2019年7月14日日曜日

夕凪亭閑話 2014年5月

2014年5月2日。金曜日。晴れ。
例の老老介護でくたくたである。
ここ数日、多くの老人とその介護に当たる多くの人たちを見た。日常的にはよく目にするデイサービスの送迎車が象徴するように、これが日本社会の現状であろう。医療の進歩に支えられて我々の寿命は大幅に延びた。有り難いことである。しかし、反面介護に当たる人が当然のことながら不足していることであろう。そういう状況に自分も該当するのは時間の問題である。他人の生命のことはともかく、自分の生命のことに関して言えば、終末期の医療については、できれば自分の意志で拒否したいものだと思う。徒然草の中にある命長ければ恥多しというのは、必ずしも身体が動かなくなって世話をかけることを言ったのではないが、私にはそのようにも読める。ほどほどのところでピリオドを打つことが必要だろう。それにつけ、思い出すのはカミュの言葉である。Albert CAMUS はLE MYTHE DE SISYPHE. Essai sur l’absurde. でIl n'y a qu'un probleme philosophique vraiment sérieux : c'est le suicide. (真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。全集p.82清水徹訳)と書いている。これまた、文脈では人生に直面しての話で、老人の延命治療を拒否するような場面のことではない。しかし、私にとっては、ある年齢以降の人生が生きるに値するかどうかということは「真に重大な哲学上の問題」である。
 
淺野順一「モーセ」(岩波新書)。旧約聖書の世界で。歴史上過去からABCと時間は流れたとしよう。Cの時点で、歴史的なBの時のことを記録するのにAの時点で誰かが予言していたことであると記録しようとする国民性があったのではないか。すなわち、多くの出来事が、偶然ではなく必然であったと信じたがる国民であったと思う。それが旧約の世界に対する私の思い。また神が数も少なく力のないヘブル人を選んだ(p.186-187)については、「選んだ」といっても神もヘブル人も同一の宗教上の概念である。他の宗派の神が特に選んだとでもいうのでなければ「選んだ」ということを議論しても仕方がないと思う。とはいえ、信者の方が聖書を解釈する訳であるから、異教徒の私が違和感を抱いたからと言って、何ら問題にもならないことではある。
 
 
2014年5月3日。土曜日。晴れ。
朝から、新釈漢文大系の論語、講談社学術文庫で鎌田茂雄の「法華経を読む」、プラトン全集で「饗宴」、新共同訳で「ルカによる福音書」、日本の名著で鈴木大拙の「日本的霊性」。ということで選択と集中の第1グループを少しずつ読む。以上、近況に換えて。そして今日も、Keep my head clear!
 
 
2014年5月9日。金曜日。晴れ。
26℃近くまで気温が上がった。初夏を思わせる気候。
サポートの終わったXPの代わりにするようにと、息子からMacBook Airが送られてきた。Proのほうを桔梗さんにゆずり、こちらを愛用することにしよう。小さくて外出にも便利だ。
先日見たリハビリでは、お年寄りが林檎の歌をみんなで歌っていた。記憶を呼び出すことが必要なのであろう。確かに脳を使うことにはなる。私らの世代になると、これが美しい十代とか高校三年生になるのだろうな、と思いながらも、ふと、果たしてこれらの歌詞が正しく書けるか?と思うと同時に書けないと悟った。既に老化が始まっているのだ。考えてみれば般若心経だって源氏や平家、徒然などの冒頭のいくらかは、かつてすらすらと出たのが、今ではほんの数行で記憶は曖昧になる。認知症とは言わないだけで、似たようなものだ。これではいけない。かつて覚えたものを中心に脳を使うことを訓練しなければいけない。
私家版のアンソロジーを準備すればよいのだ。もちろん市販の書物の中にそれに準じたものがあればよいが。
まず、千曲川旅情の歌。と言っても、やさしい、「小諸なる古城のほとり」から。
 
「小諸なる古城のほとり」  島崎藤村
 
小諸なる古城のほとり          雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず          若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る
 
あたゝかき光はあれど          野に満つる香(かをり)も知らず
浅くのみ春は霞みて           麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか           畠中の道を急ぎぬ
 
暮行けば浅間も見えず          歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の           岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて       草枕しばし慰む
                                                -落梅集-
                             
それぞれの語句は記憶に残っていてもその順序が難しい。しいて言えば、朝から夕暮れへと時間的な流れが順に述べられている。とはいえそれで順序をすべて言い当てるわけにいかない。一連の三行目は「し」すなわち「しろがね」。二連は「あ」、「あ」と一行、二行が続き、「あたたかき」が先に来る。「麦の色」の麦畑の周囲の道を「旅人の群」が行くという流れ。「畠中の道を急ぎぬ」は夕暮れが近いから急ぐのであるから、そこから三連の「暮れ行けば」にはすなおに続く。草笛が歌哀しく聞こえるのは夕暮れだからここに続く。ざっと、こんなふうに順序を頭の中で関連づける。
Keep my head clear! だ!!
 
 
 
2014年5月10日。土曜日。晴れ。
朝7時に朝食。それから散歩。すこし気温は低いか。
アンソロジーというよりもメモリーボックスということで、反復暗唱すべきものの一つをのせておきます。
上平声
一東 二冬 三江 四支 五微 六魚 七虞 八斉 九佳 十灰 
十一真 十二文  十三元  十四寒  十五刪(サン) 
下平声
一先 二蕭 三肴 四豪 五歌 六麻 七陽 八庚 九青 十蒸 
十一尤(イウ) 十二侵 十三覃(タン) 十四塩  十五咸
いっとう にとう さんこう しし ごび りくぎょ・・・と覚えます。これは何かというと漢詩の同じ韻に属するグループ分けのグループ名です。
例えば、一東には、東、空、虹、桐、功、終・・などが属します。だから七言絶句の場合、起、承、結句の7文字目を同じグループに属する漢字、たとえば東、空、虹を使えば韻が合うというわけです。そして、上平声の一東韻だとわかるわけです。ですから、まずこの30グループ名を頭に入れて、それらに属する同韻の字を覚える土台とするわけです。
次はヨハネ福音書の冒頭。
In principio erat Verbum ,et Verbum erat apud Deum et Deus erat Verbum. 
Hoc erat in principio apud Deum.   VulgJoh.1.1-1.2
初めに言葉があった。そして言葉は神のうちにあった。そして言葉は神であった。これは初めに神のうちにあった。 小林標「独習者のための楽しく学ぶラテン語」(大学書林)p.12より。(一部改)。読みはローマ字読みでよいでしょう。ただし、c,qはk, vはuの発音に近くなります。新共同訳では「神とともに」になっています。
原文はPerseus Digital Libraryにもあります。
元のギリシア語では、次のようになります。
ΕΝ ΑΡΧΗ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος. 
Οὗτος ἦν ἐν ἀρχῇ πρὸς τὸν θεόν.  ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΗΝ 1.1-1.2
読みをカタカナで書いておきましょう。
エン アルケー エーン ホ  ロゴス カイ  ロゴス エーン プロス トン テオン カイ テオス エーン  ロゴス
ウートス エーン エン アルケー プロス トン テオン   (カーター イオーアンネーン)
原文はPerseus Digital Library にあります。
 
