2019年7月17日水曜日

夕凪亭閑話 2012年3月

 
2012年3月1日。木曜日。曇り時々小雨。
「城」第十九章 ,第二十章を読んで終わる。中途半端。未完か?原田義人訳、青空文庫。
それにしても変な小説だった。しかし、時間がたつにつれて、あれは何だったのだろうか、という変な余韻がじわじわと増幅してくるようだ。
「虐げられた人々」第三部第6章を読む。幼友達のマスロボーエフの家に呼ばれて行ってみれば過剰なご馳走で歓待され面食らう。すぐに酔っぱらって、何を言っているのかわからなくなる。そして公爵が大悪党のペテン師だと強調する。
小雨が時々降って、そのせいか暖かい。穏やかな3月のスタートである。
 
 
2012年3月2日。金曜日。曇り一時雨。
朝はかなりの雨。昼間時々小雨。

「虐げられた人々」第三部第七章、八章。
公爵のずるく不可解な言動が続く。主人公は騙されない。
カフカ「審判」を読み始める。各章が長いので進まない。

小雨の日か、随分暖かく春めいた感じ。仕事は忙しいが春だ。どこか、ウキウキ。

このところ、ギリシア語が快調。最近の勉強法はワープロで参考書を打ち込むこと。特にヨハネの福音書の文を中心にやる。頭によく残る。フランス語、ドイツ語は単語中心。これはこれでよいと思う。
 
2012年3月3日。土曜日。晴れ。
暖かい、ひな祭り。梅の花が咲いている。
「審判」第一章 逮捕・グルゥバッハ夫人との対話・次にビュルストナー嬢 を終わる。
この長編小説は次のように始まる。
 誰かがヨーゼフ・Kを誹謗(ひぼう)したにちがいなかった。なぜなら、何もわるいことをしなかったのに、ある朝、逮捕されたからである。
 
希薄な人間関係の退屈な描写が延々と続く。その中には、この逮捕劇の意味など一切明らかにされず、「城」のように読者を混迷の世界に誘うだけである。どうせ、また最後まで、なぜ逮捕されたのかも明らかにされないだろうと思っていると
「もちろん私にはよくわかりませんし、誰もわかるはずがないんですけれど」
と下宿屋のグルゥバッハ夫人の言葉が出てくる。そのとおりだろう。
ビュルストナー嬢とのこともまるで小説らしくはない非常識な展開。
「虐げられた人々」第三部第九章。伯爵夫人のところへ行き、ナターシャの恋敵カチェリーナと会い話す。
因島へ行って散髪。松の剪定。
 
2012年3月4日。日曜日。小雨。
高橋英郎「三島あるいは優雅なる復讐」(飛鳥新社)を読んだ。まずまずの三島論。「暁の寺」で物語が終わってしまっているという指摘はその通りだろう。
「審判」 第二章 最初の審理 を読む。例によって退屈な展開であるが、不当逮捕、それを執行する役所・・・その無責任体質といったものがよくわかる。それに審理に呼ばれた場所の異常さ。
一日中小雨。寒い。
 
2012年3月5日。月曜日。雨。
「虐げられた人々」第三部第十章を読む。公爵に誘われて酒場で公爵の話を聞く。結局伯爵夫人の養女が大金を持っているので、彼女と息子を結婚させたいという本心を打ち明ける。なぜ、それだけのことを言い出すのに、ここまで来たのか、疑問だ。

「審判」第三章 人けのない法廷で・学生・裁判所事務局 を読む。ますます奇妙な話になったことに驚く。これではまたまた「城」と同じように寓話ではないか。カフカの不可解さである。

今日は一日中雨。気温も低い。梅が咲いているのをよく見るのに、我が家の梅はまだ咲いていない。
 
 
2012年3月6日。火曜日。晴れ。
雨も止んだ。気温が上がった。春だ。ただ、風強し。
「審判」第四章 ビュルストナー嬢の女友達  を読む。話が逸れた。本筋とあまり関係ないと思うのだが・・・。
「虐げられた人々」第四部第一章。雨の中を帰ったら、ネリーが熱病のように苦しんでいた。終末に向かって小説が急降下していくような予感がする。
 
