暗いイメージしか抱いていなかったが,この本によるとフックもまた愛すべき人物ではないか。

2011年5月14日。土曜日。晴れ。
さわやかな土曜日だ。

さて、今日も続けて「ニュートン」です。
愛すべきロバート・フックもいよいよニュートンと激突です。結論だけ書くと、どちらも性格が悪い、ということになるのでしょうが、科学ジャーナリズムの未発達が主な原因です。このような草創期の軋轢を経て近代西洋科学が確立していくのだと思います。ただ単に歴史が古いとか新しいとかいうのではなく、人と時代の要請が制度を作っていくのでしょう。そしてその道は平坦ではなく個人のエゴもぶつかることも多かったのではないでしょうか。

そしてやっと終わりました。

 
 
2011年5月15日。日曜日。快晴。
五月晴れのよいお天気。
でも、目がかゆい。鼻水が出る。咳が出る。・・・ということで70%運転。
あ、コルセットをつけて来るのを忘れた。30センチ定規でも腰にまきつけておこうか。

さて、「ニュートン」は後半不愉快な話で辟易したが、次の「ハイデガーの思想」(木田元、岩波新書)も、これまた、嫌な話があったのを承知で再読。93.4.18-4.19と古い記録があるから、かれこれ20年になるのか、と思うと感慨深いものがある。あのころは、まだ夢を追いかけていたような・・・。朝までワープロを打つだけの元気もあった。

「存在と時間」は岩波文庫の上を読んだだけで、一応訣別したことになっている。でもハイデガー関係の本は本棚のいろいろなところにあるので、つい手にしてしまう。ドイツ語版のほうは岩波文庫や世界の名著で各ページに記されている原書のページというのに合っている版だから、語学力のない私にもなにかと便利である。


夕方、遠くの公園まで散歩。日は高い。風はさわやか。まだ子供の声も聞こえる。野良猫たちが路上を徘徊する。おだやかな日曜日の午後。

やがて日が沈み、次第に明るさが減っていくと半月以上に大きくなった月が。もうこんなに日が過ぎている。まあ、老いていくのは仕方がない。残り時間が減っていくということだが、その間に、いくら読書ができるかということ。

ハイデガーは反面おもしろい人でもある。深読みの名人だとも書いてある。ヘルダーリンの詩の、ニーチェのツァラトゥストラの、一行、一文について膨大な注釈ができるということだそうだ。その深さにおいて並の人ではないのだそうである。

2011年5月16日。月曜日。晴れ。
昨日出勤したので、今日はお休みです。
7時に起きると、いつもよりやや寒いですね。
サクランボが熟れ始めたが、毛虫がいるので躊躇していたら雀に皆やられている。毛虫だけ退治してくれればいいのだが・・。

与謝野源氏で「澪標」(角川文庫)を終わった。六条御息所は娘のことを源氏に託して死んだ。そういえば御息所について渡辺淳一さんの「失楽園」に、主人公の睦言に御息所のあそこが悪いとかどうのというのがでてくる。これが渡辺さんのオリジナルな見解か、そういうことを書いた本があるのか、寡聞にして知らない。

さて、今日もハイデガーを進めなければ。でも、しないといけないことは多い。

またまた、やってしまった。不注意といよりも宿命!
朝、気持ちがよいので少し散歩して帰り、玄関まわりの草を刈り込みバサミで刈っていた。かなり低いところ。足を曲げて腰を下げて。それでも、思いもしなかった「ギクッ」という音が神経を通して聞こえてきた。しまった、と思ったが後の祭り。ぎっくり腰である。前回、去年の8月の半ばのときと似ているが、それほどでもないと思っている。信じている。願っている。

前回は翌朝布団から起きるのにまわりのものに触らないと自分で起きられなかった。そして整形外科へ・・・。

そうならないように、メンソレータムのラブローションを塗り、しばらくして湿布をした。

立っている時は何ともない。寝ころんでから、起きるとき、腰を動かすのが苦痛だ。

はじめは安静に。痛みが治まってから運動をというのが原則。
 
2011年5月17日。火曜日。晴れ。
ぎっくり腰二日目の朝を迎えた。膝に手を添えた程度で立ち上がれたから継承と判断。歩ける。でも身体がまっすぐではないよう。廊下の鏡の前に立ってみると、やはり曲がっている。前回と同じだ。くの字形に右に曲がっている。腰を曲げたりしなかったら痛みはないから徐々に回復に向かうと思う。