 
2014年5月11日。日曜日。晴れ。
昨夜、久々に青空文庫を見た。長岡半太郎「アインシュタイン博士」を読む。
源氏物語の冒頭の覚え直し。
原文は何でもよいのですが、最近は大島本が中心のようですので、小学館のや、岩波だったら新古典文学大系などがよいでしょう。新潮日本古典集成も大島本によっているので、これにしましょう。
 いづれの御(おほむ)時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉(そね)みたまふ。同じほど、それより下臈(げらふ)の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思(おも)ほして、人のそしりをもえ憚(はばか)らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
同じような原文はこちらから。
長いので前半と後半に分けて覚えましょう。
 
 
2014年5月13日。火曜日。晴れ。
昨日の月曜日は昼前から雨。そして今日は快晴。鶯の声が夏声に変わっていっています。さくらんぼが熟れ、梅や杏の実が青々と大きくなっています。「法華経を読む」はもう少しというところ。せっかくだから最後まで読んでおきましょう。
さて、次の記憶への旅は、ニーチェです。
「ツァラトゥストラはこう語った」は中央公論社の世界の名著で買って読みました。1969年11月29日と買った日付が書かれています。私に勧めてくれた友人が二人もいましたから、田舎の高校でしたが、今から思えば幸運だったというべきでしょう。手塚富雄さんの訳は「ツァラトゥストラ」という題です。名訳でしょう。美しい日本語です。冒頭のところは何度も読んで覚えました。原文は後にレクラム文庫を買いましたが、今ではネット上にあります。
Friedrich Wilhelm Nietzsche  
Also sprach Zarathustra  
Ein Buch für Alle und Keinen
Erster TheilZarathustra's Vorrede.
1
Als Zarathustra dreißig Jahr alt war, verließ er seine Heimat und den See seiner Heimat und ging in das Gebirge. Hier genoß er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahr nicht müde. Endlich aber verwandelte sich sein Herz, – und eines Morgens stand er mit der Morgenröte auf, trat vor die Sonne hin und sprach zu ihr also:
  »Du großes Gestirn! Was wäre dein Glück, wenn du nicht Die hättest, welchen du leuchtest!
 Zehn Jahre kamst du hier herauf zu meiner Höhle: du würdest deines Lichtes und dieses Weges satt geworden sein, ohne mich, meinen Adler und meine Schlange.
 
 
ツァラトゥストラ
-万人にあたえる書、何びとにもあたえぬ書
第一部
ツァラトゥストラの序説
1
ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、自分の故郷と故郷の湖を捨てて、山にはいった。そこでかれはおのが精神の世界に遊び、孤独をたのしんで、十年間倦むことがなかった。しかし、ついにかれの心に変化が起こった。-ある朝、かれは空を染める紅(くれない)とともに起(た)ちあがり、日の前に歩み出、日にむかってこう語った。
「おまえ、偉大な天体よ。おまえの幸福もなんであろう、もしおまえがおまえの光を注ぎ与える相手をもたなかったならば。
十年間、おまえはこの山に立ちのぼって、私の洞窟を訪ねた。もしそこに私の鷲と蛇とがいなかったらなら、おまえはおまえの光とおまえの歩みとに倦み疲れたことであろう。   
手塚富雄訳、 「世界の名著46」p.59 
 
 
2014年5月14日。水曜日。曇り後雨。
鎌田茂雄「法華経を読む」(講談社学術文庫)を終わる。仏像でおなじみの多くの菩薩が出てくる。仏像故に、無口で寡黙な方々だと思っていたが、法華経の中ではなかなか雄弁である。いや雄弁どころか、法華経の説教者でもあるのだから弁論のプロなのである。構成も見事である。法華経は聖徳太子や日蓮、そして新興宗教のみならず、総合大学たる延暦寺等でも重要とされ日本の仏教の中心にあるのだそうである。
青空文庫で漱石の「行人」のうち、「友達」を読む。
 
 
2014年5月15日。木曜日。曇り時々小雨。
記憶への旅、今回は般若心経です。以前、覚えていたのですが、今では途中で分からなくなってしまいます。四国八十八カ所については二巡したわけですが、途中で般若心経を買って読み出したのがいけなかったのでしょう。今回もう一度覚えなおしましょう。これを覚えておかないと、観音経などへ進めませんので。以前は松原泰道さんの「般若心経入門」で覚えたのですが、今この本が見あたらないので、「般若心経・金剛般若経」(岩波文庫)と紀野義一「『般若心経』を読む」(講談社現代新書)を見たら、後者が新漢字になっているので、後者を引用しておきましょう。4つに分ける意味はないのですが、私流の記憶法のため便宜的に分けておきます。
 
般若波羅蜜多心経        唐三蔵法師玄奘訳
はんにゃはらみったしんぎょう  とうさんぞうほうしげんじょうやく
 
観自在菩薩。 行深般若波羅蜜多時。 照見五蘊皆空。 度一切苦厄。 舍利子。 
色不異空。 空不異色。 色即是空。 空即是色。 受想行識亦復如是。 
かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく しゃりし
しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ
 
舍利子。 是諸法空相。 不生不滅。 不垢不浄。 不増不減。 是故空中。 無色。 
無受想行識。 無眼耳鼻舌身意。 無色声香味触法。 無眼界。 乃至無意識界。
しゃりし ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう むしき 
むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう むげんかい ないしむいしきかい
 
