2019年7月17日水曜日

夕凪亭閑話 2012年9月

 
2012年9月1日。土曜日。晴れ。一時雨。
昨夜は小雨のため散歩を中止。しかし、後に雨は止む。たいして降らなかったようだ。
しかし、今朝は気温が下がったためか、驚くほど涼しい。今までの夏の暑さが嘘のように思われる。
時々小雨が降って一日中、涼しかったので、もう夏も終わりだと喜んだ。自然は人間の作った9月1日を認識しているかの如くであった。
 
2012年9月2日。日曜日。晴れ。
冷たい風。澄んだ大気。秋が確実に訪れている、と感じる朝。
しかし、太陽が登ると共に、確実に気温が上がっていく・・・
甘かった。やはり残暑は厳しい。
午前中、因島へ。
夕方は暑いが日没後は涼しく秋の夜。
藤井旭写真・文「星空を歩く本」(インデックス・コミュニケーションズ)は美しく読みやすい本である。
 
2012年9月3日。月曜日。晴のち雷雨。
さすがに夜が涼しいと朝も暑くはない。でも,湿度がやや高いようではある。
午後になって雷雨。珍しく大雨洪水警報。
「明暗」百三、百四
「大菩薩峠3」十二、十三。
渡部潤一著「夜空からはじまる天文学入門」(化学同人)。」
今日からフェルナン・ブローデル著、浜名優美訳「地中海」(藤原書店)を読む。以前、ざっと見ておもしろそうだと思いいずれ読むことにして諦めていたものだ。まずは、長い初版の序文と2版の序文を読む。
 
2012年9月6日。木曜日。晴れ。
名作「二十四の瞳」は瀬戸内海のなかでも大きな部類に入る島の物語である。新任の女教師が岬の分教場で12人の児童と繰り広げるさまざまなエピソードが、島の風物詩とともに描かれる。自然と人情については言うまでもなく、はじめに出てくる小舟で自宅から分教場へ通勤するところからして海上交通が20世紀になっても主たるものだったということがわかる。
20世紀後半のモータリゼーションの波は日本全国津々浦々にまで浸透し、山間の農地から小島の岬にまでアスファルトが敷かれ、自動車が文字通り日常生活の足となった今日では、船の役割について想像することさえ難しくなっている。島と島との間の交通はもちろん、同じ島内での交通においてさえ、重要な、そして時には唯一の交通手段だったのである。
それは、道路を造るよりも、船を造ることが容易だったことを必ずしも意味しない。船を造ることも、また船を操ることも高度な技術を要したし、そして常に危険と裏腹であったことを忘れてはならない。それでも、船が主たる交通手段となりえたのは、需要があるとともに、蔵戦術、航海術の絶えざる研究と発展があったからに他ならない。
もし、今瀬戸内海について歴史的地理的考察をする意義がいくらかでもあるとすれば、それは海上交通によってもたらされた恩恵が人や物の移動をより可能にしたその結果と恩恵によることが大であろう。すなわち、海上交通の発達が海で隔てられた島々に半ば以上の閉鎖性といくらかの開放性をもたらしたからに他ならない。もし、結論めいたものを書くことを許していただけるなら、瀬戸内海とは大小幾多の島々における海上交通がもたらした成果と閉鎖性の織りなす空間だということができるであろう。
 
2012年9月10日。月曜日。晴れ一時雨。
さて、海の道の続きを書こう。車社会に生きているわれわれにとって、船を中心とした交通体系には想像を越えるようなこともあった。
その一つは、陸路の切削である。例えば音戸の瀬戸。広島県呉市の倉橋島はもと陸続きであったものだ。それを今の音戸大橋の架かるところで、切削し海にしてしまったというのだ。それをしたのが有名な平清盛だということだ。

音戸大橋を渡る手前のところに小さな公園があって、清盛の銅像がある。切削工事が済まぬのに日が暮れかけ、沈む入り日を呼び寄せている姿だ。伝説では、夕陽が待ってくれて工事が間に合ったということだ。その近くに「新平家物語」の取材に訪れた吉川英治の碑も。

おそらく音戸以外にも陸地を削って、船の道にしたところはもっとあるだろう。
2012年9月11日。火曜日。晴れ。
晴れ。日中は暑いが朝夕は涼しい。
尾道市浦崎町。沼隈半島にある。北側は福山市松永町。東側は福山市沼隈町。昭和33年の町村合併のとき、福山市とは合併せずに尾道市になった。現在ではもちろんないが内海航路として尾道から出る旅客船が主たる交通路だった。列車への乗り換えも、もちろん福山駅ではなく、尾道駅であった。
かくの如く、瀬戸内海は海の道が張り巡らされており、それは島嶼部だけではなく、本土であっても、海に面したところでは、活用された。瀬戸内海という海の役割の一つである。
 
2012年9月12日。水曜日。晴れ。
水曜日。日中は暑い。夜は風はないが暑くない。
ホームセンターに行ったら、売れ残りのヨシズを安売りしていたので2つ買ってきた。さて、どこに格納しておこうか?
それに子ども用の夏休みグッズも安売りしていたので、少し買った。
 
瀬戸内海には潮待ち港というのがある。関門海峡と紀伊水道から入った潮は福山市の鞆町沖で出会う。この時が満潮である。それを期に再び潮は両方へ出て行く。海を行く船がこの潮流を利用しない手はない。しかし、一日に進む距離には限度があるので、潮の流れが変わる前に停泊して、逆流の時は航行を見送る必用がある。そのための港が潮待ち港である。それは港湾としての条件と移動距離の区切りのよいところの両方の観点から決められて、おのずと栄えた。それが、江戸時代の朝鮮通信使の上陸するところとなり、今にその名残を留めている。
渡辺淳一「失楽園 下」(講談社)終わる。
 
2012年9月13日。木曜日。晴れ。
日中が少し暑いものの、朝夕が随分と過ごしやすくなったように思う。もう少しで快適な秋になるだろう。来年の夏のことは心配しても仕方がない。今の季節の移ろいに期待し、かつ満足することにしよう。
秋の日の釣瓶落としの、日没後の薄暮が短くなっていくのが、日に日に感じられる。明るいうちに散歩に出発しても、40分後に帰着するころには、一番星が瞬いているほどの時刻になる。
昨夜、息子と話していたらエーコの対話集を買ったということであったが、私はエーコの作品を読んだことはない。早速有名な「薔薇の名前」を借りてきて読むことにした。と言っても最後までいくかどうかはわからない。
 
さて、瀬戸内海の発展に潮待ち港があったのはよく知られていることだが、それだけでは町はできない。例えば尾道市。これは古くから栄えた港町であるが、潮待ち港ではなかった。高野山の所領を背後に控え、その積出港であったのだろう。倉敷もそうである。廿日市も津和野藩の蔵屋敷があったところだろう。いずれにせよ、海の道に連なる結節点であったのだろう。
 
2012年9月14日。金曜日。晴れ。夜雨。
涼しくなったので6時過ぎにでて歩く。でも、帰ったときは早暗くなっていた。
10時過ぎに突然の停電。雷はとっくに遠ざかっていたのに。
そして、驚くほどの激しい雨音。噂に聞くゲリラ豪雨とはこのことか、と納得。
 
 
 
 
 
今年50冊目。
藤井旭写真・文「星空を歩く本」(インデックス・コミュニケーションズ)。
今年51冊目。
渡部潤一著「夜空からはじまる天文学入門」(化学同人)。
今年52冊目。
渡辺淳一著「失楽園 下」(講談社)。