2019年7月18日木曜日

夕凪亭閑話 2011年12月

 
2011年12月1日。木曜日。曇り。
12月。師走です。
どんよりと曇っています。でも、起きた5時頃に比べればずいぶん明るくなりました。夜来風雨声 花落つること多少ぞ という感じの風が昨夜は吹きまくっていたが、ツワブキの黄色い花は可憐に咲いております。我が家にはありませんが、町中でよく見る皇帝ダリアは何本か折れているかもしれませんね。今朝は少し遅く出たので、よく見なかった。

昨日の昼にアマゾンに注文した「ロリータ」の英語版が、もう届いた。凄い速さ。商売とはこういうようにやらねばならない、と思う。

さて、それで例の「海外長編小説ランキング」の20までを眺める。原文と翻訳を揃えるという、途方もない計画。2位の「失われた時を求めて」は筑摩文庫で3巻まで。今はこれでよしとしよう。4位の「ドン・キホーテ」も続編がまだない。16位の「魔の山」の原文がまだない。ネット上にブッテンブローグやベニスに死すなどがあったので、そのうち載るであろうと楽観視。あとは読むだけ。
 
 
2011年12月2日。金曜日。曇り後雨。
12月も二日目になって、やはり寒さがやってきた。朝から曇り空で、夜には降るという。昼間から、今日も薄暗い。4時なのにまるで夕方のようだ。

採点が嵐のようにやってくる。その間に問題も少しつくらなければならないし。

「夢を与える」がなかなか進まない。まだ半分。後半何が起こるのか。
 
 
2011年12月3日。土曜日。雨。
今日は珍しく8時前に起きた。昨夜からの雨はまだ続いている。
9時に開くスーパーへ買い物へ。寒くて雨のせいか、客は少ない。

読書と採点を交互に。夕方、PCの配置換え。もう一台を少し離して、これを語学音声再生専用にする。こちらはラジオ体操のみに。それからDVDなどは見ない方針で、各種ソフトの削除を決定。
 
 
2011年12月4日。日曜日。晴れ。
暖かい日だ。昨日が雨で寒かったので、今日は心ウキウキの人も多かったことと思う。

朝、8時頃には夕凪亭に朝日が入り、おりからのストーブの熱気と混ざって厚くなったのでストーブを切った。

9時頃出て、因島に。珍しく車が多い。

いつものように剪定。今日は松が中心。去年手入れをしてなかったもので、鬱蒼と茂っている。むしってもむしっても、効果が現れない。かなりやった。少しは進んだか?

そのあと、流し台の上に上がって換気扇カバーを取り替えていた。あたらしいもので長くなったので腰を下ろそうとして尻をつけたところが・・・空間。うしろから真っ逆さまに転落。椅子に手があたったので頭を打つのだけは避けられた。両手の親指が痛い。単なる打撲だと思っているが・・・。

剪定でくたびれていて注意力が散漫になっていたようである。くわばら、くわばらである。
 
 
2011年12月5日。月曜日。晴れ。
月曜日になった。今日も期末試験。今日まで。
身体の節々が痛む。昨夜の転落の後遺症と思われる両手の人差し指の痛みはすこしずつ退いていっているようだから、骨折やヒビは入ってないと思われる。突き指ていどだろう。
身体の節々が痛いのは、昨日松の木に登ったりしたのに、充分に身体をマッサージしていないからだろう。転落のせいで指に力が入らなくて、ほどほどにしかマッサージしていなかったのがいけなかったようだ。

さて、今日は会議だらけで、採点もあまりすすまないが、図書館の次の予約が到着したが、限度の10冊借りているので、返す必用が生じたので、綿矢りさ「夢を与える」(河出書房)を最後まで読んだ。われわれがこれまでも何度も耳にしたアイドルモデルのスキャンダルによる失墜の物語である。それを少女の成長とともに、したたかに描いた作品である。なかなかの筆力で、次作が楽しみである。
 
2011年12月6日。火曜日。曇り。
腕力が回復してきた。昨夜のマッサージも功を奏したのではないか。あと、右手首が、ハンドル操作中に少し痛むが気にするほどではない。肩の痛みは、これはマッサージでなんとかなるだろう。だんだんと指に力が入るようになったので、快方に向かっている。