無無明。 亦無無明尽。 乃至無老死。 亦無老死尽。 無苦集滅道、 無智亦無得。 以無所得故。 
むむみょう やくむむみょうじん ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ
 
菩提薩埵。 依般若波羅蜜多故。 心無罣礙。 無罣礙故。 無有恐怖。 遠離[一切]顛倒夢想。 究竟涅槃。 
三世諸仏。 依般若波羅蜜多故。 得阿耨多羅三藐三菩提。 故知般若波羅蜜多。 
是大神呪。 是大明呪。 是無上呪。 是無等等呪。 能除一切苦。 真実不虚故。 説般若波羅蜜多呪。 
即説呪曰。
 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若波羅蜜多心経
ぼだいさった えはんにゃはらみったこ しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん 
さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった 
ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ のうじょいっさいく しんじつふここ せつはんにゃはらみったしゅ 
そくせつしゅわつ
 ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
はんにゃはらみったしんぎょう
       
 
 
2014年5月16日。金曜日。晴れ。
また暑くなりました。
記憶への旅、今回は平家物語の冒頭です。かつて「祇園精舎」のところだけは暗唱できたのですが、いつのまにか後退しております。今覚え直すといっても難しいことですので、ここに記して度々読んで、遠い記憶の片鱗に触れたいと思います。平家全文を読んだのは岩波の新日本古典文学大系のほうなのですが、暗記していたのは旧大系本のほうですので、そちらを使いたいと思います。ルビが旧大系本のほうはひらがななので親しみがもてます。
以下は両方にも異なりますが、近いものを少し変えてあります。改行は記憶のための恣意的なものです。
祇園精舍の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅(しゃら)双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の祿山、これらは皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂みをきはめ、諌をも思ひ入れず、天下(てんが)の亂れむ事を悟らずして、民間の愁るところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の將門、天慶の純友、康和の義親、平治の信賴、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、傳承るこそ心も詞も及ばれね。
その先祖を尋ぬれば桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿(ぎょうぶきょう)忠盛の朝臣の嫡男なり。かの親王の御子高見王無官無位にしてうせ給ぬ。
その御子高望(たかもち)の王の時、初めて平の姓(しやう)を賜て上総介(かずさのすけ)になり給ひしより忽ちに王氏を出でて人臣に列なる、その子鎮守府の将軍良望、後には國香(くにか)と改む。國香より正盛に至るまで、六代は諸國の受領たりしかども、殿上の仙籍をば未だ赦されず。
本文はUniversity of Virginiaの日本語イニシアチブにもあります。
 

2014年5月17日。土曜日。晴れ。
さくらんぼに雀が来て啄みだしたので収穫した。
記憶への旅、といっても今日はあまり古い記憶ではない。いや翻訳のほうは古いが・・。
「きょう、ママンが死んだ。」という印象的な書き出しではじまる「異邦人」を読んだのは、おそらく新潮世界文学だったから、高校のときである。手元には新潮文庫と全集があるから、三回は読んだのだろうか? もう記憶はかすかである。Gallimard のCOLLECTION FOLIOにあるが、原文はこちらにもある。
L'Etranger
Albert CAMUS (1913-1960)
Première partie
Chapitre 1
Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. J'ai reçu un télégramme de l'asile:
≪Mère décédée. Enterrement demain. Sentiments distingués.≫ Cela ne veut rien dire. C'était peut-être hier.
L'asile de vieillards est a Marengo, à quatre-vingts kilomètres d'Alger.Je prendrai l'autobus à 2 heures et j'arriverai dans l'après-midi. Ainsi, je pourrai veiller et je rentrerai demain soir.
 
 異邦人
アルベート カミュ
第一部
1
きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。
「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。 恐らく昨日だったのろう。
養老院はアルジェから八十キロの、マランゴにある。二時のバスに乗れば、午後のうちに着くだろう。そうすれば、お通夜をして、明くる日の夕方帰って来られる。        窪田啓作訳 新潮文庫p.6
今日、ママが死んだ。それとも昨日か、僕は知らない。養老院から電報がきた。《ハハウエシス」ソウシキアス」チョウイ ヲ ヒョウス》これでは何もわからない。たぶん昨日なのだろう。
養老院はアルジェから八十キロのマランゴにある。二時のバスに乗れば、午後のうちにつく。そうすれば、お通夜もでき、明日の晩帰れるだろう。       中村光夫訳 カミュ全集2(新潮社)p.7
 
さて、次は万葉集であるが、4500を越える膨大な数からどれを選ぶかは難しい。大学の国文学(4単位)で1年間習ったところは岩波文庫に印がついているが、それだけでも多い。とりあえず、その時推薦された犬養孝「万葉の旅」(教養文庫)の中から近辺のものを覚え直していくことにしよう。表記は新旧の岩波の日本古典文学大系、新潮古典集成、岩波文庫、その他の本、それにネット上のものを参考に適当に変えてある。参考までにバージニア大学のJapanese Text Initiativeにリンクしておく。
地元福山の鞆の浦のところから。 「万葉の旅」下p.72,74
 
7・1182 海人小船 帆毳張流登 見左右荷 鞆之浦廻二 浪立有所見    作者未詳
海人小舟(あまをぶね) 帆かも張れると 見るまでに 鞆の浦廻(うらみ)に 波立てり見ゆ
 
7・1183 好去而 亦還見六 大夫乃 手二巻持在 鞆之浦廻乎    作者未詳
ま幸(さき)くて また還り見む 大夫(ますらを)の 手に巻き持てる 鞆の浦廻(うらみ)を
 
3・446 吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉    大伴旅人
我妹子(わぎもこ)が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人そ(ぞ)無き
 
3・447 鞆浦之 礒之室木 将見毎 相見之妹者 将忘八方    大伴旅人
鞆の浦の 磯(いそ)のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも
 
3・448 礒上丹 根蔓室木 見之人乎 何在登問者 語将告可    大伴旅人
磯の上に 根延(ば)ふむろの木 見し人を いづらと問はば 語り告げむか
 
 
2014年5月18日。日曜日。晴れ。
新共同訳で「ルカによる福音書」を終わる。
記憶への旅。次は論語である。論語は主として新釈漢文大系に近づけておきます。原文はChines Text Project にもあります。
 
