2019年7月15日月曜日

夕凪亭閑話 2013年4月 

    
2013年4月1日。月曜日。晴れ。
隣の公園の桜も満開である。新年度のスタートにふさわしい。
月曜日は燃えるゴミの日なので、このところ片づけているがらくたを整理するのに都合がよい。併せて新聞が二週間分溜まっているので、出しておく。慌ただしい通勤の前に出さなくてよいので、快適である。
水温が上がって動きが例年より活発なメダカに餌をやり、水を少し循環させる。底の落ち葉を熊手で掬ってみると、越冬して少し大きくなった矢子が元気よく蠢いている。こまめに底ざらえをする必要がありそうだ。
郵便局まで歩き、未使用の年賀葉書を普通の葉書に換えてもらう。例年慌ただしい新年を送るものだから、古い年賀葉書が溜まっていたので、まとめて換える。
・・・かくして、春の日は暮れていった。夜桜見物は例年の如く冷気が身体に悪いので、屋内から鑑賞することにする。
 
 
2013年4月2日。火曜日。雨。
6時前に起きて、ブルーバックスを読んでいたら、再び眠ってしまった。8時頃起きて遅い朝食。まもなく雨が降り出した。寒い。散歩もできない。桜が気にかかるが、かろうじて大丈夫だろうと思う。
午後、因島へ。またまた雨の因島大橋。煙雨に覆われ遠くは見えない。
帰りに灯油を買っておく。まだ寒さは続きそう。
 
     春寒
夢醒林下草初萌
灯影如煙竹外横
小径鶯声春雨裏
閑吟午天暮寒軽
 
2013年4月3日。水曜日。曇り。
夜来風雨の声 花落つること知る多少ぞ 幸い満開の桜はよく春雨に耐え、明るい日射しに輝いている。しかし、全国的に寒波で、こちらも風が強い。
朝、義母を病院へ送る。ハローズに寄る。ここも老人ばかりである。どこも一緒である。10年後20年後は、日本のほとんどの町が限界集落になるのだろうか。
その後、元勤務校へ退職者健康保険証を受け取りに行く。帰りに図書館に寄って古文書の読み方を借りる。思ったよりも難しいではなかった。図書館は春休みのせいか、賑わっていたので、匆々と退散。
吉村昭著「縁起のいい客」(文藝春秋)を終わる。
午後昼寝の後、散歩。満開の桜の下でフード付きのアノラックを着た人たちが寒そうに花見をしていた。今日よりも明日のほうがよいと思う。
     桜雲
清明一白及芳時
丘上桜雲春色宜
万朶紛々花似雪
午風清景有新詩
 
 
2013年4月4日。木曜日。晴れ。
満開の桜の下、花見をしている人が多い。週末は荒れ模様の天気予報だから、明日が最後になるかもしれない。ただ気温が低いと思いのほか長くもつのが例年の傾向だから、その分長持ちするかもしれない。
朝、義母を病院に送る。
坪生の石州往来の遺跡、臼を並べた木陰を見に行く。馬を休ませた名残だろう。ただ、隣りに石臼の収集家の人が集めた物が夥しくあり、どこまでが石州往来の遺跡か判然としないのが、残念ではある。
野口武彦著「三島由紀夫の世界」(講談社)は昭和43年10月に書かれたものだから、三島さんが亡くなる二年ほど前の作品である。
「死」-「夏」-「海」。それ以後の三島文学にさまざまな主題操作(テマティッシュ・アルバイト)を経て隠顕するこの主導的な和声構造が明瞭な輪郭をあらわし、一つの歓声を示すのは、私見では昭和二十七年の『真夏の死』なのであるが、それらのイメージが早くもこの『岬にての物語』でそろって姿を見せていることはまことに興味深い。(p.69)
ずっと昔に買った今では古典的なこの評論を読み返してみたいとも思うが、とりあえず読み残してあった二章を読んで、終わることにしよう。
 
鶯の声する谷の山里に枯れ草突いて緑の芽吹く
桜花鶯の啼く谷見れば霞がごとし春の雲ゆく
 
    山寺春
山桜叢林午時鐘
古墓深閑詩筆慵
花影鶯啼雲日静
山門老樹夕陽春
 
 
2013年4月5日。金曜日。晴れ。
落花紛々というほどではないが、確実に桜の花が散り始めた。明日からの春の嵐に大方の桜は散るだろうが、まだやっと満開というところもあろうから、少しは風雨に耐えて、春の楽しみを長引かせてくれるものもあろうかと期待している。
入社式があり入学式があり入園式があって、春酣となるとともに新年度が既に始まっている。
もう勤め人ではないのだから、土曜日日曜日が特別な日でも何でもないのに、金曜日の夜を迎えると、ふと安らぎに似た感情を覚えるのは、長い間の習慣のせいだろうか。
サンデー毎日の生活を送っていて、特別の日課があるわけではないから、週末を憩うという必要はないのだが、アクセントをつけるのはよいのかも知れない。例えば読書はしないとか、あるいはヘブライ語を学習するとか、非日常的世界を週末に持ち込むのはいいかも知れぬ。
三週間ほど孫を連れて滞在していた長女が帰ってしまったので、すっかり寂しくなった。来るごとに言葉を増やす孫を見て喜ぶのは当然としても、こちらがその分老いているということを自覚せねばならぬ。人の命は永遠ではないということを誰もが知っている。しかし、明日死ぬかもしれないと思っている人はあまりいないのではないだろうか。私とて同じこと、死ぬ準備は全くできていない。
珍しく飽きもせず相対論を読んでいる。桜の頃までには関心は遠ざかっているだろうと、年末に予想してはいたが、いまだに日々格闘している。岩波全書の内山龍雄さんの「相対性理論」は決してやさしい本ではないが、魅力的な本である。だいたい読んだが、分かってないところのほうが多いので、二回三回と読んでいるところもある。少しでも理解が深まったと思われる錯覚は、随分と読書意欲を持続させるものであると、今更ながら気がついた。
梅原猛「美と宗教の発見」(集英社・著作集3)の残りのほうを読んで終わった。
 
花は散り風去りゆけど春の日に桜並木は静まり光る
満開の風に乱るる桜花散るを惜しんで何処に行かん
 
     一鶯
徘徊無頼暖風軽
老大幽居林下家
曲径草痕春色遍
斜暉出谷一鶯鳴
 
 
2013年4月6日。土曜日。雨、強風。
満開の桜にはむごい春の嵐です。曇天のもと、降ったり止んだり。そして風も吹いたり止まったり、です。庭の植木が、小刻みに震えており、時折強く揺れます。
気温も低く肌寒い感じがします。まだまだ早春なのだと認識を新たにする必要があるでしょう。
夕方、昼寝から覚めてみると風も雨も止んでいる。これ幸いと散歩に出かけた。満開の桜にそそいだ風雨の結果として、雪が積もっているようにアスファルトの上に桜の花びらが敷きつめられていた。樹上にもまだ夥しい桜が開いており、もう少しもちそうな予感がする。
雨風が止むと気温は思ったほど下がらず、まさに春宵一刻値千金のゆうぐれであった。
山岡望著「化学史談Ⅰ ペーター・グリースの生涯」(内田老鶴圃新社)を終わる。アニリンのジアゾ化というのはアゾ染料を作るカップリングと一連の反応として、芳香族化合物の掉尾を飾る重要な反応で、私が大学受験したときにも出題された(何とかできた)思い出深い反応であるが、それを研究したのがペーター・グリース。 
山岡望先生というのは、私にとっては懐かしい名前だ。教員になった年、岡山朝日高校の香西民雄先生からこの伝説の名物教授のお話は詳しくお聞きすることができ、その朝日高校が建っているところが、まさに第六高等学校の敷地で、その地で演示実験と化学史のお話で戦前の若者を魅了したということであった。構内に小川も流れ、泉水の傍には当時の面影を伝える建物や記念碑も残っていた。インターネットなどない時代だから、早速出入りの書店の外商員に全著作を注文して購入した。爾来36年の歳月が流れた・・・。談・伝・筆のうち、談のほうが読み残してある。追々読んでみよう。
なお、当時のパソコン事情といえば、NECのパソコンクラブというのがあってワンボードマイコンが7万円だった。手取り9万円ほどの薄給の時代だから、手を出さなかった。それでもボーナスをもらうと日本語タイプライター「パンライター」を買った。10万円以上したように思う。PC-8000でBASICをやり出すのはそれから1年後のことである。なおFORTRANの講習会というのが学生時代にあり、一応受講したが何のことやらわからなかった。BASICを先にやっておればよくわかったのに、と思ったがそういう環境ではなかったのだから仕方がない。なおBASICをやりすぎて、ずっと後年、C++を学び始めたときには、発想の転換に苦労したことを今でも鮮明に覚えている。
書棚にある、相対性理論の紹介の第2弾。C・メラー著、永田恒夫、伊藤大介訳「相対性理論」(みすず書房)は昭和34年初版発行という古い本ではあるが、400頁近くある大著で、全編相対論で、なかなか贅沢な本である。
 
