2022年3月26日土曜日
2022年3月24日木曜日
ふるさとの史跡をたずねて 増補版 261-270
ふるさとの史跡をたずねて(261)
青木早嵐道路改修碑(尾道市因島重井町八幡神社)
島四国88番大窪寺前の重井町八幡神社境内には、外から見えるように東を向いた石碑が何基かある。その一つが青木早嵐道路改修碑である。
これまでも青木道路と繋がる道路改修碑を書いて来たが、今回のもその一つである。そしてこの道路は、例の両端にブルーラインが書かれたサイクリングロードである。この道は青木城跡の東側で、かつては海側の伊浜新開と山側の農事試験場に挟まれた八幡神社の裏参道であった。しかし、因島大橋開通後、フラワーセンターが出来た時、大きく改修され、この石碑にある改修の面影はなくなったと考えてよい。
これまで紹介したのと似たパターンで中央に「本村字 自青木至早嵐 道路改修碑」と書かれており大正四年二月起工、同年五月竣工である。
北の端は白滝山フラワーラインの入口よりさらに北寄りの、重井中学校から伸びる道路と接する辺りではないかと思う。
石碑の左面から総工費が壱千三百三拾八円十六銭で、内訳として村費補助が四百円、特別寄付四拾二円二十銭、関係者寄付四百七拾五円六銭、関係者出勤人夫壱千四百三人であることがわかる。
集まったお金に、人夫一人当たりの日当を30銭(0.3円)として計算した額を加えたものが総額となっているのだから、関係者出勤というのは無賃の勤労奉仕であったということであろう。現金の支出としては材料費や石工等の職人への手当ての他、出勤人夫への弁当代などが含まれていたとしても、この書き方と矛盾はしない。
ふるさとの史跡をたずねて(262)
高浜通谷道路改修碑(尾道市因島重井町長崎)
重井町北西端から見る光景は、左から佐木島、宿袮島と三原方面、細島、馬神城跡とまことに美しい。特に満潮の頃になると海面の反射が引き立つ。
そこのゴミステーションの隣に大きな道路改修碑がある。
中央に「本村字 自高浜至通谷 道路改修碑」、右左に「明治廿八年四月廿一日起工」「明治廿九年四月廿二日落成」と書かれており、丸一年を要した大工事だったことがわかる。左面には総額八百七十二円、内訳として村費補助百六十円、関係寄付百四十三円、特別寄付七十一円、そして人夫三千三百廿人四百九十八円と書かれている。人夫一人当たり15銭(0.15円)という計算になる。総額の内訳の中に他の収入と並べて書いてあるということは、支払った額ではなく無賃奉仕を一人の日当15銭として計上したとしか考えられないのは、これまでと同じ。でも人数が多いので、再度考えてみよう。普請、人足、人夫などという言葉はもともと無賃奉仕に対する言葉だった。協力を「あまねく請う」のが普請。「万葉集」に出てくる防人(さきもり)、江戸時代の城普請に駆り出された農民も、日当などもらっていない。日当という考え方自体が極めて現代的なのかもしれない。
村普請、略して「むらぶ」あるいはさらに略して「ぶ」と呼ばれるものが、かつてはよく行われていた。
なお、高浜はこの石碑のあたり、通谷は鬼岩のやや北側。
地図YAMAP
ふるさとの史跡をたずねて(263)
須越樋口道路改修碑(尾道市因島重井町公民館)
重井公民館の駐車場横の花壇の中にも道路改修碑がある。駐車場入口のガソリンポンプ等寄付碑の裏である。南の一段高くなったところの道路の改修が行われたことを示す。だから、石碑は南向きに設置されている。
そこには、これまでと同様に中央に「本村字 自須越至樋口 道路改修碑」、そして右左に「明治廿七年十一月起工」「明治廿八年五月落成」と書かれている。
そして左面にはその費用についての記録がある。まず「金高 三百五拾円六十四銭」とあり、これはその下に書かれてある内訳金の合計に一致する。しかし、左側には「右 人夫二千八十六人 金三百四拾一円八十五銭」とある。一人当たり約十六銭である。
さて、この「右」は何を意味するのであろうか。見ただけなら、支出における人件費と思うだろう。しかし、これまでの例と同様に考えれば、無賃奉仕の人件費を加算したものを総工費と考えるべきであろうか。この書き方ではどちらかわからない。
