井上、P.27とp.58に併記
1946年 昭和21年
1月 御真影奉還
8月 御真影奉安庫撤去
1947年 昭和22年
3月法律第二六号により「学校教育法」公布
4月学校教育法の制定にともない、広島県御調郡重井村立重井小学校と校名変更
高等科は廃止され、重井村立重井中学校が創設され併設される
小学校および中学校発足、九年の義務となる
5月「先生と父母の会」を設立する
7月三原女子師範学校、教育実習
10月土生小学校教員、新教育(生活単元学習)実践を参観
12月重井村PTA結成 会長 岡崎紀
1948年 昭和23年
5月両親学校開設、新教育普及
7月田熊小学校職員参観のため来校
1949年 昭和24年
2月第一回新教育研究会を開催
7月広島大学三原分校教育実習
11月同校生徒地方教育実習
1950年 昭和25年
1月子ども銀行(子ども会活動)開設する 親銀行 (重井農協)
1951年 昭和26年
5月三庄小学校職員参観
8月広島大学三原分校教授池田勝人教授講演会
10月向島中央小学校職員参観
御調郡教育研究員合同視察
1952年 昭和27年
5月御調郡有道小学校職員・婦人会参観
6月御調郡原田中学校PTA参観(尾道市)
向島中央小学校職員参観
7月検定教科書展示会
10月重井村教育委員会発足
村民体育大会開催
御調郡上川辺小学校PTA参観
11月教育促進学校研究発表会開催
1953年 昭和28年 5月因島市が誕生し因島市立重井小学校と校名変更
6月子ども銀行、県農協長賞受賞
11月広島大学三原分校教育実習
1954年 昭和29年 2月両親学級研究会開催
子ども銀行大蔵大臣表彰
5月 白滝市子ども会発足
7月祝賀学芸会を開催
因島市立重井幼稚園併設
9月ピアノ開き。
9月御調郡河内小学校PTA参観
11月優良子ども銀行として全国表彰
1955年 昭和30年
1月子ども銀行因島市長賞
5月 白滝市制記念祭
6月 安松因島市長白滝市議会見学のため来校
7月三庄小学校PTA両親学級参観
8月4日〜6日上弓削にて合宿訓練
11月教育促進学校第二回研究会研究会
11月 中国新聞社より白滝市取材のため来校
11月 白滝市子供貯蓄組合大蔵大臣より全国表彰
1956年 昭和31年 1月教育促進学校第三回研究会
優良子ども会全国表彰受賞式
5月白滝市制記念祭
8月5年三原仏通寺において合宿訓練を行なう
10月 因北学童親睦体育大会を開く(5年以上)
小中高合同運動会開催 小学生776名、中学生380名因北分校200名参加
1957年 昭和32年 2月教育促進学校研究発表会
5月 白滝市制記念祭
8月仏通寺合宿訓練
9月 白滝市子供会活動を朝日放送が全国向け放送紹介
11月文部省倉沢栄吉視学官視察来校
1958年 昭和33年 6月因北学童交歓会
10月優良子ども銀行として日銀総裁・大蔵大臣賞受賞
子ども銀行因島市長表彰
金崎氏テレビ寄贈
11月白滝市文化祭を開催
1959年 昭和34年 1月重井小学校 校旗制定
2月 山陽テレビ取材のため来校
4月 因島市立重井幼稚園独立
10月校歌制定
白滝市よりテレビの寄贈を受ける。
12月 大浜小学校児童会参観のため来校
校歌のできるまで 横田徳造教頭。
今はもうおぼろになってしまった記憶で、 思い違いも多いと自戒しな
がら、書き記した事をご容赦願いたい。
私が、 三庄小学校から重井小学校へ転じた時の重井小の校長先生は、
桑原途夫先生であった。 その頃の最初のお話に、 重井小の子供達が何よ
り望んでいることに 「自分たちの校歌が欲しい。 市内の余所の学校には
あるのに、自分達にはまだない。」 と言っているのだが、 ということが
あった。 これは、戦前からのものはあったのであろうが、 新しい時代に
相応しいものとして、 新校歌を望んでいると私は受け止めた。 子供達の
願いを叶えてやりたい、 子供達の心に、 優しさと未来への希望を育むよ
うな歌声をもたせてやりたい というような事を考えた。
桑原先生のご了解のもとに、ふさわしい作詞者はと、 考えた。 思い
出せたのは、近郷に住んで居て、 中央の詩壇にも名の通っている
