2019年7月18日木曜日

夕凪亭閑話 2011年10月

 
2011年10月1日。土曜日。晴れ。
10月になりました。
少し肌寒い10月です。
10月はオリンピックの月です。と、言っても東京オリンピックが開かれたのが10月だったからでしょう。そのせいか10月10日は体育の日とかいって、町内会が運動会をやったりしております。スポーツは、その後の余暇生活の延長で年中至るところでなされておりますが、未だにスポーツの秋とかで、この季節に運動会をやっている学校が多いのには驚きます。
先日は、突然戻ってきた残暑も考慮せずに、スケジュール通りに運動会の練習をしていた子どもが何人も熱中症になったニュースをみて、21世紀にもなってまだ運動会などをやっているのかと驚いたものです。

津村節子さんの「土恋」(筑摩書房)は新潟県の庵地焼旗野窯の誕生を描いたものです。戦後の民芸ブームが起こる前、細々と日用品を焼いていた焼物士が思わぬところから名が知られるようになり、生業として安定していくようすが哀切に描かれています。

深木章子さんの「鬼畜の家」(原書房)は、清張作品のタイトルが映画のタイトルにもなって、やや使い古された鬼畜と言う言葉を推理小説につけることに抵抗があるものの、内容は完成度の高い見事な推理小説であった。やや物足りなさが残るのは、恋も愛もありながら打算だけが強調されて、叙情性に欠けることであろうか。
 
 
2011年10月2日。日曜日。晴れ。
今日は朝から因島へ行って庭木の剪定です。ややくたびれました。
 
 
2011年10月3日。月曜日。晴れ。
朝は寒いし、昨日の重労働の結果、足腰肩は痛いし、本日は予定満載だし、嫌な月曜日だと思っていた。三日遅れでカレンダーを破ると、何と来週は、例の「体育の日」で三連休ではないか。俄然、元気がでました。寒いけど、ゴミを出して、行ってきます。残り1年半も2日を消化して、いよいよ稼働です。

昼間はほどよい気温になり秋晴れが広がっています。今日は叶紙器というへんなペンネームの人の「伽羅の橋」(光文社)を読んでいます。読んでいるといっても読む時間がとれませんので、10月は少しペースを落として、読む方はほどほどにするのがよいかなと思っています。
 
 
 
2011年10月4日。火曜日。晴れ。朝寒し。
ストーブ入れました。
朝寒かったので、1台だけ油を抜いていなかったファンヒーターを出してきて台所で入れました。隣には扇風機が最近は使わなかったので役目を終えたまままだあります。

次の連休に扇風機-ファンヒーターの入れ替えをやりましょうか。

昨日は、例の「少女たちの羅針盤」が図書館に届いたので借りてきて半分読みました。あまり面白くなかったので11時には寝ました。おかげで今朝は頭すっかきりで、出勤前に時間があったので、原稿を書いておりました。たまにはこういうのもいいものです。そして、8時になったので、後ろ髪引かれる思いで出発。サンデー毎日の日々を指折り数えて待っております。

水生大海著「少女たちの羅針盤」(原書房)を読んだ。残念ながらおもしろくなかった。四人も女子高校生がいるのだから、新人の名も知らぬ女優が演じる映画は誰が誰だかわからなくなるだろう、と思っていたが、原作本でも同様にわからなくなった。わかっていても、こんな入れ替わりはないだろう。
 
2011年10月5日。水曜日。雨。
秋の雨は冷たいですね。
昨夜は11時前に眠くなったので、早起きすると寒いなと思って、ストーブを夕凪亭に出しておきました。一年越しの灯油を少し注入しておきました。

5時に目覚めて、5時半起きです。新聞を取りにいくと、もう小雨がぽつりぽつり。薄暗いけど、開けています。

「伽羅の橋」「絹扇」「謎とき『罪と罰』」の三冊を必死で読んでいる。今日中にどれか一冊を読まねば。

今朝の中国新聞に沼田まほろばさんの新潮文庫の宣伝が大きく載っていた。さっそく図書館で検索予約しておいた。

夕方止んでいた雨が夜になってまた激しく降り出した頃、やっと叶紙器著「伽羅の橋」(光文社)を終わりました。小説の原点が「作り話」だとしたら、見事な作り話で、敬服します。しかし、長すぎます。冗長です。私のような気の短い者の読書には向いておりません。ですが、長い物語を腰を据えて読む物語愛好家にとっては珠玉の一冊になるのではないかと思います。
 