子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。
Zǐ yuē, xué ér shí xí zhī, bù yì shuō hū. Yǒupéng zì yuǎnfāng lái, bù yì lè hū. Rén bùzhī ér bù yùn, bù yì jūnzǐ hū.
子曰く、学びて時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋遠方より来たる有り、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや。
 
有子曰、其為人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其為仁之本與。
Yǒu zǐ yuē, qí wéi rén yě xiàodì, ér hǎo fànshàng zhě, xiān yǐ. Bù hǎo fànshàng, ér hǎo zuòluàn zhě, wèi zhī yǒu yě. Jūnzǐ wù běn. Běnlì ér dàoshēng. Xiàodì yě zhě, qí wèi rénzhī běn yǔ.
有子(ゆうし)曰く、その人と為りや、孝悌にして上を犯すことを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずして乱を作(な)すことを好む者は、未だこれ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝悌なるものは、其れ仁の本為(た)るか。
 
子曰、巧言令色、鮮矣仁。
Zǐ yuē, qiǎoyánlìngsè, xiān yǐ rén.
子曰く、巧言令色、鮮ないかな仁。
 
曾子曰、吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。
Céng zǐ yuē, wú rì sān xǐngwú shēn. Wéi rén móu ér bù zhōng hū. Yǔ péngyǒu jiāo ér bùxìn hū. Chuán bù xí hū.
曾子曰く、吾日に吾が身を三省する。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交りて信ならざるか。習わざるを伝えしかと。
 
 
2014年5月19日。月曜日。晴れ。
記憶への旅。カミュの「シーシュポスの神話」は「異邦人」の哲学的解説書とも言われております。
まずは冒頭の有名な言葉から。
Le mythe de Sisyphe.  Essai sur l'absurde. (1942)
Un raisonnement absurde
L'ABSURDE ET LE SUICIDE
Il n'y a qu'un probleme philosophique vraiment sérieux : c'est le suicide. Juger que la vie vaut ou ne vaut pas la peine d'être vécue, c'est répondre a la question fondamentale de la philosophie.
A.Camus, Le mythe de Sisyphe,Gallimard,Collection Folio,p.17
シーシュポスの神話
不条理な論証
不条理と自殺
真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることである。
清水徹訳 カミュ全集2p.82
 
「シーシュポスの神話」で思い出すのは大学に入った年に履修した論理学(4単位)である。私たちの時代には教養課程とかいうものがあって、専門科目は極めてわずかしか履修できなかった。ここで私の人生は大きく躓いた。大学に入ったものの全く勉強をする気がなくなったのである。それはともかくとして、人文系科目何単位とかいうのが進級あるいは卒業に必須ということだった。嫌でも履修取得せざるを得ない。単位の取りやすいという評判のものを選ぶことにした。そのひとつが門秀一先生の「哲学」だった。しかし、これは希望者が多く履修できなかったので、同じ門先生の「論理学」のほうを履修した。内容は「哲学」と変わらないということだった。門先生は講義の中で二冊の本の出版を予告宣伝された。「不条理の哲学」と「愛の哲学」(ともに創文社)である。前者の中扉にカミュの引用があるので、それを写して原文も添えておく。
 
「(それゆえ)知性は(また)知性の流儀で、この世界は不条理である、とわたしに告げる。」
「世界が不条理であると、わたしは云ったが、わたしはあまりに急ぎすぎていた。
 この世界は、それ自身においては、理性化しうるところのものではない。
 これこそ人が世界について云いうるすべてである。」
門秀一「不条理の哲学」(創文社)p.1、一部改
L'intelligence aussi me dit donc à sa manière que ce monde est absurde.    p.38 
Je disais que le monde est absurde et j'allais trop vite.
Ce monde en lui-même n'est pas raisonnable, c'est tout ce qu'on en peut dire.   p.39 
A.Camus, Le mythe de Sisyphe,Gallimard,Collection Folio
 
同じところの清水徹訳では次のようになっている。
知力もまたそれなりのやり方で、この世界は不条理だとぼくに語りかけてくるのである。
世界は不条理だとぼくは何度も語った、ぼくは言葉をいそぎすぎたようだ。この世界はそれ自体としては人間の理性を超えている。-この世界について言えるのはこれだけだ。
清水徹訳 カミュ全集2p.98
 
 
 
2014年5月20日。火曜日。曇り時々晴れ。夜雨。
昼頃からどんより曇り今にも降りそうな気配ではあるが・・・。
記憶への旅。さて、次は「更級日記」の冒頭である。これは覚えにくいが、しかし覚える価値はある。というのはこの冒頭にして全編の主題が書き尽くされているように私には思えるのである。これは岩波文庫に近い形の物を載せておきましょう。
あづま路の道のはてよりも、なほ奥つかたに生ひ出たる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめける事にか、世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼ま、宵ゐなどに、姉継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光る源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらに、いかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏をつくりて、手あらひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多く候ふなる、あるかぎり見せ給へ」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。
 
 
2014年5月21日。水曜日。快晴。
雨上がりの見事な天気。風がときどき強かった。夕陽も素晴らしかった。
小田垣雅也「キリスト教の歴史」(講談社学術文庫)を終わる。世界の思想史の中のキリスト教史であるから、なかなか内容は複雑である。ドストエフスキーのところはわかりやすかった。当時の文化人は西欧主義者とスラブ主義者に分かれていた。前者は唯物論、実証主義、無神論、反帝政ロシアであり、ドストエフスキーは後者に属し、ロシア正教の根ざす土着文化を尊重する。ギリシア正教は西方教会の二元論と異なり一元論である。すなわち神人theanthropyという概念で神を理解する。この立場でヨーロッパのニヒリズムを超えようとするものである。神-人一元論ということは仏教とも通ずる。人にして仏である。人間を超えた仏が存在するのではない。このことではないかと思うが、著者は「東洋思想との対話の可能性すら暗示している」(p.237)と書いている。そして神人の代表としてアリョーシャ(「カラマーゾフの兄弟」)、ソーニャ(「罪と罰」)、ムイシュキン侯爵(「白痴」)がおり、神を見失い破滅するのがキリーロフ(「悪霊」)、イワン(「カラマーゾフの兄弟」)などである。「カラマーゾフの兄弟」を和辻哲郎が「現代の聖書」だというのも、うなずける。
 