そういえば、前日にコルセットをしていなかったのを思い出した。椅子に悪い姿勢で座り、骨の位置がずれていたのかもしれない。朝からコルセットをする。


8時に、いつものように出勤。身体をいたわりながら。ラブローションを塗り、去年整形外科でもらった湿布を貼ってから。

車に乗ったら目がかゆくなった。家の外はこんなに空気が汚れているのだろうか? というのはいつもの疑問。そういえば、近くの製鉄所で第三高炉に火が入ったということだ。 でも、この街から出て行くつもりはない。少々健康に悪くても、総合判定すると住みよい街なのだ。

そうだ、車の掃除も必要かもしれない。最近、車内の掃除を怠っている。
 
 
2011年5月18日。水曜日。晴れ。
よく晴れてますね。
昨夜は早い時刻にダウンしたせいかおめめくっきり、頭すっきりという感じではあるが・・・・。
それに腰は、コルセットをして寝たので痛くはなかった。しかし、油断禁物。

机についた姿勢はよくない。

今日も一日終わったのだが、机から立ち上がるとき、畳から立ち上がるとき、ふつうにできるようになったし、痛みもない。ということは普段の状態に回復したということだろうか。思ったより早かったのはうれしい。

だが用心のため、ストレッチやラジオ体操は慎重に再開したい。。

今朝は少し寒かったが明日は夏のような天気になると、天気予報で言っていた。
 
2011年5月19日。木曜日。晴れ。
さくらんぼが熟れている。朝から雀が取りにやってきている。
脚立を二階からおろすのが面倒なのでまだ収穫はしていない。毎日雀が熟れたのから食べている。
 
2011年5月20日。金曜日。晴れ。
昨夜、左腹にこれまで感じたことのない痛みを感じ、しばらく動けなかった。しばらくしてまた起こった。よく見ると、コルセットが皮膚に当たって軽い擦り傷を作っていた。この傷口に爪を立てると同じ痛みがした。あの激痛は傷口にコルセットの角があたったのではないかと思う。それにしても、結石のような痛さだったので驚いた。

コルセットは先日の軽いギックリ腰以来、家でもしていて、寝るときもしていたので、皮膚と擦れ合ったようだ。

腰も一応よくなったので、昨日から軽く始めたラジオ体操は、今日からふつうに戻した。ストレッチもいつものようにするとしよう。
 
 
2011年5月21日。土曜日。晴れ。
午前中、因島へ。しまなみを通って因島へ。因島大橋を渡り、大浜パーキングをすぎたところで車窓からぷーんとみかんの花の香りが入ってきた。こんなにも匂うものなのかと改めて感動。

夜、福山で、かすかにホトトギスの鳴き声。夏がきましたね。
 
 
2011年5月22日。日曜日。雨のち晴れ。
昨夕は雨の予報がはずれて降らなかった。11時には早々と睡眠。若い頃は好きなことができると思うとなかなか眠くならず夜更かししたものですが、最近はすぐに眠くなる。やはり年をとったということでしょうね。犬や猫が昼間から眠っているのを時々見かけますが、けっこうなお年なのかもしれませんね。

