2019年7月14日日曜日

夕凪亭閑話 2010年3月

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2010年3月1日。月曜日。曇り後雨。旧暦1.16.戌(かのえ,いぬ)一白仏滅。
  因島中庄町のジュンンテンドーに、オカツネ コーナーがあった。オカツネは因島発の世界的ブランドです。因島大浜町には、クボタ橋というのがある。ここから、大阪を経て世界のクボタへ。日本の公共水道の歴史はクボタとともにある。日産自動車の前身は、久保田鉄工の一部門だそうです。森下仁丹の創業者は鞆町出身です。広告の歴史に残る人です。養命酒の創業者は保命酒から出ているので、仁丹は保命酒の固体版かも。(7:31 PM Mar 1st)
 
2010年3月2日。火曜日。晴れ。旧暦1.17.辛亥(かのと,い)三碧大安。
 夜,歩く。あまり寒くない。
 因島は「島1つで市」だったとよく言われるのですが、嘘です。隣の平山郁夫美術館のある生口島(いくちじま)の2つの町とあわせて、昭和の大合併で因島市になりました。それが平成の大合併で尾道市に併合されてしまい、住所は尾道市因島**町となり、その田熊町がオカツネ発祥の地です。田熊(たくま)町は、八朔の発祥の地です。オレンジがかったのは紅ハッサクと呼ばれて、苦みが減っているのですが、・・・好みは分かれるようです。柑橘の多いところで蜜柑摘みバサミからスタートしたのだと、思います。 
 尾道ご出身の桑原里嘉さんの処女作「夜明け前の木彫りたち」(文芸社)を読んだ。「雪姉さの恋」「無千手観音の祈り」「アイヌの木彫り仏像」の3編が収められている。文章がしっかりしているし、テーマも素材もいい。小説的技巧に習熟されたら読みやすくなると思う。次作に多いに期待!
 
2010年3月3日。水曜日。晴れ。旧暦1.18.壬子(みずのえ,ね)四緑赤口。
 因島は除虫菊の産地だった。除虫菊の歴史にはフマキラーの歴史も入ります。
 海辺の井戸は干魃になると、海水が入ってくる。井戸水が海水を押しているうちは、入ってこない。
 
2010年3月4日。木曜日。晴れ。旧暦1.19.癸丑(みずのと,うし)五黄先勝。
 雑司池の水鳥いつのまにか、いなくなっています。
 除虫菊は種を蒔いて花が咲くまで1年半かかります。梅雨の頃白い花が咲いて、島を覆います。雲雀がよく囀っていました。先を「千歯こき」で茎から離し、筵の上で乾します。梅雨時ですから、よく雨が降る。大あわてで、家の中に入れます。
 住宅街を散歩して、表札を眺めていくと、姓の多様さに驚きます。言葉もいろいろな地方の影響受けていると思います。
 昔、鋼管の埋め立てをしている頃、新開の親戚に行ったとき、芦田川へハマグリを掘りにいった、と記憶している。芦田川にはハマグリがいたのだろうか? アサリの間違いだろうか?
 
2010年3月5日。金曜日。晴れ。旧暦1.20.甲寅(きのえ,とら)六白友引。
 夜,元町のととや・むてきで,小さなプロジェクトの解散会。
 
2010年3月6日。土曜日。雨後曇り。旧暦1.21.乙卯(きのと,う)七赤先負。
 朝,因島へ。帰りにビッグローズに,備後伝統産業展を見に行く。みのり工房の手作り布人形。同じところに展示してあった備後絣の人に染色の方法など伺う。また,い草組合の人にい草の栽培加工等についても説明をお聞きする。
 
2010年3月7日。日曜日。雨後曇り。旧暦1.22.丙辰(ひのえ,たつ)八白仏滅。
 朝9時頃出て,東広島へ。その後,廿日市まで。2号線沿いのとりの助ラーメンへ。福山にはない。
2010年3月9日。火曜日。雨後雪。旧暦1.24.戊午(つちのえ,うま)一白赤口。
 朝起きたらみぞれ交じりの雨。やがて雪が多くなり,完全な雪になる。
 ツイッターばかりして,最近読書が減った。ホームページもいい加減になった。ツイッターを整理するのは大変だし,両方へ書くことは難しい。ツイッターを減らさないといけない。
 