2011年10月6日。木曜日。晴れ。
燃えるように赤い彼岸花が、雨上がりの今日はもう色が褪せて、枯れるのを待つばかりになっている。そういえば、黄色の彼岸花は、どちらかというと白っぽかった。そして、赤も白も例年より遅かった。

一昨日の7時過ぎの徳島の地震では、こちらは震度1であったが、珍しく大きく揺れた。昨夜の熊本の震度5の地震では、こちらにまでは届かない。いや届いたとしても11時33分では既に熟睡中だった。

今日は秋晴れのすがすがしい日だった。

津村節子さんの「絹扇」(岩波書店)は福井の絹織物産業の盛衰を実在の女性を元にフィクションに仕上げたものです。さすがにベテランの筆になるだけあって緩急ほどよく描かれて読み応えのある小説に仕上がっています。

湊かなえさんの「往復書簡」(幻冬舎)は、だんだんと謎が明らかになる手紙のやりとりが3編あります。いずれも明らかになる事実は残酷です。後の2つがよいと思った。
 
2011年10月7日。金曜日。晴れ。
週末です。今日が終われば三連休です。そして一〇月の三分の一が終わる。

今日は「謎とき『罪と罰』」と「九月が永遠に続けば」と「檻の中の少女」の三冊を読んでいます。三冊とも今日中に終わればいいですが、せめて二冊をおわりたいですね。「謎とき『罪と罰』」は「罪と罰」のよくわからなかったところの一部がわかったり、となかなか意義深い読書なのですが、元が元ですから、その解説本もなかなか難解です。
 
 
2011年10月8日。土曜日。晴れ。
連休一日目。
朝は少し寒いが日射しは暖かい。

昼前にいつものコーヒーショップへ行って、ワッフル。読んだばかりの小説の中に出てきた「ゲイシャ」というパナマのコーヒーを入れていると店内広告にあった。2人分で二千円とか。私はわからないので頼まなかったが。

笠岡干拓の道の駅へ。大量のコスモスが美しい。


一田和樹著「檻の中の少女」(原書房)。コンピュータ知識を縦横に発揮して、最新のPC事情を背景に女の怨念を巧みに描く。意外な人物が真の悪だった。それも素人で、プロが弄ばれる。
沼田まほかる「九月が永遠に続けば」(新潮社)。子どもの失踪を手始めに、愛人の死が起こり、探索を広げれば広げるほど謎が出てくる。でも何故、失踪した息子が、その女のところにいなければいけなかったのか、やや理解に苦しむ。

ともに、完成度の高いミステリーです。
 
2011年10月9日。日曜日。晴れ。
連休二日目です。
秋晴れの良い日。
しまなみを通って因島へ。車は多かった。秋の行楽シーズンを満喫された方が多かったことと思う。
庭木の剪定に励みました。

江川卓著「謎とき『罪と罰』」(新潮選書)。こんなに謎が多いとは!! いくら解説されてもついていけないではないか・・。昔読んだとき難しく感じたが、今もその印象を変える必用を感じない。
 
2011年10月10日。月曜日。体育の日。晴れ。
いよいよ三連休の最終日です。
「猿の惑星 創世記」を見に行こうか。と一瞬思いましたが、やめておこうと考え直し。いや、行ってもいいかな。三連休だし。

嶋戸悠祐著「キョウダイ」(講談社)はミステリーとしてはよくできています。しかし、後味の悪い小説です。敵と味方に分かれ、敵が制裁を浴びなければいい気持ちはしません。悪人がそのまま生き残るという終わり方は、主題が違うのだと言われれば、それまでですが、でも好きでないですね。
お人好しの父が部下の男を家に連れてくる。懇意になる。母と関係をもち、父が殺される。母はその男と再婚する。男は本性を現し、母を働かせる。母が病気になると、母を残し、男は双子の兄弟を連れて北海道のスラム街へ移る。そこで、いじめに会う。復讐に父が入り込むと、惨劇はとことんまで遂行される。
結局、午後は昼寝。体育の日というよりもニュースでオリンピックデーなどと言ってましたが、そのほうがいいですね。
 
