2019年7月14日日曜日

夕凪亭閑話 2014年9月

2014年9月1日。月曜日。晴れ。少しだけ小雨。
朝、散歩。9月になった。やや秋らしい。


2014年9月2日。火曜日。晴れ。
4時半に出て、潮騒荘へ。5時に福山東インターを通過するには少し間があったので一,2分休む。曇って夕暮れの訪れが早い感じ。徐々に秋の日のつるべ落としに近づいてはいるのだが、まだ早い。サルスベリを移植。4月の桜、8月の松、と今年はよく植えた。
夢野久作「押絵の奇蹟」終わる。


2014年9月3日。水曜日。晴れ。
潮騒荘にて。残暑が厳しい日。草取り。セメントを少し。昼食後、昼寝。夕刻福山へ。


2014年9月4日。木曜日。晴れ。午後にわか雨。
朝散歩。入浴。ラジオ体操。買い物。午後、BSで映画「蝉しぐれ」を見る。眼鏡を新調。
夢野久作「悪魔祈祷書」、終わる。


2014年9月5日。金曜日。晴れ。
朝、散歩。入浴。ラジオ体操までは昨日と同じ。南東を向いた夕凪亭の窓からすだれを通して柔らかい日が射し込む。半分、カーテン。庭のサルスベリがいつまでも濃いピンクの花を咲かせている。ことしは殊のほか、例年より色が濃く美しい。四方へ伸びた若い枝からたわたに花びらがかたまってあるのだが、一部はブロック塀を越えて隣家のほうへせり出しているので、半分ほどは刈った。もったいないがしかたがない。
「ヘブル人への手紙」、堀辰雄「日付のない日記」、「萩の花」、長谷川伸「瞼の母」読む。

2014年9月6日。土曜日。晴れ。夕方雨。
朝、散歩。入浴、ラジオ体操。ロシア語。写真up。
10時頃出て、潮騒荘へ。4時前から暗くなり、帰りは雨、次第に小降りに。夜、読書。10時過ぎに寝る。12時過ぎに目覚め、電気を消して、戸を閉めて寝る。
謡曲「代主」、新約聖書「ヤコブの手紙」、菊池寛「真珠夫人」などを終わる。「真珠夫人」は1920年の作品。まもなく100年。傑作。


2014年9月7日。日曜日。
潮騒荘にて。5時過ぎに起きる。やや、暗い。少し読書。6時過ぎに朝食。外仕事。暑くなったので9時頃から中に入って、窓ふきなどなど。
スモモの苗木があったので買ってきた。植えてから説明書を読んでいると交配の相手の木が必要だとか書いてある。もう一本いるのか?
夜、福山へ。以前買った岩波の理化学辞典の第5版CDROM版をMacで読もうと、ことといLiteをインスツールしようとしたらできないので、サポート情報を見ていたら、HDインスツーラもサポートされていたので、試みた。入った。ついでに広辞苑もインスツールしようとCDを探したが第4版しかでてこない。5版しかサポートされていないようだ。理化学辞典が入ったことでポータブルになった。よしとしよう。国語辞典はスーパ大辞林が入っているので当面は困らない。ウィズダムの英和和英も入っている。


2014年9月8日。月曜日。晴れ。
秋らしい快晴。朝、散歩。日中は暑いが、家の中は乾いた空気が流れて涼しい。夜になると更に涼しくなる。ガラス戸を開けているので、虫の声がしきりに聞こえる。十五夜の月が大きく登っている。小さい台風の影響はないようだ。


2014年9月9日。火曜日。晴れ。
明け方も涼しい。散歩。4時半に出て潮騒荘へ。日中暑かったので部屋の中は夜になっても暑い。外は暗くなるとともに次第に涼しくなる。
謡曲「松尾」。


2014年9月10日。水曜日。晴れ。
潮騒荘にて。5時前に起きる。少し外作業。塩ビパイプが涼しくなってせいか収縮しだした。土中でないところは伸縮が激しいので、盛夏に継いだところが口を開いた。補修した。網戸もそうだが、真夏の作業はよくないようだ。日差しが強いので、屋内作業。夜、福山へ。ガソリン給油。やや下がった。