 
 
2012年3月7日。水曜日。晴れ。
 暖かくなるということは三月がどんどんと去っていくということである。それは年度の変わり目で、慌ただしいことこの上もない。これが春なのだ。

「審判」第五章 笞刑吏を読む。全体としてはストーリーがおかしいが、それぞれの章はよくまとまっていて、「城」より完成度は高い。

「虐げられた人々」 第四部第二章はネリーのことが中心である。


夜になって一段と寒くなった。放射冷却だろう。
 
2012年3月8日。木曜日。晴れ。
「審判」第六章 叔父(おじ)・レーニ を読む。ますますわからなくなる。連作短編だと思えばいいほど、章ごとに話題がかわるし、登場人物の出し方も、極めて無節操だ。

「虐げられた人々」第四部第三章。ネリーが出て行く。それは主人公がナターシャを愛していることに耐えられないからだ。主人公の男はネリーとナターシャをともに愛する。アリョーシャも同様だった。女はそういうのは男のエゴだと知っていながら、正面から抗議しない。悲しむだけである。

確定申告を済ます。今日も暖かい一日だった。どんどんと春に近づく。
 
2012年3月9日。金曜日。雨。
朝から雨。一雨ごとに、春に近づくことを祈る。
「虐げられた人々」第四部第四章。出ていたったネリーは連れ戻されまた出て行く。主人公は主人公にネリーが恋しているのだと、ナターシャに教えてもらっても信じられないという。鈍感なのだ。というよりも、偽善に近い。恋無くして男が女を愛したら、女は嫌だと感じるだろう。そのことを作者は言おうとしている。


今夜も寒い。放射冷却のように冷え冷えとする。
 
2012年3月10日。土曜日。晴れ。
少し寒いが春。
しまなみ街道を通って因島へ。至る所に梅をはじめとして艶やかな花が咲き、春になったとしみじみと思った。因島大橋から見る瀬戸内海は少し色が変わり、水温む春になった様相。
因島では鶯が啼いていた。福山の我が家はまだ。
松の剪定。

「審判」第七章は昨日、今日と読むも、まだ終わらない。
「虐げられた人々」第四部第五章。少し話は遡って養父母の話。そしてナターシャの破局がいよいよ訪れる。

孫が来る。にぎやか。
本はいろいろ(寝転んで)読んでいるが、拾い読み。何度も読む。相対論は中学校以来の「憧れ」だから、離せない。内山龍雄先生の岩波文庫・新書・全書、それに現代文庫の4部作が素晴らしい。文庫はアインシュタインの原論文の翻訳と解説。
 
2012年3月11日。日曜日。晴れ。一時雨と雪。
東日本大震災から1年。

朝、買い物。午後も外出。夕方昼寝。

気温がどんどん下がり、強風が吹き荒れる。春の嵐。

「審判は第七章 弁護士・工場主・画家 をやっと読んだ。冗長・退屈であった。裁判制度の不合理をありもしないような話をでっちあげ、寓話として示そうとしてしているのだろう。

「虐げられた人々」第四部第六章。ナターシャとアリョーシャの関係は終わった。公爵がまたまた悪意を抱いてナターシャを訪ねるが、ナターシャは騙されない。しかし、愚かなのは主人公の作家である。ナターシャが発作的に詰ったように、すべてはこの主人公の「私」が悪い。ネリーに対してもまネリーが嫌うことをしようとしている。偽善に気づかない愚者ではないか。
読みたい本を夕凪亭に持ってくると本棚の外に溢れるので、意を決して二階に戻す。寒いのでなかなか本棚の元あったところまで戻らない。畳の上に積まれている。相対論関係はまだまだたくさんあって本棚からはみ出ているし、いろんな所に分散している。整理しなければ。
相対論の次に関心をもっているのが量子論。とは、言っても前期量子論を経て、波動方程式による量子力学の完成まで。化学結合論と分子軌道論のほうへ私の関心は向かったので、その後の量子電磁気学や物理への応用からは離れる。前期量子論については、東海大学から「古典物理学論文叢書」というのが出ていて、たいていのところがカバーされている。量子力学については、「波動力学論文集」(シュレーディンガー選集1)にあるが、行列力学はハイゼンベルグの原論分を読むしかない。不確定性原理については、世界の名著に翻訳がある。
 