2011年10月11日。火曜日。晴れ。満月。
久々に仕事である。
朝は寒かったが、日中は少し気温が上がり汗が出た。

道尾秀介著「背の眼 上」(幻冬舎文庫)はオカルトチックな小説。天狗が、妖怪から変じて修験者になるところの考察など、なかなかおもしろい。背中に心霊写真だと思われる眼が写っている。そして、その人が自殺する。

沼田まほかる著「彼女がその名を知らない鳥たち」(幻冬舎)は、不倫小説でありながらミステリーになっているが、記憶喪失になっていて、最後に記憶が戻って真実があきらかになるという小説が多すぎるように思う。嫌なら分かれればいいではないか、と思う。が別れられない男と女。その女の愚行をこれでもか、これでもかと書く。
 
2011年10月12日。水曜日。晴れ。
秋晴れのよいお天気。明日は雨が少し降るかもしれない。

道尾秀介「背の眼 下」(幻冬舎文庫)は、うまく解決している。特に一つの犯罪が明らかになった頃から、物語は急激に終焉に向かって進み心地よい。多くの謎が解決されるが、霊の仕業として残るのは、やや不満。
 
 
2011年10月13日。木曜日。雨後曇り。
朝、雨。そして曇り。今週末はくずれそう。
西尾幹二「三島由紀夫の死と私」(PHP研究所)。西尾さんがこの本を書かれた理由と、これまで四〇年近くも、本にされなかった理由もよくわかった。真摯な本である。西尾さんが振り返る「私の個人主義」「ヨーロッパ像の転換」「悲劇人の姿勢」などは、私も熱心に読んでいた。この順に。「ヨーロッパ像の転換」は帰省の列車の中で読んでいたら、前に座っているご婦人が、感心したような顔をしてその本を眺めていた。大学一年の夏の帰省だろうか、冬の帰省だろうか? まだ、山陽新幹線は広島まで来ていなかった。「悲劇人の姿勢」は、御幸橋近くの電車通りに面した古書店で買った。まともな本が安い店だった。
 
2011年10月14日。金曜日。曇り後雨。
金曜日。すなわち、今日で今週のお仕事は終わり。
天気予報通り、午後から雨。

沼田まほかるさんの短編集「痺れる」(光文社)は、特異な短編集である。印象に残ったものを記す。「ヤモリ」は高原に1人で住む女性のところに寄った若者が泊めてもらうのを条件に草刈りをするのだが、女主人は次第に若者が出発するのが惜しくなる。「沼毛虫」は出入りの植木職人を愛した少女の話で集中最高の傑作。「TAKO」は裸女に絡みつく大蛸を描いた春画を見せられた少女のその後。意外な結末。「普通じゃない」は他人のゴミをチェックする世話焼き老人の話。「クモキリソウ」は花を届ける見知らぬ人の正体。「エトワール」はこれまた奇妙な短編で、独身なのに妻がいて離婚したように見せかけて女と交際する男の話。
 
2011年10月15日。土曜日。曇り。
秋の一日。土曜日でお休み。
買い物とかガソリンを入れにいったり換気扇を換えたりといろいろありましたが、のんびりとした、充実した休日を過ごしました。

加納朋子さんの「ゴッペリア」(講談社)は人形のお話です。人形に恋をするとか、人形が語り出すとかいう話は好きなので期待していたのですが似たような人物のかき分けが、私にとっては不十分で、異なる話が作者が融合しようとする前に融合したり、その逆になったりで、すっかりわけがわからなくなりました。もう少しわかりやすく書いてほしいと思いました。
 
 
2011年10月16日。日曜日。晴れ。
朝から因島へ、いつものように庭木の剪定。
石榴が割れていたので、摘む。珍しく腐っていない。石榴は熟れていないか腐っているかで、最後まで食べることはないのだが、今日のはよく熟れていてそれでいて腐ってなくて、全てを食べることができた。久し振り、いやはじめての体験?