朝起きたら降っていた。ぶらぶらと好きな本を開けて少し読んでは別のに移る。そんな生活です。
車検に、車をもって行く。

午後も似たような生活です。工作というか大工仕事でする予定のものが少しあるのですが、なかなか身体が動かない。やはり、こちらも老化でしょうね。

年をとっても減らないのが食欲。一日中家にいるとお菓子の類にすぐ手が伸びますから健康によくないですね。これだったら昼寝をしていたほうがいいのかと思います。

だらだら読書の一日。でも、いろいろ読めて楽しかった。
 
2011年5月23日。月曜日。雨。
朝、4時に目覚めると雨が降っていた。ハンニバルを少し読んで、目覚ましを7時10分にセットしてまた寝てしまった。

今日は燃えるゴミの日。袋一杯のゴミを持っていつものように8時過ぎに出る。道はやや車が多いかなと思うものの、まずまず流れる。

青空文庫で、和辻哲郎『「ゼエレン・キェルケゴオル」序』を読む。単行本の序論である。
「最初はあまり引きつけられなかった。ところが昨年の六月の初めに、突然彼の内部へはいったような心持ちを経験した。その後私はほとんど彼のみを読んだ。私は自分の問題と彼の問題とがきわめて近似していることを感じた。ついには彼の内に自分の問題のみを見た。」

というのを読んで、へえ?という気持ちがした。キェルケゴオルのファンはこういう感じで感動して一種の信者になるのであろうが、無神論者の私には、どうあがいてもこういう体験はできそうにない。時々ひもといてその著作に目を走らせるのではあるが、未だに開眼しないのである。

続いて、和辻さんの「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」を青空文庫で読む。

久しぶりに青空文庫で,「伊沢蘭軒」の「その三十四」を読む。北条霞亭はその後にしようと思っているが,それにこだわることはないと,最近感じている。岩波の選集のほうではかなり,読んでいるのではないかと思っているので,青空文庫ももしあれば読もうかな。
 
2011年5月24日。火曜日。晴れ。
雨はやんで晴れました。ということは、今日にも梅雨入り宣言があるかと思っていたが、そういうことはないでしょうね。

朝4時頃目が覚めると、ザアザアと音がしていたから、きっと未明まで降り続いていたことと思います。昨夜もよく降っていたから、かなりの量の雨だったのでしょう。

本日も青空文庫で和辻さんのものを。「寺田寅彦」。そして「蝸牛の角」。
伊沢蘭軒「その三十五」。竹生島などを愛でる。

木田元著「ハイデガーの思想」(岩波新書)を再読した。やはり,読むのではなかった,という思いと,もう一度読まなければという何とも複雑な心境。
 
2011年5月25日。水曜日。晴れ。
いつまでもつか、心許ないが、今は快晴。
暑くもなく寒くもない。

夕方になって曇ってきた。

和辻さんの短いものは興味がもてそうになかったので、「古寺巡礼」を青空文庫で読んでみることにする。岩波文庫は2回目に入っていたが、いつのまにか止まっている。こちらも最後まで行かないと思うが。

「道草」と「伊沢蘭軒」も少しずつ読む。

氷上英廣著「ニーチェの顔」(岩波新書)を再読。これはよい本です。昭和53年3月10日買って16日に終わっている。体力があったのだ、あのころは。


今年は、まだ20冊。それも薄いものばかり。寝る時間が増えたのか、とも思う。頑張るしかないな。

春先の春宵一刻値千金が、寒くてほとんどなかったが、あまり暑くない初夏で、長い薄暮のゆうぐれどきが気持ちがよい。今日も少しだけ散歩。

それから入浴とラジオ体操。気がつくと夜の闇が静かに山の上の我が家を覆っていた。
 
2011年5月26日。木曜日。曇りのち雨。
朝からホトトギスが鳴いています。
でも、曇り空。昼頃から雨でしょう。そして、ひょっとしたら梅雨入り宣言。だいたい広島地方気象台が遅いのか、こちらの地形のせいか、いつも梅雨入り宣言が遅いように思います。こちらの感覚とかなり隔たっているようです。だから、期待はしないが、もう梅雨空です。

青空文庫で「伊沢蘭軒」「道草」「古寺巡礼」「美しい村」を少し。ワープロソフトへコピーしておき、読んだところから消して保存していくというやり方です。

・・ついに梅雨入りした。広島地方気象台の反応は悪くないと、評価。

夜帰ると、またホトトギスが鳴いていた。こちらは雨で鬱陶しくて嫌だなと、車を降りたのに、なにがうれしくてこんなに雨の中をホトトギスは鳴くの? といささか疑問に思った。

城田吉六著「ダバオ移民史をあるく」(葦書房)を読んだ。フィリピン、ミンダナオ島ダバオが、戦前満州国とならんで、ダバオ国と呼ばれた日本人植民地だったことを知っている人は少ないだろう。そして、終戦時、中国残留孤児とは違った形で、フィリピン残留孤児問題を生じた。戦前、ダバオの日本人学校の教師を勤められた著者の回想と戦後の状況を記されたもの。
 
2011年5月27日。金曜日。曇りのち雨。
朝から風が吹いて木々が揺れている。台風の影響? そんな~。まだまだ遠いところなのに。

曇った空。雨かな?