2010年3月10日。水曜日。曇り時々小雨。旧暦1.25.己未(つちのと,ひつじ)二黒先勝。
  twitteに嵌りきった数週間であった。こうように嵌りきることは自分の性格だし,かつてのアマチュア無線とかインターネットの開始時と同じように,ある程度徹底的にやることで効率的に新しいツールを理解できる。それはそれでいいのだが,敢えてトーンを下げてみた。
 
2010年3月14日。日曜日。晴れ。旧暦1.29.癸亥(みずのと,い)六白大安。
  午前午後と2回散歩。春らしいよいお天気。最高気温は17℃くらいに
 吉村昭「冬の鷹」(新潮文庫)。「解体新書」を訳した前野良沢の話。「解体新書」は杉田玄白訳ということになっているが,実質は前野良沢が訳した。杉田玄白はプロデュースしたに過ぎない。それならば,玄白が業績を横取りしたのかというと,そうでもない。前野良沢が名前を出すことを固辞したのだ。こういう関係は二人の根本的な性格によるものだった。
 良沢は名声を得るためにオランダ語を学んだり,訳すのではないという考え。一方,玄白は作業をとりまとめるとともに,いい物はどんどん進めていくという積極的な性格。その結果,玄白は地位も名誉も家庭的にも恵まれる。良沢は門人も取らなければ,医師として稼ぐこともしない。翻訳しても出版しないので,いつまでも貧しい。これは二人の性格によるものでどうしょうもない。
 玄白は収入も多く洋書も多く買い,それを弟子達が使う。日本の洋学の流れが,ここから大きな流れになる。大槻玄沢,宇田川玄真などが玄白の弟子であったというだけでも,蘭学の中心が玄白から流れ出したことがわかる。もちろん良沢の語学力がそれを支えたことには間違いないが,やはり大プロデューサーとしての玄白の存在は高く評価してよいと思う。それに対して良沢のほうは豊かな才能とその努力は尊敬に値するものの,もう少し融通をきかせて,うまく生きてほしかったと思う。
 後半,交際嫌いな玄沢が珍しく意気投合した人物として高山彦九郎が出てくる。ここまでくると,司馬さんと吉村さんの史観の違いが大きく異なることがわかる。私が最近、司馬さんのものに手を伸ばさないし,「坂の上の雲」にまったく関心をもたない理由も,そのへんにある。
 
2010年3月15日。月曜日。雨。旧暦1.30.甲子(きのえ,ね)。七赤赤口。
 8時頃から雨。寒い雨。激しくは降らず。小雨が長く。
 ギボン著,朱牟田夏雄訳「ローマ帝国衰亡史Ⅴ」(筑摩書房)。「ホノリウス帝の死-西帝国皇帝ウァレンティニアヌス三世-その母プラキディアの施策-アエティウスとボニファティウス-ヴァンダル族,アフリカを征服」。ということで,衰退は続くのだが,あまり大きな変化はない。すなわち,正直いって退屈である。こうしてみると,人類の長い歴史ではなく,読み物としての歴史の大部分が戦争の歴史であるということを改めて感じる。戦争が終われば,国境が変わる。すなわち,世界が変わる。だから記述する価値がでる。しかし,本章は大きな戦もなく,退屈であった。しかし,最期の「七人の長眠者」(p.212~)の寓話に対するギボンの言及がいい。180年洞窟で眠っていたものたちが目が覚めて,間もなく死ぬという寓話のバリエーションの流行について,ギボンは記す。「みごとに人間の意識の共通性を語るもので・・」と。(p.214)。歴史の推移を語る説話だと。近くは浦島太郎,アメリカでは,リップバンウィンクル,中国の邯鄲など。意識の問題なのか。科学的な根拠は追求しなくてもいいのか,と思ってしまう。
 ああ,それにしても遅いぞ。急げ!急げ! 残るは最終章。そろそろ次巻を購入しなければ。
 喜志哲雄「シェイクスピアのたくらみ」(岩波新書)の序章では、以下のように書かれている。
 「シェイククスピアが劇作家としてたくらみをめぐらすに際して、何よりも慎重に吟味したのは、おそらく、どの段階でどんな情報をどのようにして観客に提供するかという問題だったであろう。」(p.3)
 そのたくらみが、具体的に示される。まず、第1章。「ロミオとジュリエット」で。
 「結末の予告という手法によって、観客は主人公たちと一体になることを妨げられ、彼等に対して一定の距離を保ちながら劇の展開を追わざるをえなくなるのだ。」「観客の興味は、主人公たちの恋愛の結末がどんなものになるかという問題ではなくて、どんな過程を経て主人公たちの恋愛がその結末に到達するかという問題に、もっぱら注がれることになるのである。」(p.18)
 じつにわかりやすいたくらみである。
 考えてみれば再読に耐える文学作品はすべてそうなっているのだ。結末がわかっていても、なお読もうというのだから、。「ロミオとジュリエット」のコーラスで結果を言うのと同じだ。
 何年か前に、ドナルド・キーンさんの講演会がリーデンローズであった。暁の星学院主催の公開講演会であった。(感謝!)。
 そこでキーンさんは「金閣寺」の例を挙げて、結末がわかっているのに、それでも読者に読ませるのだから・・と作者の技量を讃えた。
 「罪と罰」でも、同じことである。 
 