木下夕爾氏であった。 彼は、 堀口大學の流れを汲んで、 モダニズムの
個性ある詩人として認められており、 久保田万太郎の 「春燈」 に寄って
俳句も作っていた。 また、 心温まる 「少年詩集」 の著作もあった。
まだ、 面識のない夕爾氏が依頼に応じてくれるかどうか、 不安であっ
たが、ともかく訪ねてみようと思った。
居所は、 福山市御幸町である。 そこで薬局を家業とされている。 突
然であったが、 私は、 初夏の一日同家をおとずれた。
夕爾さんは、 薬剤師らしい白の仕事着姿で出てこられた。 初対面であ
る。 来意を述べると、 突然の失礼にも不快な素振りなく、 その居室に通
してくださった。 そこは、 詩人の部屋であった。
思い起こす話題は、 初め俳句のことが中心であった。 先ず、 俳誌 「春
燈」を見せてくださった。 久保田万太郎主宰である。 次いで、 飯田蛇笏
主宰の「雲母」 を出して来られた。 これは、私にとって、 懐かしい俳誌
であった。戦時中 「雲母」 を購読していたからである。
夕爾さんは、「雲母」 の後継者の飯田竜太を大変ほめられていたのが
印象的だった。
本来の目的の校歌制作のことは、 それからだったように思う。
「 重井の子供達の事を話すと、 快く受け入れてくださった。 内心ほっとした。 作
詞については、 何も条件は出されなかった。
兎も角、一度重井に来て頂いて、子供達を見てもらい、 重井という地
の環境に接して頂き詩情を起こしてくださるようお願いした。
この事も適当な日を選んで連絡頂くことにしてその日は辞した。
幾日かたって、 夕爾さんが重井に来られた。 よく晴れた日であった。
教室を廻って子供達を見てくだされ、 校庭にも立ち、 全域が見渡される
よう、 南側の岡 柏原廟のあるところまで上がってもらった。 ゆっくり
と町内を眺め、 白滝山に目を注がれていた。 言葉少なく、 暖かい眼差し
で見てくだされた。
それから何日たっていたであろうか、 作詞が届いたのである。 心ふる
える思いで読んだ。
さて、作詞はできたが、 楽譜の方は······。 これも悩みであったが、 幸
いに次のようなことがあった。
当時、 PTA役員をされていて、学校によく来られ、 お世話してくだ
さる方に、 村上右長さんという方があって、「自分の縁辺になる者に、
作曲家服部良一の弟子がいるから頼んでみよう」と言ってくださった。
渡りに舟と喜んで、 木下夕爾作詞をお渡した。
曲符ができて届いたのは、 夏の休みに入る前であったと思う。
早速、全校児童に歌わせるよう練習を重ねた。 高音になるところが子
僕等には少し無理ではなかろうか、というような意見も出て、 やがて、
作曲者の森さんに直接来て頂きご指導を受けた。
1960年 昭和35年
1月 学習研究社より白滝市子供会活動取材のため来校
4月 校歌指導のため作曲者来校
5月PTA役員及教職員、福山市立南小学校を視察する
6月 白滝市子供会活動取材のため、中国新聞社より来校
11月 白滝市文化祭
1961年 昭和36年
3月卒業アルバム制作
4月白滝市長選挙取材のためNHK局員来校
5月 白滝市制記念祭
10月広島大学教授末吉梯次氏を招聘し道徳教育研究会を開く
広島大学三原付小学校青木博氏を招き、特別教育活動研究会を開く
11月 白滝市文化祭
11月 学習研究社より取材のため来校
1962年 昭和37年
3月卒業アルバム制作
卒業アルバムより
3月 わだち第9集
4月本年度の努力点「基礎学力の向上をめざす授業研究」
5月 白滝市制記念祭
5月「家の光」より白滝市子供会活動取材のため来校
5月 高田郡向原小学校より職員児童来校交歓会(児童各家庭に宿泊)
10月因島教育研究員視察来校
12四月校合同(三庄・東生口・大浜・重井)による算数研究授業及び協議会
1963年 昭和38年
2月学力テスト研究協議会 (岡本初士主事来校)
3月県教委末田克美主事を招き国語研究会を開催する
4月養護教諭半田道江就任。
5月 土生小学校児童会役員交歓会のため来校
6 月国語教育研究のため広島県県教育委員会指導主事末田克美氏を招く
9月 関西テレビ局より取材のため来校