内訳金については、関係寄付八十二円廿二銭、村費補助百六十円、特別寄付八十九円九十二銭。これは世話人の寄付のようだ。そして残りの拾八円五拾銭については文字が読めないのでわからないが、細島、岩子島、忠明、寄付などの文字がかすかに読める。
この道路は須越のバス停から公民館の上を通って、大小路、南小路の接する交差点までである。その交差点には、明治31年の大小路南小路道路改修碑が建っている。
ふるさとの史跡をたずねて(264)
道路改修碑(尾道市因島三庄町二区)
因島三庄町善徳寺から南へ向かうと、峠の上で左右にバス通りに降りる道が別れる。ここの三叉路に道路改修碑がある。そのバス通りは因島市時代は市道土生三庄線と呼ばれていたが、今でもそれでよいのだろうか。
その石碑には右から左へ三行にわたって次のように記されている。「大正十二年三月」「道路改修記念碑」「建設昭和十五年五月」。
これは何を表しているのだろうか。記念碑が先にできて後から工事が行われるということはありえないから、大正十二年三月に道路改修工事が完了し、昭和十五年五月にこの石碑が建てられた、と解釈するしかあるまい。まことに不思議なことであり、理解に苦しんだ。昭和昭和十五年に何があったのだろうか。
昭和15年は神武天皇即位紀元2600年にあたり、国を挙げての記念行事が行われた年だとわかった。その祝賀行事の一つだったのだろう。
石碑には土地寄付者が10人とその面積、設計者、石材寄付者、木材運搬者、道路委員7人、記念碑建設委員8人の名称が記されている。なお右端に書かれている金三百円、通組、土地二畝などの文字は解読できなく、解釈を保留しておく。(金三百円之通組替地二畝であろうか? でも意味はわからない。通というのは東端の地区名)
ともかく昭和15年の祝賀行事を彷彿させる貴重な石碑である。
この石碑に接するように道標があり、隣り合った2面に「左土生田熊村」「右中庄村」と書いてある。これは現在地の反対のところにあったものと考えられ、山側が中庄村方向だろう。また、道路改修碑よりも古いものだと考えられる。
ふるさとの史跡をたずねて(265)
千守道路記念碑(尾道市因島三庄町一区)
前回の市道土生三庄線の道路改修工事碑の三庄町側の終点では南北に走る道路と接する。その道路は現在は海側に新しく作られて海岸道路となっており、北側が水軍スカイラインとなって椋浦方面へ続く。千守から椋浦峠までの道路改修を記念した石碑が地蔵堂(金比羅堂)・島四国29番国分寺の前の広場にある。
もちろん護岸工事や舗装改修やらのインフラ整備は日常的に行われているのだから、現在の姿とこの石碑建立時の改修による姿とは想像できないほどの隔たりがあると思ってよいだろう。しかし、立派な記念碑が建っているのだから、画期的な改修が行われたことは確かだと思われる。また、この石碑から三叉路への海岸通りはもっと後にできたものであろうから、内側の道も含まれていたのかもしれない。
石碑には、右から「千守道路記念碑」と大きく書かれており、上には三角形の石が載り、丸く磨かれた面には「悪しき昔の道を忘るな」と詠んだ歌が書かれている。下には「大正八年三月着工、大正十年三月竣工」とあり、村長、助役、収入役、村会議員の氏名が書かれている。それに続けて、「金三千六百円三庄村費補助 金三千六百円千守組住民工費 金三千三百円土地寄附 金二百円睦硯会員工費」、そして寄付者と金額が書かれている。最後に工費総額として一万二千三百円と書かれている。この額は上記金額を合計したものに近いが、収入と支出の関係はわかりにくい。また裏面に廻ってみれば、「千守道路委員」として13名の氏名が記されている。
ふるさとの史跡をたずねて(266)
向山釜ノ浜道路改修碑(尾道市因島三庄町四区)
因島三庄町の地蔵鼻へ行く道路は、北側の石田造船の横を通るのが一般的だが、南側の折古の浜の側を通る道の他、その間を通る道もある。今回はその間の道の話である。
