2018年9月14日金曜日

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第30回
































2018年9月13日木曜日

因島デジタルアーカイブス IDA


いんのしまみち

IDA    Innoshima  Degital  Archives  とは因島に関する資料をデジタル化したものです。
寄贈あるいは寄託された人の符号をつけて整理していきます。

HMコレクション
 重井町商店街写真
 因島関係新聞スクラップ    1980〜2002
KHコレクション
 因島大橋工事新聞スクラップと写真
 生口橋工事新聞スクラップ


2018年9月10日月曜日

塩について調べてみよう

                2018.10.14.13:30〜16:00
宇宙少年団事業
福山市春日町春日公民館

1 はじめに
 身近な物質を使った化学実験として、今回は食塩を使い、またその他の材料、器具も家庭にあるようなものを使う実験を構成してみました。

2 塩の話
 塩は食品調味料として欠かすことはできない大切なものである。それは人間の身体機能を維持するために必要な物質であるということを意味する。しかし、一方では、取りすぎると高血圧などの病気の原因ともなる。
 これは人類を含めた生命が海水中で誕生し、そこに含まれている物質を使って維持できるような構造体ができたということを意味する。すなわち、我々の体の中には海があると思えばよい。


3 塩を使った実験
 市販の食塩は極めて純度の高い塩化ナトリウム(塩)であるので、そのままで多くの実験ができる。
A. 塩と電気
 ・塩は電気を流すのだろうか?
   物質を分けるとき、まず金属と非金属に分ける。
    金属の特徴は?
    食塩は金属か非金属か?
    塩は電気を流すのだろうか?
       固体(普通の状態)の時・・
       水に溶かした時・・
       液体になった時・・
      *氷(固体)は温度を上げると0℃で液体の水になる。これを融解といい、この温度を融点と呼ぶ。塩は800.5℃で融解し液体の塩となる。
実験●●
    金属針金、電池、電気が流れたことがわかる豆電球、発光ダイオード、オルゴールなどで回路を作り、電気が流れたことを調べる。すなわち、電気回路のスイッチの部分に塩を使う。
    ① 普通の状態の塩
    ② 水に溶かしたた時
       まず、蒸留水が電気を流さないことを確かめる。
    ③    800.5℃以上にした時 (今回は実験しない)     
 

 ・食塩水で電池を作ろう
      11円電池(3つ合わせて33円電池)
      バケツ電池

 注意:11円電池、バケツ電池ともに金属が錆(さ)びることによって電気を発生している。したがって、これらの実験は金属を錆びさせていることになる。人類は錆びとの戦いを続けている。宿命である。なぜならば錆びた状態から金属にしているのだから、自然に帰るのである。その過程で、利用できるだけの電気を取り出す装置が電池である。
実験●●
11円電池(3つ合わせて33円電池)
 アルミニウムと銅では、アルミニウムの方が錆びやすいので、電気を放出する力が強い。しかし重ねて接触させても、ともに金属であり電気を流すので電位差を生じないから電気を取り出すことはできない。そこでこれらを接触させなくするために間に紙を置く。そうすると今度は電気を通さなくなり回路が完成できないので食塩水を加える。
 簡単に説明すると10円硬貨(銅の合金)と1円硬貨(アルミニウム)の間に食塩水で濡らした紙を置くという構造であるので11円電池と呼ばれる。3つ直列接続すれば33円電池ということになる。お金が錆びるとよくないので金属で実験する。

バケツ電池
 金属バケツの多くは鉄に亜鉛をメッキしたトタンからできている。これに食塩水または海水を入れ回路を作る。食塩水と接触させる電極として木炭を使えば、乾電池と同じ構造になる。11円電池ではアルミニウムが乾電池の亜鉛、銅が正極ということになる。