こずえ打つ雨に桜の散りゆくはさだめとはいへ悲しかりけれ
雨あがり散り敷く花の跡たづねこずえのかなた夕煙かな
風に舞い雨に打たれし桜花土曜の午後は静かに暮れし
 
    幽庭
花顔点滴故郷情
芳草幽庭春漲平
煙雨風斜紅影乱
書窓一刻寂声無
 
 
 
2013年4月7日。日曜日。晴れ時々雨。
明け方また雨が降っていた。風も舞っていたのだろう。しかし、日中は時おり木々が激しく揺れるものの、昨日の嵐は何処へと思わせるほどの好天気。
午後因島へ。もう今日は降らないだろうと思っていたのに途中で雨。やはり不安定な空模様であった。風は強かったが、雨が止んだので松の剪定を少し。時期としてやや遅れがち。本来ならこの時期は芽かきの頃。小枝や長い葉の剪定も同時に行う。
 
小林秀雄著「ドストエフスキイの作品」(新潮社・小林秀雄全集6)を終わる。別の巻の「ドストエフスキイの生活」と合わせると大作「本居宣長」よりも長いのではなかろうか。渾身の大作と評してもよい作品である。
 
さて、相対論の参考書、第3弾は、湯川秀樹監修 岩波講座現代物理学の基礎の2「古典物理学Ⅱ」を挙げておこう。1973年3月発行の1400円のものである。学生時代に発売され、諸物価高騰の折りにしては安い本だった。その後書籍の値段は鰻登りに上昇するのだが、この厚さで1400円とは信じられないような値段である。岩波が安かったのか、嵐の前の静けさのような安定期にあったせいかは、今では記憶にない。何はともあれ安かったの買ったということを覚えている。しかし、初版は誤植が多くて、二版が出たら買い換えてもいいかなと思っていたが、待てど暮らせど二版が出ない。そのうちにこちらも年をとって先が見えていたので、結局二版が出たときには購入意欲はとっくになくなっていた。不幸な事情があったし、湯川博士も亡くなられてしまったしということで、出版社のほうでもちょっと手がつけられなかったのではなかったのだろうか。しかし、その不幸な出来事(書物にとって不幸な出来事というのは、決まっている。興味ある方は1974年12月発行の11巻「素粒子論」の月報を見られたい。) を差し引いても、良い本だと思っていたので、そのまま埋もれてしまうのは惜しいと思っていた。第二版は目を通していないが、おそらく改良されていると思う。
もちろん、12巻の「宇宙物理学」にも相対論は出てくる。
 
鶯の谷を隔てて鳴きにけり
桜散り提灯の灯に空開く
 
ゆふぐれて風吹きわたる桜花西へ東へ何処とやゆく
低気圧過ぎにし里の桜花こずえに残る遅咲きの色
見上げればまだ残りおり湿り葉の間に光る色づく桜
 
    鶯語湿
田園人散暮鐘微
午枕青灯花打扉
春樹雨過鶯語湿
閑愁一刻往来稀
 
2013年4月8日。月曜日。晴れ。
嵐は過ぎ去り、通常の春が戻ってきた。たいていの小中学校が既に学校が始まったらしく、散歩しても見かけることはない。
早くも今日は燕が舞っていた。数は少ないが元気がよい。
夕凪亭は午後は日が射し込まないのでやや寒い。そこで車を屋根のあるところから少し出して、そこに乗ってみた。リアシートを前に倒すと荷台と同じ高さになる。毛布を二枚敷いて、対角線上に寝転ぶとちょうどよいということがわかった。3時間ほどそこで読書をするも、大半は昼寝。光熱費の節約にはなる。
 
「芥川龍之介全集第三巻」(岩波書店)を終わる。これは1977年10月発行のもので、随筆評論小説をジャンル分けせずに年代順に並べたもの。
 
相対論の参考書。砂川重信著「物理の考え方5 相対性理論の考え方」(岩波書店)はコンパクトな入門書ではあるが、安易な妥協はなくて本質をビシッビシッと衝いてくる本である。だから、一見やさしそうに見えるが、決して優しくはない。だが、基本的なところが丁寧に書いてあるので、初心者にはありがたい。ただ、全体のページ数が制限されているのが惜しいように思える。
 
つばくらめ朝の光に逆走す
透明の風斬りて舞うつばくらめ
 
菜の花に桜は散れど春は今朝日の中に立ちのぼりけり
目覚むれば午後の日淡し庭の草春の装いよわよわと起つ
里近く鳴く鶯の影見えず燕横切る春風清し
 
   燕到初
看花漫歩白雲居
天地悠然燕到初
孤村田畦芳草野
烟光半里午風疎
 
 
 
2013年4月9日。火曜日。曇り時々晴れ。
連日気温があまり上がらないせいか、桜の花が残っていてうれしい。既に緑の若葉が出ているのでうすいピンクの花びらと緑のコントラストが風情があってよい。
昼過ぎに散歩のほかは夕凪亭で過ごす。とはいえ午前中は半分ほど寝ていたが。
山岡望著「化学史談Ⅲ ブンゼンの八十八年」(内田老鶴圃新社)を終わる。ブンゼンバーナーのブンゼンである。炎色反応のブンゼンである。セシウムとルビジウムの語源についてはp.273に書かれている。なお、キルヒホッフとブンゼン連名の「スペクトル線の観測による化学分析。第1報、第2報」の翻訳(抄訳)と解説が日本化学会編「化学の原典第Ⅱ期 6分析化学」(学会出版センター)に収められている。
相対論の本。ランダウ=リフシッツの「理論物理学教程」というのは、やや難しい部類の参考書で全巻を持っているわけではないが、英訳版がインターネットアーカイブにある。相対論は広重徹、恒藤敏彦訳「場の古典論」(増訂新版)で東京図書から出版されていた。
 
春風や午後のポストに白壁の道
鴉来て飛び散る桜嘴に
桜散るグランドゴルフ午後の陽や
 
朝光散りゆく花の端々に千の命のかたみなるらん
今桜咲き終わりてぞ幾とせの今年の春を静かに送る
白雲の桜の上に集まりて忘れぬ春の日も暮れぬ
   古寺
深閑不覚踏花叢
何処飛来門外風
古木春光苔色緑
老松清境紺園中
 
  うさぎ
春になると 
兎を飼う
裏山へ どんごろすを持って
兎の餌をとりに行く
三日分をとってこなければ
兎はやせる
 
春になると思い出す
そして言う
兎が飼いたい と
 
 
2013年4月10日。水曜日。晴れ時々曇り。
朝買い物をして図書館によって帰る。かつては、図書館が勤務先と自宅のちょうど中間にあったので、立ち寄ることに抵抗はなかったのだが、わずか5分とはいえ、わざわざ行くのはネルギー的にも時間的にも勿体ないので、買い物-図書館というルートはいいかも知れない。ただ気温がもっと上昇すると考え物ではあるが。
 