11月算数教育研究、広島県教育委員会早瀬完一氏、三原教育事務所岡本主事を招く
1964年 昭和39年
1月白滝市長選挙取材のためNHK局員来校
ラジオ中国より取材のため来校
2月白滝市子ども会十周年記念式典及び教育研究会を行う
2月基礎学力の向上をめざす授業の研究会を開く(国語・算数)
3月学力向上をめざす学校経営」に学研賞を受ける。 学習研究社より教育賞を受ける
わだち
4月奈良育英小学校職員との交歓会、高島小学校部長外7名来校
9月 広島テレビより取材のため来校
11月算数研究会「教材を明確に位置づける算数科学習指導法」
11月 郵便局優良子供銀行として県知事表彰
修学旅行山口・北九州になる。
1965年 昭和40年
2月白滝市制10周年記念「特別教育活動研究協議会」を開催す
2月24日、白滝市子ども会十周年記念式典行う。因島市長麓新助氏来賓として来校
2月『子供の町 白滝市の歩み(白滝市10周年記念)』刊行
3月 「学力向上をめざす学校経営」で学研賞を受賞した。
6月学力テスト(社会・理科)実施
高田郡船佐小学校PTA視察のため来校
井上一次校長が大阪白滝会からの寄付を受け 「鼓笛隊」創設を決定、 岡野初美教諭が指導に当たる
1966年 昭和41年
6月(1966)文部省、五年生学力テスト実施
11月科学教育研究会。広島大学附属小学校奥村智徳氏招聘
初代鼓笛隊デビュー 、5,6年生クラブ80名
運動会で校歌・若い力・おお牧場はみどり・太平洋行進曲を演奏
1967年 昭和42年
3月
4月NHK〝白滝市活動〟を録画する。
5月3日NHK「明日は君たちのもの」(ちびっこ市長)放送。
1968年 昭和43年
2月特別教育活動研究会
10月優良子ども銀行として文部大臣賞
11月因北地区PTC話し合い活動”の研究会を開く
1969年 昭和44年
3月東井義雄先生を招き教育講演会を開く
8月校舎建築起工式
10月森信三先生を招き教育講演会を開く
1970年 昭和45年
2月新校舎竣工受け渡し
8月台風10号の襲来による被害
10月小椋正人先生を招き教育講演会
11月三原教育事務所学校教育課長視察来校
1971年 昭和46年
4月社会科促進学校指定
5月新校舎への移転
6月学校給食開始
7月広島県教育委員会より「社会科推進校」の指定を受く
9月三原教育事務所長視察のため来校
11月三原教育事務所長平田正先生を招き教育講演を開く
全日本良い歯の学校表紹介表彰
1972年 昭和47年
3月屋内体育館竣工
三原教育事務所長 視察来校
5月新校舎および屋内体育館落成式
10月う歯半減五ヶ年連続により、日本歯科医師会長より表彰
鼓笛隊から 「トランペット鼓隊」 となる
峰松泰弘さん、 村上嘉種さん、 柏原博之さんよりトランペット寄贈
1973年 昭和48年
3月 学校保健管理5ケ年全国表彰により市教委表彰
9月水泳プール落成
1975年 昭和50年
5月市教育推進指定
1978年 昭和53年
2月教育促進校研究発表
11月東井義雄先生講演会
1979年 昭和54年
4月5年生春の遠足で町内歴史オリエンテーリング始まる
(写真は2回目、55年4月28日5年生28人の一部)
1980年 昭和55年
5月26日ゆとりの時間「白滝タイム」で市内で最初の学校農園に5、6年生がさつま芋の苗を植える。大出マツコさんの畑約7アールを借りたもの。
7月市防犯協会表彰
7月20日元校長井上一次先生「白滝教育百年のあゆみ」(重井町文化財協会)発行。
教員生活17年(うち校長4年)を重井小学校で勤め、退職後も町内に住んだ。
1981年 昭和56年
官内教育研究協力校
小さな親切運動本部表彰
11月算数教育研究会
1981年 昭和57年
10月広大教育実習
1982年 昭和57年1月南部地区算数教育研究会
昭和58年(1983) 1月南部地区算数教育研究会
トランペット鼓隊因島大橋開通式に出演。
昭和60年11月数教育研究会
昭和61年4月県交通安全教育推進校
昭和63年(1988) 交通安全研究指定校発表
トランペット鼓隊, フラワーセンター起工式に出演。
参考
『因島の教育半世紀』