桜木紫乃「硝子の葦」(新潮社)には驚いた。近頃珍しいしっかりした作品。
 
2011年10月17日。月曜日。晴れ。
またまた巡り巡って月曜日。
朝、肩が押さえつけられているような感じで目覚めたのが5時半。起きてラブローションを塗れと非常警報点滅中。起きようと思ったが寒いので30分ほどうつらうつら。どこといって痛くないのだが、だるい。何でも歳のせいにしていてはいけないのだが、今回もそういうことにする。昨日は夕方ラブローションを塗ると快適で、疲労もとれたので、風呂上がりに塗ることもなくほっておいた。やはり、あのとき塗りたくっておくべきだったのだ。

少し寒くなるということで今日から上着を着て出勤することにした。

officeのデスクの上にかなり私物の本が積まれて雪崩注意報発令中といったところだ。とりあえず、ここ二三週間開いてないものは持って帰るのがいいのではないかと思う。でも、家のほうが・・

江川卓著「ドストエフスキー」(岩波新書)は、「謎とき」シリーズの総論のような感じで、多層的なドストエフスキーの世界への手っ取り早い案内である。しかし、あまりにも間口が広いのでやはり各論へ進むのがよいようである。
 
2011年10月18日。火曜日。晴れ。
明け方寒かった。最低気温11℃ということで、秋なのにどんどんと冬に向かっていく。

日中は秋晴れ。夕焼けも連日きれい。

桜木紫乃著「ラブレス」(新潮社)は若くしてそれぞれ家を出た姉妹が互いに助け合いながら、反発しあいながら、傍目には不幸に思われる境遇にも負けず逞しく生きていく物語です。人物の設定も物語の展開も、よく配慮されていて、稀に見る傑作です。
 
 
2011年10月20日。木曜日。晴れ。
いよいよ週の後半である。

沼田まほかる著「アミダサマ」(新潮社)。アミダサマとは「あの世」のことである。あの世とこの世の往還を描こうとした壮大な作品ではある。だが、その試みが成功したとは、私には思われない。
桜木紫乃著「凍原」(小学館)は釧路湿原で行方不明になった少年と、戦後樺太から引き上げてきてしたたかに生きた女性たちの物語で殺人の必然性は弱いが、読み応えのある物語です。もっと別の展開があってもよかったのにと思わぬでもない。
 
2011年10月22日。土曜日。曇り。
昨夜来の雨も上がり秋晴れのいいお天気になるかと思われたが曇り。
岸田るり子著「白椿はなぜ散った」(文藝春秋)は謎解きが見事。
桜木紫乃著「風葬」(文藝春秋)はまたまた親探し子探しの壮烈なドラマ。
 
2011年10月24日。月曜日。晴れ。
秋という感じのする月曜日。もう一月もすれば寒くなるだろう。今が一番いい頃かも。

桜木紫乃著「氷平線」(文藝春秋)は著者最初の短編集である。なかなか読み応えのある作品集になっている。最近、読んだ本のタイトルだけで、その他のことを書いていない。読むのに忙しくて・・という言い訳は通用しない。机について電源を入れたらウイルスバスターが起動して、入力-変換に異常に長い時間がかかって、さっさと退散という日々が続いております。
 
2011年10月25日。火曜日。晴れ。
秋のような、冬のような。秋の中に冬があり、冬の中に春があり・・・。まさにそのとおり。
桜木紫乃著「恋肌」(角川書店)もなかなかよく書かれている短編集。これで、桜木さんの出ているものは一応読んだ。次作が楽しみだ。
 
2011年10月26日。水曜日。晴れ。
寒くなりました。やはり秋はどんどんと深まっていきます。

道尾秀介著「骸の爪」(幻冬社)は仏像の話が出てきて、それはそれで面白いのですが、全体としては退屈です。特に前半が長すぎます。それから、いろいろな仕掛けが、本格推理らしく張り巡らされているのですが、これが私にはまったくといっていいほど仕掛けに見えない。これではいくら解決編で理屈をならべられても、感動しない。ということで、残念ながら、個人的には感嘆しかねる作品でした。