帰って散歩。往復30分。今日は元気があったので県境の坂の墓地を登って、日に日に新緑が芽吹く山や、微かに煙る町並みを眺めたりする。住宅は遠くまで密集しているのに、この福山市最東部の県境の小学校の昨日の入学生が19人とか。校舎の一部は使われていないということである。19人ならまだいいほうなのかもしれない。日本全国でそれ以下の入学生で入学式を行った小学校がたくさんあるはずである。人口社会学者のエマニエル・トッド氏の考え方では、こういう社会は衰退するのである。それは衰退しているから人口が減るのかもしれないし、人口が減る要因を抱えている社会というのは下降期に入っているといえるのかもしれない。結局は同じことであろうが。
 
午後は、少し寒くなったので、夕凪亭別館Fitを日なたに出して、三角マットを敷いて本を読んでいたら、結局大半を昼寝に費やしてしまった。
 
昨日、堺市の工場において、銅と亜鉛を融かす熔解炉で爆発が起こった。その昔、奈良の大仏を鋳造するときの最大の注意点は、高温の溶融した銅を流し込む型枠の中の水分だった。水があると高温の銅に触れたとたん水は一瞬にして水蒸気となり体積は膨張する。仮に1000℃の水蒸気になるとすると体積は約5800培になる。水蒸気爆発である。渡来人の鋳物師はそのへんのことをよく理解しており、作業場に雨水が入り込まないように大きな屋根を作ったに違いない。
 
平井正穂訳「ロミオとジューリエット」(岩波文庫)を読む。何年か前に全翻訳作品を読んでからの第一冊目ということになるのだが、何度読んでもよい。
伊東俊太郎「比較文明」(東京大学出版会)という希有壮大な本はずっと前から読んでいたものだが、最後のあたりに読んだ印が入っていないので、そこを読んで終わることとする。
 
弱日にも耐えて動くは田螺かな
黒田螺水澄みわたり反転す
飽きもせで飼うつもりなき田螺かな
 
新緑の山を背にして登りしは春まだ浅き墓地の階段
新しき墓によりそうあおしきび遠く聞こえる鶯の声
風に舞う桜の花のうしろには青き空あり白雲流る
 
   午眠餘
柴門無客駆軽車
満眼彩加一巻書
風暖公園花乱落
残桜麗日午眠餘
 
   兎
白い兎の餌は
緑の葉
水滴があると死ぬという
 
ひと葉ずつ 
吟味する背に
夕闇が迫る
 
澄んだ赤い眼が
餌が投げ入れられるのを
今か今かと待っている
 
 
2013年4月11日。木曜日。晴れ一時小雨。
バスツアーで吉野へ桜を見に行ってきた。7時半にバス会社の福山支店を出て山陽道を走り、12時15分に下千本の観光バス駐車場に着いた。太平記ゆかりの朱塗りの大橋下、近鉄吉野駅からハイキングコースの終点あたりで、キティちゃんのビニールシートを敷いて昼食を食べる。その後、ロープウェイ山上駅、黒門、銅の鳥居を見て、金峯山寺の仁王門、蔵王堂を経てビジターセンターまで上がる。そこから満開の上千本が遠望できる。また下の向こう谷が中千本である。散りかけた下千本の赤い葉桜やピンクの花びら、それに新緑に萌える楓などの配色が美しい。まことに立派な桜名所であった。
3時半にバスは出発して帰路についた。三木SAで沈む夕陽は見事な真赤で、思い出を添えた。
ということで、いつもの散歩はしなかったが、本日の歩数は7399歩であった。
福田恆存訳「ハムレット」(新潮文庫)終わる。この文庫本だけで4回目となる。奧の深い名作である。
相対論の参考書。今日はアインシュタイン著、矢野健太郎訳「相対論の意味」(岩波書店)を挙げておこう。これはアインシュタイン自身による解説書なのだから、最高の参考書といってもよい。しかし、やはり、難しい。
 
人に酔い桜に酔いし吉野山
苔むして歴史を語る桜の木
霧雨に霞む大和の花の色
 
春の日にバスに揺られて花訪ね下の千本上の千本
老人が迷子になりし花街道門前町の春のにぎわい
弁当の上の花びら何処よりキティシートに飛び来たるかな
 
   吉野
浮生一路看花遊
風送行人登小丘
山寺千枝春若画
紛々美景不知愁
 
       兎の子
兎の子どもが生まれたという
オスが十五円
メスは二十円
 
電柱の下で拾った銅線を
ボロ買いに売って貯めたお金
メスを一匹買った
 
白い顔に
赤い眼
長い耳に
小さな鼻
 
それでも
前足をすばやく動かす
逃げようとするのだ
それが
春の始まり
 
 
2013年4月12日。金曜日。晴れ。
隣の公園の桜は大半が散ったのに、気温は低い。午後は例によって夕凪亭別館Fitで2時間ほど読書と昼寝。エコである。
郵便局に固定資産税を払いに行き、少し散歩。
 
「寺田寅彦全集 第四巻」(岩波書店)を終わる。線香花火や金平糖の研究をしたらよいという提案がある。(p.127-130,p.130-132)
荒田洋治著「水を知ろう」(岩波ジュニア新書)を終わる。これは「水の書」(共立出版)の高校生版であるが、なかなか深い考察もあり、おもしろい。
 
相対論関係・・・矢野健太郎著「アインシュタイン」(講談社学術文庫)これは講談社の人類の知的遺産シリーズの一冊である。伝記と解説に加えて原論文の翻訳があるので、それぞれのレベルに応じて楽しめる貴重な一冊である。原論文の翻訳のところだけでも横書きにしてほしかったと思う。
 
賑わいの門前町に桜散る
こちらにもあちらにも有り桜花
吉野山桜吹雪のヘリが舞う
 
吉野山訪ねし桜山に逃げ彼方の山に今盛りなり
吉野山桜しぐれのくず餅は緑したたる炭水化物
石段の上で睥睨仁王像桜吹雪を下に見て
 
   急雨
塵縁満目百花繁
歩逐遊人路欲昏
春樹雲流逢急雨
残桜行楽緑陰村
 
  兎小屋
林檎箱を横にして
金網張って釘を打つ
小遣いもって雑貨屋へ
ドアと柱の間で曲がるところが欲しいという
「ちょうつがい」はあちらの棚
ついでに、南京錠と鍵止めも
買って帰って工作再開
藁を敷いてできあがり
 
 
2013年4月13日。土曜日。晴れ。
朝少し明るくなっているので起きようかと思っていたら、今まで聞いたことのない音が携帯電話から発せられた。アラームをセットした記憶はないが・・と思って手に取ると、緊急地震速報だった。記録を見ると、5時33分31秒で「播磨灘で地震発生 強い揺れに備えてください。(気象庁)」とある。 すべてを読み終わらないうちに揺れ始めた。播磨灘と見て、前の阪神淡路大震災のことを思いだした。あの時はまだ暗かったが、かなりの長い時間揺れた。それと比較すれば、地震の規模が予想できる。前の時ほど大きくないというのが、すぐの想像された。テレビを入れて確認してすぐに消した。それにしても、揺れよりも警告が少し早いということに感心した。ここまで技術が進歩したかと思うと感動的である。
 
午後、因島。桜は残ってはいるが葉桜になっている。久し振りの陽気で、小島の春が満喫できた。松の剪定を1時間ほどする。ただし、時期的に遅いのでもう少し刈りたいところを、控える。
 
樋口敬二編「中谷宇吉郎随筆集」(岩波文庫)を終わった。寺田寅彦についての回想が特によい。他にも印象に残る名随筆がたくさんあった。広瀬淡窓、島津斉彬についての短文も焦点が定まっている。千里眼と立春の卵、それに地球は丸いという話も印象的だった。さらに驚くべきことが書いてあった。それは現在も科学的根拠がないと言われながらも跋扈しているマイナスイオン効果の話が過去にもあったということである。「ある大学の研究室では、陰イオンが、喘息や結核性微熱に対して沈静的に作用するという結果を得て・・・」(p.306「語呂の論理」)とあるではないか。
 
相対論の本・・・湯川秀樹監修「アインシュタイン選集」(共立出版)は3巻本で、発行されたときから高かった。古本で求めたがそれでも高価である。一般相対性理論と統一場理論は2巻に翻訳されている。
 