2011年3月15日。木曜日。雨後晴れ。
「審判」第八章 商人ブロック・弁護士の解約。これまた、退屈な叙述が延々と続く。
 「虐げられた人々」第四部第七章。ネリーの生い立ちを記す。パラレルな話。
「十字軍物語3」が図書館の予約でやっとまわって来たので、借りてくる。
 
2012年3月16日。金曜日。晴のち雨。
夕方から雨。
「審判」DER PROZESS フランツ・カフカ Franz Kafka 原田義人訳終わる。青空文庫/新潮文庫。
またしても未完。そして「城」と同じように、そこでの司法制度は語られることなく、何か巨大な権力と不合理が行われていることが示唆されるだけであるのは、残念である。だが、「城」と同様、全てが語られないところに作品の主眼があるとしたら、永遠に未完であるであろう。それ故、未完の完結である。
「虐げられた人々」第四部第八章、九章。ネリーが母が亡くなるときまでの話をする。母と祖父との凄まじい愛憎。そして、その話で反省した父のところへナターシャが帰ってくる。ここでパラレルなネリーの物語とナターシャの物語が出会う。
 
2012年3月17日。土曜日。雨後晴れ。
雨が降って気温はやや高い。でも寒い。午後にはやんで、暖かくなる。庭のピンク色の梅が美しい。今年も梅酒にスルゾー、と呼びかける。
 
「判決」DAS URTEIL フランツ・カフカ Franz Kafka、原田義人訳
よくわからない短編。父が最後に水死せよと言った。これが「判決」ということか。なぜ、そう言ったのか、なぜそう決めたのか、わからない。
 
「虐げられた人々」はエピローグ 最後の思い出、を読む。これで終わる。よくまとまった小説で、飽きることなく最後まで読むことができた。ただ、それぞれの立場を代表する登場人物の役目が明確である程度目的は達せられているのだが、これだけ人物が勢揃いしているのだから、もっともっと深く書いてもよかったのではないだろうか。あるいは、そこのところは読者の想像に任せたのであろうか。小笠原豊樹訳、新潮世界文学11、ドストエフスキー2
 
「レ・ミゼラブル」   第六編 ジャヴェル
     一 安息のはじめ .
     二 ジャン変じてシャンとなる話 迫真の対決である。
これで第六編が終わる。
昼ご飯を食べての帰りに、ギャラリーJissoで杭谷一東展を見せていただき、おいしいコーヒーをご馳走になって帰る。
ひまわりに寄ったら、隣りのマンションの入り口に杭谷一東先生の作品が・・。見ていたら先生が歩いて(おそらくお食事から戻られたのだろう)来られ、中のもどうぞということで入ると、そこはギャラリーで、本日から「杭谷一東彫刻展」が開催されていた。
先生から生い立ちや修業時代のことや芸術観などいろいろお話を伺った。帰りに春日池公園の前を通ったので、「太陽の滴」も拝見してきた。
 
 
2012年3月18日。日曜日。雨後晴れ。
午前中少し雨が降るも、午後暖かくなる。
今日は一日中家で、ごろごろ。

春らしくなった。夕食後、散歩する。

「流刑地で」IN DER STRAFKOLONIEフランツ・カフカ Franz Kafka、原田義人訳
これは、よくわからない。
「キリストのヨルカに召された少年」フョードル・ドストエフスキー、神西清訳
美しいメルヘン。
 