元三庄小学校前の交差点は、かつてはバスと離合するのが難しく慎重に通ったところであるが、今は道幅が拡張されていて、あっと言う間に通過してしまう所となった。その交差点から東側に向かって登ると大きなため池がある。室内池と言うユニークな名前には何かいわれがありそうであるが、わからない。そのため池の北側の道を東へ少し進むと右側に「道路記念」と書いた石碑がある。
道路を新設したのなら、そのことを大きく書くだろうから、やはり道路改修記念碑にちがいない。表には寄付者として金額と氏名、右側に「大正十四年三月」、左側に世話人の氏名が書かれている。
市道の路線名は向山釜ノ浜線であるから、「向山釜ノ浜道路改修碑」と記しておく。
ふるさとの史跡をたずねて(267)
天神道路改修碑(尾道市因島中庄町天神)
因島中庄町の因島消防署の前の信号を東に向かって進み、最初の左に入る道を左折する。すると電柱の隣に巨大な石碑がある。
大きく右から「天神道路改修碑」とあり、金額と寄付者名が四段に書かれている。高額者から順になっている。一番上の段の右端に本村補助として金額が書かれているが、三千円か三百円か三十円か判読できない。また下段左には「順位抽籤」とあるから、これは同額の場合という意味だろう。また「外八拾六名」とも読める。これも寄付者のことだろう。
裏面には、「大正十四年竣工」「発起者 天神組青年」と書いてあり、「世話人」として25名の氏名が書かれている。最後の文字は消えかけているが年齢順という意味だろうか。
大正14年は年末の数日が昭和元年になる、大正最後の年である。
ふるさとの史跡をたずねて(268)
道路改修碑(尾道市因島中庄町西浦)
国道317号線の新青影トンネルは、まもなく開通するのだが、その西浦側の入口の上から北へ入れば、本連載5回で紹介した掛迫農道へ行ける。また、この入口のところから北側の側道を西に降れば、夫婦岩がある。
今回はその夫婦岩の前を通り過ぎ、しまなみ海道西浦高架橋の下まで行ってみよう。右手に「道路改修」と書いた石碑がある。
右側面に昭和十一年と書かれている。工事区間の記載もないし、高架橋の工事で当然、道路も変わっているだろうから、元の道路を推定することはできないが、この近くの道路改修が行われたという記念の石碑である。
正面右隅に「本村補助割石二百箇」とあるのが興味深い。現在と違い、法面の工事に石組みが用いられ、その200個分の材料費に村費が当てられたということであろう。
次に寄付金の額と氏名が書かれている。15名が氏名で2名が屋号であるのも珍しい。寄付金の合計が176円である。また世話人として6名の氏名が書かれている。
人も、道路も変わる。でも石碑だけは残っていて、人々が協力して自分たちの住んでいるところをよくしようと協力していたことがうかがえる。自分の住んでいるところの石碑は、毎日見ていて風景の中に溶け込んでいるので、あまり意識することはないが、こうして各地の石碑を見ていると、少しずつ違っており興味深い。
ふるさとの史跡をたずねて(269)
御即位大典道路改修碑(尾道市因島中庄町西浦)
前回とほぼ同じところであるが、やや東に高いところにある。
新青影トンネルの西浦側入口近くの北側の側道を山に沿って西に降って夫婦岩に行く。その手前に道路改修碑がある。これは、石垣の中にあってなおかつ風化も進んでおり、緑色の昆虫が葉っぱの中にいるように目立たないから、季節によっては気をつけて探さないと見過ごしてしまうかもしれない。また、表面が丸いので道路改修碑だと気づかない。
中央に「御即位大典記念工事」と大きく書かれている。右側に小さく「自峠至西浦里道路改修」とある。左側の文字も小さいが「大正四年十一月竣成」と書いてある。これは大正4年11月10日に京都御所紫宸殿で大正天皇の即位礼が挙行されたことを記念して、道路改修工事が行われたということである。
ここで251回で紹介した青影トンネルの上にある「自字中須加権防至峠道路改修記念」碑を思い出しておくのも悪くないだろう。こちらは「大正五年竣成」だから、西浦側が少し早く改修され、それに続けるように改修されたことがわかる。