少し降って、また止んだ。10時半には明るい日射し。


「伊沢蘭軒」その三十八 西宮を経て須磨,舞子に。

「古寺巡礼」の(一 アジャンター壁画の模写――ギリシアとの関係――宗教画としての意味――ペルシア使臣の画)を終わった。蠱惑的で官能的な彫刻群に対してふさわしくないと和辻さんは疑問を投げる。確かに,そうだ。でも修行僧の視野にそのようなものはたくさん存在したのは事実であろう。修行ということが後世大きく変化したのではないか。

そして「道草」と「美しい村」を少し。


本間剛夫、小林大豊著「新しい移住地をさぐる ラテン・アメリカ編」(文教書院)というのは、もう十分に新しくはないのであるが、私の集めた移民関係の資料である。通読してみようという気持ちになって、開いた。

高校時代の私は(今もだが)人生や社会について深く考えることはなかったから、海外移住政策などという話は風の便りにも聞いたことはなかった。

その後、あるとき、突然に移民について調べようと思い数々の資料に目を通してきたし、人にも聞いてきた。そのことについては別のところで書いた。

国策なのだ!!その国策にだまされていかに多くの人たちが異国の土となったか! この本ではおしまいのほうに、ほんのちょっとだけ、成功するには大変な苦労に耐えて努力する必要があると書かれてあるが、それ以外は全編甘言で若者を誘う棄民政策の推奨に他ならない。

こういうのは経済分野での世界的な優等生である日本に住んでいるから言えるのであって、昭和30年代、あるいは40年代の前半はまだまだ日本は貧しい上に仕事はなく、海外に棄民するしかなかったのかもしれない。
 
2011年5月28日。土曜日。雨。
今朝は6時過ぎに目が覚めた。もっと寝ておこうと思ったが、昨夜11時過ぎに寝ているのでいいだろうと思って起きた。

やはり曇り空である。そして断続的に雨。部屋の中は暗い。

昨日から、森崎和江「からゆきさん」(朝日新聞社)を読んでいる。以前読みかけてやめていたもの。先日、ダバオ史を読んでいたら、からゆきさんがいたというのを見て、思い出したので、読むことにした。昔、栗原小巻主演の映画で見たのは、サンダカンのほうだったのだろう。天草とからゆきさん。島原から熊本三角港へのフェリーが赤い橋の下を通った。天草五橋のひとつだったのだろ。

移民斡旋人も娼婦誘拐人も似たようなことをしていた時代があったことが記されていた。そうだろうな。
 
2011年5月29日。日曜日。雨のち曇り。
朝から強い雨です。明らかに台風雨。風はごくわずか。
四国の南海上を夕方通過するのでしょうか。

昨夜は11時過ぎにダウン。今朝は5時過ぎに目が覚めたが、ずっと眠い。

次は何をを読みましょうか。いろいろな本から拾い読みもいい。あるいは一冊を読み終えるか、選択に迷うところです。

またまた本棚から杉野忠夫「海外拓殖秘史」(文教書院)という古い本を出してきた。満州のことは読まないつもりだったが、そろそろ読んでもいいかなと思いはじめたので、ちょうどいいかなと思って・・・。

著者の思想には必ずしも賛成しないが、良心的な学者かつ実践家である。沼隈町のパラグアイ移住に関しては、ちょうど嘆願書が出されて大騒ぎのとき現地に行き、詳しく分析されている。


台風は早々と熱帯性低気圧になった。一安心です。雨も夕方にはやみました。
 
2011年5月30日。月曜日。晴れ。
雨も風もやみ、晴れ間がのぞいています。でも雲が多く、やや不安定な気候です。
また月曜日になった。五月もあと二日。 ああ、6月。