腕力が回復しても知力が回復しないのが情けない。経験に寄れば、老化は徐々に進むのではなく、断続的に進むように思われる。特に、めまいとか、いろいろな症状が起こると、大きく進む。そしてワーキングメモリが小さくなる。思考のために、多くの概念を頭の中にためておくことができなくなる。例えば外国語を読む場合その影響は著しい。
 
 
2011年12月7日。水曜日。曇り。
不思議と暖かい一日だった。

4時に起きて、読書。辞書を引き引き・・・。
ソシュールの「一般言語学講義」の原本WEBで探す。当然掲載されていてもよいのだが、みつからず。
それと、オランダ語の安い辞書がないか、探す。

本日は長沼先生のお話会があり、6時から宴会。
 
 
2011年12月8日。木曜日。雨のち曇り。
今日は7時半に出て、生涯生活設計セミナーというものに参加してきた。要するに退職手続き説明会である。

そこで、多くの複雑な手続きにおどろきあきれて帰ってくる。
秋は深まり野山は黄緑から茶色へと日々変色している。
 
2011年12月9日。金曜日。雨後曇り。
5時に起きる。激しい風雨。まるで嵐だ。

朝からギリシア語。イーリアス。原文の行と、翻訳の文が対応しないのは、詩の翻訳でよくでくわすのと同じ。気にしていたら先に進めない。
今日は午前中2時間授業。午後、会議。
 
 
2011年12月10日。土曜日。曇り。
寒い日ですね。
でも、朝から本を読んでいます。
そして、9時頃買い物に。帰りに大きな事故の後始末をしているところを見る。パトカー二台にサンドイッチされて、片側交互通行になっていた。大きく傷ついた車の隣りに、ぶつかった車が。追い越しでもかけようとしたのかな。

帰ってからはベッドの炬燵に入ったり、机のパソコンを打ったりと、いつもの休日です。

江川卓著「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」(新潮選書)、やっと終わった。細かいことまで書いてあるので、なかなか進まないのです。
 
2011年12月11日。日曜日。曇り時々晴。
例によって今日も松の剪定です。なかなか難しいし、木の上に登ると疲れます。やっているうちにだんだんと慣れてくるでしょう。

そして、屋内では相変わらず、いろいろな国の言語と翻訳文を並べて、かたつむりよりもさらに遅い速度で読んでおります。もちろん、ワープロソフト上で。

PCを離れて、紙の本も少しは読みます。
綿矢りさ「インストール」(河出書房)は女子高校生の見たアダルトサイトの話です。退屈はしません。
 
2011年12月12日。月曜日。晴時々曇り。
寒さは相変わらず。
月曜日。残り一週間。

朝も暗いし、夜もあっという間に暗くなる。

綿矢りさ「蹴りたい背中」(河出書房)。後半はおもしろい。やはり、ライブだのツアーだのになると、この著者は若者らしく、溌剌とした雰囲気を上手に書く。人物がもっと行動すればおもしろくなるのに、と思う。

今日から新釈漢文体系で「十八史略」を読むことにする。
 
2011年12月13日。火曜日。晴れ。
久しぶりによいお天気で、気温も少し上がったようだ。

綿矢りさ「勝手にふるえてろ」(文藝春秋社)を読む。

「伊澤欄軒」のその五十を読む。もっと鴎外のものを読まないといけないのだが、なかなか読めない。

「道草」の26,27を読む。まさに文字通り道草ばかりで,なかなか進まない。三四郎,それから,門が三部作で,よく読んでいる。それから,がこの前読んだばかりだから,印象深い。確か三千代さんという,昔の恋人で友人に斡旋していた女が東京に戻ってきて,主人公と不倫をする。そしてその二人が結ばれて,坂の下の家でひっそりと暮らすのが門だったように,思う。それに対して,こちらの行人,門のシリーズは,まだ頭の中で明確にならない。
 