 
2012年3月19日。月曜日。晴れ。
暖かい。ますます春らしくなった。
「火夫」DER HEIZER、フランツ・カフカ Franz Kafka、原田義人訳
を読む。このたどたどしさは、何処からくるのだろうか。これもアレゴリーなのだろうか。それともカフカの流儀なのだろうか。
 
 
 
2012年3月20日。火曜日。春分の日。晴れ。
春分の日。よいお天気。
春のお彼岸である。おはぎをもって因島へ。墓参の後、松の剪定を少し。ほのわずかだが、高いところへ登ったのでライフベルトをする。
「最初の苦悩」ERSTES LEIDフランツ・カフカ Franz Kafka原田義人訳
サーカスのブランコ乗りがずっと高いところで暮らすのであるが、ブランコを二つにしてくれと興行主に頼んで聞き入れられるが、不安が生じる。それは何だろう。
二つのブランコに乗るということは二本の綱の上で暮らさないといけないということだろうか。
 
2012年3月21日。水曜日。晴れ。
「断食芸人」EIN HUNGERKUNSTLER、フランツ・カフカ Franz Kafka、原田義人訳
まず最初に思ったことは、こんな芸人がほんとうにいたのかということだ。それともカフカの創作だろうか。ユニークな作品である。
 
ドストエフスキー作、小沼文彦訳「二重人格」(岩波文庫)を読み始める。第一章を読む。既に病んでいる。一人の小役人が何でまたこんなに自意識過剰にならなければならないのか。
 
今日も春のような陽気。しかし、日が落ちると急激に寒くなる。六時半になってもまだ明るい。日が長くなって、日に日に夏に向かっていることがよくわかる。その前段階として、早春の花冷えである。青い空を背景に放射冷却が起こっている。思わず襟を合わせる。
 
2012年3月24日。土曜日。晴れ時々雨。風。
土曜日。昨日は一日中雨。今日も少し降るが、晴れれば暖かい。午後、風が出てくる。でも、季節は確実に春。さくらんぼの花が咲き出した。
因島へ。野山は春一杯。松の剪定。剪る先から伸びてくる。
塩野七生「十字軍物語3」の第1章 獅子心王リチャードと第三次十字軍を読む。エルサレムの奪還までには至らなかったがよく善戦し、講和条約を結んで帰る。
「二重人格」は第二章まで。病的なまでに歪んでいる主人公。
 
2012年3月25日。日曜日。晴れ。
晴れているのに寒い日だった。梅が散り始めた。

「十字軍物語3」第二章ヴェネチア共和国と、第四次十字軍を読む。奇妙なことにこの十字軍はイスラム軍と戦うことなく、ヴェネチアを利することだけで終わった。かといって、ヴェネチア共和国が狡猾だったわけではない。人数も減り、契約金すら払えないフランス諸侯の十字軍側もそうせざるを得なかったのである。

「十字軍物語3」第三章ローマ法王庁と、第五次十字軍を雄yむ。ナイルデルタの東の良港ダミエッタの攻防である。有利な条件で講和をしておけばエルサレムも取り戻せたのに、法皇代理の枢機卿ペラーヨのプライドはそれを許さなかった。結果としてナイル河の水攻めに十字軍側は惨敗して、撤退した。

「十字軍物語3」第四章皇帝フリードリッヒと、第六次十字軍を読む。ローマ法王から破門されるが、フリードリッヒ二世は戦わずしてエルサレムを奪還して平和裏に帰国する。名君である。

「十字軍物語3」第五章フランス王ルイと、第七次十字軍を読む。これほど悲惨な十字軍はない。完全敗北である。それもルイ九世という、無能の王が総大将だった故にある。

「十字軍物語3」第六章最後の半世紀を読む。第七次で悲惨な敗退をしたルイ九世が二十年後にカルタゴまで行って、当然のように敗退する。これが第八次十字軍で最後。また、その後アッコンが陥落して中東のすべてのキリスト教領土が灰燼に帰す。