桜散る午後の日に島光る
波光り汐流れゆく春の海
緑濃き岬を削る春の雲
 
鶯の一声高くさえずりてキギス鳴くなり声をひそめて
緑濃し畑侵して天を突く春風ゆさぶ竹藪あらた
汐引いてアオサ掛かれる岩肌の光まぶしき春の日の午後
 
   浅春
空梁雲外自従容
鳥語無塵花影濃
四面浅春山木緑
清風日午一庭松
 
  兎の死
翌朝 兎はいなかった
壊された金網
夜のうちに野犬が襲った
そう思うしかなかった
また 来年飼いなさい
母は励ますように言った
諦めるほかなかった
その春はそれで終わり
 
 
 
2013年4月14日。日曜日。晴れ。夜雷雨。
やっと陽春という感じになりました。でも、午前中は夕凪亭に籠もりきりです。食卓用椅子が3脚配達される。長女夫婦からのプレゼントです。古いのは捨てるのが勿体ないので、夕凪亭で使います。以前、食卓椅子が壊れたので捨てるつもりで外に出していて、新しく購入することを検討していたら、椅子というものが、こちらの思っている以上に高価だということに気づき愕然としました。そして、捨てる予定の壊れた椅子と言うよりも木材をもう一度持って入り、ポリ酢酸ビニルのエマルジョンである木工ボンドで、つなぎ合わせて復元したことがあります。今回、お古になったものの一つはそれです。ですから、魂が籠もっているので捨てるわけにはいかないのです。
 
午後散歩。桜はまだ残っています。鶯がすぐ近くで鳴いています。カメラに収めようと努力しましたが、残念ながら見つけられませんでした。鶯は姿を見る物ではなく、声を聞く物なのでしょうね。きっと。
 
夜、春雷。「地震雷火事おやじ」と言われるが、上位2つが昨日今日と続けて起こった。
ふと、日本丸の行く末に暗雲がかかっているような気持ちになりました。
インフレを誘導して金利を上げたら、赤字国債の借金をさらに増やすことになるのだから、愚策だと気づかないといけない。
 
佐々木俊尚「キュレーションの時代」(ちくま新書)は最近の情報戦争の報告書です。TwitterやFacebook等のプラットフォームを中心に、人と人の「つながり」がどう変化したかという、現状報告書です。その分析は明確で刺激的です。しかし、そこに描かれている世界が見かけほど豊饒な世界とは思われません。いわば偉大なる虚無の世界だと思います。過度期ということで、未来のことはともかくとして。
バーチャルという言葉はあまり使われなくなりましたが、まさにバーチャルな「つながり」であることをお忘れなく。
 
春雷の過ぎるを待ちし洗濯機
雷の残花あわれと轟きぬ
散り残し花を襲うは春の雷(らい)
 
春の午後近くに鳴きぬ鶯の姿留めん息を殺して
木蓮の紫の花地に落ちて春の速度は今上がりけり
馬酔木咲く春の一日陽は満ちて桜花びら春風に舞う
 
    疎雨
白椿淡寂燕行新
雲辺幽居易憶人
春宵疎雨過
香消花涙夢成塵
 
   二度目の兎
季節は再び巡り
兎の春がきた
メスを飼って仔を産ませたい
去年と同じように林檎箱が兎小屋になった
雨の日が続く
やっと晴れたのでチチグサを取りにいく
少し濡れているが、仕方がない
幼い子供にとっては
梅雨をいかに越すかが最初の試練
 
 
2013年4月15日。月曜日。晴れ。
暖かい日。そのせいか朝から快適です。日曜日の夜は長い間の習慣で日曜日が終わるという憂鬱症が襲ってきました。サンデー毎日ですから、根拠は無いものの習慣というものは恐ろしいものです。それに対して今朝はその習慣に襲われることもなく朝から精神的にも快適です。
午前中、少し昼寝。午後、買い物、眼科定期通院、郵便局、散歩。5018歩。
 
竹内敬人著「化学の基本6法則」(岩波ジュニア新書)を再読した。これは名著である。現在われわれが学習する化学の理論は、すぐに世の中に受け入れられたものばかりではない。むしろ大部分がはじめは相当反対にあったり無視されたりした。そういう歴史を詳しく書くと、返って本筋がわからなくなるが、岩波ジュニア新書という主に高校生を対象としている本ということもあって、ほどよくまとめられている。そのほどよさが実に見事というほかない。
 
相対論の本・・今日は特殊相対性理論の原論文の翻訳書の紹介をしておきましょう。注や解説が最も詳しいのが内山龍雄訳の岩波文庫。他に、講談社学術文庫の「アインシュタイン」、アインシュタイン選集の第1巻、それに東海大学出版会の物理学古典論文叢書の第4巻があります。
 
水草の売れ残りたり午後の日や
揚げひばり誰に伝えん朝の気を
浅瀬来て餌求むなりめだかの子
 
自転車の登校送る揚げ雲雀その田圃道面影は無し
つばくらめ行きつ戻りつ目の前を餌はいるのかと怪しみて
夕陽浴びる老婆のもとに鶯の声の届けり深閑として
 
  煙景
江山十里是皆花
古渡春光映彩霞
一道斜陽煙景好
浮生暮色感無涯
 
 
 
  二年目の兎
二年目の兎は梅雨を越さなかった
濡れた草か
はたまた、やへむぐらか
ぎざぎざの草を、のどひっかけといって避けていた
乾いた草を探しあぐねて、のどひっかけを混入させたのか
また 来年飼いなさい
母は励ますように言った
諦めるほかなかった
 
 
2013年4月16日。火曜日。晴れ。
暖かい日でした。やっと春の服装にしました。
午前中、歩いて内科通院。午後、散歩。7027歩。
 
大賀典雄著「SONYの旋律」(日本経済新聞社)は私の履歴書として、日経に連載されたものに加筆したものである。勇気と元気の出る本であった。それにしても大賀さんのバイタリティには驚く。伸びるときはいいが、これだけ大きくなった会社を維持していくことは大変だ。組織はすぐに古くなる。壊してやりなおしたほうがいいのではないか、と思う。
 
山桜墓地に向かいて今咲けり
鶯の赤き山肌こだまして
墓地登り黄砂の町を見下ろすや
 
桜散り午後の日照る公園に老婆座りて空を見る
公園に憩う老婆に鶯の鳴き音静かに春の日はゆく
山を降りまた登りけり七千歩歩けることの今日のしあわせ
 
  残桜
半里青青春鳥啼
雲流一水与天斉
残桜花径東風暖
帰路孤村斜日低
  (仄起式に変えてみました)
 
  夏の兎 
三年目の春は
梅雨を越した
でも、初夏の午後気が付くと
赤い目は黄色い透明に変わっていた
顔を横にし、長い耳が藁の上に弱々しく垂れていた
今年の兎は暑さに倒れたのだ
 
 
2013年4月17日。水曜日。曇り。
朝から薄曇り。でも暖かい日だった。
不燃ゴミの日。長年使っていたアタッシュケースを廃棄した。本革製なら修理して使えばよいのだが、そんなものではないので、涙を飲んで捨てた。
三宅島で震度5の地震。淡路島、イラン、そして三宅島。地球よ荒ぶるな!
竹内淳著「高校数学でわかるシュレディンガー方程式」(講談社ブルーバックス)終わる。著者の意図は気高くてよい。入門書だからといって数式を使わないのはわかりにくい。そういうのは、おそらく売れゆきを心配する出版社側の配慮だろう。妥協の産物として「高校数学」と限定するところは読者に主旨がよく伝わってよいだろう。しかし、量子力学は何冊も読まないとわからない。その何冊かの一冊に加えてもよい本である。
 
相対性理論の本・・・専門書ではなく入門書として。内山龍雄著「相対性理論入門」(岩波新書)は丁寧に書かれているよい入門書である。岩波新書ということで、数式はない。そこが少しもの足りないが、本格的な岩波全書があるのだから、「棲み分け」を尊重しよう。
 