記憶への旅。今日は過去ではなく未来へ。「般若心経」も、記憶がかなり甦ってきたので次は「観音経」である。「観音経」というのは「法華経」の二十五品のことである。品 というのは章だと思えばよい。二十四品に出てくる妙音菩薩は三十四変化するが、観音菩薩は三十三変化である。それ故に西国三十三観音巡りというのだろうか。そしたら番外寺を入れると重なってしまうが。それはともかく、私の郷里の白滝山は観音山とも呼ばれ瀬戸内海を背景にした岩の上に五百羅漢をはじめとした石仏で賑わっている。観音信仰の根は深い。松原泰道「観音経入門」(祥伝社)の14、15頁に全文が振り仮名付きで載っているので少しづつ覚えよう。26節ありますので、上掲書にならって番号を打っておきましょう。まず、5節までです。お急ぎの方はこちらからどうぞうぞ。
妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(観音経)
1.世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音
 せそんみょうそうぐ がこんじゅもんぴ ぶつしがいんねん みょういかんぜおん
2.具足妙相尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善応諸方所
 ぐそくみょうそうそん げとうむじんに にょちょうかんのんぎょう ぜんのうしょほうじょ
3.弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願
 ぐぜいじんにょかい りゃつこうふしぎ じたせんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん
4.我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦
 がいにょりゃくせつ もんみょうぎゅうけんしん しんねんふくうか のうめつしょうく
5.假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池
 けしこうがいい すいらくだいかきょう ねんぴかんのんりき かきょうへんじょうち
 
源氏・桐壺は「世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。」まで覚えましたので、次へいきましょう。
 
上達部(かむだちめ)、上人(うへびと)なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、あしかりけれ」と、やうやう天(あめ)の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。
  ここまでが第1段落のようです。
 
 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたてて、はかばかしき後見しなければ、ことある時は、なほより所なく心細げなり。
  そして、ここまでが第2段落。
 
 
2014年5月22日。木曜日。晴時々曇り。
サンデー毎日の生活を送り、なおかつテレビドラマなるものは見ないので、曜日の感覚が次第に薄れていく今日この頃である。桔梗さんにこのことを言うとゴミを出すのに曜日をきちんと覚えておかないといけないから忘れることはないとのことであった。ということで、私もごみの分別収集と関連づけて曜日を覚えることにしよう。今日は、木曜日なので燃えるゴミの日である。
 
記憶への旅。藤村の「小諸なる古城のほとり」はもう一つの「千曲川旅情の歌」(別名「千曲川のほとりにて」)と合わさって、「千曲川旅情の歌 一」となった。その「千曲川旅情の歌」すなわち、現在の「千曲川旅情の歌 二」も覚えておこう。そして「小諸なる古城のほとり」と同様二句を一行に書く。
 
千曲川旅情の歌 島崎藤村
 
昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく) 明日をのみ思ひわづらふ
 
いくたびか榮枯の夢の 消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば 砂まじり水卷き歸る
 
嗚呼古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ 百年(もゝとせ)もきのふのごとし
 
千曲川柳霞みて 春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ
(落梅集)
 
次は「奥の細道」。芭蕉の俳文はたいていのものを若い頃に読んだが、繰り返して読むのは「奥の細道」ぐらいである。これは例の「第二芸術論」などの影響が大きいと思う。
テキストはやはり1997年の「芭蕉自筆 奥の細道」(岩波書店)に合わせたいが、ルビは煩雑になるので適宜省略する。
 
奥の細道  芭蕉
 
月日は百代(はくだい)の過客(くわかく)にして、行(ゆき)かふ年も又旅人也。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず、海浜にさすらへて、去年(こぞ)の秋江上の破屋に、蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春改れば、霞の空に、「白川の関越えむ」と、そゞろがみの、物に付(つき)てこゝろをくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず、もゝひきの破をつゞり、笠の緒付かへて、三里に灸すうるより、松嶋の月、先(まづ)心もとなし。住める方は人に譲りて、杉風(さんぷう)が別墅(べつしよ)に移るに、
  草の戸も住みかはる代(よ)ぞ雛の家
面(おもて)八句を書きて、庵の柱に懸置(かけおく)。
 
 
2014年5月23日。金曜日。晴れ。
今年の夏は冷夏だそうであるが、今のところ初夏は順調に進んでいる。
斎藤忍随「プラトン」(岩波新書)を読む。手頃な入門書だと思っているが、ますますプラトンがわからなくなった。やはり文学的な印象で読んでいるが、哲学なんだと思い知らされた。
 
記憶への旅。そろそろ徒然草も出しておきましょう。テキストは岩波文庫。それに新潮日本古典集成、さらに新旧の日本古典文学大系なども見ましょう。
 
序段
つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事(ごと)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
第一段
 いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かめれ。
 御門の御位は、いともかしこし。竹の園生の、末葉まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。一(いち)の人の御有様はさらなり、たゞ人(びと)も、舎人など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下(しも)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。
 法師ばかり羨ましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。いきほひまうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀ひじりのいひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御をしへに違ふらんとぞおぼゆる。ひたふるの世すて人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。
 人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うちいひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉おほからぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、こころ劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。
 しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才(ざえ)なく成りぬれば、しなくだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意(ほい)なきわざなれ。
 ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、また、有職(いうそく)に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走りかき、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそをのこはよけれ。
 
次に、漢詩も順不同で並べておきましょう。
春曉   孟浩然
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
Chūnxiǎo   mènghàorán
Chūnmián bù jué xiǎo
Chùchù wén tíniǎo
Yèlái fēngyǔ shēng
Huā luò zhī duōshǎo
春眠暁を覚えず
処処に啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少ぞ
 
 
絶句   杜甫       
江碧鳥逾白         
山青花欲然         
今春看又過
何日是歸年
Juéjù   dùfǔ
Jiāng bì niǎo yú bái
Shān qīnghuā yù rán
Jīnchūn kàn yòuguò
Hé rì shì guī nián
江は碧にして鳥いよいよ白く
山は青くして花然(も)えんと欲す
今春みすみすまた過ぐ
いずれの日かこれ帰年(きねん)ならん
 