2010年3月16日。火曜日。晴れ。旧暦2.1.乙丑(きのと,うし)。八白友引。
  暖かい。黄砂か? 夕方風が冷たい。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「人は知らずA WAY YOU'LL NEVER BE」(筑摩世界文学大系74)
 ニック・アダムズは,既に少年ではない。でも,少年のような心を少し残して戦争の渦中にいる。それもイタリア兵の中に。乾いた心を表現するのに乾いた文体があったのか? あるいは逆に乾いた文体が乾いた心を表現するのに適していたのか? あるいはまた,乾いた文体で書いたから心が乾いているように見えただけなのか?
「シェイクスピアのたくらみ」 続き

 「ロミオとジュリエット」は「この作品の悲惨さは、普通に考えられているように、主人公たちが不幸な結末を迎えるところから生じるのではない。それは、不幸な結末を迎えることを知る由もない主人公たちが、無駄な努力を重ねるところから、そしてそのことを観客が知っているところから生じるのだ。」(p.20-21)と、結論される。
 それはともかくとして、読めば読むほど傑作だと思う。もちろん「ハムレット」や「リア王」も世間で言われるように素晴らしいことは素晴らしいのだが・・。映画もまた十分に楽しめる。古いものも新しいものも。

 次は「ジューリアス・シーザー」では「観客の反応をもてあそぶ作者」ということになるのだが、この作品はまた妙に面白い。結末は分かっているし、シーザーも避けられたのではないかと、思ってしまう。
 仲代達矢さんのシーザーにはその言葉の力に圧倒された。
 
 「アントニーとクレオパトラ」
 劇場の制約等から「現代の観客には想像できないほど台詞を重視したものだった。」(p.31)
 台詞の迫力というのは、例えば現代の映画を見ればよくわかる。「アバター」なども視覚で、これでもか、これでもかと攻めてくるので、言葉の記憶が当然のごとくない。
 その豊富な言語にもかかわらず、「アントニーとクレオパトラ」は人物への同化を拒否する。すなわち「観客を拒絶する」作品なのである。
 こういう調子で、からくりが次々と明らかになって、おもしろい。
 
2010年3月17日。水曜日。晴れ。旧暦2.2.丙寅(ひのえ,とら)。九紫先負。
 夕食後散歩。暗くなって,薄い薄い月と金星。写真を写すも失敗。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「異国にてIN ANOTHER CUNTRY」(筑摩世界文学大系74)
 前半の「武器よさらば」の冒頭を思い出させる文章の素晴らしさ。これだから,ヘミングウェイはやめられない。後半は妻を失った男のこと。いい短編だ。
2010年3月18日。木曜日。曇り一時雨。旧暦2.3.丁卯(ひのと,う)。一白仏滅。
 昼前から小雨。夕方も。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「殺し屋 THE KILLERS」(筑摩世界文学大系74)
 これもニック・アダムズもの。殺し屋は「すっかり身についたオーバーと山高帽すがたはまるで寄席芸人のコンビみたいに見えた」と書く。恐怖感を感じない。だが、こんな街は嫌だという。
 
2010年3月19日。金曜日。晴れ。旧暦2.4.戊辰(つちのえ,たつ)。二黒大安。
 天気予報の最高気温は13℃だったが,そんなものではなかった。春爛漫。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「清潔な照明のよいところ A CLEAN , WELL-LIGHTED PLACE」(筑摩世界文学大系74)
 「もっとも,若さや自信などというものも,はなはだ美しいものにちがいないがね。」(p.326)
 
2010年3月20日。土曜日。晴れ。夜,雨。旧暦2.5.己巳(つちのと,み)。三碧赤口。
  よいお天気。ストーブがいらない。ひどい黄砂。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「世の光 THE LIGHT OF THE WORLD」(筑摩世界文学大系74
 「あたしの体はだれで買える。が,魂はスティーヴ・ケチュルのものなの。ああ,あの人はほんとの男だったわ」(p.330
 女の意地。 
 