虎杖を尋ねし山野半世紀
虎杖の赤き斑点懐かしき
虎杖も宿り木もあり郷里(さと)の山
 
葉桜に負けじと光るはなみずき春風匂う曇り日の下
曇り日は春霞かと人思う時は静かに流れゆくなり
卒業に春まだ浅き公園の岩の上から霞む海見る
 
     歳月
宿志風懐夢自多
浮雲逝水去来波
孤灯誦讀君知否
目送落花歳月過
 
 
  三年目の兎
三年目の兎は 暑さを避けて
鶏小屋の奥深くに 林檎箱の兎小屋を置いた
兎を売ってくれた上級生が見にきた
かまけとるのお
動物も植物と同じように陽にあたらんと育たん
兎小屋を前に出した
 
 
2013年4月18日。木曜日。晴れ。
春らしいよいお天気。午前中読書と買い物。戸外は暑い。午後、散歩と昼寝。山桜が春風に舞う。まさに桜吹雪。
辻直四郎著「インド文明の曙」(岩波新書)終わる。「サンスクリット文法」の辻直四郎先生の著作であるから難しいことは覚悟していたがやはり難しかった。ヴェーダとウパニシャッドの部分訳を含む解説が中心にインド古典文明についての概説である。
 
相対論の本・・・ファインマン物理学の訳本5巻のうち、Ⅰは「力学」である。その15章から17章が特殊相対性理論。
 
家詰まり残る畑や桃の花
風巻きし桃の花咲く道を行く
桃の花午後の日照らす通学路
 
ふと見ればひらひらと舞う山桜春風の吹く午後の公園
鶯の長き鳴き音は谷越えて春暖かく遠くへ流れ
春風や雉鳴く山の新緑は黄砂の中に霞みて浮かぶ
君の待つ改札口の花便り春浅き日の午後に書かれし
 
  書痴
多望半生歳月馳
青衿微志一書痴
浮沈無限少年夢
夜夜吹愁拙劣詩
 
オスの兎
メスを買ったのに
成長してみればオスだった
さからせてやると
一匹返すのがしきたり
一月たっても音沙汰無し
流れた
と年上の少年は言った
 
 
2013年4月19日。金曜日。晴れ。
晴れているのに風も少しあって、やや寒い春の日でした。ちょうど桜が咲く頃の冷え込みようと似ておりました。
午後、散歩。それから夜、古文書を読む会の1回目。難しかったというのが感想。
竹内淳著「高校数学でわかるマックスウェル方程式」(講談社ブルーバックス)終わる。電磁気学というのも熱力学と同じように難しい分野で勉強の仕方が分からないと思っている。それでも熱力学のほうは長い間読んでいるとどうにか、年をとってわかりかけたのであるが、電磁気学はやはり難しい。特に電気回路は好きなのに電磁気学のほうはどうも・・・と思っているのは若い頃も今も変わりはない。それが、この本は見事に電気回路と電磁気学をわかりやすい形で融合して説明してあるのが好感がもてる。それに微分だの積分だのという意味が少しわかったようにも思う。すべては理解できなかったが、労作だと思う。
 
相対論・・・パウリ著、内山龍雄訳「相対性理論」(ちくま学芸文庫)。文字は小さいが横書きであることがうれしい。下が一般相対性理論になっている。
 
故郷の水澄みたるか春の海
春の海冷たき足のゴム草履
岩肌のあおさ色づく春の海
 
モッコウバラ短き命今日の冷え込み如何に伸ばすか
あたらしき天に伸びたるこずえにもモッコウバラの小さく咲きて
青空の寒さに負けし鶯の越える谷間に午後の日淡し
日かたむく港の街の春霞半年ぶりの君去りし坂
 
  独座
塵事江湖別有天
苔生不掃竹窓前
松陰独座薫風裏
門径青灯人未眠
 
 鳶
まるで空から降ってきたかのように
一瞬にして落ちてきた
まだ命ある猛禽の
眼の鋭さ
怒った嘴
命をかけた脚の爪
コーナーに追い込み
うち捨てられた肥料袋で押さえ
これまたうち捨てられた藁縄で結ぶ
どうやら観念したらしい
 
 
2013年4月20日土曜日。曇り午後雨。
寒い。冬に逆戻りのような天気。
昼ご飯はピトンでワッフル&コヒー。
帰って散歩。県境の小学校。さらにいつもの墓地のあたりまで歩く。春の草花、植物はまさに百花繚乱である。
夕方5時過ぎの電車で岡山へ。まきび会館で光南一期会へ出席。今年30周年になる学校の創立メンバーの会。次女が産まれた年に開校した。あれから30年か、と思うと感慨深い。人生の節目というのだろうか。出会いと経験、それに超過密な忙しさ。そこを経ることによってそれぞれの人生が変わった。そういう場だった。既に鬼籍に入られた方も多い。改めてご冥福を申し上げ、生前のご恩顧に感謝。
中谷宇吉郎著「雪」(岩波新書)を終わる。科学の方法というのはどういうものかということが、理屈ではなく実際の実験や思考からにじみ出ている大変すぐれた本である。
寺田寅彦が「線香の火を消さないように」と言ったことが中谷宇吉郎随筆集に書いてあったが、まさにそういう精神が横溢している。科学研究といえば高価な実験器具を使ってするもの、と思いがちだが、この本を読むとそればかりが科学ではないことがわかる。
同じようなことが「ブンゼンの八十八年」にもあった。ブンゼンがいろいろな測定をするのに考案した数々の工夫も中谷博士の考案に通じるものがある。
有名な雪は天からの手紙であるという言葉は本書に出てくる。そこを引用しておこう。
「このやうに見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるといふことが出来る。そして、その中の文句は結晶の形及び模様といふ暗号で書かれてゐるのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるといふことも出来るのである。」(p.156-)
 
相対論の本・・・P.A.M.ディラック著、江沢洋訳「一般相対性理論」(ちくま学芸文庫)。こういうのが文庫で読めるということがうれしい。読めるということと理解できるということは別のことではあるが。
花馬酔木風冷たく雲多し
馬酔木咲く垣根濡らす午後の雨
午後冷えて冬もどりかと花馬酔木
 
春風に震えしままに襟を立て列車の通過立ちて見送る
午後の風春であること忘れさせ前屈みにて歩く老嬢
駅前のモータープールの白塀はイオンモールの建つ予定地
君と行く銀河のコーヒー汐香る商店街の午後のにぎわい
 
 
回顧
奔走酸辛不易求
蹉?万感幾春秋
丹心熱血故人志
不朽浩歌何日酬
 
 鳶
鶏小屋に入れられた鳶は
鉄砲で撃たれた羽をいたわるように
片方の翼を苦しそうに動かし
弱々しく出てくる
餌を与えておけば
減っている
このまま元気になればよいが
治療の手だてはなかった
 
 
2013年4月21日。日曜日。晴れ。
サンデー毎日なのだから、土曜日日曜日といって喜ぶ理由はないのに嬉しいのは、長い間の習慣だけではなさそうである。多くの人が仕事を休み、レジャーにスポーツにと非日常性を謳歌する日なのである。そのことに共感するから、嬉しいのだろうか。ということは私の中に、そういうものを共感したいという欲求があるのに違いない。それは祝祭に対する感情に似ている。だから、日曜日は嬉しいのである。
 
今日のような日は、ストーブを点けて炬燵に入って本を眺めるに限る。もう桜も散ったというのに・・・。地震列島はどうなっているのだろうか?
午後は因島へ。春霞に煙る小島の春を満喫。とはいうものの、寒いので松の剪定はしなかった。因島大橋から見る大浜町の海岸に浮かぶ二つの岩礁はほどよい潮位で美しい。今日は鏡浦の梶の鼻も青い海にくっきりと浮いている。
 
象皮症とは呼ばないと思うが、指の皮膚が乾燥してひび割れて痛くて困る。ということでサンデー毎日一月の近況として、決して恙無いことはないのである。10%サリチル酸ワセリン軟膏5g+ボアラ軟膏0.12%5gを調合してもらった塗り薬が、塗っていればよいのだが、時間が経つとかえって悪化しているような状態なのである。そこで、アロエを切ってきて、ぞの樹液をつけてみることにした。アロエはわが故郷のほうでは「医者いらず」と呼んで重宝していたものである。これを塗るということはアロエVS皮膚科というか、アロエVS現代医学という、プロ将棋士とコンピュータソフトの対決以上に興味津々たるものがあるように思います。
 