B.塩と氷の共同作業
 塩の性質の一つに氷と接触すると、氷の温度が下がるというものがある。一般に寒剤と呼ばれているものの一つであるが、その原理は簡単ではない。

実験●●
 ・氷つり
  氷の上に糸で結んだ綿をのせ、そこに食塩をかけると、氷の一部が溶けて再び固まる時、綿も一緒に固まってしまいます。

 ・シャーベット作り
  外の容器に氷と塩を入れ、あとで水を少し加えます。
  その中にジュースを入れた金属容器を置き、中のジュースをかき混ぜます。少しすると小さな氷が見えてきます。固まらないようにかき混ぜ続けます。全体がシャーベット状になったら終わりです。味はいかがでしょうか。

C.塩と水
 梅雨時のように湿度が高いと塩はべとつく。これは吸湿性があるということでもある。単なる湿気だけでなく水そのものも、よく吸ってそれに溶ける。セッケンの製造過程で最後に水から取り出す時にも利用される。同じことが野菜との関係でも起こる。特に薄い膜を隔てた時、その圧力差が浸透圧である。
実験●●
 ・セッケン水からセッケンの取り出し 
 ぬるま湯に固形セッケンを刻んで濃いセッケン液を作ります。それに水100gに食塩40gを溶かした液を注ぐとセッケンが浮いてきます。ガーゼに移して絞るとセッケンが戻ります。
 ①水100gに食塩40gを溶かす。
 ②固形セッケンを刻み、ぬるま湯に溶かす。
 ③②へ①を注ぎかき混ぜる。
 ④①の容器の上にガーゼを敷き、③の液を流し込み析出物を取り出す。最後はキッチンペーパーの上で乾かす。


・キュウリの水をすいだしてみよう(こちらを先にする。)
 キュウリを、近くのにあるものに立てておける程度の長さに切る。切り口の中心の柔らかいところを割り箸でくり抜く。そこに食塩を入れ、立てかけておく。



4 まとめ
 








備考
準備物(1班につき)

A. 塩と電気
 ・塩は電気を流す?
 ・食塩水で電池を作ろう
      11円電池(3つ合わせて33円電池)
      バケツ電池

 豆電球(または電子オルゴール)、リード線、金属端子2、
 紙コップ2、割り箸、蒸留水
 金属(トタン製)バケツ、木炭、


B.塩と氷の共同作業
 ・氷つり
 ・シャーベット作り
 脱脂綿、割り箸、糸、氷
 バケツ、紙コップ、ジュース
C.塩と水
 ・セッケン水からセッケンの取り出し 
 ・キュウリの水をすいだしてみよう
 固形セッケン、ナイフまたはヘラ、割り箸、紙コップ、ろ紙
 キュウリ、割り箸、スプーン

 

2018年9月6日木曜日

社会教育家としての柏原伝六

                             2018.10.9.立正佼成会講演
柏原林造
(尾道市因島重井町)
1。しげい の かんのんさん
 白滝山のことを子供たちは「しげいのかんのんさん」と呼んでいた。
 「かんのんさん」には二つの意味があったが、どちらが正しいのか知ってはいなかった。
  1は文字どおり「観音山」
  2は「観音様」がくだけた「観音さん」。すなわち人を呼ぶときの「○○さん」の「さん」である。
   そして2の「観音さん」には「観音菩薩さま」の意味と「伝六さん」の意味があったのではないかと思う。
   誰から聞いたわけではないが、「観音さん」とは「伝六さん」のことではなかったかと、今になって思う。伝六さん自身が「観音道一観」と名乗ったのだから、それでいいと思う。
 そして、「白滝山」はよそ行きの名称であった。 ▶︎白滝山