2010年3月21日。日曜日。晴れ。旧暦2.6.庚午(かのえ,うま)。四緑先勝。春分の日。
 春になった。今日は春の嵐。朝,黄砂か霧かわからないようなものに覆われ太陽が白い満月のように見えた。風が冷たく,でも春らしい冷たさで,舞っていた。桜の蕾もピンク色をつけていまにも咲き出しそうだった。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「神よ,殿方を楽しく休ましめ給え GOD REST YOUR MERRY, GRENTLEMEN」(筑摩世界文学大系74)
 クリスチャンの藪医者とユダヤ人の医者がいて,聖誕祭の日に若者が去勢してくれと言ってきた。この関係がアメリカ人にはよくわかるのだろうか。
 
 
2010年3月22日。月曜日。晴れ。旧暦2.7.辛未(かのと,ひつじ)。五黄友引。振替休日
 よいお天気だ。少し気温は低く7時に9.7℃。でも、よく晴れていて、今日は普通の太陽が見られた。
 夕方から鞆の浦で送別会(第3弾)。
 ギボン著,朱牟田夏雄訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅴ」(筑摩書房)。「第三四章 フン族の王アッティラの性格,征服,ならびにその宮廷-テオドシウス二世の死-マルキアヌス,東帝国の帝位に」
 よく見る歴史書と異なり,この本では歴史は緩慢にしか進まない。それ故か,衰亡の歴史が徐々に徐々にと進んでいくのが感じられる。それは同じ土地がローマからヨーロッパへの転換することでもある。蛮族と一口に言うけれど,ヨーロッパ諸国にとっては,自分たちの建国の英雄に違いない。ただ元の語彙がローマ中心の中華思想的に蛮族であったに過ぎない。日本語に翻訳すると,ローマ時代も,現代も蛮族と訳してあるが,同じ語彙がヨーロッパ成立後もやはり蛮族的なニュアンスでヨーロッパで語られているか疑問である。
 もはや蛮族ではない。征服民族と語るべきではないかと,思いつつⅤ巻を終わった。やっと折り返し。
 菅茶山関係書籍発刊委員会編著「菅茶山の世界 黄葉夕陽文庫から」(文芸社、2009)を終わった。
 やっと今年15冊目。これで平均月5冊。年間なら60冊。こんなものかな、と思う。
 編著者の名称をこんなに長々しくする必用があるのかと、まず思う。地方から全国へ発信するという意図を生かすためにも、多くのところで紹介してもらうためにも、もっと簡素な形にしていただくことを望む。
 内容はよい。何しろ、江戸時代の話なのだから多くの風習が既に遠いものになっている。それだけで、若者は敬遠してしまう。そういう若者にも読んでもらいたいという情熱が溢れている。本文中の多くの注釈と、多すぎるほどのふりがな(ルビ)はそういうことの現れだろう。
 黄葉夕陽文庫というのは、一言で言えば茶山の遺品で、どういう経緯からか知らないが。神辺の菅茶山記念館ではなく県立歴史博物館に寄贈されている。そして、その一部は1998年に春の企画展として公開され、美しい図録が刊行されている。(広島県立歴史博物館展示図録第22冊)。美しいカラー写真が満載されているので、こちらも併せて見るのがいい。
 さて、本書はそれらの遺品の解説という形をとっているものの、その配列がまず茶山の生涯がわかるように、そしてその交友がわかるようにと、周到に配置されていて、初心者にも大変わかりやすいと思われる。続編や、さらに詳しい解説を加えたものの刊行が望まれる。
 