2014年9月11日。木曜日。晴れ。一時小雨。
朝散歩。朝夕が涼しい。やや曇りがちで日中の気温もあまり上がらなかった。どんどんと季節は秋に向かって進んでいる。時折小雨。窓を閉めると止む。秋の変わりやすい天気だろう。エボラ、デング熱、そして近くでセアアゴゲグモ。何とも怖い世の中だ。かといってグローバル化した人間の活動を止めることはできない。人が動けば、動物も病気も移動する。
今日は眼科定期検診。午後BSで「風雲児 織田信長」を見る。


2014年9月12日。金曜日。晴れ。
気温が低い。朝散歩。夕方、内科医院。今日は、語学の日。久々にヘブルとサンスクリット。涼しくなったので、庭の掃除をしようかと思ったが、何となく蚊が嫌なので、もう少し涼しくなってすればいいかなと、安易なことを考える。彼岸花が伸びて、つぼんでいる。気温が下がったせいか、秋が来たのを例年より早く察知したのであろうか。


2014年9月13日。土曜日。晴れ。
昼過ぎから潮騒荘。風があるものの日差しはきつい。カーテンの付け替え。ついでにカーテンレールが古くなっているので取り替える。夕方から涼しい風に変わり、夜はやや寒い。
久生十蘭「海豹島」、吉川英治「日本名婦伝 小野寺十内の妻」、与謝野源氏で「若紫(上)」など。


2014年9月14日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。今日も、昨日と同じように強い日差し。風もまずまず。名も知らぬ花、おそらく雑草であろうと思いつつ、植え替えてみる。濃紫、藪蘭、凌霄花など移植したが根付くだろうか。この前移植した松と百日紅はまずまず。それに新しく購入した酸桃もまずまず。
6時過ぎにしまなみ海道を通って夕凪亭に。窓から入る風が爽やか。対向車のほとんどが窓を閉めて走っている。自然離れ。


2014年9月15日。月曜日。晴れ後曇り。
朝、散歩。やや曇っていて暑くない。松竹歌舞伎、昼の部で「小栗栖の長兵衛」「義経千本桜 川連法眼館の場」を観る。帰りはよく晴れていたが、まもなく曇る。
二度目の源氏物語は「若菜(下)」に入る。長いので、新日本古典文学大系を出して、系図と粗筋を見ながら読まないとわからなくなる。宇治十帖の主人公・薫の出生の秘密はここに書かれているので、後半への伏線ということでもある。
「ペテロの第一の手紙」読む。


2014年9月16日。火曜日。晴れ。
またまた夏が戻ってきた。暑い一日であった。とはいえ彼岸花が咲いて、秋空が美しい。それに空気が乾燥していて家の中は涼しい。夕方から、潮騒荘へ。彼岸花、ツワブキ、藪勘蔵を移植する。
「ペテロの第二の手紙」読む。


2014年9月17日。水曜日。晴れ。
潮騒荘にて。4時に起きる。当然のことながら暗い。5時半頃から外に出る。移植した草花へ水やりなど・・・。今日も暑い。9時頃から中に入って、片付け。
夕方、しまなみ海道を通って夕凪亭へ移動。25℃。窓を閉めていても開けていても同じぐらい。
6時半には暗くなる。秋はどんどんと進む。


2014年9月18日。木曜日。晴れ。
またまた異常な気象。急に寒くなった。夏が終わった感じ。智者は水と遊び、仁者は山と遊ぶ、という。智者でも仁者でもないが、海でも山でもよく遊んだ夏だった。その行く夏を惜しむわけではないが、今年の夏の遺産であるイギスをイギス豆腐にした。はじめてのチャレンジ。レシピをネットで調べるに、今治のほうでは大豆粉を使うらしいが、わが郷里では米ぬかを使うと聞いたことがあるものの詳しいことは知らない。向島のやり方のひとつとして紹介されていたので、それに従った。こんぶ、しいたけ、いりこ等でだし汁を作る。冷めたら具を除き、米ぬかを布で包んでだし汁の中でよく揉む。そのだし汁を再び鍋にかけイギスを入れ、酢を加えて、イギスを溶かす。これをザルで漉して、鍋に入れてまた加熱する。このとき、はじめに入れていた椎茸を戻し、また蒲鉾、さらについでにカニ缶を加えてから、みりん、塩で味付けして終わり。あとはバットで三センチほどの高さにして冷やした。はじめてにしてはうまく出来た。おいしい。来年はもっとイギスをたくさんあつめよう。BSで「弁天小僧」を見た。
「ヨハネの第二の手紙」、「 ヨハネの第三の手紙」、荒井献「イエスと出会う」(岩波書店)を読む。