2011年12月14日。水曜日。晴れ。
今日もよいお天気。
窓際族の私の席は一番南側にあり、今日のようによく晴れた日の午前中は、机の上にまで日が届く。

「道草」、28,29を読む。「伊澤欄軒」、その五十一、母の死、その五十二読む。

内藤湖南「大阪の町人學者富永仲基」(青空文庫)を読む。

青空文庫のインデックスをながめていたら、「聊斎志異」の一部があったので、色々調べて原文、英訳などをみつけたので、読んでみるのもいいかなと思った。

綿矢りさ「勝手にふるえてろ」(文藝春秋)を読んだ。青春とはこんなにつまらないものだったのか? と、思った。 夢のない青春。もう少しドラマ性のある、小説を書いたらどうだろうか。
 
 
2011年12月15日。木曜日。晴れ。
今日も晴れて暖かい日が部屋に入っている。

青空文庫で、「伊澤欄軒」のその五十三。父の死。「夜明け前」の三,四を読む。
「道草」三十,三十一を読む。例の,子どもの養育費問題がじわじわりと明らかになる。気の滅入る話だ。

与謝野源氏で「関屋」を読んだ。

「古寺巡礼」の十を読む。内容項目が書かれていたので写しておこう。
伎楽面――仮面の効果――伎楽の演奏――大仏開眼供養の伎楽――舞台――大仏殿前の観衆――舞台上の所作――伎楽の扮装――林邑楽の所作――伎楽の新作、日本化――林邑楽の変遷――秘伝相承の弊――伎楽面とバラモン神話――呉楽、西域楽、仮面の伝統――猿楽、田楽――能狂言と伎楽――伎楽とギリシア劇、ペルシア、インドのギリシア劇――バラモン文化とギリシア風文化――インド劇とギリシア劇――シナ、日本との交渉。

「大菩薩峠 甲源一刀流の巻」 一~四を読む。以前,筑摩文庫で一冊は読んだが,後が続かなかった。今回も・・・。青空文庫で読んで見ることにしよう。
 
 
2011年12月16日。金曜日。晴れ。
昼前に初雪が降った。最近の温暖化のせいで、雪もずいぶん降らなくなった。

「道草」の三十二、三十三、三十四を読む。健三を養子に出したが、引き戻したときそれまでの養育費を払ったとか、籍は抜けなかった、と過去のことが少し明らかにされる。


「伊澤欄軒」その五十四,その五十五を読む。

「古寺巡礼」十一 カラ風呂――光明后施浴の伝説――蒸し風呂の伝統を読む。
 
 
2011年12月17日。土曜日。晴れ。
昨日、福山でも初雪が降ったが、今朝はついに氷点下になったようで、玄関に置いてある、雨水を溜める瓶の水が氷っていた。この冬一番の寒さだ。

六時前に起きて、夕凪亭に入り、ストーブを入れるも、なかなか暖かくならなかった。
炬燵で、新潮文庫の「死の家の記録」を少し読む。現在、ドストエフスキーで新しく読んでいるのは、これだけである。現在、半ば。

「道草」の三十五、三十六。兄の結婚のことが語られる。
 
2011年12月19日。月曜日。晴れ。
今日は、二学期の終業式。午後は小冊子の修正原稿に追われる。明日発注だ。

昨日は、因島へ行き、寒さの中、松の剪定を2時間。あまり進まないが、それもで進んだほうか。

今日、子ども名義の定額預金の満期になったのを降ろす。以前は10年で倍近くになていたのに・・・。やはり減速を通りこして、低迷経済になっているのですね。これじゃあ、大学生の就職難もしかたがない。

関西電力が冬季節電を10%するそうだが、ついこの前まで、オール電化と、こちらの電力会社は、バラ色の未来を提示していたが、あの頃のことが遙か昔のことのように思えるほど、状況は変わったのか。それともまd、オール電化の夢は消えていないのか?

北朝鮮の2代目が亡くなった。世にも奇妙な「世襲制の共産主義」国。言葉の矛盾だろう。単なる独裁国家だと思えばいいのであろうか?