2010年3月23日。火曜日。雨。旧暦2.8.壬申(みずのえ,さる)。六白先負。
 昨日(22日)の夜、鞆の浦の鴎風亭で、N氏の送別会があった。今年第3弾で、最期。本来なら、旅行をしてお送りするところだが、みんな忙しく、それに急なことであったので・・。しかし,夏の阿蘇旅行以来の積立金を精算する必用があったので,急遽近場で。
 第一陣は2時に出発して、散策をしていたようだ。後発隊は4時半に出発して向かう。幸い車はスイスイと走り、曇り空のもと、鞆の街に入った。写真は別館へ。
 仙酔島への渡船場の前を通って鞆港のところまで行く。常夜灯、雁木を海側から眺めて写真を撮る。古い記憶が甦る。二十歳の頃だ。サークルの夏合宿だった。福山出身の方が対潮楼での二泊三日の合宿を企画した。早朝,ここを通って波止場のほうへ歩いた。多度津から大きなフェリーが滑るように入港していた。合宿中,中国新聞の「涼点」という企画の取材を受け,写真とともに掲載された。あれから・・十年・・・。
 引き返して、会場である鴎風亭へ。すぐ向こうは海。まぢかに岩礁がある。黄緑色のアサオが目にまぶしい。そして、右側へ仙酔島が。左のほうにはJFEの工場も見える。部屋は7階。風呂は3階。露天風呂からは海が真下に・・。曇っていたので、夕映えが見られなかったのが残念。
 今日23日は、朝から雨。部屋から朝日の昇るのが見えると思っていたのだが、またの機会に期待しよう。雨に煙る鞆の街も風情があってよかった。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「死者の博物誌A NATURAL HISTORY OF THE DEAD」(筑摩世界文学大系74)
 作家として同時代を書くことが,おそらくヘミングウェイの目標であったに違いない。そして,同時代とは戦争であった。その戦争で最も人間に迫る方法は死を書くことであろう。しかし,考えてみれば死の描写ほど難しいものはない。そのことに気づいていたヘミングウェイの衒いと躊躇が冒頭には溢れている。そして,後半それは小説仕立てへと変貌していく。そのように解釈すれば,この短編は作家ヘミングウェイの誕生を示す作品だと読めなくもない。
 
2010年3月24日。水曜日。雨。旧暦2.9.癸酉(みずのと,とり)。七赤仏滅。
 昨日に続いて朝から雨。桜の花が咲きかけたのに,残念。寒いので炬燵の中に入っていると,また寝てしまった。炬燵で本を読んでいるとすぐに寝てしまう。朝も夕も。これもいいか,それ相応に年を取ったということかと思ってしまうのは,時ならぬ冷気のせいだろう。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「父と子 FATHERS AND SONS」(筑摩世界文学大系74)
 この短編は好きなものの一つである。おそらく,彼の代表作に含める評者も,少なくないだろう。
 「そして三十八歳になった今日も,彼は,はじめて父と出かけた時に劣らず,魚釣りと猟銃が好きだった。」(p.355)
 父と子の関係というものは,これに尽きる。
 
2010年3月25日。木曜日。雨後曇り。旧暦2.10.甲戌(きのえ,いぬ)。八白大安。
 今日も雨。少し寒い。昼過ぎには雨は上がり,夕方晴れ間が見える。公園を歩こうかと思ったが寒いのでやめた。それに土地も湿っていることだろうし。夕焼けは美しかったかもしれない。
久し振りに辻邦生さんのエッセー集「海辺の墓地から」(新潮社)を開いた。「山陰の旅から」という短い随筆を読むと,端正な文章の妙味と,広く世界を見てきた人の感性がよく融合しているという気持ちになる。こういう文章を読み返してみるのもいい。
 
2010年3月26日。金曜日。晴れ。旧暦2.11.乙亥(きのと,い)。九紫赤口。
 朝からよく晴れていた。今日も,日の高いうちに帰って,久し振りに歩こうかと思ったのは,昨日と同じ。そして車から降りると,冷たい風が皮膚を射す。公園の桜は蕾が膨らみ,ところどころ白いものが見える。やはり,歩かないことにしよう,と思ったのも,昨日と同じ。
 ヘミングウェイ,谷口陸男訳「蝶と戦車THE BUTTERFLY AND THE TANK」(筑摩世界文学大系74)
 スペインの酒場での話。「人生はいとも短く,不器量女どもの生ははなはだ長い」などという表現もあるが,本筋とは関係ない。治安の悪い酒場でのいざこざ。いかにも戦時下といわんばかりに。しかし,どこにも戦争の影など描いていない。起こったことを小説にするしないのやりとりが,面白いといえば面白い。

2010年3月27日。土曜日。晴れ。旧暦2.12.丙子(ひのえ,ね)。一白先勝。
 今日は朝から因島へ。写真を撮りにフラワーセンターへ。それから中学校の上へ。1961年の中村昭夫氏のカラー写真とほぼ同じ位置で写すものの,あまりの変貌ぶりにがっかり。
 それから馬神へ。咲き始めた除虫菊は可憐。海を入れて写すのは難しい。
 帰りに尾道へ。尾道美術館。ヤマタネコレクションが盛りだくさん。日本画の華麗なる筆致。そのあと千光寺の下に行って,上山英一郎翁の頌徳碑を写真に撮って帰る。帰りに,長江口に出てワッフルを食べて,福山へ。夕食後散歩。桜が少し咲き始めた。
 