ふるさとの史跡をたずねて(270)
金蓮寺道路改修碑(尾道市因島中庄町寺迫)
金蓮寺山門前の参道左手に奇妙な形の道路改修碑がある。一見、ふたつの石を巧妙に繋ぎ合わせたような印象を受けるが、自然石の原型をうまく使ったものだろう。
まず正面の上の段。「道路改修之碑」と中央に大きく書かれ、右には「自字時森到字寺迫金蓮寺」、左には「大正二年二月起工同年五月竣成」と深く彫られている。
下の段には右端に「金三十円中庄村補助」とあって次に40円から10円までの寄付者21人の金額と氏名が記されている。他の寄付者については、左側面に「金百八拾七円 拾円以下ノ者九十三人」とある。
また裏面の下部には「当山十世大豊代」、檀徒惣代3人、発起者2人の氏名が書かれている。そして「墓所石壇 寄附者中 世話人」と16名の氏名が書かれているのだが、16名全員が世話人なのか、そうでないのか、書かれた文字の配置からは理解できない。
しかし、いずれの面も文字が書かれてあるところはきれいに磨かれ、文字が深く彫られていて鮮明で楽しい石碑である。
また、設置場所もよく、多くの人に見てもらえる。
写真・文 柏原林造
➡️増補版index
水戸烈士ノ墓ニ詣ズ
水戸烈士ノ墓ニ詣ズ -江木鰐水日記抄-
明治元年九月
大政を奉還して幕府は瓦解するもなお、一部の吏員党を組みて、反抗する。福山藩阿部候はもと徳川幕藩体制下においては親藩なりて、代々幕閣人士を出す家柄なり。御一新このかた、福山藩、薩長の新政府に恭順を示すこと頗るなり。新政府、藝州より上るに際し、城を開け恭順を示し、戊辰の役に協力す。
我が藩に函館へ兵士五百名の出張の命が下りしは、去る九月七日のことなり。
我は正月以来、小丸山修築の業に携わり、巴隍(はこう)の水車を管理している。それが突然、呼び出しがあり慌てて登城したのが十九日午後のことであった。城では執政の山岡氏から命を受けた。軍事参謀として函館へ行けという。御番頭の席なり。陣服が準備してあった。末世とはいえ、懼れ多いことである。自分には勤まらぬ、固辞するも、極北寒沍の地函館は攻めるに難き所なれば、是非にと乞われる。軍機戦略の才無し。平生水理地形に心を留めて國の守備を昼慮い夜思うばかりなり。
イギリス国軍艦モーナ号が着岸したので明日鞆の浦に行くよう指示あり。
十日ばかりあり、巴隍(はこう)の水車の事は五十川基の甥に後事を託すべく官よりより許可をいただき、あれこれと伝う。
明治元年十月二日午後四時 イギリス国軍艦モーナ号にて備後福山鞆津より出航す。
明治元年十月五日 加州敦賀の港にモーナ号接岸ス。
函館戦争に向かう道すがら、われわれは敦賀の港に停泊した。大野藩兵乗船のためである。
ここはつい先年まで、常陸から中山道を通って、世を騒がした、水戸烈士が投降して斬首された土地である。
元治元年十二月二十二日、のことであった。上坂し、水戸の武田耕雲齊ら百余人が加賀藩に降ったことを聞いた。
上京し冤を訴えんとし、木曽路より上る。路、梗塞(きょうそく)不通、撃してこれを開く、曲してこれを迂る。艱苦して江北(神保)駅に至る。加州の兵これを守る。一橋候逆を撃たんと欲す。浪士すなわち加州の営に至って降る。
思えば異常な事態は、彼我もまた同じであった。親藩ご三家の水戸藩から激越な尊皇攘夷の天狗烈士が生まれ、幕府に刃向かったということで処分された。一方我々のほうはどうだ。老中首座阿部正倫公を出した親藩の福山藩が、今函館にいる幕府軍を撃とうとしている。まるで夢の中の世界の出来事のようではないか。
2022年2月28日月曜日
夕凪亭閑話2022年3月
CRYSTAL Home
2022年3月1日。火曜日。雨。3074歩。73.15kg。昨日のコロナ感染者、広島県538人。うち尾道市12人。福山市73人。三原市19人。朝、散髪。午後、来客。古文書。小和田哲男『戦国武将』、中公新書、p.61まで。