 
 
 
2011年12月20日。火曜日。晴れ。
5時に起きた。
寒さは厳しい。
夕凪亭は、既に、カーテンで1/3を隔離して冬モード。ベッドの上には炬燵があり、足を長くしている。
外はメダイ産卵用の発砲スチロールに入れた水が凍っている。

「Of Human Bondage」第一章を読む。

「伊澤欄軒」のその五十六,五十七を読む。三十四歳の欄軒は足疾のため老いた心境を吐露する。

「道草」の三十七、三十八を読む。

「夜明け前第一部上」の序の章の四と五を読んで,序の章が終わった。黒船来襲の報が木曽路にも届いた。

「大菩薩峠」の五,六。
 
 
 
2011年12月21日。水曜日。晴れ。
今日と明日は休暇にしました。金土日と続けて5連休です。月火水と仕事です。

朝5時過ぎに起きた。やはり寒い。ストーブをつけて、しばらく炬燵の中で時間を過ごす。井筒俊彦著作集別巻の対談を読む。程度の高い対談で、なかなか進まない。
ドストエフスキーは新潮文庫で「死の家の記録」を読んでいる。これも蝸牛の歩み。まもなく半分。これで一段落だと思っていたが。「虐げられた人びと」というのは、まだ読んでないようだ。「貧しき人びと」「地下室の手記」とごっちゃになっていたようだ。新潮文庫を買うことにしよう。

ロシア語のテクストは大半をワープロソフトに写した。すらすらと読めないのが難点。ゆっくりやるしかない。

漱石の「道草」三十九,四十。それに「教育と文芸」という講演記録を読む。いずれも青空文庫で。青空文庫には専用の読書ツールがついておりますが、最近は利用することはありません。HTML版、すなわちインターネットブラウザでそのまま読むか、ワープロソフトにコピーして読むかです。後者の場合、長い物は読んだところから消していきます。短いものなら、そのまま残しておいてもよいし、つまらないものだったら、消せばよい。

「夜明け前」の第一章の一を読む。黒船時代を描きながらこの土地の庄屋の歴史などが出てくる。
 
 
2011年12月23日。金曜日。晴れ。
今日は最高気温8℃、最低気温マイナス1℃ということ。朝から日はよく照っている。

きのうは因島。それに夜、忘年会と、あまり読書が進んでいないので、それを取り返したい。青空文庫でもかなり、読む。やはり偉い人は書く量も多い。

神棚
豊島与志雄 2011.12.22-23.
どういうことなのかわからない貧乏物語。働かないで金がない金がないと言っている私小説作家と同じではないか。神棚がどういう意味をもつのかも、わからない。

「道草」の四十一と四十二。ここで主人公の幼児の養子体験が如実に描かれる。おそらく漱石の実体験だろうと思われる。悲惨である。
     四十一 2011.12.23.
 夫婦は全力を尽して健三を彼らの専有物にしようと力(つと)めた。また事実上健三は彼らの専有物に相違なかった。従って彼らから大事にされるのは、つまり彼らのために彼の自由を奪われるのと同じ結果に陥った。彼には既に身体(からだ)の束縛があった。しかしそれよりもなお恐ろしい心の束縛が、何も解らない彼の胸に、ぼんやりした不満足の影を投げた。
 自分たちの親切を、無理にも子供の胸に外部から叩(たた)き込もうとする彼らの努力は、かえって反対の結果をその子供の上に引き起した。

 夫婦は健三を可愛(かあい)がっていた。けれどもその愛情のうちには変な報酬が予期されていた。金の力で美くしい女を囲っている人が、その女の好きなものを、いうがままに買ってくれるのと同じように、彼らは自分たちの愛情そのものの発現を目的として行動する事が出来ずに、ただ健三の歓心を得(う)るために親切を見せなければならなかった。
     四十二2011.12.23.