大川貴史著「高校化学とっておき勉強法」(講談社ブルーバックス)を読んだ。これはかゆいところに手の届いた本であるとともに、きわめてマニアックな本であると言える。そして、正直言って難しかった。蓼食う虫も好き好きで、一人っ子でもないのに好き嫌いの激しい私としては、ついていけないところもあったが、良書である。こういうのを若いうちにとことん読み込めば人生が大きく開けることはまちがいないが、私は人生を閉じようとする人間であるので、私にはこれ以上開ける必要はない。
 
相対論の本・・・H.ワイル著、内山龍雄訳「時間・空間・物質」(ちくま学芸文庫)というのは、美学的数学者ワイル教授の傑作で、歴史に残る名著です。ただ、美しいと言う言葉とやさしいと言う言葉が、日常的に同義語でないのと同じことです。
 
2013年4月22日。月曜日。晴れ。
朝からよいお天気。週末からGWが始まるというのに、寒い朝だった。昨日は睡魔に襲われ、俳句その他の創作はお休みした。どうもスイマセンというところ。
乾燥皮膚は朝起きたときはいい調子でさすがアロエ効果!と思ったものの時間とともにまた乾いてシワシワになってきた。朝次なるアロエを取りて塗るも元の黙阿弥。次なる手は猫が脚を舐めるように水分を与えている。ということで、第二ラウンドはアロエVS舐め猫、とい次第である。
夕凪亭には午後は陽が入らないので、またまた夕凪亭別館Fitに移動。12時過ぎから15時まで居眠りをしたり読書をしたりとエコサンルーム体験をした。それでも最初のうちは暑くドアを半開にしておいたら冷気が入ってきた。もうしばらくは利用することがあるだろう。
竹内敬人著「化学基本データ」(岩波ジュニア新書)を終わった。これもかゆいところによく手が届いているというほどコンパクトに要点をまとめてある。初心者は座右に置いて再読三読されるといいだろう。ここまでは、読みかけのものを最後まで読んで読了として日々連ねてきたが、これで終わりである。ここまでで、月平均10冊の目標に達したので、後はのんびりと気儘な読書に徹したい。
 
相対論の本・・・The Principle of Relativity (Dover)というのは英訳論文集でアインシュタインの他、ローレンツ、ワイル、ミンコフスキーの論文があり、またミンコフスキーの論文へのゾンマーフェルトの注記がある。
 
ゴミ捨ててアロエ手に塗る春の朝
皮膚乾きひび割れ痛しアロエ塗る
皮膚も臑もどこかが痛し老いは進みて
一つ済みまた次がある雑事かな
 
桜散り春たけなわの寒さには午後の陽入る窓を移して
西海の生月島で鯨獲る双海一艘一銀借りし
鯨獲る網を直すに海越えし生月島に夕陽の沈む
 
  清宵月
年少多望在海城
浮雲落日暗愁生
難忘憶昔清宵月
流水知不無限情
 
菓子博の甘い話は後怖し
農やめて食糧を買う外貨無し
 
  鷺よ
長い脚 大きな羽
悠々と飛ぶその姿
庭に静かに降りてくると
垂直に立てたその脚
見事な勇姿
ああ、それなのに
いつの日か天然記念物と呼ばれる日が来ようとは
おまえたちも思うまい
諦めることなく
気長に待つがよい
 
 
2013年4月23日。火曜日。晴れ。夜雨。
4時頃起きて、5時頃再び眠る。8時前に起きる。寒い。晴れてはいるが弱い陽にがっかり。元気が出ない。10時過ぎになってやっと少しお日様が強くなったので元気が出てくる。まるで変温動物のように。
今日は昨日までの集中的読書から解放されて、気儘な読書への転換をはかる日。まず、夕凪亭のやや大きな机(4人用の食卓机)の上に積まれてある本を少し読んでは本棚へ戻す。読む本はいろいろあり、本棚の本も取り出してみたり、二階からもっておりたりと、少しずつ回すので、飽きることはない。
午後、散歩と整体。
乾燥皮膚症は朝起きたときは調子がよいのだが、しばらくしてまた乾きはじめる。皹が入る。アロエVS舐め猫の勝負はつかない。舐めるのにいいかげん疲れたところで、塩水信仰を思いだした。生命の誕生した海水こそ命の源であるから、困ったときの塩水頼みなのだ。瀬戸の小島で育った私は幼少の頃より汗疹(あせも)は海に行けば治ると何度も聞かされて育ったし、成人してからも親知らずを抜歯した後化膿して痛んだとき、毎日生理食塩水で殺菌してもらった記憶もまだ生々しい。それに歯痛のときには食塩で歯を磨けばよいと母から教えられているので今は塩つぶ入り歯磨きというのを使用している。・・・ということで次なる戦略は、舐め猫VS塩水と決め、ヨーグルトの容器に食塩水を作り、乾かぬうちに濡らすという作戦を天にもすがるような気持ちで展開中である。
ドストエフスキーの「主婦」をやっと終わった。面白くない退屈な作品である。駄作である。でもこういうのがあって大作が生まれたのだと考えれば、人間の努力ということに何一つ無駄なものはないということがわかる。「ポルズンコフ」も読んだ。この作品も期待ほどのものではなかった。
以上で米川正夫訳「ドストエフスキイ全集1」(河出書房新社)を終わる。これで21冊のうち1冊終わったので、2階へもってあがり、その後へ「人類の知的遺産51ドストエフスキー」を置く。
相対論の本・・・・井田幸次郎著「物理空間とは何か」(三省堂新書56)。このタイプの本にしては数式が出てくるが、戸惑うことはない。辞書の三省堂に新書があったの?と思われる向きもあろうかと思うが、あったのです。うしろの広告を見てみると、むのたけじ、岡村昭彦著「1968年-歩み出すための素材-」というようなのがあった。こういうのをあの頃の高校生は読んでいたのだろうか。「未来」と「夢」と「希望」が同義語であった時代のことです。
 
満月の月覗かずや春の雨
馬酔木濡れ白き花弁に水の玉
寒気来てモッコウバラは長く咲きたる
 
指浸す食塩水はやくも乾きおぼろ月夜は雨に隠れし
おめでとう誕生日だねとメール出し忘れておりし子の年数う
肌寒き朝の読書に鶯の声遠かりし二度聞こえたり
 
   雨霏霏
閑酌幽居寒気微
柴門燕語雨霏霏
風斜潤物階前暗
春涙落花草又肥
 
参拝ももとはと言えば半島由来
菓子博とどちらが先か歯科医院
冬服の出番は去らず春日和
 
  春の月
東の空を見る
満月はまだか
ずいぶん 待った
今か 今かと
でも 姿を見せない
あ 雨
春は月もおぼろ
おぼろ月を待っていたのに
 
2013年4月24日。水曜日。雨後曇り。
春の雨。朝から冷たい雨。
寒くて仕方がないのでストーブを入れ、炬燵に入って本を読んでいたら寝てしまった。・・・いつものことであるから、書くまでもないことであるが、やはり書いておこう。日々同じようなことの繰り返しの中に諦念ではなくて喜びを見いださずしてどこに人生の喜びがあろうか、というのがこれまで本を読んできて学んだことであった。メーテルリンクの作品は読んだことはないが、カール・ブッセの詩のように身近なところに意味を見つけることが大切なのである。・・・ということで、炬燵読書であるが、最近ある認識に達した。激しい肩凝りが俯せの読書にあることがわかった。だから、今日のような寒い日は炬燵に入って、俯せになって何時間でも本を見ているのは愉快なことには違いないが、それはいけないのである。仰向きになって読まないといけない。これがなかなかしんどいのである。
 
夕方、雨が止んだので散歩に出た。土曜日に調子に乗って歩きすぎ、おまけに雨の岡山で足下の悪い中を歩いたので、二日ほど右膝が痛むので、散歩時間を短くしていたのである。それでも昨日今日と調子がよいので、昨日よりは少し伸ばして遠回りしたところ霧雨がやがて小雨に変わって、慌てて帰った。
夜になって朧月が出たが、雲は厚かった。やがて晴れて明るい満月。
 