 
2014年5月24日。土曜日。晴れ。
日なたは暑く、日かげは涼しい、初夏の日です。紀野一義「『般若心経』講義 上」(埼玉福祉会)を終わった。観自在菩薩というのと観音菩薩は同じで、前者が玄奘訳、後者が鳩摩羅什訳とのことらしい。
記憶への旅。「千曲川旅情の歌 二」も頭に入ったので、つぎに進めましょう。藤村詩集もよいのですが、趣を変えて、立原道造にしましょう。手元にある角川文庫と岩波文庫の「立原道造詩集」の両方の冒頭にある「はじめてのものに」から。
萱草に寄す 立原道造
SONATINE
 No.1
 はじめてのものに
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた
 
その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた (その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ聲が溢れてゐた
 
― 人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
 
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
 
次は、トルストイの「アンナカレーニナ」の有名な冒頭です。映画でも文章が写し出されます。「アンナカレーニナ」も「戦争と平和」も終わりまで読むということを、私の人生の目標から除外して、既に何年か経っていますが、今でも時々は河出の文学全集を開いて、気の向いたところを読んでいます。最後まではいかないでしょう。
 
Лев Николаевич Толстой
Анна Каренина.  
ЧАСТЬ ПЕРВАЯ チェース ペルヴァヤ
 
I
Все  счастливые  семьи  похожи  друг  на друга,  каждая  несчастливая семья несчастлива  по-своему.
Vse schastlivye sem'i pokhozhi drug na druga, kazhdaya neschastlivaya sem'ya neschastliva po-svoemu.
 
レフ トルストイ
アンナ・カレーニナ 中村白葉訳
第一編
幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが,不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。
 
そして、これに続いて
 
Все смешалось в доме Облонских.
Vse smeshalos' v dome Oblonskikh.
オボロンスキイ家では何もかもが乱脈をきわめていた。
 
と続きます。
英訳では、次のようになっています。
Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.
Everything was in confusion in the Oblonskys' house.
 
続いて、漢詩です。やはり漢詩は高校で出てきたものぐらいは全て暗記しておきたいものです。
 
江南春絶句   杜牧
千里鶯啼綠映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少樓臺煙雨中
Jiāngnán chūn juéjù     dùmù
Qiānlǐ yīng tí lǜ yìng hóng
Shuǐ cūnshān guōjiǔqí fēng
Nán zhāo sìbǎi bāshí sì
Duōshǎo lóutái yānyǔ zhōng
千里鴬啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗の風
南朝四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
多少の楼台煙雨の中(うち)
 
江雪  柳宗元
千山鳥飛絶
萬徑人蹤滅
孤舟蓑笠翁
獨釣寒江雪
Jiāng xuě   liǔ zōng yuán
Qiān shānniǎo fēi jué
Wàn jìng rén zōng miè
Gū zhōu suōlì wēng
Dú diào hán jiāng xuě
千山鳥飛ぶこと絶え
万径人蹤(じんしょう)滅す
孤舟蓑笠(さりゅう)の翁(おう)
独り釣る寒江の雪
 
 
 
 
2014年5月25日。日曜日。晴れ。
記憶への旅。近松の名文はやはり日本語の極致でしょう。有名な「曽根崎心中」の道行はかなり後のところに出てきます。手元にある旺文社文庫の「近松世話物語集」は左頁が現代語訳で読みやすいのですが、42頁からです。長いのでごく一部を載せておきましょう。少し本文とは変えてあります。特に句読点は、原文にはないものでしょうから、つけないほうがいいのかも知れませんが、便宜上。
この世の名残り、夜も名残り。死に行く身をたとふればあだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く。夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の、鐘の響きの聞きをさめ。寂滅為楽(じゃくめつゐらく)と響くなり。鐘ばかりかは、草も木も空も名残りと見上ぐれば、雲心なき水のおと、北斗は冴えて影うつる星の妹背の天の河。梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りていつまでも。われとそなたは女夫星。必ず添ふとすがり寄り、二人がなかに降る涙、川の水嵩もまさるべし。
 
 
2014年5月26日。月曜日。雨時々曇り。
小雨が降ったり止んだりの一日。午後一時よく降った。
ホトトギスの声を聞く。どういうわけか雨の日にホトトギスはよく鳴く。
記憶への旅。啄木の短歌は高校一年のときかなり覚えていたように思う。特に「一握の砂」は中央公論の「日本の詩歌」ではじめから覚えていっていたのだが、これも既に忘却の彼方に霞んでいる。序文は省略。それに振り仮名も妙に懐かしいが、煩雑なので普通に読めるものも省略。
一握の砂
我を愛する歌
 
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
 
頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
 
大海(だいかい)にむかひて一人
七八日
泣きなむとすと家を出でにき
 
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに
 
ひと夜(よ)さに嵐来りて築きたる
この砂山は
何(なに)の墓ぞも
 
砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
 
砂山の裾によこたはる流木に
あたり見まはし
物言ひてみる
 
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
 
しっとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
 
大という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり
 
2014年5月27日。火曜日。晴れ。
竹下節子「ローマ法王」(ちくま新書)終わる。これもローマ法王を中心としたヨーロッパの歴史。
西田幾多郎「読書」(青空文庫)読む。
記憶への旅。次は、方丈記。方丈記は、最初に通読したのは川瀬一馬訳注の講談社文庫だ新日本古典文学大系とかで読んだが、今回は新潮古典集成なども合わせて適当に変えておきましょう。特に振り仮名、句読点も少し変える。
 ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごと。
 たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ甍を爭へる、高きいやしき人の住ひは、世々を經て、盡きせぬ物なれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或(あるい)は、去年(こぞ)焼けて今年つくれり。或は大家(おおいへ)滅びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。所も変わら、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わずかにひとりふたりなり。
 
次は道元の正法眼蔵。古典文学大系と岩波文庫では岩波文庫が新しくてよいでしょう。現代語訳は日本の名著にあります。
弁道話
諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿褥菩提(あのくぼだい)を証するに、最上無為の妙術あり。これただ、ほとけ仏にさずけてよこしまなることなきは、すなわち自受用三昧、その標準なり。
この三昧に遊化(ゆけ)するに、端坐参禅を正門(しょうもん)とせり。この法は人人(にんにん)の分上にゆたかにそなわれりといえども、いまだ修せざるには現れず。証せざるにはうることなし。
 