「大菩薩峠」七八九。
     .
「伊澤蘭軒」 その五十八 その五十九

「夜明け前」第1章の二
「自分は独学で、そして固陋(ころう)だ。もとよりこんな山の中にいて見聞も寡(すくな)い。どうかして自分のようなものでも、もっと学びたい。」
 と半蔵は考え考えした。古い青山のような家に生まれた半蔵は、この師に導かれて、国学に心を傾けるようになって行った。二十三歳を迎えたころの彼は、言葉の世界に見つけた学問のよろこびを通して、賀茂(かもの)真淵(まぶち)、本居(もとおり)宣長(のりなが)、平田(ひらた)篤胤(あつたね)などの諸先輩がのこして置いて行った大きな仕事を想像するような若者であった。
 黒船は、実にこの半蔵の前にあらわれて来たのである。

馬篭本陣の跡取り息子半蔵のことである。
 
2011年12月24日。土曜日。晴れ。
朝買い物。午前中はよく晴れているものの気温は低い。寒い。午後3時頃になって次第に雲が多くなって夕方のよう。


小栗虫太郎 「一週一夜物語」読む。インドでの話。


泉鏡花 「愛と婚姻」。婚姻により女は妻となり、愛から隔てられる。めでたいことではない、と言う論理。


有島武郎 「或る女(前編)」の一を詠む。

漱石「道草」四十三 養父母の島田と御常の不和のこと。御藤との三角関係か。その娘がお縫い。四十四 健三は御常と二人で暮らすが御常が再婚して、健三は実家に返されていた。再婚の相手を波多野という。警部とか、そうでないとか・・。
 
 
2011年12月25日。日曜日。晴れ。
寒い朝。今日は最高気温8度で、ほんとうに寒い一日。
7時に起きる。十分よく寝た。午前中、ドイツ語とフランス語。それにギリシア語を少し。午後、昼寝。5時頃まで寝ていた。そんなに睡眠不足というわけではないのに。

睡眠というのは不思議なものだ。連日5時間ぐらいでやってきていたようだ。それはそれで、時々驚くような深い眠りが襲ってきて、それで回復していたようだ。
今日ときのうは十分過ぎるぐらい寝ている。それでも眠れるのだから、よくわからない。

ユングやデリダの諸作をインターネットにあるもので読む。

「或る女」二を読む。木部と葉子の結婚と別れ。

西田幾多郎 「デカルト哲学について」は、デカルト批判であるとともに、デカルトの方法への回帰徹底を主張するものでわかりやすい。さらに絶対矛盾の自己同一の論を適用しており、西田幾多郎自身の哲学も明確に語られており、さらに東洋哲学への視座も入っている、という入門的でかつ重要な著作である。 
 
 
 
2011年12月26日。月曜日。晴れ。
今日も寒いが,月曜日。久々に出勤。少し仕事。

三木清「如何に読書すべきか」。見事な読書論である。多読と濫読は違うという。そして濫読を戒める。未だ濫読である自分は,今更どうしょうもない。濫読を越えるしかあるまい。
2011年12月27日。火曜日。晴れ。
火曜日は灯油の日である。
これは行きつけのガソリンスタンドの話。
他の日と比べていくら安いのか、確かめたことはない。ただ、火曜日が安いということになっていて、灯油だけを買いに来る客も多く、大にぎわいである。
正月が近づいたので18L3缶買う。ついでにガソリンも満タンにしておく。

あいかわらず寒いが、寒さが和らいだのか、こちらが慣れたのか、身体への少し負担が少ないようである。
それでも、外へ出ると寒い。暖房を入れていない部屋へ行くと寒い。

「道草」の四十五と四十六を読む。要するに嫌な人たちだ。今では民事裁判というものがあって、示談だの和解だのというのがあって、こんなにどろどろとした話はないのではなかろうか、と思うのは世間知らずの言うことだろうか。嫌な感じのエッセンスを抜き出しておこう。

     四十五 2011.12.27.
 御常の手紙はその後(ご)ふっつり来なくなった。健三は安心した。しかしどこかに心持の悪い所があった。彼は御常の世話を受けた昔を忘れる訳に行かなかった。同時に彼女を忌み嫌う念は昔の通り変らなかった。要するに彼の御常に対する態度は、彼の島田に対する態度と同じ事であった。そうして島田に対するよりも一層嫌悪の念が劇(はげ)しかった。



     四十六 2011.12.27.