2010年3月28日。日曜日。晴れ時々小雨。旧暦2.13.丁丑(ひのと,うし)。二黒友引。
 少し曇り。よいお天気になった。
 午前中,散歩。鉄塔の下の龍王社へ。曇っているが仙酔島,神島,笠岡湾干拓地等よく見える。鶯は既に元気に囀っているが,姿は見えない。これからだろう。躑躅が咲いている。早いものだ。

2010年3月29日。月曜日。晴れ。旧暦2.14.戊寅(つちのえ,とら)。三碧先負。
 寒い日だった。朝,久し振りに,ロシア語の他にドイツ語,フランス語,スペイン語のCDを聞いた。錆びついていた頭に潤滑油が注入されたよう。非ローマ字系言語には未練が残るが,やはり,年齢のことを考えるとローマ字系言語を中心にできるだけ時間をとり,非ローマ字系は気まぐれ程度にやるのがいいのではないかと思う。元旦に書いたように,諦めも必用なのかも知れない。
 小品をを速達で出してきた。これで3月の仕事は終わり。次は4月の仕事に早速とりかかる。とはいえ,これは行けるところまで行けばいいぐらいのつもりでやっていこう。だから一月だけ,頑張ってみよう。
 
2010年3月30日。火曜日。晴れ。旧暦2.15.己卯(つちのと,う)。四緑仏滅。
 朝は少し寒かったが,昨日よりは暖かかった。しかし,夕暮れには寒くなる。今日も本を読んだり,語学をしたりして脳の活性化を図る。やはり僕の脳はこういうふうに出来ているのだから,読書をやめれば,あっという間にぼけるのだ。
 辻邦生「海辺の墓地から」(新潮社)より、「長崎天草を訪ねて」を読んだ。こういうような旅行記は胸に迫るものがある。風土と歴史の間を絶えず往復する精神の運動と言っていいかもしれない。辻邦生さんの感性の錬磨については今更言うまでもないことだ。
 ひさしぶりに,西田幾多郎,高山岩男,キルケゴールなど。
 夜,1時間ほど,二階で資料漁り。真冬ほどは寒くない。時々行かなければ,すぐに開かずの間になる。
 
2010年3月31日。水曜日。晴れ,夜小雨。旧暦2.16.庚辰(かのえ,たつ)。五黄大安。
  おはようございます。今朝の福山市東部は、くもり。でも少し暖かい。最高気温は14℃くらいの予報。  今日で本年度は終わり。節目の日ですね。 ・・ということは、福山で働くようになって22年完了の日。

  22年と一言で言うけど長いと言えば長い・・・。一人の人間が成人するわけだから。現にそのとき生まれた子はとっくに成人している。

福山に住むようになったのは、もう少し後。はじめは,因島からバスと電車を乗り継いで通勤。連絡がうまくいけば,片道1時間20分。(歩く時間も入れて)

結局,4年半ほどして,福山市東部へ転居。ということで,Uターンしたつもりが,Jターンになって今に至る。

3人の子供たちの通った学校が皆少しずつ異なってしまった。
 春は緩慢にしか進まない。それでも,今日は寒気団が一休みしたのか,おだやかな一日だった。春日池公園の花見もまずまずの盛況でよかった。
 辻邦生さんの「やきものの里」を読んだ。長い伝統の精神をどのように理解し,どのように語るか。語ることは感じることである。感じたことは語らなくてはならない。陶工一人一人の人生は,長い歴史に比べたらちっぽけなものかも知れない。しかし,それらの人々が,それぞれの流儀で技を伝えることが大切なのだ。その過程で時に飛躍がある。飛躍させようとする必用はない。伝統の精神をリレーしておれば,時が満ち必ず飛躍の時がくる。それが伝統というものだ。
 22年が経ったことを,桔梗さんとささやかに祝した。
 これにて,夕凪亭閑話2010年3月を終わる。
 
 
読書の記録。
今年12冊目
桑原里嘉「夜明け前の木彫りたち」(文芸社)。
今年13冊目
吉村昭「冬の鷹」(新潮文庫)。
今年14冊目
ギボン著,朱牟田夏雄訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅴ」(筑摩書房)。
今年15冊目

菅茶山関係書籍発刊委員会編著「菅茶山の世界 黄葉夕陽文庫から」(文芸社)。
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