2022年3月2日。水曜日。晴れ。3954歩。72.50kg。昨日のコロナ感染者、広島県503人。うち尾道市22人。福山市83人。三原市12人。朝買い物。枯れ木の整理。セメント工事。3月資料公民館印刷できる。綴じ作業。夜、瀬戸内タイムズ原稿書く。古文書。
2022年3月3日。木曜日。晴れ。3626歩。73.1kg。昨日のコロナ感染者、広島県736人。うち尾道市27人。福山市131人。三原市18人。朝、瀬戸内タイムズの原稿送る。蜜柑の剪定。古文書。小和田哲男『戦国武将』、中公新書、p.93まで。
2022年3月4日。金曜日。晴れ。4501歩。72.9kg。昨日のコロナ感染者、広島県762人。うち尾道市21人。福山市90人。三原市6人。剪定。セメント工事。古文書。
2022年3月5日。土曜日。晴れ。風強く寒い。2594歩。72.40kg。昨日のコロナ感染者、広島県700人。うち尾道市33人。福山市103人。三原市7人。剪定。枯れ木の整備。古文書。『法華経』序品第一。『剪燈新話』より「聯芳樓記」。
2022年3月6日。日曜日。晴れ。3957人。72.6kg。昨日のコロナ感染者、広島県614人。うち尾道市17人。福山市105人。三原市3人。『剪燈新話』より「水宮慶會錄」。朝、買い物。枯れ木の整備。古文書。資料の綴じ作業。
2022年3月7日。月曜日。晴れ。5276歩。72.65kg。昨日のコロナ感染者、広島県680人。うち尾道市27人。福山市114人。三原市4人。10時から青木城跡、文化財協会で整備。9人。午後、昼寝。古文書。『剪燈新話』より「三山福地志」。
2022年3月8日。火曜日。晴れ。4179歩。72.75kg。昨日のコロナ感染者、広島県471人。うち尾道市15人。福山市68人。三原市5人。朝、枯れ枝の整理。剪定。古文書。
2022年3月9日。水曜日。晴れ。3502歩。72.50kg。昨日のコロナ感染者、広島県525人。うち尾道市28人。福山市78人。三原市3人。朝、買い物。午後、重井公民館で論語を読む会。夜、古文書。
2022年3月10日。木曜日。晴れ。3239歩。72.25kg。昨日のコロナ感染者、広島県813人。うち尾道市25人。福山市138人。三原市3人。柑橘類の農薬散布。マシン油35倍液。古文書。
2022年3月11日。金曜日。晴れ。2013歩。昨日のコロナ感染者、広島県855人。うち尾道市30人。福山市129人。三原市2人。福山へ。シロアリ点検。古文書学習会。夜、記録。
2022年3月12日。土曜日。晴れ。7340歩。72.10kg。昨日のコロナ感染者、広島県715人。うち尾道市24人。福山市129人。三原市2人。朝、墓参。フラワーセンター周辺散歩。
2022年3月13日。日曜日。晴れ。夜、小雨。2802歩。72.60kg。昨日のコロナ感染者、広島県728人。うち尾道市31人。福山市112人。三原市9人。朝買い物。親戚の法事。昼寝。夜、古文書。
2022年3月14日。月曜日。晴れ。4709歩.72.9kg。朝、外出。午後、来客。夕方、肥料捲く。古文書。『剪燈新話』より「華亭逢故人記」
2022年3月15日。火曜日。晴れ。7028歩。73.1kg。昨日のコロナ感染者、広島県515人。うち尾道市27人。福山市90人。三原市7人。朝、重井公民館で第71回因島ふるさとの歴史を学ぶ会。17人。11時40分から一ノ城。帰って寝る。夜、古文書。急に暖かくなった。
2022年3月16日。水曜日。晴れ。6146歩。72.3kg。昨日のコロナ感染者、広島県559人。うち尾道市27人。福山市115人。三原市28人。朝、因島図書館で文学散歩の会。9人。午後、買い物。肥料撒き。セメント工事。夜、4月資料作り。せとうちタイムズ原稿書く。
2022年3月17日。木曜日。晴れ。5909歩。72.15kg。昨日のコロナ感染者、広島県952人。うち尾道市44人。福山市192人。三原市23人。朝、せとうちタイムズ原稿送る。午後、畑。灯油を買いに行く。セメント工事。
2022年3月18日。金曜日。雨。3156歩。昨日のコロナ感染者、広島県950人。うち尾道市33人。福山市189人。三原市24人。朝から福山。午後古文書学習会。夜、解読文打ち込み。