2014年5月28日。水曜日。晴れ。
青空文庫で漱石「行人」の「兄」終わる。
紀野一義「『般若心経』講義 下」(埼玉福祉会)終わる。
記憶への旅。次は「枕草子」です。枕草子は高校の時よく読みましたが、せっかくは覚えているものを頭の中で眠らせておくのはもったいないので、思い出したりさらに覚えていくことにしましょう。老化防止のため。というのは清少納言はあまり好きでないのです。「紫式部日記」に悪く書いているからというだけではなく、才にまかせて書いているような感じが・・・・。しかし、清少納言はやはり才女で、日本の才女ベスト5には入るでしょうね。現代語訳は、橋本治さんの「桃尻語訳 枕草子」がお勧めです。テキストはいろいろありますが、どれということなく、いろいろ取り混ぜて、書き直しておきます。
一段
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
 
秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。

冬は、つとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。




久々に漢詩を挙げておきましょう。
竹里館  王維
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照
Zhúlǐ guǎn   wángwéi
Dú zuò yōu huáng lǐ
Tánqín fù chángxiào
Shēnlín rén bùzhī
Míngyuè lái xiāng zhào
独り坐す、幽篁(ゆうくわう)の裏(り)
琴を弾じ復た長嘯す
深林人知らず
明月来たりて相照らす
 
黄鶴樓送孟浩然之廣陵  李白
故人西辭黄鶴樓
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空盡
唯見長江天際流
Huáng hè lóu sòng mènghàorán zhī guǎnglíng      lǐbái
Gùrén xī cí huáng hè lóu
Yānhuā sān yuè xià yángzhōu
Gū fān yuǎn yǐng bìkōng jǐn
Wéi jiàn chángjiāng tiānjì liú
黄鶴楼に孟浩然の広陵に之くを送る
故人西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆(こはん)の遠影 碧空に尽き
唯見る長江の天際に流るるを
 
2014年5月29日。木曜日。晴れ。
暑い日であった。初夏が終わって夏になった。ホトトギスも元気よく鳴いている。鴬、雉の勢いがやや衰えたか・
鈴木照雄訳「饗宴」(プラトン全集5)を終わる。
記憶への旅。「古事記」の序文の訓読は他の書物との比較をせずに、はじめのほうを岩波文庫の訓読で覚えてから、しばらくして他の本を見て、読み方が異なるのに驚いたものだ。しかし、比較検討するのも面倒だから、岩波文庫に従っておこう。青空文庫にもある角川文庫版でも悪くはないと思う。
臣安萬侶言。夫混元既凝。氣象未效。
(しん)安萬侶(やすまろ)言(まを)す。それ混元既に凝りて、氣象いまだ
無名無爲。誰知其形。
名も無く 爲 ( わざ )も無し。誰れかその形を知らむ。
然乾坤初分。參神作造化之首。陰陽斯開。二靈爲群品之祖。
(しか)れども、乾坤初めて分れて、參神造化の首(はじめ)と作(な)り、陰陽ここに開けて、二靈群品の祖(おや)となりき。
 
次いで漢詩。
元二使安西    王維 
渭城朝雨浥輕塵
客舎靑靑柳色新
勸君更盡一杯酒
西出陽關無故人
Sòng yuán èr shǐ ānxī       wángwéi
Wèichéng cháo yǔ yì qīng chén
Kèshe qīng qīng liǔsè xīn
Quàn jūn gèng jǐn yībēi jiǔ
Xī chū yáng guān wúgù rén
元二の安西に使いするを送る      王維
渭城の朝雨軽塵を浥(うるお)す
客舎(かくしゃ)青青柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人無からん
 
春夜       蘇軾
春宵一刻値千金
花有淸香月有陰
歌管樓臺聲寂寂
鞦韆院落夜沈沈
Chūn yè     sūshì
Chūnxiāo yīkè zhí qiānjīn
Huā yǒu qīng xiāng yuè yǒu yīn
Gē guǎn lóutái shēng jí jí
Qiūqiān yuànluò yè chénchén
春宵一刻値千金
花に清香有り月に陰有り
歌管楼台声寂寂(せきせき)
鞦韆院落夜沈沈
 
 
2014年5月30日。金曜日。晴れ。
今日も暑い一日だった。新共同訳で「ヨハネによる福音書」終わる。
記憶への旅。今日は「存在と時間」から。
若い頃、実存主義を理解するにはハイデガーの「存在と時間」を読まなければならないと思っていて、後に幻想だったことがわかった。岩波文庫も世界の名著にも当たってみたがよくわからない。原文ではどうだろうかと思って買ってみたが、益々わからなくなった。どうやらハイデガーという人は若い頃アリストテレスを研究したということだし、フッサールの弟子であったが、ブリタニカ用の現象学の解説で、フッサールの修正を拒否して、袂を分かったということである。だから、「存在と時間」はアリストテレスまで視野に入れた現象学的存在論だと思えばよいのかもしれない。どこをとってもなまこのようで掴みどころがないのだが、簡単な文章を取り出してみよう。
二、「存在」という概念は、定義することができない。このことは、その概念の最高の普遍性から推論されます。    岩波文庫(桑木努訳)、上p.20
2 「存在」という概念は定義不可能である。このことはこの概念の最高の普遍性から推論された。   世界の名著(原祐、渡辺二郎訳)、p.63
2. Der Begriff  Sein  ist undefinierbar.  Dies schloß man aus seiner höchsten Allgemeinheit.      Sein und Zeit ,Achtzehnte Auflage, S.4
 
ついで、空海です。まず日本の名著にある「三教指帰」から。福永光司さんの徹底的な注釈を読むのもよいだろう。なお、中公クラッシックとしても出版されている。
三教指帰 序