「十字軍物語3」第七章十字軍後遺症を読む。フランスに帰国したテンプル騎士団の生き残りはフィリップ四世美男王の弾圧を受ける。またしても蛮族の末裔の顔が現れる。

以上で「十字軍物語3」を終わる。
 
 
2012年3月26日。月曜日。晴れ。
昨日の風はやんで、春らしい日。少し庭に出てみようという気持ちになったので、メダカ池の枯れたホテイアオイを掬って捨てた。メダカが動いているので、餌をやった。
「明暗」を読んでみたくなったので。一、二、三を読んだ。何年ぶりだろうか。
「二重人格」第三章。これがまた、よくわからない。わからない行動をする人物を描いているのだから、わからないのが当然といえば当然なのだが、それにしても不可解。要するに二重人格に分裂するまでの過程ということであろうか。
「ローマ人の物語」「ローマなき後の地中海世界」そして「十字軍物語」と塩野七生さんの作品を読んできたが、「十字軍物語」は三巻目で終わったので、以前の作品に遡ってよむことにしよう。とりあえず、まとまったものがあるのでルネサンス著作集にする。まずは、「ルネサンスとは何であったのか」から。
 
2012年3月27日。火曜日。晴れ。
暖かい日だった。
「明暗」四~八を読む。少しうんざりした「道草」の幼児の養父がらみのお金の催促にくらべれば、こちらは、実父にお金を出してもらっている身である。そういう意味では「それから」の境遇のほうに近い。「道草」よりは、読むのに楽しい。しかし、父からの送金が止まった。
「変身」は二度目であるのに、細部は忘れている。最後もどうなったのか、忘れた。二ヶ月もたって、妹が自分を支配しようとしているなどという妄想にかられる。それよりも、こういうアイデアものの小説は、その後の展開をどうするかは、難しい問題である。それだけでもカフカの力量を信じないわけにはいかない。
 
2012年3月28日。水曜日。晴れ。
さらに暖かくなった。

「明暗」九から十三を読む。昨日までのところで夫婦の話題と父のことを少しだし、今日のところで吉川という上司の奥さんを出す。彼女とは以前から面識がある親しい間柄である。こういう登場人物の出し方がうまいと思う。

筑摩版の本居宣長全集では第九巻から古事記伝である。昭和四十三年のものである。その後筑摩書房は倒産した。
 
2012年3月29日。木曜日。晴れ。
昨日以上に暖かくなった。17℃であるから、完全に春だ。ミモザの黄色い花が咲きかけていた。やっと桜も蕾がふくらむだろう。それでも、例年に比べればそうとうに遅いのではないだろうか。
「明暗」の十四から十九を読む。いよいよ手術をすることになったが、伯父のところへ行くつもりになった。ここでまた、新しい人物の登場である。
「変身」は後半になって年をとった女中だの下宿人だのが出てくる。それに家族の対応が荒っぽくなるのだが、これはあきあらかに筆の乱れである。これまで作り物としての作品であったが、ここにきて家庭のドタバタに置き換わってしまった。
 
 
2012年3月30日。金曜日。晴れ。
「明暗」二十から二十三まで。お金がないという悲哀。どうして、漱石作中の人物はいつもこう貧乏なのであろうか。額に汗して働くことがないからか。
「変身」を終わる。前半の素晴らしさに対して、後半の荒廃ははなはだしい。残念である。
20℃近くの陽気。杏子の花が咲いている。少し遅い。さくらんぼの花は満開。
 
 
 
 
今年18冊目。
高橋英郎著「三島あるいは優雅なる復讐」(飛鳥新社)。
今年19冊目。
フランツ・カフカ著、原田義人訳「審判」(青空文庫/新潮文庫)。
今年20冊目。
ドストエフスキー著、小笠原豊樹訳「虐げられた人々」(新潮世界文学11)。
今年21冊目。
塩野七生「十字軍物語3」(新潮社)