乾燥皮膚についての続報も書いておこう。朝起きたところまではいつものように調子がよい。それで濡らさずにしておくと、午前中はあまり乾かずに皺にならなかった。当然皹も入っていない。それで、今日はできるだけほっておいて自然治癒に専念してみようと決めた。雨で湿度が高かったのがよかったのかもしれない。夕方から少し乾燥して皺は増えているが、やはり皹割れがないので、それを続けることにする。塩水がよかったとは、まだ結論は出ない。
 
相対論の本・・・D・W・シアマ著、高橋安太郎訳「一般相対性理論」(河出書房)。まだ半分ほどしか読んでいないがこれはいい本です。河出書房にそんなのあったの?と思われる方も多いと思います。河出書房新社ではなく河出書房です。PSSC(アメリカ物理教育学会)-日本物理教育学会編のSSS(Science Study Series)シリーズの一冊。コノシリーズは尾道の防地口の古書店で50冊ほどまとめて出ていて、意外と安かったので皆買ったものです。尾道の古書店には最近行っていないけれで、今もあるのだろうか。道を挟んで二軒あって、私の記憶では途中から同一書店のものになったように思う。(あるいは最初からそうだったのだろうか)。
 
雨降りに花すくなくて四月ゆく
雨降りて炬燵活躍四月かな
木蓮の花散る庭の雨の跡
雨衝いて鳴く鶯の声あわれ
雲晴れし弥生の月の雨上がり
 
 
    春雨
半里行人歩自除
看花村外午風疎
樹陰尽日衣裳冷
天気帰来春雨余
 
 
2013年4月25日。木曜日。晴れ。
春らしいよいお天気。夜は満月がくっきり。上下左右にクロスのような雲がかかっていると思ったら、それは網戸を通してみているからだった。
 
6時過ぎに起きる。よく晴れている。あまり寒くない。朝食まで、炬燵に入って岩波書店の「化学入門コース」(8冊+演習4冊)を開く。「入門」を意識した丁寧な説明に好感がもてる。演習はともかく、8冊を平行して読み、兎に角最後まで読んでしまいたいと思って、二階の奧のほうから出してきて夕凪亭に並べた。期限は設けないことにする。
9時頃買い物へ。帰ってから郵便局へ小銭を処理してもらいに行く、10円と5円と1円、ずっしりと思い。機械で数えてもらうと約17000円あった。機械にかかりませんからと戻ってきたのは韓国のコイン2つと私が産まれる前やその前後に発行されたと思われる10円玉と5円玉数個。よく見るとほんのわずか小さいような薄いような・・・。コインを集める趣味はないので財布に入れて通常の使用用に加えておく。
午後、散歩。山に近づいたら綿毛が春風に舞っている。タンポポにしては多すぎる。ブナか何かでこの時期に綿毛を飛ばすものがあるのだろうか。
 
今日は吉村昭さんの「彰義隊」(朝日新聞社)を性根を入れて読む。やっと半ばを越えた。勝海舟・西郷隆盛らの努力で江戸城は無血開城されたわけであるが、その後上野戦争が起こっている。これまでも含めて「戊辰戦争」と言うのだったように記憶しているが。その幕府側の上野寛永寺山主・輪王寺宮を中心に書かれたもので、敗戦後の逃避行が圧巻である。「長英逃亡」や「桜田門外ノ変」同様、逃亡記の筆は冴える。
 
さて乾燥皮膚の話だが、午前中は調子がよいのでそのまま自然治癒に期待したが、午後乾燥が進んで、これ以上放置したら皹割れが起こりそうだったので、塩水につけることにした。おにぎりを作るときのように手を塩水に浸すことを繰り返す。自分では少しずつ乾燥範囲が狭まっているように思うのだが・・・。
 
木瓜咲いてあるじはなくて垣の内
馬酔木咲く小学生の通り路
 
葉桜に昇る夕月空澄みて冷気流れる夜半の春
春風に舞う綿帽子新緑の山は静かに萌え出ずるかな
アスファルト春風乱す揚羽蝶開いた羽を静かに閉じる
 
 
   老樹
一逕仏光曲水隈
鐘声清境古香台
春風老樹桜桃未
石瓦深閑生暮哀
 
 
2013年4月26日。金曜日。晴れ。一時小雨。
よいお天気。春らしい太陽の明るさ。と思っていると暗くなり、ぱらぱらと雨が降ったりしたのは一時的なもので、まずまずのよいお天気。
昼過ぎに散歩をしてから、因島へ。少し靄っているが、まずまずの遠景。潮は中潮かな。野山を侵略する竹の緑がまぶしい。竹の子も出ているのだろうが、猪の餌食になっていることだろう。
 
吉村昭著「彰義隊」(朝日新聞社)の後半を読んで終わる。奥羽列藩同盟が次々に帰順するのに、榎本武揚が不快の念を示すところがある。しかし,函館行きをめざす榎本はここでは応援しなかったのだから、仕方がない。
 
2回目の「罪と罰」は始めから読まずに、ところかまわず読んでいる。テキストは米川正夫さんの訳だが、発行 日本ブッククラブ 編集 日本メール・オーダー の決定版ロシア文学全集1である。1969年初版、1972年発行の9版となっている。これは昭和40年代後半のことなのだが、1冊目を無料で送ってくるという通販の宣伝があって、かなりいろいろな本をもらった。もちろん2冊目以降を注文する気持ちはなかったから、そのままにしておけばよかった。(記憶は曖昧になったが、不要のときに葉書でその旨返送するという方法ではなかった、と思う)。それで、何らトラブルも起こらなかったが、その後、その会社がどうなったかは知らない。高い宣伝費になったのかもしれない。
ニューズウィークとかリーダーズダイジエストは少しの期間購入したことがあるので、これらが同じ会社であるのなら、多少は貢献したのだから、会社に損ばかりさせた訳ではないことになる。こういう調子で、会社はほどほどに利益をあげていたのではなかろうか。
 
さて、その「罪と罰」だが、第4編の6のところは予審判事のポルフィーリイとラスコリーニコフの対決のところでニコライが自分が殺したと言うのだ。ここはなかなかおもしろいところだった。
 
相対論の本・・・けっこう安い本を買ってある。石原藤夫「SF相対論入門」(講談社ブルーバックス)。こういうタイトルの本はあまり好きではないのだが、相対論なら何でも・・・という時代が、私にもあった。確かにあった。
 
 
2013年4月27日。土曜日。晴れ。
GWらしいよいお天気。午前中散歩。午後、笠岡干拓へ。笠岡干拓の東端に太陽の広場という公園があった。今回初めて知った。堤防の向こうは笠岡湾で、左手に笠岡港、右手には神島大橋が見える。干潟のせいか海水はやや濁っているように見えたが、景色は最高。公園には石の彫刻やらマウンテンバイクコーナーやら調整池があって楽しい。そして多くの樹木と花と。見れば桜の樹もたくさんある。桜のシーズンは見事だろうと想像する。来年は桜に合わせて来てみようと思った。帰りに道の駅に寄って帰る。
帰って、夕凪亭別館Fitで読書と昼寝。
D・W・シアマ著、高橋安太郎訳「一般相対性理論 その物理的意味」(河出書房SSS)を読んだ。相対性理論を検証する天体観測から、相対論の計算通りになったというように多くの本には書いてあるが、それらについての厳しい批判・考察が書かれており、無闇にひとつの実験結果を信じてはいけないことを教えられた。科学というのは誰がやっても同じ結果にならなけばればならないのだから、当然と言えば当然であるが。もちろん、誤差の範囲で。
 