 健三の心を不愉快な過去に捲(ま)き込む端緒(いとくち)になった島田は、それから五、六日ほどして、ついにまた彼の座敷にあらわれた。
 その時健三の眼に映じたこの老人は正しく過去の幽霊であった。また現在の人間でもあった。それから薄暗い未来の影にも相違なかった。

井筒俊彦著作集の別巻は対談集で、まことにレベルが高くて、さすがに著作集に入れただけの重みのあるものばかりである。なかでも、分析心理学のユング派のヒルマン教授と河合教授との鼎談は、まさに三人の巨人の会話の趣があった。

鴎外もまた、お留守になっていた。「伊沢蘭軒」のその六十、その六十一を読む、菅茶山から蘭軒への手紙の中の山陽についての件が紹介される。すなわち、広島の山陽を神辺の敵塾の講師に迎えた話である。ゆくゆくは養子にして、跡継ぎにしようと目論む茶山に対して、こんな田舎には住めないとい山陽の脱出は、確かに一つの事件であった。それは、この夕凪亭から北西の方向に山一つ越えたところで起こった事件であった。

読みかけの本が多いというのは、せわしないことだ。
「或る女」の三。
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 木部が改札口を出て姿が隠れようとした時、今度は葉子の目がじっとその後ろ姿を逐(お)いかけた。木部が見えなくなった後も、葉子の視線はそこを離れようとはしなかった。そしてその目にはさびしく涙がたまっていた。
「また会う事があるだろうか」
 葉子はそぞろに不思議な悲哀を覚えながら心の中でそういっていたのだった。
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かつて子どもまで設けた、木部という新聞記者との邂逅を憎しみとも苛立ちとも言えぬ複雑な嫌悪感で通した葉子が、木部が目の前を通り過ぎて列車から降り、お互いに無言のまま去った後の、葉子の様子である。わからなくはない。ここを書くために三は葉子の不快を延々と書いてきたのだ。



「夜明け前」の三。
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 日の暮れるころには、村の人たちは本陣の前の街道に集まって来て、梅屋の格子(こうし)先あたりから問屋の石垣(いしがき)の辺へかけて黒山を築いた。土地の風習として、花嫁を載せて来た駕籠(かご)はいきなり門の内へはいらない。峠の上まで出迎えたものを案内にして、寿平次らの一行はまず門の前で停(と)まった。提灯(ちょうちん)の灯(ひ)に映る一つの駕籠を中央にして、木曾の「なかのりさん」の唄(うた)が起こった。荷物をかついで妻籠から供をして来た数人のものが輪を描きながら、唄の節(ふし)につれて踊りはじめた。手を振り腰を動かす一つの影の次ぎには、またほかの影が動いた。この鄙(ひな)びた舞踏の輪は九度も花嫁の周囲(まわり)を回った。
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馬篭本陣の跡取り息子半蔵が妻籠本陣の娘お民を嫁にもらった。
暖冬で黒船騒ぎの幕末。徳川家のお蔵は既に底を突き、国難の時とて、臨時の上納金の徴収まである。支持率の低下は目に見えているのに消費税を上げざるを得ない昨今の政局とよく似ている。
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吉左衛門夫婦はこの質素な、しかし心のこもった山家料理で、半蔵やお民の前途を祝福した。
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何日も続く祝言が終わった翌日、元乳母がが来て、胡桃入りの五平餅を作って、第一章は終わった。 
西田幾多郎の「善の研究」は、やはりわからなかった。井筒さんの「意識と本質」は少しわかったが、それでも、全体的な構想が理解しにくかった。今度、対談集を読んでいて、そのあたりのことが、よくわかった。その東洋思想を西洋哲学の言葉で解明するという視点で「善の研究」やユングを読むと、少しわかったような気持ちのなったので、もう一度、「善の研究」をはじめから読んでみようと思った。
第一編 純粋経験
第一章 純粋経験
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 経験するというのは事実其儘(そのまま)に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫(ごう)も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那(せつな)、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である。


 今なお少しく精細に意識統一の意義を定め、純粋経験の性質を明にしようと思う。意識の体系というのは凡ての有機物のように、統一的或者が秩序的に分化発展し、その全体を実現するのである。意識においては、先ずその一端が現われると共に、統一作用は傾向の感情としてこれに伴うている。我々の注意を指導する者はこの作用であって、統一が厳密であるか或は他より妨げられぬ時には、この作用は無意識であるが、しからざる時には別に表象となって意識上に現われ来(きた)り、直に純粋経験の状態を離れるようになるのである。即ち統一作用が働いている間は全体が現実であり純粋経験である。
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2011年12月28日。水曜日。晴れ。
最高12度、最低0度というのは昨日よりも2度も高い。そのせいか随分暖かいようだ。