今日は午後休暇をとって帰り、日の当たる縁側に毛布を敷いて、寝ころんで本を読んだ。眠くなったので、その本を枕にして、毛布を両側から掛けて、日陰になるまで寝た。日陰になったので、夕凪亭に移ってまた寝た。夕方起きて、散歩。そして溝の掃除。近くの公園から桜の葉が飛んでくる。
 
2010年10月28日。金曜日。晴れ。
朝起きて、やはり、寒いとストーブを。

最近10時台に寝るように心がけています。5時頃一度目が覚めたが、寒いな、もう少し、と思ったら6時過ぎでした。

新聞をとってくると、北杜夫さんの訃報が・・・。最近では、初期ブラジル日系移民を描いた「輝ける碧き空の下で」とその動機となった「酔いどれ船」と南米取材記ぐらいしか読んでいないが、高校時代から、若い頃にはかなり読みました。ご冥福をお祈り致します。
 
2011年10月29日。土曜日。晴れ。
因島へ。ウバメガシと山桃の剪定をする。ヒマラヤスギは半分切る。
 
 
2010年10月30日。日曜日。雨。
10月ももう終わりかと思っていましたら、あと二日もありました。それで、月末〆の仕事を片づけることにします。ですから、読書はお休みです。

夕方になって仕事が片づきましたので、少し本を読んでみました。

光原百合さんの短篇集「十八の夏」(双葉社)のうち、「イノセント・デイズ」が推理小説として傑作です。四人のそれぞれの関係と思惑がはっきりと書かれています。

午後は50%で、止むと思っていたのに、ずっと降り続いて夜になっても降っていました。

いよいよ十月も、明日で終わりです。
 
今年91冊目。
津村節子著「土恋」(筑摩書房)。
今年92冊目。
深木章子著「鬼畜の家」(原書房)。
今年93冊目。
水生大海著「少女たちの羅針盤」(原書房)。
今年94冊目。
叶紙器著「伽羅の橋」(光文社)。
今年95冊目。
津村節子著「絹扇」(岩波書店)。
今年96冊目。
湊かなえ著「往復書簡」(幻冬舎)。
今年97冊目。
一田和樹著「檻の中の少女」(原書房)。
今年98冊目。
沼田まほかる「九月が永遠に続けば」(新潮社)。
今年99冊目。
江川卓著「謎とき『罪と罰』」(新潮選書)。
今年100冊目。
嶋戸悠祐著「キョウダイ」(講談社)。
今年101冊目。
道尾秀介著「背の眼 上」(幻冬舎文庫)。
今年102冊目。
沼田まほかる著「彼女がその名を知らない鳥たち」(幻冬舎)。
今年103冊目。
道尾秀介「背の眼 下」(幻冬舎文庫)。
今年104冊目。
西尾幹二「三島由紀夫の死と私」(PHP研究所)。
今年105冊目。
沼田まほかる著「痺れる」(光文社)。
今年106冊目。
加納朋子著「ゴッペリア」(講談社)。
今年107冊目。
桜木紫乃著「硝子の葦」(新潮社)。
今年108冊目。
江川卓著「ドストエフスキー」(岩波新書)。
今年109冊目。
桜木紫乃著「ラブレス」(新潮社)。
今年110冊目。
沼田まほかる著「アミダサマ」(新潮社)。
今年111冊目。
桜木紫乃著「凍原」(小学館)。
今年112冊目。
岸田るり子著「白椿はなぜ散った」(文藝春秋)。
今年113冊目。
桜木紫乃著「風葬」(文藝春秋)。
今年114冊目。
桜木紫乃著「氷平線」(文藝春秋)。
今年115冊目。
桜木紫乃著「恋肌」(角川書店)。
今年116冊目。
道尾秀介著「骸の爪」(幻冬社)。
今年117冊目。
光原百合著「十八の夏」(双葉社)。