雲雀鳴く広き草原海近し
干拓地牛舎は続き雲雀鳴く
連休の初日は晴れて春の月
 
広き野の牛舎の傍に雲雀鳴き遙か彼方に島の跡見ゆ
干拓の調整池に小波立ち雲雀囀る春の日の午後
麦の穂は高くに伸びて春風の干拓地にて蕩々と揺れ
 
   干拓地
談笑浩然遊子顔
蒼茫満野隔郷関
江湖流水風波冷
一片行雲天地還
 
 
  干拓地
彼方に続く干拓地
瀬戸の海を仕切り
土を入れて田圃を作った
かつて 米の生産量を増やすのが国策だった
今 米はいらない
飛行場に
牧場に
無花果畑に
麦畑に
 
そんなつもりではなかった
瀬戸の穏やかな海は
もう 戻っては来ない

 
 
2013年4月28日。日曜日。晴れ。
今日も朝からよいお天気。毎日が日曜日なのだから、GWといって喜ぶ必然性はまったくないのだけれど、それでもなぜか心がウキウキする。春というせいもある。
とはいえ、遠出して消費拡大に貢献するつもりはない。GW中に外出を控えるのは従前通りのことである。近場でというわけではないが、春の陽気に誘われるように、午後、ミスドへコーヒーを飲みに行った。帰って、昨日と同様夕凪亭別館Fitで読書&昼寝。
夜になって近所が賑やかでGWらしくてよい。昼間の公園も幼児・児童の数もまばらで日本衰退を象徴しているようで寂しかったが、これで少しGWらしくなった。
 
山岡望著「化学史談Ⅳ ブンゼンの八十八夜」(内田老鶴圃新社)を終わった。前半はやや退屈であったが、後半になるとブンゼンの業績、仕事ぶり、人間性、交友、すべてがおもしろく楽しく読めた。
 
相対論の本・・・都築卓司著「10歳からの相対性理論」(講談社ブルーバックス)。例によってこういうタイトルは好きではないが楽しく読めた本だった。
 
春暁の人静かなり新聞紙
春昼や車の床に寝転びて
子ら騒ぐどこか嬉しき春の夜は
 
午後の日に香りは見えずコーヒーの揺れる湯煙妻傍におり
公園の春の夕暮れ子ら遊び黄砂の中で四月は行けり
春宵の携帯電話孫が出て春の一日の出来事語る
 
     春行
緩歩悠々追蝶来
春深前嶺緑山隈
清風村外黄塵裡
芳草田家花色開
 

 
 
2013年4月29日。月曜日。晴れ。
珍しく連日よいお天気。朝から気持ちの良い日。
あまりの陽気に朝からうとうと・・。午後、散歩して夕凪亭別館Fitで少し読書。
日経産業新聞編「ソニーは甦るか」(日本経済新聞出版社)を読んだ。日経産業新聞というのは、私にとっては懐かしい。大学卒業後1年間勤めた民間企業をやめてフリーターをしていた。そのとき転げ込んだのが、日経新聞の販売所。日経新聞がメインだが、日経新聞社は日経産業新聞と日経流通新聞というのも発行していた。日経流通新聞は今は日経マーケッティングリサーチとかいう名前に変わっている。これらを一年間読んでいた遠い日々。・・・さて、本題へ戻って、ソニーは甦るか? 甦らないと思う。解散したらよいと思う。多くの子会社から成り立っているのだから、それぞれが独立するのがいいかもしれない。独立できない子会社は本体と合併して、それから消滅していくのがよいと思う。SONYは嫌いではないが、ここまで大きくなったら、その舵取りは大変で、よい意味でのベンチャー性は発揮出来ないと思う。肥大化した恐竜と一緒で、やがて絶滅の運命にある。いかに負債をかかえずに軟着陸するかを考えるべきであろう。
 
午後の日に静かに咲けり桜草
小手毬の白き花揺れ午後の風
春の空三日続けて輝けり
 
山火事は昼過ぎ多し春の日と思い出すなりサイレンの音
若き日に物理化学を教えしは春採用の消防士たち
帽子無き午後の散歩は日も強く木陰探して右へ左へ
 
        水景
古渡徘徊暮色遅
遠近行楽独看花
長堤柳色夕陽水
春草一江映彩霞

 
2013年4月30日。火曜日。雨後曇り。
4月の最後。GWの中休み。世間では平日である。
朝起きたら小雨。やや寒いのに外を散歩している人がいる。
ソニー本を二冊借りてきていたので、今日も読む。
原田節雄著「ソニー 失われた20年」(さくら社)。元社員の書いた本ではあるが、客観的に批判し、希望まで書かれている。現在どれだけスリム化が進んでいるのかわからないが、大企業病に侵されていることには変わりはない。井深、盛田、大賀のSONYはない。幼稚園のとき、オープンのテープレコーダーを見たのが始まり。カセットになると知ったのは中3のときの初歩のラジオの1月号だったか。実際に見たのは高校に入った年の秋の文化祭。テープレコーダー文化、カセット文化・・・面白かったと思う。商品名はテープコーダーだったかな。
 
相対論の本・・・ジェームズ・A・コールマン著、中村誠太郎訳「相対性理論の世界」(講談社・ブルーバックス)。40年以上も前に一度読んでいる。そろそろ読み返してもよいかも。
 
鶯のつがい来たりて囀るは山の寒さを厭いし故にや
睡蓮の葉の下泳ぐめだからの太りし故か水は濁りて
アスファルト隙間より出ず蓬葉は餅突く時の色にはあらず
 
 
   春雨
人散香消草又肥
幽居暗淡雨霏霏
随風入耳鳩声湿
春恨飛花寒気微
 
 
今年24冊目。
吉村昭著「縁起のいい客」(文藝春秋)。
今年25冊目。
野口武彦著「三島由紀夫の世界」(講談社)。
今年26冊目。
梅原猛「美と宗教の発見」(集英社・梅原猛著作集3)。
今年27冊目。
山岡望著「化学史談Ⅰ ペーター・グリースの生涯」(内田老鶴圃新社)。
今年28冊目。
小林秀雄著「ドストエフスキイの作品」(新潮社・小林秀雄全集6)。
今年29冊目。
「芥川龍之介全集第三巻」(岩波書店)。
今年30冊目。
山岡望著「化学史談Ⅲ ブンゼンの八十八年」(内田老鶴圃新社)。
今年31冊目。
シェイクスピア作、平井正穂訳「ロミオとジューリエット」(岩波文庫)。
今年32冊目。
伊東俊太郎著「比較文明」(東京大学出版会)。
今年33冊目。
シェイクスピア作、福田恆存訳「ハムレット」(新潮文庫)。
今年34冊目。
「寺田寅彦全集 第四巻」(岩波書店)。
今年35冊目。
荒田洋治著「水を知ろう」(岩波ジュニア新書)。
今年36冊目。
樋口敬二編「中谷宇吉郎随筆集」(岩波文庫)。
今年37冊目。
佐々木俊尚「キュレーションの時代」(ちくま新書)。
今年38冊目。
竹内敬人著「化学の基本6法則」(岩波ジュニア新書)。
今年39冊目。
大賀典雄著「SONYの旋律」(日本経済新聞社)。
今年40冊目。
竹内淳著「高校数学でわかるシュレディンガー方程式」(講談社ブルーバックス)。
今年41冊目。
辻直四郎著「インド文明の曙」(岩波新書)。
今年42冊目。
竹内淳著「高校数学でわかるマックスウェル方程式」(講談社ブルーバックス)。
今年43冊目。
中谷宇吉郎著「雪」(岩波新書)。
今年44冊目。
大川貴史著「高校化学とっておき勉強法」(講談社ブルーバックス)。
今年45冊目。
竹内敬人著「化学基本データ」(岩波ジュニア新書)。
今年46冊目。
米川正夫訳「ドストエフスキイ全集1」(河出書房新社)。
今年47冊目。
吉村昭著「彰義隊」(朝日新聞社)。
今年48冊目。
D・W・シアマ著、高橋安太郎訳「一般相対性理論 その物理的意味」(河出書房SSS)。
今年49冊目。
山岡望著「化学史談Ⅳ ブンゼンの八十八夜」(内田老鶴圃新社)。
今年50冊目。
日経産業新聞編「ソニーは甦るか」(日本経済新聞出版社)。
今年51冊目。
原田節雄著「ソニー 失われた20年」(さくら社)。