朝、少し読んで、井筒俊彦著作集・別巻を終わった。
「井筒俊彦著作集・別巻 対談鼎談・著作目録」(中央公論社)

「大菩薩峠」の十一から十三を読む。いよいよ机竜之介と宇津木文之丞の試合となる。審判は引き分けと言うが、明らかに竜之介の勝ちである。

野上豊一郎「シェイクスピアの郷里」を読む。最近はあまり読む機会がない。もっと繰り返し、よまなければ、と反省。

今日は、高校時代の友人が愛知県から帰省の途中寄ってくれた。故郷の石仏の話など。
2011年12月29日。木曜日。晴れ。
最低気温、最高気温とも、昨日より1℃上昇。それでもかなり暖かい。
麻から買い物。午後、二階の片づけ。関東から子どもが二人帰ってくるので、私の荷物で占拠している部屋を片づける。

まず、夕方息子が帰って来るものの、すぐに友人が車で迎えに来て、遊びに行く。

読書が進まないぞ。

「道草」の四十七、四十八。また島田が訪問してくる。同じような行為を、延々と書いていくのもなかなかた骨が折れることだろう。

堀辰雄「美しい村」から「夏」。これも途中で止まっていた。復活を。

鴎外の「青年」の「弐 」を読む。大石という新聞記者で小説家を小泉が尋ねた。初対面なのに昼飯を出された。それが終わると話もしないで、大石は出社してしまった。またお出で、しかし、夜はだめだよ、と言って。おもしろい。
新書版の選集(二)で読んでいたのだが、他の本の影になって遠ざかりがちだったので、青空文庫版に切り替える。ワープロソフトへ貼りつけて、読んだところから削除していくやり方だ。こちらは新仮名だが、こだわらない。
2011年12月30日。金曜日。晴れ。
いよいよ、今年もあと二日となりました。

今朝は穏やかなよい天気です。暖かい日射しが夕凪亭の中にまで入ってきています。こんなお天気が続くわけはないから、正月になったらまた寒波が襲ってくるでしょうね。

朝からフランス語。前田のフランス語と呼ばれる、岩波から出ている名著。名著であるのは、古本屋で、ただあったので買って、何年もしてから。なるほど、例文は豊富。それにある単語の意味など、辞書よりも豊富で、素晴らしい。

適当に開いた頁の例文を打ち込み、単語を調べて記入したりする。一冊に1つの文書が割り当てられているのだが、大きくなれば分割する。まだそこまでいかない。

青空文庫での読書。夢野久作という福岡の右翼の大物の息子の奇才作家で、あの終わりが始めに戻る「ドグラ・マグラ」という本の著者である。文庫本で買ってあるが、未だに読んでいない。他の短編も読もうとして筑摩文庫を注文したが、エッセイばかりで小説の在庫はなかった。子ども向けの色の付いた水仙の話は、その漢字の名前から発想されたものか、確かに水仙には人格化してもいいだけの清楚があると、感心したことがある。並行して読んでみるか、ということで、まずはドグラ・マグラをワープロ文書に移し、yんだ所から消していくことにした。カフカを思い出させる奇怪なオープニングからして、見事である。

泉鏡花の「紫陽花」は名随筆にも入っているそうであるが、私などは短編小説として読んだ。氷売りの美少年。それを買う貴女。鋸で削って雪のようにしたのを買うという設定らしい。少年の継母の意地悪で(白雪姫か何かのようでもある)鋸にスミがついていて、何度やっても黒い氷の小粒しか得られない・・・。いつもの鏡花の世界である。

永井荷風「葛飾土産」。江戸の町から梅園が消えていくことから、文化の変遷・衰退について、漢文の力の低下などを上げる。
どこかで、鴎外・露伴の漢文の力は抜群で、自在に考証などができるが、荷風は少し劣る、などと書いたあったのを読んだことがある。確かにその通りだろう。でも、荷風に気の毒というものだろう。時代が違うのだし,比べること自体が不親切だろう。