文之起、必有由。文の起るや、必ず由(よし)有り。

天朗則垂象、人感則含筆。天朗なれば則ち象(しょう)を垂れ、人感ずれば則ち筆を含む。

是故鱗卦篇、周詩楚賦 、動乎中、書于紙。是の故に鱗卦(りんか)篇、周詩と楚賦 、中(うち)に動いて、紙に書す。

雖云凡聖殊貫、古今異時、人之寫憤、何不言志。凡聖は貫を殊にし、古今は時を異にすと云ふと雖も、人の憤を寫(のぞ)き、何ぞ志を言わざる。

余年志学、就外子阿、二千石文学舅、伏膺鑽仰。余(わ)れ年志学(しがく)にして、外子の阿二千石、文学の舅に就いて、伏膺(ふくよう)鑽仰(さんこう)す。

二九遊聴槐市。拉雪蛍於猶怠。二九にして槐市(かいし)に遊聴(ゆうちょう)す。雪蛍を猶お怠るに拉(くじ)く。
 
2014年5月31日。土曜日。晴れ。
いよいよ今日で五月も終わる。慌ただしい日々が過ぎていくだけで、この夕凪亭閑話も更新が遅れた上に内容の乏しいものだった。読書だけはやや取り戻せた。論語、プラトン、聖書、仏典という四大テーマの関連書を、順繰りに読んでいるのだが、論語だけがややなおざりになった。それに青空文庫も復活した。Macなので一太郎が使えないので、青空文庫はhtmlかtextをダウンロードし、テキストエディターで読む。栞をつけるような面倒なことはしないので、読んだところから消していくというやり方である。記憶への旅は、昔読んだり覚えていたりしたものや、中途半端なままであるものを、中途半端なまま甦らせようというもので、私流の老化防止対策のひとつである。それはまた,仲宗根美樹の歌う、私の「錆びついた夢のかずかず」で、潤滑油をもとめる失われた時への旅でもある。
記憶への旅。ドストエフスキイの文章は風景描写も乏しく、私好みではないが、それでも内容は再々読む価値はある。「白夜」あたりが文章としてはいいと思うが、まずはやはり密度の濃いカラマゾフだろう。大審問官から。米川正夫訳の河出版全集を使うことにする。それに新訳の光文社古典文庫も並べてみましょう。
第五編 Pro et  Contra 
第5 大審問官
「ところでこの場合、序言をぬきにするわけにはゆかないのだ、-つまり文学的な序言さね、へっ!」とイヴァンは笑った。「どうもたいへんな作者になったもんだ!
米川正夫訳、ドストエフスキイ全集12(河出書房新社)、p.292
 
第五編 プロとコントラ 
第5 大審問官
「ただし、ここでも前置きなしってわけにはいかないんだよ、つまり書き手の序文なしってわけにはね、ちぇっ、困ったもんさ!」イワンは笑い出した。
「まるで一人前の作家きどりだもんな!
亀山郁夫訳、「カラマーゾフの兄弟2」(光文社古典文庫)、p.2.50
 
Ф.М. Достоевский
БРАТЬЯ КАРАМАЗОВЫ
КНИГА ПЯТАЯ
Pro и contra
V. ВЕЛИКИЙ ИНКВИЗИТОР. 
Ведь вот и тут без предисловия невозможно, -- то-есть без литературного предисловия, тфу! -- засмеялся Иван, -- а какой уж я сочинитель!
F.M. Dostoyevskiy
BRAT'YA KARAMAZOVY
KNIGA PYATAYA
Pro i contra

V. VELIKIY INKVIZITOR.Ved' vot i tut bez predisloviya nevozmozhno, -- to-yest' bez literaturnogo
predisloviya, tfu! -- zasmeyalsya Ivan, -- a kakoy uzh ya sochinitel'!
 
さて、ドストエフスキーの高尚なる世界からいきなり卑俗な話になって恐縮だが、私は赤胴鈴之介やら鉄人28号で育った世代であるから、ヘンシーンとかガッターイという言葉にはなんら郷愁を感じることはないのだが、そのヘンシン元祖ともいうべきカフカの「変身」は原題が、ツァラトゥストラの心に変化が起こったというEndlich aber verwandelte sich sein Herz, のverwandelteの名詞形だった。作品は何度か読んだが、後半はありきたりのサラリーマン小説のようで退屈だが、前半は素晴らしい。とはいえ、「城」「審判」の書かれざる恐怖にまさるものはない。だが「城」「審判」は漱石の「坑人」とともに二度と読まないことにしている。心拍数が上がるわけではないが、酸欠の苦しさに襲われるからである。
Franz Kafka
Die Verwandlung
Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt. Er lag auf seinem panzerartig harten Rücken und sah, wenn er den Kopf ein wenig hob, seinen gewölbten, braunen, von bogenförmigen Versteifungen geteilten Bauch, auf dessen Höhe sich die Bettdecke, zum gänzlichen Niedergleiten bereit, kaum noch erhalten konnte. Seine vielen, im Vergleich zu seinem sonstigen Umfang kläglich dünnen Beine flimmerten ihm hilflos vor den Augen.
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。
ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。
原田義人訳、河出世界文学全集、 p235
 
»Was ist mit mir geschehen?«, dachte er. Es war kein Traum. Sein Zimmer, ein richtiges, nur etwas zu kleines Menschenzimmer, lag ruhig zwischen den vier wohlbekannten Wänden. Über dem Tisch, auf dem eine auseinandergepackte Musterkollektion von Tuchwaren ausgebreitet war – Samsa war Reisender – hing das Bild, das er vor kurzem aus einer illustrierten Zeitschrift ausgeschnitten und in einem hübschen, vergoldeten Rahmen untergebracht hatte. Es stellte eine Dame dar, die mit einem Pelzhut und einer Pelzboa versehen, aufrecht dasaß und einen schweren Pelzmuff, in dem ihr ganzer Unterarm verschwunden war, dem Beschauer entgegenhob.
 
不快になるカフカと違ってヘミングウェイの文章は実にここちよい。そのせいか、文学研究者が対象とする作家の作品としては桁外れによく売れる(た)そうである。そういうことが「アメリカ文学研究」とかいうある種の教科書に書いてあった。とはいえ、新潮文庫の「老人と海」の解説にもあるように高く評価しない人もいるようだ。
 
 
 
 
 
 
今年35冊目。
淺野順一「モーセ」(岩波新書)。
今年36冊目。
鎌田茂雄「法華経を読む」(講談社学術文庫)。
今年37冊目。
小田垣雅也「キリスト教の歴史」(講談社学術文庫)。
今年38冊目。
斎藤忍随「プラトン」(岩波新書)。
今年39冊目。
紀野一義「『般若心経』講義 上」(埼玉福祉会)。
今年40冊目。
竹下節子「ローマ法王」(ちくま新書)。
今年41冊目。
紀野一義「『般若心経』講義 下」(埼玉福祉会)。
 
 
 
 
 
映画等
今年32本目。
CRYSTAL  Home