伝六年譜 ▶︎伝六夫婦像
 1781年(天明元年)重井村に生まれる。因島は備後国だが広島藩領。
 1805年(文化2年)25歳西国巡礼。
 1822年(文政5年)42歳悟りを開く。「観音道一観」と称す。
 1823年(文政6年)白滝山上で座禅修行。
          5月多宝塔建立。▶︎多宝塔(+8磨崖仏)
 1827年(文政10年)47歳。正月石仏工事始まる。
          11月釈迦三尊像完成。▶︎釈迦三尊像 普賢菩薩像 釈迦如来像 文殊菩薩像 四天王 
 1828年(文政11年)48歳。2月阿弥陀三尊像完成。▶︎阿弥陀三尊像3体(勢至菩薩像 観音菩薩像
          正月から3月広島藩庁へ呼び出される。
          3月15日死去。
          9月15日墓碑坐像建立。▶︎伝六さん(墓所)  柏原伝六座像
 1830年(文政13年)4月石仏工事完成。 



2。伝六さんの偉さとは何か?
 一般に伝六さんは
 神道、仏教、儒教、にキリスト教を加えて新しい宗教「一観教」を作った
と言われている。
 なお、現在地元には「一観教」の信者や宗教教団はない。おそらく全国のどこにもいないだろう。
 これでは伝六さんの偉さは見えてこない。結局白滝山の石仏を作った人、ということぐらいしかない。正確には作ることを発案した人である。


3。幻の一観教
 それでは、「一観教」とは一言で言えばどんな宗教なのか。
「一観教」は神道、仏教、儒教、キリスト教とどこが同じで、どこが異なるのか。
 また、それらからどのような影響を受けているのか。
「一観教」独自の概念は何か。
 儒教的精神と法律で禁じられていたキリスト教を取り入れることの矛盾をどのように解決しているのか。

 ・・・等々の問いに答えられる人はいないし、どこにも書いていない。
 ということは最初に言いだした人の思いつきに過ぎないのではないか。
 それを無批判に紹介、伝播するのは知性の欠如と言うほかあるまい。
 
 伝六さん死後、そういう教団がなく、現代も信者がいない以上、上記のような考察を経て初めて「一観教」と呼ぶことができるのではないか。

4。その他の白滝山に関する誤解
 十字架観音像 ▶︎観音堂前石仏群
 伝六さん隠れキリシタン説
 伝六さん毒殺説
 恋し岩伝説
 

5。伝六さんの仕事
 最大のもの
 中国人が書いて日本語に翻訳されていた本を農民町人へ広めたこと
   功過自知録
    功 良いこと
    過 悪いこと
    自知 自分で知ること
    録 記録すること

 すなわち、良いこと悪いことをしたか毎日自分で記録をとって反省しなさい
 ということをすすめた。


 その背景に良いことをはすれば、必ず良くなる。
   何が良くなるのか。 人間が良くなる。平和になる。
             生活が良くなる。

 現代から見れば善悪(道徳)の数値化には違和感があるだろう。
 しかし、当時の農村においては、画期的なことで、その効果も大きかったと考えられる。

 道徳➡︎観音信仰➡︎羅漢信仰➡︎浄土信仰

 
      
 

 

白滝山について

白滝山について    20171015   於ポートぴあ土生
         修養団捧誠会中国ブロック講演 







1 はじめに
昭和27年(1952)俸誠会、生長の家 伝わる。
    世帯数1108、人口5451。 
昭和34年白滝山上に平和一神和石建立。
  重井町文化財協会「重井町史年表」(1999)












2 本日特に申し上げたいこと。
 十字架観音像というのは間違い。
 仏教、神道、儒教、キリスト教を融合させることが当時できたのか。
 伝六さんは毒殺されたという噂。




3 伝六さんの思想
 ・重井町と白滝山
  「白滝山管理人」→白滝山保勝会(ハードの面)
          →文化財協会(ソフトの面)
 ・重井町民と伝六教
 ・白滝山と伝六教






4 伝六さんの思想的役割 
 お寺が寺請制度の下で宗教的役割を果たしていなかった時に、
観音経、曹洞宗に基づく仏教を道徳的に民衆に説いたこと。











5 伝六さんの思想の継承と発展






6 不易と流行


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