2022年3月19日。土曜日。曇り時々雨。4041歩。72.45kg。昨日のコロナ感染者、広島県774人。うち尾道市29人。福山市161人。三原市13人。
解読文打ち込み。送る。畑の手入れ。古文書。
2022年3月20日。日曜日。晴れ。6131歩。72.45kg。。昨日のコロナ感染者、広島県718人。うち尾道市14人。福山市171人。三原市9人。午後、瀬戸田へ。図書館船ひまわりと講演会。夕方、来客。古文書。四月資料作り。小和田哲男『戦国武将』、中公新書、終わる。
2022年3月21日。月曜日。晴れ。4464歩。72.9kg。昨日のコロナ感染者、広島県660人。うち尾道市27人。福山市132人。三原市18人。山へ竹切り。ザボンを摘む。終了。甘夏少し摘む。古文書。4月資料。新刊執筆。
2022年3月22日。火曜日。雨のち曇り。。昨日のコロナ感染者、広島県447人。うち尾道市10人。福山市84人。三原市9人。郵便局。山へ竹切り。夜、古文書。資料作り。
2022年3月23日。水曜日。晴れ後雨。3507歩。73.4kg。昨日のコロナ感染者、広島県371人。うち尾道市15人。福山市86人。三原市7人。朝、買い物。午後、論語を読む会。夜、瀬戸内タイムズ原稿書く。
2022年3月24日。木曜日。晴れ。4244歩。73.3kg。昨日のコロナ感染者、広島県697人。うち尾道市20人。福山市140人。三原市37人。朝、寒い。10時ごろ暖かくなる。朝、瀬戸内タイムズ原稿送る。甘夏摘む。午後山へ竹切り。夜、4月資料。
2022年3月25日。金曜日。晴れ。4424歩。73.15kg。昨日のコロナ感染者、広島県920人。うち尾道市20人。福山市188人。三原市37人。山へ竹切り。甘夏を摘み終わる。夜、資料作り。
2022年3月26日。土曜日。雨時々曇り。3693歩。72.4kg。昨日のコロナ感染者、広島県1002人。うち尾道市38人。福山市178人。三原市23人。2階の整備。夕方散歩。資料作り。藤田逹生『秀吉と海賊大名』、中公新書、終わる。
2022年3月27日。日曜日。晴れ。3693歩。73kg。昨日のコロナ感染者、広島県869人。うち尾道市23人。福山市166人。三原市35人。朝、買い物。午後来客。竹切り。田熊留山。三庄観音寺。夜、資料作り。
2022年3月28日。月曜日。晴れ。3220歩。73.2kg。昨日のコロナ感染者、広島県800人。うち尾道市26人。福山市145人。三原市19人。朝、竹切り。午後文化財協会、会計監査、役員会。帰って竹切り。夜、資料作り。
2022年3月29日。火曜日。晴れ。5737歩。72.45kg。昨日のコロナ感染者、広島県625人。うち尾道市41人。福山市100人。三原市30人。朝、前の井戸のポンプ付け替え。10時過ぎから青木城跡竹切り。午後、山の竹切り。長崎のゴミステーションへ石碑の写真を撮りに行く。夜、資料作り。
2022年3月30日。水曜日。晴れ。7510歩。73.45kg。昨日のコロナ感染者、広島県710人。うち尾道市32人。福山市125人。三原市30人。朝、買い物。明治橋まで歩く。帰ってから青木城跡へ竹切り。午後、山へ竹切り。孫たち来る。夜、せとうちタイムズ原稿書く。
2022年3月31日。木曜日。雨時々曇り。2409歩。73.25kg。昨日のコロナ感染者、広島県1091人。うち尾道市62人。福山市185人。三原市26人。朝、せとうちタイムズ原稿送る。桜が満開であるが雨模様で写真も撮れず。夜、古文書。
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夕されば あんずのつぼみ 光りけり
峰に登るは 早春の月
青空は明日は雨かと尋ねけり
なお余りある 峰の輝き
霞たち群青の海 波光る
沖ゆく船の消える影かな
モバ流れゆく白波の下
人影迫り逃げる小魚
読書の記録。
3月20日。
小和田哲男『戦国武将』、中公新書
3月26日。
藤田逹生『秀吉と海賊大名』、中公新書

