徳富蘆花健次郎の「不如帰」ははじめてである。「第百版不如帰の巻首に」と上編一の一をまず読む。

続けて「みみずのたはこと」。これは筑摩の古い文学全集で拾い読みしていたことがある。先頭から読んでみよう。まず、一と二。
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       一
実際馬鹿でなければ田舎住居は出来《でき》ぬ。人にすれずに悧巧になる道はないから。

物の所有は隔ての原《もと》で、物の執着《しゅうちゃく》は争の根《ね》である。

       二
一日一日の眼には見えぬが、黙って働く自然の力をしみ/″\感謝せずには居られぬ。

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レ・ミゼラブルは第5編の二 マドレーヌを終わった。こちらは集英社の世界文学全集15の鈴木新太郎・坪井一訳で読んでいたのだが、だんだんと本棚の隅に押しやられてしまっている。これも青空文庫に乗り換えよう。ついでに、原典と対訳にして、スローに読んでいるジャン・クリストフも、そろそろ読みたくなった。 
 
 
2011年12月31日。土曜日。晴れ。
大晦日である。2011年、平成23年も今日で終わりである。
未曾有の大震災・大津波の年が終わる。被災地の復興はままならず、その上に、年金、福祉、少子化、円高と国難の時代は続く。

「道草」の四十九、五十を読んだ。

「古寺巡礼」の十二
法華寺より古京を望む――法華寺十一面観音――光明后と彫刻家問答師――彫刻家の地位――光明后の面影
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 そこで現在の十一面観音は光明后をモデルとした原作を頭に置いて後代の人が新しく造ったものだという想像説が成り立つ。あの伝説は火のないところに起こった煙ではなく、この十一面観音に天平の痕跡を認めるのも根拠のないことではないということになる。
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西田幾多郎「善の研究」第一編 純粋経験 第二章 思惟 を読む。
よくわからない。したがって、何か理解のヒントになるような一節でも引用しようと思ったが、焦点がさだまらない。

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 思惟というのは心理学から見れば、表象間の関係を定めこれを統一する作用である。その最も単一なる形は判断であって、即ち二つの表象の関係を定め、これを結合するのであ

 思惟と心像とは別物ではない。いかなる心像であっても決して独立ではない、必ず全意識と何らかの関係において現われる、而してこの方面が思惟における関係の意識である、純粋なる思惟と思われる者も、ただこの方面の著しき者にすぎないのである。

 純粋経験と思惟とは元来同一事実の見方を異にした者である。

 これを要するに思惟と経験とは同一であって、その間に相対的の差異を見ることはできるが絶対的区別はないと思う。しかし余はこれが為に思惟は単に個人的で主観的であるというのではない、前にもいったように純粋経験は個人の上に超越することができる。かくいえば甚だ異様に聞えるであろうが、経験は時間、空間、個人を知るが故に時間、空間、個人以上である、個人あって経験あるのではなく、経験あって個人あるのである。
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三木清「哲學はどう學んでゆくか」はわかりやすく、退屈しない名文であるが、内容が重く、どっと疲れが出た。というのは、重要な本が次から次へと紹介され、それぞれが必読の書のように思われるからである。

そして、三木清は言う。今の問題を解決するために考えることが必用なのであり、そのための読書なのだお。先日読んだ者には、専門のない多読は濫読だと、厳しく書いてあったが、今回もなかなか厳しい。浅く広く読むばかりではだめであると。じっくりと読んで、その考え方を自分のものにしておくことも大切なのだと。

今年はこのへんで終わりにしよう。閲覧を感謝!! よいお年をお迎えください。
 
今年126冊目。
綿矢りさ著「夢を与える」(河出書房)
今年127冊目。
江川卓著「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」(新潮選書)。
今年128冊目。
綿矢りさ著「インストール」(河出書房)。
今年129冊目。
綿矢りさ著「蹴りたい背中」(河出書房)。
今年130冊目。
綿矢りさ「勝手にふるえてろ」(文藝春秋)。
今年131冊目。
「井筒俊彦著作集・別巻 対談鼎談・著作目録」(中央公論社)