2014年9月19日。金曜日。曇り。
朝から曇っており、昨日に続いて涼しい。いや涼しさを通り越して寒いような一日。さっそく長袖セーターにして、さらに上着まで着るしまつ。早い秋の訪れというか、冷夏の延長というか、予想外の冷気で、秋の虫の鳴き声もあっという間になくなってしまった。
午後、BSの録画で「ジャッカルの日」を見た。小説を読んだのも、映画を見たのも、はるか昔のことで、懐かしく見た。夜、古文書講座。
「ユダの手紙」を読んで、新約聖書を終わる。他に、夢野久作「あやかしの鼓」など。


2014年9月20日。土曜日。曇り後晴れ。
朝から寒い。長袖。上着。10時頃出て、因島・潮騒荘へ。昼食後、少しセメント工事。(久しぶり)。急ぐ仕事はないのだが、少しずつ、メンテナンス+補強。夕方、草取りをしていると晴れてきて暑くなる。日暮れが早い。そして夜は星がきれい。夏の大三角形と天の川が見える。カシオペアとペガススも。北斗七星が見えないのが残念。
宮沢賢治「セレナーデ 恋歌」、夢野久作「縊死体」など。


2014年9月21日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。5時半に起きて明るくなるとともに外作業。8時頃から中作業。ドアのつけ替えなど。
夕方、夕凪亭へ。


2014年9月22日。月曜日。晴れ。
少し気候が戻った。外は暑いが、家の中はまずまずで快適である。台風が来ているが、その影響は今のところない。障子の張り替えをしたり、あとは語学を少々。
夢野久「医者と病人」、「犬と人形」、宮沢賢治「秋田街道」、「あけがた」など。


2014年9月23日。火曜日。晴れ。
3時に出て潮騒荘へ。明日、障子を張り替えるのでその準備。雪見障子の構造の見事さに直面するのは障子を張り替えるときだろう。業者に依頼していたら悩む事もないのだが、自分でしようと思うと誰でも一度は悩むことだろう。本体と合わせ鏡のように向き合っている部分から張ってあるのだから、外さないと張れない。ではどうやって外すのか? 中央を引っ張って弓状にして何とかとおもうだろうが、それはしてはならないこと。建具屋が組み立てたのと逆の順序で外していくしかない。スライドする窪んだ桟の下に千枚通しを当て少し持ち上げると溝を埋めていた薄い板が外れるようになっている。何とも見事な仕掛けである。


2014年9月24日。水曜日。晴れ。一時小雨。夜雨。
潮騒荘にて。朝から障子貼り。夕方までかかって、約半分。縁をカッターで切るところがうまくいかない。福山ではうまくいったのに切り口が破ける。いろいろ考える。よく乾いていないのだろうという結論。何が違うのか。温度、湿度か。あるいは木材の質の違いもあるのかも知れない。夜、福山へ。夜、やや激しい雨。久しぶり。


2014年9月25日。木曜日。晴れ。
散歩と買い物。日中は暑いが夕方、急に涼しくなる。図書館に行き、少し借りる。棗の収穫。今年は少ない。それでも木が大きくなったせいか、粒も大きい。来年は棗酒をつくろう。


