重井小学校の歴史
1872年明治5年
8月3日 学制発布
1873年明治6年
10月 学校名を「振徳舎」とし、校舎は善興寺を借りた
また「 信誠舎」を作り、校舎は川口・大師堂をあてた
(平面図其の一参照)
5月19日小学教則
小学を分けて上下二等とする。上下合わせて在学八年とする
授業日数は32週日以上たるべし
1875年明治8年
8月 振徳舎を「重井学校」と改称、信誠舎を分教場とした
また細島にも分教場を設けた
1877年明治10年
2月 校舎を善興寺より下に新築し、5月に移った。これに伴い大師堂分教場・信誠舎を閉鎖した。
(平面図其の二参照)
1879年明治12年
9月29日 教育令布告(太政官布告第四十号)
1880年明治13年
12月18日教育令改正
小学校の学期(修学年)は三年以上八年以下とした
1882年明治15年
2月 藪の下にあった酒庫を校舎とし、移った(鉄筋校舎の辺り)
5月 学校の等位を中等科と定めた
児童数230名(男子181、女子49)
1886年明治19年4月 大学区を合併して御調小学区となった
細島分教場を閉鎖した
4月10日小学校令
5月13日尋常小学校の修業年限を4年とし高等小学校の修業年限は4年とした
1887年明治20年
4月 初代校長森房澄江就任
学級編成を行い、中等科第五級生、同六級生を尋常科第四年生となし、初等科一級生、同二級生を尋常科第三年生となす 以下之に準ずる
明治20年9月 習字科の教科書を定め、各教師の肉筆に頼らなくてもよいようにした
1888年明治21年
3月 教育談話会を善興寺に開設する
当日、中庄小学校生徒器械体操を演じた
児童の衣服の改良を促し、角袖を筒袖とした
4月 学校の等位を尋常科と定め、重井尋常小学校と改称
就学するもの無慮170名未曽有の大数なり、相ついで分教場二ヶ所を置く
5月分教場を善興寺内に置く
6月 アレイ・球竿・木環棍棒各70組を備え、器械体操を課す
7月 裁縫科を置く
7月分教場を峰松次郎七邸内に置く
(平面図其の四参照)
1889年明治22年
1月 校舎を郷新開に新築し3月30日竣功式を行い、移る
4月市町村製施行される
建設費寄付に対する感謝状
6月 校僕を廃し、専ら生徒を使役 本年卒業者、男12人
1890年明治23年
1月 生徒貯金方を行う
3月 生徒を分部して隊長を置き監督させた
5月府県制、郡制が公布
10月17日小学校令公布により小学校の設置等は市町村の所管となった
尋常小学校の修業年限は3年または4年とし高等小学校の修業年限は2年または3年または4年とした
12月 教育勅語を印刷して普く生徒に頒つ。本年卒業者 男子一七人 女子二人
1891年明治24年
男女の就学率がほぼ等しくなった
6月 御調高等小学校備付品を競売に付するをもって、校長赤松芳松準訓導村上芳松、三原町へ出張、理化学器械全部及び図書若干部を購入
7月 理化器械を試使して広く人民に縦覧
1892年明治25年
7月 本校諸規程成る
本年度卒業生 男子三八人 女子五人
1893年明治26年
11月 高等小学校の教科(修業年限三ヶ年)併置許可される
尋常小学科の学級を五学級、新設の高等小学科の学級を単級に、通じて六学級に改める
重井尋常高等小学校と改称
12月1日高等科生徒入学式を行う
1894年明治27年
1月 生徒家庭における行状を調査する
4月 尋常科生徒に修身の教科書「実験修身書」を持たせた
1895年明治28年
4月 高等科の学級を二学級に改め、修業年限を四年とした
5月 高等小学の教科修業年限が四ヶ年に改改める
5月 征清兵士の凱旋を歓迎、10月までに五回
12月 明治天皇・皇后御真影下賜
12月19日大運動会
1896年明治29年
7月 御調郡世羅郡教育品展覧会(中庄校)見学
1897年明治30年
2月 教育談話会を開く(四夜)
1900年明治33年10月 高等科校舎新築
(平面図其の五参照
8月28日小学校令改正
尋常小学校の修業年限は4年、高等小学校の修業年限は2、3、4年とした
明治37年3月 本校加設学科目中、農業科認可せらる。
明治38年5月西浜において海上運動会
10月子守教育を開始す。(10月6日から)
明治39年2月父兄懇話会を開く。
明治39年4月日露戦役戦死者招魂祭、善興寺において執行。職員児童参拝す。
明治39年4月出征兵士凱旋式(氏神社)
明治39年9月 御着輦記念式 高等科土生村、尋常科中庄村に遠足。
明治39年10月 職員出張教育懇談会を開く
・西浜 藤井 藤吉
・郷 善興寺
・川口 柏原勝三郎
明治39年10月 午后二時 卒業生を召集して、教育上の訓話をなす。
1907年明治40年
2月 糸崎港において催される海上博覧会を参観する。
10月 本村青年団発会式 10月 夜学会を開く
3月21日小学校令中改正
尋常小学校の修業年限は6年、高等小学校の修業年限は2年または3年とした 法律
1908年明治41年
3月本村在郷軍人会発会式 市来本郡長来校
4月尋常小学校の修業年限を6年とし、高等小学校の修業年限を2年とする 重井
12月本郡第二回物産品評会を参観す (田熊村) 尋常科三年以上
1909年明治42年
3月 因島教育展覧会開催
4月 高等科第二学年峯松惣太郎、八ヶ年間無欠勤に付き、広島県より表彰せられ伝達式を挙行し石井郡視学、郡長に代り伝達
9月校舎増築(平面図其の七参照)
10月第三校舎落成し、教育品展覧会を開く
・尾道市立高等女学校 (現在尾道東高)
・豊田郡立女子技芸学校(現在忠海高校)
・世羅郡立女学校
・私立山中高等女学校
11月3日 運動会
1910年明治43年
4月 朝礼の方法を改正し暮礼を始める
5月校務分掌中に衛生清潔係、学園係を置く
5月 防火用ポンプ一基を備える
6月 中庄成願寺において開催された広島県衛生展覧会を尋常科三年以上参観
7月 校訓を改定する
校訓
一、我国体の精華を発揚し、祖先の遺訓を
対揚するは汝の任なり、汝が一身の重き
を思へ。
二、事を計るに緻密周到、事に当るに堅忍
不抜、汝の双腕に依って以て志業の必成
を期せよ。
一、誠実にあらざれば功を成さず。仁慈に
非らざれば果を結ばず汝世に処するの要
ただこの二つあるのみ。
。特殊学級を編成し子守教育を開始す。
9月 韓国併合祝賀式を挙行す。
明治44年4月 高等科入学 男子45人 女子12人 今治町へ修学旅行(72名)
6月 英国皇帝載冠式につき逢拝式
明治45年9月 明治天皇御大葬 三日間休業(一三日~一五日) 歌舞音曲停止
明治45年3月 高等科第二学年 厳島町並びに広島市に修学旅行
10月 通俗大講演会 聴衆600名 三庄小学校長 桑原 寅四郎
12月重井村処女会創立(女子青年団前身)