今日は、山崎朋子さんの「サンダカン八番娼館」(文春文庫)を少し読む。
 
2011年5月31日。火曜日。晴れ。
GWではじまった五月も、梅雨入り台風一過で終わる。
いよいよ明日からは6月。本格的な梅雨シーズン。日本の雨期。

朝からデスクワーク。肩が痛くなった、と思ったら、その前に腰もおかしいぞ。長時間同じ姿勢がいけないのだ。整体の先生には、同じ姿勢で1時間働いたら30分は休みようにというアドバイスをいただいている。なかなか実行できないのが、難しい。痛くならないと気づかない。

昨夜は11時頃に寝て、今朝は6時半に起床。まずまずだ。

昨夜寝る前に、志賀直哉の「小僧の神様」を新潮文庫で読んで、驚いた。中学校か高校の時に読んで卒業したと思っていることがとんだ間違いだと気づいた。

仙吉という秤屋の小僧が鮨が食いたい。屋台の鮨屋に入るが、手を出したところで、お金がないので諦める。それを見ていた貴族院議員。仲間にその話をすると、食べさせてやればよかったのに、と言われる。何日かして、秤を買いにいたら、その小僧がいた。荷物を運んでほしいと言って連れだし、鮨屋で段取りをつけて好きなだけ食べるように言って帰る。目的は達した。しかし、貴族院議員は、何か満足しない。その鮨屋の前を通るのも嫌になる。後味が悪いような感じ。一方、仙吉も鮨屋で十分お金をもらっているのだから、また来てくださいよ、と言われて行く気がしない。

一見、芥川の「芋粥」だの「鼻」などを思い出すが、志賀直哉の筆はさすがに長生きをした人だけあって(若い頃の作品だろうが)余裕にあふれている。なお、小僧の神様というのは変なタイトルだが、この鮨を食わせた男が仙吉にとって、神様、仏様、はたまたお稲荷様だと言うのである。

「伊沢蘭軒」を青空文庫で読んでいたら、次のような文章に出会い驚いた。

     (その三十九)
 第二十四日。「十三日早朝発す。斑鳩(いかるが)に到て休。斑鳩(はんきう)寺あり不尋。三里半正条。半里片島駅。藤城屋六兵衛の家に休。日正午也。鶴亀村をすぎ宇根川を渡り二里宇根駅、紙屋林蔵の家に宿す。此日暑甚からず。行程六里許。」

なぜ、驚いたかというと「宇根」というのは私の郷里の家の屋号であり、「林蔵」というのは先祖の名前である。文献上、私はこの二者が同時に現れるのを始めて見た。ただし、何の関係もない。この地と我が家も、我が古里も何のつながりもゆかりもない。

「古寺巡礼」は「二 哀愁のこころ――南禅寺の夜」を読む。

「道草」の十,十一を読む。「美しい村」を少し。
五月の夕凪亭閑話を終わるにあたり、多数のご愛読を感謝したい。読書日記の性格の強い夕凪亭閑話から読書の話題が消える日が増えた。肉体の老化が精神の老化でもあることをまるで証明しているかのような日々だった。風前の灯火の中で、やっと今年25冊に達したことで、少しだけ元気を回復することができた。
PCも人も老いていく。
 
 
 
今年17冊目。
T・ハリス著、高見浩訳「ハンニバル 上」(新潮文庫)。
今年18冊目。
朝永振一郎著「物理学とは何だろうか 下」(岩波新書)。
今年19冊目。
島尾永康著「ニュートン」(岩波新書)。
今年20冊目。
木田元著「ハイデガーの思想」(岩波新書)。
今年21冊目。
氷上英廣著「ニーチェの顔」(岩波新書)。
今年22冊目。
城田吉六著「ダバオ移民史をあるく」(葦書房)。
今年23冊目。
本間剛夫、小林大豊著「新しい移住地をさぐる ラテン・アメリカ編」(文教書院)。
今年24冊目。
森崎和江「からゆきさん」(朝日新聞社)。
今年25冊目。
杉野忠夫「海外拓殖秘史」(文教書院)。
 
 
今月見た映画・ビデオ等