2014年9月26日。金曜日。晴れ。
散歩だけ。後は昼寝と読書。語学は少々。ここ二日ほど携帯電話から解放されている。というのは潮騒荘に忘れてきたからである。固定電話のほうはいつも留守電にして出ないことにしているので、見えない糸を二つ乍ら切断された開放感に浸っている。これほど愉快で快適なことはない。あたかも背中に粘着された二つの蜘蛛の糸がいつもあって、誰という訳ではないが何か得体の知れない大きな力で支配されている、そんな日常生活から解放されたような気持ちだ。文明の力というものは恐ろしいものだ。必要は発明の母というが、発明が必要の母になっているのは、特権が普通になりやがて義務と変じる社会機構と軌を一にしている。例えば、教育制度においては、高校の進学率の上昇がそうであった。何パーセント未満かであるときは、彼らはエリートである。90パーセントぐらいまでなら、これは特権でもエリートでもない。当たり前である。ここまではよい。さらに進むと。そうしないといけなくなる。すなわち義務になるのだ。現代の高校教育がまさにそうである。高校に行きたくなくても行かざるを得ないように社会が変質した。電話も似たような歩みを示した。ごく一部の家庭に電話があったときは、彼らは特権階級だった。それが全国的に普及し、家庭に電話があるのが当たり前になった。それと同時に何が起ったか?社会のいたるところで連絡の義務化が起ったのである。物を贈っていただくと、届いたという連絡を電話でするのが当たり前になり、やがて義務となったのである。後で葉書を出そうなどというのは、もはや礼儀知らずかもしれない。学校でも会社でも、無断で休むことができなくなった。すなわち電話連絡しておくのが当たり前を通り越して義務なのだ。大きな図体の蜷貝を背負ってぎこちなく移動するヤドカリを見て、半ば同情し、半ば呆れている私も、巨大な電飾つきの蜷貝を背負ったヤドカリと変わりはない。いいかげんなところで、文明の蜘蛛の糸から断ち切れたらいいだろうと思う。でも、仙人にはなれそうにもない。凡人の宿命である。
島田荘司「光る鶴」読む。


2014年9月27日。土曜日。晴れ。
10時半に出て潮騒荘へ。障子貼りの続き。前回すべての古い紙を剥がすのと、障子14枚を貼ったところで中断していた。其の続きで、天窓6枚。床の間3枚、雪見障子の可動部分10枚貼ったところで紙が無くなった。あと可動部分2枚である。明日以降の作業となる。今日も曇って残念ながら星は見えない。


2014年9月28日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。5時過ぎに起きる。少し本を読んで、明るくなったので活動開始。やや肌寒いが、日が出るにつれて暑くなる。
孫が福山にきているというので、昼過ぎに出る。スペイン語を話す三歳の子と遊んでいた。似たような発想だから、言葉は通じなくても心は通じるのだろう。
夢野久作「犬のいたずら」。


2014年9月29日。月曜日。晴れ。
朝、NHKの「マッサン」を見る。竹原の竹鶴酒造が出ることを期待して。竹原まで昼ご飯を食べに行き、ニッカウィスキーの創業者の生家だからということでお酒を買いにいったのは、もう20年以上も昔のことである。テレビでは看板が亀山酒造になっていたが、以前見たままの瀟洒な佇まいが懐かしかった。たしか、玄関を入って左手で「竹鶴」というお酒を各種販売していた。今も販売しているのだろうか。
午後、障子紙を買いに行き、秋植えの球根を少し買ってくる。


2014年9月30日。火曜日。晴れ。一時小雨。
いよいよ9月も今日で終わる。8月は広島の土砂災害、そして9月は御岳山の突然の噴火、と大きな自然災害の連続に驚きながら過ぎて行く。あまりにも合理的で快適な生活を送っているせいかついつい自然の脅威、あらぶる自然の姿を忘れているのは私だけではあるまい。自然は奥が深い。そのことを思い出しておこう。夕方出て、潮騒荘へ。夕食後夜なべで残りの障子の二枚を貼って完了する。9月中に済んで安堵。星を見たいと思ったが雲って見えず。
謡曲「佐保山」読む。












今年50冊目。
荒井献「イエスと出会う」(岩波書店)。
映画等
今年32本目。
「蝉しぐれ」
今年33本目。 
「風雲児 織田信長」
今年34本目。
「弁天小僧」
今年35本目。
「ジャッカルの日」
 
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